170  つなぎ

 昨週は福島の高湯温泉、雫石の鶯宿温泉、共に源泉掛け流しの温泉を楽しみました。高湯温泉の花月ハイランドホテルからの眺望はまさに絶景でした。吾妻小富士への中腹にありますが、南に安達太良山、西に緑の山から茶色の吾妻小富士の頭部だけがチョコンと見えます。吾妻小富士というのはまさに噴火口そのものですから、このあたりの火山はいつ噴火してもおかしくありません。だから名湯が存在するわけで、日本の温泉は皆、足元の下はグラグラ煮えたぎっているのです。危険の上に温泉有りというわけです。

■ 危険だったはずの大分や熊本
 3回前の167『地震と地盤』(2016年5月23日)で地震保険のことを書きました。熊本や大分には出張で何度も訪れたので、被災地は良く知っています。不思議だったのは、今回の地震災害の地域が地震保険では保険料が安い、いわゆる比較的安全地帯とされていたことです。大分と言えば別府や湯布院、日本有数の温泉地帯です。この辺りの山岳風景は感動しますよ。とにかく美しい。130『炭酸泉』(2015年9月5日)で紹介した長湯も大分県ですね。熊本と言えば阿蘇山、火山の中でも際立って活動的な山、温泉も沢山あって、中でも黒川温泉は名立たる名湯です。九州の名湯人気順@湯布院A別府B黒川です。
 温泉と地震が関連深いわけではありません。不思議だったのは、中央構造線の断層の上にある大分、熊本が何故比較的安全地帯とされていたかということです。右の図で分かりますが、四国の伊予から大分、途中二方向分岐して熊本を横断しています。この断層の真上の大分や熊本は危険だったはずなのです。

肌色がフォッサマグナ、その左端は糸魚川静岡構造線、右端は新発田小出構造線及び柏崎千葉構造線、赤は中央構造線

■ 今後30年以内に震度6以上の大地震が起きる確率
 政府の地震調査委員会(委員長・平田直東京大学教授)は2016年6月10日、全国各地で今後30年内に震度6弱以上の大地震に見舞われる確率を示した2016年版の「全国地震動予測地図」(右図)を発表しました。太平洋側が軒並み高い確率になり、全体の傾向は2014年12月に公表された前回と同じでしたが、長野県北部から山梨県南部に延びる糸魚川静岡構造線断層帯の評価を見直した結果、長野県とその周辺で確率が上がったり下がったりしたところが出ました。
 太平洋側の海溝型地震が懸念される根室沖や十勝沖、三陸沖北部、南海トラフなどで、2014年版より確率がわずかに上がり、北海道根室市は63%、静岡市は68%、高知市は73%で、それぞれ2ポイント上がりました。
 平田委員長は「日本は世界的に見ても非常に地震の多い国、強い揺れに見舞われる確率がゼロとなるところは存在しない」と強調。そのうえで、建物の耐震化や家具の固定など地震に対する備えの重要性を指摘しました。
 右図と上図を比較して見ますと、中央構造線の南部が真っ赤です。埼玉県西部と九州だけが赤い地帯が少ないのがわかります。今回の地震動地図は2016年1月1日を基準にしているため、4月に発生した熊本地震の結果は反映されていません。地震の原因となった活断層の評価が終わり次第結果を反映する方針とのことです。多分九州中央部も大分から熊本にかけて赤くなるでしょう。埼玉県西部でポツンと赤いのは秩父盆地です。
 

今後30年以内に震度6以上の大地震が起きる確率予測マップ2016年版

■ この6年で大地震確率は格段に上昇
 地震保険は危険度で保険料が異なり、最も高い四等地は千葉県・東京都・神奈川県・静岡県・愛知県・三重県・和歌山県で、中央構造線の断層の上ですね。四等地は2段階あって、徳島県・高知県がやや低い四等地です。上の予測マップをご覧下さい。四国で中央構造線が通るのは香川県から愛媛県なのに、むしろ中央構造線の南部が真っ赤になっています。3回前の167『地震と地盤』(2016年5月23日)に掲載した「今後30年以内に震度6以上の大地震が起きる確率予測マップ2010年版」と上図を比較しますと、ハッキリわかるのは黄色部分がほとんど消滅し、全体的に茶色っぽくなって、どす黒い赤の面積が増加しています。すなわち、わずか6年の間に、日本の大地震確率は格段に上がったということです。地震保険料が今後上がるだろうことが想像出来ます。
 四国が全体的に真っ赤になって、中でも南部の徳島県・高知県がどす黒い赤になったのは南海トラフ地震の確率が高まっているからです。太平洋岸の人口集中地帯、工場集積地帯のこのどす黒い赤は、日本の将来に不吉な予感を感じさせます。
 中央構造線上には地震保険における埼玉県=三等地、山梨県、大分県=二等地、長野県、熊本県=一等地も含まれます。何故これら地域は四等地でないのか?大分と熊本は直近の大地震が無かったからでしょうね。山梨県と長野県は以前より等級が一段低くなり、地震保険料が下がったのですが、予測マップで見る限り今後上がるだろうことが想像出来ます。埼玉は地盤が極度に違い、弱い北東、強い南西、平均すれば四等地にはなりませんが、ふじみ野市はまさに境界です。要注意、備えましょう。

今後30年以内に震度6以上の大地震が起きる確率予測マップ2010年版


■ つなぎ温泉ホテル大観

 さて、共に源泉掛け流しの高湯温泉と鶯宿温泉と書きましたが、高湯温泉は泉温43℃、我が連れ合いは熱過ぎると言っていました。平均的には40℃を快適と言う人が最も多いのです。夏場と冬場ではチョット違います。高湯温泉の湯注ぎ口は48℃でした。
 6月5日(日)夜は鶯宿温泉長栄館に泊まりました。このところ立て続けに泊まっているのは湯花漂うお風呂が第一ですが、料理も素晴らしいのです。同宿の東京から来た老夫婦はナント連続5泊、すっかりお気に入りでした。たしかに関東近辺の温泉には無いやさしい泉質ということもありますが、お料理とおもてなしがその理由、バイキングのホテルはいやだとおっしゃっておりました。
 6月6日(月)筆者は会議がありました。その間連れ合いはつなぎ温泉に日帰り入浴に行きました。この温泉は「盛岡の奥座敷」と呼ばれ、筆者もたびたび泊まっています。日帰り入浴に選んだのはホテル大観でした。ここも源泉掛け流しです。御所湖畔の大きなホテルで、御所湖の向こうに岩手山を望む眺望は、誰しも唸らざるを得ない素晴らしさです。800人収容の宴会場があり、会議室もたくさんあって、会議して後宴会というパターンが多いようです。部屋も120室の大ホテルです。
 源泉温度の管理は館内の湯畑で行っているそうです。湯花は鶯宿温泉長栄館が大きく白いのに対し、小さく、やや黄みがかっています。
 連れ合いの評価は大変高評、何度でも入りたい良いお湯で、温度も適温とのこと、つなぎ温泉も透明で硫黄臭漂う温泉らしい温泉です。
大浴場 【ご利用時間】15:00〜深夜0:00/朝 5:00〜10:00 ※深夜0:00〜5:00 までは清掃のため入浴出来ません。
大浴場は源泉掛け流し

大浴場 【ご利用時間】15:00〜深夜0:00/朝 5:00〜10:00 ※深夜0:00〜5:00 までは清掃のため入浴出来ません。
露天風呂は各種あり

(繋温泉ホテル大観のホームページにリンクして掲載)

■ ホテル大観も高評価〜温泉の名前の由来
 鶯宿温泉長栄館が源泉掛け流しの宿ランキングで日本第五位と高評価の宿なら、つなぎ温泉ホテル大観も右の如く評判の宿です。
 つなぎ温泉の由来…つなぎ温泉観光協会のホームページによりますと、今からおよそ900年前、大和から見ると東北以北は蝦夷で、野蛮人が住む地域でした。朝廷の意を受けて、源義家が安部貞任を厨川(現在の盛岡市)の冊に攻めた時、陣を置いた湯ノ舘(現在のつなぎ温泉の南方の山麓)にお湯が湧いているのを見つけました。そのお湯で愛馬の傷を洗うときれいに治ったので自分も入ってみた所素晴らしい効能のある温泉だと分り感動しました。義家はこの時穴の開いた石に馬を繋いでおいたのです。それ以来その石はつなぎ石と呼ばれつなぎ温泉の名前の由来になりました。ただし現在「つなぎ石」として祀られている石は、どかすために業者が電動ドリルで穴を開け、ロープで引っ張ったものだそうで、それを有り難く祀っているところがなんとも可笑しいですね(^_^)

■ 安部晋三首相のルーツ
 源義家は八幡太郎義家と呼ばれ、武勇で有名ですが、安倍貞任を殺したものの、その弟・安倍宗任が文武に優れているのを見て、その才能を惜しみ、都へ連れ帰った源頼義・義家親子は、朝廷に願い出て死一等を減じて貰い受け、それでも都の周辺に置いてはまずいというので北九州に住まわせ、その子孫が長州にも渡ったということで、末裔が安部晋三首相だそうです。平泉の奥州藤原三代も安部一族の血を引いています。後にここに身を寄せた源義経を追って兄の頼朝が藤原氏もろとも滅ぼしたのですが、その末裔は苗字を替えて北へ逃れ生き延びたので、今でも平泉以北には藤原はじめ「藤」の付いた苗字の人が多いと言われています。実は藤原ではヤバイので、奥州藤原氏の直系は「藤川」と姓を替えたとの説があります。
 この辺りの詳しいことは80『安部宗任の子孫』(2014年9月14日)で紹介しました。安部晋三首相も、岸信介の孫で、長州出身の「勝てば官軍」のほうであり、「晋」の文字は長州の高杉晋作から頂いたそうですが、元をたどれば、戊辰戦争で「負ければ賊軍」となった岩手の安部一族にルーツがあったわけで、あまり靖国神社ばかり奉るのはいかがかと思います。狭い日本、どこにルーツがあるかわかりません。実は日本人、全員親戚みたいなものなんですよ。

岩手日報の記事


■ 御所ダム建設で湖底に
 つなぎ温泉は2013年の鉄砲水で大被害を受けました。雫石町だけで60億円を越える大災害の集中豪雨(25『事故と災害』(2013年8月12日)参照)は、秋田から東に真っ直ぐ線状に被害をもたらしました。ちょうど2015年9月、南から北への集中豪雨で鬼怒川が氾濫し、流域の常総市が大災害に見舞われたのと同じ構図です。つなぎ温泉は箱ヶ森の山麓に山肌に沿って谷あいに展開した温泉地なので、その谷を濁流が道を川にして駆け下りたのです。
 ただ、昔のつなぎ温泉の中心街は今は湖底です。131『水害とダム』(2015年9月14日)で紹介した「御所ダム」建設で水没したので、温泉街はかつての山の上へと登ったのです。したがって今御所湖畔にあるホテル大観のある辺りは、昔は森の中腹だったのです。
 同様に雫石川の上流のほとりにあった我が家も今は湖底です。代替地が宮沢賢治の愛した七ツ森でした。ロックヒル式の「御所ダム」建設に要する岩石は七ツ森の一つをつぶして運ばれました。いまや御所湖は重要な観光資源です。

■ 繋村は雫石ではなく盛岡を選んだ
 つなぎ温泉は昔は御所村でした。つなぎ温泉は南に箱ヶ森を背負い、北側正面に岩手山と宮沢賢治の詩にうたわれた「七ツ森」を配し、北西に秋田駒ヶ岳を仰ぎ、眼下に御所湖を望みます。岩手山の裾野には小岩井農場、当地の盛岡手づくり村があり、広大な大地と景色雄大な温泉地です。東は盛岡市街、西は雫石町、鶯宿温泉。また東北新幹線盛岡駅より12km、東北自動車道盛岡ICより6km、近くに花巻空港があり、交通の便極めて良好な地です。明治22年、繋村、西安庭村、南畑村、鶯宿村の4ヶ村が合併して御所村が誕生しました。当時の御所村は人口、面積、戸数、財政ともに雫石村を上回っていました。以後昭和30年までの約68年間に9人の村長が誕生しました。西安庭に家があった筆者の幼少時、繋は同じ御所村で、歩いてつなぎ温泉に入浴に行った記憶が残っています。昭和30年、政府の市町村合併令により、御所村は雫石町に合併される計画でしたが、繋地区の住民は雫石町との合併に猛反対し、盛岡市への合併を要望、筆者の想像では温泉だらけの雫石に対し温泉の無かった盛岡は、「お〜い、コッチ来い、コッチの水は甘いぞ」と蛍を呼び寄せるが如く繋村の住民に甘いささやきの勧誘をしたのではないでしょうか。この結果、西安庭、南畑、鶯宿地区は雫石町に合併し、繋地区は盛岡市と合併することになり、今日に至っております。次の年、太田村が盛岡市に合併となり、文字通り繋地区、太田村が盛岡市一帯の行政区となりました。御所村は無くなりましたが、この地名は現在、御所ダム、御所湖、御所湖広域公園として名前を残しております。

■ 日本航空史に残る雫石事故
 1971年夏に起きた全日空機と自衛隊機の衝突事故で、多くの乗客が空の藻屑と消え、自衛隊機の練習生は緊急脱出ボタンを押してパラシュート降下して助かった事件、筆者は直下の川で魚を突いていて、目撃者となり日本テレビ系の民放ニュースでインタビューされ、全国にその映像が流れました。真っ黒に日焼けした顔から白い目だけが輝き、麦藁帽子にアロハシャツ、短パン、ぞうり、手にはヤス(銛のことです)の姿で、遺体収容場所となった安庭小学校でのインタビューでした。親戚から、「何だ、あの格好は?まるで土人じゃないか」と電話が殺到しました。しかししょうがありません。女性のアナウンサーが、迫真的な姿でいかにも目撃者にふさわしい、と着替えを禁じたのです。遺体や機体が散乱した急峻な崖は、つなぎ温泉のある箱ヶ森からやや鶯宿温泉寄り、すなわち奥羽山脈・秋田駒ヶ岳(そのチョット前に噴火しました)寄りの森の中で、今は『慰霊の森』になっており、我がおじさんも地主のひとりだったので寄付したそうです。ここは以前は御所村でしたが、その後繋地区の盛岡転入に伴って盛岡市と雫石町の境となったところ、ホンの数十mの差で、「盛岡事故」ではなく「雫石事故」となったのです。

■ 詩『岩手の人』・・・高村光太郎
 彫刻家で詩人の高村光太郎は、智恵子との愛でも有名ですが、晩年宮沢賢治の家の別宅を借りて暮らしました。花巻ですね。ここも温泉が有名です。宮沢賢治が幼いころ、おつかいで、高村光太郎の住む山の家にものを届けたなんて、今考えたらなんてすごいことでしょう。天才的な二人が、同時代に深い縁があったということです。そして賢治は盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)のころに岩手山を背にした「七ツ森」を愛し、しばしば詩にうたっています。その「七ツ森」に我が家族は水没の代替地として家を建てて移り住みました。なんという縁でしょう。
 高村光太郎が「岩手の人」という詩を書いています。
岩手の人眼静かに
鼻梁秀で
おとがい竪に張りて
口万形なり
余もともと彫刻の技芸に遊ぶ
たまたま岩手の地に来たり住して
天の余に与ふるもの
斬の如き重厚の造形なるを喜ぶ
岩手の人沈深牛の如し
両角の間に天球をいだいて立つ
かの古代エジプトの石牛に似たり
地を住きて走らず
企てて草卒ならず
ついにその成すべきを成す
斧をふるいて巨木を削り
この山間にありて作らんかな
ニッポンの背景岩手の地に
未見の運命を担う牛の如き魂の造形を

繋大橋の温泉側のたもとに、湖を背にして立つ清らかな女性のブロンズ像「シオンの像」は、戦後日本を代表する彫刻家舟越保武氏(我が高校の先輩で、高村光太郎に感銘を受け彫刻家を志した)の手による像で、秋に淡い紫色の花をつける紫苑菊(しおんぎく)から命名され、十和田湖畔の「乙女の像」(高村光太郎作)、田沢湖畔の「たつこ像」(舟越保武作)と共に、みちのく三大湖の彫刻の一つです。
雄大な岩手山と御所湖、青い空、群青の山、水色の湖、木や草の緑、左側奥・岩手山と手前の新緑の間に七ツ森の一つがポコリ…


■ サイバーストーカー対策:18府県が条例でSNSを規制 
 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)での他人への嫌がらせを、全国18府県が迷惑防止条例で禁止していることが毎日新聞の調査で分かりました。無料通信アプリ「LINE(ライン)」などによるつきまといの被害が深刻化していますが、現行法では規制の対象外なので、SNSを悪用した「サイバーストーカー」を自治体が独自に規制する動きが広がっているようです。
 2000年施行のストーカー規制法は実際の尾行や待ち伏せのほか、電話やファクスによるつきまといも禁止、2013年の改正で電子メールも対象に加えられましたが、SNSは含まれていません。ラインなどで相手が嫌がるメッセージを送っても、脅迫などの言葉がなければ立件は難しいのが現状です。
 東京都小金井市で先月、芸能活動をしていた女子大生が刺された事件では、容疑者の男が逮捕前、ツイッターで「死にたい」などのメッセージを数百回にわたって送っていたとみられており、恐怖を感じていた被害女性が警察に相談している中で事件が起きました。
 ネットを使った嫌がらせに対応するため、兵庫県は7月から改正条例を施行します。拒絶する相手に対し、正当な理由がないのに「電子メールその他の電気通信」で繰り返しメッセージを送ることを禁止、ラインやツイッター、フェイスブックなど、すべてのSNSが対象になります。ストーカー規制法が要件とする恋愛感情などの立証も不要で、警察は警告なしに逮捕できます。違反者には6ヶ月以下の懲役(常習は1年以下)か50万円以下(同100万円以下)の罰金が科されます。同性間の行為も対象で、近隣トラブルや悪質な借金の取り立ても想定しているそうです。
 毎日新聞が全都道府県の条例を調査したところ、同様の規定を設けているのは青森、岩手、宮城、福島、群馬、千葉、神奈川、石川、岐阜、静岡、三重、京都、奈良、岡山、広島、愛媛、福岡、熊本の18府県で、2013年ごろから各地で条例改正が進む一方、東京都や大阪府の条例は電話やファクスは対象にしているがSNSは含んでいません。兵庫県警は「重大犯罪が起きる前に取り締まることが可能で、抑止効果も期待できる。運用は厳格に行う」としています。
(2016年6月12日)


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