2018年1月20日は大寒でした。太陽黄経300度、1年中で最も寒い頃で、小寒(2018年は1月5日)から立春(2018年は2月4日)までの30日間を寒の内といい、大寒はその真ん中にあたります。寒稽古など、耐寒のためのいろいろな行事が行われます。各地で裸参りなどの神事がありますね。裸の神事と言えば相撲です。また「寒仕込み」といって、寒気を利用した食べ物(凍り豆腐、寒天、酒、味噌など)を仕込むのに最もよい時期とされています。この時期の水は「寒の水」と言われ、雑菌が少なく体にも良いとされ、これで作られた味噌、醤油、酒は腐らないといわれています。 ■日本酒の「雪中蔵囲い」 2018年1月19日のNHKニュースで、日本酒を雪の中で熟成させて味をまろやかにする「雪中蔵囲い」が東根市の酒蔵;六歌仙で始まったことを報じていました。蔵人たちが、先月出来たばかりの純米吟醸の一升瓶48ケース、およそ三百本を木の板やシートで覆い、スコップで雪を次々とかぶせまて行きます。30分ほどの作業で、雪は1.5mほどの高さにまで積み上げられ、日本酒のケースがすっぽりと覆われました。雪の中は0℃から2℃に保たれるので、酒がまろやかで甘みのある味わいになるということです。野菜の貯蔵でも用いられる方法ですが、野菜の場合は温度も湿度も保たれるので、甘い野菜がいつでも新鮮な状態で食べられました。納豆なども雪の中に保存してましたね。「雪中蔵囲い」で熟成された日本酒は、50日余りあとの3月3日に掘り出され、山形県内の酒店やスーパーなどの店頭に並ぶということです。 ■「ひやおろし」と「寒仕込み」 日本酒で「ひやおろし」と「寒仕込み」というものがありますが、この違いは何でしょう? 「ひやおろし」は、真冬の寒いときに仕込んで、春先に絞った後、じっくり寝かせて、外気温度と蔵に貯蔵されているお酒との温度が同じになる秋に出荷されるお酒です。この製法によって、まろやかな口当たりの良いお酒に仕上がり、秋に旬の食べ物と一緒に楽しむものです。 「寒仕込み」もしくは「寒造り」は、11月頃〜2月頃までの寒い季節に酒造りをすることで、これがかつては日本酒の酒造りの基本でした。蔵人にとっては厳しい作業だったわけで、今でも中小の蔵ではこの方法です。昔は四季醸造(一年中日本酒を造ること)という方法もあったのですが、その後「寒造り」にシフトしたのです。 ところが、現在では蔵中の温度を空調設備で一年中冷涼に保ち、製麹機械などの発酵制御装置によってクリーンルームの中で菌を排除しつつ、発酵の温度管理を行えるようになってきたため、大手の蔵では四季醸造が可能となり、どの季節でも、同じお酒を同じ味で飲めるようになりました。日本酒に「旬」というものがなくなってしまうのはどこか寂しいという「通」のヒトもいるようですが、ホンマモンの日本酒好きは、そんなこと言いまへん。 ■ 我が誕生日 昨週の我が誕生日にFacebookでたくさんの方達からお祝いメッセージがありました。有難うございます。古希はまだ来年です。武田鉄也が同期ですが、働いて働いて働きぬいて、遊びたいとか、休みたいとか、そんなこといっぺんでも思うてみろ、そん時は死ね、それが人間ぞ、それが男ぞ、おまえも故郷を捨てて、花の都へ行くかぎりは、輝く日本の星となって帰って来いと母に言われた世代ですが、日本国政府は阪神淡路大震災から23年目の2018年1月17日、5年ぶりに「高齢社会対策大綱」をまとめて発表しました。高齢者にも社会の担い手になってもらおうという趣旨で、このトシになって政府にまでも言われるはめになりました。酒債尋常行処有人生七十古来稀という八世紀の詩人の時代とは様変わり、トホホ。 ■ 高齢社会対策大綱 政府が中長期的な高齢者施策の指針とする「高齢社会対策大綱」の改定案は、公的年金の支給開始年齢を70歳を超えても選べる制度を盛り込みました。高齢者の就業を促すとともに、年金財政の安定につなげることが狙いだそうです。大綱の改定は5年ぶりで、政府は月内に大綱を閣議決定する方針です。 65歳以上を一律に「高齢者」として扱うことはもはや現実的ではないと指摘し、すべての人が意欲や能力に応じて活躍できる社会を目指すとしています。現行の年金の受給開始年齢は原則65歳ですが、60〜70歳の範囲で選べるようになっています。年金受給を早めると受取額が減り、遅らせた場合は受取額が65歳よりも最大4割以上増えるメリットがありますが、支給額が年々減っていくのが現状なので、早く貰った方が良いという人が多いようですね。 改定案はこれを見直して、70歳を超えた年齢での受け取り開始も選択できる制度改革を盛り込むそうです。なおかつ、高齢者にも元気なうちは働いてもらおうという制度にしていくそうです。 ■ 高齢者も働けというのは道理 筆者は電通も真っ青というほどかつて働きました。痛風や免疫不全で仕事はやめましたが、サラリーマンというのは高齢になれば離職するのがこれまでの姿でした。弁護士や税理士など自分の事務所を開業している人や、オーナー経営者、医師などは辞めたくても辞めれないというのが実態です。サラリーマンは自分のスキルを生かして再就職する場合、同じような仕事だと履歴書を出したときに、相手がどう思うかが問題です。例えば筆者は履歴書を出したらまず不採用でしょう。したがって履歴書を必要としない仕事、たとえばサービス業的なもの、老いも若きも同じようにできるような仕事で、階層的でないものですね。高齢者が働くのは健康のためにも良いのです。したがって自分のためにも働いたほうが良い、高齢者に働けと言うのは理にかなっているわけです。本来働くのは収入を得るため、生きるためです。しかし報酬をそれほどあてにしないワークというものも有って良いでしょう。例えばボランティアですね。アッシー君となって無報酬どころか車、ガソリンを提供して送迎している人も知っていますが、立派だと思います。 ■ 芥川賞と直木賞と宮沢賢治
■ 埼玉県の偉人・本多静六
■ 静六を清六と誤記載していた埼玉県 ところがこの郷土の偉人・・・日本の造林学や造園学の基礎を築いた久喜市出身の本多静六(せいろく)博士(1866〜1952年)の名前を、埼玉県が公式ホームページで約7年間にわたり「本多清六」と誤って記載していたことが報道されました。昨年末、毎日新聞の指摘でミスが発覚したのだそうです。 ミスがあったのは「東京で見つけた埼玉」と題したコーナーで、本多博士が設計に携わり近代的な洋風公園の先駆けとなった「日比谷公園」(千代田区)と、森づくりを主導した「明治神宮の森」(渋谷区)の2ヶ所を紹介していて、掲載を始めた2011年からタイトルを「本多清六ゆかりの場所」とし、説明文の中でも名前をすべて「清六」と誤って記載していたそうです。本多博士は秩父市に所有していた森林を県に寄贈し、県はその収益を原資に「本多静六博士奨学金」を創設し、1954年から貸与しています。2007年度には本多博士の精神を受け継ぐような個人・団体を表彰する「本多静六賞」も創設しました。埼玉県広聴広報課は「弁解の余地はなく、深く反省している。二度とこのような誤りがないようしっかり取り組む」としています。 ■ 宮沢賢治の弟・宮澤清六
■ 英雄たちの選択;幕末の薩摩藩 NHK−BSプレミアムの「英雄たちの選択」毎週木曜、午後8時が面白いですね。今年は明治維新150年です。年末年始は幕末の英雄たちにスポットが当てられました。以下NHKのホームページから転載します。 2017年12月21日(木)は「真説!薩長同盟 若き家老・小松帯刀の挑戦」でした。坂本龍馬が活躍したといわれる薩長同盟締結ですが、実は当時最も人望の厚かった若き薩摩藩家老・小松帯刀こそキーマンだった・・・というストーリーでした。 2018年1月3日(水)は新春スペシャル「幕末ヒーロー列伝 これが薩摩藩の底力だ!」・・・日本がかつてない危機に直面した幕末、西郷隆盛や大久保利通らの英雄が薩摩藩から次々と登場し、維新の原動力となった。変革の時代をリードした薩摩藩の底力を徹底解剖!・・・というものでした。 2018年1月4日(木)は、「幕末 ここに始まる〜島津久光・率兵上京の決断〜」・・・文久2(1862)年の「率兵上京」。無位無官の久光が千人もの兵を引き連れて上洛するという前代未聞の政治的パフォーマンスを果たす。背景に久光の危機感があった。外国船の度重なる侵入を受けた薩摩藩にあり阿片戦争の情報も収集していた久光は性急な攘夷の危険性と挙国一致の必要性を誰よりも感じていた。「率兵上京」して朝廷の権威と薩摩軍で旧態依然とした幕府に圧力をかけ政界再編成を図ったのだ・・・というものでした。 2018年1月11日(木)は、「女たちの江戸城無血開城 和宮と篤姫 大奥の闘い」・・・江戸の街が戦火に包まれることを防ぎ、徳川を守ることにつながった江戸城無血開城。この歴史の大転換点において、大奥にいた和宮と篤姫が果たした大きな役割を探る。実はこの時期、将軍だった徳川慶喜が朝敵とされていたため、江戸城の実質的な主は、篤姫や和宮となっていた。二人にのしかかる重責は・・・というものでした。 ■ 英雄たちの選択;秀吉VS“山城”スペシャル 一転1月18日(木)は秀吉VS“山城”スペシャル 第1夜「激突!小田原の陣」・・・豊臣秀吉の天下統一を、中世のシンボルとも言える「山城」から読み解く2回シリーズの第1回。関東に攻め込む秀吉軍22万を迎え撃つのは、史上最強の山城、小田原城と山中城だった。小田原城は9キロもの巨大な堀で街も田畑も囲い込んだ巨大な城。その最前線の支城・山中城は東海道をさえぎり、敵を身動きさせずに銃弾を浴びせる最新システムの山城だった。その強さを現地リポート。最初の戦いとなった山中城攻めで秀吉軍は甚大な損害を強いられる。しかし僅か半日の戦いで山中城は陥落。最強の山城を落とした秀吉の戦法とは。そして包囲された小田原では4代当主・北条氏政が選択に迫られる→徹底抗戦か降伏か。 そして1月25日(木)は、秀吉vs“山城”スペシャル第2夜「天下統一最後の戦い 奥州・九戸政実の乱」。今も残る奥州北部の山城が物語る天下統一最終戦の知られざる真相に迫る。近年注目を集めている山城。それは、戦国武将の知恵の結晶である。青森県と岩手県の県境にある九戸城(くのへじょう)。かつて、ここを拠点に、天下の秀吉に立ち向かった武将が、九戸政実(まさざね)である。14万の大軍で、ここを攻めた秀吉のねらいは?秀吉軍をはねかえした九戸城の特殊な構造とは?出土した人骨はなにを物語るのか?城郭考古学者千田嘉博さんの現地報告を交え、知られざる九戸政実の乱の実像を紹介する。 ななめのつぶやき452『九戸城』(2011年9月11日)を参照下さい。昨年も訪れましたが、城のすぐ外、裁判所のところに連れ合いの祖父の実家があり、今は叔父さん夫婦が住んでいます。世界ワインコンクール日本酒部門1位の特別純米酒「南部美人」の蔵元もありますよ。236『巡り紀行』(2017年9月17日)をご覧下さい。 ■ 波乱の大相撲初場所 大相撲初場所はやはりとんでもない事態になりました。週刊誌やスポーツ紙、テレビでバッシングを受けた白鵬が5日目から休場、その翌日には稀勢の里も休場です。後が無い鶴竜がひとり横綱として頑張っています。先場所までの鶴竜とは見違えるような相撲です。ここでダメなら引退という危機感もあるでしょうが、長く休んで体調を整えたことも良かったのでしょう。稀勢の里は横審の北村委員長から「15日間元気でやれないなら出ない方がいい」と思いやりの言葉をかけられたにもかかわらず、責任感から出場して、確かに迫力は戻っていましたが、本来の左おっつけからの強烈な踏み込みと、土俵際の粘りという本来の相撲とは程遠く、やはり日馬富士との相撲で痛めた部位が完全には直っていないようです。もう来場所は今場所の鶴竜同様後が無いわけですから、3週間安静の後、死に物狂いで稽古に精進するしかないでしょう。時間が無いので、左胸の完治が間に合わなければ引退も視野に入りますが、まだまだファンの後押しがありますから頑張って欲しいと思います。 ■ 白鵬休場
■ 反則技との批判あり スポーツ評論家の玉木正之氏がテレビ番組で言っていました。「九州場所千秋楽前日の14日目(2017年11月25日)、白鵬が遠藤に勝って優勝を決めた一番は、はっきり言って白鵬の「反則負け」にすべきほどに酷い一番でした。立ち合いと同時に左手で張って出た白鵬は、遠藤の頭を自分から見て右側に振らせ、その遠藤の顔めがけて右肘で「エルボー・スマッシュ(肘打ち)」を決めました。そして、この衝撃で腰の砕けた遠藤を、一気に土俵の外へと押し出したのです。この「肘打ち」は明らかに反則技です。当人は「かち上げ」のつもりかもしれませんが、ボクシングのフックのパンチのように肘を直角に折り曲げて振り回した右肘が、遠藤の顔面を捉えて強打、ノックアウト・パンチとなったのです。この一番は明らかに白鵬の反則で、勝負が終わったあと、行司と勝負審判は白鵬の「反則負け」を即刻宣告すべきでした。何日間かの出場停止処分を科すべきだと思える相撲を、相撲協会(八角理事長)は何故注意しないのでしょう?この一番の3日前、白鵬は嘉風に敗れた一番で判定に抗議し、しばらく土俵に上がりませんでした。これも横綱としてという以前に、力士として規則違反で、これも数日間の出場停止等の処分が下されるべきだったと思います」と...。今の時代はYouTubuでしっかり動画が残ってしまいます。 ■ 危険技のエルボー・スマッシュ
■関東甲信 22日(月)大雪の恐れ
■西伊豆の土肥温泉で大雪、何とか帰って来た悲惨な思い出
(2018年1月21日) |