135  終末期

 急に涼しくなってきました。天高く、馬肥ゆる秋です。青空にほうき雲が流れ、秋だな〜と実感します。収穫の秋、スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋・・・・、秋は人によって感じるところ様々ですが、日中は湿度も低く、もっとも過ごし易い季節と言えます。広葉樹は次第に紅葉し、やがて枯葉となって落葉します。その落ち葉を微生物が腐葉土にして、それを養分に翌年また新しい命が育まれます。古来ず〜〜〜と昔から繰り返されるこのサイクル、命を落とすということは新しい命の始まりですから、死ぬということは新しい命のためなのだと思って死んで行きましょう。この週末はまた仙台へ行ってきます。終末を迎えた母の顔を見に...

■ 体育の日
 10月10日と言えば、1964(昭和39)年のこの日、アジアで最初のオリンピックが東京で開会されました。これを記念して、1966〜1999年の間は「体育の日」として祝日とされていましたが、2000年より祝日法改正に伴い10月第2月曜日になりました。今年は10月12日(月)です。以前は体育の日は少年野球の休みの日にしていましたが、晴天確率の高いこの時期、チーム数が減ったのに大会は増えて、休めなくなりました。

■ 思い出す年末葬儀、つぶやき抜き
 10月10日と言えば思い出すのが連れ合いの大叔母さんの誕生日であったことです。人使いの荒い人で、ずいぶんアッシー君をやらされました。誕生日だから祝いに来い、という感じなんですよ。ですから体育の日というよりも、この大叔母さんの日という印象でした。さんきのつぶやきは520回、10年間で1回だけ休みました。つぶやき103『老人医療』(2004年12月26日)で、この大叔母さんが明日をもしれぬ状態にあることを書きました。「点滴だけで命をつないでいる姿は痛々しく、心が重くなってくる」と書いています。次の104『情けはひとのためならず』(2005年1月9日)では、この女性が死去し、30日のお通夜、大晦日の告別式、火葬となって、慌しくてとてもつぶやくどころではなく、1回抜きのつぶやきとなったと書いています。本来は2005年1月1日が土曜日で、104は2005年元日の予定でした。2004年12月28日に会社の年末の締めをした後、戸田市から清瀬市の病院に直行し、この大叔母さんを見舞いました。国立病院の総婦長を勤めた人です。部下だった看護師さんが偉くなってこの病院に勤務していました。この人が来て、「もうすぐ退院して隣の介護施設に移りましょうね」と本人と話していました。筆者も手を握って、「また来ますからお元気で」と言って枕もとを離れました。夜の8時ぐらいだったでしょうか。自宅の電話が鳴ったのは、草木も眠る丑三つ時でした。クルマをぶっ飛ばして駆け付けたら既にご臨終でした。一番近いので、まだ誰も来ていません。甥っ子さんが後で埼玉県川口市からやってきました。師走の12月29日、当然三が日は火葬場も休みです。葬儀社と相談して、直ちに翌日の通夜と大晦日の葬儀の手配をし、親戚、友人、知人への連絡に追われました。

■ 最後の面会人
 すなわち筆者が最後の面会人だったわけです。看護師さんと「介護施設に移りましょうね」と話しているくらいですから、今すぐどうのということはないだろうと考えていたのが、後から考えると甘かったと言えます。「点滴だけで命をつないでいる」ということ自体、もはや何があってもおかしくないと考えるべきでした。ただ、自分自身の親戚でもないアッシー君が、手を握ってお別れを言えたことは、良かったと言えるし、やはり何かの予感があったのでしょう。

■ 命のともしびを
 このときのつぶやきにも書きましたが、父が亡くなった時は突然で、会社にお客様(サッポロビール)を迎えて立合い試験の最中でした。悪くなってきたということは聞いていただけに仕事はそっちのけで病院へ行くべきだったと後悔しました。近ければ間に合ったでしょうが、550kmは遠過ぎました。老人は本来の病気でないところで、急速に容態が悪化するケースが多いそうです。抵抗力が弱くなっているからでしょう。手を握って送ってやりたかったとつくづく思いました。仙台に見舞う母はもはや94歳、かの大叔母さんの85歳より9歳も上ですから、生きているほうが不思議な年齢です。終末期、人は懸命に命のともしびを焚き続けると言います。一生懸命呼吸をして、大往生を迎えられるように見守りたいと思っております。

■ 自然科学分野で二つのノーベル賞
 2015年の自然科学分野のノーベル賞は大村智氏(80)が医学・生理学賞、梶田隆章氏(56)が物理学賞に輝きました。今世紀の自然科学分野のノーベル賞は、米国の55人に次いで日本が世界2位です。政府は2001年に「今後50年間で30人程度の受賞者を輩出する」との目標を掲げましたが、15年で15人、すでに半分を達成したことになり、目標以上のハイペースです。ノーベル賞級の研究成果を挙げた科学者、工学者はまだ数十人居ます。長生きしないと貰えないで賞なんて言われています。

■ 「スーパーカミオカンデ」のおかげ
 それにしては若い梶田氏が素粒子ニュートリノで成果を挙げたのは岐阜県飛騨市にある観測施設「スーパーカミオカンデ」によるものです。国や政治家に基礎研究の大切さを訴え、「この装置ができたらノーベル賞が2回ぐらい取れる」と説得した有馬元東大総長の話が現実になりました。浜松ホトニクスの光電子増倍管を使ったこの施設については、さんきのつぶやき109『がんPET』(2005年2月11日)で紹介しました。梶田氏が還暦前で受賞できたのはまさにこの装置のおかげです。「スーパーカミオカンデ」によって、小柴昌俊さんに続き、弟子の梶田さんも受賞できました。

■ 数十年前の業績が評価されたノーベル賞
 一方北里大学栄誉教授の大村氏のほうは、寄生虫薬用の微生物を発見して世界で数億人を病原菌から守ったというわけですから、まさしくノーベル賞にふさわしい研究成果でした。北里柴三郎氏がもし今の日本に存命なら、間違いなくノーベル賞だったでしょうが、あの時代は日本やドイツの科学者は無理でした。ノーベル賞の多くは数十年前の業績が評価されたもので、現在の受賞ラッシュは1960年代以降日本が基礎研究に注力した成果が出ているものです。今の日本の科学技術は、「成果主義」となっていますから、東大の「スーパーカミオカンデ」のような施設は例外として、今後日本の受賞者数は先細りに転じると懸念する声もあります。
 また今回山梨大学と埼玉大学卒の研究者の受賞で、旧帝大出身者でなくてもノーベル賞が頂けるということもニュースでした。そういえば青色発光ダイオードの中村教授も徳島大学でしたね。中村さんについてはたびたび触れていますが、最初は200億円判決のつぶやき56『バイテク懸念』(2004年2月1日)だったと思います。
 韓国では、日本ばかり受賞して、青色発光ダイオードのような応用研究でもノーベル賞が頂けるのに何故韓国は・・・・と口惜しがる向きもあるようですが、やはり歴史が違います。数十年後は中国が受賞ラッシュになっているかもしれません。やはり研究に対するカネの掛け方も影響しますから、貧しい国は賞も頂けません。

■ ハルキスト?
 ノーベル賞で毎年大騒ぎになるのが村上春樹氏ですね。「ハルキスト」という人たちが集まって恒例の大騒ぎ、騒ぐのが楽しいという感じで、年中行事みたいになってきました。本人は、騒がれることへの感想を聞かれ、「競馬の予想じゃあるまいし・・・」と言っているそうですが、まんざらでもないでしょう。「ハルキスト」じゃなく、「村上主義者」のほうがいいんじゃないの?と言っているそうですよ。

■ ハロウィーン
 10月は祭りの秋でもありますね、収穫祭、毎年10月31日に行われる、ヨーロッパを発祥とする祭りがHalloweenです。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事で、11月1日の、カトリックの聖人の日である万聖節(All-hallow)の前の晩に行われます。「All-hallow-even」を短縮して、Halloweenと呼ばれるのだそうです。伝統色は黒色とオレンジ色、現在では、本来の宗教的な意味合いはほとんど失われ、欧米、特にアメリカで、民間行事として定着しています。カボチャの中身をくりぬいて中にろうそくを立てた「ジャック・オー・ランタン」をつくったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して、近くの家々を訪れ「Trick or treat(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」と唱えてお菓子をもらったりするのだそうです。家庭によっては、カボチャのお菓子をつくったり、子どもたちがもらったお菓子を持ち寄って、パーティーを開いたりするそうです。日本では、アメリカやヨーロッパのような風習はありませんが、なんでも商売にしてしまうお国柄、ここ数年、キャンペーンやイベントに取り入れる企業なども出てきて、行事として定着した感があります。渋谷の仮装とか・・・。

■ TPP
 TPPが合意に達し、これから各国で議会の承認を得る動きになります。米国ではオバマ大統領の足元の民主党で今回のTPP合意内容に反対が顕著になってきました。この情勢を見て、本来推進派だった有力候補のヒラリー・クリントンさんも「反対」と意思表明しました。共和党は本来自由貿易主義ですから総論賛成でしょうが、オバマのTPPはイヤだと言い出すかもしれません。特に製薬企業をバックにした議員たちです。
 日本は与党が圧倒的多数なので、議会は問題になりませんが、来年の参議院議員選挙を控えて国民の意思が政府には気になります。消費者はモノが安くなることを歓迎するでしょうが、食糧安保を考えたら、これで日本は安保上難しくなりました。日本の首根っこを捕まえて脅すことは簡単になります。政府は農業へのテコ入れに躍起になるでしょうが、焼け石に水でしょう。地方に行くと耕作放棄地が増えて、雑草が生い茂り、昔の開拓前の荒野が戻りつつあります。山林も荒廃してきました。野菜はともかくとして、穀物や芋、大豆、とうもろこしは、この国土で生産したらどんなに頑張っても米国、カナダ、オーストラリアの広大な農地で栽培されるものにはコストで雲泥の差です。肉も酪農もしかりです。食糧はコストではありません。美味しいこと、安全なこと、健康に良いことです。高くても国産品を購入する人は金持ちだけになります。ピーナッツを見たら一目瞭然です。昔の美味しかった落花生はすっかり淘汰されて、まずい中国産のピーナッツだけになりました。チバラギ産の美味しい落花生はわずかに残っていますよ。でも中国産の3倍から4倍の価格です。昔、「貧乏人は麦を食え」と言った首相がいましたね。業務スーパーが大人気で、ドンドン店の数が増えています。中国産の食品が多いのが特徴です。神戸物産の株価はうなぎのぼり、首相から言われなくても消費者は安い輸入品に群がっています。一方成城石井やクイーンズ伊勢丹に行く人もいます。二極分化です。
 今後日本は農家がドンドン消滅し、大規模農業企業がとって代わるでしょう。農業機械が入りにくい山間地は取り残されます。棚田などは、都会人の寄付によって維持すべく、就農者を募集して、お金を払って耕作してもらうことになります。

■ 内閣改造
 第3次安倍改造内閣発足後の記者会見で、安倍晋三首相は行革担当相として初入閣させた河野太郎衆院議員について「大勢に迎合することなく、常に改革を強く訴えてきた情熱の持ち主」と高く評価しました。唯一のライバルの石破氏を閣内に取り込んで、ハト派代表岸田氏も取り込んでいますから、自民党有数の脱原発・河野氏を取り込めば、一匹狼の村上氏ぐらいしか骨のある人は居ません。「核のゴミ」問題が解決しないままでの原発再稼働を「無責任」だと主張してきた河野氏ですが、2015年10月7日に入閣が決まると、主張をつづったブログの記事は削除されました。記者会見では「(安倍首相と)ベクトルとしては同じ方向を向いている」と釈明し、「決まったことについては、それを誠実に実行する」とも述べました。すっかり牙を抜かれてしまった格好ですが、大臣というのはそれだけ名誉なポストだということですよ。

■ 熊谷市の6人殺害事件
 埼玉県熊谷市で6人が殺害された事件で、逮捕されたペルー国籍のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン容疑者(30)は、過去の経歴を聞いたところ、訳の分からないことを言っているそうです。また殺人についても「やってない」と言っているそうです。多分精神的に異常なのでしょう。でなければ幼い女の子二人まで殺すなんて考えられません。こういう事件が起きますと、とかく外国人の犯罪が怖いと言われますが、どうして、日本人は最近十分凶悪になってきています。統計的にも外国人だから犯罪が多いとはいえないそうです。また振り込め詐欺のような卑劣な犯罪も、日本人の劣悪化を物語っていると思えて仕方ありません。警察が二重ロックを呼び掛けるなど、いやな世の中になってきました。

■ Ecopaふじみ野市誕生10周年記念イベント
 ふじみ野市誕生10周年記念イベントが2015年10月8日(木)エコパ大広間で開催されました。参加費:無料(別途入館料が必要)
【第一部】 「ムジカベベ」によるハープ・フルート・ソプラノ演奏
【第二部】 山田龍二・山田大輔・松島アキラ出演の歌謡ショー
 松島アキラは愛称スピッツと呼ばれました。それくらい若い頃は目がクリッとして可愛かったのです。代表曲は「湖愁」(ヴィクターレコード)、1961年・・・54年前ですよ!当時のレコードの伴奏は時代を感じさせるシンプルさで、これがかえって良いのですよ。今だと重厚になります。

左の松島アキラが新曲「Twist and 鮨」を歌う、お客さんも舞台に上がってツイスト、右は山田龍二、大輔
 松島アキラの「湖愁」・・・懐かしいと言ったらトシがわかります。127『老化』(2015年8月17日)で、冠二郎がトシをごまかしていて、1949年生まれの66歳と言っていたのに、実は1944年生まれの71歳だったと「週刊女性」ですっぱ抜かれたことを紹介しました。松島アキラは冠二郎と同じ1944年生まれです。
 ♪悲しい恋の なきがらは
 ♪そっと流そう 泣かないで
 ♪かわいあの娘よ さようなら
 ♪たそがれ迫る 湖の
 ♪水に浮かべる 木の葉舟
スラスラ歌えます。新曲は「Twist and 鮨」、60代、70代には懐かしいリズム。松島アキラは「泣くんじゃないぜ」をハナで歌い、トリは裕次郎メドレーでした。「泣くんじゃないぜ」は1962年に映画になりました。風間興業のチンピラ大森信次(川地民夫)は、同じ少年院を出た歌手志望の松宮アキラ(松島アキラ)を自分の弟のように可愛がっていました。アキラは信次の世話で、一流の山田プロと契約を結ぶことが出来ました・・・この後、ヤクザの抗争やら何やらいろいろあって、最後はアキラのファンで沸き上っていた沼津公会堂での歌謡ショー、手錠をはめられた信次が、満足そうにアキラの舞台をみつめていた・・・という物語でした。他に田代みどりとか、菅井一郎が出演しました、わ〜〜〜、懐かしい、エッ、知らない?アッ、そう。
(2015年10月10日)


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