67  裁判所と政権

 痛風はなかなか簡単には治らないもの、それというのも、断酒して思い切り簡素な食生活にできないためでしょう。分かってはいますが、そんな禁欲的な生活をしたら、何のために生きているのかわからないじゃありませんか。思い切り好きなことをしてそれで辛いことがあってもプラスマイナスで考えれば良いのです。耐えてつまらない生活をして、何のための人生か!血圧は薬を飲んでも下がらないし、右手打撲はなかなか完治しません。しかしまあ、身体は動くから、再び楽しく生きて世の中のために貢献する、そのためにはまず体調を戻そうと考えています。

■ 演歌はいい!
 真夏かよ!?と思うほどのすごい暑さから、一転入梅したら今度はスゴイ雨、土日大雨警報が発令され、少年野球の大会も順延、いまシーズン前半の最も大会が輻輳する時期、強いチームはどちらの大会を取るかの選択を迫られる場面も出てきます。棄権するのは、大会主催者に申し訳なくていやなものです。大雨が終わったら、再び、真夏かよ!?というほどのすごい暑さ、何よ、なんなのよ、これ?と思うような今日この頃。
 6月6日(金)夜、右のコンサートに夫婦で行きました。入り口でシャンゴーの鷹こと高橋孝志さんと握手して、かぶりつきの席へ、山田大輔さんにとってもらったおかげで目の前で歌手の皆様の歌を存分に楽しみました。

■ 新沼謙治と中村雅俊
 新沼謙治は真面目な性格で、且つシャイなところがあります。元が左官職人なので壁塗りが得意です。バドミントンが得意で、その縁で結婚した姉さん女房の博江さんを亡くしてから早2年9ヶ月です。鳩が好きで、鳩レースでは有名だったそうです。朴訥としたキャラクタと訛りが受けて、ドリフターズ始め、バラエティ番組でも人気がありました。特技のギターの弾き語りや、宮城県の津波被災地女川で、「中村謙治です」と言って中村雅俊の唄を歌ったことを披露してその唄を歌いました。「ふれあい」だったかな?大船渡出身の新沼は、5歳上の中村の生地女川とふるさとが近いため仲が良く、一緒に被災地ツアーをしたそうです。新沼に言わせると、中村雅俊は自分以上にシャイだ、とのこと。実は筆者の妹夫婦は盛岡のカトリック教会に通うクリスチャンですが、ここの神父さんは中村雅俊のおじさんで、そのクリスマス・ミサに行ったことがあります(→ななめのつぶやき154『X'mas』(2005年12月26日))。また筆者が勤務していた会社のある代理店が昨年創業100年を迎え、その記念パーティで中村雅俊がサプライズ登場し、歌いました。実は社長と慶応大学経済学部の同期なのだそうです。

■ 「ヘッドライト」が一番好き

 新沼謙治はヒット曲をたくさん出しており、東日本大震災後、自ら作詞・作曲した「ふるさとは今も変わらず」は、合唱曲として今も変わらずヒットを続けています。ただ筆者は、阿久悠作詞の「ヘッドライト」が一番好きです。つらいことばかりの東京の生活を捨てて、女と二人、夜霧の中を北へ向かう、もう二度と戻らない町への未練も捨てて、車のヘッドライトは行く先のしあわせを照らしている・・・ヘッドライトの歌詞を見る この日新沼謙治は、舞台から降りて、客席を回りながら歌いました。妻は握手して喜んでいましたが、筆者はシャイなのでそんなことしませんでした・・・。
 ところで新沼謙治の実家は高いところにあるので、津波被害は受けませんでした。大船渡や陸前高田の被災地訪問はつぶやき514『三陸被災地視察』(2012年11月18日)で紹介しました。大船渡市の市長は筆者の高校同級生、戸田公明君です。毎年秋のお彼岸の頃に、「東京タワーさんままつり」でやってきて、その前夜に懇親することにしています。つぶやき454『さんままつり』(2011年9月25日)をご覧下さい。

■ 津波に流された陸前高田
 千昌夫は1972年にアメリカ人歌手ジョーン・シェパードと結婚し、CMに夫婦で出演していましたが、1988年に離婚しました。後に18歳年下のアマンダ夫人と再婚し、3人の子供をもうけました。次女のダニエラは2009年9月に芸能界にデビューしていますが、すごい金髪の美女です。千昌夫は公演の中で、20〜24歳の2男2女が居ると言っていましたが、あと一人は? 母親は93歳だそうで、我が母と同じです。千昌夫はお笑いが得意で、コンサートは爆笑の渦でした。一時は実業家として一世を風靡していました。陸前高田の沿岸に「キャピタルホテル1000」というビルを建てましたが、2011年3月11日の大津波で一帯が洗いざらい流されて、松原にも1本しか松が残らなかった中で、この建物は鉄筋コンクリートのため下層階は波に流されましたが、建物自身はリンとして残り、犠牲者も出ませんでした。石巻の病院もそうですが、ほかでも杭をしっかり打った鉄筋コンクリートのビルは大津波にも耐えられるということを証明する結果となりました。

■ 不動産バブルと千昌夫
 なお千昌夫は、1972年「アベインターナショナル」を設立し、不動産業に手を出して、やがてバブル期には歌手を休業して不動産業に専念しました。この時期「歌う不動産王」「ホテル王」と呼ばれるほど、世界各地にマンションやビルなどを所有しており、一時はホノルルの殆どのホテルが千昌夫の持ち物と呼ばれるほどでしたが、1991年のバブル崩壊とともに借金が膨れ上がり、借金の利子払いが1日5千万円と本人が言うほどでした。2000年2月4日に個人事務所「アベインターナショナル」は経営破綻しました。東京地裁に特別清算を申請、負債総額は1,034億円、この借金があったのに、どうやって返したのかが話題になります。1998年、千昌夫のメインバンクであった長銀(旧日本長期信用銀行、現新生銀行)が経営破綻で国有化された時に3,000億円あった借金が棒引きされて1,000億円まで下がり、その後2002年に民事再生法の適用で、「6年間で1億5千万円返せば良い」ということになったそうです。千昌夫は、1998年の段階で「自己破産」も考えたそうですが、あまりの膨大な借金で自己破産の意味もなく、その後の法律改正や国の救済に助けられました。7〜8兆円近い公的資金が投入された、一種の「徳政令」に救われた形ですね。

■ 裁判所と民主主義
 裁判所が必ずしも正しい判断をするとは限らないのは、冤罪事件が多いのでもわかります。また三権分立とは言え、やはり裁判所も時の政権に有利な判決になりがちです。しかし、タイの憲法裁判所のようにしばしば時の政権をひっくり返すような判決を出すのもいかがなものでしょうか?ここの裁判官はタイの上流階級に近いのだそうで、国民の多数に人気のある政権を弾劾してしまうのです。お金持ちは一部なので、大多数の貧しい人たち、多くは地方の農民ですが、この人たちの福祉のために国のお金を使うと人気が出て選挙に勝って政権を握る、すると汚職だと言って憲法裁判所が判決し、首相が失脚する、しかし選挙をやるとやはりタクシン派が勝つ、そこでデモで政権を倒そうとする、治安が乱れる、軍がクーデターで両派の動きを抑える、何か間違ってますよね。民主的な選挙を信用できないとすれば、それはもう民主主義とは言えません。ましてや裁判所が選挙で選ばれた政権をひっくり返すなんておかしいでしょう。

■ 1票の格差是正で相次ぐ違憲判決
 日本でも裁判所をめぐる話題は多々あります。64『憲法9条』(2014年5月25日)で、PC遠隔操作ウイルス事件について触れました。「冤罪事件」だとして弁護士が検察を突き上げて、裁判所は保釈決定したのですが、片山被告は結果的にクロで再収監されました。裁判所も「冤罪事件」と言われるとビビッてしまうのが今の日本の現状なのです。
 さて日本でも最近は裁判所が頭に来て時の権力を制するような判決を出す事例が増えています。最も典型的なのが国会議員選挙の1票の格差が違憲であるかを問う裁判です。下級審は続々と違憲判決を出してきて、もはや最高裁も抑えきれなくなっています。さすがに選挙無効までは踏み込んでいませんが、そろそろ波が堤防を越えるか?という状況です。これはいくら裁判所が違憲判決を出しても、一向に是正しない立法府に対して苛立っている現れです。国会が三権分立を軽んじていると言われても仕方無い状況で、猛省を促したいところです。政権党が自分達に有利にしたいという利己主義に凝り固まっている結果です。

■ 大飯原発運転差し止めの福井地裁判決
 原発に関する判決でも、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働は危険だとして福井県の住民ら計189人が関西電力を相手取って運転差し止めを求めた訴訟の判決が2014年5月21日、福井地裁であり、樋口英明裁判長は住民側の主張を認め、運転差し止めを命じました。「司法は生きていた」と原発反対派は勝利の垂れ幕を掲げました。東京電力福島第1原発事故を念頭に「大飯原発は地震の際の冷却や放射性物質の閉じ込めに欠陥があり、原発の運転で人格権が侵害される危険がある」と厳しく指摘した判決です。原発の運転差し止めを命じた司法判断は、2006年にあった北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)に関する金沢地裁判決(高裁で逆転し確定)だけで、福島事故後は初めてです。コレに対して日本弁護士連合会は「画期的判決」と評価し、原発反対派は沸き立ちました。政府は当然ながらこの判決には鋭い反応はせず鼻をくくったような対応で、今後も安全審査をしゅくしゅくと進めるとしています。マスコミの反応も2分されました。地裁レベルで出た判決でも、これが上級審でひっくり返されるこれまでのパターンは難しいだろうという識者もいます。しかし国民世論はどうでしょうか?全国で土木工事や建設ラッシュ、人手不足の状況が出てきており、大都市では高層ビル建設ラッシュです。田舎はドンドン過疎化し、都市への人口集中が進んでいます。都市では電気エネルギーが求められています。上記の1票の格差問題は、都市部と地方の有権者の1票の価値をめぐる問題ですが、電気エネルギーにも同様の側面があります。だとすれば裁判所もいずれ都市部住民の声に応えざるを得なくなります。日本で起きている実際の事象を見る限り、福井地裁の判決を支持する人はわずかでしょう。

■ 諫早湾潮受け堤防開門の是非で相反する判決
 諫早湾潮受け堤防の開門の是非をめぐり、佐賀地裁と長崎地裁が相反する判決を出し、これが佐賀県・福岡県・熊本県対長崎県の争いにまで発展しています。長崎県でも堤防の内と外で反対と賛成が分かれています。当初は漁業者と農業者の争いか?と思っていましたが、今では漁業者の間でも、開門賛成と反対派が分かれている状況で、もう何がなんだか良く分かりません。ここはひとつ、整理してみましょう。
 そもそも「潮受け堤防」とは、潮止め水門とも呼ばれ、海水が入り込まないようにするのが目的です。国営諫早湾干拓事業で設けられました。右図のように、有明海の諫早湾を堤防で仕切りました。全長7kmの堤防の両端に「排水門」を設けました。これは、どんどん川から流入してくる水を有明海に強制排水しているのです。潮受け堤防の陸地側は、したがって塩分が無くなり、淡水の池になりました。この水は農業用水になっています。

潮受け堤防

■ 諫早湾干拓事業のきっかけと潮受け堤防
 1952年、長崎県知事西岡竹次郎(当時)が長崎県の平地を広げることと当時の食糧難を解決するために「長崎大干拓構想」として発案したのが諫早湾干拓事業のきっかけです。干拓によって広大な干拓地が得られるとともに、農地の冠水被害(塩害)を防ぎ、農業用水も確保されるとされました。当初の計画では諫早湾11,000haを締め切って巨大な干拓地を造るものでしたが、予算の関係で規模を1/3に縮小して農水省が1989年に着工しました。
 1997年4月14日に潮受け堤防の水門が閉じられました。ドドドドッと連鎖的に水門が閉じられて行く映像は、ギロチンを想像させて、国民に衝撃を与えました。干拓の工事前に漁業補償として、総額279.2億円が支払われ、各漁協の漁業権は消滅(潮受堤防内八漁協)又は一部放棄・制限されました。潮受け堤防の締め切りから約10年後の2007年11月20日に完工式が行われました。水の流れは干拓地の調整池から有明海への一方通行で、調整池の水位が海面より+0.2mになると有明海への放流がなされます。

潮受け堤防の水門

■ 潮受け堤防閉門後の経緯
 1997年に潮受け堤防の水門が閉じられた後、干拓に伴う漁業被害(かもしれない)二枚貝タイラギの死滅や、有名な有明海苔の色落ち問題が発生しました。このため、有明海の漁業者が水門を開けろと、裁判所に提訴したのです。
経緯をまとめますと、
☆2000年:有明海の養殖ノリが不作
☆2001年:武部勤農水相(当時)は干拓事業の抜本的な見直しを表明、2002年4月から28日間の短期間の試験開門調査を実施しましたが、こんな短期間では有明海の海洋環境の影響は検証できませんでした。
☆2002年:汚染された調整池の水やヘドロが有明海の環境に悪影響を及ぼすとして開門調査に反対する漁業関係者が工事中止などを求めて佐賀地方裁判所に提訴
☆2004年:佐賀地裁は漁業被害との因果関係を一部認め、工事中止の仮処分
☆2005年:福岡高等裁判所は佐賀地裁の仮処分を取り消し、工事再開
☆2006年:農水省は「今後は開門調査は行わない」との方針を表明
☆2008年:佐賀地裁が調査目的で5年間の開放を行うよう命じる判決

左側が有明海、右側が諫早湾干拓地、正面に見えるのが雲仙普賢岳
☆2010年:福岡高裁は佐賀地裁の一審判決を支持→このとき民主党が政権の座についていましたが、政府内でも福岡高裁判決はあまりにも一方的であるとして上告する意見が大勢でした。しかしかねてから諫早湾干拓事業に反対だった時の菅直人総理は、当時の諫早市長や仙谷由人官房長官(当時)、鹿野道彦農水相(当時)の説得に耳を傾けず、「私が決断したことだ」と控訴をせず、高裁判決を確定させました。長崎県知事・諫早市市長・雲仙市長・地元商工団体、農業関係者は怒り心頭、連名で菅総理に23項目の抗議の質問状を提出し、このときから長崎県と佐賀県の対立にまで発展し、国は身動きが取れなくなりました。
☆2011年:長崎県諫早市側の干拓地の入植者や後背地の住民、長崎県農業振興公社ら352の個人と団体が、国を相手に開門の差し止めを求める訴訟を長崎地方裁判所に提訴
☆2012年:農水省は福岡高裁判決確定に伴い、開門調査を2013年12月から実施する方向で長崎県側と最終調整する方針であると発表、ただし常時開門に349億円の追加工事が必要としました。
☆2013年:農水省が開門調査のために工事をしようとしたところ、9月9日、9月27日、10月28日に開門に反対する地区住民のべ1700人に阻止されて、工事をすることができない状態になりました。対策工事の予定地は開門反対派である民有地や県有地(長崎県と諫早市も開門に反対)が多く、それらの場所については着工する目処が立ちません。2013年11月12日、長崎地裁は、福岡高裁確定判決を受けて国が実施しようとしている開門によって、多数の住民が農業漁業の生活基盤を失い、重大な影響を受けるとし、開門に向けて作業の差し止め仮処分命令
☆2014年:佐賀地裁は4月に、開門をしないのであれば49名の原告に1人当たり1日1万円=1日49万円の制裁金を漁業者に払うべし、その猶予期間は2ヶ月、と判示しました。これに対しては国は執行抗告という形で、いわゆる異議を申し立てました。一方6月4日、長崎地裁は、先の開門差し止め仮処分に反して開門を行った場合、1日49万円の制裁金を農業者他に払うべしと判示しました。「間接強制」という処分です。6月6日、福岡高裁は佐賀地裁の間接強制決定を不服として、国が申し立てた執行抗告を棄却しました。国は最高裁の判断を仰ぐため許可抗告しましたが、佐賀地裁が命じた開門期限は11日であるため、国は翌12日分から開門まで1日49万円を開門賛成派の漁業者側に支払わざるを得ないでしょう。国は開門してもしなくても同額の支出を強いられる状態で、身動きが取れなくなっています。

■ 諍いの背景
 有明海を共有しているのは佐賀県・福岡県・熊本県・長崎県です。水門を作った長崎県側は、開門すれば干拓地の農業(キャベツなど)と、あさり漁業に影響が出ると主張。佐賀県側は、閉門したままだと、海苔の養殖や、沿岸漁業に影響があると主張。佐賀県側の主張を調べるには、開門してみないとわかりません。それに断固反対しているのが長崎県側です。泥沼状態ですが、水門の管理権を持っている(開けるための鍵を持っている)長崎県側の「実効支配」が続いている状態です。福岡高裁で開門しろとの判決が出て、佐賀県寄りだった民主党政権時代の菅総理のときに上告せずに判決が確定しました。国は期限まで開門する義務があったのですが、自民党安倍政権になって国は長崎県側寄りになり、長崎県側が出していた開門差し止めの長崎地裁判決に従う形で期日までに開門しませんでした。それに対して、佐賀県の漁民が「国は裁判所命令に従わなかったから賠償しろ」という訴訟が佐賀地裁で認められ、福岡高裁も国の抗告を却下、水門を開けられないので毎日49万円を国は支出するわけですが、国民の税金を使った国家プロジェクトの後始末を、また国民の税金で行うなんて、いい加減にして下さい。

■ 有明海の漁獲量は減少している?
 諫早湾干拓事業による漁業被害は、科学技術振興機構(JST)のまとめた失敗知識データベース「失敗百選」において「海苔を始めとする漁獲高の減少など、水産業振興の大きな妨げにもなっている」として公共事業(建設事業)での失敗例として事例提供され、この結果に至ったシナリオ(経緯)として「組織、管理、企画、戦略不良、利害関係未調整で事業開始、誤判断、狭い視野、社会情勢に未対応、調査検討の不足、事前検討不足、環境影響調査不十分、計画・設計、計画不良、走り出したら止まらない公共事業、裁判所による工事差し止め命令、二次災害、環境破壊、赤潮発生、漁業被害、社会の被害、人の意識変化、公共事業不信」とされています。漁業被害はセンセーショナルに伝えられましたが、実際のところどうなんでしょう?農水省のホームページによりますと「潮受け堤防の締切りにより、有明海の漁獲量は減少している?→有明海のノリ、アサリ、タイラギの漁獲量を見ても、潮受堤防の締切後に減少しているような傾向はみられません」としています。「有明海の海苔の共販枚数は、特異な気象などによる平成12年の海苔不作を除き、近年は約40億枚程度と安定した生産状況となっています」ということなので、JSTの指摘も正しいかどうか不明です。一方佐賀県は「有明海の再生」というホームページで、タイラギ貝など二枚貝の大幅な漁獲減少が発生しているとして、豊かな海への再生を訴えています。これが干拓のせいか?農水省は1997年の水門閉鎖の前に既に漁獲量は減少しており、閉め切りのせいではない、としています。有明海での赤潮とかがこのせいか?というのはよくわからないということです。ただ、潮受け堤防の排水門のところには、有明海の魚が群れを成しているそうです。「こっちの水は甘いぞ」というわけです。調整池の水が富栄養なのか、水温が高いのか、理由はわかりませんが、魚にとっては諫早の水は美味しい水のようですよ。

■ 裏には自治体の対立アリ、裁判所もいい加減にして下さい
 佐賀県と長崎県の対立、そして政党の立場の違いが、そっくり国の方針の違いとなって現れていると言うのは確かです。また、この裏には、長崎新幹線(九州新幹線西九州ルート)に絡む、長崎県と佐賀県の対立もあるようです。長崎新幹線は、佐賀県が敷設するべき部分の武雄温泉駅から鳥栖駅までの間の線路の敷設費用を佐賀県が出すことを拒んだために、従来の線路をこの区間は走ることになり、結果的に従来の特急と博多までの所要時間がたいして変わらない「なんちゃって新幹線」になることが確定しています。このことに対する長崎県側の恨みが、佐賀県のためには水門は絶対開けない、になっているのでは?と疑う人もいます。地方自治体のエゴのぶつかり合いが諫早湾干拓事業開門調査問題の真相と思われますが、もともと国が何もしなければ起きなかった問題ですから、最後は国が収めなければなりません。開門派は環境保護派、すなわち反開発派で、昔からの自然を守れと言います。ただ、大きく言えば、人間が生存のために行っている活動が自然体系に影響を与えるのは確かで、潮受け堤防以外にも、何気なく行っていることが自然に影響しているのです。例えば下水はやがて海に注ぎます。エネルギーを作るための二酸化炭素排出が地球を温暖化させています。天然ガスや石炭、石油火力より、原子力の方がずっと環境に優しいのです。自民党政権になって、恐らく開門派の勢いはそがれて行くでしょう。裁判所が自治体ごとに判決が分かれるなんておかしい。最高裁まで争って良いから、どっちに転んでも毎日49万円を国が支出する、などという馬鹿げた事態は止めて下さい。

■ 十割そばを食べてきました
 前回は嵯峨谷の十割そばを紹介しました。いわゆる信州系の更科という白い蕎麦より、山形など東北の黒くて硬い田舎そばが好きだ、と書きました。そして岩手県盛岡市には株式会社十割そばという会社があります、と紹介しましたが、この会社は製麺機を販売しています。ほかに自らそば屋を出していますが、盛岡フェザン店(盛岡駅)、仙台ダイエー店、所沢ダイエー店、静岡函南店(静岡県田方郡函南町)という4店と、姉妹店である仙台八乙女店です。この店舗の立地に何の脈絡があるのでしょう?特に静岡函南店は熱海と、三島・沼津の間の伊豆半島ど真ん中の山の中、熱函道路沿いにある店舗です。廃業したガソリンスタンドを再生して建てられました。何の縁でしょう?仙台八乙女店は2010年11月に直営店として出発しましたが、4ヶ月後の東日本大震災にて、八乙女地区で被害を受けたため、仙台在住の役員の手で回復を期すために独立店となった第一号姉妹店だそうです。今では仙台を代表する繁盛店となったそうです。実は我が弟宅から歩いて行けます。我が家から所沢ダイエー店は近いので、早速行ってきました。
十割そばの二色そば
 娘や息子夫婦や孫たち、久々の一家集合で、そばをすすってきました。写真のように、二色そばを頼みました(¥600)。なお天ぷらは貰ったもので、二色そばには付いていません。黒い田舎そばと更科系の白いそばです。どちらも硬くて、「ああ、十割だ」と思いました。
(2014年6月17日)


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