筆者のふるさと、盛岡広域8市町村:盛岡市、八幡平市、雫石町、葛巻町、岩手町、滝沢村、紫波町、矢巾町は、2009年11月11日在京盛岡広域産業人会を設立し、会員相互の親睦と郷土の産業振興に寄与することを目的に、現在首都圏を中心に200人以上の会員が入会している。盛岡広域の産業振興や企業誘致をより具体化するためには、まず現地をみてみよう、とのことから、在京盛岡広域産業人会では現地視察会を2010年に2回、2011年に1回行なった。
今年7月に増田寛也氏をゲストに迎え開催した総会で、今年度も現地視察会を実施することとした。
【開催概要】
日程:平成24年11月10日(土)〜11日(日)
集合・解散:盛岡駅
費用:東京⇔盛岡の新幹線等交通費と、宿泊費、昼食代、その他実費は各自負担、現地での移動のバスは無料
テーマ:「東日本大震災からの復興を目指す沿岸市町村の現状を知り、応援しよう!」
主な視察先:岩手大学三陸復興推進本部釜石サテライト、宮古魚菜市場、津波の語り部による宮古市田老のガイド など
宿泊先:シーサイドハウス海幸園(宮古市白浜)
昨年3月11日に発生した東日本大震災から1年半以上経過し、当初多くのボランティアが訪れた沿岸市町村は、報道等、話題に上ることも少なくなり、忘れられていくのではないか、という危機感を感じているとの声も聞かれる。今回の視察会は、そんな沿岸市町村を忘れることなく、現状を知り、そして応援することをテーマとして企画された。
1日目は真っ直ぐ西から東へ向かい、2日目は陸中海岸沿いに南下し、陸前高田から北上するV字ルートである。
皆さんご存知だろうか?右図の青い「宮古」地区は東京都区部より広い!岩手県の面積は15,278ku、四国は18,299ku、よく四国並みと言われるが、四国4県は岩手県の1.2倍である
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東日本大震災三陸沿岸被災地視察のコース |
■1日目
東京駅発7:32 はやて・こまち15号〜9:59盛岡駅着
盛岡駅北側から西口バス乗り場に向かう連絡通路:さんさ小道 |
西口バス乗場(高速バスや観光地へのバス) |
10時10分盛岡駅西口バス乗り場集合、矢巾町のバスで10時30分出発
下図の26番あたりにバスが来ます
道の駅・区界高原(宮古市)11時15分到着、休憩
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区界高原は標高700m。宮古市と盛岡市の境にある広大な高原地帯で、県の自然環境保全地域にも指定された自然の宝庫です。一直線に走る国道106号からは、北に山頂を岩山で覆った高原のシンボル、兜明神岳(標高1,005m)が望め、その裾野にはシラカバ林と草原が広がります。
また、休憩に便利な道の駅や、高原中腹には兜明神岳登山、高原散策の拠点となる区界高原ウォーキングセンターもあり、それらを起点に四季折々の自然と親しむことができます。兜明神岳に登ると、早池峰山(1,917m)が見えるそうです。 |
道の駅・区界 |
区界高原に到着した矢巾町のバス
11時25分 道の駅・区界高原出発
11時55分 道の駅・やまびこ館到着、昼食〜13:00
「道の駅」やまびこ館は、一般国道4号、46号からアクセスされる重要幹線道路国道106号沿いの緑豊かな山々に囲まれたところにあります。ヤッホーと叫ぶと「こだま」が返ってくるロケーションにあり、地域農産物等活用型総合交流促進施設「やまびこ産直館」として親しまれていることから、平成11年4月、駅名を「道の駅」やまびこ館とし、「閉伊川の清い流れに抱かれるように」という願いから「閉伊の郷かわい」を愛称にしました。
●やまびこ産直館、●郷土食加工販売店舗ヤッホー館とともに、レストラン●もうもう亭があります
北上山地の最高峰早池峰山は標高1,917mと岩手県で2番目に高い山で、高山植物の宝庫、日本百名山のひとつであり、古くから山岳信仰のメッカとして多くの人々に親しまれていますが、ここからは見えません
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道の駅・やまびこ館 |
やまびこ館のランチはおいしかった |
『道の駅やまびこ館』は、盛岡から宮古湾に抜ける国道106号のちょうど中間点で、どちらからも車で約1時間の距離とあって、ドライバーの立ち寄りスポットになっています。
レストラン『もうもう亭』でのランチは左写真、郷土料理のひっつみ(すいとん)に、地場産の雑穀入りのごはん、四元豚のトンカツ、がっくら漬け、メンマなどの小鉢が付いた『ひっつみ定食』(1000円)でした。おすすめの一品というだけあって、美味しいだけでなく、ボリュームも満点でした。
大根のがっくら漬けというのは、ダイコンをガックラ、ガックラと包丁で割って漬けます。割り口がギザギザなので良く漬かります。お土産にもどうぞ(¥280) |
やまびこ館のもうもう亭、紅葉がきれいでした |
道の駅やまびこ館13時出発
盛岡市かわいキャンプ(宮古市)13時17分到着・・・震災復興ボランティア拠点視察
「かわいキャンプ」は、3月11日に発生した東日本大震災で被災した沿岸被災地へボランティアに行かれる方を長期的に支援するため、盛岡市が宮古市川井地区に設置した施設です。寝泊りができるスペースを提供します(約100名)。沿岸被災地のボランティアセンターまでの送迎車両を運行します。
沿岸地域へ行って活動されるボランティアの皆様の活動拠点施設としてご利用下さい(利用料:無料)。
最近、ボランティアさんの人数が少なくなってきており、11月はガクッと少なくなる状況です。
マスコミの報道が少なくなったこともあり、被災地での活動が無くなったと思っている方もいらっしゃると思います。しかし、宅地の清掃・側溝の泥だし活動のニーズは未だにあり、また、これからの生活支援ということで、畑の整地や仮設住宅からの引越しの手伝いなどの活動が続いております。
かわいキャンプとしても、ブログやツイッターでボランティアさんの参加を呼びかけているほか、大学等にチラシを配布しPRをしておりますが、厳しい状況です。
銀杏がきれいに色付いていました
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盛岡市かわいキャンプでは盛岡市社会福祉協議会地域福祉課の工藤和徳課長とかわいキャンプ所長代理の泉舘浩己さんに案内していただきました。このキャンプを利用する方はほとんど県外者、関東4割、東北3割の順。2011年7月6日設置、2012年10月30日迄に11940人が宿泊し、13355人が活動しました。人数が違うのは日帰りの人がいるためです。ボランティアさんが減っていることへの危機感がヒシヒシと感じられました。被災地のニーズは減っていないのです
平成10年に閉校した旧宮古高校川井分校の建物を盛岡市が利用
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盛岡市社会福祉協議会の工藤和徳課長に説明を頂きました |
かわいキャンプ13時54分出発
宮古市街地に近づくと、千徳辺りから仮設住宅が目に入るようになりました
15時田老到着、第一防潮堤上で津波の語り部ガイドの説明(被災者による津波被害の伝承)を聞きました
語り部ガイドは宮古観光協会の元田久美子さんでした
第一防潮堤は堅牢で、それなりの役目を果たしたことが理解できました
語り部ガイド:元田久美子さん
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第一防潮堤は堅牢で壊れていない
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宮古市田老町は過去数十回の津波被害を受けており、「津波太郎」の異名を持ちます。その中で1611(慶長16)年、1896(明治29)年、1933(昭和8)年の三陸大津波により全町壊滅という大被害を受け、1934(昭和9)年度から巨大な津波防潮堤の整備に着手。1978年には総延長2,433m、高さ10.0mの、いわゆる「田老万里の長城」が完成しました。しかし、2011年3月11日の東日本大震災による津波は、この巨大防潮堤を乗り越え、甚大な被害を出しました。
右写真は田老観光ホテル「水中カメラマンのデスクワークな日々」(2011年5月)より
6階建ての3階天井までメチャメチャ
Cの字の田老湾に対し、逆Cの字の防潮堤が津波の力を分散し、チリ地震津波で効果を発揮、そこで更にCの字の防潮堤を追加してXの字の防潮堤としたため、津波がXの中心点で波高が高まり、一気に防潮堤を越えました。人災と言われる所以・・・ただ効果はありました |
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その後、たろう観光ホテルの6階で津波のビデオを見ました。凄いビデオでした
元田久美子さんの熱のこもった説明に、思わず目頭が熱くなりました
16時14分田老たろう観光ホテル出発
宮古と言えば浄土ヶ浜、しかし今回は時間が無くて寄れません
宮古魚菜市場(宮古市)16時45分到着
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日本有数の漁場である三陸沖から水揚げされる魚介類と、地元農家が愛情をこめて育てた野菜がずらりと並びます
31店が軒を連ね、何でも揃う活気のある市場です。宮古市民の台所で、お土産選びにもってこいの場所です
お魚は店員さんに質問しながら選ぶのがベスト、調理方法なども教えてくれます。鮮魚類は各商店で氷を詰めて梱包し発送をしてくれます
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震災後の状況の説明を兼ねて、協同組合宮古魚菜市場副理事長の平井昭吉さんにご挨拶をいただきました
震災後、全国から支援を頂いた事に深く感謝しているとの言葉が印象的でした
最近も次々と会津から来てくれるそうです 福島も被災地ですが・・・
筆者の叔父さん叔母さんが宮古魚菜市場の向かい、和見町に住んでいました
筆者の従兄弟の佐々木博史さんが来て、懇談できました この人は船鍛冶で、仮設住まいです
買い物をして、17時30分宮古魚菜市場出発
17時40分宮古市役所到着
山本正徳宮古市長が公務からなかなか帰って来なくて、ロビーで到着待ち
ロビーの吹き抜けの高いところに張られたボード、青い帯まで水が来た
市長到着後、4階の市長室とベランダから、津波当時の説明を受けました
宮古市は八幡平市や青森県黒石市、沖縄県多良間村と姉妹都市です
被災地の首長は休みも無く飛び回っていて、本当に大変そうです
この3名は高校同期(宮古市役所4階市長室で)
左より加藤盛岡市東京事務所長、山本宮古市長、藤尾紫波町課長
藤井岩手大学長と山本宮古市長 |
ちなみに岩手大学は三陸復興推進機構宮古エクステンションセンターを2012年10月1日設置し、プロジェクトマネージャーとして浜田 修氏を配置しました
岩手大学三陸復興推進機構 宮古エクステンションセンター
〒027-8501 岩手県宮古市新川町2番1号 宮古市役所 宮古市産業振興部宮古市産業支援センター内
電話 090-2886-8887
E-mail:miyako@iwate-u.ac.jp
実はプロジェクトマネージャーの浜田 修氏も知己の間柄、世の中はつくづく狭いと実感しました。 |
18時14分宮古市役所出発
バスはくねくねと右に左に揺られながら走ります 左手・対岸の灯りから左が海というのはわかりますが、真っ暗で何も見えません
宮古湾をグルリと周り、18時39分 シーサイドハウス海幸園到着
到着後、すぐ懇親会〜宿泊
夕食は刺身盛り合わせ、イカ鍋、帆立貝焼き、蛇腹きゅうりとイカの酢味噌あえ、ほっき貝の酢の物、山盛りいくらなど、海の幸てんこ盛り、鮭汁、ご飯
各市町村差し入れのお酒やワインもたくさん 夕食後2次会も・・・
シーサイドハウス海幸園の新館2階への踊り場に宮古市の姉妹都市黒石市の花田さんから贈られたねぷたの巨大な絵が
■2日目
■訃報
舞台『放浪記』で2000回以上主演し、文化勲章や国民栄誉賞を受けた女優の森光子さんが2012年11月10日午後6時37分、肺炎による心不全のため都内の病院でご逝去された。92歳だった。家族葬を済ませた後、親族を通じて東宝が発表した。心からご冥福をお祈り申し上げます。子供はいなかったが、ジャニーズのお母さんとして親しまれた。我が母のちょうど1歳年上であるが、でんぐり返しなど、よくあの歳でできたものだと感心する。しかしさすがに90歳を過ぎてからは、相応の衰えが見えた。車椅子の我が母は、首から上はまだまだ元気、しかし覚悟だけはしておかなければなるまい。 |
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(2012年11月18日)
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