411  冬/節分/春

 久々の雨、そして雪の予報でしたが、結局気温が下がらなかったため雨のままでした。もうずっと降雨が無かったので、畑にとってはホッとします。そんなこと言えるのは南関東に住んでいる故です。2021年1月20日は二十四節気の大寒でした。一年で最も寒い頃です。大寒の正しい読み方は「だいかん」で、「たいかん」と読むのは間違いだそうです。なんとなく「たいかん」と読むほうがシックリ来る気がするのは「体感温度」との連想でしょうか。でも「だい」のほうが間違いなく寒そうですね

■ 124年ぶりの節分
 2月2日は節分、季節を分ける日で、すなわち年に4回あるわけです。ただ「鬼は外、福は内」と豆を撒いたり、恵方巻きを食べたりするのは冬から春になるときの節分です。今年の立春は2月3日なので、冬から春になる節分は2月2日なのですが、節分が2日になるのはなんと124年ぶりのことだそうです。スーパーの特設コーナーに豆がいっぱい置いてあってそこに書いてありました。節分の日が2日になるのは1897(明治30)年2月2日以来であり、3日でなくなるのは1984(昭和59)年2月4日以来37年ぶりだそうです。1太陽年=365.2422日と1年=365日の差から約6時間ずつ遅くなる一方、うるう年には4年前より少し早くなるため、しばらく2月4日の中に納まっていた立春の日が令和3年には2月3日へ移り、その前日の節分も連動して2月2日へ移ったというわけです。「暦書」の編製を手掛ける国立天文台は毎年2月の最初の官報で翌年の暦要項(れきようこう)を発表します。内容は、国立天文台で推算した翌年の国民の祝日、日曜表、二十四節気および雑節、朔弦望(月の満ち欠け)、東京の日出入、日食・月食などです。2020年の節分の日当日;2020年2月3日に発表された「令和3年(2021)暦要項」をご覧ください。今年の立春は2月3日23時59分と書いてありますね。2月18日は「雨水」、3月5日は「啓蟄」...と聞くと、あ〜草が生えてくると思い、3月20日「春分」で、寒さも彼岸までだなと思うのです。

■ 東北自動車道で140台の多重事故発生
 2021年1月19日、宮城県大崎市の東北自動車道下り線で発生した多重事故で、警察は事故当時、ホワイトアウトが発生したとみています。古川インターチェンジから長者原サービスエリア、築館インターチェンジ、若柳金成インターチェンジにかけての区間は有名な地吹雪地帯です。日本海から太平洋へ風が抜ける地域なのです。滋賀県の米原や岐阜県の関ヶ原などと同じようなものです。以前は冬の東北道を頻繁に走っていた筆者も、この地帯では苦労した思い出が何度かあります。視界不良で50q規制になって、ゆっくり走っていても、突然前の車が見えたりするのですが、それでも急ブレーキは決して踏んではいけません。あるときは通行止めになって東北道から降ろされたのですが、国道4号線も大渋滞、迂回しようと脇道に入ったものの、どこまでが道路なのか全く分かりません。一面真っ白なのです。道路の端にポールが立っていて、車が脱輪しないように目印になっているのを見て、ダメダコリャと諦めて、国道4号線に戻り、チンタラ走った思い出があります。

■ 岩手と秋田県境のまち
 一年で最も寒い時季とされる二十四節気の大寒前日;2021年1月19日は、強い冬型の気圧配置の影響で日本海側から北海道にかけて大雪となりました。わがふるさと岩手県雫石町は同日17時までの24時間降雪量の最大値が47cmで、1月の観測史上最大を更新したそうです。ちなみに17時までの24時間降雪量は、三陸沿岸の大船渡市で3cm、青森県との県境、すなわち岩手県最北の二戸市で18cm、岩手県の真ん中盛岡市で19cm、その南の北上市で18cm、ここから西にJR北上線で豪雪地帯の秋田県横手市(冬の風物詩・かまくらが有名ですね)に向かうと奥羽山脈が県境となり、岩手県西和賀町湯田という温泉のまちがあり、ここで37cmだったとのこと。ここの「ほっとゆだ」という駅にはナント!温泉があるのです。途中下車して、次のディーゼルカーが来るまで一風呂浴びようか、てなことができるのです。ちなみに西和賀町には10ヶ所の町営浴場があり、運営が大変なのでそのうち7施設を売却しようと公募したのに買い手が着かずというのがニュースになりましたね→日テレNEWS24。いくら0円でもねぇ...過疎が進むまちではこうした公共施設の運営が重荷になっているわけです。横手市の南は菅総理のふるさと秋田県湯沢市です。この辺り一帯は湯田とか湯沢、湯川、湯本などという地名で温泉のまちだということが分かります。雫石町は盛岡市から西に田沢湖線で秋田市に向かう途中ですが、奥羽山脈を越えれば田沢湖です。

■ ホワイトアウト
 下の写真は、雫石町南畑で、地吹雪で視界不良の中、自宅前の雪かきに励む女性の姿です。前夜から作業をしては、また積もるの繰り返しで「こんなに降ると大変だ」と嘆いていたそうです。左側に赤いもの(コーンかな?)が見えてかろうじてモノクロではなくカラー写真だということがわかります。昔は総天然色などという映画がありましたね。こういう光景をホワイトアウトと言い、雪や雲などによって視界が白一色となり、方向・高度・地形の起伏が識別不能となる現象を指します。


大雪の中、除雪作業をする岩手県雫石町南畑の78歳の女性(2019年1月19日;岩手日報より)
 雫石町南畑というのは鶯宿温泉があるところです。405『』(2020年12月15日)で紹介した鶯宿温泉病院があるところです。雪かきは重労働です。つい先日テレビのニュースで、雫石町の中学生たちが、独り暮らしの老人宅に行って雪かきしているという映像を目にして、有難いことだと嬉しくなりました。何よりの親切ですね。

■ 岩手県雫石町の冬の光景
 ところで前回「春の七草」のことを書きましたが、1月の初めに「春の七草」なんて実は筆者はかつて信じられませんでした。このころは白銀の世界で、一面真っ白な中で育ったからです。雪はすべてを覆いつくし、白くて綺麗でした。草なんて全く見えません。ましてや「春」なんてずっと先のことです。雪は自然の冷蔵庫なので、雪を掘り起こして、土中深く埋めておいた野菜を堀り出すと、まだ新鮮で、自然の偉大さに感心したものです。そして雪の下の土中の野菜は甘いのです。まさしく凍る前の温度、「氷温貯蔵」で、かつ湿度が保たれていたわけですね。今は冷蔵庫というものがありますが、北国の美味しいものというのは現地に行かなければ食べられません。かじかんだ手で取り出した漬物のおいしいこと!打ち立てソバの美味いこと!

雫石町・小岩井農場へ向かう桜並木の道路もこの通り 晴れれば正面に岩手山が見えます

雫石町・七ツ森の神社前の道路

雫石町七ツ森の我が旧家(実家)の庭

雫石町七ツ森の我が旧家(実家) 大雪で庇が折れ、取り壊しました

雫石町安庭地区の我が生家前の光景 今は御所湖の湖底です

■ 冬の歌
 冬の歌で印象的なのは森進一の「襟裳岬」です。岡本おさみ作詞・吉田拓郎作曲、フォークソングコンビが何故森進一に楽曲提供したのか?どうも吉田拓郎が森進一に歌わせてみたいと思ったようですね。演歌歌手の中でも、心を込めて歌う歌手ゆえに、この人に歌って欲しいと思ったのでしょう。実際発売されたときは、何か違和感を感じながらもハートをむんずとつかまれたような思いがしました。
 北の街では悲しみを暖炉で燃やすんですよ。黙りとおした歳月を拾い集めて、燃やして、暖めあうのです。「襟裳の春は何もない」のです。すごい詞ですね。厳しい北国の冬を経験しないと書けないと思います。296『』(2018年11月13日)をご覧下さい。フォークソング調にサラッと歌って済ませられる歌詞ではないのです。重い内容だけに、森進一の情感が心に響くのです。日々の暮らしはいやでもやってくるけど、静かに笑ってしまおう、長くて寒い冬が終わった、さあ、みんな暖炉で燃やしちまったから、あ〜スッキリした、「襟裳の春は何もない」のです。

■ ジョー・バイデン新大統領就任
 米民主党のジョー・バイデン新大統領(78)が20日正午前(日本時間21日午前2時前)、首都ワシントンで開かれた就任宣誓式で、職務の遂行と合衆国憲法の堅持を宣誓し、第46代大統領に正式に就任しました。史上最高齢での就任でやや不安は残りますが、女性として初めての黒人副大統領のカマラ・ハリス氏(56)がサポートしますから大丈夫でしょう。バイデン氏の任期は2025年までです。就任演説は余りにも普通で、オバマ氏のときのような熱狂はありませんでしたが、トランプ氏のようなドラスティックさもないことが、かえって安心感を与えたようです。
 演説後は、オバマ(民主)、ブッシュ(共和)、クリントン(民主)の歴代大統領と共にワシントン近郊のアーリントン国立墓地を訪れ、無名戦士の墓に献花、党派を超えた融和をアピールしました。同日に退任したトランプ氏(共和)は152年ぶりに就任式を欠席した前大統領となりました。首都ワシントン近郊のアンドルーズ空軍基地で開かれた退任式典で
 We will be back in some form.
と言ったそうです。「何らかの形」とは何でしょうね。式典の後、南部フロリダ州の別荘マールアラーゴに向かうため大統領専用機に乗り込んだそうです。退任しても大統領専用機を使えるんですね、これが最後でしょうが。最後の最後まで異例の大統領でした。これがポピュリズムの終焉となってくれれば良いのですが...

■ くるみ雑煮
 我が母は岩手県三陸沿岸の宮古市鍬ケ崎の出身でした。したがって子どもの頃に食べた雑煮は、この地方に伝わる『くるみ雑煮』でした。煮干しだしに鶏肉・竹輪・にんじん・大根・ごぼう・凍み豆腐・せりまたは三つ葉を入れ、焼いた餅が入っているのですが、具だくさんの贅沢なお雑煮から、わざわざお餅を引っ張り出して、別皿に入ったくるみだれにつけて食べます。左椀のお雑煮にはいくらが入っていますが、筆者は魚卵を食べないので、入れないように頼んでました。お雑煮だけでも十分においしいのに、さらにくるみだれにつけて全く違った味の食べ合わせを楽しめちゃうのです。くるみだれには実はお雑煮のだしを加え、砂糖は控えめにしていました。これを頂くと、お餅のお代わりをしたくなること請け合い、箸がとまらない・・・何個でもいけちゃいます。やみつきになること間違いなしです。

■ 大相撲初場所;平幕・大栄翔が初尽くしの優勝
 大相撲初場所は、西前頭筆頭・埼玉県朝霞市生まれの大栄翔(27)=追手風部屋=が13勝2敗で初優勝、埼玉県出身力士初優勝、追手風部屋としても初優勝で、殊勲&技能賞も獲得しました。今場所は初日から三役に7連勝、平幕が横綱不在場所で三役を総なめにするのは、1場所15日制が定着した1949年夏場所以降で初の快進撃でした。これで初場所は6年連続で初優勝力士が誕生したことになります。大関朝乃山と正代は11勝4敗でちょっと不甲斐なく、横綱二人は休場、先場所優勝で綱取りがかかっていた貴景勝は途中休場、関脇照ノ富士が大関二人を倒して、11勝4敗で来場所大関復帰をかけることになりました。

■ 閉店〜開店
 我が家の前を通る川越街道は外食レストランが軒を連ねていますが、ステーキレストラン「ブロンコビリー」が昨年9月末で閉店し、いまリニューアル中です。その昔は寿司「銚子丸」でした。今度は何ができるかと思ったら、どうやら「プレミアムカルビ」とのウワサです。神奈川県で展開する焼き肉店ですが、昨年末のクリスマスイブに春日部店がオープンし、埼玉県に進出しました。この辺りは昔は和食、寿司、朝鮮焼肉、中華飯店、ファミレス、ラーメン、カレー、ちゃんぽんなどの店がひしめいていました。今は焼き肉店やステーキハウスが増えて肉肉街道の様相です。また唐揚げの店やお好み焼き、カツの店もあり、丸亀製麺のうどん店がコナズ珈琲になったり、ケンタッキー・フライド・チキンが無くなったと思ったらマクドナルドになるなど、移り変わりが激しいですね。焼き肉の店が多くてしかも繁盛しているのは、換気が強烈なのでなんとなく安心感があるのかもしれません。
 長崎ちゃんぽんの「リンガーハット」が廃業し、東京トンテキ・ステーキの王様になったと思ったら、1年も経たずにステーキ・ハンバーグの「モンスターグリル」になりました。「ステーキの宮」の向かい側、「サイクルベースあさひ」の隣のDVDショップが取り壊されて、「リサイクルショップ」ができるそうで、ただいま土木工事の真っ最中です。スクラップアンドビルドが激しいですね。DVDショップの並びには以前は「男道」というラーメン店があり、オトコ・清原のデッカイ写真がありましたが、つぶれて高級な「炭火焼肉・京雅(みやび)」になり、これまたすぐ閉店し、この両店を取り壊したので広い敷地になりました。
  
  

■ 頂き物のお酒
 娘夫婦からバースデープレゼントでお酒が送られてきました。みな四合瓶(720ml)の生原酒(要冷蔵)ですから、開けたら一気に飲み干さなければなりません。

  中央  
銘柄  帝松 しぼりたて プレミアム純米吟醸生原酒 栄光冨士 森のくまさん おりがらみ 妙延 純米大吟醸 無濾過生原酒 春霞 限定直汲みしぼりたて純米生酒 赤ラベル
酒蔵  松岡醸造株式会社 埼玉県比企郡小川町 冨士酒造株式会社 山形県鶴岡市 (名)栗林酒造店 秋田県仙北郡三郷町
内容  原料米:山形県産玉苗(山酒4号) 精米歩合60% アルコール分18度 原料米:熊本県産森のくまさん 山形酵母 精米歩合50% アルコール分16.8度 熊本城復興祈念酒(売り上げの一部を寄付) 原料米:秋田県産三郷錦100% 精米歩合50%(麹米)、60%(掛米) アルコール分16度

■ ハンク・アーロンさん逝去
 米大リーグで歴代2位の通算755本塁打を記録したハンク・アーロン(本名ヘンリー・ルイス・アーロン)さんが1月22日、死去されたそうです 86歳でした 人種差別を乗り越え 1974年に通算715号を放ってベーブ・ルースの最多記録(当時)を更新 1976年の引退までに755本塁打 2007年にバリー・ボンズ(ジャイアンツ)に抜かれるまで30年以上にわたって大リーグ最多記録を保持した 1977年に巨人の王貞治さん(現ソフトバンク球団会長)が756号を打ってこれを更新したが アーロンさんの記録は日本の野球ファンにも偉大な業績として讃えられています 背番号「44」は ブレーブスとブルワーズで永久欠番となり 引退後はブレーブスのフロントに入り 上級副社長を務めるなどしました 1982年に米野球殿堂入り 2015年には日米の友好親善促進などに寄与したとして旭日小綬章を受章されました

WBC日本代表の王監督(左)と握手するアーロンさん(MLB提供・ゲッティ=共同)=2006年 サンディエゴ
(2021年1月24日)


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