103  老人医療

 2004年も押し詰まった。本年最後のつぶやきを明るいテーマで終えられないことは申し訳ない。たくさんの方にお世話になり、喜びも悲しみも幾多とあり、悲喜こもごもの1年だった。自身を振り返れば特に後半に掛けて体調優れず、それというのも親しい方の訃報が相次いだことが影響しているのではないかと思う。お付き合いの幅が広がった結果でもあり、同年代の親達が寿命を迎えていることもあるのだが、近い年齢の人が亡くなる事例は、自身も相応の年齢になったのだということを改めて実感させられる。

■ 老人医療費、介護保険の負担で健保ピンチ
 以前は40〜59歳を中年期(初老期)、60〜79歳を高齢期前期、80歳以上を高齢期後期と分類していたが、最近では65〜74歳を前期高齢者(Young old)、75〜89歳を後期高齢者(Old old)、90歳以上を超高齢者(Super old)と分類し、行政的には70歳以上を老人として扱っている。老人が増えて、医療費が自然に増大している。また介護保険制度が導入されて、健康保険組合は老人医療拠出金の他に介護保険の負担も加わり、組合員平均年齢の若い組合以外は軒並み赤字運営を余儀なくされている。保養所やスポーツへの補助、人間ドックなど前向きの活動は今後若干のブレーキがかかると予想される。最近生活習慣病保険を売り出す保険会社が目に付く。入院すると自己負担額は平成10年度にくらべ13年度は1.3倍、およそ1日12,900円かかるそうだ。そしてこれは年々増加の一途を辿っているらしい。16年度はいくらになったのだろうか?

■ 老人病院が介護施設へ
 筆者の親しくしている85歳の女性も今や明日をもしれぬ状態にある。大柄で、活発で、他人に指図することが大好きで、その分面倒見も良くて、健啖家でエネルギッシュだった人がベッドの上で点滴だけで命をつないでいる姿は痛々しく、心が重くなってくる。老人病院と言われる病院はどんどん施設を増築しており、その隣に介護老人保健施設(ろうけん)を併設しているところも目に付く。日本の高度医療はこれら老人の命を支え、平均寿命を世界一へと押し上げた。老人になると生体の内部環境調節幅が狭くなり、障害を来しやすくなる。また感染に対する防御能力が低下するため容易に感染症を起こす。また骨が弱くなりちょっとした転倒でも骨折する。逆に数日間安静にしていたことで足腰が急速に弱くなり、下肢の屈曲拘縮を来し易く、そのまま寝たきりになってしまうことがある。したがって病院では非情と思えるほど自分でトイレに行きなさいと命じることもある。痴呆については80歳以上では5人に1人の割合であると言われている。

■ 父の死に残る悔い
 老人病院に入院している人は体のどこかに病気を抱えているわけで、そうでない人はろうけんに行くか自宅で暮らしている。医者の話では、核家族化に伴って、既往症やこれまでの経過把握が困難である場合が多いという。実際、老人病院での患者さんの姿を見ていると、よくぞ生きているという人達が多くて、日本だからこそ生きていられるんだなと思うとともに、自分がこうなったときに果たしてどういう思いをするのだろうかとしみじみ考えてしまう。終末を自宅で迎えたいという人に対して配慮する病院も増えてきているようだが、自宅で年老いた親を介護している人は偉いと思う。父が亡くなった時は突然で、会社にお客様を迎えて立合い試験の最中だった。悪くなってきたということは聞いていただけに仕事はそっちのけで病院へ行くべきだったと後悔した。入院した原因はバイクに乗って、七ツ森の雫石町民墓地公園に行く途中、右折待ちしていたときに背後から追突され骨折したことだった。国道46号線の交通量の多い道路だが、結局ひき逃げ犯は捕まらなかった。老人は本来の病気でないところで、急速に容態が悪化するケースが多いという。この場合も院内感染の肺炎だったようだ。病院は逆に菌の多いところで、抵抗力が下がって感染したのだろう。病院を責める気持ちは無い。これも寿命だったのだと思う。近ければ間に合っただろうが、550kmは遠過ぎた。手を握って送ってやりたかったとつくづく思っている。
(2004年12月26日)


 次週へ   先週へ    最新ページへ  続編