158  小栗上野介

 2016年3月17日が彼岸入り、23日が彼岸明けで、中日の20日が春分の日です。暑さ寒さも彼岸までと言われるとおり、3月20日以降は本格的に春が始まり、桜が咲き出して、春本番、春爛漫となるでしょう。新たな少年野球シーズンも開幕です。

■ 浅間隠山(あさまかくしやま)山麓の倉渕川浦温泉へ
 倉渕川浦温泉という、皆様聞いたことが無いと思われる温泉に行ってきました。この温泉は標高8百m以上の高地にある「はまゆう山荘」の中にあります。すなわち自然湧出温泉ではなく、掘り当てたものです。浅間山と榛名山の中間にあるとがった形の浅間隠山(あさまかくしやま)の山麓にあります。温泉オタクの筆者が最もよく出掛けるのが群馬県の草津、四万、伊香保ですが、これらの地に行くときの要が中之条町や東吾妻町で、こちら側から見ると、浅間山を隠すようにあるのでその名前が付きました。信州の名峰浅間山は、今の時期群馬県側から見ると黒い峰々の上にポッカリと白く頭を出していて、美しいなぁ〜と見とれてしまいますが、浅間隠山が邪魔になって見えない、という地域があるのです。浅間山を隠せるということは高い山だということですが、実はこの山は日本二百名山に数えられ、頂上からの眺望は絶景と言われています。まだ登ったことがないのでそのうち行きましょう。

■ はまゆう山荘とは
 はまゆう山荘は、高崎方面から烏川(からすがわ)を上流側へ辿り、国道17号〜18号〜406号(草津街道)と進み、高崎市倉渕町権田から左折して県道54号線を北軽井沢方面に進み、山道にしては良い道をグイグイ上っていると、突然現れる山荘で、烏川源流域の森の中に佇む重厚な建築デザインの建物です。1988年に第29回建築業協会賞を受賞しており、北欧のシャトーやスペインのパラドールを思わせる建物です(パラドールとは、スペイン全土90ヶ所に点在する古城や宮殿など、歴史的・芸術的価値の高い建築物を改装した国営の宿泊施設のことを言います)。右写真をご覧下さい。正面入り口から、ずっと上のレストラン入口まで、長い階段を一望するこの景観は、群馬の山の中の施設とは思えません。当施設は横須賀市によって、市制施行80周年記念事業の一つとして建設され、1987年3月に竣工しました。もう29年経っていますから、さすがに古さは隠せません。山の中の建物に、浜木綿(はまゆう)という海辺の植物の名前が付いている理由は、横須賀市民休養村として設立された山荘だからです。旧倉渕村と横須賀市が1981年に友好都市提携を結んだ理由は、幕末の偉才・小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)つながりです。


建築業協会賞を頂いたと言うだけあって豪華な建物の「はまゆう山荘」(筆者撮影)


フロントから手前の階段を上った右側がロビー、その先の長い階段の上が2F食堂(筆者撮影)


建物は三角形で、キャンプファイヤーのできる中庭を長い廊下が五角形に囲む(筆者撮影)

■ 「美肌の湯」と呼ばれる温泉
 倉渕村は高崎市等と2006年1月23日をもって合併し、自治体として消滅することになったため、横須賀市と倉渕村との友好都市関係はなくなりました。しかし、歴史的な関係と今までの友好関係を尊重し、倉渕地域との交流は継続することとなりました。
 はまゆう山荘は2005年10月より 横須賀市より倉渕村へ無償移譲されました。そして現在は高崎市倉渕町川浦という地名になったのですが、高崎市民や横須賀市民、浦安市民は優待割引を受けられるようです。
 当初のはまゆう山荘は沸かし湯でしたが、高崎市の管轄になってから温泉を掘り当てました。敷地内の源泉から汲み上げられるお湯の泉質は、ナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩温泉、低張性中性高温泉です。硫酸塩は硬くなった肌を柔らかくする働きを持っており、さらには不要な角質除去、ツルツル肌を作る効果、毛穴の汚れ落とし、メラニンを分解する働きなども持っていることが泉質によって認められています。そのため、はまゆう山荘の温泉は「美肌の湯」と呼ばれています。泉温(源泉)は45℃、pH6.5、黄金色の天然温泉(加水・加温 循環ろ過)です。大きなガラス窓から山の木立が眺められ、静かに湯浴みするには、とてもよい雰囲気です。
 大浴場の外は斜面、杉林が広がっています 湯温はちょうど良くて、残雪を眺めながらの長風呂は最高でしたが、見上げる杉の木には茶色い花が咲いて花粉飛散真っ最中肌がツルツルになる「美肌の湯」と言うフレコミですが、そんなにつるつるにはなりませんナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩温泉ですからちょっと塩味で、黄金色というか淡い茶褐色透明で、足の裏や手に錆のような色が付く、多分かなり鉄分を含んでいる?

■ 「小栗公御膳」を頂きました
 群馬県の伝統食である「おっきりこみ」と、横須賀市以外で唯一提供している名物の「海軍カレー」がハーフサイズでセットになったその名も「小栗公御膳」を頂きました。
 おっきりこみとは?・・・幅広の生麺を旬の野菜やきのこなどと一緒に煮込んだ料理で、塩を入れずに打った生麺を煮込むため、打ち粉が溶け出してとろみが出ます。はまゆう山荘では地元・倉渕の味付けに合わせてしょうゆと味噌の両方を使用しているそうです。
 はまゆう山荘でなぜ海軍カレー?・・・当施設は横須賀市の休養村として開設され、合併により、横須賀市から倉渕村(現・高崎市倉渕町)に譲り渡されました。また、幕末の偉人・小栗上野介終焉の地が現在の倉渕町であることなど横須賀市と歴史的に縁のある施設であることから、群馬県で唯一、横須賀市の事業者部会に加盟して「海軍カレー」を提供しているのだそうです。

小栗公御膳を頂きました 群馬名物おっきりこみと横須賀海軍カレーのセット(筆者撮影)

■ 小栗上野介とは?
 小栗上野介は小栗忠順(おぐり ただまさ)という人で、江戸時代末期の幕臣であり、三河小栗氏第12代当主です。神田駿河台生まれで、家康以来の旗本の家に生まれました。日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米し、日本人で初めて地球を一周して帰国した後は、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行など多くの奉行を務め、江戸幕府の財政再建や、フランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所(後の造船所、海軍工廠)の建設などを行いました。
 徳川慶喜の恭順に反対し、薩長への主戦論を唱えましたが容れられず、慶応4年(1868年)に罷免されて領地である上野国群馬郡権田村(現在の群馬県高崎市倉渕町権田)に隠遁しましたが、2ヶ月後に、薩長軍から追討令が出され、武装解除に応じ、自身の養子をその証人として差し出したのに逮捕され、翌日、家来3人と共に烏川の河原で斬首されました。養子又一も翌日同行の家来と共に高崎城内で斬首されました。
 何の詮議も行われることなく、斬首されたのは何故でしょう?薩長の浪士たちを京都で斬りまくり、その憎しみを受けた新撰組局長の近藤勇ですら捕縛された後、取り調べや尋問を受けたあと斬首されているくらいですから、小栗の斬首は奇異といわざるを得ません。恐らく明治新政府は小栗忠順の力を恐れ、問答無用で抹殺したかったのではないでしょうか。大隈重信は後に「小栗は謀殺される運命にあった。何故なら明治政府の近代化は、そっくり小栗のそれを模倣したものだから」と語っています。近代日本の建設に大きな役割を果たした小栗忠順の功績を認めたくなかったこと、また小栗忠順は官軍との徹底抗戦を主張していましたが、勝海舟は幕府を平和のうちに滅亡させて徳川家を存続させたいと奔走していました。また薩摩藩邸焼き討ち事件などで小栗を恨む勤皇の志士たちは、小栗の処刑を願っていたと思われます。

「道の駅くらぶち小栗の里」では3/18〜3/30小栗上野介展開催中(筆者撮影)


東善寺境内の小栗椿(筆者撮影) 本墓はここから3分登った山の上にあり
 東善寺境内の小栗上野介父子と家臣らの墓、本墓は右階段を3分登った山の上にあり明治初年に権田の村人が建立しました 大きな小栗椿は、江戸の小栗上野介邸からの引越荷物の中にあった「鉢植えの椿」、百数十年を経て、寒い土地なので幹は太くならず毎年春になると、黒味を帯びた八重の花がびっしりと咲く「崑崙黒」という黒椿の名花です

■ 小栗上野介罪なくして斬らる
 もし徳川慶喜が勝海舟の主張ではなく小栗忠順の主張を容れていたとすれば、歴史は変わっていたと今日では言われています。「勝てば官軍、負ければ賊軍」なのです。無血開城も無く、戊辰戦争も無かったと言われ、大政奉還はされていたとしても、薩長がその後のように明治新政府を運営することはなかったでしょう。また勝海舟ではなく小栗忠順が歴史上の重要人物になっていたはずです。それほどまでに小栗忠順は優秀で、近代的な技術を習得していました。小栗忠順を生かしておくことは、明治新政府には恐ろしくて、一刻も早く抹殺したかったわけです。そして、小栗忠順のことは多くの人に知られることはありませんでした。
 主君に意見が容れられず、すべての官職が解かれた小栗忠順は、その領地が権田だったので、ここで余生を過ごそうと神田駿河台から倉渕村権田に家来たちと移り住もうとやってきたのです。にもかかわらず、たった2ヶ月で非業の生涯を閉じることになりました。彼の墓所は権田の東善寺にあり、斬首された川のほとりには「偉人小栗上野介罪なくして此処に斬らる」と刻まれた碑が建てられていました。斬ったのは官軍、いわば天皇陛下の軍隊ですが、それが無罪なのに斬られたというのは穏やかではありません。倉渕の人たちはそれほどまでに領主を愛し、斬ったのは官軍ではなく西軍だと、幕府方を慕う側を賊軍ではなく東軍だと位置付けたかったのでしょう。
 戦後、明治政府中心の歴史観が薄まると小栗の評価は見直され、司馬遼太郎は小栗を「明治の父」と記しました。東郷平八郎は、「日露戦争に勝利できたのは小栗忠順公のおかげ」と感謝して、遺族に書を贈っています。小栗上野介忠順については「WEB歴史街道」の中で「小栗上野介、罪なくして斬らる」として詳しく紹介されています。今、倉渕の人たちは小栗上野介忠順を郷土の誇りと位置付けて、それこそ町ぐるみで、おらが殿様を顕彰する取り組みをしています。今回東善寺の墓所や「道の駅くらぶち小栗の里」の小栗上野介展を見たり、烏川畔の斬首顕彰碑を巡って感じたのは、150年も前の人たちが、自分たちの領主を敬い、家族の逃亡を助け、最後は三井財閥や大隈重信までもが遺族を匿ったこと、どうしてそんなにまでして太い絆で結ばれていたのか?遠い江戸のお殿様ですから、今と違って顔も知らなければ人柄も知らなかったはず、人間と言うのは不思議なものですが、「情報化」するほど人の絆は細くなって行くのではないでしょうか?

■ 大好きな「道の駅ららん藤岡」にも寄りました
 群馬県の道の駅の中でも楽しい場所は「ららん藤岡」です。「道の駅ららん藤岡」は関東好きな道の駅ランキングで、2009年から2014年まで六年連続1位に選定されました。高崎市倉渕から烏川沿いを南下し、上信越道藤岡インターチェンジから高速に乗る前に、「ららん藤岡」に立ち寄りました。
 ハイウェイオアシス「ららん藤岡」(道の駅ららん藤岡)は、「食べる」、「買う」、「観る」、「遊ぶ」ことができ、年間を通して様々なイベント・催事が行われております。観覧車やメリーゴーランド、コイン遊具があるミニ遊園地もあります。ららん藤岡の中心にあるふれあい広場は、ステージ、催事スペースでは、様々なイベントや催事が開催され、どなたでも楽しむ事が出来ます。また、噴水、小川があり初夏〜初秋にかけて水遊びが出来ます。一面に敷き詰められた芝生の修景広場は、景色を楽しみながら散策すれば、気分もリフレッシュ。春には桜、夏の終わりにはどんぐりが拾えます。
 花の交流館で、「第9回ぐんまの洋蘭展」が2016年3月18日(金)から3月27日(日)まで開催されています。ららん藤岡ぐんまの洋蘭展は、藤岡市の特産であるシンビジウムを中心とした洋ランの発展を図るため2008年より開催されてきました。生産者や愛好家が丹精込めて栽培したランや洋ランに関する絵画・押し花、いけばなを展示、会期中イベントとしては、斉藤正博講演会、フラワーアレンジメント教室、ランの栽培講習会、ランの即売会などが行われます。また屋外イベントしては、美濃焼陶器市、ダンス、演奏会、ライブ、歌謡コンサートなどが行われます。

道の駅ららん藤岡で「第9回ぐんまの洋蘭展」が3/18〜3/27開催(筆者撮影)

■ 消費増税先延ばしに布石、財政破綻へまっしぐら
 安倍晋三首相が著名な米国の経済学者を呼んで勉強会を開いています。前にも書きましたが、あれほどきっぱりと消費税増税を2017年4月に実施すると明言してきたにもかかわらず、これをやめようとするための布石です。もともと首相の経済ブレーンの浜田宏一内閣官房参与(エール大名誉教授)は消費増税先延ばし論者、同じく本田悦朗スイス大使兼内閣官房参与は消費増税凍結論者です。前回同じことをやって、約束を破るのだから国民に真を問わなければと解散して、衆参同時選挙を実施して大勝しました。「すみません。景気回復が遅いので、増税は先送りします。重要な政策変更ですから民意を問います」というやり方が2回も連続で成功するならば、そもそも改革なんてできないでしょう。そして財政破綻への引き金を引いたと後世語られることになるはずです。しかも今回は野党「民進党」への国民の期待が低いことを察知して、一気に憲法にまで手を付けると明言しています。政権と民意の間に乖離が無いように見え、マスメディアも骨抜きになっている現状を見ますと、財政改革と安保、どちらもとんでもない方向に進む予感がします。米国の大統領選挙も大変なことになっているし、デモ頻発のブラジルや自爆テロ頻発のトルコも大変です。皆オリンピック絡みの国ばかりです。結局これによって利益を得るのは中国でしょう。米国の大統領が誰になっても、日本よりは中国を大事にすると思われるからです。

■ 安保より、少子高齢化が問題です
 年が明けてから株価が低迷し、円高が進み、物価は上がらない、アベノミクスは失敗か?と言う話が飛び交っています。米国は追加利上げを先送りし、日銀黒田総裁はマイナス金利を更に拡大する可能性を示唆して、銀行をはじめとする金融機関は浮き足立っています。経済界もどうやら潮目が変わったと見て、賃上げや投資を引き締める動きになり、暗雲が漂ってきました。第三の矢と言われる成長戦略がうまく進みません。このままアベノミクスが失速しても安倍晋三首相の責任は問われないでしょう。問われる頃には任期満了です。
 しかしどうみても円は過大評価されていると思います。少子高齢化が進む国の通貨が何故高いのでしょう?それは戦争しない、テロが無い安心安全な国だからです。安心安全は戦う姿勢からは生まれません。したがって今の日本における最大の問題は安保などではなく、少子高齢化です。小栗上野介が今の世にいたらどうしたでしょうか?享年42歳、昔の人は寿命が短かったことも有り、若くして沢山の功績を成し遂げました。政界でも経済界でも、若い人がバリバリ力を発揮して、年寄りは出しゃばらないようにして行くべきだと思います。
(2016年3月19日)


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