104  情けはひとのためならず

 新年を迎えた。空にオリオン座がクッキリと見える季節。寒気に堪えて新年を祝うように赤い実がたわわになっている。


アオキ


フユサンゴ

 2005(平成17)年元日に新春早々のつぶやきと思っていたが、前回「明日をもしれぬ」と書いた85歳の女性が死去し、30日のお通夜、大晦日の告別式、火葬となって、慌しくてとてもそれどころではなかった。いつもの大晦日なら御馳走を食べながら紅白歌合戦など見て除夜の鐘というパターンなのだが、帰宅して、何やら疲れてあまり食欲もなく、故人との思い出を夫婦でお酒ばかり飲みながら話していた。マツケンサンバを見たらもういいやと寝てしまった。そう言うわけで1回抜きのつぶやきとなった。
 故人は妻の大叔母にあたるが、大柄な体の通り豪快な人で、夫と死別し子供も無くひとり暮らしだった。今回のことで友人というものはつくづく有難いものだと思った。ある人は一日おきに病院に見舞いと世話にきていて、バスや電車を乗り継いでよくもこれだけ通えるものだとつくづく頭が下がった。栃木の80歳の方は、よく面倒を見てくれているのが有難いと米を我家へ送ってきてくれた。こちらは血がつながっているから世話をするのは当然なのだが、これではまるで立場が逆だなと思った。千葉の方は親代わりで結婚させてくれたことを感謝していて、千葉県名物の落花生や漬け物の名産品をどっさり持って来て、見舞に来てくれた人にお礼のお土産に持ち帰ってもらうようにと病室に置いていた。地元の友人、知人、趣味のサークル関係者、県人会の人のほか、福島や長野、山梨などからも入れ替わり来院し、「なんて見舞客の多い患者だろう」と病院関係者が驚いていた。普通85歳ともなれば知り合いが少なくなっても当然なのに、女性だけではなく男性の見舞い客も多かった。気風(キップ)の良い性格が男女に関わらず人を惹き付けた。そういう意味では、故人は幸せな人だった。ひとり暮らしの老人が寝たきりになったとき、自分の身の回りの世話を焼いてくれる人がいるだろうか?もし家族がいたとしてもこれだけの世話はできなかったと思う。「情けはひとのためならず」という言葉の通り、それだけ他人に尽くしたからこそ、最後に自分に帰って来たのであろう。葬儀は我々親戚で仕切ったが、友人の皆様から「本当に立派な葬儀を出してくれて有難うございました」と深々とお礼された。そうなのだ、この方達は親戚以上に兄弟姉妹のような関係だったのだなと、こちらこそ深々と頭が下がった。他人(ひと)に情けをかけておけば、自分にもそれにふさわしいだけの良い報いがある。人への情けは自分のためにもなる。
(2005年1月9日)


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