474  完全試合

 エコパのバーデプールで18時に歩き始める時、西の空に真っ赤な夕陽が沈んで行きます。ずいぶん日が長くなりました。日没18時10分です。この前まですごく寒かったのに、今度は暑い、どうなってるんでしょう?

■ 上弦の月
 2022年4月9日(土)は上弦の月でした。下記は15時24分に、ふじみ野市立西原小学校で少年野球の練習中、空を見上げた時に見えた上弦の月、青空に白く左45度に見えました。弦(半月の真っ直ぐな所)が北西から南東方向ですね。19時にエコパの露天風呂からは真上にまっすぐ90度に見えました。弦が北から南方向ですね。真夜中には西の空に135度に見えました。弦が北東から南西方向ですね。月が西の空に沈んで行く時に、弦が上に位置しているのが上弦の月です。


15時24分に、ふじみ野市立西原小学校で空を見上げた時に、山桜とナラかクヌギのような樹木の左上に見えた上弦の月

夜中の上弦の月 弦が北東から南西方向です
 上弦の月の名前の由来は大きく2説あります。弦は弓に張る糸のことで、半月の形が弓に似ていることから、弓の真っ直ぐな部分である「弦」の漢字が用いられました。
@新月を含む日を1日とし、月の満ち欠けで1か月を定める太陰暦を使っていた時代に、月の前半(上旬)の月を上弦の月、月の後半(下旬)の月を下弦の月と呼んだというもの。
A西の地平線に沈む時に、弦(半月の真っ直ぐな所)が上に位置しているか、下に位置しているかでどうかでつけられたというもの。上弦の月は直線部が上で、半円部が下の状態で沈んでいきます。このため弦の部分が上で沈む月を上弦の月、弦の部分が下で沈む月を下弦の月と呼んだというものです。

■ 佐々木朗希が完全試合
 4月10日(日)ZOZOマリンスタジアムで行われたNPBパ・リーグ;ロッテ−オリックス戦は6−0でロッテ勝利、先発した佐々木朗希投手(20)が、1回2死から5回にかけて自己最速タイとなる164キロの直球を中心に、140キロ台後半の高速フォークとのコンビネーションで、13者連続三振を奪い、64年ぶりに日本記録を更新しました。これまでの日本記録は、1957年阪急・梶本隆夫、1958年東映・土橋正幸の9者連続です。大リーグ記録は「10」です。その後も奪三振ショーが続き、9回2死、27人目の打者となる昨年本塁打王の代打杉本を空振り三振に打ち取り、1995年の野田浩司(オリックス)に並ぶ日本タイ記録の19奪三振、更に1994年5月18日に巨人槙原寛己投手が広島戦で達成して以来28年振り、21世紀初の完全試合の快挙で、20歳5ヶ月での達成は史上最年少記録となりました。ルーキー捕手の松川虎生(市和歌山出身)とのコンビもバッチリ、打者の狙いを外す見事なピッチング、球界で最も三振をしない打者の吉田正尚が「フォークがストーンと消える」と3三振を喫しました。吉田正がフォークを意識していると見るや、意表を突く2球連続カーブで追い込むなど、1年目の高卒捕手がこれだけ冷静に状況を把握しているなんてビックリ、佐々木朗希もキャッチャーを信じて投げてる印象でした。

胸元まで高く足を上げるのが特徴の佐々木朗希投手 これでもバランスが崩れない

満面の笑みで佐々木朗希にウィニングボールを渡す松川捕手
 球数が105球、日本タイ記録の19奪三振、完全試合の中でも最高のピッチングです。オリックスの打者が立った全27打席のうち、ファウルを含めてバットに当たったのは計35球、バットにかすらないのですから、いかにすごいボールが来てたのかがわかります。特に昨年首位打者の吉田正尚の3打席目の163キロのまっすぐでの見逃し三振は、手が出なかったという素晴らしい球でした。「令和の怪物」と言われ、プロ野球評論家がこぞってスゴイピッチャーだと言っていたことが、3年目にしてこんな形で実証されたのですから、海の向こうのアメリカでも、夜中にもかかわらず話題沸騰しているようです。

■ 様々な反応が・・・
 筆者は少年野球のグラウンドを早退して試合のホームページ作成のために帰宅して、パソコンに向かいながらテレビをつけたら楽天−日本ハム戦をやっていました。解説者が槙原寛己さんで、アナウンサーが「ロッテの佐々木朗希投手がすごいことになってますよ」と言います。完全試合に向けて一人の打者も出していないというのです。「もし完全試合やったら槙原さん以来28年振りだそうですよ」と言うアナウンサーに、槙原さんは「いや〜、こんな日に、球場は違っても自分が解説やってるときにそんなことが...期待してます」と言っていました。いろいろなテレビ局を見てもどこもやってません、ZOZOマリンだから千葉テレビは?やってません。平日のロッテの試合は放送するのに、この日に限って別番組です。仕方ない、インターネット速報を見ました。ちなみに千葉県の熊谷俊人知事はツイート中継したそうですよ。佐々木朗希投手の出身地岩手では、岩手日報社が号外を発行して道行く人に配ったそうです。筆者の友人の大船渡市戸田公明市長は早速フェイスブックにお祝いメッセージをアップしました。

大船渡高校時代の佐々木朗希投手

夏の甲子園岩手大会決勝で佐々木朗希を投げさせず花巻東に敗れた大船渡高校野球部の選手たちの
健闘を讃えた戸田公明大船渡市長(大船渡高校体育館で2019年7月26日) 右から2人目が佐々木朗希

■ 訃報・・・鈴木幸一さん急逝
 岩手大学発ベンチャーの(株)バイオコクーン研究所元代表取締役フェロー 岩手大学名誉教授 岩手大学農学部同窓会「北水会」会長の鈴木幸一さんが 2022年1月15日午前4時55分 病気療養中のところ急逝されたとのことです 享年75歳 第一工業製薬から送られてきたDMに「故 鈴木幸一さん」と書いてあったことで知り ネット検索して分かりました お別れの会は4月13日(水)14時〜(受付12時30分〜)ホテルメトロポリタン盛岡ニューウイング(盛岡市盛岡駅前北通り2-27)にておこなわれるとのこと 養蚕イノベーションを提唱し カイコのさなぎに寄生するキノコに含まれる物質「ナトリード」が 認知症などの改善に寄与することを突き止め 「シルクの仙人」と呼ばれました 2018年には化学メーカー「第一工業製薬」(京都市)から「カイコサナギタケ冬虫夏草」が発売されました 温厚な人柄で 多くの方から慕われました 安らかな眠りを祈ります

在りし日の鈴木幸一さん

■ 訃報・・・藤子不二雄A(本名・安孫子素雄)さん急逝
 日本を代表する漫画家の藤子不二雄A(本名・安孫子素雄)さんが急逝されました 88歳でした かつて「藤子不二雄」の共同ペンネームを使っていた藤子・F・不二雄(本名・藤本弘)さんは1996年に死去されましたが 同じように急逝 気付いたら亡くなっていたということで お二人とも急逝ながら Fさん62歳は若過ぎて Aさん88歳は寿命でしょうか 富山県高岡市立定塚小で同級生だった2人は ともに鬼籍に入りました 東京・豊島区のトキワ荘に住む手塚治虫さんを訪ねて漫画の手伝いを始め 後に手塚さんが使っていた14号室に入れ替わりで住むようになり 後にコンビ名を藤子不二雄としたそうです 1964年に共作した「オバケのQ太郎」が大ヒット その後もAさんが「忍者ハットリくん」「怪物くん」を Fさんが「ドラえもん」をそれぞれ大ヒットさせ 2人は藤子不二雄として押しも押されもせぬ人気作家となりました Aさんは1968年の「黒ィせぇるすまん」などブラックユーモアを効かせた大人向けの作品に取り組み始める一方 Fさんはあくまで子ども向け路線で 作風が乖離し始め 1951年に結成したコンビは1987年に解消されましたが 二人はずっと仲良しでした 風貌を見ると大人向け 子ども向け なるほど・・・と思いますね

藤子不二雄A(本名・安孫子素雄)さん

藤子・F・不二雄(本名・藤本弘)さん
(2022年4月10日)


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