56  盛岡あれこれ

 18『神子田朝市』(2013年6月16日)で、盛岡市の名物神子田(みこだ)朝市を紹介しました。1年315日営業する朝市は日本でもここだけです。この朝市の話題から、最後は安倍晋三が、盛岡の安倍宗任の子孫ではないかと言われていることまで、盛岡あれこれに触れます。途中に最近の時事問題にちょっと触れますが・・・。

■神子田(みこだ)朝市の由来

 明治初期、今から140年も前になりますが、盛岡市惣門(現南大通二丁目)の朝市はにぎわいを見せていました。明治25(1892)年〜30(1897)年頃、惣門の朝市が近くの馬町に移り、任意組合的な青果市場となります。昭和43(1968)年、旧都南村津志田に「盛岡市中央卸市場」が開設されたことに伴い、南大通の盛岡市中央青果の外郭にあった生産農家の直売所が立退きを迫られました。そこで、新たに直売所を作ろうと各地域の有志が集まり、生産農家主体の「盛岡地区生産者立売組合」を結成し、同年11月に、南大通の新しい場所で、立売組合による「朝市」を始めました。名称内の「立売」は、農産品を乗せたリヤカーの傍らに立って売るというところから来ています。この「朝市」は盛岡市民に受けて大盛況、あまりにも繁盛するので、今度はより広い駐車場や売場の確保できる場所への移動が必要となって、現在の神子田の位置に落ち着くことになったのが、昭和52(1977)年6月のことです。それから現在まで「神子田朝市」は、盛岡市民の台所として、生産者と消費者が直接顔を合わせることのできる場所として、年間300日以上、変わらぬ賑わいをみせています。

■お年寄りの朝市
 盛岡市の名物神子田朝市(盛岡市神子田町20-3)は、北上川と国道4号線に挟まれた地区にある朝市で、営業時間は朝5時〜8時半です。115区画で156業者が営業しています。休みは月曜日だけですが、5〜12月は祝日の月曜日は営業します。特に土日は混み合い、500台収容の広い駐車場が満車になります。整理係はおじいさんたち、朝早い朝のみの仕事なので最適なのでしょう。右の写真の如く、売る人も買う人もお年寄りが多いのが特徴です。最も多いのは農産物です。野菜、果物、花、きのこ、漬物、惣菜、鮮魚、海産物、雑貨、食料品、もち菓子、牛乳、パンなどが売られています。季節には山菜やきのこも売られています。盛岡と言えば冷麺、じゃじゃ麺、和蕎麦、中華そば、わんこソバ、などとにかく麺食いの街、ネギが必要なのはもちろん、寒いので体が温まる朝鮮料理も好まれるのでニラが売れます。スープでもにら卵などが好まれます。山東菜は中国山東省生まれの若葉色の野菜で、関東では店頭で少ない野菜ですが、盛岡の人たちは大好きです。
 2013年6月、この朝市に午前5時、ラーメンを食べに行きました。

神子田朝市、売る人も買う人もお年寄り

■ 神子田朝市名物のラーメン

 この朝市ラーメンは「ミヨちゃんラーメン」と呼ばれて、様々なグルメ本に載っていました。400円という安さもさることながら、90歳を越えたミヨちゃんがいまだに現役というところに感動しました。右の写真は筆者が撮影したものです。そのお味は18『神子田朝市』(2013年6月16日)をご覧頂ければわかりますが、甘い野菜スープで、関東の方など、「これがラーメンか?」と思うのではないでしょうか。
 A-10区画で左のような暖簾が下がっています。やきとりがあるところがユニークです。


みよちゃんらーめん(朝市ラーメン)

■ 「みよちゃん」の死
 盛岡神子田朝市の人気者、みよちゃんの訃報が、2013年7月6日(土)の新聞に載ったそうです。道理で、筆者が訪れた時は居なかったわけですね。1920年生まれですから93歳でした。
 「朝市食堂」の工藤ミヨさんが朝市に出店したのは、50年以上前。夫・茂次郎さんは県庁職員でしたが、ミヨさんは市内で焼き鳥屋を開き、朝市でも焼き鳥を販売していました。しかし数年後、茂次郎さんはがんで亡くなり、当時高校生だった次女弘子さんと、中学生だった長男の2人を育てようと、必死で働いたそうです。1977年、朝市が同市南大通から現在地に移転すると、焼き鳥屋はたたみ、朝市に唯一の食堂を開きました。この時、メニューに加えたのが中華そば。スープはあっさりとしたしょうゆ味で、具材もメンマ、のり、刻みネギ、ホウレンソウ、チャーシューといたってシンプル。36年間、1杯400円を維持してきました。
 しかし80歳を過ぎて、さすがに後継者がいないとお客様に申し訳ないと思ったのではないでしょうか?ミヨさんの次女・関田弘子さんに頼んで、店を手伝ってもらうようになったのが2004年のことです。ミヨさんは、「中華はスープが一番難しいからね」と、娘を仕込んだそうです。店は市場に訪れる客や生産者らの休みどころとして親しまれ、愛されていました。 引き戸を開けて入ってきた常連さんが「元気だったか、愛してるよ」と声を掛けます。厨房(ちゅうぼう)で中華そばを作る弘子さんが、親子で仲良く店を切り盛りできるようになった秘訣は「あんばい」だそうです。「何でも新しくすると、おばあちゃんがさみしがるでしょ」とのこと。お蔭でミヨさんは焼き鳥係りになりました。
 工藤ミヨさんが亡くなって数日は「喪中」で休業したそうです。その後再び関田弘子さんが「朝市食堂」を営業しています。写真が神子田朝市A-10区画に載っています。お出かけ下さい。

故工藤ミヨさん

■ ロシアをG8から「当面」排除
 米欧日の先進7ヶ国は、ハーグでの緊急首脳会議で、クリミア問題でロシアをG8から「当面排除」することを決めました。「当面」というのは、心を入れ替えて、戻って来いよ、という意味です。しかしロシアのプーチン大統領は意に介さない姿勢です。確かにG7+ロシアがG8ですが、今や中国、インド、ブラジルなどの新興国が急激に成長し、斜陽のEUがサロンを作って何を言おうが米国以外は大したことない、という情勢です。日本はアジアを代表してG7に入れてもらってますが、年々凄まじい勢いで中国との差が開いていますので、中国に置いてけぼりを食いたくない韓国の姿勢もあながち的外れではありません。すなわち、経済的にはもはやG8は実質意味がありません。軍事的には国連安保理での中国とロシアは常任理事国で拒否権を有します。今後の国際関係をどうみるべきでしょうか?

■ Gゼロの世界
 世界的な経営コンサルタントとして知られる大前研一氏が『大前研一 ニュースの視点』に書いていたことを紹介します。
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 ウクライナ問題でのロシアの動きを受けて、シリア問題などロシアに出し抜かれた形になった米オバマ大統領の手腕への批判が出てきています。その根底にある考え方が「G0(ゼロ)」というものです。G2、G7、G20など様々言われていますが、実際のところは「G0」であり、誰も世界の主導権を握っていないのではないか?ということです。むしろ、冷戦時代のほうが、米国とロシアが明確に主導権を握っていて、「寄りかかる対象」が明確だったと言えます。
 寄りかかる対象が失われると、日本のように寄りかかることに慣れきった国は茫然自失状態に陥ります。最近で言えば、日本は自分の思い通りに動いた結果、韓国や中国との関係が悪化しました。米国に泣きついてみたものの、見事に突き放されて、さてどうしたものかと困り果てている状態です。G0の時代においては、日本のように他国に寄りかかってきた国は厳しいことになります。ドイツなどは、日本に比べて自分自身の考えで動くことができるようになってきています。
 今回のウクライナ問題についても、欧米の意見に流れるのではなく、しっかりと自分自身の意見を持ち、対処してもらいたいところです。少なくとも冷静に歴史を見れば、様々な侵攻や編入を行ってきた米国が、今回のウクライナ問題について、「国際法上」「道義的」にも許しがたい行為と批判できる立場にあるとは到底思えません。

 大前 研一氏

■ これからの日本経済
 さて日本経済ですが、海外投資家が日本株を売り越して日経平均株価が下がり、14千円台半ばで推移しています。年初は16千円を越えていたことを思えばずいぶん下がったというか、低迷しています。対してニューヨークダウは16千ドルを越えています。日本株が先進諸国から見ても途上国から見ても最も変動率が大きいのですが、企業業績は最も好調ですから「売られ過ぎ」であると言えます。
 では、これから中長期的にどうなのか?日本の株価が上がるためには「第3の矢」たる成長戦略の、皆がオッと驚く施策が発表されることと、安倍総理が正気に戻る(もしくはそのフリをする)こと、この2つが条件です。
 問題は、明らかに景気減速している中国問題です。中国共産党はバブルを抑え、景気を浮揚させるための荒療治にかかるでしょう。これは日米にとっては輸出減で不利になるでしょう。これが心配です。

■ 台湾の学生が蜂起したワケ
 「台湾・台北市の立法院(国会)に、中国との「サービス貿易協定」に反対する100人以上の学生らが警備網を破って突入し、議場を占拠しました。立法院周辺には学生らの行動を支持する数千人の市民が集まりました。国民党の馬英九政権は発効に向けて立法院での手続きを進めていますが、野党が強く反発しているだけでなく、与党国民党の中も馬英九総統と王金平立法院院長が激しく対立し、今や馬英九総統の支持率は9%を割っています。普通これでは政権がもたないのですが、2016年まで任期があるので、その間にもっと中国に寄り添おうという狙いでしょう。
 台湾の後ろ盾は米国ですが、もしかするとオバマ米国大統領と習近平中国国家主席は米国で何らかの密約を交わした可能性があります。そうなると台湾は1997年の香港返還のようになるかもしれません。これを敏感に感じ取った学生たちが、シンボルカラー青の国民党でも、緑の民進党でも、赤の中共でもない、黄色のシンボルカラーで集結したわけです。ロシアのクリミア併合は、学生たちから見ますと対岸の火事ではありません。
 オバマ米国大統領はアジアシフトのこれまでの方針を変えて、欧州回帰を宣言しました。米国は利権を事実上売却し、自国の立て直し最優先で内向きになっています。この傾向は今後も世界中で顕著になり、米国が去った後の世界のあり方を、多くの人たちが考えざるを得ないようになるでしょう。台湾の学生たちは居ても立っても居られなくなったわけです。しかし、実は日本こそ大問題です。安倍総理はここに大きな危機感を持ったわけです。

■ 日米韓の3ヶ国首脳会談
 オランダのハーグの核安全保障サミットの機会に、アメリカのオバマ大統領が従軍慰安婦、靖国神社参拝問題などで関係が悪化している日本と韓国の関係を仲介しようと、2014年3月25日夜(日本時間26日未明)、日米韓の3ヶ国会談を開催しました。その記者会見での出来事です。
 オバマ大統領を真ん中に、向かって右が安倍首相、左が朴槿恵大統領、北朝鮮問題を中心とした北東アジアの安全保障について連携していくための会議だという説明の後に、安倍首相は満面の笑みを浮かべ、「朴大統領とお会いできて光栄です」と韓国語で挨拶しましたが、朴大統領はそれを無視するような素振りで下を向いたまま目も合わせず、挨拶すら返しませんでした。これには、あまりに非礼ではないか、と日本でも話題になりました。
 ところが、会見が終わってテレビカメラがいなくなってからは様子が変わり、3人で会談した時には、朴大統領は安倍首相と視線を合わせたり、会談が終わり退出する際には握手を交わしたそうですが、これを撮影したのは韓国メディアだけとのこと。どうやら、韓国では日米韓の会談を受けたとして朴大統領が批判されており、会談に応じることで歴史問題に免罪符を与えたという誤解を与えてはいけないため、国内世論向けにも厳しい表情を見せていたのだろうというのが真相のようです。しかしこれはかなり楽観的な見方の気がします。

■ 朴槿恵大統領の父母は暗殺され、自らも暴漢に襲われて・・・
 朴槿恵は韓国大統領・朴正煕(パクチョンヒ)の長女です。1974年8月15日に在日韓国人の文世光(ムンセグアン)が朴正煕を狙った流れ弾で、母親の陸英修(ユクヨンス)が死んだため、急遽留学先のフランスから帰国しました。これに使用された拳銃は、日本警察の交番から盗みだした38口径で、逮捕後、文世光は在日北朝鮮系の工作員から指示と援護を受けたと自白、自ら「革命戦士」と名乗りました。1979年に父親がKCIA部長の金載圭(キムジェギュ)によって暗殺されるまで、朴槿恵はファースト・レディー役を務めました。その後、朴槿恵自身も暴漢に襲われ、頬をナイフで切られる重傷を負いましたが、これが逆に大統領になる踏み台になりました。
 父の朴正煕は戦時中に満州の日本軍官学校を卒業して少尉に任官し、戦後、韓国軍士官学校に入って陸軍将校になりましたが、1948年に麗水(ヨス)叛乱事件に連座して軍事法廷で死刑判決を受けました。ナント!韓国軍士官学校における共産党細胞の指導者だったというのです。これは李承晩(イスンマン)大統領によって減刑され、その後、転向して軍に復帰しました。

■ 朴正煕と陸英修は夫婦で良いコンビでした
 朴正煕大統領は、李承晩独裁政権によって悪化した対日関係を修復し、日本の経済発展をモデルにした経済システムを韓国にもたらしました。その経歴から、日本に人脈があったのでしょう。日本に協力を頼み、国家を発展させる意味では良い大統領でしたが、国内的には恐怖政治だったので、最後は暗殺される破目に陥りました。このように暗いイメージが付きまとう朴正煕に較べて、陸英修は優雅で魅力的な姿をし、はきはき喋ったので、彼女は朴正煕と国民を仲介する役割を果たし、人間的な影響を夫に与えたとされています。彼女の死後、朴正煕は一層、孤独となり、引きこもり、人々から疎遠になったと言われています。

■ 朴槿恵のなすべきこと
 長女の朴槿恵は父親よりも、母親似の性格で、暗いイメージがなく、優雅で、はきはき喋る物腰から、陸英修の再来だという人もいるそうです。ただ、朴正煕が親日と見られるが故に、朴槿恵はことさら反日を装っていると思われます。そして北京に近付いて、米国とは軍事演習を行い、北朝鮮とは険悪となりました。しかし、このやり方によって日韓関係は最悪ともいえるくらい冷え込みました。ひところの韓流ブームが嘘のようです。結果として韓国経済は落ち込みました。いま朴槿恵が為すべき政策判断は、韓国経済の再生に力点を置くことです。それには日韓の良好な経済関係を修復することによって、韓国経済の再生をはかることです。
 日本も歴史問題をことさら焙りださず、過去は封印して、経済と軍事で協力関係を築こうと働きかけないと、早晩中国とは圧倒的な力の差が出て、米国からも見放される恐れすらありますから、韓国との関係の修復は喫緊の課題です。

■ 日豪EPA
 日本とオーストラリアの経済連携協定(EPA)交渉が大詰めを迎えています。4月上旬に来日するアボット首相と安倍首相の会談で一気に決着する見通しです。これには米国政府がカンカンになって怒っているようです。もしかすると、邪魔が入るかもしれません。しかしTPPで関税ゼロを譲らない米国、国民への約束で農業を守るために一歩も引かない日本、期限は切らないとお互い言っています。米国は秋に選挙がありますから、こう着状態が続くでしょう。筆者が以前のつぶやきから終始一貫主張してきた「TPPではなく、国間EPAを」ということが、現実味を帯びてきました。日豪の動きを見てカナダもEPAに前向きになってきましたし、韓国とはすでに度重なる事務レベルの折衝が行われています。

■ 岩見隆夫さんと高橋温さん
 51『大雪被害』(2014年2月23日)の中で、「新聞社の軸は移動する」とか、「毎日新聞が安倍総理批判に転換」と書きました。筆者の高校同期の今松英悦君が経済担当論説委員を務めていましたが2013年11月に逝去されたこと、その14年先輩で、サンデー毎日編集長なども務めた毎日新聞特別顧問の岩見隆夫氏が2014年1月に逝去されたことも書きました。そして、毎日新聞の論説の調子が安倍批判へと変化してきたことを紹介しました。
 岩見隆夫氏が週刊誌「サンデー毎日」の「サンデー時評」というコラムに2013年8月に書いていたことに大変共鳴しました。このとき既に岩見さんは、自分がガンであることを公表していましたね。☆高橋温さんの「アメリカ一辺倒」論☆という題でした。高橋温さんも我が高校の先輩ですが、こういう気骨の士が、ドンドン物申すことができるうちは日本も大丈夫です。高橋温さんのコラムをご覧下さい。

■ 経済も国防も強くなければならない
 安倍総理はオバマの仲介を受けて朴槿恵大統領と会談しましたが、決して国家主義を放棄したわけではありません。アベノミクスで経済を復活させるという使命感も全く同じ動機から生まれています。2013年2月にワシントンで行った「Japan is Back(日本は戻ってきた)」と題した講演で、安倍氏はこの関係を明確にしました。「日本は常に強くなければならない。まず経済面で強くなければならず、国防でも強くなければならない」。東日本大震災で原発事故が起きて日本の全原発が停止しました。節電が迫られ、電気料金が上がりました。このままでは日本から製造業が逃げ出すかもしれないという恐怖が経済界に浸透しました。一方被災者救援で国民の心がひとつになりました。さらに中韓によるバッシング、特に中国経済の急伸、中国軍事力の肥大化・・・日本にとっては愛国心が一気に高まりました。TPPで政治と農業や医療との癒着を断つ、一方でエネルギーでは原発を動かしながら、新しい再生可能エネルギーの比率を増やしていく、アベノミクスに逆らおうとする政治勢力はいずれも低い支持率にあえいでいます。
 ところが・・・・

■ みんなの党の渡辺喜美代表が個人的に8億円借入
 DHCの吉田嘉明会長が貸したそうです、8億円・・・。2010年参院選前に3億円、2012年衆院選前に5億円を吉田氏の個人口座から渡辺代表の個人口座に振り込んだそうです。吉田氏の弁「いずれも頼まれたから振り込んだ、当然選挙資金でしょう?それ以外ならこの桁の資金は不要でしょう?」・・・なるほど、そうですねぇ。
 5千万円を個人借入として処理して、最後は政治資金でした、と認めてしまった猪瀬前知事。どうやら略式起訴で着地しそうですが、猪瀬前知事の場合は、借りた5千万円が、出し入れあったとしても手つかずだったのが逮捕まで至らない要因だと思います。ただ、それなら何故わざわざ借りたのか?そこが分かりませんが。
 2012年衆院選で、みんなの党は当初、日本維新の会との選挙協力を模索していました。貸してくれというので「いくらぐらい要るんですか」と聞いたら、「100人当選させるには20億円ぐらい要る」という話。その後、選挙協力が解消され、「5億円ですむことになりました」と伝えてきたそうです。なぜ週刊新潮に今回、バラしたのか?と問われ、吉田氏は
「私がなぜ多額の支援をみんなの党にしてきたのか。それは日本をダメにしている官僚機構を改革するためです。(みんなの党から分裂し)脱官僚を掲げている結いの党に参院の予算委員会のポストを渡そうとしなかった渡辺さんに耐えられなかった。お金を返してもらいたいとは全く思っていない」
とのこと。渡辺喜美代表も、吉田氏からたびたびメールがあったが、みんなの党の方針とは相容れないので断ったと述べています。

■ 平成の坂本竜馬誕生の手助けをしたい
 DHCのホームページに、吉田嘉明会長のメッセージが載ってます。徹底的に官僚嫌いなことが分ります。痛快なことをおっしゃってます。デフレが続いて日本経済が困窮を極めたのは政府と日銀のせいだと言います。国家公務員の数を大幅に削減し、天下り先(外郭団体、特殊法人、独立行政法人等)を徹底的に潰して、日銀を政府(=国民)のコントロール下に置き、2〜4%のインフレ率を実現させたら、景気はたちまち良くなり、国家財政も数年のうちには健全になると言います。ばらまきをしたり消費税を上げたりするのは、タコが自分の足を食っているのと同じだ、とも言います。そして最後に
 「私たち企業人はもう傍観しているだけではだめ、非常に数は少ないけれども、政治家や若手の官僚の中で、この国を真剣に憂慮している人たちを私たちは支援していきましょう。平成の坂本竜馬が誕生する手助けをしましょう。竜馬も薩摩藩の財政的支援がなかったら明治維新の礎は築けなかったことでしょう。まずは従業員に豊かな生活を提供する。余力があれば新国家建設の手助けをする。こういう思いで私は会社を経営しています
と括っています。
 最初は渡辺喜美氏に共鳴したのでしょうが、どうも「みんなの党」が実は「渡辺喜美の党」だったことがわかり、怒ったのでしょう。

■ これは困った安倍総理
 憲法問題や集団的自衛権に関して慎重な公明党なので、責任野党という形で、日本維新の会とみんなの党との協力を模索してきた安倍総理ですが、ハシズムの橋下徹大阪市長に対して大阪の自民党や公明党は対立を深め、しかも日本維新の会共同代表の石原慎太郎氏は党の方針に反して原発再稼働〜推進を言って、若手議員から「出て行け」と言われる始末、加えて「結いの党」が分裂・離脱した上に今回の件でみんなの党もおしまいか、となると、安倍総理も頭の痛いところです。

■ 安倍晋三の先祖は岩手県?
 安倍晋三は、安倍宗任の子孫ではないかと言われています。長州出身ですから、戊辰戦争で官軍の中心である長州と、賊軍の南部盛岡は敵であり、南部の戦死者は靖国神社には祀られないわけです。その盛岡に安倍館があり、その昔安倍一族の城でしたが、朝廷の命を受けた源氏に討たれて滅びました。但し安倍宗任は、文武に優れており、都へ連れ帰った源頼義・義家親子は、宗任の才能を惜しみ、死一等を減じて朝廷から貰い受けました。安倍晋三首相の父・晋太郎は「自分は安倍宗任の末裔である」と言っていました。盛岡の人たちは、いまだに安倍貞任や安倍宗任をしのんでおり、その生き残りから奥州藤原三代の平泉の栄華が生まれたことを思うと、大変血の優れた一族だったと思います。それゆえ、安倍晋太郎は安倍宗任を誇りに思っていたのだと思われます。詳しくはそのうちご紹介します。
(2014年3月29日)


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