138  遺徳と功徳

 135『終末期』(2015年10月10日)で書いた母がついに亡くなりました。仙台のケアハウスで、誰にも看取られることなく、逝きました。父が亡くなった時は、会社でお客様への納入システムの立合い試験の最中でした。母はもはや94歳、今度こそ手を握って送ってやりたいと思っていました。夫婦で仙台に見舞ったのは9月25日(金)、そして10月11日(日)、12日(月)、11月6日(金)にまた行く予定でしたが、10月24日(土)亡くなりました。

■ 同窓会が始まった途端の訃報
 10月24日(土)は朝から少年野球新人戦大会の準決勝があり、終わってから新宿へ行って14時から大学の同窓会、ところが始まって来賓の挨拶のところでスマホが鳴りました。電話は仙台の弟から母の逝去の連絡、急ぎ帰宅して妹や弟と電話でワイワイ連絡を取り合いましたが、葬儀の手配を弟がやってくれており、葬儀社やお寺との協議の結果で日程が決まらないと動きようが無いので、とりあえず待ち状態となりました。その間少年野球の結果のメールを受信してホームページにアップする作業を行いました。
 夕方連絡が来て、月曜日火葬、火曜日葬儀と決まり、10月25日(日)朝、娘と3人で車で仙台へ出立、息子一家も別途東京から車で出発、仙台の泉中央駅前の葬儀社に着いて遺体を拝みました。隣がユアテックスタジアムで、ちょうどガンバ大阪とベガルタ仙台の試合中、歓声が聞こえます。この日は大学女子駅伝もあって、道路は大混雑、周辺の駐車場もみな満車でした。
 母は、仙台市宮城野区の立派な介護施設にお世話になっていて、職員の皆さんもとても親切で、良い施設だと満足していました。11時ごろ職員が見回ったときは異常なく、13時過ぎに行ってみた時に息をしていなかったというのですから、老衰にて大往生、苦しまずに逝ったというのは素晴らしいことだと思います。

■ 母らしい死に方
 施設の部屋はいわば居住権を買ったもので、母はこの施設ができた時に入居しました。施設で亡くなる人もいるそうですが、普通は入院して病院でというケースが多いようです。施設長もまだ亡くなるとは思っていなかったと驚いていましたが、まさに天寿を全うしたということ、なかなかこういう死に方はできないでしょう。もし危ないと言う連絡が来たら、仙台に泊まり込みで最期を看取りたいと思っていました。それすらさせずに逝ってしまうというのは、母らしい死に方だと思いました。この施設は高額な費用がかかるのに、自分できちんと貯蓄していた周到さにも驚きましたが、万事子供に迷惑をかけまいとする姿勢が徹底していました。

■ 納棺
 泉中央の葬儀社で遺体を清めた後の死に化粧(死化粧)について聞かれ、簡素にとお願いしました。続いて死装束です。あの世へ旅立つ故人が纏う衣装で、白いさらしの左前にした経帷子(きょうかたびら)、手甲(てこう)、脚絆(きゃはん)、足袋を履かせ、手に数珠を持たせます。親族一同で棺に納めました。生前故人が愛用していた服なども棺に入れました。

■ 天龍閣に泊まり瑞鳳殿を観る
 この日は仙台の天龍閣に宿泊、以前も仙台の母にひ孫を見せようというので、家族一同で泊まりました。伊達政宗公の眠る瑞鳳殿の隣で、仙台では珍しい和室の宿です。由緒ある建物なので古いはずですがピカピカに磨き上げられています。ラドン温泉が有名で、料理もおいしく、従業員もとても楽しい人たちです。亡き母のひ孫まで含めて大勢で、母を偲んで会食しました。10月12日(月)の介護施設玄関での別れ際、ニコニコして手を振っていた姿が思い出され、頻繁に会いに来ていて良かったなぁと話し合いました。
 翌朝天龍閣をチェックアウトし、火葬まで時間があるので瑞鳳殿を観光しました。長い石段を登り、1人¥550の観覧料を払って中に入ったら、無料のボランティアガイドさんが居て、説明して頂きました。

■ 火葬
 10月26日(月)は火葬でした。まず泉中央の葬儀社でお別れを行い、棺を花でいっぱいに埋め尽くし、釘を打ちました。それから出棺し、松明を先頭に、遺影、一杯飯、お団子、お茶、水を持った人がゾロゾロと行列して車に乗り込み、霊柩車の後をついて仙台市営葛岡斎場(仙台市青葉区郷六字葛岡)に向かいました。火葬炉が20基もあるドデカイ立派な斎場でした。
 関東の人は不思議に思うでしょう。何故葬儀の前に火葬なの?我が田舎はそういう慣わしなのです。お骨にしてから葬儀を行います。電動台車に棺を載せて、松明を先頭にゾロゾロと告別室に向かいました。火葬前に地元の僧侶に読経していただき、一同焼香しました。
 やがて炉の前で一同手を合わせ、棺が入って扉が閉まりました。松明を先頭にまたゾロゾロと控え室に戻りました。ここで昼食を頂きながら荼毘に付されて、親族確認の放送まで待ちました。呼び出されて、まだ熱い骨の説明を受け、また控え室に戻りました。ちょっとして収骨の連絡があり、また葬送行列を組んで収骨室に向かい、1回だけ箸渡しして、以降次々骨を拾いました。
 骨壷に入れて持ち帰り、葬儀社でお花ほか葬儀用セットを貰って車に積みました。翌日は岩手県雫石町で葬儀なので、仙台から移動です。

■ 形見分け〜作並温泉
 この日は作並温泉鷹泉閣岩松旅館に宿泊することでスマホで予約しました。岩風呂が有名な宿で、今は亡き宮古の叔母さんの好きだった宿です。
 その前に介護施設に行き、きょうだい皆で亡き母の部屋で遺品の整理をしました。いろいろな想い出がよみがえり、こみ上げるものがありました。形見分けの形で、欲しいものを協議しながら分別しました。
 やがて作並温泉に向かいました。作並温泉と言えば、一の坊倶楽部の会員なので、以前「ゆづくしSalon一の坊」に泊ったのですがその隣です。10『山寺から作並』(2013年4月20日)で紹介しました。岩松旅館はゆづくしSalon一の坊の広瀬川下流です。長い階段を降りて行く岩風呂が売りですが、大浴場はプールかと思うほどの広い掛け流しです。

作並温泉鷹泉閣岩松旅館の岩風呂

■ 葬儀〜納骨
 10月27日(火)朝、岩手県雫石町の永昌寺に向かって出発しました。途中盛岡に寄り、妹宅で黒い礼服に着替えました。それから雫石駅に行って「銀河ステーション」というところに観光案内所があるので、この日の宿、鶯宿温泉長栄館を予約しました。折角雫石に来たのだから、泊るのは網張温泉、雫石プリンスホテル、鶯宿温泉のどれかです。町内に12箇所の温泉がある町ですが、一番はやはり鶯宿温泉、「森の風」という豪華ホテルもありますが、源泉掛け流しの長栄館が温泉オタクにはやはりナンバー1です。
 雫石駅前は「寺の下」という地名ですが、駅前から北側に真っ直ぐ道が延びて崖にぶちあたり、道路が左右に分かれ、上り坂を上がってまた北側に90度曲がって国道46号に突き当たるのですが、この国道沿いに西から東に向かって上寺(広養寺)、中寺(臨済寺)、下寺(永昌寺)という三つの寺が間隔を置いて並んでいます。この寺の下にあるのでこの地名なのでしょう。駅の真ん前にある「階(シナ)」さんという家に伯母さんが嫁ぎ、従姉は畳屋さん、同年の従兄弟は床屋さんでした。
 永昌寺は曹洞宗です。父が亡くなったときは親子の和尚さんでしたが、お父さんは足腰が悪いらしく、この度は息子さんだけでした。木魚よりドラムが似合うような、ロックスターのような精悍なお坊さんでした。葬儀を執り行い、何分親族が遠隔地に分散している関係で、三十五日、四十九日、百ヶ日の法要まで拝み、雫石町営七ツ森墓地公園の墓に証明書を持参して、納骨まで滞りなく済ませることができました。墓の周りが紅葉していることがわかるでしょう。
 ところで永昌寺のお坊さんは、せっかく遠くから来て、大枚のお金を置いていく参列者の皆様に配慮してか、「畳の縁を踏んではいけない」という話とか、焼香する人が一般に抹香を3度つまんで香炉にくべますが、参列者が多ければ1度で良いとか、曹洞宗のお坊さんは2回なのは何故か?とか、坊さんへの拝礼の仕方などを饒舌に話されました。
 「畳の縁(ヘリ)を踏んではいけない」件については、NHK朝ドラの「アサが来た」を見ていると、きちんと畳の縁を踏まないようにしているので気を付けてみて下さい、と言われてました。そういえば「マッサン」で泉ピン子扮する竹鶴酒造のおかみさん(姑)だったか、小姑のマッサンの姉(西田尚美)が、嫁のエリーに「ほうきは畳の目にそってはくんよ」とか、「敷居や畳の縁を踏んではいけません」という話をして、エリーが「ドシテ?」と眼を丸くしていたシーンが思い出されました。畳に目があるのかと、目を大きくして見つめるのが、なんともおかしくて・・・(^-^)

■ 源泉掛け流しの宿
 鶯宿温泉と言えば何故長栄館か?については改めて後日詳しく書きますが、温泉オタクに言わせて頂けば、「源泉掛け流しの宿」と良く言われますけれど、厳密に言えば、別府や草津と言う日本で1、2の温泉地にはそんな宿は無いのをご存知ですか?コチラをご覧下さい。日本全国の温泉宿のうち、「源泉掛け流しの宿」と言って良いのはたったの140軒、実に1%なんだそうです!TVのプロデューサー小森威典さんがその中の66軒を自著『正真正銘 五ツ星源泉宿66(祥伝社新書253)』で紹介していました。雫石では鶯宿温泉「長栄館」と、国見温泉「石塚旅館」が入っています。なお、この国見の湯はスゴイの一言です。温泉らしさ極めつけ、硫黄臭プンプン、緑から乳白色に色が変わります。鶯宿温泉では長栄館の他にも「源泉掛け流しの宿」はあるようですが、まあ代表というか、小森威典さんもすべてを泊り歩くわけには行かなかったということでしょう。

鶯宿温泉・長栄館

■ 鶯宿温泉長栄館の湯は最高
 ある週刊誌が特集した『全国源泉掛け流しの宿特集』で長栄館がおすすめ度全国5位、これはスゴイですよ!ただし、別府や草津の名誉のために言わせて頂けば、これら湯温がとんでもなく高い温泉は、冷ますのが大変なんですね。だからどうしても安易な方法に頼るところが大半です。昔から源泉掛け流しの宿には「湯守」という専門の人が居て、常にお湯の適正温度を測って手を打つほか、深夜に湯を入れ替えるなど、お客様が寝ている時間に働いているのです。これはなかなかできることではありません。長栄館はこれをしているから認められたのです。
 長栄館の、特に檜の湯花漂う浴槽は最高でした。本当に温泉らしい温泉、ず〜〜〜〜っと入って居たくなる湯です。温泉オタクは、別に本を見なくても週刊誌に惑わされなくても、本物の温泉は肌でわかるのです。
 長栄館の料金は、特別室ではなく普通の部屋では2人部屋でおよそ1泊2食1万5千円というところです。料理も美味しいですよ(^-^) 関東の湯宿では2〜3万円のところが多いのに比べて、源泉掛け流しでこの料金は安い!交通費をかけても温泉巡りするなら東北の宿が良いですね。

■ 遺徳と功徳
 鶯宿温泉の紅葉は綺麗でした。母が亡くなったというのに、何故こんな温泉の話を書くんだ?と不審に思われる方が多いでしょう。そこが我が母の「遺徳と功徳」なのです。遺徳とは死後にまで残るその人の人徳のことを指し、後世にのこる恩徳のことです。一方功徳とは神仏から良い報いを与えられるような、良い行いのことです。もう一つの意味としては世のため、人のためになる良い行いを指します。母の逝去できょうだいが集まり、孫、ひ孫まで会してお料理を頂いたり、観光したり、温泉にまで入れるというのは、まさに母のお蔭です。いたずらに死を悲しむのではなく、そのように笑顔で、母の思い出を語ることができた、これこそ母の遺してくれた「遺徳と功徳」なのです。自分もこのように死ねるだろうか?いや、そうしたい。出来ればみんなに笑顔を与えながら死んでいきたい、そのように思わせてくれました。有難うございました。
(2015年11月3日)


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