25  事故と災害

 北日本では、2013年8月9日(金)朝早くから雨脚が強まり、非常に湿った空気のぶつかった秋田県や青森県、岩手県では、断続的に猛烈な雨が降りました。気象庁は、9日朝の秋田県に続き、昼過ぎには岩手県にも「これまで経験したことのないような大雨」という情報を発表しました。岩手県では、9日朝8時頃から雨脚が強まり、昼前には、一段と激しい降り方になり、24時間に降った雨の量は、雫石で258.5ミリに達し、観測史上1位の大雨となりました。

■雫石町では過去に経験の無い大雨

 岩手日報によりますと、岩手県の達増知事は10日(土)、記録的大雨で大きな被害を受けた雫石町、盛岡市、矢巾町、紫波町の現場や避難所を視察しました。記者団に対し、激甚災害指定を国に要請すると述べました。達増知事は雫石町の春木場地区などを視察し、現場で深谷政光町長から被害状況の説明を受けた後、盛岡市の繋地区に続いて矢巾町を訪れ、岩崎川に架かる岩崎川橋付近でアスファルトがえぐれるなどした被害状況を確認、紫波町も視察しました。
 右写真のように雫石町の県道は、8月9日の昼過ぎに長さ8m、幅4mほどにわたってアスファルトが陥没、軽自動車が落ちました。80代と60代の女性2人が乗っていましたが警察などに助け出され、けがはありませんでした。   


陥没箇所に軽自動車が落ちました


■雫石町では災害ボランティア募集中
雫石町の被害状況等【8/11 16:30現在】
・全壊 1件
・半壊 2件
・住家床上浸水 88件
・非住家床上浸水 46件
・住家床下浸水 179件
・非住家床下浸水 52件
・土砂災害等 48件
・道路等被害 69件
災害ボランティア募集中
雫石町社会福祉協議会では、2013年8月9日の大雨災害の復旧ボランティアを募集しています。
詳しくはこちらをご覧ください。
←雫石町のマスコットキャラ『しずくちゃん』

雫石町のロゴマーク→
あなたの心に思い出の一滴を

雫石町のホームページ


■JR田沢湖線8月12日復旧、再開へ
 このような激甚災害は滅多にあるものではありません。今回の大雨はちょうど秋田県から岩手県の国道46号線並びにJR田沢湖線(=秋田新幹線)に沿って通り抜けました。秋田県仙北市では土砂災害で5人の死者、行方不明者が出ており、気象庁が注意を呼びかけていましたが、仙北市から住民への避難勧告が遅れました。現場は仙北市田沢湖田沢供養佛というところです。仙北市は今回の大雨が想定の範囲を越えていて、今後住民に対する災害対策を至急見直しすると言っています。ただ、住民の話だと、「誰もあの雨で避難しようなんて考えていなかった」と言っていました。つまり、あまりにも急激な雨量増加で、なすすべがなかったということです。山肌の谷合に雨が殺到して表土を深くえぐる「深層崩壊」が起きたと見られています。
 JR田沢湖線は雫石町内の奥羽山脈に近いところで、線路の盛り土が30mにわたって崩落し、土嚢を積み上げるなど、懸命の復旧作業の結果、12日午前中からやっと運転再開できる目途がたったそうです。ちょうど旧盆の帰省ラッシュと重なり、秋田新幹線は8月9日から11日で124本が運休し、3万2千人に影響が出ました。

■JR田沢湖線の歴史

 筆者が高校時代、雫石から盛岡へ通学しましたが、ナント!その汽車はSLでした。蒸気機関車が引く鉄道ですから汽車なのですが、南北に走る東北本線は既に電化されていて電車でした。「○時の汽車に乗って帰らなくちゃ」というと、東北本線で通っている同級生から、「そうか、お前は汽車だもんなぁ」と言って、馬鹿にされました。このSLも力が弱く、あるとき盛岡駅の隣の、滝沢村大釜駅から小岩井駅への上り坂を登れなくて、大釜駅まで引き換えし、シュッシュッポッポと全力疾走してやっと坂を上ったことがありました。高校生達は、「オイ、降りて汽車を押そうか」と、冗談ではなく話していました。SLの全力というのは、スコップ(シャベルだったかな?)で運転士さんが、釜の中に汗だくで石炭を放り込むことを言うのです。ワカルカナ〜、わっかんねえだろうな〜。
 ところがこの国鉄線路は筆者が子供の頃は盛岡から雫石までなのに「橋場線」と言っていました。雫石町橋場というのは、山深く、奥羽山脈の威容が眼前に迫るところ、今回の崩落地域に近いところです。聞いたところでは大正時代に橋場まで線路が通ったそうですが、大東亜戦争の最中に雫石止まりになったという話でした。その後、筆者が中学3年生のときに雫石→春木場→赤渕間6kmの線路が復活、開業しました。更に筆者が高校2年生のときに奥羽山脈をえぐる仙北トンネルができて、秋田県側の生保内線と繋がって、田沢湖線と改称されました。多分SLからディーゼルカーに代わったのは田沢湖線になったときです。しかし「汽車」ではなくなりましたが、相変わらず電車ではありません。
 さて、1996年、改軌工事のため全線休止、バス代行として、1067mmの狭軌から1435mmの標準軌に改軌して、秋田新幹線こまちが運行開始したわけです。これでやっと電車になったわけですね。ちなみに1435mmを越える広軌というのは日本にはありません。


秋田新幹線こまち…高速車両です


■災害と地域性

 このような激甚災害は滅多にあるものではありません。しかし2011年3月11日の東日本大震災を私達は経験したばかりです。日本と言うのは四方を海に囲まれて、その割には高山が多く、いわば海面に出刃包丁の刃がにょっきりと出たような地形です。従って、海もあれば山もあり、谷もあるし、山肌に近い集落もたくさんあります。川は扇状地を作り、狭いながらも平野を形成して海に注ぎます。したがって日本列島は、土砂崩れや河川の氾濫など、大雨がもたらす災害地域だらけだと言って間違いありません。比較的安全なのは、関東平野のような大平野の丘陵地帯、筆者の住む桜ヶ丘のような地名のところです。狭い市内でも鶴ヶ丘は良いですが、亀久保などはクボチなのでヤバイ。池袋なども地名からして水が溜まります。板橋なんて、水が無ければ生まれない地名です。我が家の近くでも新河岸や砂久保、岸町、葦原、古谷などの地名は水に縁があります。朝霞の根岸や溝沼などもそうですね。強固な関東ローム層の上にある所沢丘陵や狭山丘陵など、丘や原が付く地名は比較的安全です。ただし最近では竜巻や雷など、平地が故の災害も有り得ますから注意が必要です。


大宮警察署には亀がたくさんいます。何故亀でしょう?


■航空機事故
 雫石町はあまり災害のある地域ではありませんでしたが、事故は経験しています。1971年7月30日午後2時頃、千歳空港から羽田に向かう全日空ボーイング727型機が、訓練中だった航空自衛隊松島基地所属のF-86F戦闘機に空中で追突して、ANAの乗員乗客162名全員が死亡した「雫石事故」です。このときの模様は筆者のつぶやき184「航空機事故」(2006年7月23日)に書きました。目撃者としてテレビのインタビューを受けました。もうあれから42年です。大学4年生の若者も、還暦を過ぎてしまいました。

 奇しくも本日は、日航ジャンボ機墜落事故から28年目に当たります。羽田から大阪へ向かったJALボーイング747SR機が圧力隔壁の損傷により、御巣鷹の尾根(高天原山)に墜落して、死者520名の大事故、坂本九さんはじめ多くの著名人も犠牲になりましたが、4名が奇跡的に生き残り、それが全員女性でした、やはり人類の生き残りに必要な女性に神様の庇護は厚いとか、女は強いとかいろいろ言われましたが、何にせよ生存者が居たのは良いことでした。犠牲者が運ばれた群馬県藤岡市体育館は、主力工場がこの市にあったので、休みに工場の従業員達とスポーツで利用させてもらったことがあり、他人事ではない感覚を持ったものです。


■慰霊の森清掃活動と拝礼式が行われました
 2013年7月27日(土)、「雫石事故」を風化させまいと、雫石中学校御所地区PTAが主催する慰霊の森清掃活動が行われました。清掃活動には、御所地区の生徒や保護者、全日空労働組合連合会、深谷町長ら町職員を合わせて約150人が参加して、朝6時前から、慰霊の森に通じる林道の刈り払いや慰霊碑、慰霊堂、航空安全祈念塔などの清掃に汗を流しました。作業終了後、全員で慰霊碑を拝礼し犠牲者の冥福を祈ったそうです→雫石町のホームページ
 また「雫石事故」が起きた7月30日(火)には、慰霊の森拝礼式(財団法人慰霊の森主催)が行われました。拝礼式には、深谷町長やご遺族、全日空関係者、事故犠牲者の大半を占める静岡県富士市関係者が参加しました→雫石町のホームページ。遺族や全日空、自衛隊などから見ますと、こうして42年経った今でも、地域住民がボランティアで汗を流し、ましてや町の関係者達が、町長始め慰霊の森を維持・管理してくれるということは、筆舌に尽くせぬ有難いことだと思います。どちらかといえば雫石町も被害者のようなものなのに・・・・・
 なお現在でも静岡県富士市と雫石町の交流は続いており、お互いに災害が起きた場合は、要請により助け合う「災害時相互応援協定締結式」が7月30日(火)雫石町中央公民館にて、鈴木尚富士市長と深谷政光町長、岩手県議会、消防関係者などが集まって、協定書署名・調印式が行われました。しかし、まさかその10日後に、現実の災害が起きるとは・・・・・

■さんさ踊りも終わり、東北の夏が過ぎて行きます

 東北の夏祭りが終わりました。これから先祖を追悼する旧盆行事となり、それが終わりますと、秋になります。今年は、ちょうど夏祭りと旧盆の間の大雨災害で、盛岡広域地域は大変です。皆で助け合って、1日も早い復旧をお祈り申し上げます。
 8月13日夕刻に家の前で迎え火を焚いてご先祖様の霊を迎えます。8月15日を「盆」と言い、盂蘭盆を省略したもの、この日に盆踊りが行われます。16日は送り火で、盛岡近辺では舟っこ流しが行われます。


さんさ踊り


■浦和学院の夏も終わり
 第95回全国高校野球選手権大会第3日で、1回戦屈指の好カード、優勝候補同士の激突は、仙台育英11X−10浦和学院、甲子園春夏連覇を狙った浦和学院(埼玉)は、昨秋の明治神宮大会覇者の仙台育英(宮城)に9回サヨナラ負けしました。埼玉県予選では埼玉平成高校が、埼玉大会準々決勝で浦学とブチ当り、ナント!エース左腕・小島(おじま)和哉投手(2年)に完全試合をやられました。埼玉平成高校のエース(3年)は我らが少年野球チームの2007年キャプテン、1番サード斬り込み隊長(2年)は2008年のキャプテンでした。完敗ですから仕方ありません。浦学は我らが地域の隣なので、少年野球からリトル・シニア経由浦学というコースは埼玉の定番のひとつです。今阪神の今成亮太は水谷フェニックス(富士見市)から浦学に進み、キャプテンを張りました。2年の夏と3年の春に甲子園に行きました。その前年は我らがチームの前身:大井トライアングル(ふじみ野市)のキャプテンだった小山琢也が浦学の1番、斬り込み隊長を務め、このときも甲子園で大活躍しました。結局埼玉からただ一人、全日本メンバーに選ばれて、世界大会が行われた台湾で6割台の高打率で首位打者となりました。

■何故代えぬ?山口出せと叫んだが・・・
 1回戦の仙台育英戦、今回は小島が1回に6失点する大乱調、これまでに見たことのない小島でした。3年生の控え投手、背番号10山口瑠偉は、みずほ台ヤンガース(富士見市)出身です。浦学1年秋には主戦投手としてマウンドに登り、東海大相模に1失点完投勝利を上げる好投を見せるなど、活躍してきた選手です。昨年の大阪桐蔭戦では5回1失点でエース佐藤拓也に引き渡す役割をしっかりと果たしました。しかし今年の春は2年生の小島が急成長して素晴らしいピッチングで甲子園を制し、森監督の信頼を得てエースbもぎとりました。しかし、誰だって調子の良いときもあれば悪いときもあります。今回は1回途中で小島を外野に回して山口を出せ!と筆者は叫んでました。あんな球の上ずる小島なんて見たことがありません。明らかに力みとかではなく、調子の悪いところが見えました。桑田のような好投手でも甲子園の初戦は緊張してマウンド上でガクガク震えたと言います。投手の立ち上がりというのは最も不安なものです。一度引っ込めて、再登板だって有り得ます。しかし、森監督の頑固さが、結局負けにつながりました。

■甲子園で弱かった浦学のナゾ
 甲子園に出てくるようなチームは実力差紙一重です。ほんの僅かの差が勝敗を分ける、小島でなければ優勝できない、この選手と心中だ、野球に詳しい人の9割は、森監督の采配を支持するでしょう。しかし長らく埼玉県大会を見てきた筆者は違います。浦学はコレまでも何度も甲子園で優勝候補でした。関東ナンバー1で前評判が高いのに甲子園に行くと負ける、これは埼玉県高校球界のナゾと言われてきました。小山のときも今成のときも今回も、優勝候補でした。テレビの甲子園中継を見ては切歯扼腕したものです。高校生の野球は、技能と体力はもはやトップレベルに到達していますが、メンタル面ではまだ未熟です。したがって、イザという場面での監督の采配が勝負を分けるというのは良くあります。高校野球の名監督が試合後良く言う言葉、「私がどうのではなく、選手が良くやってくれたので勝てました」、「選手は精一杯やってくれましたが、私の判断が悪くて負けました」、すなわち勝てば選手が良い、負ければ監督が悪い、大きな実力差がある場合はともかく、実力が拮抗している場合には、監督の采配が勝負を分けます。

■流れを引き寄せるKKD、打ち手は早く
 それは野球が「流れ」のスポーツだからです。水は高いところから低いところへ流れます。電流は電圧の高いところから低いところへ流れます。自然の「流れ」というものには逆らえません。小さな「流れ」も集まれば大きな流れとなって災害をもたらします。野球の「流れ」というのは実はメンタルであり、試合の中での選手たちの心理的な高低です。勢いが高くなれば実力以上のプレーが出るし、低くなれば有り得ないエラーが出たりします。一つのファインプレーやひとつのエラーが「流れ」を変えることがあります。監督の手腕というのはこの時に発揮されます。野球の「流れ」はメンタルですから、自然の流れと違って制御できます。ファインプレーは褒めて、エラーは「ドンマイ」、それは当たり前ですが、「流れ」がおかしいとか変わりそうだと感じたら、先行して手を打つ、これを我々制御屋は「フィードフォワード制御」と言います。それは経験と勘と度胸・・・KKDと良く言われますが、実はもっと大きな「カオス」とでも言うべきものです。長い経験と深い計算から導き出されるもの、制御工学で言えば世の中のプラント制御のほとんどを占めるPID制御ではKKDの経験=積分要素(I)、勘=微分要素(D)が含まれていますが、度胸というのはありません。プラント制御は度胸でやられてはたまらないからです。実は「流れ」を変えるのが、まさにこの度胸なのです。臨機応変と泰然自若、甲子園の名将と言われてきた監督達は、戦いには事故もあれば災いもある、何が起きたらどう手を打つか、これらに対するKKDの優れた人たちなのです。ただし度胸の裏にあるものは、実は品質管理で言うならばFMEAとFTA、できるだけ多くの事象の原因と結果を綿密に検討して、こういう場合はこうする、ああなったらこうしよう、あらゆる事態を想定して打ち手を考える、富士通の「京」バリのモノスゴイ計算が一瞬にしてできる能力があるのです。今どう動くべきか、事故や災害が起きたときに「想定外」と言ったり、打ち手が遅くなったら負けるのです。

■厳しい練習が勝利に繋がって欲しい、そのためには・・・
 今回の浦学がかつてのチームと違うのは、大技小技なんでも出来て、チームの総合力が極めて高いという点でした。今回の甲子園では抜群のチーム力で優勝候補筆頭と誰しも認める力がありました。打線は曲者揃いで1番から9番まで弱い打者が誰一人居ない、4番でも送りバントで走者を進める手堅さ、それも送りバントだろうがヒットエンドランだろうが一発で決めるのです。こういうチームの監督は楽しいだろうなあ〜と埼玉県予選を見てつくづく思いました。こういうチームを作り上げた監督の練習での指導は素晴らしいものです。実際浦学は厳しい規律のチームで、練習も厳しいそうです。しかし、小島というスーパースターを作り上げてしまったことが誤算でした。控えの投手も好投手揃いです、どうしてもっと信頼できなかったのでしょう?
 試合終了後の両チームコメントを報道から転載しますと、
    仙台育英・佐々木順一朗監督・・・馬場(三回途中から登板)がよく踏ん張った。監督の集中が途切れた部分もあったのに、選手は最後までよくやった
    
浦和学院・森士(おさむ)監督・・・序盤の失点を1度は、はね返した選手たちはよく頑張った。(逆転後)気の緩みからか、ミスが重なったのが痛かった
 このコメントをどう見ますか?上の青字の名監督のコメントと比較してみて下さい。佐々木監督が投手交代した結果が勝利に繋がったと言っています。佐々木監督は選手交代で確か14人ぐらい選手を出しました。総力戦です、これでもか、これでもか、と手を打ちました。監督の判断が悪くても選手がカバーした、と言っています。さすが甲子園20勝の監督のコメントです。一方、森監督も選手は良くやったと言っているのは同じですが、「気の緩みからミスが重なった」というところが違うと思います。詳細については後述します。

■勝つ流れを失った展開
 このスコアボードを見て下さい。

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9
 浦和学院  10
 仙台育英  1X 11

 長年スコアラーをやってきた人ならわかるでしょう。展開からして浦学が勝つべき試合でした。1回表幸先良く先制した(山根主将のタイムリーヒット)のにその裏大量6失点、1イニングで5四死球を与える小島などこれまで見たことがありません。実は武器のストレートばかり投げ続け、そのほとんどが高めに抜けていました。小島のストレートは右打者の膝元に鋭く切れ込む、左打者は外角低めに逃げる、ここに特徴があります。ストレートが回復するまでストライクが取れる変化球を1つ選択して、それを軸にした配球をなぜしないのか?ストレートで打者を圧倒し続けてきた小島が、ストレートで墓穴を掘ったという、強気の投手にありがちな「ひとり相撲」でした。野球で相撲がとれるのはピッチャーしかいないのです。相撲になりそうなら、野球に戻すのが監督です。仙台育英は1番熊谷がこの回2本ヒットを打ちました。浦学小島は押し出し3個でした。普通なら初回不安定な立ち上がりのエース、他にピッチャーが居ないならともかく、押し出しを与えた時点で流れに水を差す、あるいは流れを変えるピッチャー交代を告げるべきでした。

■守りの流れを失った浦学
 1回表裏の攻防で、フツウのチームならこれで戦意喪失なのに浦学は、3回に大量6点GETでひっくり返し、しかも代った馬場投手からも四球とタイムリーヒット2本で2点追加、4回にも7番西川のタイムリーヒットで追加点、これは流れから言ってどうみても浦学優勢と見えました。ところが6回裏、7番馬場のヒット、8番加藤のセンター前ヒットが中継乱れ無死2、3塁、これは守備の堅い浦学では考えられないことでした。これで動揺したか、1死後、1番熊谷の大飛球をセンター山根主将が落下点に入ってポトリ、あくまで予想ですが、当然3塁ランナーがスタートするので捕ってすぐ投げようと考える余り捕球がおろそかになったのでしょう。山根のイージーエラーなんて考えられないことでした。これをきっかけに同点に追い着かれました。ただ「気の緩みからミスが重なった」という森監督の見方は、結果と原因を表現するには微妙に不適切と思います。野球はピッチャーがひとり相撲をとっていたりするとバックの緊張が続かないのです。テンポ良く打たせてとっているほうがバックとバッテリーの一体感が醸成される、これこそ守りの「流れ」なのです。サッカーやバスケットボールのようなスポーツと違い、野球は攻守交替や、投手の投球の合間など、いわゆる「間」があります。バレーボールやテニスなどもそうですね。守りのときは、この「間」で気を緩め、ピッチャーが投げる瞬間に緊張する、常にこれを繰り返します。緊張が続かない→気の緩み、同じことなのですが、それをもたらしたのが小島投手のピッチングだったというこです。

■気を取り直した浦学の守り
 7回裏仙台育英の攻撃で、無死1、2塁から8番加藤が初球送りバントを見送り、2塁走者小林が飛び出し挟殺、2塁を狙った1塁走者馬場もタッチアウト、無死1、2塁が2死走者無しになって、このあたりはさすが浦学と思い、やはり仙台育英とはひと味違うな、と思いました。6回裏のミスから気を取り直したと思いました。
 8回裏には仙台育英1番熊谷が中前安打、2番菊名四球、この時点で小島投手は球数150球を越えました。握力が落ちていて、3番長谷川死球で無死満塁、ところがここから4番今大会屈指の強打者上林、5番水間、6番小林が3者連続直球を空振り三振、さすが小島投手と皆思ったでしょう。小島投手の直球は140km/h未満なのですが、スタンドから見ていますとものすごく速く感じます。実際埼玉平成高校の選手たちも、かつて対戦した投手にはないすごい球だったと言っていました。いわゆるキレがあるので打てないのです。ただしこれもコントロールの良い変化球あればこそ、の面もあります。小島投手は最後の気力を振り絞ったのです。どう見ても限界でした。

■仙台育英の勝因は投手交代、一方浦学は・・・
 仙台育英の勝因は1番熊谷の4安打の爆発もそうですが、佐々木監督のコメント通り、2番手・馬場の力投に尽きると言って良いでしょう。6回3分の1を投げ、被安打5、奪三振8、失点2は恐怖の浦学打線が相手では見事と言う他ありません。最速145km/hのストレートに力があり、これにキレ味鋭い縦変化のスライダー、さらに右打者をベース寄りに引きずり出すような横変化のスライダーを基本形に攻めの姿勢を貫き、火のついた浦学打線を消し止めました。
 最終回9回裏、仙台育英の攻撃1死後、小島がマウンド上で足がつり、ベンチ前で水を飲み、大きなライトフライで2死を取りましたが、9番小野寺が182球目をレフト前ヒット、ついに小島降板、山口がマウンドへ、みずほ台ヤンガース出身山口は急速140km/h半ばの速球投手です。しかし130km/h台の小島のほうが速く見えます。これがスピードガンでは捉えきれない球のキレというもの、小島を打ちまくった仙台育英1番熊谷は、報道によれば「1塁走者は足が遅いので、長打を打たなければ勝てない、長打を打つゾ〜」という気合で打席に入り、その通り3ボール2ストライクから山口の144km/hのストレートを打ち返し、レフトオーバーのサヨナラヒット、これは2塁打です。1塁走者がホームインした時点で2塁に達していたからです。もし打者走者が2塁到達前にサヨナラのランナーがホームインしたのを見て万歳してベンチへ帰ってきたらシングルヒットで、サヨナラのランナーがホームインする前に3塁へ到達していたら3塁打です。この場面、延長の可能性が高いので、9番小野寺は鈍足ですが代走を出せなかったわけです。実際小野寺が3塁を回るとき、必死の形相でドスドスドスと走る姿は迫力がありました。マウンド上ガックリとひざを着く山口瑠偉、仕方無い、高校最後の夏は終わったが、甲子園まで来れたじゃないか!

■流れを変えた熊谷の守備
 仙台育英の1番熊谷はこの試合の大活躍で、モノスゴイ選手のように感じますが、高校野球日本代表候補ですからその通りであるものの、実は宮城大会では2割にも満たぬ絶不調、しかし守りでは遊撃手として守備の要、この試合でも9回表ランナー斎藤を置いて2死から小島のライナーを横っ飛びキャッチするファインプレー、これが無かったら左中間打球は抜けて、斎藤の足なら一挙ホームイン、仙台育英は負けていたように思います。激戦の後には「タラ」、「レバ」が付き物です。ひとつの好プレーが流れを変える典型です。

■チーム全員で引き寄せた勝利、こうなったら頑張れ!仙台育英
 仙台育英は昨年岐阜国体で優勝、秋の東北大会も優勝、神宮大会でも優勝して言わば日本一のチームですが、第85回選抜大会はBEST8止まりでした。BEST8でもスゴイですが、この日は王者のたくましさを見せました。宮城大会の準々決勝と決勝でともに初回の5失点をはね返したナインは3回表に逆転されても動じません。チーム全員でつかんだ白星と見えました。仙台育英の上林誠知(ウエバヤシ セイジ)は秋のドラフト上位候補のスラッガーですが、この日は5打数無安打3三振に終わりました。特に、初回と8回は、無死満塁の好機でともに小島の前にバットが空を切りました。報道によりますと、上林主将は「このチームは自分だけじゃない。周りにも素晴らしい選手がいる」と仲間に頭を下げたそうです。さいたま市出身の上林にとって、地元の強豪でセンバツ王者でもある浦学は、どうしても戦いたい相手でした。浦学を避け、自主性を重んじる仙台育英に進学しただけに「あのときの決断が間違いじゃなかったと証明できました」と、最高の笑顔がはじけたそうです。さいたま市の土合中では浦和シニアに所属し、3年春の全国選抜大会ジャイアンツカップで優勝しました。このときの主力は上林のほかは帝京、早実、国士舘、修徳に進みました。どうして地元中の地元、浦学を避けるのでしょうか?浦学でも甲子園には行ける可能性は高い、しかし優勝するには・・・・、この・・・・が理由だったのでしょうが、この春の選抜で浦学が優勝しました。「エッ、どうして?自分の選択は間違いだったの?」、こうなったら負けられない、しかし上林は力んで小島の前に屈しましたが、周りの選手が助けてくれました。野球はチームスポーツです。ひとりのスーパースターよりも、全員が結束して戦い抜くチームのほうが強いのです。そしてその勢いを引き出す、流れに乗せる船頭が監督なのです。
 浦学は今後も埼玉の名門として名を馳せるでしょう。森監督の選手育成は素晴らしいと思います。仙台育英には、頑張って栄冠を目指して欲しいと思います。
(2013年8月12日)


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