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 筆者は山登りが好きです。とは言ってももちろん国内で、しかも冬山は登りません。すなわち、山登りが好きと言うより、山の景色や植物や空気や水が好きなのです。何より、普段行けない高地から見下ろすのが好きです。あの稜線のきれいなこと、深い緑、露岩、青い空、白い雲海、思う毎、心がはやります。ただ、老人登山が増えて遭難も増えています。筆者のような単独行は一番ヤバイ類かも?

■ エベレスト
 知り合いの秘境探検家が、ネパールに行っています。文科省科研費での現地調査だそうです。文科省はネパールの民族やその暮らしに対するいろいろな大学の調査研究活動に昔から随分多くの科研費を投じています。成都→カトマンズ間で撮ったエベレストの写真をメールで送ってきたのが右写真です。エベレストは英語で、インド測量局長官を務めたジョージ・エベレスト (George Everest) から取り命名されました。チベット語ではチョモランマ、ネパール語ではサガルマータと呼ばれます。2014年6月、富士山とエベレストを姉妹山として提携するとした覚書を双方の山で清掃活動をしている日本とネパールの団体が結び、今後2つの山の環境保全に協力して取り組むこととなりました。
 カトマンズは標高1,300m、日中は暑いですが、夜は扇風機で凌げるとのこと。調査地点は低地で日中40℃にもなるそうです。世界の極暑と言われているヒンドスタン平原の一角、ネパール・タライ平原は、連日の雨、ぬかるみの中で調査しており、たまに晴れると酷暑とのこと。

Everest 別名 Chomolungma
 山が好きな人は一般に川も好きです。山に降った雨が沢を作り、谷を作り、渓谷を作ります。やがて扇状地から里川となり、各地からの川が合流してどんどん川幅が広がり、やがて海に注ぎます。日本は海からマサカリの刃がニョッキリと出たような国土なので大河はできません。すぐ海になるからです。

■ 埼玉県朝霞市を流れる黒目川でアユの大量死
 朝日新聞によりますと、2014年8月26日午前4時ごろ、朝霞市内を流れる黒目川で、大量のアユが死んでいるのを散歩中の男子中学生が見つけ、埼玉西部漁協に連絡したそうです。朝霞市や埼玉県西部環境管理事務所によりますと、膝折3丁目から下流の浜崎3丁目にかけての約16百メートルの範囲で、体長5〜20センチほどの天然アユ約600匹のほかモクズガニやオイカワなど数十匹も死んでいるのが確認され、回収されたそうです。近くの水中で体長約50センチのコイなどは泳いでいたとのこと。原因は不明で、現状で水質に異常はみられないとのこと。黒目川では2010年にも、ニゴイ数十匹が死んでいるのが見つかっています。黒目川は東京都東久留米市と東村山市、小平市の境界に位置する小平霊園内の「さいかち窪」に源を発し、東久留米市、埼玉県新座市、朝霞市を流れ朝霞市大字根岸(外環道幸魂大橋の北、彩湖のあたり)で新河岸川へ合流する川です。「クルメ」・「クロメ」というのは、後世の人が当て字として久留米川・来目川などとしていたらしく、あるいは源流近くの駅名になっている久米川も同語源とされます。久しく米がたまる(留まる)という願いか?「土が黒めの肥沃な地」から黒目川という説があります。

■ アユの棲める川72% 目標の90%へ、埼玉県「さらに排水処理を」
 「黒目川に鮎なんているの?」と驚いた人もいるようですが、もう随分前からアユの棲める川になっているのは有名です。神田川だって、都電荒川線の早稲田大学の隣、オリジン電気の正門のところの「面影橋」の上からジッと見ていると、アユが泳いでいるのが見えますよ。
 アユが生息できる水質の埼玉県内河川の割合が、2013年度は前年度より6ポイント改善し、72%になったと埼玉県が発表しました。埼玉県5ヶ年計画(2012〜2016年度)では、アユが棲める河川を90%にするのが目標です。埼玉県水環境課は「生活排水を処理する下水道の整備などを一層進める必要がある」としています。県内の生活排水処理率は下水道や合併処理浄化槽の普及で年々上昇し、2003年度の80.1%から2012年度は88.7%(全国平均88.1%)になりました。下水道普及率は2003年度の71.0%から2012年度は77.9%まで上昇しています(全国平均76.3%)。

■ 川の国埼玉
 埼玉県と言えば荒川です。荒川は日本百名山甲武信岳(コブシガタケ)に源を発する川で、川幅も日本一です。鴻巣市と吉見町の境を流れる荒川の幅は何と2,500メートルもあります。もっとも常時、水が流れている部分の幅は100メートル程度です。県のほぼ全域を荒川水系が覆っており、河川の占有面積が日本一の県なので、「川の国埼玉」と名付けて、すべてのドブ川を清流に戻し、ふたをかけた水路を表に出し、田園都市の水辺空間再生を図っています。寄居町には埼玉県立川の博物館(埼玉県大里郡寄居町小園39)があります。館の目的は、「埼玉の母なる川=荒川を中心とする河川や水と人々のくらしとのかかわり」を様々な体験学習を通して、理解してもらおうとすることです。
 ただし「川の国」と言っても、はっきり書いておかなければならないことは、「川の近くには住まないほうが良い」ということです。地球温暖化による気候変動で確実に日本も熱帯化し、まるでスコールのような雨が各地で観測されだしました。今後、「記憶に無いような」大雨で、氾濫するケースが増えるのです。

■ 中央分水嶺の甲武信岳
 なお、甲武信岳についてはそのうち『山』というテーマで書こうと思っています。近くの名峰日本百名山金峰山、瑞牆山、両神山、雲取山、大菩薩嶺などには登りましたが、この山は途中で足がつって引き返したので登頂していません。甲斐駒ケ岳と並んで、途中引き返した2座のひとつで、その後甲斐駒ケ岳はリベンジで登頂したので、甲武信岳は再挑戦しなければなりません。この山は同じような高さの山が並んでいるので、独立峰のようにはっきりと認識できません。もともと拳の形をしているので、古くは拳ヶ岳という名前だったそうですが、甲州(山梨)、武州(埼玉)、信州(長野)の3県の境であることから語呂合わせで甲武信岳という名になりました。しかもこの山を水源とする川が、太平洋に注ぐ荒川、富士川、日本海に注ぐ日本一長い信濃川(千曲川)なのです。正に名山の名に恥じぬ山です。

■ 見沼通船堀で閘門開閉実演 先人の知恵に感嘆
 国の史跡に指定されている見沼通船堀(つうせんぼり)(さいたま市緑区)で2014年8月27日、水位を操作して船を通す閘門(こうもん)の開閉実演が行われ、集まった約2千人の見物客が先人の知恵に見入りました。見沼田んぼのホームページもご覧下さい。1728年(享保13年)に開削された見沼代用水は、灌漑用の溜池であった見沼溜井の代わりとして利根川から引かれた用水路で、幹線水路84`、関東平野最大の用水路です。利根川と荒川の中間あたりを流れているので、本来の水田の灌漑目的の他に、年貢米などを江戸に運ぶ水路としても有用でした。

■ 農業用水の見沼代用水は東縁と西縁に分岐
 北から流れて東北新幹線をくぐる辺りで綾瀬川に接近します。更に南下してJR東北本線の蓮田と東大宮の間辺りで綾瀬川をくぐります。古くは木の樋を綾瀬川の上に通していました。くぐった後で見沼代用水東縁(ひがしべり)と見沼代用水西縁(にしべり)に分かれます。見沼代用水東縁は東北本線をくぐり、綾瀬川と距離を置いて並行南下します。見沼代用水西縁は東北本線に沿って南西に土呂方面に流れ、芝川をくぐった後、南に向きを変え、芝川と一緒に東北本線をくぐって、さほど距離を置かずに芝川と並行して南下します。そしてJR武蔵野線をくぐったところに見沼通船堀があり、西縁は東浦和駅のすぐ隣です。

■ 芝川は水田の排水路
 芝川は水田の排水を集めて流れる川ですから、農業用水の見沼代用水よりも低いところを流れるわけです。
 見沼通船堀はパナマ運河より180余年も前の享保16年(1731年)に開通した閘門式運河(本流と用水の水位差がある場合に閘門を使って水位を調整しながら通船させるもの)で、この開通によって江戸との産業交流はおおいに発展しました。江戸との舟運のため見沼代用水路と芝川を結ぶ運河として開通しました。水路は芝川より約3メートル高いので、2つの閘門を開閉して水位を調節しながら通しました。通船堀は、八丁堤と呼ばれた場所(現在のさいたま市緑区)に設けられました。真ん中の芝川から東西の水路に対して、東縁通船堀と西縁通船堀が開削されました。2本とも構造的には差異はほとんどなく、東西とも2つの閘門(関)が設置されました。東縁から西縁までの堀の全長は、約700メートル程度です。閘門式運河では太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河が有名で、その歴史は古く、中国では14世紀頃の元朝時代に作られ、ヨーロッパでは15世紀頃から存在していました。見沼通船堀も技術的には、それらと比べても遜色の無いものでした。

■ 閘門開閉と角落板、一の関、二の関
 閘門のことを関とよび、芝川に近い関が一の関、代用水側に近い関が二の関です。江戸からの船が見沼通船堀を抜ける場合、江戸湾の潮位が満ちてくる時間に合せました。船は、岸から太い綱で引かれ、一の関へ引き入れられ、船を上流に向かわせるのは人力が使われました。

見沼代用水西縁(ベリ)と芝川と見沼代用水東縁(ベリ)


舟溜りから抜ける舟


3mの高低差を一の関と二の関の角落板を開閉して水を溜めたり流したりする


見沼通船堀舟唄
1)ハアー千住出てから 牧の野までは(コラショ)竿もろかいも 手につかぬ ※
  ※(キタサッサ コーラヤ)
2)ハアー八丁出るときゃ 涙も出たが(コラショ)どうぞご無事で 帰りゃんせ ※
3)ハアー舟が着いたよ 八丁の河岸に(コラショ)早く出て取れ おもて綱(ツナ) ※
4)ハアー千住通いを やめよとすれば(コラショ)おいでおいでの 文(フミ)がくる ※
5)ハアー千住橋戸は 錨(イカリ)か綱(ツナ)か(コラショ)上り下りの 舟止める ※

■ 通船には人力たくさん必要
 1隻につき20人程度の労力が必要でした。船が一の関に入ると、一の関の角落(かくおとし)板がはめ込まれて、関内に水をため水位を二の関が通過できるようになるまで上昇させます。やがて二の関の角落板が外されて、船を二の関の中に引き入れ、船が二の関に入ると、二の関の角落板が入れられて水位が上がり、見沼代用水へと船を引き入れました。代用水側から江戸へ向かう船は、逆に二の関、一の関の順に角落板を一枚ずつ外して水位を下げて芝川へ向いました。一の関と二の関の中間には舟溜りと呼ばれる場所があり、ここで上りと下りの船の行き違いや、関の開閉や水位の調整のための待機が行われました。1つの関で水をためるのに40分から50分程度かかり、1艘の船が通船堀を通過するのには、1時間半から2時間程度を要したといわれています。1995年以降、毎年8月下旬に行われる実演では、保存会による「見沼通船舟歌」が披露される中を、舟がゆっくりと通過。角落板を取付けると、徐々に水位が上がっていき、見物客らがその様子を見守って、船が無事通過すると歓声が上がりました。

■ 入間・黒須中相撲部 個人・団体 全国大会2冠  市長に喜びを報告
 2014年8月23、24日に徳島県で行われた全国中学校相撲選手権大会で、入間市立黒須中相撲部が、3人1組で争う団体戦で初優勝し、個人戦で3年の塚原隆明選手(14)が初優勝しました。部員たちは8月26日、入間市役所を訪問、田中龍夫市長に喜びを報告しました。
 団体戦には塚原選手のほか、3年の長谷川柊平(しゅうへい)選手(14)と2年の神山龍一選手(13)が出場し、決勝で新潟県代表を2−1で破りました。塚原選手は個人戦の決勝では熊本県の代表選手を豪快な浴びせ倒しで破り、頂点に立ちました。
 どうしてこのニュースを載せたかと言いますと、実は入間市立黒須中学校は、入間川がS字に蛇行する川べりにあります。そして、隣には筆者がよく行く「アクアリゾートいるまの湯」があり、その北に「笹井堰」があって、入間川の水を堰き止め、笹井ダムとも呼ばれていますが、実はここから取水して赤間川が始まっています。つまり、新河岸川の源流はココなのです。いきなりそんなこと言われても何のこっちゃ?と思われるでしょう。埼玉県のほぼ全域を荒川水系が覆っており、入間川も荒川の支流ですが、実は荒川と並行して、やがて隅田川に注ぎ東京湾へと繋がるのが新河岸川なのです。

■ 荒川水系の墨田川に注ぐ新河岸川
 新河岸川は、江戸時代、寛永15(1638)年、川越藩主松平信綱が、当時「外川」と呼ばれていた荒川に対し、「内川」と呼ばれた「本川」に、「九十九曲り」と言われる多数の屈曲を持たせることで、水が溜りながら流れることによって流量を安定化させる改修工事を実施し、江戸と川越を結ぶ舟運ルートとしたことに始まります。焼けた仙波東照宮の再建に、江戸から資材を運ぶことが目的でした。これ以降、本川沿岸には新たに河岸場が作られ、川の名も「新河岸川」と呼ばれるようになりました。それまでの本川は、伊佐沼から流れる九十川でした。舟運は特に江戸時代末期から明治時代初めにかけて隆盛しましたが、やがて東武東上線が出来て陸運に変わり、使われなくなったため、その後直線化の改修工事が行われて水は溜まらなくなり、今では舟運の川とは思えません。武蔵野台地北部に降った雨を集めた伏流水や入間川からの水田用水を水源とし、埼玉県川越市の上野田町の八幡橋を起点として、川越の市街地を回り込むように流れた(ここはかつての赤間川である)後で、川越市大字砂付近で不老川、川越市大字南田島付近で九十川、くだって砂川堀、柳瀬川、黒目川、白子川と、次々に流れ込む支流を合わせながら荒川の西岸沿いを流れて、東京都北区の岩淵水門先で隅田川に合流します。途中、びんぬま川との分流がありますが、これは新河岸川の水量が多くなった時に、びんぬま川に放流して荒川に流すためだそうです。上流から川越市、ふじみ野市、富士見市、志木市、朝霞市、和光市、板橋区、北区を流れます。

■ 新河岸川と川越・扇河岸
 新河岸川が出来たいきさつは上記のように松平信綱が江戸と川越を結ぶ舟運のために開いたわけですが、川越の仙波河岸が出来たのは明治に入ってからです。江戸時代は扇河岸が川越の舟運終点でした。ここはJR川越線と東武東上線がクロス立体交差する地点のすぐ南、国道16号線と254号線(上野から本郷〜池袋〜川越〜寄居〜群馬県富岡経由信州へつながる川越街道)が交差、不老川が新河岸川に注ぐところ、すなわち、道も川も鉄道もここでクロスしている要の地点なのです。一帯の地名は大仙波、南田島、岸町、砂と、皆「水」に関係します。特に岸町は扇河岸があるところなのでこの名前でしょう。国道16号線と254号線の交差点に向けて、川越街道は東京側から上り坂になっており、ここを「鵜頭坂」といいます。岸町は最近まで床上浸水するぐらい水害が多く、これは不老川の氾濫によるものでした。不老川は、「ふろうがわ」と呼ばれることが多いのですが、古くは「とししらずがわ」と呼ばれました。かつて日本一汚れた川という不名誉な称号が与えられ、以来流域各地に「不老川をきれいにする会」が出来て、今では見違えるような川になりました。また川越市南田島周辺は新河岸川と九十川に挟まれて、平成10年8月豪雨で一帯が水害となりました。結果、立派な排水機場が出来ました。伊佐沼は「水と緑の田園都市水辺再生事業」で大改修が行われました。いずれ詳細に触れて見ます。

■ 入間川の笹井堰が新河岸川の源流
 新河岸川については「つぶやき」489『金環日食』(2012年5月27日)で触れました。197『太公望』(2006年10月22日)でも紹介しています。188『大停電』(2006年8月20日)では旧江戸川からの遡行を紹介しました。新河岸川の源流は赤間川で、取水している笹井堰についてはコチラをご覧下さい。「新河岸川探訪」というホームページ、見事です。
笹井堰

■ 赤間川用水の水のきれいさに感動
 笹井堰から分流した用水は「アクアリゾートいるまの湯」の脇から黒須小学校前の道路と並行して流れますが、この流れのきれいなことに驚きます。農業用水で、排水の川でないからでしょうが、きれいな水が勢い良く流れて、水路の底には青々とした水草がビッシリ、水路の脇にはヒメイワダレソウの群落、そして水辺公園が続いています。この水辺は「水と緑の田園都市水辺再生事業」として「赤間用水地区」が選定され、平成20〜21年度事業として行われたようですが、看板には平成23年6月となっていました。お近くにお出かけの節は是非ご覧下さい。街中の川とは思えない美しさです。昔はコンクリートで護岸したもので、筆者の家の側の砂川堀もそうですが、コンクリートの水路をただ水が流れると、水が浄化されません。岸辺に草が生えるようにすると、草が水の中の富養分を吸い上げるので水がきれいになり、魚が来て、それを目当てに水鳥が集まってきます。先の黒目川も、武蔵浦和から戸田の笹目川も、水辺作りの結果、排水の川なのにきれいになってきたのです。

■ 代々木ゼミナールが校舎大幅削減
 3大予備校の一つ代々木ゼミナールが校舎の7割を閉鎖し、センターリサーチや多くの模擬試験を廃止するそうです。浪人生の減少が、代々木ゼミナールのみならず予備校業界全体の不振につながっているようです。1992年に40万人程度いた浪人生が、現在では5万人に減ってしまいました。お客様が8分の1に減ったら、事業は崩壊するのが普通です。少子化と大学の増加などが原因で、浪人する必要がなくなってしまったわけですね。また、親も昔より豊かで無いため、現役志向が高まりました。筆者の頃は大学生が稀少だったので、アルバイトも学生は優遇してくれました。社会から温かくサポートされたわけです。学生時代に貯めた金でケンとメリーのスカイライン2000GTを現金で買うなんて、今の大学生では到底無理でしょう。国立大学でも、貧しくて退学する学生が出ています。親がリストラされて学費や生活費が続かなくなったのでしょう。
 代々木ゼミナールは東進ハイスクールをはじめ、駿台予備校や河合塾といった大手予備校に較べ、名門であるが故に打ち手が遅くなったようです。

最初の車・・・ケンとメリーのSKYLINE2000GTと筆者、パーマ頭でした

■ MRJ…全日空に続き、日本航空も導入を決定
 三菱航空機の「三菱リージョナルジェット(MRJ)」は、試験用機体の組み立てが最終段階で、2015年4〜6月の初飛行に向け順調とのこと。今回、本命の一つだった日本航空から32機の受注が決まり、100人乗りクラスの航空機採算ラインとされる400機を超え、受注拡大に弾みがつきそうです。YS-11以来の国産旅客機、頑張れ!

■ デング熱、代々木公園で感染か
 男女3人がデング熱に感染した疑いがある都内の代々木公園では8月28日午後、蚊の駆除のため、半径75m程度の範囲で白い防護服を着た作業員による薬剤散布作業が行われました。先日のテレビで、大阪では今年蚊がいない、異常気象のせいか?とニュースでやっていましたが、筆者は毎日蚊に刺されています。朝顔のせいでしょうか、今年は例年に無く蚊が多いと感じます。

MRJ

■ たかの友梨のパワハラはヤバイ
 エステサロン大手「たかの友梨ビューティクリニック」の仙台市内の店に勤務していた宮城県の女性社員が、店を経営している「不二ビューティ」(本社・東京都渋谷区)が給料から違法な天引きをしているなどと労働基準監督署に内部通報したところ、店を訪れた高野友梨社長が全従業員を集めて食事会を開き、女性を名指しして「(労基法通りにやれば)潰れるよ、うち。潰してもいいの」などと述べ、長時間の詰問など精神的な圧迫を受けたとして、厚生労働省に公益通報者保護の申告をし、加入する「エステ・ユニオン」も宮城県労働委員会に不当労働行為の救済を申し立てたそうです。今の時代に、ちょっと時代錯誤ですね。ワンマン経営者だからこそ、自戒しなければなりません。

■ 訃報
 俳優で演出家の米倉斉加年(ヨネクラマサユキ)さんが2014年8月26日、腹部大動脈瘤破裂のため死去されました。享年80歳。今年1月公開の山田洋次監督『小さいおうち』(55『山田洋次ワールド』(2014年3月21日)参照)に出演、遺作となった映画『ふしぎな岬の物語』(吉永小百合さん主演・企画、10月11日公開)にも出演していました。舞台「放浪記」では、森光子さん演じる林芙美子の友人白坂五郎役でした。
 今年亡くなった名優は、森光子さんの舞台「放浪記」の菊田一夫役でも知られた斎藤晴彦さん(2014年6月27日心不全、73歳)、「竹山ひとり旅」で、津軽三味線の高橋竹山役で演技者として評価された林 隆三さん(2014年6月4日腎不全、70歳。遺作は現在放送中のNHK時代劇「吉原裏同心」)、名脇役として知られ、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」で、主人公アキの祖父・忠兵衛役で豪快な海の男を演じて話題を呼んだ蟹江敬三さん(2014年3月30日胃がん、69歳)やテレビドラマで正義感あふれる警備員や誠実な父親を演じた宇津井健さん(2014年3月14日慢性呼吸不全、82歳)

米倉斉加年さん

林 隆三さん

斎藤晴彦さん

蟹江敬三さん

宇津井健さん
(2014年8月31日)


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