334  古希
 前回第101回高校野球選手権・岩手県大会決勝戦、佐々木朗希擁する大船渡と花巻東の決勝戦を前に、岩手県でも鳴らした野球人であった連れ合いのお兄さんに「決勝戦は楽しみですね」とメールしたら、予想外の醒めた返事が返って来た・・・と書きました。そのお兄さんが急逝し、取るものもとりあえず盛岡に駆けつけました。

■ 古希は今や稀ならず
 人工透析しなければならなくなったとは言え、まさか亡くなるような状態なんて思ってもみなかったので、2019年7月31日23時過ぎ、もはや眠りについていた時にもたらされた訃報にはビックリ仰天、週末の予定をすべてキャンセル連絡し、とるものもとりあえず東北道に乗って車を走らせました。義兄ではありますが筆者より三ヶ月若く、古希でした。「古希」は、唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)にある「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」という一節に由来します。その意味は・・・酒代の付けは私が普通行く所にはどこにでもあるけれど、七十年生きる人は古くから稀である・・・ということです。すなわち「古希」とは長生き、長寿を指すものでした。しかし現在筆者の高校、大学の同期生で死去されたのは8〜9%、すなわち10人に9人は生きていますから、七十年以上生きるのが大半になっています。したがって義兄は早過ぎる死ということです。

■ 還暦は男の最後の厄年
 ちなみに60というのは大きな鍵で、長く60歳定年が言われてきたように、人生一区切りです。還暦だけは満年齢ですが、実は男の最後の厄年、数え61にも該当するのです。男の厄年は25、42、61です。25は戦って死ぬ、42は働き疲れて死ぬ、61は働き終えてやれやれと死ぬ・・・という確率が高かったのでは?女の厄年は19、33、37で、これは出産や子育てに関係すると思われます。 数え61での死亡は連れ合いのお母さんや、今年5月に亡くなった筆者の妹の義妹もそうでした。男だけでなく女もこの年齢は鬼門なのでしょう。

■ 通夜に浮かぶ思い出
 父母は既にこの世にあらずと言えど、兄弟が亡くなるというのはさすがにショックです。8月1日15時過ぎに盛岡に着いて、義兄宅から遺体が安置されているさがみ典礼の会館に向かいました。当夜は義兄の遺体とともに過ごしました。500km以上を休憩1回だけで突っ走ってきた疲れがあるはずなので、少し休まなければなりません。しかし、横になるといろいろな思い出が走馬燈のように浮かんで来るのです。
 冒頭書いた岩手県高校野球について「決勝戦は楽しみですね」とメールしたら、「どっちでもいいよ、それよりいつ帰って来る?」という予想外の醒めた返事が返って来た・・・というのも、今にして思えば、あれだけ熱狂的野球好きの義兄が、実はもはやそれどころではない状態だったのではないか?会いたいから早く帰省してよという意味だったのではないか?と思い浮かぶのです。

■ 火葬〜繋温泉清温荘
 8月2日の盛岡市斎場「やすらぎの丘」(炉10基)での火葬を終えて、その夜は盛岡のホテルではなく繋温泉に泊まることにしました。繋温泉については過去たびたび紹介しています。筆者が生まれた当時は同じ岩手県岩手郡御所村でしたが、昭和30(1955)年の町村合併の折に盛岡市に編入されました。170『つなぎ』(2016年6月12日)や206『金正男氏殺害』(2017年2月19日)で紹介した「ホテル大観」の隣の「清温荘」を予約しました。ゆかり(縁)の宿です。

茶色の大ホテルが繋温泉ホテル大観、その右の黄土色の建物が清温荘

■ 義父母、兄弟との想い出の宿
 今は亡き連れ合いのお父さん、お母さんのもとへ旅立ったお兄さんが、やあやあと今頃再会しているであろうと思うと、「清温荘」が浮かびました。地方職員共済組合の宿です。公務員を退職したお父さんの還暦祝いだったと記憶していますが、お父さん、お母さん、子供三人とその連れ合い、孫たちも含めた大勢で宿泊して大賑わいだったことを覚えています。我が息子がやんちゃ盛りでした。
 繋温泉清温荘は、「ホテル大観」同様、窓から見える御所湖、その向こうの七ツ森、そして岩手山から奥羽山脈の絶景が展望される宿です。七ツ森には我が実家がかつて有って、今も墓があり、宮澤賢治が愛した風景として文科省から指定されています。
 清温荘の温泉は肌に優しい柔らかな湯です。

繋温泉清温荘露天風呂

繋温泉清温荘内風呂
清温荘の露天風呂の塀の上から覗くと下記のような広大なパノラマが展開されます(注:この画像は清温荘のホームページから転載しました)

繋温泉清温荘から見える景色・・・御所湖、つなぎ大橋、七ツ森、遠くに薄く奥羽山脈から岩手山 橋の向こうのこんもり丸い森の麓が我が実家でした(生家は湖底です)

■ 御所湖広域公園わんぱく広場で
 清温荘をチェックアウトした後、雫石町営七ツ森墓地公園に墓参することにしました。御所湖にかかる繋大橋を渡れば直ぐですが、折角ですから御所湖畔をぐるっと回ることにしました。御所湖広域公園わんぱく広場の駐車場に車を停め、湖畔の遊歩道を歩きました。

中央手前二人乗りカヌー 左彼方が筆者生家跡地 奥羽山脈秋田駒ケ岳が見える

左奥にポッコリ七ツ森 広大な御所湖はカヌーやウィンドサーフィンのメッカ
遊歩道から見える御所湖が上の写真です。カヌー体験大人¥250、安過ぎませんか?カヌーが何艘も湖面に浮かんでいましたが、中には5人ぐらいで漕いでいる長いものも...多分学生のクラブかな?手前の岸に近いところを西に向かうカヌーは女性がグイグイと力強く漕いで、男は黙って座っています。遠くに元御所橋と安庭橋が見えます。安庭橋の西端北側欄干から下を見下ろすと我が生家跡地です。橋のたもとに雫石町歴史民俗資料館がありますが、この茅葺屋根の南部曲り家は、幼馴染の川崎徳栄の家を移築したものです。

■ 『慰霊の森』は工事通行止め
 わんぱく広場の隣には、盛岡市つなぎ多目的運動場があり、このときはたくさん車が停まっていて、カラフルなユニフォームを着た人たちが幾チームかでフットサルを楽しんでいました。
 わんぱく広場を出てすぐ盛岡市から雫石町に入ります。左←慰霊の森という標識がありました。1971年夏に起きた全日空機と自衛隊機の衝突事故現場・・・今は『慰霊の森』になっているところに寄ろうとしましたが、柵で通行止めになっています。あれから48年経つので、施設が老朽化し、建替え工事中とのことです。この現場で、多くの乗客が空の藻屑と消え、自衛隊機の練習生は緊急脱出ボタンを押してパラシュート降下して助かった事件、当時大学4年生の筆者は、衝突現場直下の雫石川で魚を突いていて、目撃者となり日本テレビ系の民放ニュースでインタビューされ、全国にその映像が流れました。真っ黒に日焼けした顔から白い目だけが輝き、麦藁帽子にアロハシャツ、短パン、ぞうり、手にはヤス(銛のことです)の姿で、遺体収容場所となった安庭小学校の校庭でのインタビューでした。帰宅してテレビで何度も流れる我が映像を見ると、こんな格好で名前まで出て、シマッタかなぁと悔やみました。親戚から、「何だ、あの格好は?まるで土人じゃないか」とその夜、非難の電話が殺到しました。しかししょうがありません。インタビューを受諾し、「家に帰って着替えてくる」と申し出たら、女性のアナウンサーが、「迫真的な姿でいかにも目撃者にふさわしいからそのままで」、と着替えを禁じたのです。遺体や機体の破片が散乱した急峻な崖は、つなぎ温泉のある箱ヶ森からやや鶯宿温泉寄り、すなわち奥羽山脈・秋田駒ヶ岳(そのチョット前に噴火しました)寄りの森の中で、今は『慰霊の森』になっており、我がおじさんも地主のひとりだったので寄付したそうです。ここは以前は御所村、その前は繋村でしたが、その後繋地区の盛岡転入に伴って盛岡市と雫石町の境となったところ、ホンの少しの差(1km以内)で、「盛岡事故」ではなく「雫石事故」となったのです。「雫石町 慰霊の森」とGoogleMapで検索すれば、地図が見えます。岩手県岩手郡雫石町西安庭第47地割です。ちなみにこの衝突事故は全日空機が自衛隊の戦闘機に追突したもので、通常速くて旋回半径も小さくて機敏であるべき戦闘機が追突されるなんて考えられませんが、なにしろ練習生ですからこんなことになったものです。事故の性格上、詳細は伏せられましたが、実は乗客が窓から撮影していた画像から、全日空機は自衛隊の訓練空域を飛んでいて、本来の飛行コースより高い、飛んではいけないところを飛行していたことが分かったのです。

■ 矢櫃地区水辺園地に立ち寄り
 『慰霊の森』入り口を出て西へ向かうとすぐ十字路があり、「お山の畑」という山小屋風レストランがあります。ここを左折して矢櫃(やびつ)方面に向かいました。矢櫃川沿いに県道162号紫波雫石線と県道281号矢巾西安庭線が走ります。281号は南昌山トンネル経由矢巾町広宮沢に出て、東北自動車道盛岡南ICと矢巾PAスマートICの中間辺りに出ます。雫石町の人々にとっては、南に向かう近道の山越えで、この道路が出来てとっても便利になりました。ただし162号は名前からして紫波町に出るように聞こえますが、途中で矢巾町方面へ分岐する小道はありますが、本道を真っ直ぐ行くとやがて道は断たれ、獣道になります。恐らく将来東根山にトンネルを掘って紫波町に通じる道を造ろうという構想だったのでしょう。
 矢櫃というのは御所地区きっての山深い土地で、落人の里と言われていたぐらいのところですから、想像しただけでお分かりになるでしょう。一人で入り込んだら遭難するかも?という土地柄です。十字路からチョット進むと、「矢櫃地区水辺園地」という立派な標識と駐車場、看板、トイレ、手洗い所がありました。蛇行する矢櫃川の清流と石の川原、絶好の水辺の遊び場です。「こんなところに誰が来るのだろう?」と首をひねりました。埼玉県ふじみ野市にコレがあれば、人で溢れるでしょうが、雫石町はどこもかしこもこんなところばかりです。でも岩手県が整備するぐらいですから、やはりチョット違うところがあるのでしょう。

■ 御所湖広域公園町場園地に立ち寄り
 これ以上矢櫃地区に深入りしても、森林しかないことを知っていますから、「矢櫃地区水辺園地」でUターンして再び「お山の畑」の十字路に出ました。右は繋温泉、左は鶯宿温泉なので、本来は左折ですが、見ると「御所湖広域公園町場地区園地」という案内板が見えます。折角だから寄って行くことにしました。左右に農家があり、真っ直ぐ進むと門があって、日中のみ開門しているようです。入門すると、女の人が花壇の草取りをしていました。

誰も居ない管理棟(センターハウス)と、その右の展望棟

展望棟に登り、北東方向を望めば、広大な園地の中に東屋、その向こうに御所湖

展望棟から南方向、園地の入り口の門方向を俯瞰する 中央道路 左右に駐車場

広大な園地に比べれば駐車場はホンの一部ですが、西側駐車場だけでこの広さ
 「御所湖広域公園町場地区園地」の広さには開いた口が塞がりませんでした。「ムダに広いな...」と思いました。そもそも岩手県立御所湖広域公園には14ヶ所の公園や園地、植物園、運動場などがあります。その中のひとつである「町場地区園地」だけでこの広大さですから、恐れ入るどころの騒ぎではありません。11haですよ。2013年にオープンした「町場地区園地」には、お花畑がひろがり、子供たちは、雲の上にいるようなトランポリン「ふわふわドーム」や大型遊具が楽しめて、バーベキューが楽しめる炊事棟もあります。管理棟(センターハウス)には体験学習室及び休憩室があり、入園もすべての施設利用も無料です。上記写真は8月3日(土)です。土曜日に、この物凄く広い駐車場に車が3台、我が車のほかは恐らく草取りの女の人と、お花畑の手入れをしている男の人の車でしょう。つまり、この広大な園地に、土曜日の昼に、職員が2人、客は1組だけだということです。もしこの園地が東京や我がふじみ野市にあれば...と考えてしまいました。

■ 町場〜安庭〜籬野〜御明神〜雫石園地〜しずくCAN
 「町場地区園地」を出て、坂を上って下り、トロッとしたお湯で有名な「御所湖温泉花の湯」のところで右折、御所大橋を渡り、雫石町を回り、我が同級生たちが多く住む西安庭15地割に出て、安庭橋の手前、雫石町歴史民俗資料館のところを左折、真っ直ぐ進むと「加藤ますみ事務所→」という看板がありました。同級生の町議会議員の自宅です。庭に大きな池がある邸宅です。さらに進むと「籬野公民館」がありました。この辺りは西安庭16地割です。さらに進んで右折して雫石川にかかる雫石大橋を渡ろうとしたら、「どろリンピック会場はコチラ」と左折の矢印看板があります。折角だからとソチラに進むと、クネクネ細い道を進み、下り坂を下ったところでなにやら水田に水を張って若者がゾロゾロ居ます。御明神中黒沢という地区です。町内4地区の町民有志が取り組む地域づくり会議の御明神地域づくり会議自然・環境学習チームが企画した催しだそうで、農業集落排水施設御明神処理場隣の炎天下の水田で、全身泥まみれの熱戦を繰り広げるというもの、いやはやご苦労様です。巻き込まれてはマズイと直ぐに引き返しました。
 戻って雫石大橋を渡り、JR雫石駅南の雫石川北岸に広がる「雫石園地」を見に行きました。雫石町観光大使の名刺に出ている写真の地で、桜の時期には見事な花見の名所だそうです。戻って雫石駅前を通り、雫石町のメイン通りを走ります。明日、8月4日(日)は「軽トラ市」という看板がありました。今では全国各所で行われている「軽トラ市」ですが、発祥の地は岩手県岩手郡雫石町なのです。通りの中央にあるカフェ「しずくCAN」で、我が家の隣の家に土産として雫石そばとそうめんを買いました。

■ 墓参
 花を買い、雫石町営七ツ森墓地公園に行き、我が家の墓参りをしました。草取りや掃除をしなければいけないだろうと覚悟していましたので、バケツや雑巾、ほうき、ちり取り、軍手を持参しました。もちろん。線香、ろうそく、ライター持参ですが、自宅から持参したわけではなく、義弟に頼んで貰ったものです。
 ここで思わぬことに、ろうそく立てが金網の窓付き回転式で、中にろうそくを立てて着火してから回転して風除けできるタイプなのですが、ろうそくを立てようと回転したら、中から蜂がブ〜ンとたくさん出てきたのです。中に巣を作っていたのです。今年はよくよく蜂巣と縁があるなと思いつつ、早速駆除に取り掛かりました。こちらはさして危険な蜂ではないだろうと踏んだのです。巣をパチパチと焼きました。墓で、血も涙も無い焼き巣・・・なむあみだぶつ。それでも蜂はなかなか諦めません。燃える巣に果敢に突入を試みますが、アッチッチ、入れません。
 草は墓地管理者が抜いてくれたらしく、あまりありません。墓を掃き清め、水をかけて墓石を拭いて、花立てを洗い、花を生けて、線香を供えて拝みました。予想外の蜂の巣で手間取ってしまいました。

2008年当時の墓参り

■ 孔子の言葉
 孔子が自身の生涯について『論語』の中で人が年齢とともに成長するということについて語った言葉・・・
 子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。
これを日本語的に書きますと、子曰はく、「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ(したがふ)。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰えず(こえず)」と。
 15歳は「志学(しがく)」…学問で身を立てる決心する
 30歳は「而立(じりつ)」…独立した自説を持つ
 40歳は「不惑(ふわく)」…迷わずに自由に物事を見る
 50歳は「知命(ちめい)」…自分の使命・役割を悟る
 60歳は「耳順(じじゅん)」…何を聞いても素直に受け入れる
 70歳は「従心(じゅうしん)」…思うままに行動しても道理は外れない
人生にはいくつかの転機があります。孔子によれば、40歳ともなれば不惑越え、もう何も迷うことはありません。 ちなみに筆者は古希にして従心ですから、心の思うままに行動しても道理は外れない域に達しました。

■ 外食店の栄枯盛衰
 294『外食業界』(2018年10月31日)で、ふじみ野市苗間の川越街道にから揚げの「からやま」がオープンしました、と書きました。311『外食店』(2019年2月24日)では、大戸屋や無添くら寿司の不振、炭火焼肉「京雅(みやび)」の閉店、その向かいに「ステーキの宮」ができたと思ったら、その斜め向かいにすし銚子丸に代ってブロンコビリーが出来て、その隣にはリンガーハットに代って東京トンテキ「ステーキの王様」が出来て、そのうち行ってみようと思っていたら、2018年末であっと言う間に閉店してしまったことを書きました。そしたら今度は東京トンテキ「ステーキの王様」の建物を改修して、東京都内の肉好きに愛されるステーキ&ハンバーグ専門店「モンスターグリル」が待望の埼玉初出店!です。
 なお、「から好し」(スカイラークグループ)ふじみ野店が9月10日(火)亀久保交差点にオープンするということで、工事中です。「から好し」は、明らかに「かつや」グループの「からやま」を意識した店舗です。メニューも価格もソックリです。「はま寿司」近くにオープンした「かつ庵」(ゼンショーグループ)が、明らかに「かつや」を意識した店舗であるのと同様で、ここまで露骨に二番煎じで良いのかな?と思ってしまいます。

■ トランプ相場
 世界の株式市場、為替市場はトランプ米大統領のツイートに振り回されていると過去度々書いてきましたが、またまたそれが起きています。米国株式市場は900ドルを越す暴落、リスク回避の円買いでドル円は106円まで急激な円高ドル安に、当然ながら日経平均株価も急落というパターンです。きっかけは中国への関税かけるというトランプ米大統領のツイートですが、中国が反撃に出てそれなら元安に、米国農産物も買わないということになったもので、こんなことになりました。トランプ米大統領にとって円高ドル安は良いことですが、ドル高元安は悪いことです。中国への輸出にはブレーキがかかり、輸入品に関税をかけても、輸入品の価格自体が下がるため相殺されるからです。関税に対して為替で報復されることにトランプ米大統領は怒り心頭です。しかし米中貿易戦争のとばっちりを日本が受けるのはたまったものではありません。日本の輸出産業の株価は下がり、足許の鉱工業生産も減少、企業収益も減益傾向です。物価は上昇傾向で消費は振るわず、このままで消費税アップに突入しますから、今後の日本経済を考えるとお先は暗い、真っ暗とは言いませんが、来年の東京オリンピックが終わった後に一気に・・・

■ 渋野日向子42年ぶり日本人メジャー制覇!
 岡山県出身の渋野日向子20歳が、「AIG全英女子オープン」に初出場で優勝するという快挙、岡山県は当然ながら、日本中が大フィーバーとなりました。日本勢としては1977年「全米女子プロ選手権」の樋口久子以来となる42年ぶり2人目のメジャー制覇ですから当然です。まだ駆け出しの選手だけにみんなビックリというのが真相でしょう。2018年のプロテストに合格し、2019年の国内メジャー「ワールドレディスサロンパスカップ」でツアー初優勝、20歳178日での優勝は2015年チョン・インジ(韓国)の20歳273日を更新する大会史上最年少Vでした。これだけでもビックリなのに、同年に新設された「資生堂アネッサレディス」で初代女王に輝き、2勝目。そして海外メジャー「AIG全英女子オープン」に初出場するや、1、2日目で注目を浴び、3日目でトップに立つと、初出場の大舞台で、海外メディアが「スマイルシンデレラ」と名付けるほど笑顔でのプレーが目立ち、いいプレーをするとギャラリーとニコニコハイタッチして、すっかりメディアを虜にしました。そして最終日、ダブルボギーで首位陥落しても全くめげずにニコニコハイタッチ、ここぞと言うときにドライバーで1オンを狙う強心臓、見事成功してバーディー、しかも最終18ホール、狙うバーディパットを沈めれば優勝ですが、距離的には難しい、しかし思い切って強く打ってカップイン、スゴイ!シンデレラとしか言いようが無い見事なゴルフでした。
 渋野日向子は、今大会でショットの合間などにキャディバッグから駄菓子を取り出してモグモグとパクついて、何食べてるんだろうと注目を集めました。渋野日向子の言うところでは、食べていたのは、『タラタラしてんじゃねーよ』、『カットよっちゃん』(通称:よっちゃんイカ)といった魚肉ねり製品加工品や、梅しば、都こんぶ、味のり、なんとも渋いじゃありませんか!『タラタラしてんじゃねーよ』は早くも店頭から姿を消し、メーカーは生産態勢見直しにおおわらわでしょう。
(2019年8月5日)


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