399  PC更新と歴史考察

 前回は「箱根V」に割り込んで、急遽紅葉を見に行こうと思い立って『GoTo那須』の那須旅を紹介しました。そして最後に「次回は「箱根V」を紹介します」と書いたのに、またまたそれは先延ばし、2回連続で申し訳ございません。実はこのESSAYの更新が遅れているのは、デスクトップパソコンがプッツンしたからです。なんとか直そうと悪戦苦闘した結果、更新が遅れたのです。急に寒くなりました。もう暖房が必要かと思うくらい、それもそのはず、11月7日(土)は「立冬」です。

■ パソコンのSSDが故障
 筆者はデスクトップPC1台、ノートPC3台持ってます。ノートPCはパナソニックのレッツノート(WINXp)、富士通のFMVライフブック(WIN7)、東芝のDynabook(WIN10)です。レッツノートはもう使ってなくて、重いDynabookは液晶が不調になり、キーボードも一部不良となったので、大きい液晶ディスプレイとUSBキーボードを外付けして食卓に置いて使っています。普通の人なら故障したと思ってあきらめるでしょうが、筆者はパソコンオタクなので、命尽きるまで使ってやろうとしているわけです。軽いライフブックは外出時の携帯用です。ところがノートPCはいずれもハードディスクタイプなのでスピードが遅く、普段のホームページ作業は専ら書斎のデスクトップPC(HP Compaq dc5700 Small Form Factor)で行っていました。コンパックは一時世界最大のPCメーカーでしたが、その後ヒューレットパッカードに身売りしました。CPUはCore2DUO E4400 2.0GHzです。メモリ2GB、HDD(ハードディスクドライブ)80GBが付いていましたが、メモリを増設して4GBにして、HDDはデータドライブにして、東芝製SSD(ソリッドステートディスク)120GBを秋葉原”ドスパラ”で¥7,970で買ってきて、ディスクパーティションをやり直し、OSをインストールし直しました。それが2012年11月のことです。したがってもう8年使っています。ただしコンピュータ本体は中古品で、2007年末のリリース版ですからもう13年、壊れて当然ですが、通常PCが壊れるのはほぼ電源ユニットです。壊れたら交換すれば良い、この辺りはこちらは専門家です。プッツンした原因を確かめようと、KNOPPIX(クノーピクス;一枚のCD/DVD/USBメモリなどのリムーバブルメディアから起動できるLinuxディストリビューション)を立ち上げて調べたら、システムディスク(Cドライブ;Windowsとアプリケーションソフト収納)に使っているSSDがありません。Dドライブに割り当てたデータディスク(SATAハードディスク80GB)は見えます。当然ながらBIOSでも認識されなくなりました。SSD故障原因を追究して、治るようならディスクフォーマットしてOS再インストールすればよいのでしょうが、とりあえずの作業が沢山あるので、ノートPCで作業していましたが、ハードディスクなのでその遅いこと・・・この際買い換えようと思いました。


我が家の近くの街路樹がきれいに紅葉しています

■ 秋葉原・芳林公園と昌平小学校
 11月4日(水)秋葉原に出かけました。驚いたのは、電気街がまだ寝静まっていたことです。10時ちょっと前に着き、10時には店が開店しているだろうと思ったらまだシャッター街です。しょうがなくて昌平小学校隣の芳林(ほうりん)公園で一休みしながら待つか、と思ったら、なんと!午前中は子どもたち専用で、親子連れは昌平小学校で受付して、小学校の2階から道路をまたいで公園へつながる陸橋を降りて利用するそうで、周囲をぐるっと鉄格子で囲まれて門は施錠されています。子どもたちの安全確保のため千代田区がそこまでやらなければならない地域、時代なんですね。そして門の前に小さな建物があって、サラリーマンが行列しています。なんだろう?と思ったら喫煙所で、同時に5人か6人しか入れないとのこと。これまたCOVID-19対策でしょう。よくパーティションで囲まれて上は開放の喫煙コーナーは見かけますが、屋外設置密室タイプです。強力な除塵機能付き排気ファンが設置されているのでしょう。千代田区はいち早く路上喫煙を全面禁止しました。秋葉原で煙草を吸う人を見かけなくなったのは、もうずいぶん前のことです。それにしてもここまでして煙草を吸わなければならない人たち、仕事はどうするの?タバコ休憩の時間分サービス残業でもするのでしょうか?しばらく秋葉原に行っていない間に世の中が変わりました。そういえばコスプレ少女も減った感じです。
 
昌平小学校から、手前の芳林公園に降りる陸橋が見えますね。小学校校舎の正式名称は「昌平童夢館」と言い、千代田区の複合施設で、小学校、幼稚園、神田児童館、まちかど図書館、温水プール等で構成されています。屋上は開閉屋根付きの校庭だそうです 芳林公園の前の建物前に八重咲のオレンジ色の花がたくさん吊り下がって咲いています。下向きに咲いていて、葉の形状からアブチロンだなと思いました。釣鐘状の花が咲くのはチロリアンランプですが、これは高木なのでアプリコットかなと思います。アブチロンはフヨウ科イチビ属でいろいろな種類があります(右上に監視カメラがあります)

■ 上野戦争と末広町の名前の由来
 昌平小学校の辺りは千代田区外神田三丁目です。ここで歴史に触れましょう。慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が新政府軍に敗れると、徳川慶喜は大坂城を脱出して江戸の上野寛永寺大滋院にて謹慎し、新政府軍は東征軍を江戸へ向かって進軍させました。江戸城では主戦派の小栗上野介忠順や榎本武揚らと、ここはもう錦の御旗を掲げた薩長主体の新政府軍(官軍)に逆らうべきではないとする恭順派が対立しますが、慶応4年3月13日(1868年4月5日)に新政府軍の東征大総督府参謀である薩摩藩の西郷隆盛と、旧幕府陸軍総裁の勝海舟が会談し、江戸城無血開城を決めました。これに納得せず抗戦を主張する幕臣や一橋家家臣の渋沢成一郎、天野八郎らは彰義隊を結成しました。旧新選組の残党などを加えて徳川家菩提寺である上野の寛永寺(現在の上野公園内東京国立博物館)に集結した彰義隊ら旧幕府軍に対し、薩摩藩、長州藩、佐賀藩の新政府軍の間で行われた戦いが勃発・・・戊辰戦争の戦闘の1つである上野戦争;慶応4年5月15日(1868年7月4日)です。新政府軍は長州藩の大村益次郎が指揮しました。このとき新政府軍は今の外神田三丁目に集結しました。雨天の中、朝早くから行われた戦闘は、アームストロング砲などの大砲をぶっ放し、スピンドル銃などの新式の装備の新政府軍が圧倒し、夕方には戦闘は終結、彰義隊は一部残党が逃走しましたが、ほぼ壊滅状態となりました。秋葉原電気街は外神田一丁目から末広町にかけてですが、末広町という名前は、上野戦争で焦土と化したこの地域が、今後末永く平和で安泰な土地でありますようにと、明治になって名付けられたそうです。

■ 小栗上野介
 上記のように小栗上野介忠順は徳川慶喜の恭順に反対し、薩長への主戦論を唱えましたが容れられず、慶応4年(1868年)に罷免されて領地である上野国群馬郡権田村(現在の群馬県高崎市倉渕町権田)に隠遁しましたが、2ヶ月後に、薩長軍から追討令が出され、武装解除に応じ、自身の養子をその証人として差し出したのに逮捕され、翌日、家来3人と共に烏川の河原で斬首されました。養子又一も翌日同行の家来と共に高崎城内で斬首されました。小栗は自分の意見が通らず、罷免されたとき、周囲が小栗を総大将として戦おうと懇願したにもかかわらず、隠遁して農業にいそしみながら余生を送ろうと決めて、振り切って倉渕へ来たのです。しかし新政府は小栗の能力を恐れ、問答無用で抹殺すべしとしました。小栗の無念は察して余りあります。このあたりの話については158『小栗上野介』(2016年3月19日)をご覧ください。倉渕川浦温泉という、皆様聞いたことが無いと思われる温泉のことも紹介しています。

「道の駅くらぶち小栗の里」では2016年3月に小栗上野介展が行われていました

■ デスクトップパソコンの更新
 話を戻して秋葉原でパソコンショップを回り、デスクトップパソコンを探し回った結果、1万6千歩も歩いてしまいました。前記のように秋葉原は随所で様変わりしていました。以前は食事をする店は少なかったのですが、今やどんどん増えています。ただ「キッチンジロー」は閉店してしまいました。秋葉原という街の様変わりを示しています。AKB48に代表されるアミューズメントの街への変化が、食べ物屋の増加の背景にあるのでしょう。結局購入したのは富士通のFMV/ESPRIMOです。CPUはCore i5 3.2GHz、主メモリ4GB、SSD128GBです。2010年発売ですから10年前の超古い代物です。ところが感動的に高速、Windows10はあっという間に立ち上がります。価格は?1万円ちょっとです。ちなみに購入した店で売っていたSSD128GBは¥2,800でした。ずいぶん下がったものです。新品パソコンを10数万円で購入すれば、おそらく一生ものでしょうが、それでは楽しみが減ります。壊れてこそ勇気百倍、HP Compaq dc5700もまだまだ使えますが、CPUの差はいかんともし難いところ、パナソニックのレッツノート同様結局使わないでしょう。次回こそ「箱根V」を紹介します。
(2020年11月6日)


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