523  越生旅

 3月は節目のときです。卒業、試験、決算、引っ越し、いろいろなことのある月です。我が家では、いろいろな植物の芽が出たり、花が咲いたり、まいにちの変化が楽しみです。屋内ではカランコエなどが咲き誇り、アマリリスも今にも咲きそうです。屋外ではユキヤナギの花や西洋サクラソウ(プリムラマラコイデス)が今盛りです。陽光桜も咲き出し、紫蘭やクロコスミア、百合、グラジオラスの芽も出て来ました。チューリップはそろそろ咲きそう、遅咲きのスイセンはこれからです。下のように斑(フ)入りの枝垂れ花桃が咲き出しました。ところがこれは同じ木ではありません。2020年に咲いた花桃は何故か枯れてしまいました。そこでその実を植えたら2021年に芽が出て2年がかりで成長して今年初めて花が咲きました。感動モノです。


2020年3月21日の花桃
 
2023年3月17日の花桃

■ 桜の開花、各地で史上最速続々
 気象庁は2023年3月14日、東京都心部で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表しました。昨年より6日早く、平年より10日早いそうです。1953年の統計開始以降、2020年と2021年に並ぶ史上最速の今週も各地で桜の開花ラッシュとなりそうですが、22日(水)から広く雨、いわゆる「菜種梅雨」が続き、太平洋側を中心に雨・風強まり荒天の恐れだそうです。雨でも気温は10年に1度レベルの高温予想です。東京では23日頃に桜が満開を迎えそうですが、これに合わせるかのように27日(月)頃までずっと雨が続く見込みです。桜の開花は昔よりすごく早くなりましたが、我々が生きている間にこんなに地球温暖化が進んでいるのかと愕然とします。桜が咲くと「花冷え」となりますが、今年は菜種梅雨の間。最低気温が10℃を下回らず、その後「花冷え」となるみたいなので、桜はもしかすると一気に咲いて、「花冷え」ではなく「葉桜冷え」になる木がします。

ふじみ野市亀久保の地蔵院境内に植生しているシダレザクラは江戸彼岸桜、江戸時代
中期からの桜で、樹齢350年以上の古木であり、市の天然記念物に指定されています

枝を2ヶ所バッサリと伐って、薬液を塗っていました 2023年3月17日(金)撮影


ついでに各地の桜も紹介・・・

3月5日(日)福岡中央公園の河津桜


ふじみ野市弁天の森の砂川掘り沿いのソメイヨシノ


我が家のすぐ近く、鶴ヶ岡4丁目コスモガーデンのしだれ桜(これは2018年、今年は枝が切られてさびしい枝垂れ)


青森・弘前城公園のしだれ桜の前で黒石市に住む友人夫妻


秋田・角館のしだれ桜

角館の武家屋敷は粋な黒塀が見事、もちろん見越しの松もありますよ


岩手・雫石の一本桜と岩手山 NHK2007年度上半期朝ドラ『どんど晴れ』で有名になりました

この一本桜が咲かない年がありました
そのわけは「ウソ」という鳥が花芽をみんな食べたから・・・嘘でしょう?本当です

「ウソ」はスズメ目アトリ科ウソ属の鳥で、体長15.5cm

岩手・雫石の小岩井農場の桜並木と岩手山

勇壮な山の麓に広がる広い野原に寝そべるのは爽快、宮澤賢治の愛した光景です

岩手・北上展勝地の桜並木 これを整備したのは我が先祖

旅行パンフレットの春の桜特集で日本の桜の名所として紹介されました


宮城・白石の一目千本桜と蔵王連峰


福島の三春滝桜 我が友人が2010年4月22日に撮影、滝桜に雪が降りかかる珍しい光景として送ってくれました

■ ふじみ野市→川越市〜日高市〜毛呂山町〜越生町〜ときがわ町〜東松山市〜川島町〜川越市→帰宅の旅
 埼玉県越生町から東松山市を旅してきました。ぐるっと時計回りの旅でした。まずは日高屋の創業者生誕の地で50周年記念日高ちゃんぽん+半チャーハンセットを頂きました。予想以上に美味しかった。ぐるっと回って東松山市の後、川島町の農産物直売所に寄りました。ここは花が安くて、堆肥やもみ殻、藁なども売っています。またものすごく久し振りに「バーミヤン」に行ったら、味付けがしょっぱかった、ちょっと???ですね。

旅のルートマップ


日高ちゃんぽん

■ 埼玉県越生町は太田道灌ゆかりの地
 越生はまた、江戸城を築いた室町時代の名将太田道灌ゆかりの地です。道灌は、越生・龍ヶ谷の山枝庵で誕生したと伝えられ、父の道真と道灌が再興した龍穏寺には、父子が静かに眠る五輪塔があるそうですが、今回は寄りませんでした。築城の名人と言われた太田道灌は、そのすぐれた頭脳と才覚で次々と関東の乱を鎮めましたが、出る杭は打たれるの例え通り、このまま放置しておけば、やがて謀反を起こすのでは?との猜疑心から暗殺されてしまいました。主の館に招かれて、風呂から出たところを斬殺されてしまいましたが、太田道灌が歌道に通じていることを知る刺客が、「かかる時 さこそ命の 惜しからめ」(こんな時はさぞかし命が惜しいであろう)と上の句を詠んだのに答えて、「かねてなき身と 思ひ知らずば」(もとより我が身などないと思って生きてきた)と下の句を詠んだと言われ、道灌の辞世の句とされています。道灌が歌道に通じたきっかけとして伝えられているエピソード「山吹伝説」を紹介しましょう。外出時、にわか雨に降られた若き太田道灌は、蓑を借りようと通りすがりのみすぼらしい家を訪ねました。すると、出てきた娘は無言で山吹の花を1本差し出しました。意味が分からず腹立たしい思いをしながら濡れて帰ると、家臣のひとりが、それは「後拾遺和歌集」(ごしゅういわかしゅう)のなかの兼明親王(かねあきらしんのう)の歌、「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」に掛けて、貧しくて蓑ひとつないことを伝えているのでしょう、と教えました。己の無知を恥じた太田道灌は、この出来事をきっかけに、歌道に励むようになったのだそうです。越生町では駅はじめ随所に「太田道灌を大河に」というポスターが張られ、渋沢栄一に続いて大河ドラマに採り上げて欲しいと思ってるようです。

■ 埼玉県越生町は渋沢平九郎自決の地
 日高から越生町に向かい、県道61号線を走り、先にNHK大河ドラマ「青天を衝け」で描かれた渋沢(尾高)平九郎自決の地に向かいました。平九郎は、弘化4年(1847)、武蔵国榛沢郡下手計(現在の深谷市下手計;シモテバカ)の名主尾高勝五郎の末子として生まれ、兄の惇忠(あつただ、学問に秀でた人で、後に富岡製糸場初代場長となります)や長七郎(尾高惇忠の弟で大柄で腕力に優れ、剣の達人、兄惇忠や渋沢栄一、渋沢成一郎らの高崎城乗っ取り計画を断念させるも誤って人を殺傷して伝馬町牢屋敷に入牢、明治元年(1868)4月、赦免されて出獄するも同年11月病没)、従兄の渋沢成一郎(榎本武揚率いる旧幕府脱走軍とともに蝦夷地に転戦し、箱館の五稜郭に籠もる。維新後は喜作と改名し、渋沢栄一の紹介で大蔵省に勤めたのち、渋沢商店を開き、廻米問屋、生糸売込問屋を営む。東京株式取引所理事長などを歴任)、渋沢栄一らの影響を受けて育ちました。渋沢栄一の妻・千代の弟です。性格は温厚、沈着で、勇気や決断力があり、所作は美しく色白で長身、腕力があるイケメン武士だったそうです。慶応3年(1867)、渡欧する義兄栄一の見立養子(身に何かあったときに跡継ぎが居ないとお家断絶することに備えるため)となった平九郎は、江戸に出府し日本橋本銀町で幕臣としての生活を始めます。大政奉還後、徳川慶喜の復権を図るべく成一郎が組織した彰義隊に参加し、その後、惇忠や成一郎と隊を離脱して新たに振武軍を結成しました。明治元年(1868)5月、振武軍は上野戦争で壊滅した彰義隊の残党を合わせて飯能町(現在の埼玉県飯能市)に入りました。23日未明から新政府軍と戦闘を開始しますが、相手の圧倒的な兵力を前に惨敗し振武軍は四散、敗走しました。惇忠や成一郎とはぐれた平九郎は、飯能と越生の境にある顔振峠(こおぶりとうげ;ここから見える景色があまりに美しくて顔を振ってしまうことから名付けられた峠)を越えて黒山村(現在の越生町黒山)に下りてきたところを広島藩の斥候に見咎められ、3人を相手に奮戦後、銃弾太腿貫通して最期を悟り、川辺の石の上に座して短刀で自刃しました。享年22(満20才)でした。

顔振峠も黒山三滝も何度も行っていますが「渋沢平九郎自決の地」は知りませんでした


「渋沢平九郎自決の地」の碑は相当古いですね


手前の「自刃岩」の奥にあるグミの木は芽が萌えています

■ 戊辰戦争と民衆の対応
 「渋沢平九郎自決の地」は県道61号線がT字路にぶつかり、右が「黒山三滝」、左が「顔振峠」と書かれたところを左折してすぐのところにあります。またこのT字路の手前2〜300mぐらいの左側に越辺川(おっぺがわ)をはさんで「全洞院」があります。「渋沢平九郎自決の地」の「自刃岩」の隣にグミの木があります。このグミは、平九郎の血の色を宿すような真っ赤な実をつけることから、「平九郎ぐみ」と呼ばれています。平九郎の首は刎ねられて今市村(現在の越生市街地)に晒され、これを憐れんだ人たちが密かに首を法恩寺に埋葬しました。境内にはその碑があります。骸は黒山村の全洞院に埋葬されました。明治の初め、平九郎の遺骸が法恩寺と全洞院から東京谷中の渋沢家墓地に改装された後、渋沢栄一の命により全洞院に「澁澤平九郎之墓」の墓石が建立されました。渋沢栄一や尾高惇忠一行は、明治32年と45年の2回、渋沢平九郎自決の地と全洞院を訪れて供養しているとのこと。それにしても越生の人々は新政府軍に対抗して戦った平九郎を大事に思って供養したこと、158『小栗上野介』(2016年3月19日)で紹介したように、上野国群馬郡権田村(現在の群馬県高崎市倉渕町権田)に隠遁した幕臣;小栗上野介が新政府軍の討手に烏川の河原で斬首された後、村人たちが東善寺に葬って手厚く弔い、墓石の脇に小栗椿を植えて、今に至るまで供養し続けていることと似通っています。戊辰戦争で賊軍とされた人たちは靖国神社にも祀られないわけですが、関東から東北の民衆はどうしてそこまで徳川に対して、あるいはその幕臣に対して篤い想いを持っていたのか?江戸時代というのは結構良い時代だったということでしょうか。あるいは武士たちが殺し殺されることで、亡くなった人は供養しなければという単純に命の大切さを尊ぶ心やさしい人たちが日本人の大衆だったということでしょう。戦争はいけません。

全洞院


渋沢平九郎の墓を示す杭


渋沢平九郎の墓 梅の花が供えられていました

■ 越生梅林はもう咲き終わり近し
 越生町と言えば、越生梅林が有名です。関東3大梅林の1つに数えられ、約2ヘクタールある園内には、樹齢約650年を超える古木「魁雪」をはじめ、白加賀・紅梅・越生野梅など約1,000本の梅の木があります。2月中旬から3月下旬には梅まつりが開催され、期間中は多くの観梅客で賑わいます。もう花も終わりごろでした。


梅園小学校門前のお宅のしだれ梅 紅白ありました 民家も梅を大事にしています

■ ニューサンピア埼玉おごせに宿泊
 越生梅林から1qちょっとのところにあるレジャー施設「ニューサンピア埼玉おごせ」の洋室ツインに泊まってきました。ニューサンピア埼玉おごせは、厚生年金加入者のために旧社会保険庁が全国に建設した施設の一つです。山の斜面を利用していて、6万坪の敷地に宿泊施設、体育館、テニスコート、大規模プールなどを備えています。昭和55(1980)年に埼玉県厚生年金休暇センター(愛称:ウェルサンピア埼玉おごせ)として開設され、地下1階地上5階建、敷地面積193,105u・建築面積8,943u・延べ面積19,178uと埼玉県内でも有数の大規模施設です。部屋は洋室シングル6室、洋室ツイン4室、ツイン+和室8畳4室、和室8畳9室、和室10畳27室、合計50室です。他に合宿・研修棟も備えています。かつて厚生年金の被保険者は二割引で利用出来ました。子どもが小さい頃、何度か家族で宿泊しました。越生梅林や五大尊つつじ山公園がすぐ近くです。



大規模な施設です


山の上から俯瞰した施設


ホテル外観


エントランスロビー


■ 以前は温泉を運んで来てました
 郵政省や厚生労働省がその資金力を持って国民の福利厚生のために全国各地に宿泊施設を作りましたが、その後、郵貯や厚生年金の目的外運用に批判が出て、廃止されたり民間に移管されました。この施設も現在は2004年の年金制度改正後に売却され、2010年に現在の運営会社が営業を引き継いで完全民営化され、誰でも利用できます。一般の宿より格安な合宿プランもあります。温泉「梅の湯」は、近くの玉川温泉からpH10程度のアルカリ性単純泉を運んでいました。以前は無色透明で、わかし湯と区別できませんが、肌がツルツルすることで温泉だと分かりました。ほかに宿泊者用の大浴場もあり、これは完全な沸かし湯です。これだけの施設を持っているのですから、平日利用客のアップが課題、「梅の湯」も日帰り温泉利用客が少ないので、大衆演劇の「おごせ劇場」や「こうねん大学」などを企画するなど知恵をひねっていました。「梅の湯」は日帰り温泉としては設備の老朽化対策が不足しています。リニューアルしてサウナでも設置すればもっと利用客が増える気がします。ウェルサンピアからニューサンピアに転換してからも宿泊しました。直近では2018年のゴールデンウィークに夫婦で宿泊、その年の8月4日〜5日には我が少年野球チームの合宿を行いました。

梅の湯の内風呂(温泉ではありません)


梅の湯の露天風呂(温泉です)


梅の湯の「かあちゃん食堂」


■ 偶然井戸水が温泉と判明、ラッキー
 2019年3月に経費削減のために施設内のプールの水を施設内で放置されていた古井戸からくみ上げられないかと調べたそうです。この井戸は、いつ掘られたか分からないもので、地面からむき出しのパイプが出て、ふたがしてあるだけだったそうです。専門業者が3日間水をくみ上げ、深さ約300メートルまで調べましたが、井戸水は白く濁っており、プールの水として使うことは断念しました。しかし、まてよ、「もしかすると温泉かも」と長野県薬剤師会に分析を依頼したところ、美肌効果のメタケイ酸が60.6mg/kg、50以上で「温泉」と定義されます。しかも洗浄作用があり「ニキビ」に効果が期待できるメタホウ酸が79.5mg/kgも含まれています。しかも陽イオンはほとんどナトリウム、陰イオンはほとんど炭酸で塩素も硫酸も微量、pH10.3の強アルカリ性と判明しました。これは天然の石鹸水に浸かるようなもの、クレンジング効果と保湿効果が有ります。「巨額の費用をかけて掘削技術を駆使して温泉を掘り当てるケースがある中で、うちは苦労なく宝の山を掘り当てたようなもの」と支配人は大喜び。埼玉県内では珍しい乳白色の天然温泉で、早速温泉の営業に必要な県などの許認可を取り、入浴施設「梅の湯」を改装し、8月から「越生温泉」と命名して営業を始めました。越生町唯一の天然温泉です。客の評判も上々でしたが、2020年から新型コロナウイルスの大騒ぎが始まりました。折角温泉が出たのに一時営業を休止するなど、苦労されたようです。やっとこれから本格的に「越生温泉」を楽しんでいただける、というところです。

ホテル本館3Fの大浴場


レストラン紅梅


広々したツインルーム


■ 箭弓稲荷神社〜東松山市役所
 ぐるっと時計回りの旅でした。そうだWBC必勝祈願で箭弓稲荷神社に行こう、と閃きました。ここは創建712(和銅5)年、1300年以上の歴史をもつ古社です。武蔵国(東京、埼玉、神奈川の一部)で最も古い“稲荷神社”です。箭弓→野球と引っ掛けて、全国から野球関係者が訪れる神社です。もちろん埼玉西武ライオンズもです。境内には“團十郎稲荷”があることから、芸能関係者もよく訪れる神社です。“最も大きな木製スタンプ”として、2016年5月21日にギネス世界記録に認定された“御朱印”があります。一般的な御朱印は、御朱印帳におさまる程度の手の平サイズですが、この御朱印は、高さ1.42メートル、印面縦横1.3メートルという巨大なものです。また境内に松と栴檀(せんだん)の2本の木が根で絡み合っている“縁結びの木”があり、“商売繁盛”の他に“縁結び”のご利益もあるとされています。この神社には牡丹園があって、牡丹、芍薬、ツツジ、藤が綺麗に咲いて、大勢の観光客が訪れます。池もあって鯉が泳いでいます。「紫雲閣」という結婚式場を備えるホテルもあって、「箭弓稲荷神社」で神式の結婚式をして「紫雲閣」で披露宴というパターンがあります。以前ここでランチしました。
 箭弓稲荷神社から東松山市役所に行き、「めざせ世界一!侍ジャパン・東松山ゆかりのヌートバー選手を応援しよう!」という掲示があるというネット情報を見て、この掲示を観ました。市役所本館と道を挟んだ建物の間の渡り廊下に掲示されていました。本館には東松山市に住むヌートバー選手の祖父母の写真が貼られたパネルに、いろいろな侍ジャパン応援メッセージを書き込んだ紙が貼られていました。遠方からも来てるようです。

箭弓稲荷神社正面鳥居と奥の本殿


我が少年野球チームは夏合宿の最後に箭弓稲荷で必勝祈願


賽銭を投げ入れて勝利を祈ります


その後それぞれ絵馬を奉納しますが、見ると日本全国から野球人、チームが訪れていることが分かります

“バット絵馬”、“ベース絵馬”や、バット・グローブの形をした“球技守”などがあります

駐車場にはすごく背の高い生垣があります


縁結びの木


牡丹は花芽が出て来ました


箭弓稲荷神社の牡丹


牡丹は木ですが芍薬は草、もう生き生きと芽が出て大きくなりつつあります


巫女さんの「浦安の舞い」・・・2008年4月26日


「紫雲閣」の上を自衛隊の飛行機が飛んで行きました(2023年3月16日)


2008年4月26日「紫雲閣」で頂いた花影御膳

■ WBC・日本は準決勝進出、メキシコと対戦
 このところ日本のニュースはWBCで持ち切りです。大相撲も後半戦、春の高校野球も始まったのに、WBC一色の感じで、日本中がペッパーミルパフォーマンスでフィーバーしています。日本代表(侍ジャパン)は準々決勝でもイタリアを9-3で破り、試合が終わってあまり時間がたたぬ未明にチャーター機で米国マイアミに飛びました。日本時間の3月21日8時からローンデポ・パークで行われる日本の準決勝の対戦相手はメキシコとなりました。準々決勝1回表プエルトリコが4点先取しましたが、メキシコがジワジワ反撃し、最後は5−4で逆転勝ちしました。メキシコチームを率いるギル監督は大谷翔平選手が所属する大リーグ・エンジェルスの1塁コーチで、エンジェルスに所属するサンドバル投手が先発するとすでに明言していて、大谷選手とのチームメート対決が実現します。準決勝のアメリカ対キューバは、前回大会優勝のアメリカが、14−2で勝利、4ホーマーが効きました。直近2試合で3本のアーチと、8打点を挙げたT・ターナーがスゴイ。ただ14安打のアメリカに対してキューバも12安打ですから、アメリカのピッチャーは日本ほどではないということです。

2023年3月16日(木)東松山市役所に掲げられた「侍ジャパン・ヌートバー選手を応援しよう!」という掲示

■ ワールドベースボールクラシック(WBC)が大会途中に対戦相手を変更
 ところでWBC組織委員会が最初に組んだ日程を日本−イタリアの準々決勝直前に変更しました。米国と日本は当初日程では準決勝での対戦でしたが、両国が勝ち上がれば決勝で対戦することとしたのです。このように日程が変更されたのは、観客動員能力が優れた米国と日本が準決勝で対戦するのを避けるためのようです。WBCは「予定された日程」と主張しましたが、あいまいな表現ばかりで明確な説明はできませんでした。しかし大会途中で日程を変更するというのは非常識です。主催側が自ら大会の公正性を毀損したことになります。WBCが真の野球最強を決める大会ではなく「ビジネスイベント」と誤解されても返す言葉はありません。

■ 藤井聡太棋士、史上最年少“六冠”に輝きました
 将棋の棋王戦コナミグループ杯五番勝負第4局が2023年3月19日に行われ、藤井聡太五冠(竜王、王位、叡王、王将、棋聖、20)が渡辺明棋王(名人、38)に勝ち、シリーズ3勝1敗で棋王初奪取に成功しました。保持する5つのタイトルに棋王位を加え、史上2人目の“六冠”に輝きました。羽生善治九段(52)が保持していた24歳2ヶ月の六冠年少記録を3年6ヶ月短縮と大幅に塗り替えました。また同日にNHK・Eテレで放送された「第72回NHK杯テレビ将棋トーナメント決勝」で佐々木勇気八段(28)を破り、初優勝を飾ったことで、今年度参加資格のあるJT杯将棋日本シリーズ、銀河戦、朝日杯、NHK杯の一般棋戦4つをすべて制覇、2007年度に現行の棋戦体制になってから史上初の年度内グランドスラムを成し遂げました。スゴイにも程があります。4月5日には東京都文京区の「ホテル椿山荘東京」で渡辺名人との七番勝負が開幕します。この勢いなら、谷川浩司十七世名人(60)が保持する最年少名人の記録も更新して七冠達成、加えて、永瀬王座からタイトル奪取すれば来年度にも全冠制覇の可能性も出て来ました。新年度も早々に名人戦、叡王戦とダブルタイトル戦のハードスケジュールが待ち受けていますが、いくら若いとは言え、キツイでしょうね。

■ プーチン大統領に逮捕状
 オランダ・ハーグにあるICC=国際刑事裁判所は、ウクライナ情勢をめぐり、ロシアが占領したウクライナの地域から子どもたちを移送したことが国際法上の戦争犯罪にあたるとして、ロシアのプーチン大統領などに逮捕状を出したと明らかにしました。また、子どもの権利などを担当するマリヤ・リボワベロワ大統領全権代表についても、戦争犯罪の疑いで逮捕状を出したことを明らかにしました。国際刑事裁判所は、日本を含む123の国と地域が参加しているものの、ロシアやアメリカ、中国などは管轄権を認めていないことから、プーチン大統領が実際に逮捕される可能性は極めて低いとみられます。

■ 世界的に金融不安がまん延しています
 米国のシリコンバレーバンク(SVB)の破綻で米国では銀行規制が強まりそうで、日本にも影響が出るでしょう。たかをくくっているとヤバそうです。スイスの大手クレディスイスの信用不安で欧州でも大騒ぎ、比較的安全な日本円への逃避のため円高が進行しています。スイス金融最大手UBSは2023年3月19日、経営危機に陥った同業クレディ・スイスを30億スイスフラン(約4300億円)で買収することで合意したと発表しました。米金融当局による急ピッチの利上げと米国債利回りへのその影響で銀行の自己資本を巡る状況は悪化し、先行きの大幅な金融引き締めの余地が制限される可能性も出て来ました。パウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長は今週、インフレ抑制のための利上げを続けるか、米地銀の経営破綻の連鎖を受けた市場の混乱を背景に利上げを一時停止するかという、過去数ヶ月で最も困難な判断に直面しています。FRBや日銀など日米欧の6中央銀行は日本時間3月20日、米ドルの資金供給を毎日実施する拡充策で協調することを決定しました。しかし金融不安は払しょくされないみたいで、各国の株価が下がっています。

■ 貴景勝休場・・・横綱・大関不在で大相撲ピンチ
 大相撲春場所で「綱とり」を目指していた大関・貴景勝が、3日目の平幕・正代との取組で左ひざを痛め、病院で半月板損傷と診断されたということで、7日目の3月18日から休場することになりました。これで春場所は昭和以降では初めて横綱と大関がともに不在の場所となりました。
(2023年3月20日)


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