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熱海
昨週は盛岡往復2回、福島県郡山市の磐梯熱海温泉に寄って、新潟県の上越市高田を徘徊し、湯に浸かり、長野駅で途中下車したことを紹介しました。合間に永田町で会議、富士見市第二運動公園で東入間学童野球連盟風の子駅伝までを紹介しましたが、翌日から熱海温泉3日間、忙しい1週間の疲れを癒す旅でした。
2月になりました。2日(日)は節分で、雪の天気予報も出ましたが雨に終わり、上野東天紅で岩手県人連合会新春の集いがあり、準備もあって朝家を出て上野に向かい、長い一日になりました。3日(月)は立春ですが、この1週間が寒さのピークだそうで、それを過ぎると梅の便りが聞こえますが、一足先に熱海連泊で花見を愉しみました。ああ愉快なり、愉快なり、わが母校では集まりの最後に、必ず♪ああ愉快なり♪を歌います。今月はイベントがたくさんあって、出費の多い月になります。
8年前の熱海の海岸、熱海桜が綺麗に咲いていました(2017年1月28日)
■ 東入間学童野球連盟風の子駅伝
東入間学童野球連盟風の子駅伝については前回ちょっと写真を紹介しましたが、詳細は
東入間学童野球連盟のホームページ
をご覧ください。会場の富士見市第二運動公園は荒川と新河岸川(入間川から分岐して、やがて隅田川となる)に挟まれた「南畑」という地区にあり、近くには関東でも有名なヘラブナの名所びん沼や埼玉県立富士見高校、難波田城公園、ららぽーと富士見などが有ります。真っ平らな地域なので駅伝には良いとも言えますが、この日は北風が強くて、ランナーは「行きは良い良い、帰りは怖い」有様で、後半強烈な向かい風に晒され、息も絶え絶えという選手を、少年野球の仲間たちが取り囲み、伴走して、「頑張れ、頑張れ、ファイト!」と励ます姿には毎度のことながら感動します。
第1走者を伴走して励まします
第2走者から第3走者へのタスキリレー
アンカーが最終コーナー回りゴール目指す 励ます仲間たち
■ 富士見市第二運動公園からの光景
東入間学童野球連盟風の子駅伝が行われた富士見市第二運動公園から見える風景等について紹介しましょう。
富士見市第二運動公園から富士山がきれいに見えました
富士見市第二運動公園すぐ近くの新河岸川には鴨がいっぱいいました
富士見市第二運動公園から見える奥武蔵の山々
武甲山はセメント用の石灰石採掘で片側が鋭く切れ落ちています
奥武蔵の北端の山はきれいなオッパイの形で親しまれる笠山です
この辺りはトラクターやコンバインが作業しやすいように1区画を大きくした広域圃場
手前のビニールハウスはJAいるま野が作った会社;いるま野アグリとJA水田農業システムセンター
その奥の二つの丸いタンクは東大久保浄水場 富士見市に水道水を供給する施設です
更に奥に見える煙突はふじみ野市三芳町清掃センター及び余熱利用施設エコパです
■ 熱海・来宮神社
熱海は久し振りです。電車で来たり、車で来たり、今回は入間ICから圏央道に乗って、海老名JCT〜小田原厚木道路経由、渋滞も無くスイスイと走りました。130km、2時間ちょっとで着きます。伊豆は東伊豆も西伊豆も、南端下田も、数えられないほど行きましたが、意外に熱海は7〜8回でしょうか、むしろ湯河原のほうが多いですね。今回は海辺の宿ではなく、市街を見下ろす高台の宿です。熱海観光と言えば来宮(きのみや)神社というのが定番です。グルリと歩いてみましょう。まずは入口の大鳥居をくぐり、稲荷社の赤い鳥居の連続をくぐり、3本の楠の根が繋がる間を通る「つづ樹の間」へ、糸川を眺めながら椅子に腰かけてしばし森林浴、樹木が発散するフィトンチッドやマイナスイオンで心身のリフレッシュしたのち、三峯社〜来宮神社本社と上り、目当ての大楠へ、樹齢二千百年以上と言われますから紀元前からある木です。屋久島の縄文杉にはかないませんが、スゴイ古木ですね。境内には茶寮、カフェが点在し、賑わっていました。熱海の特徴は、老人だけでなく、若い女性が多いことです。これは愛媛・松山の道後温泉と共通したところです。
木宮神社入口の鳥居
3本の楠の根が繋がる間を通る「つづ樹の間」
稲荷社の赤鳥居
三峯社
来宮本社
大楠 スゴイ
来宮の杜カフェへ向かうフォトスポット
■ 熱海梅園
来宮神社から鉄道沿いに歩いて熱海梅園に行きました。ここには5本の線路が走ります。東海道新幹線、JR上野東京ラインが2本、JR東海道本線、伊豆急行伊東線です。途中「梅園の結び葉」というところで来宮駅や丹那トンネルを眺めましたが、新幹線、JR線、伊豆急線が頻繁に通り、見ていて飽きません。東海道新幹線の運行間隔にはビックリ、行ったと思ったらすぐ次が来る、日本が誇るこの鉄道に乗りたくてやってくるインバウンドがたくさんいるそうですが、このスピードで、この運行間隔で、よくぞ事故も無く走れるものだと日本の鉄道技術の素晴らしさに感嘆します。
熱海梅園は「初川」の両側に南東から北西に展開する緩やかな傾斜地で、熱海梅ラインともう1本の大きな道路に挟まれています。入園料300円ですが、宿の領収証を示したら100円になりました。宿泊客割引です。60品種・469本の梅が咲き誇り、「早咲き→中咲き→遅咲き」と順番に開花していくので長期に渡り梅を楽しめるそうですが、園内は緩い上りになっていて、入口から入ってまずは夫婦松、中央広場、芭蕉の句碑、寛一お宮の梅、山神社、梅見の滝へと上って行きます。梅見の滝では表と裏から両方滝を眺めました。初川に架かる梅園五橋を見ながら歩いて行くと、澤田政廣記念美術館と梅園とを結ぶ「梅園橋(うめぞのばし)」がありました。きれいな橋で2009年11月に出来たものだそうです。足湯があって足を拭くタオルを売ってます。和風庭園、韓国庭園(2000年9月の森喜朗首相と金大中大統領の首脳会談の記念に造られた)、そして中山晋平記念館を拝見しました。その後ブラブラと白梅、紅梅、蝋梅、ボケほか各種の樹木を眺めながら下りました、梅園内には樹木の他、五橋・句碑・記念碑・記念館などがあり、お休み処、売店、トイレがたくさんあります。園内を案内するボランティアガイドが居て、足腰の悪い人用に電動スクーターが有料貸出しされています。
「梅園の結び葉」から見る5本の線路や熱海湾
熱海梅園パンフレット(PDF)
熱海梅園入口の紅白梅と夫婦の松
この日の梅園は良い天気 白梅、紅梅、蝋梅に緑の松
松尾芭蕉 「梅が香に のっと日の出る 山路かな」
八重の梅の花
蝋梅の鮮やかな黄色
ボケの赤が際立ちます
梅見の滝
水しぶきを上げて流れ落ちる梅見の滝
トンネルがあって、裏見の滝になっています
裏から見ると、コチラをスマホで撮っている女性の姿が...
その先に見える橋は五橋のひとつ;香浮橋です
澤田政廣記念美術館と梅園とを結ぶ「梅園橋(うめぞのばし)」
これは五橋には数えません
2000年9月の日韓首脳会談の記念に2002年に造られた韓国庭園
韓国様式のコンパクトな建物
中山晋平記念館は大正初期から大衆音楽の普及に大きな足跡を残した著名な
作曲家「中山晋平」の別荘を熱海市西山町より梅園内に移築したものです
中山晋平は昭和19年、第二次世界大戦で空爆が激しくなったのを契機に
東京都中野区より熱海市に移住し、昭和27年に亡くなるまで居住していました
館内には、作曲に使用したピアノや、直筆の譜面、
当時のレコードなど貴重な物が展示されています
昭和初期の障子や欄間の工作は素晴らしい・・・芸術です
二階の広い廊下から庭園が見渡せます
日の光が一面に入る構造で、雨戸を閉めれば風雨に堪えられます
畳の敷かれた内間とは障子で区切られる典型的日本家屋です
■ 糸川遊歩道のアタミザクラ
熱海梅園を後にして歩いて下ります。来宮駅は只今大工事中で、シートに覆われています。駅前駐輪場を見て、あぁ長崎や仙台の青葉城と同じだな、と感じました。どういうことかと言いますと、自転車ではなくバイクばかりなのです。坂道だらけの街では自転車は無理なのです。更に進むと熱海警察署があり、それを過ぎると先ほど通った来宮神社への三叉路です。しゃぶ葉前を過ぎて、宮坂を下ります。熱海来宮の湯「松月」を過ぎて「宮坂の結び葉」で一休み、すると座席のところに何やら四角いプラケースが有ります。何だろう?と手に取ってみると小銭入れみたいです。裏返してみたら千円札みたいなものも入っています。これは落とし物だな、と思いました。おそらく女の子が落としたのだろうと思いました。気付いて引き返してくるのではと思いましたが、先ほど熱海警察署があったな、と思い、落とし物として届けようと思いました。下ってきた宮坂をフ〜フ〜言いながら上り直します。熱海警察署会計課に届けて、落とし主が見つかったらお礼も何もいらないよと言いましたが、チョット待って、それにしても書類は書いてくださいと言われて、さあ、お役所仕事、時間がかかりましたが無事届けてまた宮坂を下りました。翠橋で糸川がクランクに曲がり、橋を渡ると、おや左には「湯汲坂」の標識、どうやら糸川遊歩道に到達したみたいです。ちょっと「湯汲坂」を見てみようと思いました。「魚竹」という干物屋さんがありました。イカの干物が1枚¥800、ウ〜ム、アジの干物もありますね。向いに「熱海七湯大湯間欠泉」というものがありますが、全然噴いていません。案内板を見ると、かつて世界の三大間歇泉のひとつに数えられた有名な自噴泉で、噴出は昼夜6回、湯と蒸気が交互に激しい勢いで吹き出し、地面が揺れるようだったそうですが、1923年の関東大震災後に噴出が衰え、1977年に市の文化財として人工的に噴出する間欠泉に再整備したそうです。左手には、日本初の公衆電話ボックスを模して復元した「六角形の白い公衆電話ボックス」と、「市外電話発祥の地」の碑が設置されていて、なんじゃこりゃと思いました。糸川遊歩道に戻り熱海桜を見ながらブ〜ラブラ、アジアからのインバウンドがいっぱい居て、パチパチ写真を撮っています。やはりアジア人はサクラが好きなのだなと思いました。坪内逍遥の旧宅も有ります。この辺りは熱海銀座商店街、土産物店、食べ物屋、散策したりカフェする場所がいっぱいあります。熱海七湯を色々散策しながら坂道を上り、ホテルへ戻りました。いや〜いっぱい歩きました。じゃあ、お風呂に入りましょう。
糸川遊歩道の熱海桜は日本で一番早咲きのサクラと言われています
まだ三分咲きというところでしょうか
これはもう五分咲きですね
熱海での三日間を終えて帰途に着きました。途中、伊豆山港を通過するとき2021年7月の土砂崩れ災害を思い出しました。不法に廃棄された土砂が崩れて山津波が発生し、建物が流される恐ろしい映像、多数の死者が出ました。この盛り土は危険だと土木作業員の男性が静岡県に上申書を出していたにもかかわらず県が適切な処置をしなかったことが後になって政治問題化しました。
■ 森永卓郎さん死去
前回生島ヒロシさん(74)の芸能活動無期限自粛について紹介しました TBSラジオが1月27日(月) 生島ヒロシさんがパーソナリティーをつとめる平日朝の生放送の2番組「生島ヒロシのおはよう定食」「生島ヒロシのおはよう一直線」を巡り 「
TBSグループ人権方針に背く重大なコンプライアンス違反があったため
」同日付での降板を決めたと発表した件です ところが翌日 森永卓郎さん所属事務所が《
弊社で業務提携を行う 森永卓郎【67歳】が1月28日(火)13時33分 原発不明がんのため 自宅にて逝去いたしました
》と発表したのです ちょっと待って・・・森永卓郎さんは1月27日(月)「生島ヒロシのおはよう一直線」に電話出演していたじゃないか とビックリしました 午前5時からの『おはよう一直線』では現在の体調について生島さんから「
いやぁ、モリタクさん、大丈夫ですか?
」と問われ、森永さんは「
実はあまり大丈夫じゃないんです
」と赤裸々に答えました 「
先週の放送が終わったあとぐらいから容体が急変して どうも本格的な転移が始まったようで 右の脇腹のところに一気に痛みが出てきたんですね
」と伝え 痛み止めの医療用モルヒネを投与して痛みを抑え込んでいるとも明かし 「
だからしゃべれるんですけど この1週間 ほとんど何も食べていないのでパワーがなくなった ろくに歩けなくなっているような状況で・・・
」と説明 「
今日 お医者さんに来てもらうことになっているんですけど 実感で言うとそう長くもたないかもしれない
」と自ら分析し 「
ちょっとマズいなっていうか 転移が一気に広がるとマズいなとは思っていたんですけど ここまで急変するとは思っていなかった 今は結構厳しい
」と明かし 生島さんはそんな体調での電話出演に「
申し訳ないですねぇ・・・
」と恐縮していました この日は午後4時から中居正広氏(52)が引退した女性トラブルに関する問題でフジテレビ幹部の会見が予定されていて この話題に触れると森永氏は「
石破総理が『もっと楽しい世の中にしよう』と言って世間から無視されたけど 私は楽しくない 世の中が分断されて ちょっとでも弱みを見せると袋だたきになる もちろんやったことは悪いんですけど 世界中で分断が広まっている 楽しい世の中は お互いの思いやりで生まれます フジも かつては『楽しくなければテレビじゃない』というキャッチフレーズを掲げていました ちょっとでも弱みを見せたらおしまいという社会は 私は心苦しい
」と話しました 生島さんが「
アメリカには再チャレンジできる土壌がありますね
」と振ると森永氏は「
人を非難しながら 自分もターゲットになるんじゃないかとおびえている
」と話しました 生島さんが「
政治に不満を持つ人が82%になると言われています
」と言うと、森永氏は「
いま議論すべきは袋だたきではなく どうやったら国民が幸せになれるか それが国会の務め 日本はあいまいな社会だったが それが方向性としてよかったと思う 根っこに帰って みんな支え合おうよと私は思っています
」と話す・・・こんなやりとりでした
森永氏は2023年11月に人間ドックで膵臓がんが見つかったと同年12月27日に発表して 時すでにステージ4 入院して抗がん剤治療を続けながら仕事を続けて来ました その後「原発不明がん」とされましたが これはがんが転移した状態で見つかり 最初にできた臓器が分からないという意味です 長男で経済アナリストの森永康平氏(39)によりますと 最後に会ったのは1月26日で 予感がして所沢の実家に寄り 出る際に会話を交わし「『ありがとうね』が、ちゃんとした言葉としては最後だったそうです 子どもの頃は父が家にいなかったので遊んだ記憶があまり無く 経済アナリストになって会うようになったとのこと 森永卓郎さんは我が家から近いところにお住まいですが この世代は「モーレツ」に働く人が多くて 子育ては奥さん任せということが多かったのです 所沢に引っ越したのは都心のカネのかかる無機的環境から逃れ 自然豊かだけれど都心にもすぐ行ける場所ということで所沢を選んだということでした 所沢市と言えば埼玉西武ライオンズの本拠地 角川武蔵野ミュージアムがあり 緑が50%以上残っていて宮崎駿さんの「トトロの森」が点在する地で 3回前に618『
落ち葉ケーキ作りと薪割り体験
』(2025年1月12日)で紹介したようにまだまだ自然が残る地です ここで森永さんは畑で野菜作りしながら執筆やメディア出演をこなしていました どうして森永さんが人気が有ったか 今更紹介するまでもありません 森永康平さんによりますと 森永卓郎さんへの励ましの言葉は多方面からものすごく多く寄せられ それには家族みんなが感謝しているとのことでした 安らかな眠りを祈ります 合掌
あえて森永卓郎さんの最近の姿を掲載しました
東京都庁から30km(
赤
枠)、40km(
緑
枠)、50km(
青
枠)
20kmから30kmの間にあるのが時計回りに横浜、町田、多摩、立川、
所沢、ふじみ野、大宮、越谷、流山、松戸、船橋、住むのに人気の地域
(2025年2月2日)
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