134  ふるさとツアー

 前回予告の通り、9月26日(土)〜27日(日)、岩手県へ在京盛岡広域産業人会の会員ツアーで行って来た報告です。詳しくは在京盛岡広域産業人会のホームページをご覧頂くとして、ここでは温泉と食事だけ触れます。

■ 松川温泉の白いにごり湯
 岩手県八幡平市の松川温泉は、日本百名山である岩手山から西の奥羽山脈につながる連山があって、大倉山と大松倉山の辺りの北麓に位置します。南麓は雫石町の網張温泉です。すなわち岩手山は、南北に東北中央に連なる奥羽山脈から、真っ直ぐ東に向かって突き出た山脈の突端なのです。したがって石川啄木の生まれた盛岡市玉山(渋民)は岩手山の更に東部なので、コチラから見ると両方裾を引いた富士山のような山に見えます。南部の雫石、盛岡、矢巾、紫波のほうから見ると、右側は裾を引き、左は山脈です。北の八幡平市や岩手町のほうから見ると左側は裾を引き、右は山脈です。ただし、この山は見る角度によって全く姿形を変えます。南部側から見ると雄々しく美しい山ですが、北部側から見ると荒々しく猛々しい山に見えます。
 松川温泉には日本初の地熱発電所が有ります。1966年操業ですから、来年で50年です。松川温泉は、豊富な湯量、湯花漂う乳白色の温泉、岩手山と八幡平の山懐に抱かれた温泉で、宿泊した松川荘には、内風呂と露天風呂があります。内風呂の鄙の湯は、乳白色と透明の2つの浴槽があります。湯花が漂う単純硫化水素泉で、弱酸性なので肌にも優しく、いかにも日本らしい温泉です。露天風呂は混浴と女性風呂があり、脇を流れる松川渓谷のせせらぎの音を聞きながら、硫黄の匂いのする乳白色の湯に浸かると、何ともいえない癒しの気分に浸れます。柵をめぐらしているので、入浴しながらでは、川が見えません。卵の館という温泉槽もあり、フロントで生卵を買って入れれば、温泉卵の出来上がり。持ち帰るのを忘れて、慌てて取りに戻ったら、ゆで卵になるのでご注意。

松川荘(八幡平市)の露天風呂は白い濁り湯
 松川温泉松川荘での懇親会には、八幡平市の田村市長も駆け付けて下さり、親しく懇談させて頂きました。この宿は2010年7月の第1回の役員旅行でも宿泊しました。松川温泉には三つの宿がありますが、他の二つは湯治宿です。松川荘は近代的ではありますが、いわゆる豪華デラックスな宿ではありません。山あいの宿は、そのほうが風情があります。東京から参加された奥様は、露天風呂が素晴らしいと感動されていました。確かに、伊豆・箱根や、群馬、栃木などの名だたる温泉では、この鄙びた温泉気分は味わえません。まさに秘湯です。
岩手山初冠雪2015年9月30日八幡平市より

■ 松川荘での夕食
 右は松川荘での夕食の写真を撮ったものです。光の加減で余り美味しそうに見えませんので、宿のホームページをご覧下さい。
 岩魚の焼き魚、ほろほろ鶏の陶板焼き、あわびのステーキ、海鮮刺身(まぐろ、鮭、イカ)、山菜やれんこんの天ぷら、かぼちゃや人参、笹の子、つみれの煮つけ、煮こごり、酢の物、小鉢各種、お新香、茶碗蒸し、味噌汁、ご飯、果物です。山葡萄の乾杯酒が付いていました。四季折々の、大自然が育んだ森の恵みがズラリ、贅沢三昧でした。特に珍しかったのは、小鉢のひとつの、ミズのコブでした。山菜で知られる『ミズ』の茎の部分にムカゴ状の「コブ」が出来たものです。ミズは湿地帯に多く生息し、根に近い部分が赤く、上は緑です。初心者でも大量に採取できます。調理してもクセがないため、「山菜の王様」と言われることもあります。ちなみに、北海道から九州まで全国に分布していますが、北日本を除けば、山地ないし奥山に生息地が限られます。酢味噌和えが最高ですね。「ミズ」という名前は、みずみずしいからではないでしょうか。


■ 松川荘での朝食
 松川荘での朝食のメインは椎茸のステーキでした。鮭の焼き魚、温泉卵、ナスの煮浸し、山菜のお浸し、酢の物、、お新香、海苔、フノリの味噌汁、ご飯、小岩井牛乳でした。
 松川荘は、1960年開業ですから、もう55年のときをきざむ、歴史ある旅館です。おかみの平栗カヨ子さんはもうずいぶんおばあちゃんですが、東京暮らしの経験も有り、なかなか粋で、シャレの通じる方です。「ただいま」と常連さんが都会から訪れる、「おかえり」と迎える、そういう感じが自然に出てくるタイプの女将です。
 「働いているおばさんたちはこんな山の中にどうやって通ってくるの?」と訊ねてみたら、「泊り込みなのよ」という答えでした。そうでしょうね、標高850mの樹海の中ですから、とてもじゃないが通勤はできません。ちなみに電気と蒸気は隣の地熱発電所から供給してもらい、照明、暖房、給湯、融雪に利用しているそうです。宿の脇を太い配管(パイプライン)が通っています。
 館内には地元の書家、瀬川幸子さんの見事な書が、至るところに見られます。


■ 岩手県岩手郡岩手町・・・北緯40度のまちのランチ
 岩手町はキャベツで町おこしを図っています。キャベツ「いわて春みどり」を存分に食べるには「奈良屋」が良いという岩手町役場の担当者のご配慮で訪問、立派な店でした。法事の席が隣部屋でした。
 右の分量見て下さい、松川荘のおいしい朝食を頂き、葛巻町の高原牧場ではソフトクリームをごちそうになりました。その後でこれでは、高校生ならいざしらず、大の大人でも食べ切れません。

   岩手町「奈良屋」は本来蕎麦屋、最後に出てきました

岩手町「奈良屋」の特製昼食、「いわて春みどり」をテーマにしたランチです
 ヤマト豚は感激の美味、舌がとろけました。キャベツたっぷりホルモン煮はスゴイ量でした。「いわて春みどり」の生キャベツにドレッシングが最高でした。「いわて春みどり」専用のドレッシングとして開発されたのが右写真上の「キャベタリアン宣言」と柚子ベースの「ゆずらぬ想い」です。もっともこのキャベツは何もかけないで、そのまま食べるのがいちばん美味しいと思います。ほんのり甘い、上品な味だからです。他に、アワモダシと菊の花に大根おろし、浅漬けのキャベツときゅうり、これら食材すべて岩手町産です。
 大戸屋などの定食屋やファミレスのランチではご飯を「大盛り」で頼む筆者ですが、わんこそばも97杯食べた実績のある筆者ですが、このランチのご飯は半分しか食べられず、キャベツたっぷりホルモン煮はホルモンを少し残しました。親から「出されたものは残さず食べなさい」と教育されてきたので、大変不本意で申し訳なく思いました。美味しいけれど、もう腹が受け付けなかったのです。ところがそこに奈良屋特製冷たい蕎麦が出てきたのです。麺食いの筆者としては、無理しても食べます。いやはや、満腹過ぎました。
 ところで「アワモダシ」と言われてもわからないでしょう。これは方言で、一般にはあみたけ(網茸)と言われます。あみこ、あみこもたし、あみたけ、いぐち、あみじこう、あわこ、あわもたし、いぐちばな、じこぼう、じじごけ、かのこなば、しばはり、あみもだし、あみ、あみこもだし、あらねなど、地方によって様々な名前で呼ばれています。生のままだと黄土色ですが、湯がくと赤紫色になります。それを、大根おろし等で食べると、ぬめっとして、とろっとして大変おいしいキノコです。味噌汁の具に使ってもおいしく食べる事が出来ます。

■ ツマアカスズメバチ
 ツマアカスズメバチ(Asian yellow-legged hornet)というインドネシア(ジャワ島)原産で、中型のスズメバチが問題になっています。体全体に黒っぽく、腹部先端部のみが赤褐色であることから『ツマアカ』と名付けられました。2012年には長崎県の対馬に侵入していたことが2013年に確認されました。西はパキスタンから、東南アジア各国を経て中国南部や台湾に達する広域に分布します。女王蜂は茂みや土中の閉鎖的な環境に巣を設けますが、その後、巣の拡大のため、樹上の比較的高い場所に引っ越しします。キイロスズメバチやコガタスズメバチ同様に様々な昆虫を獲物とし、空中を飛翔中のアブやトンボやミツバチをよく捕らえます。攻撃的な種で、巣を刺激した場合、執拗に追いかけてきます。台湾、マレーシア、インドネシアでは刺傷による死者が出ています。ただ、働き蜂が増える時期の営巣場所が容易に近づけない所(木の高い場所など)であるため、普通は刺されませんが、韓国の都市部ではマンションなどの壁に営巣する例が報告されており、そのような場合には注意が必要です。
ツマアカスズメバチ(Asian yellow-legged hornet)
 アジアに広く分布しますが、2005年にフランスでも発見されました。それ以降、急激に分布を拡大し、2010年までにフランス南部から西部とスペイン北部までの広い地域に広がりました。今ではポルトガル、ベルギー、ドイツにまで達しています。やがてヨーロッパを席巻するでしょう。
 このスズメバチが問題視されている理由は、ミツバチを食べてしまうことです。植物の受粉に欠かせないミツバチですから、深刻な農業被害が予測されます。

■ 虫にはかなわない
 我が家の庭に植えた青紫蘇の一部が丸裸になりました。芋虫に食われたからです。イタリアンパセリも大好きです。芋虫は蝶や蛾の幼虫です。いろいろな種類が居て、右写真のような緑のものから、茶色、黄土色、黒色、形もストレートからいろいろ、模様も様々、縞々が多いですね。シャクトリムシも居ます。もともと芋虫という名前の由来は、サトイモやサツマイモの葉を食べるからです。伝統的な日本人の食生活においてサトイモやサツマイモは穀物に次ぐ重要な主食作物でした。そのため、これらの葉を食害する巨大なスズメガ科の幼虫は、農村で農耕に携わる日本人にとって非常に憎たらしい昆虫でした。我が家では旧居から移植した夏蜜柑の樹がやっと新芽が出てきたと思ったら芋虫が食べるので、箸でつまんでは踏み潰しています。しかしまた現れます。
 昆虫の王様は蟻だと思います。アリの巣コロリなど撒いても最初だけでまた現れます。樹には上るし、穴は掘るし、自分の何倍もの大きさのものを運ぶし、巨大化したらと思うとゾッとします。

アゲハ幼虫・・・芋虫、外見可愛いけれど...

■ 圏央道の開通予定
 圏央道桶川北本ICと白岡菖蒲ICの間は、鉛や砒素が土壌から許容量以上検出されたが、人為的なものではなく自然のもので、水への影響もないから工事を続行するとか、地権者の1人が立ち退かなくて、埼玉県が土地収用法を発動してやっと工事に入ったら、今度はオオタカの棲息地だとかいう話になって、やっと2015年10月31日開通の運びだそうです。国土交通省関東地方整備局のホームページをご覧下さい。

■ 「大勝軒のれん会」が分裂!−−−>記事
 109『花見』(2015年4月5日)で人気ラーメン店「東池袋大勝軒」(東京豊島区)の創業者・山岸一雄氏(享年80歳)が逝去されたことに触れました。それから半年、約60人の弟子で構成された互助組織「大勝軒のれん会」が分裂、「のれん会」を脱会した弟子ら31人が「大勝軒 味と心を守る会」を発足したのです。きっかけは、山岸氏の告別式の後、火葬場で門前払いを受けて師匠にお別れを言えなかったためとのこと。「東池袋大勝軒」2代目店主・飯野敏彦氏への反発が底流にあるようです。「守る会」は「お茶の水、大勝軒」店主・田内川真介氏など。山岸さんはどちらも可愛がっていました。
大勝軒の中華そば

故山岸一雄さん
 山岸さんはラーメンを愛し、広い心で、多くの弟子を取り、惜しみなくのれん分けし、ロイヤリティも取りませんでした。田内川さんの店はとても忠実に山岸さん時代の大勝軒の味を再現していて、山岸さんは体調が悪い時もよく食べに行っていたそうです。2代目の飯野さんは、子どもが居ない山岸さんが生前に自分の後継者と認めた人です。大勝軒の味と心を守るのも大事だけれど、天国から山岸さんはどう見ているのでしょうか。結局お客様の評価が一番、時代と共にラーメンも変っても良いと思います。それぞれのグループが大勝軒を盛り上げて行けば良いのです。
(2015年10月6日)


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