■ 繋温泉泊、鶯宿も良いけれど... 湯西川温泉については149『大河ドラマ』(2016年1月17日)で紹介しました。と言っても、温泉オタクの娘が行って来て、とても良かったというので行って見ようという気になったという話でした。湯西川から帰って来て、1日置いて岩手県へと旅立ちました。盛岡で国立大学法人岩手大学の経営会議に出席するためですが、折角なので繋温泉に前泊して、湯西川温泉同様のわずかに硫黄臭のする低張性アルカリ性単純泉を楽しんで来ました。ふるさと雫石の鶯宿温泉にしようかといつも迷うのですが、翌日盛岡で会議があるときは、足回りの関係で盛岡市の繋温泉になってしまいます。
■ 湯西川温泉郷
■ 温泉郷とは? 温泉郷(おんせんきょう、おんせんごう)は、一定の範囲内に集まっている温泉の総称で、範囲の取り方についても、また温泉郷を名乗る上での明確な規定もないそうです。「おんせんきょう」なのか「おんせんごう」なのか悩んでいたら、どっちでも良いそうです。な〜んだ(>_<) 山に由来しているのは乳頭温泉郷(乳頭山)や那須温泉郷(那須岳)、川に由来しているのは塩原温泉郷(箒川)や石和温泉郷(笛吹川)、湯西川温泉郷などまさにコレですね。川沿いの峡谷にあることから「温泉峡」を名乗っているのは、以前新鉛温泉愛隣館【185『一周忌』(2016年9月27日)】を紹介した花巻南温泉峡((豊沢川)、湯田温泉峡(和賀川)などです。湖由来は十和田湖温泉郷、田沢湖高原温泉郷、富士河口湖温泉郷など、地域名に由来しているのは奥飛騨温泉郷、みやぎ蔵王温泉郷、黒石温泉郷、碇ヶ関温泉郷などです。温泉オタク、日本酒オタク、ラーメンオタクの娘が先日湯田中渋温泉郷(志賀高原)に行って来たと言っていました。また先を越された... ■ 繋温泉の由来 繋温泉では、ホテル紫苑【211『卒業式』(2017年3月27日)】と愛真館【222『梅雨入り』(2017年6月11日)】の湯巡りをしました。この温泉はもともと平安末期、源義家(八幡太郎義家)が安部晋三首相の祖先とされる安倍宗任(あべのむねとう)の兄・安倍貞任(さだとう)を攻めた前九年の役で、本陣を置いたところに温泉が湧いているのを義家が発見し、愛馬の傷をこの温泉で洗うと快癒したので、 義家も愛馬を穴のあいた石に繋いで入浴したと言われ、これが繋(つなぎ)温泉の由来と言われています。筆者の幼少期、繋温泉は同じ御所村でした。 ■ 宮沢賢治の愛した地 親に連れられて歩いて繋温泉に行きました。昔の人はよく歩きました。宮沢賢治など、盛岡高等農林学校(今の岩手大学農学部)在学中に歩いて小岩井農場や筆者の実家があった七ツ森をたびたび散策しに来たそうです。健脚の人は3時間ぐらいで歩くでしょうが、途中急坂もあり、たいしたものです。 その後町村合併で御所村が雫石町に編入されたとき、繋温泉は盛岡市へと移りました。
■ 御所湖畔の宿 繋温泉はその後、雫石川の御所ダム建設に伴って水没しました。筆者の生家も水没しました。そこで筆者の親は代替地として七ツ森に家を建てました。国道46号線に面した一等地ですが、コンクリート舗装なので、夜はうるさかったですね。ただ景色は良いし、いいところでした。宮沢賢治が愛しただけのことはあります。繋温泉の旅館街も箱ヶ森の中腹に移転して新しい宿を作りました。ホテル大観【206『金正男氏殺害』(2017年2月19日)】など今は御所湖の湖畔ですが、この辺りは筆者が幼かった頃は山の上の高台でした。その後、ホテル大観の隣にホテル紫苑が出来ました。
■ 次亜塩素酸水の活躍 次亜塩素酸水は食品業界には欠かせぬもので、口に入っても安全なので、食品工場の清掃などではこれを用います。「水素原子」と「塩素原子」が「酸素原子」に結合した、とてもシンプルな形をしています。インフルエンザやノロウィルスなど、ウィルス感染型の病気が近年増加していますが、ウィルスの侵入をブロックしてくれる救世主として脚光を浴びているのが次亜塩素酸水なのです。我が家ではこれで加湿して、常に湿度を維持してウイルス増殖を抑え、殺菌脱臭を図っています。
■ 前回の浅田次郎さんの話の続き 島崎藤村が初代会長を勤めた日本ペンクラブの第16代会長(2011〜2017年)であった浅田次郎さんは、盛岡ふるさと大使です。第14代会長(2003〜2007年)の井上ひさしさんは岩手県人連合会の会長でした。岩手は文人に縁の深い地で、今年の直木賞、芥川賞などまさにそうですね。 浅田次郎さんは1951年生まれ、一般的には「幸福な世代」だと浅田さんは言います。戦後の食糧難を知らず、高度経済成長を享受してきました。しかしそんな中にも不幸な人は存在します。浅田さんは幼い頃両親が離婚してコンプレックスを抱きながら育ったそうです。勉強部屋がある家に育って、両親が裕福で仲良くて子供の教育に注力された子、親戚に預けられた子、施設で育った子では勉強する環境がまるで違います。「貧しい時代には不幸があまり気にならないが、みんなが豊かになり、幸せな中での不幸は辛い。社会では、不幸は無かったことになる。人間は自分の不幸は語らない。そういう人たちの苦労、人生を『忖度』するのが物書きの責任だと思う」と浅田さんは言います。 ■ 教育格差 最近は「一億総中流」と言われた社会から、「格差社会」になったと言われますが、「いや、格差を通り越して階級社会になった」と言う人もいます。階級社会と言うなら士農工商の江戸時代ですね。そこまではどうかな?格差が如実に現れるのが教育です。浅田次郎さんがおっしゃるように、勉強する環境によって人の将来には差が付きます。大学入試の発表がありましたが、親が教育熱心だった家庭の子供は恵まれています。今や国立大学法人ですら年間授業料が53万5千8百円です。これは国立大学法人になった2005年から据え置かれています。筆者は月千円、年間1万2千円でした。親が辛酸を舐めてでも子供に教育を与えたら、子供は一般に豊かな人生を送れます。NHKの2014年前期朝ドラ『花子とアン』は、教育によってその後の人生が変わるのだということを如実に教えるドラマでした。カナダの作家モンゴメリの作品”Anne of Green Gables”は、直訳すると、「緑の切妻屋根のアン」です。モンゴメリはプリンス・エドワード島の田舎で育った自身の少女時代も作品に投影しました。孤児院暮らしだったアン・シャーリーが、11歳でアヴォンリーのカスバート家に引き取られてからクィーン学院を卒業するまでの少女時代5年間を描いた作品です。 ”Green Gables”はカスバート家の屋号でした。苦難に苦難を重ねた人生、それでも勉強を続けたことがアンの人生をやがて大きく変えて行くのです。 ■ 花子とアン 『花子とアン』の主人公村岡花子は、安東はなとして甲府の貧しい小作農家に生まれました。「オラのことは花子と呼んでくりょ」が口癖でした。父・安東吉平の計らいで東京のミッションスクール・修和女学校(東洋英和女学院)へ進みます。はなを支えたのは母ふじの強さと優しさでした。行商に出て帰らない父の代わりに一家をおじいやんとともに支えました。娘の女学校行きは借金しなければ出来ないことでした。父の計らいと書きましたが、実は母が決断しなければ出来ないことでした。ここで習得した英語、素養、友人が、彼女の一生の宝となります。村岡英治と結婚し、生まれた歩は病死します。はなの1つ年上の兄で長男・吉太郎は、勉強が嫌いで学校をやめ、家の農作業の手伝いに専念しますが、勉強嫌いが原因で父に疎まれていると思っており、家族たちの反対を押し切って軍隊に入り、憲兵となります。終戦を迎えると、憲兵だったことで周囲から白眼視されますが、父が病に倒れ、数年ぶりに甲府へ帰り、吉平と話し合った末、長年のわだかまりが氷解、父からぶどう酒醸造を学ぶなか、花子の友人・醍醐亜矢子と想いが通じ、結婚します。はなの2つ年下の次女かよは、上の学校へ行くことが叶わない自らの境遇に複雑な思いを抱きつつ、生活のために製糸工場へ女工として働きに出ます。その過酷な環境から脱走して、東京の姉のもとへ身を寄せ、売り子や女給などいろいろな職業を転々として、やがて小さいながらも喫茶店「カフェータイム」を自力で開業します。しかし東京大空襲で店は焼失、村岡家に身を寄せ、終戦後は闇市で露店を始め、闇市で警察官に追われる浮浪児の姉妹を匿い、引き取ることを決断します。はなの6つ年下の末っ子三女のももは、隣家のはなの同級生朝市が好きでしたが、朝市が実は、はなのことを想っていることに気付き、父が勧める若者との縁談を受け入れ、北海道の開拓地へ嫁いで、夫と共に言い知れぬ苦労をします。しかし夫の病死後は婚家から冷遇され、これまた逃亡して村岡家に世話になるなか、自分と違い恵まれた生活の花子に妬みの感情を露わにします。やがてかよに事情を聞いて誤解が解け、「カフェータイム」で知り合った男と結婚して長女の美里を出産しますが、間もなく夫が結核を患い、転地療養する夫の看病に専念するため、病気をうつさないよう美里を花子に託します。後に夫は回復し、美里を花子の養女に出し、彼女自身は次女の直子を出産します。このように4人兄姉妹でも、それぞれが苦難の道を歩みますが、女学校へ行かせてもらえた長女がやはり一番恵まれた人生でした。 ■ 「赤毛のアン」がベストセラーに
■ 揺れる働き方改革 働き方改革が揺れています。首相官邸のホームページによりますと、裁量労働制の適用拡大については見送られる模様ですが、時間外労働の上限規制、同一労働同一賃金の導入、高度プロフェッショナル制度の3つについては、国会に提出していきたいとしています。働き方改革は、働く人の目線で、日本の企業文化や人々のライフスタイル、働くということへの考え方を抜本的に変革しようとするものです。サービス社会化が進み、情報通信技術は日進月歩、労働環境は激変しています。今後、AIやロボットの活用もますます進むことでしょう。国会での議論の行方は波乱含みといえますが、改革の名にふさわしい取組を期待します。 ■ 財務省疑惑で安倍政権ピンチ 佐川宣寿さんが国税庁長官を突如辞任して、政界大揺れです。財務省の決裁文書書き換え問題で、麻生財務大臣は「佐川が」と呼び捨てにして、「アイツが悪い」と理財局の問題に極小化しようとしました。佐川氏は国会に証人喚問を求められるようです。財務省は、官庁の中でも特別な存在です。カネを握っていますから、他の省庁も財務省の顔色を窺わざるを得ません。昨年森友問題が勃発したとき、佐川理財局長は断言調で国会答弁、与党から賞賛され、国民多数からはウソをついているのでは?と疑われましたが逃げ切って国税庁長官になりました。ところがここに来て朝日新聞に決裁文書改ざんをすっぱ抜かれ、近畿財務局職員の自殺後、怒涛のように局面が変わりました。当の財務省内部からも有り得ない話と非難の声が上がりました。 我が高校の大先輩は大蔵省から経済企画庁を渡り歩き、国民生活センター理事長を勤められた日本の消費者行政の第一人者です。2018年3月16日14時から、千葉県消費者センターで、「消費者事件 歴史の証言−消費者の権利確立の闘い」と題する講演をされました。産業界・産業官庁との熾烈な攻防の歴史を語り、現在の森友文書改ざん事件に関連しても、「私の現役官僚時代に、米国のマルチ商法会社A社について、A大臣、K大臣、F大臣などから手心を加えるように求められたが、消費者被害の実態をご説明してお断わりした。官僚は、国民全体の奉仕者として気概をもつべきだ」ということを話されました。A社は、与党・野党の有力政治家に、多額の政治献金をしていました。官僚というものは本来こういう人たちなのです。 ■ 忖度の背景と綻び では何故財務省の官僚がこんなことをやってしまったのでしょうか?小泉純一郎元首相が、2018年3月13日夜、BSフジの番組に出演して「安倍総理が『私や妻が森友学園、関係あったら総理も国会議員も辞める』と言ったでしょ。忖度したんだよ」と言いました。これがすべてですね。その後、実は近畿財務局が森友学園のために国有地を実質二百万円ちょっとで売ろうと工作した、大阪府に小学校の開設認可を働きかけたことが判明しました。政治家の介在もあったようですが、何より安倍昭恵さんの名前が出たからでしょう。国会論戦では噛み合わない議論ばかりです。安倍総理や夫人が森友学園のために直接どうこう指示したなんてほぼ誰も考えていないでしょう。しかし現実には籠池さんが神風が吹いたと言う様な事態になりました。頭の切れる官僚がなぜこんなことをするのか?ましてや決裁文書改ざんなんて、絶対やってはいけないことまでしてしまったか?忖度の理由は2014年5月に誕生した「内閣人事局」の存在ゆえだというのは、もはやお役人の間では常識のようです。内閣府に首根っこをつかまれた官僚は、官庁中の官庁;財務省でさえも忖度せざるを得ない状況に追い込まれました。これは司法の中にさえ浸透していると言われます。立法サイドでさえ、総理や内閣府の顔色をうかがって三権分立の危機と言われてきました。引退した小泉純一郎さんは自由に意見を言えますが、現役はそうは行きません。それなのにどうして事態が急転したのか?検察の中からもリークと思われる情報が出てきたのか?想像つきますが...止めましょう。良識ある国民は分かっているはずです。 ■ 文科省、またまた余計な波立て? NHKのニュースで名古屋市立の中学校で2月に、文部科学省前事務次官の前川喜平氏が授業の一環で講演したことをめぐり、文科省が市教委に対し、前川氏を呼んだ狙いや講演の内容を問い合わせ、録音データの提供を求めていたことを報じていました。NHKにしては珍しく批判的な報道だなと感じました。翌日の朝日新聞は、これまた珍しく極めて抑えた調子で淡々と書いていました。批判するに値しない幼稚な事案だと思ったのでしょう。林芳正文科相は担当局に注意したそうです。 石破茂・自民党元幹事長が地元鳥取県倉吉市の街頭演説で、この件に触れて、「あんな講演をやるのはいかんじゃないか」といって、文科省が一体どんなことだと(問い合わせる)。それはおかしくはないですか。そんなことをやり始めたら、言論の自由はなくなってしまう。特定の人が記録をなくしてしまう。行政というのは誰にも公平に行われたと、その記録を残すために膨大な文書がある。それを書きかえてしまったら一体何を信じたらいいのですか。行政はAさんが頼もうが、Bさんが頼もうが、Cさんが頼もうが、みんな公平にやらなければ。一部の人だけが利益を得るようなことであれば、誰もバカらしくて税金なんか払っちゃおられんということだと思う・・・と話しました。その通りですね ■ 平昌パラリンピック閉幕 日本はメダル10個 2018年3月18日の閉会式では、開会式に続き村岡桃佳(21)=早大=が旗手を務めました。38選手が参加した日本選手団は前回ソチ大会を超える10個のメダル(金3、銀4、銅3)を獲得し、目標の7個以上を達成しました。応援していた狩野亮(アキラ)は残念でした。桃佳は出場した5種目すべてでメダル(金1、銀2、銅2)を獲得し、冬季の日本勢1大会個人最多記録を更新しました。アッパレ! ■ 大坂なおみがツアー初V 快挙 女子テニスのBNPパリバ・オープン(アメリカ/インディアンウェルズ、ハード、プレミア・マンダトリー)は2018年3月18日、シングルス決勝が行われ、世界ランク44位の大坂なおみが初優勝しました。四大大会に次ぐグレードの大会で日本勢女子の優勝は史上初の快挙です。今大会、大坂は1回戦で元世界ランク1位のM・シャラポワ(ロシア)、2回戦で第31シードのA・ラドワンスカ(ポーランド)、3回戦で世界ランク100位のS・ヴィケリー(アメリカ)、4回戦で同58位のM・サッカリ(ギリシャ)、準々決勝で第5シードのKa・プリスコバ(チェコ共和国)、準決勝で第1シード、世界ランク1位のS・ハレプ(ルーマニア)を下し決勝へ進出、第20シードのD・カサキナ(ロシア)にストレート勝ちして、悲願のツアー初優勝を果たしました。アッパレ! ■ 高木美帆 W杯スケート総合V スピードスケートのワールドカップ(W杯)今季最終戦は2018年3月18日、ミンスクで行われ、女子1500メートルは平昌五輪銀メダルの高木美帆(日体大助手)が1分56秒36で優勝、美帆は今季出場した5レースすべてを制して初の種目別優勝に輝き、日本勢初の個人総合優勝を果たしました。アッパレ! ■ W杯複合 渡部暁斗が総合優勝 ノルディックスキーのワールドカップ(W杯)複合は2018年3月18日、ドイツのクリンゲンタールで個人第20戦が行われ、平昌五輪個人ノーマルヒル銀メダリストの渡部暁斗(北野建設)が3位に入り、2戦を残して初のW杯総合優勝を決めました。日本選手としては1994〜95年シーズンまで3連覇した荻原健司に続く2人目の快挙で、23季ぶりのタイトル獲得となりました。アッパレ! ■ NYダウ、大幅反落=460ドル近い下げ 2018年3月19日午後のニューヨーク株式相場は、2016年の米大統領選でトランプ陣営が使った選挙コンサルティング会社がフェイスブック(FB)利用者5000万人超の個人情報を不正に入手していたとの報道を嫌気し、大幅に反落しています。優良株で構成するダウ工業株30種平均は前週末終値比で一時460ドル近く下げました。今やNYダウは「トランプ相場」と言われ、それがモロに日経平均に反映しますからヤバイですね。トランプが米大統領になって以降、世界中が不穏な雰囲気になってきて、プーチン、習近平、皆ヤバイ、金正恩どうする? ■ 週末、また岩手へ 2018年3月23日(金)は国立大学法人岩手大学の卒業式です。登壇するので日帰りで行ってきます。少年野球が春季大会佳境になってきて、21日(水・祝)は雨のようで、日程グチャグチャになりそう、さすがにとは参りません。 (2018年3月20日) |