141  歴史に学ぼう

 前々回、「浅田次郎さんのお話は後で紹介します」と書きました。10月31日(土)、九段下のホテルグランドパレスで行われた「東京盛岡ふるさと会総会」に先立って、盛岡ふるさと大使である浅田次郎さんのお話を聞くことができました。

■ 岩手の終わらざる夏
 浅田次郎さんの講演テーマは「岩手の終わらざる夏」でした。講演の概要は下記です。
 第一次世界大戦で兵器は飛躍的に進歩しました。飛行機、戦車、機関銃、毒ガス・・・、大量殺戮兵器はここで生まれ、多数の死傷者が出ました。これによって、戦争をしてはいけないと多くの国が気付き、国際連盟という組織が出来ました。しかし一方で、もう一つの考え方をする人たちも居ました。それは防衛力の整備と、勝つために軍備を増強しなければいけないと考える人たちです。
 第二次世界大戦の犠牲者数は明確に統計はありませんが、およそ6千万人から8千5百万人と言われています。実に世界人口の最大4%の人がこの戦争で失われたのです。多分最多は中国人だったと思われますが、詳しい統計が無く、人数は分かりません。日本では兵士250万人が死に、民間人50万人が犠牲となりました。その悲劇は今も語り継がれていますが、中国、ソ連、ドイツの数に比べれば随分少ないのです。米国の50万人は、そのほとんどが兵士です。  ソ連  2660万人
 ドイツ 800万人
 日本 300万人
 米国 50万人
 昨今、これから日本はまた徴兵しなければいけなくなると言う人たちがいます。私はそうは思いません。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私は自衛隊員だったという過去があります。実際に兵器を持って訓練しました。国民を守るという使命においてです。そこで教えられたこと、1丁の機関銃に遭遇したら、マトモに戦ってはダメです。それほど機関銃というのは強力な兵器だということです。徴兵というのは、軍人だけでは足りないから、民間から兵士をピックアップすることです。私はこれに興味を持って調べました。日本において徴兵はいかにしてなされたか?皆さんは赤紙が郵便で届くというイメージを持っていませんか?そうではありません。大日本帝国では大本営(市ヶ谷)の動員課が人数を決め、青森、秋田、岩手の場合は弘前に指令します。そこで岩手の割り当て人数が弘前から盛岡に指示されます。盛岡では氏名をピックアップして各地の警察署に指令し、それが駐在所から役場に連絡されます。役場の職員が赤紙を持って、対象者が家に居るであろう夜に届けるのです。よく映画で、電報で来ますね。あれは召集令状が本籍地に行くからです。これが来たら、1週間以内に入営しなければならない決まりになっていました。
 よく兵隊は悪、民間は善と色分けすることを見聞きしますが、そんな単純なものではありません。日本では兵のほとんどは普通の国民だったんです。あるひとは工場でものづくりしていたひと、あるひとは先生で、あるひとはお百姓さん、そんな普通のひとたちが鉄砲を持って、戦場で死んで行きました。この現実を、単に「徴兵制反対」という言葉で片付けてはなりません。私たちは過去を知ることで、今何をしなければいけないかを考えなければならない、歴史を知ること、歴史に学ぶことが大切です。


■ リベリオン ワルシャワ大攻防戦
 映画『リベリオン ワルシャワ大攻防戦』(2014)を見ました。第二次世界大戦下、ポーランド・ワルシャワ、1944年8月のナチスドイツの侵攻に対しポーランド国民がワルシャワで蜂起、ソ連の支援を期待しながらレジスタンスとポーランド国民軍が協力しながら戦いましたが、赤軍(後のソ連軍)が本気でポーランドを支援する気が無いのを見て取ったヒトラーが、周辺のドイツ軍を集結させて、圧倒的な火器による攻撃で壊滅させた事件です。この戦いで死んだレジスタンスとポーランド国民軍、巻き込まれたワルシャワ市民の死者はナント!22万人と言われています。その後ナチス・ドイツは、70万人のワルシャワ市民を追放し、ワルシャワ市街地を火炎放射器等で徹底的に破壊し尽くしました。地下に潜って残った人はわずか1000人でした。

■ ワルシャワ蜂起
 ワルシャワ蜂起とは、1944年8月1日からドイツ占領下におけるポーランドの首都・ワルシャワ市において、ソビエト軍に決起を促されたレジスタンス組織とポーランド国内軍が、ドイツ占領軍に対し武装蜂起を起こした事件です。映画に「大攻防戦」とニッポンでは副題をつけましたが、これは間違いですね。圧倒的なナチス・ドイツの戦力の前に、火器も無く蜂起した民間人では戦いになりません。歴史上の事件名である「ワルシャワ蜂起」で良かったのではないでしょうか?ワルシャワ蜂起は正規兵の戦いではないので戦争とは言われません。ナチス・ドイツに5年間も支配された後、ついにポーランドの抵抗勢力、ポーランド国内軍が立ち上がった事件です。彼らはソビエトの赤軍の応援を期待していました。しかしドイツ軍の激しい攻撃を受けた赤軍が本気で応援する気が無いことを知らない国内軍や市民は、ドイツ軍に戦いを挑んだものの、ワルシャワの町を徹底的に破壊されてしまいました。

■ 次々と死んで行く若者達
 1939年9月からドイツの占領下におかれたワルシャワ市で、我慢に我慢を重ねた市民にとっては、ようやくドイツの支配から抜け出せる絶好の機会でした。主人公は母と弟の3人暮らしです。若者たちはひそかに集まって、ポーランド国内軍と連帯して戦う相談をします。若者はいつの時代でも、血気にはやり、意気込んで活動するものです。そんな息子の姿に母は夫と同じように殺されはしまいかと心配します。ある日、市民達はナチス親衛隊によって道路に並ばされます。反逆者狩りでしょう。潜んで窓から様子を覗っていた息子の目の前で弟が頭を射抜かれ、母も同様に殺されました。戦慄の場面です。この瞬間から、このオトコは狂ったようになりました。そして他の若者達とともに、戦いへと我も我もと身を投じて行くのです。若者たちの反ナチス活動はまさに大学の同好会活動でもしているかの様です。国内軍義勇兵には、女性もたくさん参加していました。蜂起の直後、18歳以下の青年義勇兵は、銃も全員に行き渡らない装備のままドイツ軍の陣取るアパートなどに押し入ります。押し入る直前の若者たちの顔には笑顔すら浮かび、まるでふざけているかのように見えます。しかし階段を上っていた先頭の青年が、一発で撃ち殺されて、ようやく自分たちの参加している戦いの厳しさが分かります。その後も、一人また一人と仲間や友達、知り合いが死んで行きます。

■ ポーランドの悲劇
 戦闘場面のスケールは大きく、血が飛び散り、肉片が降り注ぎます。ただひたすら戦争の恐ろしさとむなしさに迫った秀作に見えました。9月末まで鎮圧作戦は続き、国内軍は壊滅します。その後、抵抗勢力が鎮圧されたワルシャワは、ドイツ軍の懲罰的な攻撃により完全に破壊し尽くされたのです。ワルシャワ市民を見殺しにしたソ連軍の姿は画面には現れませんでした。映し出されるのは、ただ逃げ惑う市民と、追いつめられていく国内軍の兵士と義勇兵たち。同じように市民やレジスタンス組織が蜂起して、ドイツ占領軍からの解放を勝ち取ったパリとは対照的です。ポーランドの悲劇はソ連に頼ったことでした。結局、その後45年ほど、ソビエトの影響下に置かれて自由のない社会体制になったポーランド、可哀そう過ぎます。ポーランドの第二次世界大戦での犠牲者数は562万人から582万人、軍人は24万人と言われています。日本と比べてどうですか?国民に占める割合を考えれば、日本とは比較にならない悲惨さです。

■ ポーランドを見殺しにしたソビエト
 1944年7月末、赤(ソビエト)軍がワルシャワまで10km地点に迫ったところで、ポーランドのレジスタンス組織に赤軍は武装蜂起を呼びかけました。8月に市民と国内軍(親イギリスの集団)は決起し、2ヶ月にも及ぶ戦いに身を投じて行きます。しかし援軍であるはずの赤軍は、ワルシャワ近郊に陣取ったまま動きません。ポーランド国内軍とドイツ軍が互いに戦力を消耗するまで傍観し続け、1945年1月にようやく進撃を再開し、ワルシャワを占領下に置きました。ソビエトは、ポーランド占領後には敵対勢力になる可能性が高いイギリスの息のかかったポーランド国内軍を支援する気は毛頭なかったと思われます。今でもポーランドの当時を知る人たちは、ソビエトに対する不信感を持ち続けているそうです。
 第二次世界大戦初め、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツに対するイギリスおよびフランスは、ソビエト連邦との同盟を拒否し、ソ連はドイツとの独ソ不可侵条約に署名しました。日本と同じようですね。同条約は両国間の対立を先延ばしにしましたが、1941年にソ連はドイツ軍に侵攻され、歴史上最大の激戦の地となりました。スターリングラードのような激戦での犠牲において、ソ連の戦争死傷者数は、判明している限り同大戦の最大割合を占めました。最終的には、1945年にソ連軍は東ヨーロッパを通り抜け、ベルリンを占領しました。ソ連は中央および東ヨーロッパにおける枢軸国軍に制圧された領土を占領し、同領土は東側諸国の衛星国と化しました。

■ 戦争当事国以外での犠牲者
 ちなみにユダヤ人はナチスドイツのホロコーストによって、どれくらい犠牲になったか?ある機関は730万人中570万人(78%)と言い、他は906万人中490万人から590万人と言っています。いずれにせよ信じられない数ですね。イスラエルが自国防衛のために過激とも思える態度を示すのは、過去の悲惨な歴史があったためと考えられます。アジアではインドやインドシナ、フィリピンなどで大量の死者が出て、日本領であった台湾や朝鮮半島でも同様です。先の大戦を語るとき、中国や韓国の人々が「過去の歴史を忘れるな」と教育されているのはこういうことなのです。日本では以前民主党政権時代に仙石さんが自衛隊を暴力装置と言って物議を醸したら、自民党の石破さんが、「その通りだ」と言ったことがありましたね。暴力装置というのは訳語なので違和感があったのでしょうが、兵隊が暴力装置でなかったら国など護れません。戦後70年、平和ボケした日本人を示すエピソードでありました。

■ ソ連と米英による東西南北分断
 ドイツはソ連と連合国軍(米英仏等)により東西に分断され、ベルリンも同様でした。今ではまた一つの国、地域になっています。朝鮮半島もソ連と米英により南北に分断され、これはまだ続いています。ソ連は戦争の末路がハッキリした段階で日ソ不可侵条約を破棄して満州国から攻め入りました。これはドイツに勝利して、東に目を向ける余裕が出来たからです。ただ日本は米国がいち早く占領したので、日本は北方領土を失うだけで済みましたが、朝鮮半島は中共とソ連の力が甚大だったのです。北朝鮮や韓国と日本の関係を語るとき、こうした歴史を知らなければなりません。朝鮮民族が、日本によって現在の姿を引き起こされたと恨みに感ずるのはこうした背景があるからです。同じく日本でも沖縄の人々が米軍と大日本帝国軍の戦いで多数犠牲になりました。沖縄の人たちが、普天間の辺野古移設を良しとせず、他所へ持って行けと言うのもこうした歴史があるからです。

■ 北方領土返還は望み薄
 北方領土と言いますが、話し合いで領土を移譲するなんて有り得ません。領土は軍事力で奪い取るもの、というのが過去の歴史です。ウクライナのクリミア半島は住民投票で、ということになっていますが、現実はウクライナ軍がロシア軍との戦闘を回避して、涙を呑んだ形です。そもそも樺太(サハリン)も千島列島も一時期日本領でしたが、これは日本が奪ったものです。しかしその後取り返されました。下手すると北海道が東側(ソ連)に渡っていた可能性がありました。戦後70年、日本がロシアとの間で話し合いで領土を返してもらえたら画期的なことですが、その見返りに渡すものも必要でしょう。しかしメドベージェフ首相が度々北方領土を訪問しているのを見ると、望み薄です。ここにロシア軍が拠点を持っているだけで、日本の喉元に匕首を突きつけていることになり、ロシアにとってはこの優位性は安全上手放すことは到底考えられません。

■ NHK朝ドラ「あさが来た」が、「花子とアン」以来の週間視聴率24%超え
 NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「あさが来た」の第7週「だんな様の秘密」(11月9日〜14日)の週間平均視聴率が24.0%(関東地区、ビデオリサーチ調べから算出)を記録したことが分かりました。初週から7週連続の20%の大台超えで、朝ドラでは2014年の「花子とアン」以来となる24%超えです。この時間帯、見たくても通勤途上や仕事で見れない人が多いはずなのにこの数値ですから、とんでもない数字です。
 「あさが来た」は、京都の豪商の次女・今井あさが大阪で炭鉱、銀行、生命保険などの事業を起こし、日本で初めての女子大学設立に尽力する姿などを描くものです。あさのモデルは“明治の女傑”といわれた実業家・広岡浅子です。朝ドラでは初めて幕末から物語がスタートしたことも話題になりました。
 どうして視聴率が高いかと言うと、豪華キャストということもさることながら、「花子とアン」同様にダブルヒロインということがあるでしょう。京都の大店の姉妹が共に大阪の両替商に嫁ぎますが、ヒロインであるお転婆の妹・あさ(波瑠)と、しとやかな姉・はつ(宮崎あおい)のその後は明暗が分かれます。あさの夫新次郎(玉木宏)は遊び人風の若旦那で優しく、白蛇のように冷徹に見えるマザコンのようなはつの夫・惣兵衛(柄本佑)と対照的です。共に女は商いなどに口を出さず、お家を護ることにひたすら腐心しなさいと教育されてきた姉妹でしたが、それを守ったはつの嫁ぎ先山王寺屋はつぶれて夜逃げ、加野屋の商いにのめり込んだあさのほうは舅(近藤正臣)の信頼を得て、九州の炭鉱を買収して新しい事業を起こします。姉妹の母(寺島しのぶ)の娘達を思う心情、嫁ぎ先の姑さん(萬田久子と風吹ジュン)と嫁の葛藤、姉妹の父(升毅)は昔ながらの怖い父ですが、実は娘達のことを心から案じています。おじいちゃん(林与一)の存在もドラマに味を与えています。新次郎は単に優しいだけでなく、気配りのきく、それで居て行動力もある人物、はつの夫・惣兵衛は実は大変な愛妻家で、自分が家を倒産させて、はつが大事にしていた箏を売り払ってしまったことを後悔して失踪します。その箏を探し出して手に入れたのは新次郎でした。はつは和歌山へ旅立つ別れ際、新次郎にあさのことをよろしくと頼みます。そして「五代友厚(ディーン・フジオカ)に負けるな」と告げます。いよいよ炭鉱の不審な組頭サトシの正体がわかってきます・・・。
 ところで加野屋の後継ぎは何故お兄ちゃんの新次郎ではなく三男なのかと言いますと、昔は長男が家を継ぎ、次男は成人すると分家となりました。ところが長男が死んだので、家に残っていたまだ成人していない三男が後継ぎになり、分家のお兄ちゃんが後見人になりました。今では考えられないのですが、チョット前までは『家』という概念はそういうものだったのです。本家と分家です。ちなみに、はつとあさの家、ドラマでは今井家は実は三井家で、後の三井財閥です。
 NHK連続テレビ小説(朝ドラ)の最大のヒット作は伝説の「おしん」ですね。これは中韓や東南アジアで大ヒットしました。ウルトラ貧乏な生活から辛抱して頑張っていく姿は、欧米列強に頭を押さえつけられて、耐えながら頑張るアジアの人々の姿に重なりますから共感するのでしょう。「あさが来た」のモデルは大店の裕福な家からスタートしましたが、両親の理想の娘だったはつが、きつい姑と、家の倒産の憂き目に会いながら、子供を産んで気丈に家を支えていく姿が、子供は出来ないが商いにのめり込んで昔の女では有り得ない男勝りの活躍をするあさと対照的で、しかし共に夫を想い、仲の良い姉妹で、家族が助け合いながら暮らして行く、これはまた中韓や東南アジアでヒットするのは間違いないでしょう。

■ 「下町ロケット」第5話視聴率20・2%!前半完結、初の大台超え
 TBS日曜劇場「下町ロケット」(日曜夜9時)の第5話が11月15日に放送され、前半「ロケット編」が完結しました。平均視聴率は20.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)、「世界野球プレミア12」の生中継が延び、午後10時35分からのオンエアだったのにもかかわらず、ついに大台を突破しました。
 原作は池井戸潤の同名小説ですが、阿部寛演じる佃航平が主人公、帝国重工の社長が杉良太郎、部長が吉川晃司です。
 なぜこんなに人気があるのか?「下町ロケット」は“勧善懲悪”に徹しているからでしょう。かつて大ヒットした『半沢直樹』と同じく主役は徹底的に良い人で、敵役はいかにも憎々しげな人たちです。昔から日本人に人気がある水戸黄門同様、シロクロがハッキリしています。悪代官とその手下と散々斬り合ったあげく、印籠を出して「控え居ろう、この紋所が目に入らぬか! 恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀候にあらせられるゾ」とのたまうと、一同平伏して「ハハー」となるわけですが、毎回同じような展開でも、この痛快さが日本人にはたまらないんですね。どうせ葵のご紋の印籠を出すんなら、あんなに相手を痛めつけなくても、早く出せよと思いますヨ。悪代官の手下は普通のサラリーマンと言うよりは、今の企業以上に上役に忠実でなければならず、妻子だって居るはずなのに、可哀そうです。この善悪明確パターンがヒットの理由で、たとえば、『半沢直樹』では半沢が悪事の証拠メールを突き付けたり、『下町ロケット』でも燃焼試験の失敗原因が他社のフィルターにあることを突き止めます。企業社会の現実はそううまくいかないんですよ。悪事が分かっても、最近では内部告発するケースが出てきて、前回のテーマ「不正や偽装」が暴かれるようになって来ましたが、チョット前まではそんなことしたらクビでした。「下町ロケット」は「半沢直樹」とプロデューサーや脚本家、演出家など制作陣が共通しています。悪役が憎たらしいほど、それをやっつけると拍手喝采、日曜夜にこれだけスカッとさせられると、翌日からの仕事にも意欲が湧くというものですナ。

■ 俳優の阿藤快さんと日本相撲協会の北の湖理事長が急逝
 俳優の阿藤快さんが逝去されました。11月14日が69歳の誕生日でした。15日、親族らが東京都内の自宅の布団の中で亡くなっている阿藤さんを見つけたそうで、大動脈瘤破裂胸腔内出血だったそうです。大柄で個性的な容姿と、「なんだかな〜」などのぶっきらぼうな口ぶりで愛された個性派俳優でした。「下町ロケット」にも出てましたね。高倉健さんの映画やドラマに出演する一方、日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」など旅番組やグルメ番組のリポーターとしても活躍しました。芸能界では、「健康」や「食」に人一倍こだわりをもつことでも知られた人でした。「N-アセチルグルコサミン」の愛用者で、座右の銘は「一日一生」・・・「今日一日を自分の一生の最後の日だと思って、大切に精一杯、一日を生きる」ということをモットーに日々を過ごすことでした。ご冥福を祈ります 合掌
 日本相撲協会の北の湖理事長が11月20日急逝されました。横綱・白鵬の「猫だまし」に苦言を呈すなどいつもと変わらぬ様子だったのに・・・。直腸がんによる多臓器不全でした。憎たらしいほど強かった大横綱のご冥福を祈ります 合掌

故阿藤快さん
(2015年11月21日)


次回へ    前回へ    最新ページへ つぶやき最終回