163 明治維新@
我が家の周辺は春爛漫です。若葉萌え、花盛り、季節は毎年巡り来ます。我が街にはいろいろな並木道があります。桜が終り、今は八重桜とハナミズキです。1912年に当時の尾崎行雄東京市長がアメリカ・ワシントンD.C.にソメイヨシノを贈り、3年後にそのお返しとして日本に寄贈されたのがハナミズキで、日米友好の木なのですが、不幸なことにその後両国は戦争を経験しました。しかし、今でも日米でサクラとハナミズキは互いの国民の眼を楽しませています。 ■ 薄紅色のハナミズキが好き
■ 日本人が誰も経験したことの無い地震 日本列島は今沈痛なムードに覆われています。テレビではお笑いが一時影を潜め、徐々に少しずつ復活してきました。熊本県と大分県で、2016年4月14日の夜から22日午前0時までの1週間に発生した地震は、震度7が2回、震度6強が2回、震度6弱が3回、震度5強が3回、震度5弱が7回、震度4が75回と、震度4以上を観測した地震は合わせて92回に達し、震度1以上の地震は774回に上っていると言うのですから絶えず揺れ続けていると言っても過言ではありません。これまでの私たちの経験では、大地震の後余震は1週間を過ぎたら回数が減るものでした。ところが今回は最初の震度7が前震で、28時間後にM7.3の本震が起きました。1995年の阪神大震災級とのことですからすさまじいのですが、更に恐ろしいのは余震の規模です。これはもはや、日本人が誰も経験したことの無い地震であり、断層型の恐ろしさです。東日本大震災のとき、筆者は埼玉県戸田市で震度5強を経験しましたが、会社の建物がつぶれるのではないかという恐怖の経験でした。茨城県日立市で震度6強を経験した知り合いの社長から聞いたところでは、とても立っていられない状況で、何かにつかまりながら窓の外を見たら、駐車場の車がポンポン跳ねていたそうです。すると熊本の人たちは、余震ですらそれを経験しているわけで、まさに「地に足が着かない」状況でしょう。とてもじゃないが、家の中には恐くて居られないはずです。 ■ 親しみ深い熊本の人たちの苦しみに心が痛む 熊本県は筆者にはとても馴染み深い土地です。会社の熊本営業所があったので、頻繁に行っていました。益城町の熊本空港からの離発着がメインですが、福岡空港から福岡営業所の車で南下することもありましたし、九州は各県の空港すべて利用しましたが、福岡に次いで熊本が多かったと思います。熊本市に宿泊したことも数多く、ここで休日を迎えた時は水前寺公園や熊本城も何度か訪れました。日本有数の農業県である熊本県の農業試験場を営業したり、半導体工場をはじめ、各種営業しました。ホンダや富士フイルムなどの大工場もあります。阿蘇山の雄大なこと、山を越えて大分県に行く途中で見える由布山の美しい姿、名湯が沢山有り、温泉オタクとしては居ても立ってもいられない土地柄です。食べ物はおいしく、人情も厚い土地柄で親しみ深いだけに、あの人たちが今苦しんでいるんだと思うと心が痛みます。 ■ 週刊誌などに惑わされるな 電車の中吊り広告で見た週刊文春の見出しは、熊本大地震“不都合な真実” 原発は本当に大丈夫か?〈徹底検証〉、阿蘇山大噴火と南海トラフ地震への予兆、安部グラグラで自民も激震・西川TPP委員長は地震翌日に集金パーティ、なんのこっちゃと思います。週刊誌と言うものはこんなものです。日本国内にはウジャウジャと断層があり、日本どこでも地震の危険は存在します。「明日は我が身」なのです。熊本の人たちが苦しんでいるというのに、それをネタに書いたり、いたずらに不安を煽る記事、いい加減にしていただきたい。東日本大震災からまだ5年です。その後もとにかく毎年どこかで大災害が起きている日本、我が母は生涯三度の大災害を経験して逝きました。 ■ 誰も言わない 明治維新の真実 スタンフォード大学フーヴァー研究所教授西鋭夫(としお)氏の講演録 "誰も言わない 明治維新の真実"というのが、最近Yahooのネット広告でやたらに目に付くのですがこれはいったい何でしょうか?
■ 小栗上野介を知り、歴史を知らない自分を認識 小栗上野介のことを158『小栗上野介』(2016年3月19日)で書きました。この人の歴史探訪を目的に群馬県高崎市倉渕に行ったのではありません。単なる目的でした。ところが途中の道の駅くらぶちで小栗上野介展初日だったのです。結局ランチは小栗公御膳を食べ、墓所や首を斬られた川原も回りました。地元の人たちが、東京から来たおらが殿様をいかに大事に思っているかに眼を瞠りました。そして、自分がいかに歴史を知らないかを思い知らされたのです。歴史は常に勝者の都合の良いように伝えられる、小栗上野介は徳川幕府の役人として後世の日本のために素晴らしい業績を上げたのに問答無用で斬首されました。いったい明治維新とは何だったのか?明治維新について日本人が真実を知らないと訴える西鋭夫氏の言うことを聞いてみたいと思いました。 ■ 米国の公開情報から歴史的事実を発掘 西鋭夫氏は、まず日本人よもっと奮起せよとけし掛けます。日本人ほど知識を大切にする国民はいないのに、今の教育環境が悪いために力を発揮できなくなっていると言います。ノーベル賞を取った人のほとんどはアメリカの教育を受けています。日本国はもっと教育に金を使い(世界30位)、官僚の責任逃れの管理教育ではなく、優秀な人間をさらに伸ばす教育にすべきだ、と主張します。 米国には国の情報を何年か後に必ず公開(ディスクロージャー)しなければならないと言う法律があり、情報の機密度に依って何年先まで公開しないと言うレベルはあるものの、必ず公開されるそうです。西氏は、この公開情報を読んで、憶測ではなく事実として歴史を語っています。「歴史を追う時にはお金の流れを追え(follow the money)」と言うのが口癖で、今までに日本の歴史教育では教えて貰えなかった歴史の事実を教えます。 ■ 金の流れから歴史を見直す 明治維新については、日本では神格化されていますが、それは明治の御用学者の造った神話であって、実態はそんなきれいごとではないと言うのです。欧米列強の海賊まがいの軍艦や大砲によるアジアの植民地化や、清国への不平等条約押付けに発奮した薩長の若者たちが、欧米列強を真似して彼らと太刀打ちできる文明開化・富国強兵の国に日本をしようとしたというのが通説です。 しかし西氏は、維新を実行するために掛った膨大な費用を若者たちが調達できるはずがない、というところに目を付けて、金の流れから歴史を見直しました。長崎のグラバー邸で、薩長の若者がグラバーと密談を交わしていたことがわかりました。グラバーは、東インド会社や香港上海銀行にかかわるジャーマン・マセソンの長崎支店長でした。金はここから出ていたのですが、当然、彼はイギリスのアジア戦略を担っていたのです。さあ、この先は次回としましょう。 (2016年4月24日) |