前回第101回高校野球選手権・岩手県大会決勝戦、佐々木朗希擁する大船渡と花巻東の決勝戦を前に、岩手県でも鳴らした野球人であった連れ合いのお兄さんに「決勝戦は楽しみですね」とメールしたら、予想外の醒めた返事が返って来た・・・と書きました。そのお兄さんが急逝し、取るものもとりあえず盛岡に駆けつけました。 ■ 古希は今や稀ならず 人工透析しなければならなくなったとは言え、まさか亡くなるような状態なんて思ってもみなかったので、2019年7月31日23時過ぎ、もはや眠りについていた時にもたらされた訃報にはビックリ仰天、週末の予定をすべてキャンセル連絡し、とるものもとりあえず東北道に乗って車を走らせました。義兄ではありますが筆者より三ヶ月若く、古希でした。「古希」は、唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)にある「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」という一節に由来します。その意味は・・・酒代の付けは私が普通行く所にはどこにでもあるけれど、七十年生きる人は古くから稀である・・・ということです。すなわち「古希」とは長生き、長寿を指すものでした。しかし現在筆者の高校、大学の同期生で死去されたのは8〜9%、すなわち10人に9人は生きていますから、七十年以上生きるのが大半になっています。したがって義兄は早過ぎる死ということです。 ■ 還暦は男の最後の厄年 ちなみに60というのは大きな鍵で、長く60歳定年が言われてきたように、人生一区切りです。還暦だけは満年齢ですが、実は男の最後の厄年、数え61にも該当するのです。男の厄年は25、42、61です。25は戦って死ぬ、42は働き疲れて死ぬ、61は働き終えてやれやれと死ぬ・・・という確率が高かったのでは?女の厄年は19、33、37で、これは出産や子育てに関係すると思われます。 数え61での死亡は連れ合いのお母さんや、今年5月に亡くなった筆者の妹の義妹もそうでした。男だけでなく女もこの年齢は鬼門なのでしょう。 ■ 通夜に浮かぶ思い出 父母は既にこの世にあらずと言えど、兄弟が亡くなるというのはさすがにショックです。8月1日15時過ぎに盛岡に着いて、義兄宅から遺体が安置されているさがみ典礼の会館に向かいました。当夜は義兄の遺体とともに過ごしました。500km以上を休憩1回だけで突っ走ってきた疲れがあるはずなので、少し休まなければなりません。しかし、横になるといろいろな思い出が走馬燈のように浮かんで来るのです。
■ 義父母、兄弟との想い出の宿
■ 御所湖広域公園わんぱく広場で 清温荘をチェックアウトした後、雫石町営七ツ森墓地公園に墓参することにしました。御所湖にかかる繋大橋を渡れば直ぐですが、折角ですから御所湖畔をぐるっと回ることにしました。御所湖広域公園わんぱく広場の駐車場に車を停め、湖畔の遊歩道を歩きました。
■ 『慰霊の森』は工事通行止め わんぱく広場の隣には、盛岡市つなぎ多目的運動場があり、このときはたくさん車が停まっていて、カラフルなユニフォームを着た人たちが幾チームかでフットサルを楽しんでいました。 わんぱく広場を出てすぐ盛岡市から雫石町に入ります。左←慰霊の森という標識がありました。1971年夏に起きた全日空機と自衛隊機の衝突事故現場・・・今は『慰霊の森』になっているところに寄ろうとしましたが、柵で通行止めになっています。あれから48年経つので、施設が老朽化し、建替え工事中とのことです。この現場で、多くの乗客が空の藻屑と消え、自衛隊機の練習生は緊急脱出ボタンを押してパラシュート降下して助かった事件、当時大学4年生の筆者は、衝突現場直下の雫石川で魚を突いていて、目撃者となり日本テレビ系の民放ニュースでインタビューされ、全国にその映像が流れました。真っ黒に日焼けした顔から白い目だけが輝き、麦藁帽子にアロハシャツ、短パン、ぞうり、手にはヤス(銛のことです)の姿で、遺体収容場所となった安庭小学校の校庭でのインタビューでした。帰宅してテレビで何度も流れる我が映像を見ると、こんな格好で名前まで出て、シマッタかなぁと悔やみました。親戚から、「何だ、あの格好は?まるで土人じゃないか」とその夜、非難の電話が殺到しました。しかししょうがありません。インタビューを受諾し、「家に帰って着替えてくる」と申し出たら、女性のアナウンサーが、「迫真的な姿でいかにも目撃者にふさわしいからそのままで」、と着替えを禁じたのです。遺体や機体の破片が散乱した急峻な崖は、つなぎ温泉のある箱ヶ森からやや鶯宿温泉寄り、すなわち奥羽山脈・秋田駒ヶ岳(そのチョット前に噴火しました)寄りの森の中で、今は『慰霊の森』になっており、我がおじさんも地主のひとりだったので寄付したそうです。ここは以前は御所村、その前は繋村でしたが、その後繋地区の盛岡転入に伴って盛岡市と雫石町の境となったところ、ホンの少しの差(1km以内)で、「盛岡事故」ではなく「雫石事故」となったのです。「雫石町 慰霊の森」とGoogleMapで検索すれば、地図が見えます。岩手県岩手郡雫石町西安庭第47地割です。ちなみにこの衝突事故は全日空機が自衛隊の戦闘機に追突したもので、通常速くて旋回半径も小さくて機敏であるべき戦闘機が追突されるなんて考えられませんが、なにしろ練習生ですからこんなことになったものです。事故の性格上、詳細は伏せられましたが、実は乗客が窓から撮影していた画像から、全日空機は自衛隊の訓練空域を飛んでいて、本来の飛行コースより高い、飛んではいけないところを飛行していたことが分かったのです。 ■ 矢櫃地区水辺園地に立ち寄り 『慰霊の森』入り口を出て西へ向かうとすぐ十字路があり、「お山の畑」という山小屋風レストランがあります。ここを左折して矢櫃(やびつ)方面に向かいました。矢櫃川沿いに県道162号紫波雫石線と県道281号矢巾西安庭線が走ります。281号は南昌山トンネル経由矢巾町広宮沢に出て、東北自動車道盛岡南ICと矢巾PAスマートICの中間辺りに出ます。雫石町の人々にとっては、南に向かう近道の山越えで、この道路が出来てとっても便利になりました。ただし162号は名前からして紫波町に出るように聞こえますが、途中で矢巾町方面へ分岐する小道はありますが、本道を真っ直ぐ行くとやがて道は断たれ、獣道になります。恐らく将来東根山にトンネルを掘って紫波町に通じる道を造ろうという構想だったのでしょう。 矢櫃というのは御所地区きっての山深い土地で、落人の里と言われていたぐらいのところですから、想像しただけでお分かりになるでしょう。一人で入り込んだら遭難するかも?という土地柄です。十字路からチョット進むと、「矢櫃地区水辺園地」という立派な標識と駐車場、看板、トイレ、手洗い所がありました。蛇行する矢櫃川の清流と石の川原、絶好の水辺の遊び場です。「こんなところに誰が来るのだろう?」と首をひねりました。埼玉県ふじみ野市にコレがあれば、人で溢れるでしょうが、雫石町はどこもかしこもこんなところばかりです。でも岩手県が整備するぐらいですから、やはりチョット違うところがあるのでしょう。 ■ 御所湖広域公園町場園地に立ち寄り これ以上矢櫃地区に深入りしても、森林しかないことを知っていますから、「矢櫃地区水辺園地」でUターンして再び「お山の畑」の十字路に出ました。右は繋温泉、左は鶯宿温泉なので、本来は左折ですが、見ると「御所湖広域公園町場地区園地」という案内板が見えます。折角だから寄って行くことにしました。左右に農家があり、真っ直ぐ進むと門があって、日中のみ開門しているようです。入門すると、女の人が花壇の草取りをしていました。
■ 町場〜安庭〜籬野〜御明神〜雫石園地〜しずくCAN 「町場地区園地」を出て、坂を上って下り、トロッとしたお湯で有名な「御所湖温泉花の湯」のところで右折、御所大橋を渡り、雫石町を回り、我が同級生たちが多く住む西安庭15地割に出て、安庭橋の手前、雫石町歴史民俗資料館のところを左折、真っ直ぐ進むと「加藤ますみ事務所→」という看板がありました。同級生の町議会議員の自宅です。庭に大きな池がある邸宅です。さらに進むと「籬野公民館」がありました。この辺りは西安庭16地割です。さらに進んで右折して雫石川にかかる雫石大橋を渡ろうとしたら、「どろリンピック会場はコチラ」と左折の矢印看板があります。折角だからとソチラに進むと、クネクネ細い道を進み、下り坂を下ったところでなにやら水田に水を張って若者がゾロゾロ居ます。御明神中黒沢という地区です。町内4地区の町民有志が取り組む地域づくり会議の御明神地域づくり会議自然・環境学習チームが企画した催しだそうで、農業集落排水施設御明神処理場隣の炎天下の水田で、全身泥まみれの熱戦を繰り広げるというもの、いやはやご苦労様です。巻き込まれてはマズイと直ぐに引き返しました。 戻って雫石大橋を渡り、JR雫石駅南の雫石川北岸に広がる「雫石園地」を見に行きました。雫石町観光大使の名刺に出ている写真の地で、桜の時期には見事な花見の名所だそうです。戻って雫石駅前を通り、雫石町のメイン通りを走ります。明日、8月4日(日)は「軽トラ市」という看板がありました。今では全国各所で行われている「軽トラ市」ですが、発祥の地は岩手県岩手郡雫石町なのです。通りの中央にあるカフェ「しずくCAN」で、我が家の隣の家に土産として雫石そばとそうめんを買いました。 ■ 墓参
■ 孔子の言葉 孔子が自身の生涯について『論語』の中で人が年齢とともに成長するということについて語った言葉・・・ 子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。 これを日本語的に書きますと、子曰はく、「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ(したがふ)。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰えず(こえず)」と。 15歳は「志学(しがく)」…学問で身を立てる決心する 30歳は「而立(じりつ)」…独立した自説を持つ 40歳は「不惑(ふわく)」…迷わずに自由に物事を見る 50歳は「知命(ちめい)」…自分の使命・役割を悟る 60歳は「耳順(じじゅん)」…何を聞いても素直に受け入れる 70歳は「従心(じゅうしん)」…思うままに行動しても道理は外れない 人生にはいくつかの転機があります。孔子によれば、40歳ともなれば不惑越え、もう何も迷うことはありません。 ちなみに筆者は古希にして従心ですから、心の思うままに行動しても道理は外れない域に達しました。 ■ 外食店の栄枯盛衰 294『外食業界』(2018年10月31日)で、ふじみ野市苗間の川越街道にから揚げの「からやま」がオープンしました、と書きました。311『外食店』(2019年2月24日)では、大戸屋や無添くら寿司の不振、炭火焼肉「京雅(みやび)」の閉店、その向かいに「ステーキの宮」ができたと思ったら、その斜め向かいにすし銚子丸に代ってブロンコビリーが出来て、その隣にはリンガーハットに代って東京トンテキ「ステーキの王様」が出来て、そのうち行ってみようと思っていたら、2018年末であっと言う間に閉店してしまったことを書きました。そしたら今度は東京トンテキ「ステーキの王様」の建物を改修して、東京都内の肉好きに愛されるステーキ&ハンバーグ専門店「モンスターグリル」が待望の埼玉初出店!です。 ■ トランプ相場 世界の株式市場、為替市場はトランプ米大統領のツイートに振り回されていると過去度々書いてきましたが、またまたそれが起きています。米国株式市場は900ドルを越す暴落、リスク回避の円買いでドル円は106円まで急激な円高ドル安に、当然ながら日経平均株価も急落というパターンです。きっかけは中国への関税かけるというトランプ米大統領のツイートですが、中国が反撃に出てそれなら元安に、米国農産物も買わないということになったもので、こんなことになりました。トランプ米大統領にとって円高ドル安は良いことですが、ドル高元安は悪いことです。中国への輸出にはブレーキがかかり、輸入品に関税をかけても、輸入品の価格自体が下がるため相殺されるからです。関税に対して為替で報復されることにトランプ米大統領は怒り心頭です。しかし米中貿易戦争のとばっちりを日本が受けるのはたまったものではありません。日本の輸出産業の株価は下がり、足許の鉱工業生産も減少、企業収益も減益傾向です。物価は上昇傾向で消費は振るわず、このままで消費税アップに突入しますから、今後の日本経済を考えるとお先は暗い、真っ暗とは言いませんが、来年の東京オリンピックが終わった後に一気に・・・ ■ 渋野日向子42年ぶり日本人メジャー制覇!
(2019年8月5日) |