403 そば乾麺大賞
11月も押し詰まりました。COVID-19第三波で世の中にはイヤ〜な雰囲気が漂っています。本来人間は、集って賑やかにワイワイやるのが楽しいという生き物ですから、それを阻む新型コロナウイルスというのは憎き代物ですね。そんな中、久しぶりに岩手県盛岡市に日帰りしてきました。国立大学法人岩手大学の経営協議会に出席するためです。いつもなら温泉に浸かって帰って来るのですが、今回は日帰りしました。マスクして、手洗いして、なるべく他人と接触せず、恐る恐るです。首都圏の人間が岩手に...ということすら恐ろしいご時世だからです。新幹線「はやぶさ」は行きも帰りもガラガラでした。JR東日本は大変ですね。終息は無理としても、一日も早い収束を願わずにはいられません。
■ 新幹線eチケットサービス
ところでずっと新幹線に乗っていなかったのですが、今回JR東日本えきねっとで申し込んだら、「新幹線eチケットサービス」というのが始まっていて、これで申し込みました。
(上)桜の頃の岩手大学図書館 奥にうっすらと岩手山 (左)岩手大学正門 左手は農学部の建物 |
盛岡りんご |
シャインマスカット |
387『干しそば』(2020年8月9日)の中で「さてどの蕎麦が美味しかったか?結論から言えば価格と美味しさは比例するということが分かりました」と書きましたが、妻有そばも干しそばの中では高価なほうです。「十割そば」などと称して売られている干しそばなどと同等です。コスパから言えば岩手・戸田久のそばがおすすめですが、干しそば選びは値段で決められるというのは、そば好きにとっては嬉しいことです。
■ 埼玉県のおいしいそば屋・・・浅野屋(ふじみ野市)
ところで、日本蕎麦保存会のホームページを見ると、「おいしいそば屋の食べ歩きレポート」というコーナーがあり、「埼玉県のおいしいそば屋」を検索してみると、「葉乃井」さんというレポータが、ふじみ野市の「浅野屋のそば」を紹介していました。こだわりそば粉の店で、かき玉蕎麦を頂いたというものです。これは納得です。浅野屋はふじみ野市でも知る人ぞ知る店、市役所のHPでも紹介されています。駅から遠いけれど、文京学院大学キャンパスから近く、最近PCR検査で一躍有名になったふじみ野救急クリニックにも近いところです。
レポートはコチラ https://nihon-soba.jp/tabearuki/kanto/saitama/2019/08/08/5235/
「浅野屋」の息子さん3人は我が少年野球チームで活躍しました。皆様ごひいきお願いします。ちなみに同業の「松栄庵」の息子さんたちは我がチームのコーチでもあり、溜まり場になっています。こちらもよろしくお願いします。
■ サッカー&野球日本一・・・共通するのは?
11月25日、サッカーJ1では川崎フロンターレが優勝、プロ野球NPBではソフトバンクが優勝しました。この二つの優勝には、実は共通点があるように見えます。どちらも圧倒的な強さを発揮しましたが、もともとはそんなすごいチームではなかったのです。それがどうしてこんなに強くなったのか?フロントの姿勢、監督、チームを支えるサポーター、いろいろな側面があるでしょう。プレーするのは選手たちです。スターがゴロゴロ居るから強い?そうではありません。少年野球でもそうですが、選手がやる気になって頑張る姿勢の差がチームの強さの源泉です。同じような能力の選手でも、スポーツは気力によって結果に差が出ます。そしてそれを引き出すチームカラーと指導者の差、今回の二つの優勝はそれをものの見事に示してくれました。
■ 川崎フロンターレの場合
川崎フロンターレは2位のガンバ大阪に5-0で勝ち、2年ぶり3回目の優勝を決めました。4試合を残しての優勝はJ1で史上最速だそうです。そもそも2位のチームを圧倒する5-0というスコアはサッカーではスゴイこと。強さを支えたのは強力な攻撃陣による得点力です。年間の勝ち点、勝ち数ともにJ1では歴代最多です。そしてチームを支えた要因が選手層の厚さです。「結果を出さなければ試合に出られない」・・・ヒーローになった選手からたびたび聞かれるこうした“危機感”がポジション争いの厳しさを物語るとともに選手の原動力になっています。2017年の就任以降、フロンターレを2回のリーグ優勝に導いている鬼木監督の存在も大きいでしょう。元々は鹿島から移籍した選手でした。しかし、今シーズンで引退する”レジェンド”中村憲剛選手の貢献も大きいと見ます。彼は大卒で入団し、川崎一筋でこのチームをJ1に昇格させ引っ張ってきました。サッカー界ではジュニアの頃から活躍して大学など行かずにプレーする選手のほうがスターです。あらゆるスポーツの中で最も走り回るサッカーは、若くてスタミナがなければ勤まらないからです。そしてフォワードには手っ取り早く有力な外国人選手を引っ張って来る、おカネに見合わなければ変えれば良い、という傾向です。元は富士通サッカー部のフロンターレは、他のチームが採らない大卒の選手などを入団させ、選手を競わせてジワジワと強くなってきました。強くなってくるとあこがれて門を叩く選手も増えてきます。前線に球を供給して冷静に試合を組み立てる中村憲剛選手の存在は、フロンターレを象徴するものでした。スター選手でも結果を出さなければ使ってもらえない、普段控えでもチャンスに活躍すれば使ってもらえる、選手が目の色変えて頑張るチームの強さを、いつも陰で支えるのが中村憲剛でした。
■ 福岡ソフトバンクホークスの場合
プロ野球日本シリーズは今年も福岡ソフトバンクホークスが昨年に続き4勝0敗で巨人を圧倒して優勝しました。戦前からソフトバンクが強いとは言われていましたが、菅野を擁する巨人がまさか1勝もできないなんてことはないだろうとも言われていました。しかし筆者はおそらくソフトバンク圧勝だろうと思っていました。何故なら、ここ一番の勝負強さが際立っているからです。工藤公康が監督就任した2015年以降、優勝しなかったのは2016年だけです。この年は日本ハムファイターズ(栗山英樹監督)が優勝しました。圧巻だったのは、2018年と2019年の2年連続リーグ優勝の埼玉西武ライオンズ(辻
発彦監督)からCSで優勝をもぎ取った強さです。決戦にピークを持って来れる工藤采配が光りました。打撃は水物ですが、投手力は本物、測れるものです。どんな良いバッターでも好投手は打てません。もう一つ・・・チームの団結力、チームワークは、団体競技の基本です。スゴイ選手が揃っていても、オレがオレがというチームはここ一番で弱小に見えるチームに負けることがあるというのが野球です。流れに乗ってワッショイという雰囲気を作れば、強いチームにも勝てるのです。ソフトバンクが、稀にみる強力打線の西武に勝てたのはこれが理由でした。
今回の日本シリーズで、野球好きの人なら、両チームの差がよく見えたでしょう。守っている時でもソフトバンクの選手たちはよく声が出ていました。投手がピンチになると内野手が声をかけて励ます、当たり前のようですが、ソフトバンクの選手たちは自分たちで考え、自分たちで行動することができる集団でした。この姿を生むチームの空気を作ったのは、巨人、ダイエー・ソフトバンクで監督を歴任し、現在は福岡ソフトバンクホークス取締役会長である王貞治(国民栄誉賞受賞者第一号)であり、工藤公康監督でしょう。巨人でも坂本勇人選手などはこれができますが、ソフトバンクの37歳の大ベテラン・松田宣浩選手が打率が低くても工藤監督が使い続けるのは、内野の要でチーム一のムードメーカーだからです。常に投手を気遣い、ここぞの場面で打つ勝負強さ、監督から見ればこんな頼もしい選手はいません。どうでもいい場面で打たなくとも、ここぞの場面で仕事してくれる、監督があれこれ言わずともチームをまとめてくれます。第3戦で、ソフトバンクが巨人に大差をつけているにもかかわらず長谷川勇也外野手(35)を代打で出したところにも工藤監督の意思を感じました。このベテランは、セカンドの右を抜けるかと思われる強烈なゴロを放ち、吉川のファインプレーで間一髪アウトになりましたが、一塁にヘッドスライディングして、アウトコールを確認すると、その場で地面を叩いて悔しがった姿・・・これがソフトバンクなのです。
■ ソフトバンクホークスの強さの源泉
この10年でプロ野球日本シリーズではソフトバンクが7回(工藤公康監督5回、秋山幸二監督2回)、日本ハムファイターズ1回(栗山英樹監督)、楽天ゴールデンイーグルス1回(星野仙一監督)、読売ジャイアンツ1回(原
辰徳監督)が優勝、実にパ・リーグが9割です。人気のセ、実力のパと言われて久しいですが、筆者の周りでは今やパ・リーグのファンが多くなりました。やはり強いというのは人を惹きつけるのです。古い世代では大鵬、玉子焼きと並んで巨人が好きだったという人もいますが、それはもはや哀愁ララバイです。パ・リーグの強さの源泉はDH(指名打者)制だと言われています。息の抜けない打線を相手にするには、強力なピッチャーが必要です。今回の日本シリーズでもソフトバンクは150km超、160kmに迫る球速のピッチャーが次々出てきて、巨人の打者はキリキリ舞いでした。加えて、捕手の差、甲斐の肩、周東の足・・・投手力、打撃力、走力、チーム力、すべての面でソフトバンクが圧倒していました。名監督は、まず名捕手を作ると言われています。それは、投手を生かすこと、助けることのほかに、チーム内で唯一全員を眺めて指示できる存在だからです。
巨人は日本シリーズが始まる前、速球投手対策を重点的に練習していました。相手のことがよく分かっていたからです。それでも始まってみると、蛇ににらまれた蛙みたいでした。この圧倒的な差、ベンチは無力感を感じたでしょう。ソフトバンクは工藤監督みたいに入団前から華々しく活躍した選手ではなく、育成選手が力を発揮しています。ひところの広島東洋カープみたいですね。「結果を出さなければ試合に出られない」、逆に言えば誰にでもチャンスがある、そうした必死の姿勢を評価することで選手自身が成長する、そういう雰囲気を作り出したのが工藤ソフトバンクであり、王貞治という人の凄さでしょう。
■ 工藤公康の頑張り
決戦での投手起用は福岡ソフトバンクホークス第20代監督工藤公康ならではのものです。高卒後、西武に入団当時は生意気な選手で、広岡監督がその鼻っ柱を折るために米国のマイナーに送り込みました。そのお蔭もあって現役時代は14度の優勝、11度の日本一を経験しました。西武、ダイエー、巨人の3球団で日本シリーズを制覇し、優勝請負人と呼ばれもしましたが、どんな球団でも呼ばれれば頑張るというのは、マイナーで見た米国球界の厳しさ、「結果を出さなければ試合に出られない」・・・こうした“危機感”を持って必死に頑張る姿から学んだものでした。ここがお坊ちゃまの巨人一筋・原監督との違いです。工藤公康という野球選手は、高校野球では強豪揃いの愛知県で新興チームだった愛工大名電を一躍有名にする活躍を見せました。2歳のときに父親が離婚、その後再婚して継母のもとで育ちましたが、7人家族の貧しい家庭で高校にも行けないような状況でした。巨人ファンの父親のもと、好きでなかった野球の能力を学校の先生に認められ、結局高校から引っ張られる形で愛工大名電に入ったのです。愛知県で巨人ファン?という父親は実は大変なんですよ。広島や大阪、名古屋で巨人ファンなんて言ったら石をぶつけられかねません。当地では野球の話はタブーなのです。工藤投手は甲子園での大活躍でドラフト会議の目玉になりましたが、父親は指名挨拶してきた9球団に「指名お断り」の文書を発送し、社会人野球の熊谷組に入団させる意向でした。しかし西武の根本睦夫管理部長がドラフト会議で6位で強行指名し、スッタモンダの大騒ぎの末西武に入団しました。契約金、年棒提示がドラフト1位より高かったというところに西武の球団意思を感じますね。指名しても無駄と思われる選手を最初はスルーして、ドラフトの最後の最後に指名したのは根本マジックと言われましたが、実は工藤指名に消極的な根本氏に対し、工藤が西武に入団する1982年に監督就任することになっていた広岡達朗氏が強く推薦したのだそうです。金田正一氏を尊敬していた工藤公康は投打に活躍しました。西武で1982〜1994年の13年、ダイエーで1995〜1999年の5年、巨人で2000〜2006年の7年、横浜で2007〜2009年の3年、2010年には古巣の西武に戻り、29年数々の大記録を打ち立てながら、戦力外通告されても引退せず、使ってくれるところならどこでも行くという姿勢で頑張りました。これだけ華々しい記録をたくさん持つのならいさぎよく引退しても良さそうなのに、地面にはいつくばってもトレーニングを続け頑張る姿は感動的でした。そういう監督を頂く選手たちは、松田宣浩や長谷川勇也のように、いかにベテランと言われようと頑張るのでしょう。和田毅投手がいまだに頑張って結果を出しているのも同様です。今期限りで退団する内川聖一(38)も、他へ行ってもまだまだ頑張ると言うのではないでしょうか。
工藤公康の長男は俳優の工藤阿須加、長女はプロゴルファーの工藤遥加です。子どもたちも活躍しているのは父親の背中を見てきたからでしょう。球団を渡り歩いた時も、まずは家族に相談して決めたそうです。そして監督になって初めて優勝した時、まず夫婦で挨拶に行ったのは広岡達朗氏だったそうです。恩義を感じていたからでしょうが、こういうところにも工藤公康という人の人間性を感じますね。
(2020年11月29日)