95 福岡河岸記念館
2014年も押し詰まりました。1年最後の締めくくりは、我が街について触れましょう。 ■ 「福岡」と「博多」、「北福岡」と「二戸」 我が住む街「ふじみ野市」は、かつての埼玉県上福岡市と入間郡大井町が2005年10月1日に合併して出来ました。上福岡というのは九州の大都市福岡(博多)や岩手県の北福岡(二戸市)などと共によくある地名で、昔福岡村と近隣のムラが合併してできました。「上」を付けて、他の福岡と差別化しているのでしょう。 ところで、福岡市には二つの呼び名「福岡」と「博多」があります。福岡市なのに、駅名は博多です。地元の人は中洲を境に「福岡」と「博多」が分かれると言います。というのも、福岡と地名が付いたのは江戸時代以降で、福岡市と決定したのは明治時代からなので、博多と呼ばれた時代の方が長いのです。黒田如水(じょすい)・長政親子が筑前52万3000石を徳川家康より与えられ、もともとの領地・備前国(現在の岡山県)の福岡から移って自分たちが住み始めた城を福岡城と名付け、そのあたり一帯を福岡と呼ぶようにしたのだそうです。博多湾から眺めると、大空に舞う鳥のような姿の城であるため、別名・舞鶴城とも呼ばれます→福岡市のホームページ参照。すなわち城のあった、侍の住む地域が福岡、その他が博多というわけです。
■ 2市2町合併がオジャン、1市1町でふじみ野市に 大井というのは、参勤交代の重要な道であった川越街道の宿場町に、大井戸があったことから大井宿と名付けられたことに由来します。この大井戸は、新河岸川に注ぐ砂川堀沿いの「弁天の森」というところにあって、市民の憩いの場所になっています。上福岡市と大井町に、富士見市と三芳町を加えたかつての2市2町は「東入間地区」とか「入間東地区」と呼ばれました。この地区を管轄する警察署は「東入間警察署」であり、消防は「入間東部地区消防組合」です。かつて東入間地区の市町合併の計画がありましたが、住民投票の結果、富士見市(2000年国勢調査人口103,247名)では合併賛成が上回りましたが、上福岡市(2000年国勢調査人口54,630名)・入間郡大井町(2000年国勢調査人口45,488名)では住民投票成立の条件とした投票率が規定に満たずに不成立、入間郡三芳町(2000年国勢調査人口35,752名)では住民投票は成立したものの合併反対が賛成を上回ったため、合併協議は中止になりました。この背景には、三芳町の住民の反発があります。合併前に富士見市が駆け込みでいわゆる箱物やグラウンドなど公共施設を整備し、多くの借金を抱えたため、財政豊かな三芳町から見ると、合併して借金を負わせるつもりだと猛反発したことがあります。三芳町は企業が多く人口が少ないので、収入が多く支出が少ない、すなわち財政豊かなので、町役場は立派でグラウンドなども整備されています。一方上福岡市と大井町は箱物に投資せず医療や老人福祉に力を入れる自治体でした。現在のふじみ野市役所を見ても、この人口の市の市役所としては珍しく質素な建物です。したがってこの2自治体が合併することになりましたが、問題は名前でした。東武東上線の上福岡駅(旧上福岡市)と鶴瀬駅(富士見市)の間に、1993年11月15日、住民念願の「ふじみ野駅」が出来て、これが急行停車駅で、池袋までわずか21分です。これにちなんで4市町合併後の市名候補に、もともと「ふじみ野」があったので、そうしましょうということになったのですが、これに反発したのが富士見市です。というのは「ふじみ」という音が共通で紛らわしい上に、東武東上線ふじみ野駅のあるところは富士見市勝瀬なのです。ふじみ野市に富士見市がくさびのように食い込んだところにあります。したがってふじみ野駅から北にも南にも歩いてすぐふじみ野市になります。ふじみ野駅の東口からすぐのところにあるふじみ野小学校は富士見市です。こうなるともうわけがわかりません。小さな自治体なのですから、一緒になれば良かったと思いますが、住民投票でNOとなったのですから仕方ありません。 ■ 東入間とは?
ところで西入間はどこでしょう?鶴ヶ島市、坂戸市、毛呂山町、越生町、鳩山町一帯を指します。かつての入間郡のうち、川越市の北西側が西入間、南東側が東入間だったわけです。この「北西」、「南東」が、後で重要な意味を持ってきます。 ■ 荒川が埼玉県の「北西」から「南東」への流れを形成 ふじみ野市は埼玉県の南部で、南の東京都清瀬市、練馬区、板橋区がすぐそこです。我がまちのメイン道路は国道254号線、いわゆる川越街道で、東京都文京区本郷三丁目に端を発し、豊島区、板橋区、練馬区、埼玉県和光市、朝霞市、新座市、富士見市、三芳町、ふじみ野市、川越市、川島町、東松山市、嵐山町、小川町、寄居町、深谷市、本庄市、群馬県藤岡市、富岡市、長野県佐久市、上田市、松本市とつながる、全長226.3kmの道路です。上の埼玉県の地図をじ〜〜〜っと見て、市町村の分布を見ると、ハタと気付くことがあります。「北西」から「南東」へと、大きな流れがあるように市町村が分布していることです。何だろう?偏西風の影響か?違います。甲武信ヶ岳に端を発する荒川です。埼玉県の北側は利根川が群馬県、栃木県、茨城県と県境を成し、東側は茨城県と千葉県と江戸川で県境を成します。中央を大きく荒川が「北西」から「南東」へと流れており、一言で言えば埼玉県は荒川水系で覆われた県だということです。したがって荒川の両側に国道254号線=川越街道と国道17号線=中仙道が走り、東武東上線もJR高崎線も、関越道も東北道も皆、北西から南東へと斜めに走っているのです。幹線が斜めに走っているので、それと直角に交わる道路も斜めで、京都から来た人などは、すごく違和感があるはずです。京都は東西南北きれいに碁盤の目になっていますが、埼玉県の中央から西部はどこもかしこも斜に構えているのです。すべては、母なる川、荒川によるものです。そして河川面積日本一というのも、荒川水系が作り上げたものです。 ■ ダメよ、ダメ、ダメ 川越街道の名前の川越に限らず、埼玉県には川にちなんだ地名が多いのも荒川によるものでしょう。ちなみに「小江戸」と呼ばれる川越市は、城跡・神社・仏閣・旧跡・歴史的建造物が多く、文化財の数は、関東で、鎌倉、日光に次いで3番目です。3代将軍家光が生まれた間を移設した喜多院があり、その境内に三大東照宮のひとつ、仙波東照宮が置かれていることで、今でも観光で訪れる人が多いのです。昔、ボストンから仕事で来た米国人3人を、休日に「Warehouseの街を案内するよ」と連れ出しました。川越は「蔵づくりのまち」と呼ばれるからです。彼らが興味を持つものが仏壇屋などで、意外なことに驚いたり、夜に飲みに行ったらホステスがきれいだとやたらに抱きついてチュッチュするので、「日本の女はそういうことをするものではない」ということを英語で説明するのに苦労したことを覚えています。仕事では技術的内容なのですぐ通じ合えるのですが、そうした説明にはボキャブラリーが不足していることを痛感しました。そこで「ダメよ、ダメ、ダメ」と日本語で言ったら通じました。どうやら心を通じるのにコトバは余り関係ないみたいだということを体感しました。 ■ 鉄道路線 埼玉県の鉄道は、東側が東武、西側が西武です。武州の東西です。その間にJRがあり、東北や上信越、北陸への線路が走ります。羽生から三峰口まで、埼玉県北部横断、北東から南西に結ぶ秩父鉄道があります。なお、我がまちの東武東上線の名前の由来は合併前の東上鉄道からとったものです。その東上鉄道とは、当初東京と上野国(群馬県)を本当に結ぶつもりだったのですが、埼玉県寄居止まりとなっており、寄居ではJR八高線(八王子−高崎間)に接続しています。
78『川』(2014年8月31日)で新河岸川を紹介しました。江戸時代、寛永15(1638)年、川越藩主松平伊豆守信綱が、当時「外川」と呼ばれていた荒川に対し、「内川」と呼ばれた「本川」に、「九十九曲り」と言われる多数の屈曲を持たせることで、水が溜りながら流れることによって流量を安定化させる改修工事を実施し、江戸と川越を結ぶ舟運ルートとしたことに始まります。火事で焼けた仙波東照宮の再建に、江戸から資材を運ぶことが目的でした。これ以降、本川沿岸には新たに河岸場が作られ、川の名も「新河岸川」と呼ばれるようになりました。それまでの本川は、伊佐沼から流れる九十川でした。舟運は特に江戸時代末期から明治時代初めにかけて隆盛を迎えましたが、やがて東武東上線が出来て陸運に変わり、使われなくなりました。 福岡河岸には江戸屋や吉野屋など複数の回漕問屋がありました。その中のひとつ福田屋は、代々星野仙蔵という当主が継いで来ました。星野家は東上鉄道が出来て、上福岡駅前に移って商売を始めます。使われなくなった福田屋の建物を上福岡市に寄贈しました。この建物の歴史的価値は高く、埼玉県は保存すべき建物第一号として指定したほど貴重なものです。 ■ 福岡河岸記念館
■ 「離れ」3階からの見晴らしは絶景なり 福岡河岸記念館の「離れ」は、明治33年頃に建てられた木造3階建の建物です。十代当主・星野仙蔵が接客用としてつくったといわれています。普段は1階のみ公開されています。3階からの見晴らしは抜群です。新河岸川の川面からの高さはかなりあります。いわば川から崖が立ち上がり、その上に3階建がありますから、かなり高い位置にあるのです。百年以上前に木造で建てた3階建の建物が、関東大震災や東日本大震災にもびくともせずに現存していることに、当時の建築技術の高さを実感します。そして内部の調度の素晴らしさ、欄間や窓、随所に凝ったつくりが見られます。昔の職人さんの技術の素晴らしさ、特に海外から来た人などは眼を瞠るのではないでしょうか。とても良いものを見させていただきました。
■ 越辺(オッペ)川の冠水橋=島田橋の再建 坂戸市島田と東松山市宮鼻をつなぐ島田橋(木橋)が断続的に続いた2014年6月の梅雨で流失しました。木橋なので、江戸の趣を残すとして、たびたび映画などの撮影に使われてきました(Wikipedia)。住民の強い要望で、2015年5月頃、再び木橋で再建されるそうです。
■ 年賀状 今年もこの季節になりました。「年賀状だけの付き合い」という言い方がありますが、いいじゃないですか。年に一度、年賀状をやりとりして、「ああアイツは元気にしてるんだな」って判るのです。「お!結婚したな!」、「子供できたな」、「引っ越したな」、「退職したな」とか・・・。喪中ハガキが増えたのも、高齢化の顕れです。
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