187 麺目躍如
いもむしがうわ〜〜〜っと葉っぱに着いていて、おはしでつまんでは踏み潰し、またつまむんだけど、緑色やら焦げ茶色やらいっぱい、むにゅむにゅ、うわ〜〜〜っと・・・・ここで目が覚めました。夢か....我が家の庭の緑が芋虫に食われ、花もミョウガも食われます。にわとりを飼いたい。庭には二羽だね。天高く馬肥ゆる秋のはずなのですが、いつもの青空がなかなか見えません。どんよりした梅雨空のような日が続きます。馬肥ゆるとは、実りの秋で食べ物が沢山有ることから来た言葉でしょう。我が腹は肥ゆる秋です ところが10月4日は晴れて真夏日、5日は冷えて、6日はまた暑い、7日は爽やかな秋、8日曇一時強い雨、9日雨のち曇のち晴れ、台風18号が去り秋から一気に冬になりそうな変な天気・・・・本日は盛岡と塩釜から墓参りご一行様が来るので車で清瀬にご案内、その後会食、夜は浦和の高層ホテル、ロイヤルパインズに泊まるそうな...来週はまた産業人会の旅行で盛岡近辺グルグル、その翌週はパーティラッシュ.... ■ 自衛隊〜めんくい〜支那そば〜テーマは何じゃ? 今回のテーマは自衛隊ですが、それだけでは堅いので、めんくいである筆者のうんちくを加えます。支離滅裂?いいじゃないですか、今回はラーメンとうどんです。パスタは語り難いけれど、蕎麦やそーめん、冷や麦、冷麺、じゃじゃ麺、チャンポン、ほうとう、焼きそば、ウ〜ンラーメンと言うより中華そば、支那そばの響きが良いなぁ〜。ところで、筆者のPCの日本語変換はMS-IMEですが、「しな」と入れても「支那」と一発変換できません。何故でしょう?「支那」という言い方は戦前の日本で差別的な使い方をされていた時代がありました。語源はChinaです。戦後(中国側からの要望もあり)外務省から「支那の呼称を避けることに関する件」等の文書が発布され、「支那」という言葉が表だっては使われなくなりました。したがってATOKもMS-IMEも、差別用語として変換候補に意識的に入れていないようです。おっと、脱線しました、いったい何がテーマだ?ええい、面倒くさい、めんどうだ、麺道?筆者の麺目躍如です、ン? ■ ラニーニャ現象が発生 9月9日、気象庁は、「ラニーニャ現象が発生しているとみられる」、「今後冬にかけて続く可能性が高い」との監視速報を発表しました。ラニーニャ現象とは、太平洋赤道域の日付変更線付近から南米沿岸にかけて海面水温が平年より低くなり、その状態が1年程度続く現象です。前回のラニーニャ現象は、2010年の春にエルニーニョ現象(ラニーニャ現象とは逆に、同地域の海面水温が平年より高くなる)が終息した後、夏に発生し同年6〜8月の記録的な猛暑をもたらしました。今年は4月の監視速報で「夏の間に発生する可能性」が発表されていたことから、ラニーニャ現象による今夏の猛暑の可能性が話題となっていましたが、発生確認の発表が9月にずれたため、今後のラニーニャ現象の影響としては、残暑と厳冬が指摘されています。これによって食糧や家畜への影響などを警戒して行く必要があります。 ■ 北朝鮮ミサイルの第一標的は? 我が住む地は時々空に爆音が聞こえます。自衛隊入間基地、米軍横田基地などが近いので、戦闘機や輸送機などが低空で飛ぶからです。航空自衛隊入間基地(埼玉県狭山市)で毎年11月3日、文化の日に開催されるイベント;入間航空祭では、ブルーインパルスのアクロバット飛行、各種航空機の地上展示と飛行展示、歩哨犬の訓練展示、主要装備品の展示、陸上自衛隊空挺隊員による落下傘降下、ミス航空祭パレードなど様々なイベントが行なわれます。しかしこの日は埼玉県西部地区の少年野球大会なので行きたくても行けません。しかし、頭の上をブルーインパルスが5機で編隊飛行してくれるので空を見上げます。 我が家から歩いても行けるところに自衛隊大井通信所があり、米軍の所沢通信基地もすぐ近くです。したがって、自然災害は少ないものの、北朝鮮のミサイルの照準は我が住む地域に当てられているといわれています。まずこの地を破壊すれば、一時的に米軍と自衛隊の通信と航空管制能力を削ぐことが出来るからです。コワイ話ですが、最近の北朝鮮の動きを見ていると笑って済ませられる話ではありません。特に先般のミサイル3発同時発射、同じ標的への正確な到達を見ると、現在のミサイル防衛システムでは対処しきれないことが大きな脅威として顕在化しました。 ■ 自衛官の息子たちの少年野球
■ 陸上自衛隊朝霞駐屯地 陸上自衛隊朝霞駐屯地の前は車やオートバイで良く通ります。川越街道に面していますから、この沿道の人たちにはなじみの場所です。ここは朝霞駐屯地と言いながら東京都練馬区大泉学園町にあるということになっています。朝霞市と和光市、新座市、そして東京都練馬区大泉学園町にまたがっていて、本部のある場所がギリギリ練馬区ですが、多くが朝霞市なのでこの名前なのです。昔は川越街道膝折宿でした。日本橋を発して平尾追分で中山道と川越街道が分岐します。ここから上板橋宿⇒下練馬宿⇒白子宿⇒膝折宿という4番目の宿場であり、続いて⇒大和田宿⇒大井宿⇒川越城となるわけです。川越はもともと徳川の直轄の地です。江戸からおよそ11里の川越は、周辺から集めた農産物を新河岸川の舟運(シュウウン)で江戸に運び、帰り舟で雑貨・小間物とともに江戸文化を持ち帰ったことから、早くから小江戸と呼ばれ、「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」とうたわれていました。 膝折宿が何故朝霞になったかについては128『キツネのカミソリ』(2015年8月22日)をご覧ください。陸上自衛隊朝霞駐屯地には、東部方面総監部、東部方面通信群、第1施設大隊、女性自衛官教育隊、東部方面後方支援隊、東部方面衛生隊、東部方面会計隊、対特殊武器衛生隊、中央音楽隊、輸送学校、東部方面音楽隊、研究本部、体育学校、東部方面情報処理隊、現地情報隊、東部方面警務隊、第2高射特科群(一部)があります。リオデジャネイロオリンピックで、ここの体育学校の選手たちが活躍しましたね。そしてここには正門からすぐ右手に「陸上自衛隊広報センター」があります。 ■ 麺屋樹真の端麗しおそば
■ 陸上自衛隊広報センターと振武臺記念館 陸上自衛隊朝霞駐屯地の中にある陸上自衛隊広報センターは無料で誰でも見学できます。休みを確認してお出かけください。行ったときは中高年のおばさんと老人たちが多かったですね。戦車、装甲車、りゅう弾砲、実物の大きさにビックリ。これは自衛隊とは戦えないなと思いました これまでの陸上自衛隊の歴史や、PKO派遣、災害救助などの展示があります。特に災害が起きた時の自衛隊の活躍は、年々目覚ましくなっていることが展示内容から実感されます。それだけ災害が多くなっているんだなと思いました。2011年の東日本大震災で、岩手県宮古市のいとこ3人が家を流されました。宮古市の体育館にいとこを慰問したとき、自衛隊の皆さんが屋外に大きなお風呂を設置してくれていました。本当に有り難いと手を合わせ、頭を下げました。自衛隊が戦うことなく、こうした国民の救助・支援に活躍している世の中をいつまでも続けなければならないと思います。 ちょうど振武臺記念館(しんぶだいきねんかん)が解放されてますのでどうぞと女性自衛官に案内されたので見学しました。かつて、ここ朝霞の地に昭和16年10月から終戦まで、旧陸軍予科士官学校が所在していたそうです。終戦後には米軍施設となり、昭和35年に自衛隊が駐屯して朝霞駐屯地になった経緯などが展示されていました。振武臺記念館はそもそも皇族の子息が旧陸軍予科士官学校に学んだときの宿舎でした。これにまつわる数々の展示品やゆかりのある旧軍関係の資料などが展示され、朝霞駐屯地や郷土の歴史を紹介していました。 ■ 朝霞市指定史跡「広沢の池」に遭遇
■ 讃岐うどん條辺 東武東上線で帰って来た上福岡駅前には「讃岐うどん條辺(ジョウベ)」があります。店主の條辺 剛さんは元読売巨人の選手だったので、店内には長嶋茂雄さん書の「條辺」の額がいくつか掛けられています。のれんの字も長嶋さんが左手で書いたものです。 この店のうどんは美味いと評判で、こしが強くて噛み応えがあるのは、條辺 剛さんが筋肉隆々の手でグイグイと打っているためでしょう。実際うどんを打つときは、ドンドンという振動が伝わってきます。目の前で打っていますから、手打ち間違いなし
■ セカンドキャリア成功の陰に ここに至るまでの苦労話は度々テレビで放映されました。これも格好の宣伝になったでしょう。24歳の若さで巨人軍から戦力外通告を受けてプロ野球選手を引退した條辺さん、今年も10月1日からプロ野球では第1次戦力外通告が行われています。これまでもトライアウトを受けて採用され、見事に復活した選手もいますが、大部分の選手はユニフォームを脱ぎます。條辺さんも第二の人生を模索して、郷里徳島県阿南市の先輩水野雄仁さんの口利きで2006年、宮崎県の製麺所に勤務したそうです。
■ 埼玉もうどんに関しては一言アリ 今になって考えると、「中西うどん」店主は素晴らしいですね。條辺さん成功の結果を導き出した恩人とも言えるでしょう。ちなみに中西うどんのかけうどんは1玉\280、2玉\340、3玉\390です。安いですね。実は四国と埼玉ではうどんに対する文化が違うのです。讃岐では朝からうどんを食べて出勤します。だから「中西うどん」は朝6時にはもう開いています。うどんはパンやご飯と並ぶもの、いやそれ以上かもしれません。しかし埼玉もうどんに関しては一言言いたいという土地柄です。農家のうどんは、讃岐とはまたちがってやや色が黒っぽいですが、コシが強くて美味しいうどん、昔からおもてなしの食材でした。これは「武蔵野うどん」と呼ばれ、128『キツネのカミソリ』(2015年8月22日)で紹介した新座のうどんもこれです。うどんと聞けば、讃岐うどんで有名な香川県を思い浮かべる人が多いでしょうが、埼玉県も負けていません。生産量では、香川県に次いで全国2位なのです。またうどん、そばの店の数も全国2位です。小説『鬼平犯科帳』に出てくるメニューを再現した羽生市の一本うどん、川幅日本一の町として知られる鴻巣にちなんで、幅の広い麺が特徴の川幅うどん、笑ってはイケマセン、大真面目なんです。有名なのは花咲徳栄高校のある加須市の五家宝と並ぶ郷土料理「加須の手打ちうどん」、これは白いうどんです。埼玉県には各地に名物うどんがたくさんあります。 北部から群馬県にかけての「おっきりこみ」も有名です。158『小栗上野介』(2016年3月19日)で、浅間隠山(あさまかくしやま)山麓の倉渕川浦温泉「はまゆう山荘」の「小栗公御膳」を頂いたとき、これが群馬県の伝統食である「おっきりこみ」と、横須賀市以外で唯一提供している名物の「海軍カレー」がハーフサイズでセットになったもので、美味しく頂きました。 ■ 物価の指標は駅前ラーメン 條辺さんの夢は、巨人の本拠地東京ドームの近く、水道橋に店を出すことだそうです。今はまだ子供が小さいので、まだ後になりますが、高橋由伸・巨人監督は現役時代に世話になった大先輩で、戦力外になった直後、携帯の留守電にメッセージを残してくれた数少ない先輩の一人、球界を去る際にも気にかけてもらったからこそ、今度はこちらが応援する番だ、そうです。 「讃岐うどん條辺」と「中西うどん」でどうしてうどんの価格がこんなに違うのかについて筆者の説を展開しましょう。どちらもうどんが好きな土地柄ですが、讃岐におけるうどんは主食です。だから高価ではかないません。一方埼玉ではうどんはおもてなし食材です。だから高くても良いのです。そうは言っても埼玉でもうどんはそんなに高い食べ物ではありません。蕎麦やラーメンのほうが余程高いです。ラーメンはスープ作りの材料や手間、具材からして高いのは仕方ありません。また四国は日本の中で最も物価が安い地域です。物価の基準として筆者が指標としているのは、駅前のラーメンの値段です。日本全国駅前に降り立ったらまずラーメンの値段を見る、筆者が見たところ、最も安かったのは徳島駅前の中華そばでした。 ■ めんくいの聖地 意外に思われるかもしれませんが、田舎に行けば食堂の食べ物が安いかと言えばそんなことはありません。2週前岩手県雫石町の盛岡セイコー前のドライブインろばたの昼食で連れ合いが食べた寿司は1,450円でした。娘の肉のどんぶりも1,200円以上でした。筆者はそばとミニカツ丼セット、これはリーズナブルでした。我が家の周りは飲食店銀座であり、高い店、安い店色とりどりで、むしろファミレスからチェーン店まで安く食べられる店が多い都会のほうが食の選択が自由で安いと言えます。めんくいとしては山形県が穴場です。そばからラーメンまで、とにかく山形県民はめんくいです。そして美味い。もう一つは盛岡市です。蕎麦(わんこそば含む)、ラーメン、冷麺、じゃじゃ麺、南部はっと鍋(ひっつみとかすいとんとも言う)など、とにかくめんくいの聖地です。詳しくはコチラをご覧ください。 ■ ふじみ野でお奨めのラーメン店は? 我が娘はラーメンオタクです。おいしいラーメンと聞くと遠方でも出かけます。筆者はめんくいですが、そこまでしてラーメン道を追求しようなんて考えていません、今はだけど....。もちろんかつては大勝軒の東池袋の店には並んだし、恵比寿やら、荻窪やら、食べ歩きましたよ!
■ ふじみ野の他のラーメン店は? 豚骨ラーメン神豚(ゴットン:鶴ヶ岡4丁目)3.00/82.15、麺玉(メンタマ、大井中央1丁目)3.00/79.01、横浜家系ラーメン松田家(上福岡1丁目)3.03/78.11、麺屋板橋(上福岡1丁目)3.00/74.31、らーめん五葉(ゴヨウふじみ野1丁目)3.07/74.12です。娘は上記の「そら」までは評価しましたが、「神豚」以下は論外だそうです。もちろんふじみ野市にはまだまだラーメン店はいっぱいありますよ。 我が家は川越街道を川越方面に向かい、豚骨ラーメン一指禅(いっしぜん)の手前を左折した目の前です。この店の人気はものすごく、いつも店の前でお客さんが行列、夜中でさえそうですよ。他のふじみ野市の人気ラーメン店と比較しても一番ではないでしょうか。では一指禅(鶴ヶ岡3丁目)の評価点は?3.35/68.04、一指禅から焼肉安楽亭をはさんで隣の三ツ矢堂製麺(鶴ヶ岡3丁目)は3.00/65.09、低いですね。三ツ矢堂製麺は一番安いラーメンが\810、高いので、そんなお金を払うくらいなら隣の大戸屋(創業家と経営陣が対立して揉めてます)に行ったほうが良いと思って行っていません。一指禅に対する娘の評価は「行列してまで食べる意味不明」とのこと。じゃあ行ってみようか?ということで、めんくいの評価は?娘と同じです。ただし一指禅らーめん(あっさり塩豚骨)\670はリーズナブル、これが人気の理由ではないでしょうか。チェーン店では幸楽苑(亀久保2丁目)3.00/52.57の最安値ラーメンが\390、日高屋(上福岡1丁目)3.00/47.33も\390、風風ラーメン(旭1丁目)3.00/43.62のとんこつラーメンが\600、餃子の王将(うれし野1丁目)3.00/41.95が\480です。 ■ 不思議なラーメン店 不思議な店は川越街道の旧道との分かれ道にある岡ちゃん(富士見市勝瀬)、ほとんど屋台みたいな店です。ふじみ野市に富士見市がくさび状に食い込んでいる場所なので住所は富士見市勝瀬ですが、大井小学校のすぐ近くです。ここには、旧大井村役場の建物があります。岡ちゃんの評価は3.14/59.67です。酔っぱらって何度も行きました。正気の時に一度行ったら、スープがしつこくて参りました。酔ってるときはそれでよいのでしょう。一番安いメニューは\650です。娘の評価はまあまあです。 ■ もっと不思議な店 もっと不思議な店は丸鶴(川越市藤間878)です。評点は3.00/58.00です。カウンター8席の小さな店です。ふじみ野市と川越市の境界は崖線(ガイセン)となっていて、武蔵野台地のふじみ野市は丘であり、武蔵野台地を新河岸川方向に流れた水が侵食して低くなったほうが川越市です。境界が崖で、崖の上にも下にも、崖に沿って道路があります。崖の上の道路が境界なので、斜面は川越市藤間です。下の低地は川越市清水町です。崖から水が湧くのです。この斜面の一番上のあたりに「本格的ラーメン¥200」という看板を掲げた店があります。筆者は1972年に現ふじみ野市に有った事業所(今は無し→移転)に就職して、住まいを探し、上福岡駅から徒歩6〜7分の川越市藤間856に引っ越してきました。丸鶴の看板はいつも見ていました。昔はもっと安くて¥150じゃなかったかなぁ?前を通るたび、看板が気になっていましたが、あまりにも安いので怖くて入れませんでした。その後川越市霞ヶ関〜大井町武蔵野〜ふじみ野市桜が丘と引っ越して疎遠になっていましたが、このたび川越市藤間に隣接するふじみ野市鶴ヶ岡に引っ越したのを機に、勇気を出して暖簾をくぐってみました。 ■ 本格的ラーメン¥200 火曜日のお昼時、店の扉は開いていて、店主がカウンターの隅に座って新聞を読んでいます。入ったら客が居ません。12時回っていますからフツウかきいれどきです。いや〜な予感がしました。でも入った以上注文しなくては...でも「ラーメン」という言葉は出ません。おじいさんとおばあさんが二人で調理分担しているみたいです。昭和のにおいがする店です。 壁に張られているメニューを見ると、一応中華屋さんのメニューは一通りあります。定食やセット、牛すじカレーなどいろいろあります。ラーメン\200、大盛り\300です。ウソじゃありません。「おすすめメニュー」は担々麺\600、牛肉大根定食\850、Aセットチャーハン・ラーメン\650(30円お得)、Bセットカレー・ラーメン\650(50円お得)、Cセットラーメン・ライス・餃子\550(80円お得)です。ちなみに、生姜焼き定食800円、野菜炒め定食550円などがあります。定食系は安いけれどビックリするほどでもありません。Cセットを注文してみました。ラーメン\200、ライス\150、餃子\280で合計\630のところ\550ですから80円お得なわけです。それにお新香も付いていますから更にお得です。きゅうりと人参とかぶのぬか漬けです。
■ 45年通い続けたサッポロラーメン 上福岡駅前のココネ1階にあって今年閉店したサッポロラーメンは45年通った店でした。ここの評価が高くないのが不思議でしたが、筆者にとっては味噌ラーメン\680の麺の堅さ、ゴマ入りスープの味、美味しい味噌、もやしのしゃきしゃき感、たっぷり入ったコーン、チャーシュー、メンマ、すべてが好きだったけれど、何より若干自分より年上と思われる大将の丁寧な仕事振り、おそらくかなり短気でキツイ性格と思われますが、このヒトが大好きでした。飲食業界はヤクザとの絡みが問題ですが、ヤクザにも引かないくらいの迫力がありました。口数少ない職人肌の人でしたが、近年はめっきり老けてしまってヨタヨタして見るも哀れでした。それでも味は変わりません、「頼む、頑張ってくれ」と心の中で念じながら味噌ラーメンをすすりました。結局人間の舌というのは、ラーメンの味だけでなく、作るヒトの人間性も感じているのです。筆者が45年通い続けたサッポロラーメンの味は、他の人の評価はどうであれ、自分には最高でした。もう一度、食べたいなぁ....これについては157『恐竜絶滅』(2016年3月13日)の最後に書きました。1月に「食べたことない」というラーメンオタクの娘を連れて行ったとき、見る影もなく年取った大将がヨタヨタしながら作る姿に「すごく丁寧な仕事振り」と感心していました。評価は言わなかったので、娘的にはあまり高くなかったのでしょうが、その後「臨時休業」の札がかかって、毎週前を通って見てもシャッターが下りて「臨時休業」のままです。すると3月初め、「1月25日で閉店しました」と長年のご愛顧感謝の張り紙が・・・、ガーンとショックを受けました。娘を連れて行ったときが大将とのお別れだったんですね。 (2016年10月9日) |