520 つぶやき終了
左のうた、皆さんご存知だろう。細川ガラシャの辞世のうたである。明智光秀の三女で、細川忠興の正室であった。関ヶ原の戦いが勃発する直前の慶長5年(1600年)7月16日(8月24日)、大坂玉造の細川屋敷にいた彼女を、西軍の石田三成は人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒絶した。その翌日、三成が実力行使に出て兵に屋敷を囲ませると、ガラシャは家老の小笠原秀清(少斎)に槍で部屋の外から胸を貫かせて死んだ(とされているが定かではない)。キリスト教では自殺は大罪であり、天国へは行けないためである。享年38。 「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」 この辞世のうたは花も人も、散り時をわきまえてこそ美しいのだ、という意味であろう。細川元総理や小泉元総理も引用している。 |
細川ガラシャ 父の光秀に似て、頭が良く 気丈で、美しい女性だったと言われている |
2012年の「つぶやき」インデックスへ→ジャンプ
2011年の「つぶやき」インデックスへ→ジャンプ
2010年の「つぶやき」インデックスへ→ジャンプ
2009年の「つぶやき」インデックスへ→ジャンプ
2008年の「つぶやき」インデックスへ→ジャンプ
2007年の「つぶやき」インデックスへ→ジャンプ
2006年の「つぶやき」インデックスへ→ジャンプ
2005年の「つぶやき」インデックスへ→ジャンプ
2004年の「つぶやき」インデックスへ→ジャンプ
2003年の「つぶやき」インデックスへ→ジャンプ