131  水害とダム

 「特別警報」とか、「50年に一度」とか、「記録に無い」とかの言葉が気象情報に溢れました。最近はお盆前からず〜〜〜〜と雨模様で、猛暑続きから一転日照不足が続いていました。阿蘇山も噴火しましたね。地震もあるし、いったい日本列島はどうなってしまったのでしょう?

■ 越水
 この度は台風の影響から荒川支流が警戒水域に達して、大変だと思っていたら、南北に長い豪雨地域が北上して、各地の川で「越水」が起きました。エッスイという耳慣れない言葉、何だろうと思ったら、堤防を水が越えることでした。埼玉の越谷駅前も水が溢れて東武鉄道も線路が冠水して走れません。武蔵野線も停まりました。マンションでも地下室の配電盤が冠水して停電となっているところも何棟もあるとのこと、えらいこっちゃと思っていたら、常総市で鬼怒川の氾濫、堤防が決壊したものですから、越水どころの騒ぎではなく、ドバーッと流れ込んだ濁流に家を流される様は、4年半前の大津波をほうふつとさせました。更に時間を追って東北でも各地で洪水が発生して、仙台市泉区やら大崎市やら、大変なことになりました。南北に流れる川にこの大雨が北上するのですから、雨が集中して大変な水位となったわけです。

■ 地震・雷・火事・オヤジ風水
 さらに2015年9月11日(土)午前5時49分、東京湾を震源とする地震が起きてたたき起こされました。調布市で震度5弱、東日本大震災以来の強さでした。ちょうど東日本大震災から4年半です。世の中で怖いものと言えば、昔は地震・雷・火事・オヤジでした。今は親父の権威が地に落ちて、地震・雷・火事・風水なのです。竜巻が頻繁に起きます。先日も全国各地で被害が発生したばかりです。竜巻は最近では群馬、栃木、茨城、神奈川、埼玉が多かったのですが、今回は千葉もやられました。ダウンストームもあります。熱帯並みスコールで山が崩れ、橋が流され、川が氾濫します。今や九州は毎年のこと、東北でさえも過去に記憶の無い大雨が降る時代です。9月1日は防災の日、9月9日は救急の日、各地で防災訓練が行われました。今回の氾濫で家を流された人たちは「まさかと思っていました」と口をそろえました。

■ 常総市で堤防が決壊
 1級河川・鬼怒川で起きた堤防の決壊は、茨城県常総市に大きな被害をもたらしました。堤防決壊の予兆は、鬼怒川を管理する国土交通省も把握していたようです。上流の栃木県で9日から強い雨が続き、10日午前6時過ぎには決壊場所から約5〜25km上流の3ヶ所で「越水」が発生しました。国交省は、上流に四つあるダムで東京ドーム70杯分を超える約9千万立方メートルを貯め、水量を抑えようとしました。職員がパトロールしようとしましたが、増水で昼前には堤防に近づけない状態になり、午後0時50分に決壊しました。
 日本の堤防は、基本的に土の構造物ですから、越水が30分も続けば堤防の土が削られ、通常は上から崩れていくのだそうです。現場付近の鬼怒川は河川法に基づく計画で、「10年に1度の大雨に耐えるため」の堤防のかさ上げや拡幅工事をする予定でした。しかし工事は20km下流の利根川との合流地点から上流に向かって順次進めているため、現場付近では昨年度から用地買収を始めたばかりでした。改修が必要な堤防のうち整備が終わったのは44%にとどまっているそうです。
 しかも今回の堤防決壊箇所を調べた大学教授の話では、今回は上から崩れたのではなく、漏水が堤防の下部に発生し、少し亀裂が入ったところへ、水が勢い良くぶち当たり、堤防を侵食して崩してしまったそうです。今回は「10年に1度の大雨に耐えるため」の堤防でも耐えられなかったはず、いったいどんな堤防を作ればよいのでしょう?

鬼怒川で起きた堤防の決壊
 数十年に一度の大雨が降った時などに出される「特別警報」が発令されたときは既に遅い場合もあります。「防災無線が何回も鳴り、これは危ないと思った。避難所の場所も教えてくれたので、事の重大性が伝わった」という避難者が居ました。自治体が出す避難勧告や避難指示に加え、自分がどういう水害の危険性がある場所に住んでいるのか、洪水ハザードマップで確認し、その上で水位情報などを得て、早めの避難行動に移れるように心しておくことが必要だったと教えられる水害でした。

■ まさかのために・・・早めの避難などソフト面に注力必要
 常総市の浸水地域は、南北に並行に流れる小貝川と鬼怒川に挟まれた低地で、田んぼが広がっています。二つの川は戦後すぐまでは2、3年に一度は洪水を起こしてきた地域だったそうです。近年では小貝川は1981年と1986年に堤防が決壊、1999年、2002年、2004年にも洪水がありました。流域は水が引きにくい緩やかな地形です。常総市が2009年に公表した洪水ハザードマップでは、鬼怒川が氾濫した場合、鬼怒川と小貝川の間の地域はほぼ全域にわたって浸水すると予想されていました。ハザードマップと実際の浸水がほぼ一致していたのです。ハザードマップの想定では、氾濫すれば逃げ場がないと分かっていました。いくら高い堤防を造っても、雨量が基準を超えることは有り得ます。先の大震災の教訓でもありますが、災害に想定外はありません。災害は起きるものです、起きたらどうやって早めに避難するかなど、ソフト面の対策に力を入れるしかありません。

■ 地震に備えるには地盤の固さを調べる
 但しどうやっても災害は起きるものだとすれば、せめて比較的安全な場所に住みたいと思います。地震・雷・火事・風水、このうち雷と風は天から降ってくるものですから防ぎようがありません。災害に有ったら保険で直すしかありません。火事も火災保険ですね。地震は地盤の強さで影響が全く違います。また、最近の建物は免震とか耐震、防火という建物になってきています。今回引っ越した我が家の選定に当っては、地震と水害に留意しました。この二つは近年とみに危険度が増していると思われるからです。関東ローム層台地、トトロの森に代表される武蔵野の丘陵地帯は、群馬県渋川市近辺と並んで、東大地震研が地盤の固さ関東一、と発表しているところです。3.11で久喜市、さいたま市、戸田市、川口市など埼玉県東部は震度5強でした。今は久喜市になっていますが、鷲宮では市営住宅で地盤が流動化して建物が傾き、訴訟騒ぎになりました。ふじみ野市の西部から所沢市、狭山市にかけての丘陵地帯は3.11で震度4でした。震度4は日本人なら何度も経験していると思います。ふじみ野市でも、荒川に近いところは震度5、地盤というのはそれだけ違うんですね。我が家から1kmちょっと東には貝塚がたくさんあります。古い時代には海岸で、古代人たちは海辺で貝を食べていたわけです。そういう地域は地盤が軟弱です。よく水天宮などがありますね。

■ 水害の無い、しかも住む上での至便性考慮
 川の面積日本一の埼玉県は、いたるところ毛細血管のように川があって、水害の多いところです。東は坂東太郎利根川水系ですが、中央から西部はほとんど荒川流域です。荒川は名の如く、昔から大水害を度々起こしてきました。したがって埼玉で水害の無い地域は貴重です。ふじみ野市は川越市の南ですが、その境界は段丘になっていて、川越市のほうが低いのです。川越市全体ではふじみ野市より標高は高いのですが、この段丘は川によってえぐられたものです。従って我が家のところに降った雨は、川越市に流れ込みますので、水が溢れることは有りません。川越という名前も、きちんと意味があるのです。我が家は鶴ヶ岡、その南から東の低地は亀久保という地名です。鶴は千年、亀は万年というのは長寿を表しますが、鶴ヶ岡は名の通り台地、亀久保は名の通り窪地なのです。地名を見れば、昔の人が実に適切に命名していたことがわかります。日本はもともと火山国、地震国、風水害国ですから、どこに居ても安全ということはありません。火山、地震、風水害に対し、総合的に比較安全で、幹線道路、鉄道の駅に近い至便性の上に、緑が多いという条件で選んだのが新居です。ふじみ野市のハザードマップはもちろん確認しました。水害発生予想地域は結構有ります。
 地盤の固さや水害を考えた時、最も危険なのは地盤が軟弱で、広くて凹凸が無く、住宅が密集している地域です。地震に弱く、水害が発生し易く、火事が広がり易いところです。江東区や墨田区ですね。関東大震災や東京大空襲で焼け野原になった地域です。それでも人間はめげずに復興してまた住み始めます。東京駅の南側は八重洲、北側は丸の内、陸地と海岸ですから地盤の固さは雲泥の差です。こういったことは、今の時代ですから、行政が詳しく発表しています。それでも住むのは自己責任です。災害確率と、労働環境、通勤、暮らしの利便性を考えて、人々は住む家を決めているのでしょう。

■ 八ッ場ダム訴訟
 国の八ツ場ダム(群馬県長野原町)建設をめぐり、事業費を負担する利根川流域の1都5県を相手に、各地の住民が「ダムは不要」と支出差し止めなどを求めた6件の訴訟が起こされ、いずれも住民が1、2審で「ダムの治水効果が認められるなど、支出が違法とはいえない」と請求を退けられ上告中ですが、いくつか最高裁で住民敗訴が確定し、すべての訴訟で住民敗訴となる見通しです。先週は埼玉県の上田知事が最高裁判決を受け、「今回の水害を見てもダム建設は当然のことだ」と表明しました。
 八ツ場ダムに関しては「つぶやき」350『ダム』(2009年9月27日)で触れました。筆者の生家は今湖底です。岩手県雫石町の御所ダム建設に伴って水没し、代替地に移りました。だから八ツ場ダムの反対運動については理解できます。ただ、なんのために反対するのか?そこが問題です。

平地に築かれた御所ダム(盛岡市・雫石町)

■ 建設反対運動が起きました
 八ッ場ダム(やんばダム)は利根川の主要な支流である吾妻川中流部、群馬県吾妻郡長野原町川原湯地先に建設が進められている多目的ダムです。今年(2015年)度の完成予定でしたが、2020年(平成32年)完成に延長されています。形式は重力式コンクリートダムで高さは131.0m 。利根川上流にダムを建設する「利根川水系8ダム」計画に基いて、キャサリン台風級の水害から首都・東京及び利根川流域を守るために1952年(昭和27年)に計画発表されました。八ッの場の8は何の場か分かりませんが、「やつば」より「やんば」のほうが言い易いから、この発音になったのでしょう。このダムが当初計画どおりに完成すると、名湯として全国的に名高い川原湯温泉街を始め340世帯が完全に水没するほか、名勝で天然記念物でもある吾妻峡の中間部に建設されるので、その半分以上が水没し、一挙に観光資源が喪失することが心配され、反対運動が起きました。昭和40年代には、建設省が、吾妻峡を可能な限り保存する観点から、ダムの建設場所を当初の予定よりも600m上流に移動させることを表明した結果、吾妻峡の約4分の3は残り、一番の観光スポットである鹿飛橋も沈まずに残ることとなりました。1992年(平成4年)には、ダム建設推進を前提とした協定書が長野原町、群馬県、建設省の間で締結され、1994年(平成6年)、建設省はダム本体工事に伴う付帯工事に着手しました。

■ 政権交代で一時凍結、しかし同じ民主党政権で再開決定
 しかし、2009年衆院選で民主党がマニフェスト(政権公約)に八ツ場ダム建設中止を掲げ勝利し、ダム本体工事の入札が延期されました。前原大臣が現地視察すると、怒号が飛びかう事態となりました。沖縄の辺野古に安倍首相が行ったら同じことになるでしょう。新政権発足に伴う国の突然の方向転換に対し、長きに亘り国家政策との対立の末に苦渋の決断をして代替地転居と事業執行を待つばかりとなっていた関係者の反発は大きく、長野原町議会は「八ツ場ダム建設事業の継続を求める意見書」を採択しました。また、水源地域対策特別措置法に基づき事業資金の一部を負担した共同事業者である群馬県知事は、「地元住民の方々の意見、関係市町村、共同事業者である1都5県の意見を聞くことなく、建設を中止としたことは言語道断で、極めて遺憾」と表明しました。同じ共同事業者である東京都、埼玉県、千葉県、茨城県、栃木県の各都県知事からも同様に建設中止に対する批判や中止の際の負担金返却要求の声が上がりました。これを受けて、2011年に当時の野田佳彦首相が一転して建設再開を決めたという経緯があります。

ロックヒルダムサイトと雫石川の御所湖(盛岡手作り村から)

■ 御所ダム建設で移転した実家も今は無し
 筆者の生家は今湖底で、岩手県盛岡市と雫石町にまたがる御所ダム建設によって水没し、代替地に移りました。引っ越したのは、宮沢賢治がその景勝を愛した「七ツ森」というところです。「ななんもり」ではありませんよ、「ななつもり」です。文字通り七つの森があったのですが、ロックヒル式の御所ダム建設のために、ひとつの森をつぶしました。天国の宮沢賢治は嘆いているでしょうか?自然保護運動家はそう言うでしょう。ところが住民達は、そうではありません。新たに出来た美しい御所湖の景観に惚れ込み、わがふるさとはなんて美しいんだと、わがまちにいらっしゃいと盛んにPRしています。自然に手を加えることは悪いことだと言うのであれば、人間活動そのものが悪となりかねません。
 七ツ森の家も空き家となり、大雪で庇が壊れて雨漏りするようになったため、住んでいるうちは修繕しますが、大風で壊れた庇が飛ばされて、他の家にぶつかったりしたら大ごとなので壊しました。もはや帰る実家はありませんが、墓は七ツ森のうちで一番大きい生森(オモリ)の麓にあるので、筆者が亡くなったらその墓に入ります。 

雫石の実家跡、空き家は危険なので壊して緑の広い草地になりました
向こうに見えるのは七ツ森のひとつ、手前の道路は国道46号線、ローソンから撮影

■ 反対運動にもいろいろ有り
 八ッ場ダムの建設反対運動や原発反対運動をしている人たちは共通の土台に立つ気がします。安保に関する反対運動とは別と思います。安保は、人と人との争いに関する問題ですから、基本的にどうしたら争わなくてすむか、と考えればよいのです。過去、悲惨な戦争で私たちは争うことの愚かさを経験してきました。その恐怖や反省が骨身に沁みた人たちが亡くなってきて、新たな勇ましい人たちが台頭し、軍備強化や集団的自衛権の確保こそ戦争の抑止力になる、と唱えています。過去の経験で、「持ったら使いたくなる」ということを知ったはずです。集団的自衛権を持ったら、今の政権は発動しないでしょうが、将来の政権はそれが既定のものですからやがて使いたくなるでしょう。そもそも自衛は身を守ることですから必要不可欠ですが、「集団的」と付いた時点でそれはもはや自衛ではなく他国のために戦争に巻き込まれるなんてことは、余程馬鹿な人か、右翼の人で無い限りわかるでしょう。原子力爆弾を持てば、それが核抑止力になる、と言うのと同じです。原子力爆弾なんて持ってはいけないのです。

■ 土木建設工事の需要と請け手の乖離
 しかしダム建設反対運動を起こす人たちは、その根底にあるものが何なのか?自然保護もあるでしょうが、一時期小沢一郎バッシングにあったように、ゼネコンと政治家、官僚が結託して、その利益のために公共工事を行っているのだという考え方が土台だと想像します。おかげで全国の中小土木建設会社は淘汰され、自治体の土木関係の技術職員も減らされました。そこに起こったのが3.11です。災害復興しようにも業者不足です。役所の職員も足りません。ゼネコンに頼んでも人手不足で断られます。建設資材も円安で高騰、人口減少で体力を要する土木建設工事の若者は募集しても集まりません。あるゼネコンの幹部に聞いたら、エアコンの効かない炎天下の作業なんてトレンディじゃないので、若者から敬遠されるのだそうです。高齢者はいっぱい居ますが、そういう人たちは事故や病気で罹災する確率が高いので怖い、世の中うまく行きません。かつて反対運動を展開した人たちは、今の現状をどうすればよいと思っているでしょうか?多分、今でも「ゼネコンが悪い」と言うでしょう。どうして?なぜ?議論が進みません。

■ 原子力の平和利用こそ日本の安全保障
 自然災害の規模がドンドン大きくなっているのが人間活動の影響によるものであるのは誰しも感じているでしょう。だから人間が活動しなければ良いのですが、逆に世界の人口は爆発的に増え続けています。しかも新興国の人たちの生活が豊かになってくると、化石燃料を燃やしてどんどん二酸化炭素となって地球温暖化の原因となります。32『CO2濃度増加』(2013年9月29日)をご覧下さい。一直線どころか、うなぎのぼりでCO2濃度が増え続けています。それが地球を温暖化し、自然災害を増やしています。化石燃料を燃やすのを減らすには、エンジンの燃料を燃料電池のような水素と酸素の反応にして炭素を燃やさないこと、太陽光や風力のような自然エネルギーで賄うことです。しかしまだそのコスパを満たす技術は未熟です。だからその成熟の間、原発は必要なのです。化石燃料を燃やすのを我慢して、原子力を使っている間に、再生可能エネルギーによる発電のコスパを下げて、その普及が進んだら順次原子力の比率を下げて行けば良いのです。原子力爆弾を使ったのは米国ですよ。爆弾と発電を同列に論ずるのは、クソもミソも一緒にするようなものです。原子力の平和利用技術を持っている日本が、世界の持たない国、人々のために貢献することこそ、日本の役割、日本人の使命です。これが日本の最高の安全保障に繋がるでしょう。日本に助けてもらって感謝する国が増えるほど、日本は安全になるのです。

■ 嵐になると飛び出す父の事
 日本の災害は、段々と規模が増す気がします。国土強靭化政策で、全国的に土木工事をやってても追いつきません。上には上があると思わせる、自然災害の恐ろしさ・・・風水害だけとっても、下記の通り書いてきています。
  76『対馬丸』(2014年8月23日)では広島市の土砂災害
  31『災害と地震』(2013年9月23日)では台風18号による大雨
  25『事故と災害』(2013年8月12日)では岩手の大雨
  「つぶやき」291『ゲリラ豪雨』(2008年8月10日)では神戸の鉄砲水や池袋でのスポット豪雨
  「つぶやき」243『風が吹けば』(2007年9月10日)では雨台風で荒川河川敷のゴルフ場が水没
  「つぶやき」185『水と火』(2006年7月29日)では、嵐になると嬉々として家を飛び出して行った父の話
 「災害は起きるもの、起きたらどうやって早めに避難するか」と書いたのに、我が父は「嵐になると合羽を着て嬉々として家を飛び出して行った」というのは逆ですよね?自ら進んで嵐の中に身を投じるというのは正気の沙汰とは思えません。母は随分心配していました。当然です。しかし筆者はそんな父の後を追って、自分も合羽に長靴で父の後を追いました。父は6〜7mの長い杉の竿(手元は直径10cmになる)と銛に太いロープをつないだもの、そう、鯨を獲るときのアレですよ、これらを抱えて雫石川に飛び出して行くのです。仕事など放り出して・・・。川にかかった高い橋は普段橋桁と川面が長い距離があります。しかし大雨のときは水面が上がり、茶色の濁流に混じりいろいろなものが流れて来ます。家具あり、農業資材あり、その中の流木を狙うのです。二人がかりの作業で、別に誘いあわせなくても同じ趣味の人が自然に橋の上に集まって来るのです。農家の人は居ません。自分の田んぼの水管理が大変だからで、農家の人も雨合羽を来て家を飛び出すのですが、彼らは田んぼを回って少しでも被害を抑えるための作業に精出すのです。橋の上の人々は欄干から身を乗り出し、コレと思ったヤツに狙いを定めて、ひとりがエイッと銛を先端に刺した杉の棒を放ち、もうひとりの人が銛につないだロープを手繰るのです。濁流の勢いは凄まじいので、ものすごい力でロープが引っ張られるのですが、踏ん張って引き寄せます。あまり大きい流木は狙いません。自分が引っ張られて川に落ちては元も子も無いからです。こんな危険なことは今ではやらないでしょうね。防災無線で避難地域の人は避難所へ、それ以外の人には家から出るなと呼びかけるでしょう。考えるまでもなく危険なことですが、そのスリルを楽しむのです。獲物はリヤカーに乗せて持ち帰り、干して薪にします。嵐をも楽しむとは、昔の人はなんてスゴイんだろうと、感心します。この思い出は、父を尊敬してしまった一事でした。

■ 株式市場の動揺
 日本株は急騰・急落を繰り返しています。まさにジェットコースターのような相場ですが、これは企業の業績とか、本来の株価の材料になるものとは無関係です。相場乱高下の大きな背景は、米利上げに備えたグローバル投資家の資金移動によってボラティリティが上昇し、長期投資家が様子見に入ったことで商いが減少し、高頻度取引(HFT)やレバレッジ型ファンドなどトレンド・フォロワーの動きが増幅されているからです。実質的なゼロ金利政策の転換は、「無から有」への変化です。長期金利が2%から3%に上昇すれば、それは1%の上昇ではなく、変化率50%ということなのです。長期投資家の多くが取引を控えて、息を呑んで情勢を分析していますから、売買量が減少=薄商いとなったことで、ちょっとしたことで大きく価格が動きますから、これを危険と考えて手控える人、チャンスと考えてバンバン動く人、両方居るのです。流動性が高い日本株は、中国株のヘッジ手段として売買されているという面もあるようです。この世界的な株価乱高下がおさまれば、日本株は再び再評価されるとの見方もありますから、下手に動かないことです。しかし、日本経済自体が怪しくなってきたのが心配です。強さの象徴だった設備投資が急減速し、7月機械受注は予想外のマイナスでした。輸出や生産、消費も鈍いままです。こうした不透明感の強まりで、アベノミクスが失速したら・・・・、コワイなぁ。

■ 最後に誤解なきよう・・・
 八ツ場ダムの訴訟に関して埼玉県の上田知事が最高裁判決を受け、「今回の水害を見てもダム建設は当然のことだ」と言ったことを上で書きましたが、この言い方は正確には間違っています。今回、国交省は、大雨の気象庁予報に鑑み、上流のダムに貯水して、必死になって鬼怒川の水量を抑えようとしました。しかし山あいのダムがいくらあっても今回の水害は防げなかったでしょう。それは天気図でハッキリ分かりました。南北に細長い大雨地域が真っ直ぐ北上しましたので、南北に細長い、関東から東北の川に大雨が北上しながらこれでもかこれでもかとが降り注ぎ、川が溢れたのです。ダムがあってもダメだったのです。逃げるしかありません。
(2015年9月14日)


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