473  鉢形城

 本日は二十四節気『清明』です。大気清浄明潔、すがすがしい季節ということです。しかし花冷えというか、4月3日、4日は雨で最高気温が10℃にもならず、2日続けてのこの時期の低温は24年振りとのこと。何しろ西日本は20℃越え、札幌でも14℃というのに何たることか、しかし『清明』より以降はまた気温が戻るという予報です。4月20日は『穀雨』、準備の整った田畑に、百穀を潤す穏やかな春の雨が降る頃です。ふじみ野こどもエコクラブの畑でも3月末にネギを移植し、春大根や春菊の種を撒いたので、楽しみです。4月3日、4日の雨は「菜種梅雨」だったのでしょうか。なたねづゆとは3月中旬から 4月上旬にかけて、菜の花(アブラナ科の野菜に咲く一般的に黄色い花)が咲く頃に降る長雨のことで、「春の長雨」とも言われます。高気圧が張り出したり、移動性高気圧が北に偏って日本列島を通ったりするために、関東地方や太平洋沿岸部には冷たく湿った北東風が吹き、前線が停滞しやすくなります。そこへ小低気圧が次々と発生し、東進するため、すっきりしない天気が続くのです。


菜の花

■ 不穏な情勢が続く...
 ロシアのウクライナ侵攻は局面転換して、ロシアはウクライナ東部に戦力を集中し、戦果を挙げて5月の勝利宣言を目指したいようです。ロシア軍が去ったキーウ周辺の画像を見ると、戦争とはいったい何なんだ、こんなことをして誰が喜ぶんだ、あんたたちは何をしたいんだ、いい加減にしろ!と言いたくなります。ブチャでは殺された住民の遺体が道路わきに放置され、現場視察したゼレンスキー大統領は「これはジェノサイドだ」と言いました。この戦争犯罪、人道犯罪に欧米各国は更に強い制裁を科すとしていて、英仏はロシア外交官の一部を追放しました。外交を放棄するということは、次なる手は?と考えると恐ろしいですね。
 一方北朝鮮は世界の目がウクライナに向いているので、米国の眼を引くがために度々ミサイルを発射しています。これに対し韓国の徐旭国防相が「北朝鮮のいかなる標的も正確、迅速に攻撃できる能力を備えている。特にミサイル発射の兆候が明白な場合には発射地点と指揮・支援施設を精密攻撃できる能力と態勢がある」と述べると、北朝鮮の金与正朝鮮労働党副部長はすかさず談話を出し、「北朝鮮は韓国を主要な敵とは見なしておらず、韓国から軍事行動を仕掛けられない限り、同国を攻撃の標的とすることはない」と指摘しましたが、韓国が先制攻撃のような軍事行動を取れば「状況は変わり、韓国自体が標的になる」として、「その場合、北朝鮮の核部隊は攻撃せざるを得ない」との考えを示しました。プーチンに続いてキムヨジョンまでが核を持ち出すということは、尋常ではありません。抑止力などと言われてきたことは何だったのでしょうか。我が家の上を自衛隊機がブンブン飛び回るようになってきました。有事に備え、警戒しているのでしょう。テレビをつけると新座市市民会館で歌番組、フィナーレでは、皆で「北国の春」を歌っていました。日本はいい、幸せだ...

■ 花を求めて旅に出る
 このところ毎週のように旅に行ってます。4月になって、各県が県民割を再開したり、対象地域を拡大したブロック割を続々と発表していて、凄く安く旅行が出来そうです。詳しくは「旅行クーポンサイト」by トラベラーズナビをご覧ください。筆者はまだこの割引適用旅には行ってませんが、嬉しいニュースですね。コロナで2年間自粛生活が続いて、男の健康寿命に達したので、このままじっとしていたら身体が思うように動かなくなってネンネンコロリになってしまう気がするからです。出来ればピンピンコロリが良い、それには活動することだ、と思っています。お陰様で毎日余熱利用施設エコパに通い、バーデプールで水中ウォーキングしたあと露天風呂に浸かるという、夢のような生活が出来ていますが、やはり温泉オタクとしては天然温泉にも浸かりたい、エコパの休日には小さな旅・川越温泉に行きますが、先日は春の花を求めて南房総・野島埼に行きました。桜も咲いたので、そうだ、昨年同様秩父に行こう!花桃や芝桜、ユキヤナギ、ムラサキツツジ、色々な花が咲き誇る秩父へと山越えした後、両神に泊まろう、というわけです。

花桃の郷の光景はまさしく桃源郷、桜、花桃、レンギョウ、ムラサキツツジ・・・

手前がムラサキツツジ、黄色のレンギョウ(黄桜)、梅、桃、花桃、桜、みな一斉に咲く東秩父村

■ 両神温泉へ
 昨年はお客様が少なかった両神荘ですが、今年は賑わっていました。まん延防止等重点措置が解除されて、さあ行こうという人が増えたのでしょう。両神温泉は温かいお湯が湧出するわけではないので加温していますが、メタホウ酸の量が温泉法で規定する量を越えているので温泉とされています。pH9.1のアルカリ性なので、肌がヌルヌルする上に、メタホウ酸量が多いので「美人の湯」と言われます。駐車場に停まっていた車は高級車が多く、泊り客は豊かな層の人たちなんだろうと思いました。祖父母と孫や、母子が何組か見られました。春休みだから、働く親を残して来たのでしょう。今回もイチローズモルトを2杯注文しました。美味しかった

小鹿野町営国民宿舎両神荘

■ オオアラセイトウ(別名:諸葛菜)が目に付く
 いたるところでオオアラセイトウ(大紫羅欄花)が目に付きました。アブラナ科オオアラセイトウ属の越年草で、別名:ショカツサイ(諸葛菜:諸葛孔明が広めたとの伝説から)、もう一つの別名はムラサキハナナ(紫花菜)で、「紫色の菜の花」という意味で、菜の花(アブラナ)に形状が似ているというだけではなく、実用面でも野菜としての利用や種から油を採取する点などでもアブラナとの共通点が見られます。

オオアラセイトウ/諸葛菜/紫花菜 葉っぱを見ればアブラナ科の野菜だなと思います

■ 鉢形城
 小鹿野町からの帰路は秩父の山越えではなく、平坦な道を走ろうと思いました。正丸峠を通って飯能経由で帰るのが最も短距離ですが、山の裾野をグルっと回り、寄居から川越街道に出るので距離は大分長くなります。高速道路を使うとすぐ着いてしまうのでつまらない、下道を走るといろいろなものが見られます。寄居町は今やホンダの大工場の進出で有名ですが、ここで荒川を渡ったら鉢形城の看板があり、ここに寄ろうとひらめきました。東武東上線の鉢形駅で降りて埼玉県営「川の博物館」に行ったことを193『県民の日』(2016年11月19日)で紹介しましたが、鉢形城は行ったことがなかったのです。鉢形城の詳細は寄居町のホームページをご覧ください。

鉢形城マップ
 以下寄居町のホームページから転載します・・・鉢形城跡は、寄居町大字鉢形2692番地2にあり、戦国時代の代表的な城郭跡として、昭和7年に国指定史跡となりました。城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしています。この地は、交通の要衝に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点でした。鉢形城は、文明8年(1476)関東管領の山内(やまのうち)上杉氏の家臣長尾景春が築城したと伝えられています。後に、この地域の豪族藤田泰邦に入婿した、小田原の北条氏康の四男氏邦が整備拡充し、現在の大きさとなりました。関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、後北条氏の重要な支城として、前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され、攻防戦を展開しました。1ヶ月余りにおよぶ籠城戦の挙句、北条氏邦は遂に6月14日、城兵の助命を条件に開城しました。前田家預かりとなった氏邦は能登に転封され、そこで生涯を終えました。鉢形城開城後、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下が代官としてこの地を統治しました。なお、鉢形城跡は「21世紀に残したい埼玉ふるさと自慢100選」や「日本100名城」、「日本の歴史公園100選」、「日本の史跡101選」に選ばれています。

鉢形城は荒川の断崖絶壁の上に築かれています これは鉢形城本丸(本曲輪)跡から見下ろした光景
 鉢形城跡では堀や土塁が良く残り、堀や土塁によって区切られた本曲輪や二の曲輪などの空間が現在でも確認することができます。なお、二の曲輪・三の曲輪・笹曲輪は発掘調査の成果をもとに、馬出や堀・土塁の復元整備が進められました。特に、三の曲輪では戦国時代の築城技術を今に伝える石積み土塁や四脚門、池などが復元されています。なお、鉢形城歴史館は外曲輪の一角に建てられています。入館料は¥200でしたが、70歳以上や障害者手帳保持者は無料です。また、園内の遊歩道は、深沢川が織りなす渓谷やカタクリ群生地、寄居町指定天然記念物エドヒガンの「氏邦桜」を巡り、四季折々の景観が楽しめる公園となっています。

深沢川に架かる赤い橋 丘の上に見えるのは鉢形城歴史館

■ 鎌倉殿の13人
 今NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されています。北条義時(1163〜1224)がメインで、小栗旬が演じています。大庭景親の娘・八重を思う様は健気ですね。義時は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士で、伊豆国の在地豪族・北条時政の次男、北条政子の弟です。父・時政、兄・宗時と共に源頼朝の挙兵に従いますが、石橋山の戦いで大庭景親に敗北して宗時が戦死、頼朝主従は箱根山から真鶴半島へ逃れ、真鶴岬(神奈川県真鶴町)から出航して安房国、今の鋸南町に逃れました。ここの頼朝桜を見に行ったことを470『プロパガンダ』(2022年3月13日)で紹介しました。北条義時は頼朝亡きあと、姉政子と手を組んで父時政も追放して鎌倉幕府の第2代執権となります。

鉢形城本丸(本曲輪)跡の石碑

■ 鉢形城主北条氏邦
 北条義時と鉢形城主北条氏邦(1548〜1597)は、同じ北条姓ですが400年の時の差があり、実は一族ではありません。北条氏邦は後北条氏の第3代氏康の四男とも五男とも言われていますが定かではありません。家系図では氏政が筆頭ですが3番目に記されています。この時代は嫡出子以外にも子がたくさん居ました。氏邦は恐らく妾の子ではないかとされていますが、氏政がその能力を愛でて、豪族藤田家の婿にして、鉢形城を任せたものと思われます。後北条氏は鎌倉時代の執権北条氏と区別するために後北条氏と言っています。戦国時代、駿河国の守護・今川氏親を補佐して伊豆の北条に旗を立てた伊勢新九郎を祖とし、2代氏綱より相模国小田原城を本拠として、5代にわたり関八州に威勢を振るった戦国大名家です。北条早雲の出自については5説あるそうです。小田原市のホームページをご覧ください。現在可能性が最も高いのが、桓武平氏を祖として、備中伊勢氏を出自とする説です。早雲は伊勢氏のまま亡くなりました。北条を名乗ったのはその子・2代氏綱からで、かつての北条氏の栄光にあやかって名乗ったようです。3代氏康、4代氏政、5代氏直と続き、1590年に、秀吉の小田原攻めにより滅亡しました。5代氏直病没後、男子がいなかったため、北条氏の家督は叔父の氏規に継承され、河内国狭山で7千石を拝領しました。またその子氏盛も別に下野国内で4千石を拝領し、氏盛が氏規の死後、父の遺領を併せて1万1千石の大名となり、河内狭山藩を立藩しました。狭山藩北条氏は江戸時代を通じて存続しました。また徳川家康が氏直の義父にあたることから、かつて同盟関係にあった家康が天下を取ると、縁故の数家が再興され、明治維新後に狭山藩北条氏は華族に列し、子爵に叙されました。

寄居町指定天然記念物エドヒガンの「氏邦桜」

■ カタクリ
 土塁にカタクリの群落があって、綺麗に咲いていました。ユリ科カタクリ属で、早春の落葉樹林を飾る植物として、季節の話題にのぼる球根植物です。主に低山から山地の落葉樹林、ときに亜高山帯の雪が遅くまで残るくぼ地などに生えます。開花時期は、 3/20 〜 4/10頃です。ピンク色の花が下向きに咲く。花は陽のあたるときのみ開く。くもった寒い日や雨の日は開花しにくいが、曇ってても温度が高めだと開花するなかなかデリケートな花です。昔は、球根から”片栗粉”(かたくりこ)を採っていたが、今は8割がじゃがいも、2割がさつまいものでんぷんからつくられています。

カタクリ

■ニリンソウ
 深沢川の土手に咲いていた二輪草の花、きれいな葉です。二輪草はキンポウゲ科イチリンソウ属で、山野の林内や林縁の湿った場所に生える、高さ15〜25cmの多年草です。葉はオダマキに似てますね。オダマキはキンポウゲ科オダマキ属ですから当然ですね。北海道から九州まで分布し、花期は4〜5月頃で、この時期に丘陵地帯や山麓で出会うことが多い、代表的な山野草のひとつです。 山野草にあまり興味がなくても、ニリンソウの名前だけは聞いたことがあるという方も多いのではないでしょうか。♪あなた おまえ ♪呼んで 呼ばれて 寄り添って・・・川中美幸の歌にありますね。ただし数は減少し続けており、地域によっては絶滅危惧の指定を受けています。

ニリンソウ

■ ブタナ(豚菜)
 これまた土手に咲いていた黄色い花、タンポポに似てますが葉が違う、なんだろうと思いました。ブタナ(豚菜)のようです。キク科エゾコウゾリナ属、タンポポモドキとも言われます。和名の「ブタナ」は、フランスでの俗名 Salade de porc(ブタのサラダ)を翻訳したものが由来だそうです。ヨーロッパ原産で、タンポポのように見えますが、タンポポは1つの花茎に1つの頭花をつけ、豚菜(ブタナ)は枝分かれして複数の頭花をつけます。

ブタナ

■ タチツボスミレ
 土塁の斜面に一面に咲いた可愛い花・・・スミレ科スミレ属の多年草で、3月〜5月に咲き、日本全域どこでもごく普通に見ることができます。茎が立ち上がる庭(坪)に咲くスミレということで名付けられたようです。葉は心形できれいなハート形です。スミレの花の特徴は、5つの花弁からなる左右相称花で、基部に後ろに突き出た距を持ちます。

タチツボスミレ

■ くるまやラーメン
 昨年は埼玉県小鹿野町下小鹿野の「どさん子ラーメン」に寄りました。埼玉県では今や、ここと、お隣の秩父市別所にしか残っていないからです。ここも定番は味噌ラーメンです。
 今年は帰り道の途中にある「くるまやラーメン」に寄ろうと思いました。くるまやと言えば定番は味噌ラーメンで、変わらぬ固定客が居るとされます。東松山市上野本1177にある東松山店は、関越道東松山インターに近く、国道254号と県道66号の交差点に有り、すぐ横を東武東上線が走っています。この交差点は二木ゴルフや牛丼の松屋(松のや併設)、かつや、五穀みそらーめん味噌屋蔵之介、ミニストップなどがひしめいています。カツ丼の「かつや」と「松のや」、味噌ラーメンの「くるまや」と「蔵之介」という、もろに競合する店が隣り合っているのは面白いですね。くるまやラーメンには久しく訪れていないので、久し振りにあのくるまやの人気No.1メニュー;味噌ラーメンを味わいたいと思ったのです。平日午後3時頃なのに次々とお客さんが来店します。なるほど、人気があるんだな、と納得しました。まずは一口スープをすすると「甘い!」と思いました。いや、甘いと言うより、とろりとしているという感じで、好みの味です。そのワケは、ニンニクがたっぷり入っているからのようです。ラーメンと言えば中華系と言うのが普通ですが、くるまやの味噌ラーメンは和食系だと言われます。やはり味噌ベースだからでしょう。

くるまやと言えば定番味噌ラーメン
モヤシしか見えませんが、チャーシューやメンマも入っています
 くるまやは昔はそこかしこにいっぱいありましたが、今は全国に157店舗、埼玉県では21店舗だそうです。東京都足立区でバスを改造して始めたのでくるまやという名前だそうです。味噌ラーメンは¥720でした。Aランチは餃子ライス付きなのでこれを注文しました。餃子5個で¥340、半ライス¥130が付いて、¥870なのでこれは頼まない手はありません。この餃子がまた具材がたっぷりでまるまると大きい、そして美味しいこと!注文したら若いイケメンの店員が「ライス付けますか?」と聞きます。「だってメニューに書いてあるでしょ」という言葉を飲み込んで「ハイ」と答えました。恐らく「このおじいちゃん、食べれるのかな?」と思ったのではないでしょうか。注文しながら残す人が居るのかもしれません。大丈夫だよ、胃拡張の気味があるから

奥の土塁の右側に鉢形城本丸(本曲輪)跡があり、田山花袋の碑もあります
田山花袋は群馬県館林市出身の小説家で、代表作「田舎教師」は現在の埼玉県羽生市の寺に下宿した青年小学校教師がモデルで、人間をありのままに描いた自然主義派の作品は、私小説の源となり、後の多くの作家に影響を与えました。また「秩父の山裾」という紀行文で、坂戸から馬車で越生、小川を経由して寄居、波久礼、長瀞という道のりを旅した事が書かれ、そのクライマックスとして鉢形城址と荒川の流れを絶賛しています。曰く、東京付近で、これほど雄大な眺めを持った峡谷は他にはない。「襟帯山河好。雄視關八州。古城跡空在。一水尚東流。」こうした詩が、ひとりでに私の頭に上って来た。私は一時間以上もそこに彷徨した。感慨盡(つ)きるところを知らなかった・・・と書いています。この漢詩が武者小路実篤の揮毫により碑となっています
武者小路実篤は東京都千代田区出身の小説家で、志賀直哉らと文芸雑誌『白樺』を作り、小説『友情』や『お目出たき人』により白樺派を代表する作家として活躍しました
人道主義の考えによる共同生活の場として埼玉県入間郡毛呂山町に設立した「新しき村」が有名で、その理想的社会の理念が毛沢東に影響を与えたことで知られます

■ 春のセンバツ2022は大阪桐蔭が圧巻の優勝
 第94回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催、朝日新聞社後援、阪神甲子園球場特別協力)は3月26日、2回戦2試合が天候不良が予想されるため中止となり、27日に順延されました。今大会の悪天候による順延は、開幕を予定していた3月18日に続いて2回目です。複数回順延となるのは前回の第93回大会(2021年)に続いて2年連続です。プロ野球との関連もあるため、決勝は変わらず3月31日に行われ、準決勝までに2回以上、日程が順延となったため、当初予定していた準決勝翌日の休養日は無くなりました。準々決勝翌日の3月29日は休養日で、3月30日に準決勝、3月31日に決勝が行われました。
 組合せと結果 → バーチャル高校野球
 準決勝は3月30日(水)、浦和学院(埼玉)―近江(滋賀)、国学院久我山(東京)―大阪桐蔭のカードでした。浦和学院は大会緒戦に登場し、大分舞鶴に4-0完封勝ち、一方1回戦最後に登場した大阪桐蔭は鳴門の好投手の前に3-1の辛勝、強いと言われても絶対的ではないんだなと思いました。この大会もコロナにたたられました。強豪の京都国際が出場辞退に追い込まれ、近江(滋賀)が補欠出場、それがグイグイ勝ち進み、如何に近畿のレベルが高いかを示しました。1回戦21世紀枠の丹生(福井)に22-7圧勝した広島商がコロナ陽性者が多発で涙の辞退、大阪桐蔭が二回戦不戦勝となりました。明治神宮大会優勝の大阪桐蔭の強さは誰しも認めていて、普通絶対的な優勝候補は甲子園では存在せず、圧倒的に強かったときの大阪桐蔭でも優勝できなかったのを見ていますが、今年の大阪桐蔭は別格と感じました。打撃も守備も投手力も、ほかのチームより頭一つ抜けています。余程何かメンタルアクシデントが無い限り負けるはずがないと思っていました。他に有力とされていた浦和学院のBEST4は順当です。イチローさんから指導を受けた国学院久我山も大したものです。大会注目ナンバー1の佐々木鱗太郎擁する花巻東は市和歌山の米田投手に抑え込まれて初戦敗退、野球はバッテリーだということを示しました。それでも最終回の攻撃はさすがと思わせました。
 さて準決勝の結果は・・・浦和学院(埼玉)が延長11回近江(滋賀)のサヨナラ3ランでサヨナラ負け、準々決勝で市和歌山の米田投手を打ち込んで17-0圧勝した大阪桐蔭は国学院久我山(東京)も圧倒、ガンガン得点し、11-4の圧勝でした。近江の山田陽翔投手は大会屈指の好投手で、しかもイケメンでスター性がありますが、11回完投、もはや余力は少ないでしょうから、31日の決勝戦の結果は予想するだけ空しいと思っていました。
 決勝は予想していたとは言え、想像以上に凄まじい結果となりました。18-1で大阪桐蔭勝利、打って打って打ちまくり、これでもかと血も涙もない攻撃を見せました。普通大差となった後は、緊張感が持続しないのでそんなに打てないものなのに、最後まで気を抜かずに攻め続けたのは、西谷監督が今年よりもレベルが上と言っていた昨年チームが春のセンバツ1回戦負け、夏の選手権二回戦負け、絶対的優勝候補との下馬評ながら無念の敗退、その口惜しさの倍返しだったのでしょうか。しかも昨夏負けた近江とのリベンジマッチですから、尚更気合が入ったのでしょう。それも相手主将の山田陽翔投手に昨年やられてますから、気迫がみなぎっていました。

土塁の高さがわかりますね

■ 投手起用と監督の判断
 近江のエース山田投手は登板させないだろうと見ていましたが、多賀監督はマウンドに上げました。しかし大阪桐蔭に打ち込まれ、自らマウンド上でベンチに向かって交替をアピールしました。試合後、多賀監督は山田を登板させるべきではなかったと反省の弁を口にしました。ピッチャー一人では甲子園で優勝は無理です。山田主将以外に良い投手は居ないからと言って、一人で投げてきて、前日足に死球を受けながら170球完投のピッチャーを投げさせることは考えられません。本人は志願するでしょうが、それを止めるのが監督というものです。山田投手は昨夏奮闘した結果、肘を痛めて秋季大会は投げられなかったのです。それが近畿の補欠となった理由でしょう。むしろ浦和学院の森大監督があえてエースを投げさせなかったことが称賛されています。チームの勝敗よりもまず、投手の故障を心配した結果の判断だったからです。ロッテの佐々木朗希が高3のとき岩手大会決勝で花巻東との対戦に大船渡高校の國保陽平監督は佐々木朗希を最後までベンチに置き続けて負けました。甲子園がかかる試合、佐々木朗希が投げれば勝てたかもしれません。一番壊れる可能性が高い試合だったのであえて投げさせなかった、この判断は当時賛否両論、激しい論争を巻き起こしました。しかし花巻東の佐々木洋監督も同じようなバッシングにさらされたことが有ります。大谷翔平を投げさせなかった時です。これまたここで投げさせたら危ないとの判断でした。辛い決断をした監督を、外野がワイワイ言うのは間違いです。そのように大事にされた結果、菊池雄星や大谷翔平、佐々木朗希の今があるのです。

土塁の左肩にカタクリの群落がありました

■ 円安が進み、スタグフレーションの心配も
 円安が進んでいます。かつて日本の経済評論家の多くが先行き円高を予想していましたが、筆者は円安に進むしかないだろうと指摘してきました。それは欧米が金融引き締めに転じる中で日銀だけが頑として金融緩和を続けているからです。黒田総裁を見ていると段々悪魔みたいに見えてきました。円安容認、スタグフレーションの心配はないと言い続けています。4月3日の産経新聞は、外国為替市場で円の独歩安が進み、ウクライナ侵攻に伴う制裁で暴落したロシアのルーブルに対してすら値を下げ続けている、米欧が新型コロナウイルス禍の「出口」に向け肥大した金融緩和の引き締めに転じたのとは裏腹に、低温経済の下で緩和を続ける日本の国力低下を物語っている、と報じました。日銀はインフレ抑制よりも低金利と円安の維持を優先する姿勢を鮮明にしていますが、この背景にはアベノミクスのもとで、国債を買い続け、株を買い続けた結果、出口戦略を取れなくなっているからです。金利が上がったら日本はアウトなのです。

産経新聞デジタルより転載

■物価が安くデジタル化が遅れている日本
 ロンドンやシンガポールでビジネスして日本に一時帰国した人がビックリしたことを書いていました。物価が安いこととデジタル化の遅れです。日本では未だに紙の書類が使われて、スーパーでは人が居るレジがあることだそうです。買い物してそのまま帰っても、商品はカメラとスマホで認識されて自動精算されるのですが、日本ではセルフレジの隣の有人レジに行列している、アリエナイ...とのこと。如何に日本が遅れているか、というのですが、これは30年前に筆者も感じました。欧州先進国と日本では当時ですらソフトウェアの差がすごく大きくて、5年は遅れている感じでした。今はもっと拡がっているのではないでしょうか。新型コロナウイルス感染対処にも大きな違いを感じたそうです。ロンドンでは子どもはマスクしていない、マスクで顔が隠れると友達もできないからだそうです。しかも、子どもは感染してもほぼ症状は出ないか軽い、老人のために子どもにマスクを強制するのはトンデモナイ、という考え方だそうです。

土塁と掘の組合せ コブシの白い花が咲いてます
土塁の右側に鉢形城本丸(本曲輪)跡があり、田山花袋の碑もあります

■ ウクライナ戦争で儲かるのは...
 ウクライナ軍が、キーウ州をロシア軍から取り戻した、と発表しました。しかし遺体が散乱、また撤退に当たりロシア軍が地雷を埋めたとも言われ、避難民に対し直ちにふるさとへ帰ってはならないと呼び掛けています。この惨状がテレビ映像で流れ、国連のグテーレス事務総長がロシアを強く非難しています。米国ではバイデン大統領が口先だけで実行力が無いのでプーチンの侵攻を停められなかった、とトランプ待望論がまたぞろ出ています。ただ、忘れてならないのは、戦争に勝者は居ないが、漁夫の利を得る者は居るということです。中東他の産油国であり、最たる者は米国でしょう。米国は世界最大の軍需産業を持つ産油国です。「有事のドル」が上がるのは当然です。

平日なのに観光客が結構多い

■ モノ言えば唇寒し
 ウクライナ東部ではロシア軍が占拠した地域でロシアのテレビ放送が始まっているそうです。ウクライナの放送局と正反対の報道が行われ、病院や学校などの民間施設を攻撃したのはウクライナ軍だ、と報じているとのこと。誰がどう考えても、ロシアではなくウクライナの中で行われている破壊活動が誰によって行われたか、冷静に考えれば分かることですが、ロシア国民の大多数はこのプロパガンダを信じているとのこと。中国ではメディアやSNSでウクライナが米国の手先になってロシアを攻めてるのでロシアが反撃している、ロシア頑張れと言う風潮が高まっているそうです。ただ中国ではロシアのようにSNSを規制していないので、知識人はウクライナで何が起きているか分かっているそうです。ただ分かっていても大っぴらにそれを口にすればどうなるか、「モノ言えば唇寒し」の国ですから、命懸けで言うひとは少ないのです。中国はロシア軍が苦戦していることに注目しているようです。中国人民軍の兵器はロシア式なので、どうして圧倒的物量を誇るロシア軍が苦戦しているのか、同じことが中国人民軍にも当てはまるのではないか?と危惧しているわけです。

花桃がきれいに咲いています

■ ロシアと中国の違い
 ロシアと中国の違いは何か...ロシアはソ連と違って社会主義ではありません。ただしプーチンという独裁者が国を牛耳っていて、世論がプーチンから離れていくと戦争で支持を取り戻すということを繰り返してきました。今回のウクライナもまさにそうです。これは戦争ではなく特別軍事作戦だと信じ込まされている民衆は、今回も圧倒的支持をプーチンに与えています。これはロシアの国民性ですから、如何に西側が経済制裁を加えても、ロシア国民は堪え難きを耐え、忍び難きを忍んで、我慢するでしょう。世界有数の資源国であり、食糧を自給できますから、ぜいたくは出来なくなるかもしれませんが、ますます軍備を拡大して「大きな北朝鮮」みたいな国になって行くかもしれません。プーチンは「裸の王様」ではなく、強力な情報機関にガッチリとガードされた帝王であり、それが国民の支持の上に成り立っていることを忘れてはなりません。
 一方中国は共産主義を標榜しながら、政経分離で、政治は共産党独裁で、ロシアのように一応民主主義の国とはまるで違います。ロシアでは反プーチンを言うこともできますし、いろいろな政治思想の政党による政治活動も許されています。プーチンが帝王であることが許される「プーチンシステム」を構築して現在があるのです。中国では世論調査などありません。共産党が国民の支持の上に成り立っているのではなく、国民が共産党に逆らえない一党独裁体制になっているのです。天安門事件の始末を見て分かるように、逆らったら投獄されます。経済は資本主義以上に資本主義的です。これが習近平の登場によって、また一味変わりました。習近平独裁体制が構築されつつあります。

白皮松の新緑の緑が鮮やかです

■ ロシア、中国との向き合い方
 ロシアと中国は日本の隣国です。先の太平洋戦争で中国とソ連は戦勝国、大日本帝国は敗戦国で、日本は戦勝国米国によって象徴天皇制に変えたうえで民主化され、西側に組み入れられました。終戦時、連合国の間では領土不可分の原則が協定されたのに、日本はソ連から北方領土を不法に奪われました。政治体制の違う隣国中露に対しては政経分離を基本として対処するしかありません。戦後これはそのように進められてきました。例えば今や中国抜きの日本経済は考えられません。政治的には対立しても、経済的には離れられないのです。政治や安全保障をリンクさせて領土問題を解決しようとした点に安倍政権の対露政策の根本的な誤りがありました。安倍首相は習近平とは反目しながらプーチンとはシンゾウ−ウラジーミル関係を築きました。以前から一貫して書いていますが、世界的に領土問題は外交交渉で解決したためしがないのです。領土は軍事的に奪い、奪われるものなのです。北方領土はロシアが西側との戦争で敗れ、和平交渉の中で返還されるしかありません。安倍政権は「8項目の経済協力」によって領土問題に関するロシアの姿勢軟化を狙う戦略でしたが、その結末は国後と択捉に対する領土返還要求を事実上放棄するという妥協の末に、ロシアからゼロ回答を突きつけられたばかりか、安倍政権が対露外交を活発化させるほどにロシアの態度は高圧的になり、最終的には北方領土がロシア領であると認めることや、日本から外国の軍隊を撤退させることまで要求するようになったのです。今やロシアは憲法を変えて、領土不可分を明記しました。岸田政権はサハリンでの液化天然ガス(LNG)共同開発や、ロシアの北極圏に位置するヤマル半島でのLNGプロジェクト「ヤマルLNG」を放棄しない考えを表明しました。ロシアへの経済制裁の一環としてこれは止めるべきだとの意見もありますが、ロシアが今後もずっと日本の隣国である以上、すべてを放棄するのは得策ではありません。
(2022年4月5日)


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