505  東信旅

 11月7日が二十四節気の「立冬」で、いよいよこれから寒くなります。暦の上では冬ですね。これから「小雪」→「大雪」→「冬至」→「小寒」→「大寒」と続き、2月初めの「立冬」から春が始まります。ふじみ野こどもエコクラブの畑を1日お休みして、東信州を旅してきました。11月14日は「埼玉県民の日」で、公立学校はお休み、様々な県立施設が無料となり、埼玉県内を走る鉄道で1日フリー乗車券などが発売されました。

■ 長野県の位置
 信州=長野県は南北に細長く、まさしく日本列島、本州のど真ん中に位置します。日本アルプスがあるところで、日本一の山岳地帯です。平均寿命が日本トップクラスなのは、空気や水、食べ物のほか、美しい風景に心癒されるからでしょう。下の地図を見て気付くのは、埼玉県、東京都、神奈川県はいずれも東側が白っぽい平野で、西側が緑の山地だということです。やはり都県の中に緑豊かな地域が無いといけない、という配慮でしょう。神奈川県の西側は山梨県と静岡県と接し、東京都は西側で山梨県と接していますが、埼玉県が関東の中心だということが分かるのは、千葉県、茨城県、栃木県、群馬県、長野県、山梨県、東京都と接していて、神奈川県以外のすべてと県境を成しているからです。「関東甲信地方」と言うとき、関東1都6県と山梨県、長野県を指します。富士山のある山梨県と日本アルプスを擁する長野県、そして岐阜県は内陸の山岳3県と言えます。


長野県の位置(グーグルより)

■ 信州6エリア
 信州は6つのエリアに分類されます。今回は埼玉県に接する「東信州エリア」に旅してきました。全国に避暑地としてその名を知られる軽井沢をはじめ、千曲川上流域に位置する東信州は、標高600メートル以上の高原リゾートとして知られるエリアです。数多くの史跡を有し信州の鎌倉と評される上田、著名人が多く逗留した軽井沢・小諸など、古くから文化を築いた地域でもあり、風格のある観光地として根づいています。

信州6エリア

■ 戸倉上山田温泉へ
 筆者が信州で一番多く行く温泉と言えば千曲市の戸倉上山田温泉です。行くたび違う宿に泊まります。これまで2回泊まったのは唯一「小石の湯 正明館」だけです。ちいさな宿ですが、料理が美味しくて、おかみさんがつわものなのです。つわものの意味はご想像に任せますが、きれいなひとです。何しろ戸倉上山田温泉には旅館、ホテルがいっぱいあるのです。行った回数はまだ2桁には達していないと思いますがそれ近いでしょう。特に夏祭りは毎年楽しみにしていて、このESSAYでも度々紹介してきました。信州戸倉上山田温泉の夏祭りと煙火大会は、毎年海の日直前の土日開催、この夏祭りは、その名の通りクネクネと曲がる千曲川の水害に悩まされた温泉街として、水天宮を祀り、その怒りを鎮めるものです。ただ、やはりコロナ禍によってしばしご無沙汰していました。つぶやき134『夏祭り』(2005年8月8日)と、341『祭り』(2009年7月26日)でこの祭りを紹介しましたが、ESSAYでは22『国家とグローバル企業の関係』(2013年7月20日)と228『真夏の夜の夢』(2017年7月24日)で紹介しました。どういうわけか2005年、2009年、2013年、2017年と4年に1回信州戸倉上山田温泉の夏祭りと煙火大会を紹介しています。まるでオリンピックですね。ただ、夏祭りでない時も行っているので、実際の訪問回数はもっと多いのです。
 今回の旅、1日目は自宅から「戸倉上山田温泉」へ、2日目姨捨の棚田〜別所温泉〜鹿教湯温泉〜佐久一萬里温泉、3日目佐久から上田経由軽井沢に寄らず一路国道254号線まっしぐら、ただし途中富岡製糸場見学して帰宅という旅でした。行程400km以上となります。

我家から1日目「戸倉上山田温泉」へ、2日目姨捨の棚田〜別所温泉〜鹿教湯温泉〜佐久一萬里温泉、3日目富岡製糸場見て帰宅

■ 国道254号線
 実はこの旅の特徴は国道254号線にあります。この国道は、東京都文京区本郷三丁目を起点として豊島区〜板橋区〜練馬区〜埼玉県和光市〜朝霞市〜新座市〜富士見市〜ふじみ野市〜川越市〜東松山市〜深谷市〜本庄市〜群馬県藤岡市〜富岡市〜長野県佐久市〜上田市〜松本市平瀬口交差点に至る一般国道です。山手線内側では「春日通り」、山手線外側や埼玉県では「川越街道」、群馬県内では「信州街道」などと呼ばれています。富岡近辺では「姫街道」という愛称もあります。長野県内では「に〜ご〜よん」が一般的で、「コスモス街道」という場合もありますがあまり定着していません。というのも東京=埼玉〜群馬での道路の立派さに比べ、長野県内の道はみすぼらしいからでしょう。東京都文京区から群馬県藤岡市まで国道17号・関越自動車道にほぼ並行しており、藤岡市から長野県佐久市までの間では上信越自動車道にほぼ並行しています。

■ 戸倉上山田温泉は千曲川沿い
 我が家からずっと国道254号線を走り、吉井インターチェンジで上信越自動車道に乗りました。クネクネ道を登りたくなかったからです。高速道路は橋やトンネルでなるべく真っ直ぐの道路にしているため、緩やかな勾配なので走りやすいのです。佐久インターチェンジで降りて、137号を進み、小諸市平原の交差点を左折して北国街道/小諸バイパス/国道141号/国道18号に入りました。ここから一路西へ向かい、東御市、上田市、坂城町と走って千曲市の上山田温泉到着。小諸懐古園や海野宿、上田城の看板見ながら、上田市で千曲川とともに向きを北に変えて北上します。この辺りは尖った山が多く、山城だらけです。

小諸市平原の交差点近辺のススキと浅間山 いい天気でした


上山田温泉の千曲川の河川敷は広い駐車場になっています
 戸倉上山田温泉は、千曲川の河川敷に戸倉(とぐら)温泉、上山田温泉が相次いで開湯され、善光寺参りの精進落としの湯として賑わった信州随一の温泉です。50以上の源泉が掘り起こされたアルカリ性単純温泉(単純硫黄泉・単純硫化水素泉)で、豊富な湯量が特徴です。湯治よりも遊興的雰囲気の強い温泉街です。戦国時代の連郭(れんかく)式山城であった荒砥(あらと)城を中世の史実に基づき再現した城山公園の櫓や本郭からは戸倉上山田温泉の街並みや干曲川、遠く北アルプスの雄大な山々といった素晴らしい眺めも楽しめます。

■ 2日目…姨捨の棚田へ
 2日目は戸倉上山田温泉のちょっと北にある「姨捨の棚田」へまずは向かいました。この辺り、姨捨や更級は月の名所です。

棚田も紅葉です




棚田は一枚ごとにスポンサーの浄財で維持されています


急斜面に狭い面積の田圃が段々に耕作されています

■ 「上田道と川の駅 おとぎの里」に寄りました
 「姨捨の棚田」から戸倉上山田温泉へ戻り、更に千曲川沿いを南下して上田に向かいました。やがて見覚えのある岩鼻(いわばな)が現れました。全国ではじめて“道と川の駅”と名付けられた「上田道と川の駅 おとぎの里」に寄りました。ここは何度も来ています。広いヘリポートもあります。ドッグランで愛犬と遊んだり、広い芝生広場で走り回ったり、自転車の練習をする子供もいるそうですが、この日は平日で居ません。千曲川が長い年月をかけて浸食した断崖絶壁、岩鼻は圧巻で、ハヤブサも子育て中だそうですよ。千曲川親水空間では夏場、アユのつかみ取りなどもできるそうです。レストランでは名物「馬鹿バーガー」がありました。バカではなく、うましかと読むそうです。美味いと掛けてるのでしょうか。大馬鹿、中馬鹿、小馬鹿と三種ありました。

断崖絶壁、岩鼻が象徴的な「道と川の駅 おとぎの里」
 ちなみに上田市では交差点にあまり歩道橋がありません。基本的に地下道です。地下道のほうがずっとコストが高いはずなのに、スゴイですね。

■ 別所温泉へ
 さて上田市の「道と川の駅 おとぎの里」を出発して、まだ行ったことが無い別所温泉に向かいました。途中千曲川と別れて真南へ、保野東交差点を右折して別所街道(県道177号)を走ります。きれいな三角すいの山がいくつも見えます。夫神岳や女神岳ほかいくつもあります。別所温泉は「信州最古の温泉」というキャッチです。泉質は単純硫黄温泉(低張性アルカリ性高温泉)で、pH8〜9、泉温:51.3℃です。上田から上田電鉄別所線で約30分の終点駅です。大きな温泉街ではなく、むしろどこに旅館があるの?という感じです。駅前に「あいそめの湯」という大きな日帰り温泉施設がありました。

別所温泉駅前 きれいな尖った山がポコポコあります


上田電鉄別所温泉駅


日帰り温泉施設「あいそめの湯」はきれいな紅葉に包まれていました


「あいそめの湯」入館料¥500 安いですね


ドウダンツツジが真っ赤に紅葉していました
春には白い壺形のかわいらしい小花が咲きます
別所温泉駅の鉄道車両が見えますね
■ 山越えの林道踏破
 別所温泉から一山越えれば鹿教湯温泉です。南南西方向ですが、険しい山があるので、これをぐるっと時計回りだと23.7km/39分、反時計回りでも23.7km/46分とナビが示しています。さてどうするか、山岳道路好きな筆者は、車1台しか通れない山道へ猪突猛進、全く向こうから車が来ません。これは林道です。なんとか、やっとのことで突破しました。

崖の上の林道です


やっと舗装された道に出ました 山は紅葉というより黄葉ないし茶葉


ススキの原っぱ 山は茶色
■ 鹿教湯温泉
 鹿教湯温泉(かけゆおんせん)は、長野県上田市にある温泉で、鹿に姿を変えた文殊菩薩が、信仰心の厚い猟師に温泉の場所を教えた、という開湯伝説があり、これに因み、鹿が教えた湯すなわち鹿教湯という温泉名となったとされています。内村川沿いに約30軒の旅館や大型ホテルが立ち並んでいて、リハビリを中心に取り組む鹿教湯病院や、クアハウスなどもあります。源泉温度46℃の無色透明の単純温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)です。宿は、斎藤ホテルや黒岩旅館、鹿乃屋旅館、大江戸温泉物語などが有名です。

展望台から見下ろした鹿教湯温泉街


鹿教湯病院は大きな建物です 駐車場には赤い車ばかり、珍しい光景でした

■ 佐久一萬里温泉へ
 実は鹿教湯温泉を走る道路は国道254号線です。ここから佐久へ向かうということは真っ直ぐ東へ国道254号線を走るということです。44km1時間10分で着くとのこと、腰越まで国道254号を進み、立科町の「道の駅女神の里たてしな」に寄って野菜を買いました。やがて「道の駅ホットパーク浅科」と「道の駅ヘルシーテラス佐久南」を過ぎて、「ホテルルートイン佐久南」のところで左折して国道141号に入り、浅蓼大橋で千曲川を越えて、右手JR小海線北中込駅方面へ右折、駅に近いBBHホテルグループ「佐久一萬里温泉ホテル」到着。実はこのホテル、今年6月にも来ました。488『温泉三昧』(2022年7月18日)をご覧ください。日帰り入浴に来ました。男女それぞれ8種類の浴槽と2種類のサウナが有ります。大浴場、源泉洞窟風呂、露天岩風呂、歩行湯風呂、寝湯、超音波バイブラ風呂、ジェットバス、桶風呂、サウナ、低温サウナです。このときの印象が良かったので、また来ようと決めたのです。5ヶ月しか経っていないのに、桶風呂はたらい風呂になり、濁っていた大浴場は透明になっていました。

138号線に面したBBHホテルグループの佐久一萬里温泉ホテル デカイ!


内風呂です 超音波バイブラ風呂と大浴場、日帰り入浴客は常連さんが多いみたいですね


ホテル10階は「コワーキングスペース」となっていて、雄大な景色を眺めながらリモートワークするみたいです
PC用の各種設備や会議室もありました 東京のビルから霞んだスカイツリーや東京タワーを見るのとの違い
どうですか、この雄大な浅間山(筆者撮影)

■ DHC売却→オリックスへ
 最近経済ニュースを見ていて、いかに自分が第一線から遠ざかったかということを痛感します。「ジェラート ピケ(GELATO PIQUE)」「スナイデル(SNIDEL)」などを手掛けるマッシュホールディングス(近藤広幸社長、以下マッシュHD)は、株式上場を視野に米投資ファンドのベインキャピタルに株式を譲渡・・・近藤社長が保有する全株式を12月末までに2000億円規模で売却し、その後近藤社長が再出資するというニュース、何が何だか分かりません。暗号資産交換業大手FTXトレーディングの経営破綻・・・負債総額は数兆円規模とされ、急成長する仮想通貨ビジネス界で過去最大の破綻劇となったというニュースもなんじゃこら?という感じですね。化粧品・健康食品大手ディーエイチシー(DHC、東京)の過半数の株を保有する創業者、吉田嘉明会長兼社長からオリックスが全株を譲り受け、同社を子会社化するというニュース、これは良かったですね。吉田嘉明氏のヘイトスピーチには従業員の皆さんもハラハラしていたでしょうから。

■ サクマのドロップス
 「サクマ式ドロップス」で知られる佐久間製菓が来年1月に廃業するそうです。新型コロナによる販売減少や、原材料価格などの高騰に加え、商品への価格転嫁が難しかったことが廃業の理由とのこと。

近所のスーパーで衝動買いしました

■ 松原千明さんを悼む
 女優の松原千明さんが、10月8日移住先のハワイで逝去されていたことが分かりました。64歳でした。娘さんは石田純一との間のすみれさん、所属事務所の声明によりますと、今は筆舌に尽くしがたい哀しみの中におり、母から注がれた特別な愛とあたたかな想い出を胸に、精一杯なんとか顔を上げようと日々を過ごしている状況だそうです。松原千明さんの安らかな眠りを祈ります

■ 村田兆治さんを悼む
 元プロ野球選手の村田兆治さんが2022年11月11日、自宅の火災によって亡くなられました。火元の2階のリビングルームの隣の部屋で座ったままの姿で発見され、消防署員が救出し、懸命の蘇生を試みましたが、力及ばず一酸化炭素中毒で死亡が確認されました。筆者は村田さんを尊敬していただけに大変ショックでした。
 村田さんはプロ野球ロッテで活躍し、「マサカリ投法」と呼ばれた独特の投球フォームからの速球とフォークボールを持ち味に215勝をあげ、名球会入りしました。現役を引退した後も野球に対する情熱は衰えず、対外試合の機会が少ない離島の中学生を対象にした「離島甲子園」の開催を呼びかけるなど、野球の普及活動に力を注ぎました。近年少年野球の衰退傾向があり、村田さんはそれに心を痛め、なんとか野球少年を増やしたいと心血注ぐ姿が、我々同じ志を持つ者にとっても心強く見えました。
 その村田さんが今年9月23日、羽田空港の保安検査場で女性検査員の肩を押すなどしたとして暴行容疑で現行犯逮捕されたニュースにはビックリしました。ニュースではまるで老人のブチ切れのように報道されましたが、筆者は「アリエナイ」と思いました。村田さんはサムライ的な面があり、正義感に満ち溢れた人で、曲がったことが大嫌いでした。テレビへの露出も多く、その人となりは言葉の端々から感じられました。金属探知機が何度もNGとなり、それを巡って女性検査員と口論になったようです。その女性検査員が野球好きだったら、あるいは当人が村田兆治さんと分かっていれば、優しく接してNGとなる原因を探してアドバイスしたでしょう。結局スッタモンダの末、携帯していた新聞切り抜き用のハサミがスーツケースに入っていることを失念していた村田さんは、折しも安倍元総理の国葬で警備が強化されていたタイミングと重なり、たちまち警察官に取り囲まれる事態へと発展したようです。警察官たちも村田兆治さんと知っていれば、ましてやその功績を知っていれば、こんな大々的なニュースにはならなかったでしょう。東京空港署での勾留を経て25日に釈放された村田さんは、報道陣を前に深々と頭を下げて謝りました。しかし当人が後にマスコミ関係者に語ったこと・・・「まさか、あの行為が暴行になるとは思いもしませんでした。逮捕されたこともショックですが、その容疑が暴行であることに二重のショックを受けています」という言葉に、村田さんの口惜しさが表れています。女性検査員の肩を右手で押して通ろうとしたことが「暴行」となったのです。この件で思うのは、権力に逆らうということの怖さです。いかに社会貢献している人であれ、権力を持つ人に逆らえば、問答無用で逮捕されるのです。ここに権力の怖さを感じました。
 村田さん、口惜しかったでしょう。でも私たちはあなたが野球少年大好きで、離島の試合環境に恵まれない青少年たちにも野球の素晴らしさを伝えてくれたことに心から感謝しています。あなたの精神はきっと受け継ぎますから、安らかにお眠り下さい。

引退後もマサカリ投法健在 2016年の姿です
(2022年11月16日)


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