261  ハッピーリタイアメント
 あの忌まわしき東日本大震災から本日で丸七年が経ちました。翌日岩手県岩手郡雫石町の鶯宿温泉で中学校の同期会があるため、ボストンバッグを持って埼玉県戸田市美女木の会社に行き、終業後大宮から東北新幹線に乗る予定でした。忘れもしないあの大揺れ、14時46分、二度と経験したくありません。会社のパーティションは倒れ、ロッカーも倒れ、テレビは落ち、もしかして建物も崩壊するのではとさえ思いました。それなのに埼玉県ふじみ野市の自宅は軽微な揺れで、何の被害も無く、棚の上のものも全くそのまま、戸田市とのあまりの違いに驚きました。宮城県沖の遠い震源地からの揺れの伝播は、地質の違いによって、大違いなのだということを思い知らされたものです。

■ 五十里湖に水が無い!
 日光のず〜っと奥、湯西川(一級河川利根川水系)の渓谷沿いの温泉地、湯西川温泉に行ってきました。途中五十里湖の脇を走りましたが、なんと水が無い!驚きました。湖底だったところが露出しているのです。実は五十里ダムの補修に伴って水を抜いているのだそうです。国土交通省関東地方整備局鬼怒川ダム統合管理事務所が、「五十里ダム堰堤改良事業」について公表しているところによれば、貯水池側の工事は、2017年10月〜2018年2月までの期間、貯水池の水位を下げ工事を実施し、水力発電設備を含めた全体設備は2018年度中に完成する計画だそうです。ダムで水没するということはどういうことか?筆者の生家も雫石川の「御所ダム」の湖底ですが、なかなか見られない光景で一見の価値があります。機会があれば、ご覧になってはいかがでしょうか。

■ 湯西川温泉に行ってきました
 湯西川温泉の湯は無色透明で、癖の無いアルカリ性単純泉、わずかに硫黄臭がします。刺激が弱いため、肌にやさしい、pH9ぐらいのアルカリ性、美肌の湯と言われます。低張性すなわち浸透圧の低い温泉です。日本の代表的な泉質の温泉です。深く切れ込んだ渓谷沿いに温泉宿がポツポツと建っていて、いかにも温泉らしい風情があります。鬼怒川温泉のような開け過ぎた温泉より落ち着きます。豪華な部屋、絶景の最上階客室には満足しました。夜に露天風呂に入っていたらナント!雪が降ってきて、思いもしない雪見風呂になりました。翌朝は銀世界、我が赤い車も真っ白な雪に覆われていました。

湯西川温泉のホテルの廊下から見下ろしたところ、翌朝は銀世界

■ 浅田次郎さんを知ったのは...
 『壬生義士伝』『蒼穹の昴』『プリズンホテル』シリーズなど、数々のベストセラーを世に送り出してきた浅田次郎さんは、盛岡ふるさと大使です。141『歴史に学ぼう』(2015年11月21日)で、浅田次郎さんの話を聞いた内容を書きました。「歴史を知ること、歴史に学ぶことが大切」というそのお話を、感銘を持って聞きました。
 筆者が浅田次郎さんを知ったのは『壬生義士伝』が映画化されたときです。もう15年も前のことですが、このエッセイの前身「つぶやき」の第二篇2『『たそがれ清兵衛』と『壬生義士伝』』(2003年1月20日)で、『壬生義士伝』の主人公;新選組の隊士である吉村貫一郎が、岩手の寒村、雫石の貧しい武士だったというところから、オッ同郷だ!と注目したのです。吉村貫一郎は、南部藩のあてがい扶持では食って行けないので、京都へ出稼ぎに行きます。仕事は人斬りです。最後は、「生きたい、家族の元へ帰りたい」と念じつつも、自らの命を絶たねばなりません。亡き吉村貫一郎の子を背負った商人が新潟への道すがら、わざわざ北上川にかかる盛岡の夕顔瀬橋まで戻って、岩手山を見せながら、「お坊ちゃん、この山をよ〜く見てくなんせ、この川をよ〜く見てくなんせ、これがお坊ちゃんのふるさとでやんすよ」と言うシーンなど、涙を禁じ得ないものでした。
映画『壬生義士伝』の一コマ
吉村貫一郎と雫石の家

■ ハッピー・リタイアメント
 浅田次郎さんにしては珍しい、現代を舞台にした長篇小説『ハッピー・リタイアメント』(2009年幻冬舎)を読みました。
 プロローグでは、作者のもとに三十年前の借金を取り立てに来た男の話が書かれています。このエピソードは、実は本当にあったことなのだそうです。浅田次郎さん曰く・・・「まんま実話なんですよ。だって、考えられる?ある日突然、三十年前の借金を取りに来るんだよ。思いつかないよ、こんなこと。しかも、『お金は返さなくていい。書類上の手続きをしてくれればいい』って言う。ところがさ、そいつのカバンの中に『壬生義士伝』が入っているんだぜ。嫌がらせだろ、それ」・・・証文を持参して、借金取りのようでいながら、別にお金は返してくれなくて結構ですというその男、浅田次郎の代表作を持っていながら、目の前の男性が浅田次郎だと知ってビックリする、いや、驚いてみせる?演技派?この男、たしかにウラがありそうです。「いくら時効だからといったって、道義的責任ってものがあるし、借用書もあるから払うことにしたんだけど、振り込みじゃなくて現金でって言うんだよ。怪しいだろう?しかも、支払い当日に来たのが別の奴なんだよ。『この間来た人はどうしましたか?』って聞いたら『定年退職しました』って言うんだ。それで、カネを渡したら、逃げるように帰ったんだよ。今でもヤラレタような気がしてる。悔しいから小説にして原稿料で取り返してやろうと思ったんだ」そうです。
 プロローグの最後で、家の前で男を見送った浅田は、家人が「セールスの方だったの?」と聞いたのでこう答えました。「買わされちまったよ。小説」かくして物語の幕が開きました。

浅田次郎さん

■ 「最高の人生とは“たいそうな給料をもらい、テキトーに仕事をする”ことである」
 若い頃の借金、返さなければと思いつつも時が過ぎて、今や売れっ子小説家になったところへふいに現れた男、「返さなくてもいい」と言われても、そんなわけには行かなかったんですね。長篇小説『ハッピー・リタイアメント』のキャッチコピーは・・・「最高の人生とは“たいそうな給料をもらい、テキトーに仕事をする”ことである」というものです。
 財務省に33年間勤め、課長代理の肩書きを手に入れて間もなく退職勧奨を受け、官舎を出ることになったノンキャリア役人・樋口慎太郎(愛称:慎ちゃん56歳)に対し、妻はこれを機に離婚届にサインをし、2人の子(成人)と財産を山分けしてあっさり出て行ってしまいました。高校卒業後、陸上自衛隊に37年間勤め、叩き上げで二等陸佐まで昇進した大友 勉(愛称:ベンさん55歳)は、防衛大学校卒のエリートの後輩をかつて面倒見ました。後輩はやがて統合幕僚長になりました。生粋の、昔であれば軍人の大友は結婚暦の無い独身です。外来語を嫌っており、軍人たるもの世事に関わってはならないという信念を持っています。樋口と大友が再就職先として斡旋されたのは、全国中小企業振興会、通称・JAMSで、そこは、業務実体のないいわゆる天下り機関でした。ご存知のように官僚は55歳ぐらいで辞めなければなりません。しかしまだ年金は出ないので働かなければならない、そこで天下り斡旋というものがありました。今では文科省で大問題になって前川さんが辞めざるを得なくなったように、天下りは目の敵のように言われますが、当事者にとっては必要悪なのです。日がな一日のんびり過ごすのが仕事というこの職場に、ずっと真面目に仕事をしてきた2人は到底馴染めません。2人の秘書は、40代半ばを過ぎているが、細身の体型を保っている元銀行員の立花葵です。彼女は、JAMSの理事でありながら実質トップの元財務官僚・矢島と肉体関係を持っています。これによって身の安泰と保全を図っているわけです。矢島が財務省でやってきたことを知っている樋口は、そのことで過去に因縁があります。天下りの巣窟であるJAMSを快く思っていない立花葵は、そんな樋口と大友を相棒に「本来の仕事」を始めたところ、想像以上の成果を上げ始めます・・・・以下省略します。ネタバレになるからです。

■ 浅田次郎さんの面白さ
 浅田次郎さんの小説には、歴史に切り込む鋭い視点がありながらユーモアが散りばめられているから面白いのです。かつて日本には二百六十余年に及ぶ平和な時代があり、これは争いの絶えない世界各国のなかで、類稀なることでした。紀元620年頃に、日本初の官僚の行動規範を定めた十七条の憲法ができ、そしてそれ以降規則に則って仕事をする官僚というものが生まれました。信長→秀吉の短期統治を経て、1603年に徳川幕府政権が誕生、大坂冬、夏の陣(1614、15年)を経て徳川政権が安定するとともに、戦闘集団としての武家統治から行政統治が重要となる時代に移行しました。幕府の政策企画、実行の事務を行うための役職として最高職の老中、そしてそれに次ぐ若年寄がそれぞれ数名ずつポストに就き、その下に勘定奉行、寺社奉行、そして江戸、京都、大坂という幕府直轄の三都市を行政統治する町奉行、京都所司代、大坂城代といった組織が置かれます。この官僚制度は、老中と若年寄のそれぞれ複数が月替わりで交代する、という画期的なもので、四角い階級制度というものでした。
 明治維新は、このかつてない平和な時代に終わりを告げ、富国強兵、殖産興業に勤しませるものでした。ピラミッド型階級制度に変わり、現在に至っています。そして数々の戦争を体験し、今また平和な時代になっています。戦争の無い日本は、ありがたいとつくづく思います。
 『ハッピー・リタイアメント』のなかで、面白いと思った一節がありました。
 おや?と親が思うまでもなく、ははっと母が笑う間もなく倅は堕落したのであった・・・

■ ホンダジェット好調
 三菱航空機のMRJは、相次ぐ納入延期で大ピンチとなっていますが、一方でホンダの小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」が好調です。2017年の出荷数量は43機、米セスナの主力機を抜き、初の世界1位を達成したのだそうです。2月にシンガポールで行われた航空ショーにおいて、フランスのプライベートジェット運航会社ウィジェットから、ホンダジェット16機を受注しました。ホンダジェットはこれまで100機以上を受注していますが、1回の受注機数としては過去最多だそうです。
 ホンダの航空事業参入は、創業者である本田宗一郎氏の悲願でした。構想から半世紀を経た2014年に量産一号機を公開。その後、地味ではありますが、着実に受注を重ねて現在に至っています。小型ビジネスジェットの分野では、米セスナ社など欧米メーカーが圧倒的な地位を占めています。実績がモノをいうこの業界では、新規参入はかなり難しいというのが常識なのに、こうした障壁をイノベーションで打ち破る勢いです。今回の受注で注目されるのは、顧客企業が最大手であるセスナから乗り換えたという点です。単なる新規受注ではなく、ホンダジェットの能力が高く評価された結果といってよいでしょう。

■ 確定申告
 川越税務署に確定申告に行ってきました。これまで配偶者任せにしていて、こんな難しいこと良くやっていたなぁと改めて尊敬してしまいました。旧居を売却したので不動産売買による分離課税申告が必要だったからですが、この際自分でやってみなさいと言われて出掛けたのです。車で行って驚きました。駐車場へのものすごい待ちの車列、ひるみました。しかし気長に待ってやっと税務署に入ったら、今度はものすごい行列、税金を払うということがいかに大変かと、良く分かりました。旧居は建物はほぼ価値が無くなっていましたが、土地は購入時より安く売却したので無税でした。それを証明するために書類を揃え、ややこしい計算をして申告したら、「スゴイ、ここまでやっていただけるとは?助かります」とおだてられ、来年からはe−TAXでヨロシクと言われました。企業経営者時代に、法務局提出書類をそれまで行政書士に頼んでいましたが、総務部門の社員に自分で作れと命じ、「そんな難しいこと」と難色を示したので、自分でやって見せたら、以後できるようになって大いに経費削減になりました。同じようなものですね。

■ 国税庁の佐川宣寿長官辞任
 259『平昌冬季五輪』(2018年2月26日)の中で、国税庁の佐川宣寿長官に対するバッシングはスゴイですね、と書いたら、それどころではない展開になってきました。森友学園問題で、当時財務省理財局長だった佐川氏が、実は国有地売却に関する決裁文書の書き換えを指示したのではないかと言うのです。佐川氏は2018年3月9日、「国会対応に丁寧さを欠き、審議に混乱を招いた」などとして、麻生財務大臣に国税庁長官の辞表を提出、麻生氏は受理したというのですが、実は懲戒処分にしたのだそうですよ。どうもこのところ財務省の動きがおかしいなと思っていたのですが、そういうことだったんですね。今回の国会答弁で、安倍晋三首相が朝日新聞を槍玉に挙げて批判したら、その朝日新聞が決裁文書の書き換えを報道し、結局安倍晋三首相が反撃される破目に陥ったようです。こんなゴタゴタいい加減にして欲しいものですが、それよりも大阪地検が籠池夫妻を長期拘留しているのは何故でしょうか?吉本興業より面白い夫妻なので、早く釈放すべきです。
(2018年3月11日)


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