489  山と渓谷

 7月23日は二十四節気の「大暑」で、土用の丑の日でもありました。今年の天気は変ですね。一度真夏みたいになったのに、その後戻り梅雨みたいになって、二度目の梅雨明けかと思ったらそうでもない、梅干しを「三日三晩の土用干し」すべき時期なのに、カラッとした晴れが続きません。二週間天気予報を見ても、晴れの日が続かず、しかも予報がコロコロ変わります。この時期は、例年なら太平洋高気圧がデンと居座って真夏の暑さをもたらすはずが、その勢力が弱くて、南から湿った暖かい空気が入り込みやすいので不安定な天候になっています。実際我が住む地域もずっと雷注意報が出っ放し、解除されるやすぐ発令される状況がず〜〜〜っと続いています。


浦和の鰻重


■ 事件〜戦争〜感染症〜宗教
 ふじみ野市の人質事件から半年経ちました。筆者たちが毎週少年野球にいそしんでいるグラウンドの目の前に殺人犯が住んでいたなんて、驚きを通り越して恐怖を感じました。現場は今もブルーシートに覆われています。その後で今度はロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛け、世界中の人々が怒り、悲しんでいます。世界が分断し、対立が長引きそうです。その影響でエネルギー価格高止まり、資源争奪、インフレ昂進、人々の不満が段々溜まって行きます。さらに日本では安倍元首相が暗殺され、COVID-19第七波が感染急増し、サル痘感染者が初めて見つかる、桜島が噴火する、こうした異常事態がもたらす影響は、人々の不安をかきたて、宗教への傾斜をもたらすのではないかと恐れています。

■ 子の権現へ
 4回目のワクチン接種を終えて、さて温泉、しかしCOVID-19感染拡大でヤバそうなので近場、するといつもの両神温泉ですね。川越〜日高〜飯能を通り、横瀬〜秩父〜小鹿野です。国道299号線をひたすら走ります。JR川越線と並行して走り、終点の高麗川駅で八高線に繋がります。更に進むと、高麗川の巾着田近辺は水遊びする親子がグジャグジャ居ました。ここで今度は西武秩父線と並行します。道路標識「子の権現(ねのごんげん)」を見て、あぁ懐かしい、寄ってみることにしました。若いころはオートバイでこの辺はガンガン走り回っていました。もう3〜40年前の話です。細い急坂をくねくねと上りました。「子の権現」は標高640mにあり、「出羽三山」に象徴される山岳信仰のお寺で、正式名称は天台宗の天龍寺という寺院です。
 「関東ふれあいの道」というのが各所に設置されていて、環境省や関東各都県が協力して整備しています。埼玉県には13コースあり、ここはそのひとつ、名栗村小殿から飯能市吾野までの9.5kmのコースの最高点近くです。この日もハイカーや自転車乗りがたくさん来ていました。




山門(その手前になぜか赤い鳥居があります、神仏混淆の典型です)


仁王像


江戸末期築の本坊 屋根が見事です 御朱印帳を出して書いてもらっている夫婦が居ます


本堂 ここでお線香を買い そなえました 右脇から急な坂を上ると奥の院です


ワラジと夫婦下駄 足腰のお寺なのです


奥の院の隣にある鐘つき堂


東京スカイツリー見晴らし処 634m、同じ高さのところだそうです


二本杉 片方はバッサリ斬られていますが、もう片方はまだ生きてて 樹齢800年 中が空洞です
 天龍寺は、延喜11年(911年)6月13日、和歌山県天野で子年子月子日子刻に生誕した子ノ聖(ねのひじり)が、出羽山で修行後、初めてこの地に十一面観音をお祀りしたことに始まるのだそうです。説明看板をまじまじと読みました。後に弟子の恵聖が子ノ聖を大権現と崇め、子ノ聖大権現社(天龍寺)を建立したとされます。子ノ聖は修行した出羽山から天の導きによって吾野まで来ましたが、ここで邪鬼に火を放たれ腰まで炎に包まれたそうです。そのとき天から現れた天龍が雨を降らせ火を消し、十一面観音の姿に変わり雲間に消えた・・・その報恩にこの山頂に小屋を建て、それが天龍寺の始まりだそうです。聖は昇天に際して「我、化縁につきぬれば寂光の本土に帰るべし。然れども、この山に跡を垂れて永く衆生を守らん。我登山の折、魔火のため腰と足を傷め悩めることあり。故に腰より下を病める者、一心に祈らば、その験を得せしめん」と述べ、以来、足腰守護の神仏として信仰されています。子ノ権現は、高麗川と名栗川の分水尾根上に祀られる山寺で、南へ連なる山中には竹寺が木立に埋もれ、2つのお寺を結ぶ尾根道は、静かなハイキングコースとなっています。鉄のワラジを始め、夫婦下駄・庫裡廊下梁に掲げた額等信仰の証となるものが多く残されています。 一般に足腰の調子が良くない人、古くは人力車、荷車関係の従事者、農林漁業に従事している人、相撲取り(力士)、陸上競技・野球・サッカー・バスケットボール・スポーツサイクルなどのスポーツ関係の人々、トレイルラン・ハイキング愛好者が年間を通じて参詣し、檀家を持たぬが故に、その浄財で運営されているお寺だそうです。人間の足を転じて自動車や自転車・バイクの無事故交通安全を祈願される方々も来るようです。それで納得しました。境内にバイクラックがありました。自転車乗りがいっぱい来てるのはそういうことか...

■ どさん子ラーメン
 以前小鹿野町両神温泉行きの途中、「札幌ラーメン どさん子」に寄ったことを420『両神』(2021年3月29日)で紹介しました。懐かしい名前を見て、衝動的に立ち寄ったのですが、ここはどさん子ラーメン小鹿野店でした。
 小鹿野店は小鹿野町大字下小鹿野1591-1にあり、299号を進んで、左手に「旅立ちの丘」がある「秩父ミューズパーク」、右手に筆者が度々正月を過ごした彩の森カントリークラブを見て、赤平川を渡った左手に有ります。赤平川沿いには、以前紹介した「おがの化石館」や「ようばけ」があり、以前宿泊した秩父小鹿野温泉「旅館梁山泊」があります。その上流で小森川が合流します。小森川沿いに両神温泉・国民宿舎両神荘があるのです。
 今回は荒川沿いの秩父市別所471-1にある「どさん子リブランド進化版別所店」に寄りました。というのは、横瀬町から秩父市を通って小鹿野町両神荘へ行くのには、荒川を渡ってから真っ直ぐ行けないのです。「秩父ミューズパーク」のある「美の山」という大きな森が立ちはだかるので、これを@299号のルート通り北回りするA秩父ミューズパークを突っ切るB美の山の南側を回るC荒川と秩父鉄道に沿って西へ向かい、三峰口から140号と別れて北上するという大きく四つのルートが有ります。下の図は羊山公園の北側「坂氷」地区から両神荘へのGoogleMapルート図です。さすがに@のルートは大回り過ぎるので省略(図中黄色い299号ルートです)、Aが上側鼠色の208号〜秩父ミューズパークを突っ切るルート(19.4km)、Bが青色のオーソドックス209号ルート(18.5km)、Cが下側鼠色の南大回り国道140号〜県道37号ルート(19.1km)です。
 @のルート…国道299号は大きく北へ向かい、大野原の西;秩父橋で荒川を渡り、更に北へ向かってから大きく左へ曲がって森の端に沿って南西方向に進みます。Aのルートは秩父駅で左折して208号を進み、ハープ橋を渡って秩父ミューズパークを突っ切るルートで、大きくV字に回ります。Bのルートは、秩父往還国道140号線(埼玉県熊谷市から山梨県増穂町を結び、彩甲斐街道とも呼ばれます)を進み、右に荒川、左に秩父鉄道に沿って南西に向かい、「秩父県土整備事務所前」交差点を右折して県道209号小鹿野影森停車場線に入ります。巴川橋で荒川を越えた後、一旦209号を離れて美の山の森の中を右へ左へクネクネ走り、途中「秩父錦」酒造前を通り、大きくV字に回って209号に合流してから、北上して梁山泊方面へ進む道、いつもはたいていこのルートです。Cのルートは、秩父往還140号線をそのまま真っ直ぐ南西方向に進んで、途中から真西に走り、秩父鉄道・武州日野駅前を通過して、左に「道の駅あらかわ」があるところを過ぎて道路が上り、下り、車線が離れて、荒川を越えたところで今度は左手に荒川となり、秩父鉄道終点、三峰口の手前、贄川の交差点を右折して県道37号線を北上して両神荘に向かう道です。以前から謎なのですが、140号線を進んで、「秩父県土整備事務所前」交差点をそのまま真っ直ぐ進むと140号線の標識が無くなって209号線になるのです。アレ?140号線は何処へ行った?と戸惑って走っていると、また「影森駅入口」交差点を過ぎると140号線になります。秩父は走りまくっているので今回は一番近道しようと思いました。羊山公園北側で299号から離れて左側に走り、140号を越えて秩父市役所北側の東町通りを進み、お花畑駅隣の踏切を渡り、右にH型の柱で有名な秩父ハープ橋を見ながら、左折〜右折して聖人通りに入り、佐久良橋で荒川を渡りました。この後真っ直ぐ森を横切る道は無く、佐久良橋交差点を右折して北へ向かい、秩父ハープ橋から来た道とクロスする「秩父ミューズパーク北口」交差点を左折して秩父ミューズパークの中を通るAのルートか、佐久良橋交差点を左折して72号秩父荒川線を走り、「巴川橋」交差点で右折して県道209号小鹿野影森停車場線に入るBのルートです。今回は最短のこのルートを選びました。佐久良橋交差点を左折してすぐ「別所運動公園」があり、間もなく左手にどさん子ラーメン別所店が有ります。

新装開店「どさん子ラーメン別所店」…左手に別所運動公園野球場があり、その先に荒川が流れます
この店は昔からありますが、新しくしたみたいで店内にはお祝いのランの花鉢がズラリと並んでいました
13時35分に待ちリストに記入、4組後ですからすぐだろうと思ったら、結局食べ終えたのが14時43分でした
ラーメン屋に1時間8分も居たのはなかなか珍しい、70席以上ある店ですヨ 調理のオジサン2名、ウェイト
レスの若い女性3名、ウェイトレス? その名が泣きますね お客様単価はいずれも千円以上でした

昔から変わらない『豚ひき肉』と『もやし』を炒め、北海道・岩田醸造製の赤味噌「紅一点」をベースに
したコクのあるスープ、モチモチの太麺を合わせた『どさん子』元祖味噌ラーメン¥730を頂きました
どさん子味噌 赤練(あかねり)、金練(きんねり)と、元祖どさん子味噌ラーメンの3種がありました
トッピングは炙りチャーシューやメンマなど、餃子は¥400、ライスは¥150、隣の客の注文にビックリ、
赤練+餃子2+ライス、しめて¥1,780...男一人、孤独のグルメ、この人は井之頭五郎か、と思いました

どさん子ラーメン別所店の駐車場から見た武甲山 削られて手前が台地になってます
三角の山でカッコイイですが、実は山頂も削られて低くなってしまいました
ふじみ野市の余熱利用施設エコパから見る武甲山は、北西側が削られた形がハッキリ分かります

余熱利用施設エコパから見る武甲山 その手前のベージュ色の建物は東京ドーナツの工場
右手笠山(通称オッパイ山)は奥武蔵右端の山、比企三山のひとつで、手前の建物は上福岡総合病院

■ 両神温泉・両神荘
 両神温泉・国民宿舎両神荘の裏手には小森川が蛇行して流れます。フットサル場があり、少年野球もやってました。両神荘のお風呂はpH9.1 強アルカリ性美肌の湯がキャッチフレーズのアルカリ性単純温泉、湧出温度は低いので加温していますが、メタホウ酸成分が多いので肌がツルツルします。

小鹿野町営国民宿舎 両神荘の外観


崖の上にある両神荘の露天風呂 眼下の川では川遊びする親子の姿が見えます


小森川で川遊びする親子
ゴムボートで流れてくる子どもをお父さんがフォローするのが露天風呂から見えました
 夕食はいつも通り、イチローズモルトのオンザロック付きの「おがの膳」を頂きました。結構質素な料理で、老人には十分な健康食です。トンカツやサラダなどはブッフェ形式になっています。お客様は相変わらず多かったですね。


■ 尾ノ内渓谷
 以前は両神荘からすぐの道の駅にある「両神農林産物直売所」で買い物した後で、埼玉県内で唯一「日本の滝百選」に選定された「丸神の滝」を見に行きましたが、今回は同じく両神山から流れ下る渓流が成す尾ノ内渓谷に行きました。国道299号を真っ直ぐ群馬県神流町へ向かい、県境の志賀坂峠の手前にある小鹿野町河原沢996の龍頭神社手前で左折、林道八日見線をクネクネと上り、駐車場に車を置きました。崖の途中に合歓(ネム)の木のきれいな花が咲いていました。尾ノ内自然ふれあい館という施設があり、今は土日のみ営業です。尾ノ内渓谷は冬に地元の人たちが水を放って氷柱を造り、それをライトアップすることで有名です。カタクリの自生地やシャクナゲ園があり、吊り橋の向こうに一番滝があり、渓谷をず〜っと上って行くと、山の神滝とか油滝があるそうですが、これは本格的渓谷トレッキングになるので途中でやめました。いかにも熊が出そうです。なお沢登りトレッキングというのはある種ブームとなっていて、一定のファンが居ます。遭難事故も起きています。都心から近いこの渓谷は、足回りが良いので訪れる人は多いでしょうね。

木片(チップ)を敷き詰めた道はムキムキして気持ち良い


吊り橋から一番滝標ぼう


苔むす岩の渓谷はいかにもマイナスイオンむんむん
 ここには「マイクロ水力発電設備」が設置されていました。谷の上流に取水タンクを設置して、約100mの導水管で発電機小屋まで持ってきて、ここに定格317Wの水車発電機と蓄電池を設置して、桟橋前広場まで送電線を引き、氷柱ライトアップに使っています。運用開始は2021年1月30日と言いますから、まだ新しいですね。

■ 夏が来れば思い出す航空機事故
 国道299号を真っ直ぐ行って志賀坂峠を越えれば群馬県ですが、両神山の西側、群馬県上野村の高天原山、通称御巣鷹の尾根にJAL123便ボーイング747SR機が墜落したのは1985年8月12日(月)でした。乗客乗員524人のうち死亡者数は520人、生存者は4人、遺体は筆者が勤務していた会社の主力事業所がある藤岡市の市民体育館に運ばれました。この体育館はレクリエーションでも利用したことがあり、衝撃でした。なお筆者はそれに先立つ「雫石事故」の目撃者としてテレビ・インタビューされたことが有ります。場所は遺体安置所となった母校雫石町立安庭小学校の校庭でした。1971年7月30日午後2時過ぎ、千歳発羽田行きの全日空ボーイング727型機と、訓練中の航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)所属のF86F戦闘機が岩手県雫石町の上空で衝突し、共に墜落したのです。全日空機の乗客乗員計162人全員が死亡、自衛隊機を操縦していた訓練生のパイロットは脱出ボタンを押してパラシュートで降りて無事でした。梅雨明けの暑い日で、雫石川でヤスを持って魚を突いていました。綺麗な青空が広がった日で、破片がキラキラと輝きながらゆっくりと落ちてくる様を今でも鮮明に覚えています。まさしく真上で衝突したのです。消防車、自衛隊、報道陣の車が田舎道に溢れ、驚きでした。もう51年になるんですね。

ANA
 
JAL

■ MLBと高校野球、三元同時視聴
 7月23日(土)、NHK総合テレビでは朝からMLBブレーブス対エンゼルス戦を中継しました。エンゼルス大谷翔平投手(28)は「1番投手兼DH」で先発出場、NHKがそこまで力を入れたのは、1918年のベーブ・ルース以来、104年ぶりの「シーズン2ケタ勝利&2ケタ本塁打」の快挙達成なるか?という試合だったからです。本塁打はノープロブレム、10勝目はこのところのピッチング安定度からして濃厚なので、歴史的瞬間を中継しようという思惑だったのでしょう。現実にものすごいピッチングで、バッタバッタと三振に切って取ります。これを見ながらテレ玉での夏の高校野球埼玉県大会準々決勝4試合をチラ見、更にパソコンで岩手の準決勝をリアルタイム動画視聴(いわて朝日テレビ)、いやはや便利な世の中になったものです。海を越えてアメリカでの試合を見ながら、埼玉県大宮公園の隣接二球場での埼玉大会準々決勝を見て、岩手県営球場での岩手大会準決勝を見れたのです。エンゼルスは残念ながら負けました。大谷翔平がこれ以上ないスゴイピッチングながら、バックの援護がありません。チャンスをことごとくフイにします。結局大谷翔平力投虚しく5敗目を喫しました。

■ 夏の高校野球;岩手県代表はノーシードの一関学院
 埼玉県大会準々決勝は浦和学院、花咲徳栄、山村学園、聖望学園が順当に勝ち上がりました。一方岩手の準決勝では、高校通算74本塁打の花巻東の2年生スラッガー、佐々木麟太郎内野手の夏が終わってしまいました。盛岡中央のプロ注目の最速152キロ右腕、斎藤響介投手(3年)との対戦で、第1打席は右前打、第2打席は中飛、第3打席は右前打、第4打席は右飛と4打数2安打を放ったものの、3−2の惜敗でした。佐々木麟太郎にはまだ来年が有ります。今年の花巻東は、大阪桐蔭や浦和学院と攻撃力では肩を並べる破壊力がありましたが、やはり野球はバッテリー、強力な投手が好調ならばそうそう打てるものではありません。一方投手力にはやや不安がありました。相手より1点でも失点が少なければ勝てるのが野球です。盛岡中央の斎藤響介投手はイケメンで、秋田・金足農の吉田輝星投手をほうふつとさせました。ここぞというところでギアが入ります。スタンドには西武の渡辺GMの姿も見えました。やはり好投手が力を発揮すれば容易に打てるものではないことを見せつけられました。続く試合、我が母校盛岡一は、いずれもノーシードから勝ち上がった一関学院との対戦、強い雨の中でのまさに泥試合となりました。一関学院は準々決勝で昨夏甲子園を沸かせたあの盛岡大付を8-0完封して勝ち上がって来ました。あの強力打線を良くぞまぁ...この試合も結局完封で、5試合連続無失点で決勝に駒を進めました。見た感じは全く強そうに見えませんが、投手の継投が見事で、打者の目が馴れてくるとサッと交代、今流行りの投手起用です。耐えて守って打撃陣も終盤堅実に打つ、野球は失点しなければ勝てるのはその通りですが、不思議なチームでした。2023年3月で岩手県営球場は閉鎖され、新球場は我が連れ合いの実家近くになります。菊池雄星が育った地域、JR岩手飯岡駅近くです。岩手県営球場で開催される“最後の夏”、決勝戦では盛岡中央の斎藤響介投手を打ち、3−2で勝ちました。甲子園でどんな戦いをみせるか、注目の一関学院です。

合歓(ネム)の木のきれいな花が咲く尾ノ内渓谷

■ 夏の高校野球;埼玉県代表はノーシードの聖望学園
 埼玉では今春センバツ4強の浦和学院の3季連続の甲子園は夢と消えました。聖望学園の142キロ右腕、岡部大輝投手(3年)がシングルだけの4安打3四球で見事な完封劇、全く表情を変えず、上から目線のようなコワイ顔のまま投げ抜きました。昨夏の初戦、浦和学院戦でコールド負け、満塁弾を打たれたのが2週間ぐらい夢に出たそうです。プロ注目の金田らを擁した自慢の打線が封じられて5回以降は二塁も踏めず、埼玉で史上初の5季連続優勝も逃しました。今年のGW連泊したリゾートホテルのある沖縄県読谷村出身のエース宮城投手も二桁奪三振の見事なピッチング、ピンチでギアチェンジするのはスゴイと思いました。今年の聖望学園はナント!ノーシードです。岡部大輝投手はとにかく制球が見事でした。どんな強打者でも、内/外角、高/低、速球/変化球投げ分けられて、しかも甘い球はほぼ無しというピッチングをされたら打てません。今年の浦和学院は好投手も揃い、打撃も強力で史上最強だと見ていて、我が少年野球チームの先輩が所属する花咲徳栄、山村学園も及ばないだろうと見ていましたが、まさか聖望学園に負けるとは!1-0のシビレル試合でした。浦和学院は珍しく埼玉県出身選手がスタメンに4人居ました。1番レフト大勝選手は新座の東野小レッズ〜浦和リトルシニア、3番ショート金田選手は芝富士ゴールデンイーグルスから川口市立芝西中、4番ライト伊丹選手は大宮アローズから大宮リトルシニア、9番セカンド大内選手は富士見エンゼルスから新座東リトルシニアです。我が地域の少年野球で馴染みのチームの選手が3人も居ます。キャプテンの6番サード八谷選手は佐賀県、捕手の5番高山選手は東京〜福岡県、7番ファースト鍋倉選手は宮崎県、2番センター小林選手は唯一の2年生、千葉県出身、九州が多いですね。さはさりながら、飯能の聖望学園は長く埼玉4強の一角を担ってきました。その前に常に立ちはだかるのが浦和学院でした。我が少年野球チームの2013年度内藤主将が聖望学園に進み、1年生の2017年夏は浦和学院との準々決勝で3-0完封負け、2年生ながらレギュラーとなった2018年夏は準決勝でまたしても7-0完封負けでした。3年生の時は3番サードの中軸で、2019年夏は今度こそ浦和学院にリベンジをと思ったら浦和学院がまさかのシード落ち、上尾市民球場での五回戦、急激にのしてきた昌平にまさかの6-0完封負けでした。阪神などでプレーした鳥谷らを育てた聖望学園の名将岡本幹成監督(61)は就任37年目、春夏通じて5度目の甲子園で初優勝に挑戦します。ただ、総合力の浦和学院は全国でも屈指の攻撃力と投打のバランスを併せ持つ強豪チームですが、聖望学園エースの岡部大輝のこの日のピッチングは岡本幹成監督が「一生に一度のピッチング」というくらいですから、これを続けられるか?二番手は?と考えるといささか不安です。
(2022年7月26日)


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