403  そば乾麺大賞

 11月も押し詰まりました。COVID-19第三波で世の中にはイヤ〜な雰囲気が漂っています。本来人間は、集って賑やかにワイワイやるのが楽しいという生き物ですから、それを阻む新型コロナウイルスというのは憎き代物ですね。そんな中、久しぶりに岩手県盛岡市に日帰りしてきました。国立大学法人岩手大学の経営協議会に出席するためです。いつもなら温泉に浸かって帰って来るのですが、今回は日帰りしました。マスクして、手洗いして、なるべく他人と接触せず、恐る恐るです。首都圏の人間が岩手に...ということすら恐ろしいご時世だからです。新幹線「はやぶさ」は行きも帰りもガラガラでした。JR東日本は大変ですね。終息は無理としても、一日も早い収束を願わずにはいられません。

■ 新幹線eチケットサービス
 ところでずっと新幹線に乗っていなかったのですが、今回JR東日本えきねっとで申し込んだら、「新幹線eチケットサービス」というのが始まっていて、これで申し込みました。

 券売機や窓口できっぷを受取ることなく、交通系ICカード(Suica、PASMOなど10種類もあります)やモバイルSuicaで、新幹線にチケットレスで乗車出来るサービスです。筆者はいつも自分で座席を選んで指定席をとるのですが、駅の券売機にJRのクレジットカードを差し込んで切符を受け取っていました。料金は後日銀行口座からクレジットカードで引き落とされます。えきねっとで申し込むのは同じですが、あらかじめ筆者の場合はPASMOを登録したので、普通に改札を通る時と同じで、ピッとタッチしてゲートを通過します。しかも乗車当日スマホにメールが来て、予約号車番号や座席番号を知らせてくれるのでメモをとる必要もありません。しかもピッとタッチして入場すると「以下のICカードで新幹線自動改札機を通過しました」というメールが来ます。いやはやどんどん便利になりますね。

■ 盛岡市でクラスターが発生
 皆様ご存知かどうか分かりませんが、岩手県でも盛岡市の映画館通り、Neuf du Pape(ヌッフデュパプ)で11月7日クラスターが発生し、当日会食していた人たちが岩手県内に感染を広めた模様です。この店は盛岡市の美味いもんアンバサダー認定店です。こうしたクラスター発生のニュースの後、お店がしばしば誹謗中傷を受けるのが日本社会の悲しいところですね。防衛大や東北大のスタッフがクラスター調査に入ったそうですが、どうやら店員から感染したのではなく、誰かお客さんがウイルスを持ち込んだようで、COVID-19の場合はここが厄介なところです。無症状の人が多く、誰がウイルスを持っているか分からないからです。症状が出た時には既に誰かに移した後、ということがあるウイルスなのです。会議を終えてタクシーで盛岡駅に帰る車中、運転士といろいろ話しました。もちろんお互いマスク越しです。このニュースの後、盛岡市の飲食街の客足が減り、タクシーにも影響が出ているとのこと。緊急事態宣言後しばらく感染者ゼロだった岩手県でも、飲食店、特にアルコールを提供する店は営業に影響が出ていましたが、今度の一件は決定的ダメージを与えるのではないかとのことでした。もう年は越せないという悲観的な経営者が多く、続々と店をたたむところが出るのではないかと心配されているそうです。

■ 岩手大学でも新型コロナウイルス対策でピリピリ
 国立大学法人岩手大学では教職員、学生合わせて7千人ぐらいが同じキャンパスに居ます。首都圏の大学と異なり、広大なキャンパスは緑に包まれて広々としている中に建物が点在しています。以前はリモート授業をしていましたが、文科省の指導もあり、今は多くが対面授業です。ただし学生間の距離を取り、しかもいつだれがどこで講義に参加したか把握できるシステムを導入し、万が一感染者が発生した場合、濃厚接触者が把握できるシステムを採っています。学生食堂も板で仕切られて、対面できないようになっていました。しかし学生たちは若いので、いくら厳しく指導しても、やはり集まってぺちゃくちゃしゃべるのは規制できないわけで、皆しっかりマスクはしていましたが、この大型集団にウイルスが入ってきたらヤバイし、避けるのは困難な気もしますね。特に正月の帰省後や留学生が心配です。積極的なグローバル化で、キャンパスには外国人が多くなっています。

上)桜の頃の岩手大学図書館 奥にうっすらと岩手山
左)岩手大学正門 左手は農学部の建物

岩手大学理工学部の桜と銀杏(筆者撮影)

■ 蕎麦、緑茶、りんご・・・と言えば
 盛岡駅で帰りの「はやぶさ」に乗る前に、土産を買おうと駅につながる「フェザン」のお店に寄りました。全国各地の名産品を数多く取り揃えている店です。一番目に付くところに、なんと干しそばグランプリということで新潟のそばがずらりと並んで置かれていました。このパッケージ、よく見ます。しかし387『干しそば』(2020年8月9日)で紹介した中には載せませんでした。迂闊でした 盛岡の店になぜ新潟のそば?と驚いて目に留まったのです。岩手といえばそばで有名なのに...との思いでした。ちなみにこの店のお茶コーナーには静岡茶とか宇治茶しかありません。もう10年以上お茶の品評会で日本一を続けている狭山茶が無いとはケシカランと思いました。我が家の近くには茶畑が広がっています。先日岩手の親戚に、近所の新井園で狭山茶をお歳暮に送りました。埼玉や東京の人、また先日シャインマスカットを送ってくれた甲府の友人には盛岡の北田りんご園のリンゴを送る手配をしました。甲府の友人から「届いたよ」と電話がありました。

盛岡りんご

シャインマスカット

■ 「乾麺大賞初代グランプリ」は妻有(つまり)そば
 さて干しそばグランプリに輝いたのは、玉垣製麺所(新潟県十日町市)の「妻有(つまり)そば」です。1954年発売のロングセラー商品で、海藻のフノリをつなぎに用いたのど越しの良さが特徴です。低温貯蔵したそばの実を自家製粉し、香りと風味豊かに仕上げているとのこと。選んだのはそば食文化の研究に取り組む日本蕎麦保存会(埼玉県新座市)で、そんなのあったの?と思いました。日本蕎麦保存会というのは、そば研究者の片山虎之介氏が主宰しているそうですが、あの政治家の片山さんではありませんよ 新型コロナウイルスの拡大による外食自粛を受け、家庭で味わってもらうことでそば業界を活気づけようと「おいしいそば乾麺大賞」を企画したそうです。つまり、今年初めて開催して、その初代グランプリが「つまりそば」だったわけです。約5ヶ月間、インターネットで全国のそば乾麺ファンから推薦を募り、上位のそばを保存会の審査員が実際に食べて評価したのだそうです。妻有そばは最も推薦が多く、審査員の全員一致で1位に決まったそうです。食の好みは多様ですが、まあ蕎麦好きな人たちが選んだのですから、それなりでしょう。日本蕎麦保存会のウェブサイトでは、そば乾麺をおいしくゆでる方法も紹介されています。片山氏は「乾麺は手打ちそばより風味が劣ると言われてきたが、正しいゆで方をすれば遜色ないほどおいしいものもある。感染防止で遠くのそば屋に出掛けにくい状況だが、自宅でそばを楽しんでほしい」と言っているそうです。

妻有(つまり)そば

 387『干しそば』(2020年8月9日)の中で「さてどの蕎麦が美味しかったか?結論から言えば価格と美味しさは比例するということが分かりました」と書きましたが、妻有そばも干しそばの中では高価なほうです。「十割そば」などと称して売られている干しそばなどと同等です。コスパから言えば岩手・戸田久のそばがおすすめですが、干しそば選びは値段で決められるというのは、そば好きにとっては嬉しいことです。

■ 埼玉県のおいしいそば屋・・・浅野屋(ふじみ野市)
 ところで、日本蕎麦保存会のホームページを見ると、「おいしいそば屋の食べ歩きレポート」というコーナーがあり、「埼玉県のおいしいそば屋」を検索してみると、「葉乃井」さんというレポータが、ふじみ野市の「浅野屋のそば」を紹介していました。こだわりそば粉の店で、かき玉蕎麦を頂いたというものです。これは納得です。浅野屋はふじみ野市でも知る人ぞ知る店、市役所のHPでも紹介されています。駅から遠いけれど、文京学院大学キャンパスから近く、最近PCR検査で一躍有名になったふじみ野救急クリニックにも近いところです。
レポートはコチラ  https://nihon-soba.jp/tabearuki/kanto/saitama/2019/08/08/5235/
 「浅野屋」の息子さん3人は我が少年野球チームで活躍しました。皆様ごひいきお願いします。ちなみに同業の「松栄庵」の息子さんたちは我がチームのコーチでもあり、溜まり場になっています。こちらもよろしくお願いします。

■ サッカー&野球日本一・・・共通するのは?
 11月25日、サッカーJ1では川崎フロンターレが優勝、プロ野球NPBではソフトバンクが優勝しました。この二つの優勝には、実は共通点があるように見えます。どちらも圧倒的な強さを発揮しましたが、もともとはそんなすごいチームではなかったのです。それがどうしてこんなに強くなったのか?フロントの姿勢、監督、チームを支えるサポーター、いろいろな側面があるでしょう。プレーするのは選手たちです。スターがゴロゴロ居るから強い?そうではありません。少年野球でもそうですが、選手がやる気になって頑張る姿勢の差がチームの強さの源泉です。同じような能力の選手でも、スポーツは気力によって結果に差が出ます。そしてそれを引き出すチームカラーと指導者の差、今回の二つの優勝はそれをものの見事に示してくれました。

■ 川崎フロンターレの場合
 川崎フロンターレは2位のガンバ大阪に5-0で勝ち、2年ぶり3回目の優勝を決めました。4試合を残しての優勝はJ1で史上最速だそうです。そもそも2位のチームを圧倒する5-0というスコアはサッカーではスゴイこと。強さを支えたのは強力な攻撃陣による得点力です。年間の勝ち点、勝ち数ともにJ1では歴代最多です。そしてチームを支えた要因が選手層の厚さです。「結果を出さなければ試合に出られない」・・・ヒーローになった選手からたびたび聞かれるこうした“危機感”がポジション争いの厳しさを物語るとともに選手の原動力になっています。2017年の就任以降、フロンターレを2回のリーグ優勝に導いている鬼木監督の存在も大きいでしょう。元々は鹿島から移籍した選手でした。しかし、今シーズンで引退する”レジェンド”中村憲剛選手の貢献も大きいと見ます。彼は大卒で入団し、川崎一筋でこのチームをJ1に昇格させ引っ張ってきました。サッカー界ではジュニアの頃から活躍して大学など行かずにプレーする選手のほうがスターです。あらゆるスポーツの中で最も走り回るサッカーは、若くてスタミナがなければ勤まらないからです。そしてフォワードには手っ取り早く有力な外国人選手を引っ張って来る、おカネに見合わなければ変えれば良い、という傾向です。元は富士通サッカー部のフロンターレは、他のチームが採らない大卒の選手などを入団させ、選手を競わせてジワジワと強くなってきました。強くなってくるとあこがれて門を叩く選手も増えてきます。前線に球を供給して冷静に試合を組み立てる中村憲剛選手の存在は、フロンターレを象徴するものでした。スター選手でも結果を出さなければ使ってもらえない、普段控えでもチャンスに活躍すれば使ってもらえる、選手が目の色変えて頑張るチームの強さを、いつも陰で支えるのが中村憲剛でした。

■ 福岡ソフトバンクホークスの場合
 プロ野球日本シリーズは今年も福岡ソフトバンクホークスが昨年に続き4勝0敗で巨人を圧倒して優勝しました。戦前からソフトバンクが強いとは言われていましたが、菅野を擁する巨人がまさか1勝もできないなんてことはないだろうとも言われていました。しかし筆者はおそらくソフトバンク圧勝だろうと思っていました。何故なら、ここ一番の勝負強さが際立っているからです。工藤公康が監督就任した2015年以降、優勝しなかったのは2016年だけです。この年は日本ハムファイターズ(栗山英樹監督)が優勝しました。圧巻だったのは、2018年と2019年の2年連続リーグ優勝の埼玉西武ライオンズ(辻 発彦監督)からCSで優勝をもぎ取った強さです。決戦にピークを持って来れる工藤采配が光りました。打撃は水物ですが、投手力は本物、測れるものです。どんな良いバッターでも好投手は打てません。もう一つ・・・チームの団結力、チームワークは、団体競技の基本です。スゴイ選手が揃っていても、オレがオレがというチームはここ一番で弱小に見えるチームに負けることがあるというのが野球です。流れに乗ってワッショイという雰囲気を作れば、強いチームにも勝てるのです。ソフトバンクが、稀にみる強力打線の西武に勝てたのはこれが理由でした。
 今回の日本シリーズで、野球好きの人なら、両チームの差がよく見えたでしょう。守っている時でもソフトバンクの選手たちはよく声が出ていました。投手がピンチになると内野手が声をかけて励ます、当たり前のようですが、ソフトバンクの選手たちは自分たちで考え、自分たちで行動することができる集団でした。この姿を生むチームの空気を作ったのは、巨人、ダイエー・ソフトバンクで監督を歴任し、現在は福岡ソフトバンクホークス取締役会長である王貞治(国民栄誉賞受賞者第一号)であり、工藤公康監督でしょう。巨人でも坂本勇人選手などはこれができますが、ソフトバンクの37歳の大ベテラン・松田宣浩選手が打率が低くても工藤監督が使い続けるのは、内野の要でチーム一のムードメーカーだからです。常に投手を気遣い、ここぞの場面で打つ勝負強さ、監督から見ればこんな頼もしい選手はいません。どうでもいい場面で打たなくとも、ここぞの場面で仕事してくれる、監督があれこれ言わずともチームをまとめてくれます。第3戦で、ソフトバンクが巨人に大差をつけているにもかかわらず長谷川勇也外野手(35)を代打で出したところにも工藤監督の意思を感じました。このベテランは、セカンドの右を抜けるかと思われる強烈なゴロを放ち、吉川のファインプレーで間一髪アウトになりましたが、一塁にヘッドスライディングして、アウトコールを確認すると、その場で地面を叩いて悔しがった姿・・・これがソフトバンクなのです。

■ ソフトバンクホークスの強さの源泉
 この10年でプロ野球日本シリーズではソフトバンクが7回(工藤公康監督5回、秋山幸二監督2回)、日本ハムファイターズ1回(栗山英樹監督)、楽天ゴールデンイーグルス1回(星野仙一監督)、読売ジャイアンツ1回(原 辰徳監督)が優勝、実にパ・リーグが9割です。人気のセ、実力のパと言われて久しいですが、筆者の周りでは今やパ・リーグのファンが多くなりました。やはり強いというのは人を惹きつけるのです。古い世代では大鵬、玉子焼きと並んで巨人が好きだったという人もいますが、それはもはや哀愁ララバイです。パ・リーグの強さの源泉はDH(指名打者)制だと言われています。息の抜けない打線を相手にするには、強力なピッチャーが必要です。今回の日本シリーズでもソフトバンクは150km超、160kmに迫る球速のピッチャーが次々出てきて、巨人の打者はキリキリ舞いでした。加えて、捕手の差、甲斐の肩、周東の足・・・投手力、打撃力、走力、チーム力、すべての面でソフトバンクが圧倒していました。名監督は、まず名捕手を作ると言われています。それは、投手を生かすこと、助けることのほかに、チーム内で唯一全員を眺めて指示できる存在だからです。
 巨人は日本シリーズが始まる前、速球投手対策を重点的に練習していました。相手のことがよく分かっていたからです。それでも始まってみると、蛇ににらまれた蛙みたいでした。この圧倒的な差、ベンチは無力感を感じたでしょう。ソフトバンクは工藤監督みたいに入団前から華々しく活躍した選手ではなく、育成選手が力を発揮しています。ひところの広島東洋カープみたいですね。「結果を出さなければ試合に出られない」、逆に言えば誰にでもチャンスがある、そうした必死の姿勢を評価することで選手自身が成長する、そういう雰囲気を作り出したのが工藤ソフトバンクであり、王貞治という人の凄さでしょう。

■ 工藤公康の頑張り
 決戦での投手起用は福岡ソフトバンクホークス第20代監督工藤公康ならではのものです。高卒後、西武に入団当時は生意気な選手で、広岡監督がその鼻っ柱を折るために米国のマイナーに送り込みました。そのお蔭もあって現役時代は14度の優勝、11度の日本一を経験しました。西武、ダイエー、巨人の3球団で日本シリーズを制覇し、優勝請負人と呼ばれもしましたが、どんな球団でも呼ばれれば頑張るというのは、マイナーで見た米国球界の厳しさ、「結果を出さなければ試合に出られない」・・・こうした“危機感”を持って必死に頑張る姿から学んだものでした。ここがお坊ちゃまの巨人一筋・原監督との違いです。工藤公康という野球選手は、高校野球では強豪揃いの愛知県で新興チームだった愛工大名電を一躍有名にする活躍を見せました。2歳のときに父親が離婚、その後再婚して継母のもとで育ちましたが、7人家族の貧しい家庭で高校にも行けないような状況でした。巨人ファンの父親のもと、好きでなかった野球の能力を学校の先生に認められ、結局高校から引っ張られる形で愛工大名電に入ったのです。愛知県で巨人ファン?という父親は実は大変なんですよ。広島や大阪、名古屋で巨人ファンなんて言ったら石をぶつけられかねません。当地では野球の話はタブーなのです。工藤投手は甲子園での大活躍でドラフト会議の目玉になりましたが、父親は指名挨拶してきた9球団に「指名お断り」の文書を発送し、社会人野球の熊谷組に入団させる意向でした。しかし西武の根本睦夫管理部長がドラフト会議で6位で強行指名し、スッタモンダの大騒ぎの末西武に入団しました。契約金、年棒提示がドラフト1位より高かったというところに西武の球団意思を感じますね。指名しても無駄と思われる選手を最初はスルーして、ドラフトの最後の最後に指名したのは根本マジックと言われましたが、実は工藤指名に消極的な根本氏に対し、工藤が西武に入団する1982年に監督就任することになっていた広岡達朗氏が強く推薦したのだそうです。金田正一氏を尊敬していた工藤公康は投打に活躍しました。西武で1982〜1994年の13年、ダイエーで1995〜1999年の5年、巨人で2000〜2006年の7年、横浜で2007〜2009年の3年、2010年には古巣の西武に戻り、29年数々の大記録を打ち立てながら、戦力外通告されても引退せず、使ってくれるところならどこでも行くという姿勢で頑張りました。これだけ華々しい記録をたくさん持つのならいさぎよく引退しても良さそうなのに、地面にはいつくばってもトレーニングを続け頑張る姿は感動的でした。そういう監督を頂く選手たちは、松田宣浩や長谷川勇也のように、いかにベテランと言われようと頑張るのでしょう。和田毅投手がいまだに頑張って結果を出しているのも同様です。今期限りで退団する内川聖一(38)も、他へ行ってもまだまだ頑張ると言うのではないでしょうか。
 工藤公康の長男は俳優の工藤阿須加、長女はプロゴルファーの工藤遥加です。子どもたちも活躍しているのは父親の背中を見てきたからでしょう。球団を渡り歩いた時も、まずは家族に相談して決めたそうです。そして監督になって初めて優勝した時、まず夫婦で挨拶に行ったのは広岡達朗氏だったそうです。恩義を感じていたからでしょうが、こういうところにも工藤公康という人の人間性を感じますね。
(2020年11月29日)


次回へ    前回へ    最新ページへ    つぶやき最終回