496  上武旅

 9月は台風シーズン、土日は少年野球なので、こどもエコクラブの畑作業の合間に温泉へ行こう!いつもなら群馬、栃木、長野、山梨、神奈川ですが、今回は1泊で近場にしようと考えました。埼玉なら秩父ですね。489『山と渓谷』(2022年7月26日)で子の権現から両神荘、尾ノ内渓谷を回り、その帰りに寄ってみた寄居の「亀の井ホテル長瀞寄居」に行こうと決めました。前は「かんぽの宿寄居」で、いつでも行けると思っていたので今になりました。

■ 9月10日は中秋の名月
 今年の中秋の名月は9月10日でした。「中秋」とは「秋の真ん中」という意味で、旧暦では7・8・9月を秋としていました。その真ん中の旧暦8月15日の月なので「中秋の名月」と名付けられているのです。「1日」は「ついたち」と言いますが、これは実は月に由来するものです。旧暦の1日は「月がはじまる日」なので「月立ち(つきたち)と呼んでいたのが、やがて「ついたち」となったと言われています。中秋の名月のお月見のならわしが広まったのは平安時代で、中国から伝わり、平安貴族たちは美しい月を眺めながらお酒を飲んだり、詩歌を詠んだりなど、風雅に楽しんだそうです。江戸時代の頃には庶民にも広まり、秋の農作物の収穫祭と結びついていきます。豊かな実りの象徴として満月を鑑賞し、月見団子などお供えものをして、収穫の感謝や祈りを捧げる風習となりました。旧暦は、新月を1日とし、月が満ちて満月になり、また欠けていくまでの29.5日を1ヶ月としていました。したがって、29.5日×12ヶ月=354日を1年としていました。現在の新暦では、太陽が地球を一周する365日を1年としています。つまり、旧暦と新暦には1年で11日のズレがあることになります。このため、中秋の名月は毎年日にちが変わるのです。昨年2021年は9月21日、2022年は9月10日、2023年は9月29日になります。中秋の名月は満月になるとは限りません。2022年は、幸運にも満月と重なりますが、2014年から2020年は満月ではありませんでした。2021〜2023年は満月ですが、その次は2030年になります。



■ リブランド→亀の井ホテル
 485『犬吠埼』(2022年6月26日)で、「かんぽの宿旭に行ってきました。2022年7月1日から「亀の井ホテル九十九里」と名前が変わります。マイステイズ・ホテル・マネジメントは、日本郵政から継承した「かんぽの宿」を7月1日から「亀の井ホテル」にリブランドします。宿泊料金の平均価格帯は、1万1000円〜2万円(1名1泊)を予定しているそうです。「亀の井ホテル」の名称は、油屋熊八が大正13年(1924年)別府温泉に開業し、2015年から運営している「別府亀の井ホテル」に由来しています」と紹介しました。


かんぽの宿旭

海岸から見たホテル

10F展望風呂

■ 亀の井ホテル長瀞寄居へ・・・バーミヤンでランチ
 畑作業の谷間に天気予報を見たら翌日、翌々日は雨、そうだ!温泉に行こう!と思い立ってじゃらん検索しました。すると翌日なのに「亀の井ホテル長瀞寄居」が空室あり、直ちに予約しました。我が家は国道254号線(川越街道)に面しており、ここから川越市〜川島町〜東松山市〜比企郡嵐山町と走り、「カインズ嵐山店」先で真っ直ぐ行けば254号線バイパス、左へ行けば254号線旧道で比企郡小川町市街地に行く分岐があり、ここを左折して、「道の駅おがわまち」を過ぎて槻川沿いに走り、JR八高線を越えて小川警察署前の「バーミヤン小川町店」でランチすることにしました。バーミヤンは何年ぶりでしょうか?記憶にないほどです。ふじみ野市にもジョナサンと並んであるのですが、普段は行きません。野菜炒め定食を食べました。連れ合いは野菜タッップリ湯めん・麺少な目でした。タブレットで注文したらすぐ出て来ました。速いというのはサービスの一つの価値です。野菜炒めは・・・町中華より・・・です。ライスは・・・ジョナサンや安楽亭に比べると・・・、スープは・・・、結局・・・総合評価は・・・

上武旅ルートマップ

■ 上武旅ルートマップ
 ルートマップでは我が家から「バーミヤン小川町店」までは省略、大里郡寄居町末野2267が「亀の井ホテル長瀞寄居」の住所で、実はチェックイン15時迄に時間があったので、すぐ裏手、坂道を上った先のヘラブナ釣りのメッカ「円良田湖」に寄り道しました。埼玉県熊谷市から秩父市を経由して、山梨県南巨摩郡富士川町に至る国道140号線(彩甲斐街道)と秩父鉄道とが並行している寄居町末野、「亀の井ホテル長瀞寄居」は「波久礼駅」から眼の前の小高い丘の上のホテルです。ホテルから北東方向に直線距離で600mほどのところに「円良田湖」があります。なお、2日目のルートは「亀の井ホテル長瀞寄居」から深谷市に行き、「道の駅おかべ」→「深谷市立渋澤栄一記念館」と回り、北へ向かって利根川を渡ると群馬県伊勢崎市、そしてすぐ群馬県太田市と標識が変わります。右折して利根川に沿って県道298号を東進し、「縁切寺満徳寺」へ、ここから一旦北進して国道17号沿いの「道の駅おおた」に寄り、国道17号から県道298号→県道276号と走り、利根川の堤上を走って埼玉県熊谷市妻沼小島のひまわり畑を見ようと思いました。その後国道407号に突き当たったらまた群馬県太田市、右折合流して、利根川にかかる刀水橋に乗るとまた埼玉県熊谷市妻沼、南進して407号沿いの「道の駅めぬま」に寄りました。再び407号を南進して、「代」交差点で左折、国道17号に入りました。407号を真っ直ぐ進んで荒川を渡り、武蔵丘陵森林公園や東松山市ぼたん園、吉見百穴脇を通り、国道254号と交差したところで254号に入って一路我が家に向かうのがオーソドックスなカーナビ推奨路なのですが、国道17号を選択したのは、コチラのほうが早いだろうと思ったからです。国道17号は荒川、上越新幹線、JR高崎線と並行して北西から南東方向に走り、途中@熊谷市から久下橋を渡り緑の道を通るルート、A行田市持田から鴻巣市の吹上駅隣の富士電機脇を通り大芦橋を渡り緑の道を通るルート、B鴻巣市蓑田から糠田橋を渡り、吉見総合運動公園先で左折して南進するルート、C鴻巣駅の南を通る「加須鴻巣線」から「東松山鴻巣線」を走り「川幅日本一」標識を見ながら「御成橋」を渡り、「道の駅いちごの里・よしみ」で左折して緑の道を通るルートなどたくさんあります。更に南ならD原馬室橋ルート、E高尾橋ルート、F荒井橋ルート、G太郎右衛門橋ルート、H樋詰橋ルート、I西野橋ルート、J開平橋ルート、そして国道16号のK上江橋ルート、最後はL治水橋ルートと、いっぱいあります。今回は滅多に通らないBの糠田橋ルートを選択しました。以下糠田から我が家までは省略しました。
 何故「上武旅」と書いたかと言いますと、「上武」とは広義では上野国(群馬県)と武蔵国(埼玉県、東京都、神奈川県の一部)の総称で、狭義ではかつての熊谷県中部、すなわち群馬県の高崎市・伊勢崎市・太田市、埼玉県の熊谷市・深谷市・本庄市を中心とした一帯を指すようです。ちなみに国道17号は別名「上武道路」と言われます。

■ 円良田湖
 円良田湖は農業用のため池として昭和29年に作られました。65万トンの水を貯めることができます。ヘラ鮒釣りのメッカで、桟橋の釣り人はわずか1名でしたが、ボートで釣りしている人も居ました。車でぐるっと一周しました。

円良田湖のヘラ鮒釣りの桟橋 入場は有料です
右奥に日除けパラソルさしたポツンと一人の釣り人が見えます 駐車場にはAudiが停めてありました


仙人草がきれいに咲いていました
キンポウゲ科センニンソウ属に分類されるつる性の半低木です

■ 亀の井ホテル長瀞寄居
 四つ星ホテル「亀の井ホテル長瀞寄居」が空室あり、直ちに予約しました。単純アルカリ温泉だそうですが、敷地から汲み上げる「金山温泉」はpH9.6、肌がヌルヌルするとても良い温泉です。このホテルは「金山(かなやま)」という山の斜面に立地しているので、6階の展望風呂から下を見下ろすと、すごい高度感です。真下を秩父鉄道の気動車が3両編成で走って行きます。朝6時半頃露天風呂から見下ろしていたら、荒川にかかる寄居橋の上に車列がズラリ、30台以上次々と...県道82号から橋を渡って国道140号に入り右折しようとする車だけです。1回の青信号で14台しか通れませんでした。温泉は地下1500mから汲み上げていて、低張性低温アルカリ単純泉、1999年に開湯した寄居町唯一の温泉だそうです。微白濁、わずかに硫黄臭と書いてありますが、成分分析表では無色透明、硫化水素<0.1で、無色透明、無臭でした。陽イオンNa、陰イオンClはともに300mg超で同程度、陰イオンである炭酸水素イオンと炭酸イオンが結構多いのでアルカリ性になっているのです。しかも成分を見たらメタケイ酸41mg、メタホウ酸50mg、多いですね!埼玉でもこんな良い温泉があるんだな、と思いました。このヌルヌル感は405『』(2020年12月15日)で紹介した我が家から近い埼玉スポーツセンター天然温泉を思い起こします。源泉名は「みずほ温泉」で、住所は所沢市南永井ですが、三芳町役場からすぐ近くです。

入口にあった看板も立派でした


ホテル外観;客室数51室 この日の泊り客は平日なので老人が多く、特に女性グループが多かった...


2階の廊下から裏手を見るときれいな石庭が・・・屋上からの雨樋から激しく水が噴き出していました


35平米洋室ツインは琉球畳の上に120cmベッドが置かれ、下に布団を敷けば3人まで泊まれます


夕食はレストラン秩父路でカタクリ会席プラン、この後でアツアツ天婦羅やご飯、お新香、お椀、デザートが次々と
ビール生ジョッキは別注、我らがテーブルだけが一段高い個室のしかも畳の上に卓の特別室 どうして?
予約した時点でじゃらんのネット情報で、全国旅巡りの上客と判断し、リピータ獲得作戦でしょうか ハマリそう



夜には『地獄めぐり 夜鳴き担々麺』無料サービス、3種類の担々麺の月替わりサービスです
9月は【黒地獄 黒ごま担々麺】・・・細麺でもしっかりとした食感が特徴の「香港麺」に、煎りごま、
すりごま、練りごまと香り高い黒ごまをたっぷり入れて豆板醤や香辛料で辛みを出した黒い担々麺でした


6階展望風呂 左の浴槽は温泉 右は沸かし湯でジャグジー付き


露天風呂 43.5℃ぐらいの熱い湯で展望抜群です


6階ラウンジから荒川を挟んで向かいの山々、ゴルフ場展望、眼下に荒川に架かる寄居橋が見えます


泊まった日は雨で、朝6時半頃の靄に煙る光景もこれまた幻想的でした

■ 道の駅おかべ
 道の駅おかべは、深谷市岡688-1、国道17号線深谷バイパス沿いにあり、東京から群馬に向かう車線からは左折進入スンナリですが、反対側からは入れません。寄居町方面から行くと広い駐車場に入るのが要注意、延々ぐるっと1km以上走り回りました。この道の駅は野菜が豊富、特産深谷ネギやきゅうりがとにかく立派で安くて感動します。ここから渋沢栄一の生まれた血洗島の「中の家(なかんち)」まではすぐ、と言っても2qぐらいはありますね。

左が物産館やレストラン、右が農産物センター

■ 深谷市立渋沢栄一記念館
 埼玉県深谷市下手計1204にある渋沢栄一記念館は立派なレンガの大きな建物でした。隣が八基(ヤチマタ)小学校でした。NHK大河ドラマ「青天を衝け」放映中は恐らく人込みで溢れているだろうと今にしたのですが、雨の平日なのでお客様は少なかったのですが、次々と切れ目なく見学者がやってきます。入場料500円ぐらいかなと想像して行ったのですが、ナント!無料でした。案内する職員がたくさんいます。展示を見るにつけ、渋沢栄一という人の偉さがよく分かります。本当に偉い人は偉ぶらない人だというのは、筆者の経験で良く分かりますが、松下幸之助にしても本田宗一郎にしても稲盛和夫にしてもそうでしたが、渋沢栄一はちょっと別格ですね。なにしろ日本の民間人で、米国大統領に会える人なんてそうそう居ません。論語を思想の根底とした渋沢栄一の精神は、人々から支持され尊敬されたことが良く分かります。『論語と算盤』には随所に「忠恕の道」ということばがみられます。「まごころ・おもいやり」を意味するこのことばは栄一が生涯貫いた思想であるといわれています。渋沢栄一は、経済人としての活動のほか、社会福祉事業に生涯をかけて情熱を注ぎました。平和を求めて世界中の人と仲良くしようとする渋沢栄一の精神があれば戦争なんて起きないはずでした。渋沢栄一を作ったのは結局は教育です。今滅び行く日本と言われますが、日本再生の道は一に教育に有るということを、渋沢栄一記念館で実感しました。なお栄一の生まれた「血洗島」のゆかりを訪ねたところ、史実に明記が無いとのことでした。戦国時代の八幡太郎義家が蝦夷の清原、安倍を征伐に向かう途中にこの地で地元豪族と地を血で洗う戦を繰り広げたという説や、坂東太郎利根川の流れが地を洗ったので、昔は中洲の島だったなど各種説があるそうですが定かではないそうです。

渋沢栄一記念館・・・大きい建物です


名物のアンドロイドは70歳ごろの渋沢栄一、身長153cm、まるで生きてるようでした


建物裏手には5mの巨大な渋沢栄一像

■ 縁切寺満徳寺
 利根川に沿って県道298号を東進すると「徳川氏発祥の地」という大きな看板が有りました。そして「太田市立縁切寺満徳寺資料館」という看板が有りました。資料館は見学しませんでした。縁切寺とは、江戸時代に離婚を求めて駆け込んだ妻を救済して、夫との離婚を達成させてくれた尼寺のことで、「駆け込み寺」とも「駆け入り寺」ともいいます。江戸時代、時宗の尼寺であった徳川満徳寺は、鎌倉の東慶寺と並んで縁切寺として著名だったそうです。



満徳寺正面入り口

■ 道の駅おおた
 国道17号沿いの道の駅で、新鮮な野菜や畜産物が並ぶ採れたて市場と、群馬県の民芸品や工芸品を集めたクラフト市場があります。太田市は、全国でも有数のヤマトイモの産地で、これがズラリと並んでいました。

■ 熊谷市妻沼小島のヒマワリ畑
 多くの人は利根川を境にして群馬県と埼玉県が対峙していると思われているようですが、実は利根川の北側にも熊谷市があるのです。妻沼小島という地名ですが、8月に熊谷市に住む大学先輩が、一面のひまわり畑がきれいだとフェイスブックに載せていたので行って見ようと思ったのです。堤防の上から見たらあちらこちらにひまわり畑がありますが、大輪のヒマワリは皆うなだれて茶色く変色し、もう終わってました。しかし堤防を降りて見たら、そこには素晴らしい風景がありました。お墓があり、もうヒガンバナが咲き終えるところでした。まだ彼岸まで日にちがあるのにどうしたことでしょう?

一面のゴマ畑、ピンクの花がきれいでした


このヒマワリ畑は小輪のひまわりでこれから咲くようです


上武の名産は何と言ってもネギですね


これは何?巨大なヤツデみたいな南国風の植物・・・パパイアですね
ネギ畑の隣に、ズラリとパパイアの木が並んでいる様は壮観でした

■ 道の駅めぬま
 国道407号沿いの「道の駅めぬま」に寄りました。以前寄ったとき、バラ園がとてもきれいで、2階のレストランで薔薇を見ながらランチしたことを思い出しました。今は可哀そうなぐらい切られています。薔薇は切ることでますます勢い付く花なのです。2階建ての円形の建物は「めぬぱる」と言い、1階が物産販売、2階がレストランと「にっぽん女性第1号資料ギャラリー」となっており一見の価値があります。地元の日本女性医師第1号の荻野吟子さんを始め、各分野で「日本女性第1号」となった方30人が”いちばん星見つけた”というテーマのもとに、大きな写真と共に飾られ紹介されています。是非一度足を運んでください。「めぬぱる」を囲んで「めぬまアグリパーク」となっていて、公園では春と秋に約400種2000株のバラを楽しむことができます。敷地内に「JAくまがや農産物直売所ふれあいセンター妻沼店」があり、利根川流域の肥沃な大地から採れる新鮮な野菜を販売しています。メダカや切り花も人気です。ここでジャガイモと栗かぼちゃを買いました。

めぬぱる

■ 円安ドル高進行→行政の方向転換が必須
 前回外国為替市場で円相場が独歩安となって、24年ぶりの円安水準となっていることを書きましたが、それから1週間で一気に加速して4円も円安となる異常事態、明らかに円が信用を失って、投機対象となっています。それでも日銀黒田総裁の金融緩和維持、長期金利抑え込み姿勢が変わらないのは「意固地」だと日経新聞などは書いています。しかし、もし金利を上げたら、日銀が債務超過に陥る恐れがあり、動けないのが実態です。日銀が毎月発表している実質実効為替レートは、円とドルなど特定の通貨との力関係だけでなく、約60ヶ国・地域の主要通貨との相対的な力関係を表し、対象国との貿易取引量、物価の違いなどを踏まえて算出されます。指数の低下は、円でモノやサービスを購入する場合に他通貨に比べて割高となることを意味します。直近の最新値は2022年8月発表の7月の値で、58.7です。これは1971年8月の58.41以来約51年ぶりの低水準です。ちなみに、米国のドル安誘導で合意した1985年9月のプラザ合意前はおよそ80から90の間で推移していましたが、プラザ合意によって一気に円高となったため110から120に跳ね上がり、1995年4月に150.84の最高値となりました。円が強かった時代、懐かしい!このころすでに日本人の実質賃金低下は始まっていました。現在の日本の実質実効為替レートは、プラザ合意前と比べても3割以上水準を下げているわけですが、名目実効レートはプラザ合意時と比べてむしろ77%以上円高水準になっており、相対的な物価水準が6割以上下がってます。つまり、実質実効レートで見た日本の長期的な国際的購買力の低下は、円安ではなく低インフレ(デフレ)が主因です。こうした視点からすれば、現時点で日本が金融引き締めに転じることは理にかなっていません。ものすごいインフレ下にある米国やEUが金融引き締めのため金利を上げるのは当然ですが、日本はその前にまずやるべきことがある、それは日本人の所得の向上です。岸田首相の「所得倍増」公約など信じている人はいないでしょうが、海外での訪日需要がものすごく高まっているのに、日本政府の外国人観光客呼び込みへの極端な消極性や、規制過剰、将来ロードマップの欠如がダメなのです。日本農業の再生、国内でのものづくり復活、そのためには教育への注力が一番大事、現状の少子化対策では子どもは増えません。人は将来への明るい希望があるから結婚するのです。かといって外国からの移民受け入れには門を閉ざす、あれもダメ、これもダメ、日本はこのままでは奈落の底に向かう滝壺へと急流を下る状態です。今は千載一遇のチャンス、日本の行政の方向を大きく変えない限り、日本沈没は眼の前といえるでしょう。日本経済新聞や産経新聞が日本政府の経済政策に特に厳しい論調になってきたのが象徴的です。

■ ジム・ロジャーズの警告・・・“50年後の日本”
 ジョージ・ソロス氏やウォーレン・バフェット氏と並ぶ著名投資家のジム・ロジャーズ氏は親日家で知られますが、「文藝春秋」2022年10月号で、「このままでは日本経済は破綻する」「日本経済SOS 最後のチャンスを逃すな」と寄稿しています。このままでは円安はますます進む、2018年に日本株式はすべて手放し、ETFを買ったけどそれもそろそろかな?と言います。今の日本政府の政策は国民を地獄へまっしぐらに誘導していて、世界中のヘッジファンドが日本売りをチャンスととらえている、もし日本国民がドルを買うようになったらおしまいだというのです。YAHOO!ニュース参照。

■ 沖縄県知事選挙
 第2次岸田内閣発足後初の大型地方選挙となった沖縄県知事選挙は、保革が激しく競り合う展開になると予想されていましたが、野党勢力が支持する現職の玉城デニー氏(62)が、岸田政権の推す新人の佐喜真淳(さきま・あつし)氏(58)と元衆院議員の下地幹郎氏(61)を大差で破る結果となりました。最大の争点は全国最悪ともいわれた新型コロナ禍で冷え込んだ経済の再建策です。自民党はこれを「県政危機」と呼び、国との連携強化によって乗り切る政策を昨年から訴えてきて、今年に入ってからの市長選で自民推薦の候補が玉城氏を支える「オール沖縄」系候補に4連勝する展開でした。7月の参院選は敗れたものの、ほぼ無名の自民新人がオール沖縄系の現職に得票率で0.5ポイント差まで迫るなど、保革伯仲と見られていたのです。自民党が擁立した佐喜真氏は、それまで曖昧にしてきた米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題について「容認」を明言、代わりに2030年までの普天間返還実現と国から3,500億円以上の振興予算獲得を打ち出しました。しかし世界平和統一家庭連合(旧統一教会)をめぐる問題と安倍氏国葬問題で、自民党にかつてない逆風が吹き、論戦で攻勢に出るどころか、防戦に追われる形になりました。国はこれまで基地問題と国からの振興予算の露骨な「アメとムチ」政策を沖縄に適用してきましたが、沖縄県民の辺野古問題に対する意識はこの選挙結果でダメ押し的なものとなりました。

沖縄県知事選で再選を決め、支援者らとカチャーシーを踊る玉城デニー氏(2022年9月11日産経ニュースより)

■ エリザベス女王逝去
 イギリスの君主として歴代最長となる70年にわたって在位してきたエリザベス女王が2022年9月8日 96歳で亡くなりました イギリス国民が悲嘆にくれる有様が報道されていますが 悲しみは世界中の人々に共有されていると言って良いでしょう とにかく素敵な ユーモアにあふれた女王様でした 安らかな眠りを祈ります
(2022年9月12日)


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