643  いわき湯本温泉

 7月になり、東海地方も梅雨明けしました。いよいよ7月7日は七夕です。埼玉県川越市付近で7月5日(土)午後8時までの1時間に約100ミリの猛烈な雨が降り、「記録的短時間大雨情報」が発表されました。我が家は川越市との境目なので、スゴイ雨でした。ただ、これまでカラカラだったので、農家には救いの雨だったかもしれません。6日(日)の日本付近は高気圧に覆われて、全国的に晴れる所が多く、強い日差しが照り付けて猛暑日になりました。東京都には今年初めての熱中症警戒アラートが発表され、屋外での運動や畑作業には熱中症への警戒が必要と言われながら、小学校のグラウンドで少年野球、その後畑作業、ヴァーデプールで水中ウォーキング、足が攣りました。関東甲信は連日35℃を超える真夏の暑さが続いていて、もはや梅雨明けなどどうでも良い、今年は梅雨無しだったと言って良いでしょう。

■ 雫石と言えば・・・
 前回は岩手県盛岡市から福島県の温泉ツアーを紹介しました。今回は福島県のいわき湯本温泉を紹介します。この名前を聞いて「常磐ハワイだ」という人は相当フルイ人です。岩手県雫石町と聞いて「あの航空機事故の」というのと同じです。1971年7月30日午後2時過ぎ、岩手県市雫石町上空で訓練中の航空自衛隊の戦闘機F86Fと北海道千歳空港から羽田へ向かっていた全日空ボーイング727型機が空中衝突した事故です。全日空機の乗客乗員計162人全員が死亡、松島航空基地を飛び立った自衛隊機を操縦していた訓練生のパイロットは脱出ボタンを押してパラシュートで降りて無事でした。梅雨明けの暑い日で、雫石川でヤスを持って魚を突いていました。綺麗な青空が広がった日で、破片がキラキラと輝きながらゆっくりと落ちてくる様を今でも鮮明に覚えています。まさしく真上で衝突したのです。消防車、自衛隊、報道陣の車、日頃見たことない大量の車が田舎道に溢れ、驚きでした。筆者は目撃者ということでテレビインタビューを受け、全国にオンエアされました。黄色いタオル地のアロハウェアに海パン、草履を履いて、麦わら帽子をかぶり、真っ黒に日焼けして眼だけが白い、手にヤスを持ってインタビューを受けました。着替えして来ると言ったら、今のままでお願いしますと女性レポーターから懇願されました。迫真の臨場感が感じられるというのです。その日の夜は宮古市の親戚から電話があり「なんじゃあの姿は」と言われました。ここはアフリカか?と思ったそうです。雫石事故については25『事故と災害』(2013年8月12日)、並びに「ななめのつぶやき」184『航空機事故』(2006年7月23日)をご覧ください。いまどきの若い人は岩手県雫石町と聞いたら「あのスキー場の」というのだそうです。雫石スキー場はプリンスホテルが建つ世界アルペンが開催された有名なスキー場で、スキーヤーにとっては知る人ぞ知るところなのですが、今やスキーもスノボもやらない人にとっては未知の地、まさしくみちのくでしょう。雫石町は日本一の民間農場と言われる三菱資本の小岩井農場や、町内11もの温泉がある風光明媚な町です。

先週紹介した盛岡つなぎ温泉は1955年に御所村から盛岡市に編入されました
筆者の生まれ育った御所村西安庭は雫石町に編入され、温泉の無い盛岡市は
御所村繋→盛岡市繋、喉から手が出るほど欲しかった温泉を手に入れました
その後雫石川に御所ダムが建設されて、筆者の生家は御所湖の湖底に没し、
賢治の愛した七ツ森に新居を建て移転しました。旧つなぎ温泉も湖底に沈み、
温泉街は山の上の方に移転、岩手山と御所湖の見える現在の温泉街になりました
自衛隊の練習機と全日空機が衝突して墜落した現場はまさに旧御所村で、
現在は雫石町と盛岡市の境界からほんのわずか西の雫石側に入ったところ、
チョット東にズレていれば「盛岡事故」という名前になっていたでしょう
墜落現場は現在「慰霊の森」として整備され、雫石町が管理していますが、
我が伯父さんも地権者として土地を寄付したとのことでした

■ 温泉の多い福島県
 福島県は、北海道、長野県、新潟県に次いで温泉地数が多く、県内には、139の温泉地と775の源泉があり、豊富な湯量を誇ります。福島市の三つの温泉=高湯温泉、土湯温泉、飯坂温泉が特に有名、好き嫌いは別にして、宮城の秋保、鳴子と共に奥州三名湯のひとつに数えられる飯坂温泉は、JR福島駅や東北道のインターから近いので地の利があります。筆者的には開け過ぎて鬼怒川温泉などと共にちょっと?という気がしています。高湯温泉は先般、筆者が宿泊したハイランドホテルの支配人他2名が事故死した悲しい出来事がありました。土湯温泉は、豊富な泉質が特徴で、単純温泉や炭酸水素塩泉など約10種類の源泉があり、湯量も豊富、渓谷沿いに大型ホテルや旅館が並んでいます。続くのが今回のテーマ;いわき湯本温泉、海岸に近く常磐炭鉱で栄えたまちですが、開湯は1600年以上前と言われています。次に磐梯熱海温泉、筆者が毎年必ず行く郡山の奥座敷として古くから親しまれている温泉で、肌に優しいのが特徴です。南北朝時代、京の都の萩姫が難病を患い、占い師から京都から東に五百の川のほとりに行けば治るとのお告げにより、はるばる京都からやってきて治癒したという萩姫伝説が残ります。会津の名湯・東山温泉もたくさんの宿が立ち並び、傷や打ち身に効能があり、戊辰戦争時には負傷した新撰組・土方歳三がここで傷を癒したといわれています。岳温泉は前回紹介しました。会津芦ノ牧温泉は大川沿いに宿が並び、温泉街入口には、源泉が流れ落ちる「出会いの湯滝」や足湯「子宝の湯」などがあります。他にも会津湯野上温泉や中ノ沢温泉、裏磐梯温泉、二岐温泉、穴原温泉、柳津温泉、五色沼温泉、玉山温泉、磐梯温泉、檜枝岐温泉、木賊温泉・・・・枚挙にいとまがありません。

福島県の有名温泉地

■ 上野駅からひたち5号で常磐線湯本駅へ
 常磐線で上野駅から特急ひたち5号10両編成で湯本へ向かいました。5号車がグリーン車で、指定席にアキがあるのはネットで調べてありましたが、当日朝途中駅で指定席予約、通路側しか空いていません、6号車を予約しました。乗って分かったのは席の上部天井にLEDランプがあり、緑色は指定席が予約されている席、黄色はまもなく指定席区間が始まる席(予約済みの人がこれから乗車する席)、赤色は空席で、特急ひたちの普通車は全席指定席ですが、座席未指定の特急券にも対応できるよう、この3色のランプが設置されています。すなわち特急券を持っていれば赤色の席を見つけて渡り歩くことが出来るようです。上野駅からの乗車時赤色もポツポツありました。途中駅から乗車する人が居たり降車する人も居て、ランプの色が変わり、面白いなと見ていました。
 ひたち5号は8:43品川始発で8:53東京、午前9時上野駅発、水戸10:17、勝田10:22、大甕(おおみか)10:32、常陸多賀10:36、日立10:40、萩10:51、勿来11:04、泉11:13、湯本11:18、いわき11:24着です。上野駅に8:45に着いて8番線の日蔭で待っていたら、赤ノーズの超カッコイイ車体がホームに滑り込んできました。車内も素晴らしい、インバウンドが日本に来て、日本の車両に感嘆するワケが分かります。NewDaysで買った緑茶を飲みながら外の景色を見ていると、途中から海が見えて癒されます。天気が良くて海が綺麗です。茨城県から福島県に入りました、勿来(なこそ)です、栃木・福島県境の白河の関(福島県白河市)、越後国と出羽国の境、念珠ヶ関(ねずがせき、山形県鶴岡市)と共に奥州三関のひとつに数えられている勿来の関、来るなかれ、すなわち来るなと言っているわけです。もうすぐ湯本です。品川リフラクトリーズの工場が見えました、懐かしい。品川白煉瓦の工場はお得意様でよく訪問して打ち合わせたり、納入システムの立ち合い試験に臨席しました。

特急ひたちの車両は超カッコイイですよ


H653系フレッシュひたち


ひたち5号の車内、金曜日ですが乗客多い

■ 湯本駅着〜さぁ、観光へ
 湯本駅に降り立ったらプーンと硫黄の香り、懐かしい! 駅にはフラ女将の看板があります。湯本駅前の「いわき湯本温泉旅館協同組合」の観光案内所で電動アシスト自転車を借りました。千円です。いわき市は広く、スパリゾートハワイアンズやアクアマリンふくしまなどのレジャースポット、白水阿弥陀堂や美空ひばりの「みだれ髪」で有名な塩屋埼灯台などの歴史・文化施設、そして新鮮な海産物を楽しめる小名浜港、いわき・ら・ら・ミュウなど、多様な観光を楽しめます。しかし今回は湯本温泉日帰り旅、あちこち行く時間はありません、レンタサイクルで湯本温泉一巡りです。

湯本駅舎内には「フラ女将」の看板がありました
いわき湯本の温泉宿の女将たちが着物でフラを踊る「フラ女将」
温泉を愛し、フラを愛し、このいわき湯本を愛する女将です


奥が湯本駅、手前のベンチには「トランペットを吹く人」というブロンズ像
いわき市湯本駅周辺には、街中の各所にブロンズ像が設置されています
「彫刻のある街づくり事業」の一環として、彫刻家の黒川晃彦氏と
いわき市出身の北郷悟氏によって制作されました


電動アシスト自転車を借りました。千円です。いわき市湯本は坂道だらけ、威力発揮


■ スパリゾートハワイアンズ目指して出発
 湯本駅から電動アシスト自転車でスパリゾートハワイアンズに向かいました。上でいわき湯本温泉と聞いて「常磐ハワイだ」という人は相当フルイ人だと書きましたが、今はスパリゾートハワイアンズという名前なのです。映画「フラガール」をご存知の方は多いと思います。常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)の誕生を描いた実話に基づく感動の物語の映画化です。1965年頃の福島県いわき市の炭鉱町を舞台に、エネルギー革命による炭鉱の衰退の中で、町おこしとしてハワイアンセンター設立を計画し、フラガールたちが誕生するまでの過程が描かれました。2006年公開、第30回日本アカデミー賞で最優秀作品賞、監督賞(李相日)、脚本賞、助演女優賞(蒼井優)を受賞しました。石炭から石油へとエネルギー革命が押し寄せ、閉山が相次いでいるなか、町の危機を救うため、人々は「常夏の楽園」をつくろうと立ち上がったのです。炭鉱の娘たちに、誰も見たことがないフラダンスを仕込むためにハワイアンセンターの吉本部長(岸部一徳)は東京からダンス教師・平山まどか先生(松雪泰子)を招きました。元花形ダンサーの彼女は、最初は田舎町を軽蔑し、まったくのド素人に嫌々ながら教えていましたが、紀美子(蒼井優)をはじめ炭鉱娘達(南海キャンディーズのしずちゃん他)のひたむきな熱意にいつしか忘れかけていた情熱を再燃させ、ひとりひとりが厳しい現実を抱えながらも、炭鉱娘たちは友情を支えに強く美しくフラダンスの真髄を体の中に染み込ませてゆくのでした・・・・。映画「フラガール」の大ヒットで、日本中にフラダンスのサークルが生まれ、いまやおばあちゃんたち、イヤ失礼、おねえさんたちが公民館に集まってハワイアンのリズムに乗ってフラダンスを愉しむようになったのです。

映画「フラガール」の1シーン


湯本駅から西へ、スパリゾートハワイアンズ目指して自転車で走ります
 湯本駅から上り坂ですが電動アシスト自転車は強力にグイグイアシストするので快適です。途中上湯長谷公園(ガニラ公園)で一休み、常磐病院があります。この町の特徴は、住宅が田園調布のような放射状のブロックや京都のような碁盤の目の住宅街が至る所にあって、その様は恐らく炭鉱町に良くあるまちづくりなのでしょう。「いわき石川線」という道路を進むと、「そば処東屋」があって、斜め向かいに「エコホテルいわき湯本」がありました。なお進んで行くと坂の右側に「ドームいわきベース」があって、「いわきFCパーク」という看板があります。スゴイ急坂ですが、行ってみよう、電動アシスト自転車はこういうときものすごく頼りになります。もちろんペダルを漕がなければアシストしてくれませんが、とにかく強力なのです。

電動アシスト受けて坂道をのぼったら、「いわきFCパーク」の看板がありました
福島県いわき市と双葉郡をホームタウンとする、Jリーグに加盟するプロサッカークラブ
いわきFC(IWAKI FC)の本拠地のようで、坂道登った丘の上の赤い建物が印象的でした
いわきスポーツクラブが運営する、日本初商業施設複合型のクラブハウスだそうです
スポーツを通じていわきを東北一の都市にする」ビジョンを掲げるサッカーチームの本拠地で
館内には、フィールドやジムなどのサッカーファシリティーのほか、一般の方も気軽に立ち寄れる
レストランやカフェ、英会話教室、アウトレットショップなどがあるそうです
フィールドを一望する飲食店舗のテラス席からは、美味しい料理を食べながら
目の前でスポーツする選手の声や躍動感が味わえるそうですが、時間が無い、さようなら

■ いわき市考古資料館に寄り道
 「いわきFCパーク」を後にして更に「いわき石川線」という道路を進むと、道の左に「いわき市考古資料館」という看板があります。寄り道してみようと、自転車を玄関前の「自転車止め」に括りつけました。入館無料です。いわきは石炭が掘れて、化石が眠るまち、他に縄文遺跡など、数々の考古学の宝庫のようです。昨年度は発掘調査3遺跡5件、試掘・確認調査14遺跡17件実施しているとのこと、驚きでした。その速報展を行っていました。特にJRいわき駅北口再開発に伴って、磐城平城(いわきたいらじょう)の大々的な発掘調査はものすごく大規模だったようです。いわき駅は、昔は平駅と呼ばれていました。内堀跡や外堀跡が確認され、明治時代に大量の凝灰岩礫で埋め戻されたことや、昭和初期に石炭ガラで整地した敷地に転車台が造られたことも分かったそうです。磐城平城の築城前から廃城、そして現在の街並みが出来るまでの歴史が明らかになりました。こんな大々的な調査をして資料館まで作る、いわきの人々の情熱に感じ入りました。

いわき市考古資料館


いわき市考古資料館入ってすぐのところ
奥には土器はじめ、発掘した考古資料を展示する部屋がいくつもあります

■ スパリゾートハワイアンズ
 スパリゾートハワイアンズはものすごい規模でびっくり(@_@;)しました。入口ゲートにウェルカム標識があり、緩やかな上り坂をのぼり、丘の上に広大なスパリゾートハワイアンズの建物群が拡がっています。何なの、コレ?と驚きました。6つのテーマパークからなる温泉レジャー施設で、いわきを代表するスポットでもあります。1年中28度に設定された館内では、常夏ムード満点のプールや世界最大級の大露天風呂「江戸情話与市」など一日中温泉を満喫できます。フラガールとファイヤーナイフダンサーによるエンターテインメントショーは必見とのこと。ひっきりなしに乗用車や大型バスがやってきます。そう言えば東京駅八重洲口前から宿泊客用の送迎バスも出てたな、よ〜し、今度泊りがけで来るゾ〜と決意を新たにしました。

スパリゾートハワイアンズのエントランスです


スパリゾートハワイアンズはものすごい規模でびっくり(@_@;)


駐車場もたくさんあります、宿泊者用と日帰り用は別


スパリゾートハワイアンズ遠景、右側モノリスタワー、ウィルポート、左に行って
中央:ホテルハワイアンズ、各種の建物が林立、手前側に藤原川が流れます
 スパリゾートハワイアンズを南に見ながら「いわき石川線」という道路を更に進むと、常磐自動車道の高架が見えました。高架の下で一休み、もういいかと考えて来た道を戻ることにしました。

■ いわき湯本温泉のいわれ
 「いわき石川線」の下り坂を進み、「いわきFCパーク」前を過ぎて、下り坂ですから漕がなくても自転車は走ります。「エコホテルいわき湯本」〜「そば処東屋」〜「上湯長谷公園(ガニラ公園)」と来て、三叉路がありました。右は湯本駅方面で来た道ですが一方通行で進めません。眼の前の湯本第一中学校を見ながら「いわき石川線」を道なり左側へカーブすると、湯本駅前にドンと鎮座する「御幸山」を巻いてぐる〜っと右回りに半周した先に湯本駅があります。

 この地図を見るとピンク色が温泉宿です。湯本駅前の「いわき湯本温泉旅館協同組合」の観光案内所で頂いた「まちなかマップ」というパンフレットには16軒の温泉宿が記載されていました。多分これが組合員なのでしょうが「櫻と欅の宿 住乃江」は組合のホームページから無くなっています。どうやら臨時休業ということのようです。「古滝屋」というホテルは大きい宿で、ここが一番高価なようです。続いて「松柏館」や「吹きの湯旅館」、さらに「雨情の宿 新つた」、「鮮の宿 柏」、「ときわの宿 浜とく」と続きます。上の図にある「心やわらぐ宿 岩惣」は、最近目立ってきた素泊りの宿のようです。一晩中入れる源泉かけ流しの展望風呂で朝風呂、温泉好きにはたまりませんね。車じゃなければ、小原庄助さんも良いかも? 旅館の夕食は7千円以上することが多いので、夕食はまちなかのお店で食べて、素泊りまたは朝食のみという温泉宿が随所で増えて来ました。持ち込み自由という宿もありますし、弁当を手配してくれたり、飲食店送迎してくれる宿も出て来ています。これによって料理人や配膳、片付けの従業員をスリム化することで人手不足に対応しようというのが最近流行なのです。またこれによって温泉街に飲食店が増えて、まちに活気が戻り、昔のように浴衣姿でまちをそぞろ歩く客が増える、飲み屋やカフェも戻って来る、旅館とこれらのお店が共存共栄して、バブル期のようにデッカイ温泉ホテルが客を囲い込んで外に行かなくてもすべてホテルの中で完結するというスタイルをぶち壊した方が、温泉街を賑やかにすることが認識されてきたのです。「スパホテル スミレ館」なども同じような宿のようです。
 いわき湯本温泉は古文書によれば奈良時代から知られた温泉ですが、明治30年に常磐線が開通すると沿線唯一の温泉場として人気を集めました。明治時代には中央資本が大規模な石炭採掘を始めました。世界でも珍しい温泉と石炭が地底で同居していたところで、採掘で温泉脈をぶち抜いてしまって、坑内に大量の温泉があふれ出て温泉が枯渇する事件が起きました。古くから温泉のお蔭で暮らしていた温泉宿や芸姑などはさぞ困ったことでしょう。大正8年から22年もの間温泉が出ず、昭和17年やっと出た温泉は石炭で汚れていました。昭和51年に地下約800mから源泉を自然圧で誘湯することに成功し、バルブを開けば温泉が出る、しかも地下から水や不純物が混じることなく浴槽で初めて空気に触れる新鮮な温泉に恵まれたのです。ありがたや、ありがたや...

正面のデカイ建物は古滝屋、右手前は野口雨情童謡館
写真を撮っていたらインバウンドに追い越され...

■ 温泉神社
 古滝屋の向いに「温泉神社」がありました。湯本温泉にはたくさん神社があります。中でも駅前の小山「御幸山」のふもとの温泉神社は有名です。別名「ゆのじんじゃ」、「ゆぜんさま」とも呼ばれます。上代の昔、霊峰湯の岳(別称佐波古峰)に鎮座し、天武天皇2年(674年)湯本三凾、明和5年(1768年)に現在地に遷座しました。延喜式内社、磐城郡七座の一つで、祭神は地下資源の神・医薬を司る神を祀っているそうです。古滝屋からは道路を挟んで真向かいにあり、中上階の客室やお風呂からの景観を楽しむことができます。
 温泉神社の他にも金刀比羅神社、八坂三峯神社、古峯神社、諏訪神社などが有名です。神社好きなら、神社巡りして御朱印集めも一興ですね。

温泉神社

■ 鶴の足湯広場
 硫黄臭が漂う源泉掛け流しの足湯で、あつ湯とぬる湯の2種類があります。足湯の他には手湯やペット用の足湯もあります。敷地内には湯壺跡の石碑があり、地元の人々からも愛される、憩いのスペースになっています。いわき湯本温泉にいらっしゃるお客様には、高速バスの待合場所的な存在でもあります。

鶴の足湯広場

■ 野口雨情記念童謡館
 鶴の足湯広場の隣が「野口雨情記念 湯本温泉 童謡館」です。ここでも「自転車止め」に括りつけました。いわき市はサイクリングのお客様が多いことが分かります。中に入ると、上品なお二人のおばあちゃん、失礼、おねえさまがいらっしゃいました。ボランティアだそうで、ここにみんなで集まってお茶したり、交流するイベントが毎週開かれているそうで、こんな場所があると、お年寄りの憩いの場として良いですね。「どこからいらっしゃいました?」と聞かれて、しばし話し込みました。野口雨情の直筆の書をはじめとして1400点の資料があります。絵ハガキや関連書籍も販売しています。北茨城・磯原町に明治15年生まれた野口雨情は、北原白秋、西条八十と並ぶ三大童謡・民謡詩人と言われます。当時の文芸人がそうだったように、職とともに各地を転々として、最後は戦争で疎開した宇都宮で昭和20年1月27日、62年の生涯を閉じました。「雨情の宿 新つた」には2Fに「野口雨情ギャラリー」があって、ゆかりの品々が展示されています。童謡の代表作:十五夜お月、七つの子、赤い靴、青い目の人形、雨降りお月、兎のダンス、あの町この町、しゃぼん玉、歌謡の代表作:波浮の港、船頭小唄、など。中山晋平との曲が多く、奇しくも621『熱海』(2025年2月2日)で、熱海梅園の中山晋平記念館を訪れたことを紹介しましたが、同じ年に同じようにたまたま意図することなく訪れた地で記念館を訪問することになるのは、何かのお導きでしょうか。

野口雨情記念 湯本温泉 童謡館

■ さはこの湯
 さはこの湯の名前の由来は、いわき湯本温泉の地名が古くは佐波古と呼ばれていたからだそうです。江戸末期の建物様式を再現した純和風の建物で「さはこの門」、「火の見櫓」を配置したいわき湯本温泉のシンボル的建物です。鉄骨造地下1階、地上4階建(878.6u)、毎月第三火曜日定休です。ここにも自転車止めがありました。八角形の形をした木の香り漂う檜風呂「幸福の湯」と、うたせ湯のある岩風呂「宝の湯」があり、男女が日替わりで入浴できます。行った日は「宝の湯」で、紹介される画像は八角形の「幸福の湯」が多いので、アレ?と思いました。源泉掛け流しの天然硫黄泉は、皮膚病、婦人病、高血圧症などに効果があり旅の疲れを癒してくれるとのキャッチです。入浴料300円、安い!熱い湯でした〜

さはこの湯外観


さはこの湯の内部

■ いわき市石炭・化石館
 帰る前に「いわき市石炭・化石館ほるる」に寄りました。しかしゆっくり見てる時間は無いと判断して入館するのはやめました。

いわき市石炭・化石館ほるる


D51がありました

■ 帰ります
 湯本駅前観光案内所で自転車返して、ランチしてなかったので電車内で食べようと軽食購入し、ひたち20号7号車14番C席で東京に向かいました。東京に着いてから、ガッツリ中華を食べました。

■ 2025年7月5日の大災難
 漫画家・たつき諒さんの『私が見た未来 完全版』(飛鳥新社)が“予言”したとされる日本の“大災難”の日時7月5日午前4時18分・・・結局それは起きませんでした。騒動の発端は、1999年にたつきさんが出版した最初の『私が見た未来』の表紙です。《大災害は2011年3月》と書かれていたのが、東日本大震災の予言だと後になって噂となりました。その後、2021年に出版された『完全版』では、帯に《幻の予言漫画復刻!!本当の大災難は2025年7月にやってくる》とアオリのコピーが書かれ、あとがきには《夢を見た日が現実化するならば、次にくる大災難の日は、『2025年7月5日』ということになります》と記述されていました。これが海外でも噂となり、この日は日本へのフライトを欠航する航空会社も出てくる大騒ぎ、香港や韓国では日本旅行を控える動きが拡がりました。気象庁は予言の日本とフィリピン間の海底にはプレートも無く、言われるような災害は全く起こり得ないと珍しく全面否定、ところが実際に予言に合わせるかのように7月5日に向けてトカラ列島で群発地震が連続して起きるなどの“異変”が起き、悪石島から島民が非難する騒ぎとなりました。かつて、ノストラダムスの大予言が日本列島を席巻しました。1999年7の月、空から大王が降って来る・・・あのときも、何も起きずに日常は過ぎて行きました。何度も何度も“世界は滅亡する”“日本は沈没する”と言われ続けていますが、日本人はこの手の話が大好きなんですね。それが“いつ”来るのかは誰もわからない・・・けれど、平時から防災の備えは欠かせない・・・という戒めなのでしょう。

■ 日本の購買力平価が大幅に下落、東京の生活の質は世界26位・・・ドイツ銀行
 ドイツ銀行が世界各都市の物価や生活の質を基に格付けした2025年版の報告書で、ルクセンブルクが世界で最も住みやすい都市に選ばれたのは当然の結果です。そんなに産業も無いのに個人の収入も世界一です。頭を使っているからです。平均手取り月間収入は過去5年間で39%増加し、6156ドル(約88万9000円)です。お間違いなく、手取りですよ。
 金融や製薬といった高収入の産業が発達しているスイスは近年、インフレ率を最低水準に抑えている国の1つで、スイスフランは世界で最も安定した通貨といわれています。世界一物価の高い都市として常に上位に君臨しているスイスのジュネーブやチューリヒと肩を並べるようになってきたのがニューヨークやボストン、サンフランシスコ、シカゴ、ロサンゼルスといった米国の大都市です。かつての順位ははるかに下でした。ニューヨーク中心部は世界で最も住居費が高く、3部屋付きのアパートの家賃が平均して月8500ドル(約122万8000円)だそうです。
 各国経済における相対的な物価水準の長期的な推移を見ると、日本の購買力平価(PPP)は2000年当時、米国を抑え世界1位でしたが、今や24位に転落しました。米国はスイスとイスラエルに次ぐ3位にまで回復してきました。日本円も見る影もなく価値が下がり、そのために輸入物価が上がって、国民は物価高にあえいでいます。

■ 日本からの輸入品に25%関税…トランプ米大統領
 トランプ米大統領が7月7日、貿易相手国に新たな課税措置を通知し始めました。日本と韓国からの輸入品に対しては、8月1日から25%の関税を課すとのこと、その後、マレーシア、カザフスタン、南アフリカ、ミャンマー、ラオスにも同様の書簡が送られ、各国首脳に最大40%の新たな関税率が通知されました。さらにチュニジア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、インドネシア、バングラデシュ、セルビア、カンボジア、タイにも書簡が送られ、計14ヶ国となりました。EUには送られていないようです。日本は4月に発表された24%から引き上げられた形で、赤沢経済再生担当大臣があれだけ毎週訪米して交渉していたのに...と市場には失望感が拡がりました。米国ダウ平均株価は下落し、為替はグンと円安に傾きましたが、日経平均株価は下落せず、市場は冷静に受け止めている印象です。関税発効まで間があり、また4月と違って、今回は全世界が対象ではなく、主要国では日本と韓国くらいだということも、全面的なリスクオフとなっていない一因とみられます。ただこれで自動車関税の25%は固定された感が強く、その他にも25%というのは中国の30%とそんなに大きな差はないということで、米国対象貿易は縮小に向かうこととなるでしょう。
 最近の為替変動は全く予測不能となり、これまでのセオリーが通用しないということで、ウォール街のトレーダーたちは頭を抱えているようです。トランプ周辺がビットコインで収入源を確立してきており、基軸通貨としての米ドルへの信頼が揺らいでいることが原因です。
(2025年7月7日)


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