155 灯台
■ au歴18年目 2016年2月26日は「新生イオンモバイルスタート日」でした。筆者は1998年からau携帯ユーザーですからもうau歴18年目です。通算支払額は100万円を超えているでしょう。137『ケータイ料金値下げ』(2015年10月24日)の中で、筆者は毎月スマホ代として5千5百円弱払っていて、それも自宅にauひかり(プロバイダ:Sonet)を導入したため2年間だけauスマートバリュー割引▲1,410円が含まれてのことと紹介しました。このままなら、来年半ばにはこの割引も無くなって月額6千8百円ぐらいになるわけです。しかもスマホ端末は買い取りましたから、この月額料金には端末代が含まれていません。12月にauショップに行って、安くならないかと相談したら、無料通話1,000円分の現状プランが一番安いと言われました。 ■ auからイオンモバイルへ切り替えよう 世の中には「格安スマホ」とかSIMフリーが出回って、キャリアから転出する人が増えてきました。DMMや楽天モバイルが人気です。「筆者も近々乗り換えようと思って検討中〜いずれにせよauへの寄付活動は近々止めます」と書いてから4ヶ月も経ってしまいました。先般大学同窓会の関係でメールしていたら、「イオンモバイルがMVNOとして生まれ変わるので、そのスタートキャンペーンがお得」という人が居ました。SIMフリーならばIIJすなわちインターネットイニシアチブが信用できるよ、という人も居ました。そこでいろいろ調べたら、企業の信頼性から言えば確かにIIJがもっとも良さそう、これにしようか?と考えました。しかしイオンのホームページを見たら、間違いなくこれは業界1の安値、しかもイオンほどの企業ならば信用できるはずだし、docomoの回線を使うのだからそんなに心配することもないだろうと思って、IIJに動いた心をイオンに振り向けました。2月24日にauショップに行って解約手続きしてMNP予約番号を貰い、それからイオンに行っていろいろ説明を聞きました。3月31日までに申し込めば、月2GBの高速通信が出来るデータ容量の音声通話SIMなら月額980円、データ通信専用SIMなら月額480円となっており、これは間違いなく業界最安値です。ただしこの特典プランは1年間のみで、1年後には2GB→1GBになるとのこと。しかし、故障したら新品交換の安心保証が月額350円、富士通のスマホARROWS M01通常29,800円を14,800円で提供する、余った高速通信容量は翌月に繰り越せるし、契約期間の縛りは無く、契約解除料も不要、というので、これで充分だと思いました。筆者の使用目的からすると高級スマホは不要だからです。 ■ システムトラブルで受付業務中止 ただし2月26日は南房総に出かけたので、帰って来て2月28日にイオンに行ったら、いつも混雑しているスマホ売り場が閑散としています。あれ〜、おかしいなと思ったら、張り紙がずらりと並び、「システムトラブルで受付業務中止」と書いてあります。係りの人に聞いたら再開メド不明、とのこと。イオンのホームページには下記のお詫びが・・・ ■ auの長期顧客向け移行プランを薦められる 2月28日にイオンの店舗で係りの人をつかまえてどうにかならないか?と言ったら、「イオンモバイルは通信の安定性が不安だから、auの2月からの長期使用ユーザー(16ヶ月以上)向け移行プランはいかがですか?京セラの高級スマホで月額3,700円ですよ」と薦められました。確かに今の3分の2の金額で、しかも新しい高級機が手に入るわけですから魅力的です。「12月にauショップに行ったときはこんなこと言ってなかったよ」と言ったら、長年のお得意様を離さないように急遽2月から設けたプランとのこと。ハハァそうか、とわかったのは、イオンのスマホ売り場にはdocomo、au、Softbankから出向している人が居るのです。イオンの社員なら「イオンモバイルは通信の安定性が不安だから」などと言うはずがありません。auが安くなったって、月々の支払額を考えれば、イオンモバイルは14,800円の24回払いで計算して音声通話SIM980円ですから計1,600円、月額▲2,100円ですからすぐ元を取れます。しかもauは2年縛りがあります。 ■ 移行できずに損害発生 3月1日イオンの店舗に行って、一応予約しました。2月24日に説明してくれた若い女性店員でした。あのときは、「混んでいて時間がかかるかもしれませんが、基本的にその日のうちにお渡しできます」と自信たっぷりに言っていましたが、今度は「センターが混んでいて、既に予約頂いた方から手続きはしているので、お待ち頂きますが、いつになるかまだ分からない状況です」と恐縮していました、可哀そうに・・・。この日までにイオンモバイルが開通すれば、auには2月24日に解約手続きし、MNP予約番号を貰っていたので、解約の事務手数料3,240円とMNP予約手数料2,160円、合計5,400円払ってイオンモバイルの手数料3,240円払えば移行できました。しかしどうもまだ混乱していて無理そうなので、3月のauの料金も払わなければならないようです。自分から見れば5,400円強の損害です。さてさて、いつイオンから連絡が来るやら・・・ ■ 南房総に河津桜を見に行きました 昨年の1月下旬は、寒い季節には暖かいところへ行こう、我が家より暖かいところと言えば南房総、会社の先輩が定年後は温暖の地で、と移住した鴨川に行こうと決め、折角行くならも、そしてシーワールドも楽しもう、というので、現在割引中のアクアラインを通って行きました。100『日本の経済展望@』(2015年2月1日)をご覧下さい。鴨川グランドホテルの海辺のは最高でした。今年は、南房総でも、内房に行こうと考えて、もちろん海の見えるも必須だし、と考えました。そしたらちょうどテレビのニュースで、千葉県鋸南町の保田川沿いの頼朝桜が満開で、ピンクの桜と、土手の菜の花の黄色の取り合わせが綺麗だと大勢の観光客が押しかけている、と紹介していたので、ヨシ!これだと決めました。もうひとつのスポットは房総半島最南端の野島埼灯台としました。 昨年は首都高速高島平インターから入りましたが、今年は埼玉高速浦和南インターから入ったのは、過去の経験からですが、これが大失敗、大渋滞でした。後で少年野球の同僚コーチに聞いたら、最近は戸田あたりから混むのだそうですよ。自然渋滞が北上してるんですね。途中志村PAで道路情報を見たら、都心環状線より中央環状線を通ったほうが10分以上川崎浮島JCT(ジャンクション)に早く着くというので、ナビが指示する都心環状線を無視して中央環状線を走行しました。そしたら富ヶ谷インターで降りなさいとナビが指示します。なんでやねん、と無視しました。するとビックリ!ナビは下道を走行しているつもりでガイドを始めました。地上の一般道の下を首都高速中央環状線が地下走行しているので、上下が分からないようです。笑っちゃいました(^_^) さすがに途中でおかしいと気付いたようで、再探索しながら混乱しています、可哀そうに(>_<) 一旦ナビを停止して、再スタート、アクアラインに入り、海ほたるPAでランチしました。無風なので海上なのに暖かく、羽田への離着陸の旅客機が頻繁に眼の前を飛んでいます。アクアライン終点木更津金田から連絡道を走り、木更津JCTで館山道に入りました。鋸南保田インターで降りて、頼朝桜を鑑賞しました。
■ 三浦半島の灯台が見えました
■ 伊豆半島が見えました 伊豆半島が見えると書きましたが、1月22日(金)には踊り子号で下田へ行きました。伊豆急下田の駅前からロープウェーで登った寝姿山からは伊豆諸島がきれいに見えて、寒桜が咲き、河津桜も咲きだしていて、ロウ梅や菜の花が満開、沈丁花さえもつぼみが膨らんでいました。さすがは伊豆半島南端です。その後、スーパービュー踊り子号で伊東へ引き返し、海辺の露天風呂を楽しみました。コチラは東伊豆なので、目の前に小さな初島が浮かび、三浦半島や房総半島が見えて、太陽が昇る海です。伊豆諸島は伊豆大島から孀婦岩までの100余りの島嶼を指します。大島、利島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島、ベヨネース列岩、須美寿島、鳥島、孀婦岩というように北から南に点在しています。 ■ 野島埼灯台に上ったら絶景でした 房総半島南端には野島埼灯台がありますが、ここより西の南端の灯台と言えば、三浦半島の城ヶ島灯台、伊豆半島の石廊埼灯台、御前埼灯台(静岡)、愛知県渥美半島の伊良湖岬灯台、紀伊半島の潮岬灯台(和歌山・串本町)、室戸岬灯台(高知・室戸市)、足摺岬灯台(高知・土佐清水市)、都井岬灯台(宮崎・串間市)、大隈半島の佐多岬灯台(鹿児島・佐多町)が挙げられます。野島埼灯台の上に¥200払って上りました。螺旋階段101段です。この見学を運営している公益社団法人「燈光会」が「日本の灯台50選」をホームページに載せています。地図はコチラです。野島埼灯台の観光案内は「南房総いいとこどり」をご覧下さい。いやはや絶景でした。波打ち際の岩からふのりを採って、帰宅して味噌汁に入れて食べました。 ■ 灯台守には最も不便と言われたところ 灯台と言えば思い出すのが木下恵介監督の映画「喜びも悲しみも幾歳月」ですね。えっ、知らない?若いですね。この映画は歌とともに記憶に残ります。
田中さん夫妻は10人の子宝に恵まれ、7人の息子は会社員などになりましたが、3人の娘はいずれも灯台と関係した人生を歩みました。娘たちから見て、父母の生き様は素敵だったのでしょう。次女の田中春代さんは、宮古市街でスナックを経営し、店の名は「ライトハウス(灯台)」、周囲から孤立した灯台で、理屈なしに助け合うしかなかった夫婦は、子供たちから見たら、抜群の仲良しだったのでしょう。毎日の水汲みが大変、燃料は山で木を拾って薪にして、病気しても医者にもかかれない、子弟の通学もできない、誰にも助けてもらえない環境の中で、喜びも悲しみも共有しつつ、歳月は過ぎて行きました。 参考までに、海上保安庁の「みちのく灯台物語」というホームページをご覧下さい…http://www.kaiho.mlit.go.jp/02kanku/monogatari/ とどヶ埼灯台を含め、第二管区海上保安本部管内の灯台がピックアップ紹介されています。 ■ 「崎」と「埼」の違いは? ところで、灯台のある「みさき」は岬と書く場合はともかく、海上保安庁は埼という字を使いますがこれは何故でしょう?例えば地図には「とどヶ崎」と山へんの崎が書かれているのに、海図上には「とどヶ埼」と土へんの埼が書かれているのです。このワケは→海上保安庁のホームページ参照。 いや〜、眼から鱗(ウロコ)でした。土へんの「埼」は、陸地が水部へ突出したところを表現し、山へんの「崎」は本来の意味として山の様子の険しいことを言い、山脚の突出した所を示しており、平野の中に突出した山地の鼻等を言う意味なんだそうです。すると山崎さんというのは納得、川崎さんというのは水部へ突出した陸地なら本来川埼さんが正しいのでは? ■ 何故埼玉なの? 更に疑問・・・海のない埼玉なのに何故埼なの?埼玉は川の面積日本一、そういう意味では埼だらけ、玉は湿地を意味しており、行田市に編入された埼玉(さきたま)村が由来とされています。埼玉県北部の行田市は、国宝「金錯銘鉄剣」が出土した稲荷山古墳をはじめ、日本最大の円墳である丸墓山古墳など、9基の大型古墳が群集する「埼玉(さきたま)古墳群」が有り、埼玉県名発祥の地として知られています。また、市内には古代蓮などの42種類約12万株の蓮の花が咲く「古代蓮の里」、江戸時代の忍藩十万石の城下町を今に伝えるのぼうの城「忍城址」のほか、足袋の産地を物語る「足袋蔵」が点在する風情ある街並みなど、豊かな自然と歴史が息づくまちです。水が豊富なのは坂東太郎利根川のゆえです。 ■ のぼうの城・忍城攻め ところで折角ですから忍城について紹介しましょう。周囲を湖に囲まれ、浮城とも呼ばれる忍城(おしじょう)の領主・成田氏一門の成田長親は、領民から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれ、親しまれていました。天下統一目前の豊臣秀吉は、関東最大の勢力北条氏の小田原城を攻めました(小田原征伐)。豊臣側に抵抗するべく、北条氏政は関東各地の支城の城主に籠城に参加するよう通達し、支城の一つであった忍城主の氏長は、北条氏に従うように見せかけ、裏で豊臣側への降伏を内通し、籠城作戦に参加していました。ところが豊臣秀吉という男は、岩手の九戸城を謀略で攻め落とすなど、フツウの人間ではありません。「武州・忍城を討ち、武功を立てよ」と秀吉に命じられた石田三成は、成田氏が既に降伏を決めていることを知りながら、戦を仕掛けるため、あえて傲慢な振る舞いをする軍使長束正家を使者として遣わせ、まんまと策略にはまった総大将・長親は「戦」を選択しました。当主・氏長より降伏を知らされていた重臣たちは、初め混乱しますが、のぼう様がやるって言うんだからやるしかなかんべぇと覚悟を決め、かくて忍城籠城戦の火ぶたが切って落とされました。 ■ それなら水攻めだ! 三成率いる2万超の大軍勢に対するは、農民らを含めても3千強の成田勢。総大将たる長親は、将に求められる武勇も智謀も無いのですが、ただ一つ、他人に好かれる才能、特に異常なほどの民からの「人気」がありました。地の利と士気の高さから、緒戦は忍城側の圧勝でした。これはイカンと三成は、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定します。総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を建設し、忍城は本丸を除いては城下を含めて水に沈みます。この水攻めに対する長親の策は、城を囲む湖に船を出して、敵兵の前で田楽踊りを披露することでした。ヒトをバカにしてますね。三成の指示で雑賀衆が、田楽踊りを踊る長親を狙撃しますが、長親は一命を取り留めます。城に入らず場外で堤作りに雇われていた百姓の中から、長親が撃たれたことと、耕していた水田を台無しにされた怒りから石田堤を壊す者が現れ、ついには水攻めは失敗します。水が引き、三成軍が総攻撃を行おうとする矢先、小田原城が落城したとの知らせが成田勢にももたらされ、忍城も開城します。小田原城落城時までもちこたえた支城は忍城だけでした。映画「のぼうの城」をご覧になった方は思い出されましたか? ■ 真田昌幸・信繁父子も参戦 この忍城攻めには真田昌幸・信繁父子も豊臣方の大名として参戦していました。信繁は豊臣家臣の大谷吉継の娘を正妻に迎えており、石田三成の指揮下で大谷吉継らと忍城攻めに参戦したと伝えられています。忍城に行きますと、「忍城おもてなし甲冑隊」という人たちがいます。是非お出まし下さい。 (2016年3月1日) |