395  鳴門海峡V

 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますが、今年は9月初めの台風10号を機に秋雨が降り続き、一気に最高気温が下がりました。しかし最低気温は23℃ぐらいが続きました。今年は、彼岸花の開花が遅く、しかも長く咲いています。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)はお彼岸の頃に咲いて、お彼岸が終わる頃には花も終わるというように、開花期間の短い花です。彼岸花は、なぜ春ではなく秋に咲くのでしょうか?他の植物が枯れ始める9月に咲くことで、太陽の光を十分に受けることができ沢山子孫を残せるからと考えられます。花芽分化および雌ずい形成までの発育適温は25〜30℃付近で、雌ずい形成期に達すると、それまでの発育を促した高温(25〜30℃)ではかえって発育が抑制され、適温は20℃付近に低下します。すなわち、最低気温が20℃前後まで下がってくるとスイッチが入り、地中の球根から花茎が30cm〜50cmまで一気に伸び花を咲かせるのです。植物の開花はこのようにメカニズムが有り、これを利用して人工気象室のような空間で日照や温度をコントロールして、季節はずれの花を咲かせることも出来ます。


川越街道(国道254号)中央分離帯の赤・白曼珠沙華

埼玉県新座市営墓園の黒目川斜面に群生するキツネノカミソリ

ところで埼玉県では、キツネノカミソリのことを彼岸花と言うところもあるようです。これもヒガンバナ科の植物です。128『キツネノカミソリ』(2015年8月22日)で紹介しました。ヒガンバナ科の植物はアマリリス、クンシラン、スイセン、ゼフィランサス、ネリネ、リコリスなどたくさんあるようです。

■ 埼玉県秋季高校野球大会
 埼玉県秋季高等学校野球大会も日程が相次ぎ順延、そんな中我が少年野球チーム出身の先輩たちが今年も活躍して嬉しい限りです。大井ウエスト出身の選手が大活躍して準優勝した志木市の細田学園高等学校野球部のことを紹介しています→クリック。夏準優勝の昌平高等学校(杉戸町)野球部が、3年生引退した秋は優勝、これまで花咲徳栄、浦和学院、春日部共栄、聖望学園などの私学四強中心に展開されてきた埼玉県高校球界も様変わりして戦国時代が訪れつつあります。我が少年野球チーム出身の先輩たちが、前記四強のほか狭山ヶ丘、狭山清陵、山村学園、山村国際、星野、市立川越、川越工、埼玉平成、所沢中央、所沢北、ふじみ野、富士見、朝霞、武蔵越生、西武文理、松山、秀明英光などで活躍してきました。

■ 鳴門海峡じっくりステイ3日目の目的は大塚国際美術館
 「GoToトラベル」で鳴門海峡じっくりステイ、オーシャンビューのリゾートホテル三泊四日フリータイム、「アオアヲナルトリゾート」3日目は大塚国際美術館まで歩いて行き、その展示を鑑賞することがテーマでした。なぜ歩いて行くかと言いますと、ネットで伍代夏子の『鳴門海峡』の歌碑があることを知ったからです。前日に「うずしお観潮船」わんだーなると下船後、大塚国際美術館まで歩いて行って、「大塚国際美術館前」というバス停から乗車して→「千鳥ヶ浜」→「網干島」→「大毛海岸通り」→「アオアヲナルトリゾート前」で降りましたが、「網干島」バス停を通過するときチラッと黒くて大きい石碑が見えました。あれが多分歌碑だな、バスに乗った経験から、多分大塚国際美術館まで歩いても大した距離じゃないことは分かりましたから、それなら歌碑見物がてら歩いて行くことにしました。「アオアヲナルトリゾート」にはレンタサイクルも有り、連泊客は無料なのですが、人気があってすぐ無くなるのです。

■ 伍代夏子の『鳴門海峡』の歌碑
 「アオアヲナルトリゾート」から北東方向に海岸沿いを歩いて行きました。途中「鳴門グランドホテル海月」という、これも立派なホテルがありました。小さなプールでお父さんが子どもを泳がせていました。鳴門海峡を望む網干休憩所(鳴門市鳴門町土佐泊浦)に、歌手の伍代夏子さん(公式HP)のヒット曲『鳴門海峡』の歌碑があります。歌碑は黒御影石製で、高さ130p、横幅200p、厚さ15p。鳴門の渦潮の上に架かる大鳴門橋をイメージしたデザインで、歌碑脇のボタンを押すと、『鳴門海峡』の楽曲が内蔵スピーカーから流れる仕組みとなっています。これが随分と大音量で、歌いましたよ!大声で


伍代夏子さんのヒット曲『鳴門海峡』の歌碑(筆者撮影…石に姿が写ってますね)

伍代夏子さん

■ 網干島から大鳴門橋や大塚国際美術館展望
 網干休憩所から道路を挟んで向かい側は紀伊水道に張り出した岬で、網干島という地名ですが、島ではありません。そもそもこの一帯は「大毛島」という島で、その西に島田島という島があります。そして鳴門海峡を挟んで淡路島があるわけです。

網干島から北北東を望むと、鳴門海峡に架かる大鳴門橋が見えます(筆者撮影)
大鳴門橋の左側が鳴門山でここに鳴門公園や展望台がありバードウォッチングの名所です
その左側、山の上に白く見えるのが大塚国際美術館の2Fで、その左下に中国風の「潮騒荘」が見えます
 鳴門山一帯は鳴門公園になっています。突端には孫崎灯台があります。展望台は各所に有りますが、中でも鳴門山展望台は前回紹介したようにバードウォッチングの名所です。高速バスの停留所が有り、京都などから神戸〜淡路島経由高速バスが走っています。山の上の突端に「ベイリゾートホテル鳴門海月」という立派なホテルがあります。「大鳴門橋架橋記念館エディ」があり、「大鳴門橋渦の道」を歩いて、橋の上から、鳴門のうず潮を見ることができます。くねくねと坂道の道路を下ると亀浦漁港があり、釣り船の店やうず潮汽船の船着場があります。その先の「亀浦口」というバス停の先に信号機のある三叉路があって、右が大塚国際美術館の駐車場経由鳴門観光港方面、左に行くと右側に「亀浦神社」という一風変わった神社があり、山を巻いて左側が大塚国際美術館入口です。道路を挟んで向かい側に、一面の芝生の上に建つ中国風の「大塚 潮騒荘」という立派な建物があります。


■ 大塚 潮騒荘
 美術館の目の前に、大塚グループの「潮騒荘」があります。社員のための福利厚生施設だそうですが、30億円を投じた荘厳な建築物は、明らかにその域を超えていて、実際は要人を招くゲストハウスとして使われていて、天皇陛下が訪れたこともあるそうです。

大塚 潮騒荘の門↑ その奥にある中国風の本館↓


■ 大塚国際美術館
 大塚国際美術館は「大塚グループ創立七十五周年記念事業」として、四百億円もの巨費を投じて1998年3月21日にオープンしました。1000点にも及ぶ世界の名画を、全て陶板にして、しかも原寸大で描いた作品を展示しています。日本一入場料の高い美術館と言われています。¥3,300ですが、「アオアヲナルトリゾート」の券売機で前売り券を¥3,150で買いました。一山くりぬいてというか、自然景観を残しながらの建物なので、山頂部にチョコット見えるのが地上2Fで、ほとんどが山の中です。建物としては地下5階地上3階だそうです。


大塚国際美術館入口

■ B3F;古代から中世へ・・・「システィーナ礼拝堂」に圧倒され・・・
 正面玄関から長さ41mの急な階段とエスカレータがあり、エスカレーターを昇って降りるとエントランスホール(地下3階)です。知り合いが「本気で見るなら1日がかりだよ」と言ってましたが、「アオアヲナルトリゾート」に置いてあったパンフレットでは、B3Fから2Fまで順路通りに鑑賞すると4kmもあるけれど、時間が無い人のためのモデルコースなら1時間20分で見れる、と書いてあります。それなら3時間あれば十分だろうと思って出かけました・・・これが甘かった。
 入場したのは13時半過ぎ、エントランスホールから上に上がるにしたがって古代から現代に向かって行く、と案内板に書いてあります。古くは古代ポンペイの壁画から、ロマネスク絵画、バロックのレンブラント、ゴヤ、近代のルノワール、ゴッホ、現代のクレー、ピカソまで揃っています。エントランスホールの目の前はシスティーナホールで「システィーナ礼拝堂」・・・全て陶板で作られており、すごいの一言です。2018年12月31日、第69回NHK紅白歌合戦で米津玄師がこの場所で「Lemon]を歌ったことで一躍有名になりましたね。


システィーナ礼拝堂(筆者撮影)

 システィーナ礼拝堂などは“環境展示”といって、古代遺跡や礼拝堂の壁画を空間ごとそのまま再現する展示ですが、現地そのままの圧倒的なスケールに唖然とします。天井には旧約聖書の創世記を題材にした場面が描かれています。壁画には最後の審判が・・・ここだけでえらく時間がかかりました・・・先は長いです。なお「システィーナ礼拝堂」は地下2階からも見ることが出来ます。現地にはありませんが、小窓があって地下3階からの眺めと違って、天井画が目の前に見えます。
 地下3階は礼拝堂と聖堂が多く、「聖マルタン聖堂の壁画」、「聖ニコラオス・ファノス聖堂」、「エル・グレコの大祭壇衝立画」復元・・・中央上には「キリストの磔刑」、その左下は「キリストの復活」と金でできている見事な陶板です。「皇帝 ユスティニアヌスと随臣たち」、イタリアのポンペイ遺跡「秘儀の間」、「星占い師の墓」、「貝殻のヴィーナス」、「アレキサンダー・モザイク」、そして「スクロヴェーニ礼拝堂」・・・左右の壁面に「聖母マリアの生涯」と「イエスの生涯」が描かれています。そして「聖テオドール聖堂」、「わが唯一の望みの」・・・モデルコースでは地下3階で25分ですが、もはや1時間を悠に越えています。


エル・グレコの大祭壇衝立画(筆者撮影)

スクロヴェーニ礼拝堂(筆者撮影)

■ B2F;ルネサンス・バロック
 ラファエッロの「アテネの学堂」、ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」修復前と修復後、同じく「モナ・リザ」、レンブラントの「夜警」、ベラスケスの「ラス・メニーナス(女官たち)」、リューベンスの「キリスト昇架」、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」、そしてモネの「大睡蓮」がぐる〜っと壁画のように展開し、実際に池があって睡蓮の実物があります。いやはや、やることのスケールが違いますね。「最後の晩餐」の修復前と修復後を両方見られるというのは画期的です。そして陶板画なるが故に、千年経っても品質劣化しない絵が見られるというのはスゴイことですね。大塚オーミ陶業株式会社が開発した美術陶板は、大きなもので縦3メートル、横60センチの陶板に、世界各地の美術館で撮影してきた原画の写真を転写し、油絵独特の質感を再現するため、本職の画家が修整を加え、一千三百度の高温で焼成したものだそうです。最大の特徴は油絵やテンペラ画のように劣化しないこと。2000年たっても色が褪せることはないといわれます。200年後、300年後、世界の名画が色褪せたときに、世界中から美術愛好家が徳島に集まってくる、というのが、美術館を建設した初代館長大塚正士の構想でした。また、「徳島からヒトが流出しないように堰を作る」のも狙いだったそうで、まさしく地方創生、ふるさと創生の一大事業だったわけです。エライ!尊敬します。


レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」修復前(筆者撮影)

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」修復後(筆者撮影)

レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」(筆者撮影)

モネの「大睡蓮」がぐる〜っと壁画のように展開、奥に神戸淡路鳴門自動車道の高架が見えます(筆者撮影)

モネの「大睡蓮」の壁画の周囲には、実際に池があって睡蓮の実物があり、カフェになっています(筆者撮影)

■ B1F;バロック〜近代
 ゴヤの家「黒い絵」、ゴッホの「七つのヒマワリ」、ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」、マネ「笛を吹く少年」、ルノワール「セーヌ川の舟遊び」、ミレー「落ち穂拾い」、ミレイ「オフィーリア」、ダヴィッド「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠」、ムンクの「叫び」・・・あまり時間が無いので、ゆっくり見ていられません。しかし本当は一番ゆっくり見たいコーナーでした。ゴッホの「七つのヒマワリ」が一同に集まっているのはここしかありません。日本では本物の1枚が新宿のソンポ美術館にあります。


ゴッホの「七つのヒマワリ」がすべて一同に集まっています(筆者撮影)

ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」(筆者撮影)

ミレー「落ち穂拾い」

ムンクの「叫び」

マネ「笛を吹く少年」

■ 1F、2F;現代
 気がつけば閉館時間の17時が迫ってきました。もう駆け足です。シャガールコーナーやピカソの「ゲルニカ」、ストゥディオーロ、だまし絵コーナー、レンブラントの自画像など。1Fには庭園も有ります。


ピカソの「ゲルニカ」


■ 大塚国際美術館前からバスで「アオアヲナルトリゾート」へ帰着
 17時ギリギリまで大塚国際美術館に居て、外へ出たら雨でした。銀色の大型バスとマイクロバスが乗客を乗せて大塚国際美術館の駐車場へ次々に発車して行きます。「大塚国際美術館前」の路線バスのバス停にはさすがに乗客が列を成していますが、それでも10数人です。女性客ばっかりです。ちなみに大塚国際美術館の観客は圧倒的に若い人で、女性グループと若い男女(昔は”アベック”と言いました。今は”カップル”かな?)が多かった・・・コロナ禍で海外に新婚旅行に行けないので、こういうところに来ているのかもしれません。自分が老人であることを棚に上げて、大塚国際美術館やアオアヲナルトリゾートが若い人で溢れていたことは嬉しかった!若い男女が仲良さそうなのは嬉しいものです。「大塚国際美術館前」から乗車して前日同様→「千鳥ヶ浜」→「網干島」→「大毛海岸通り」ですが、今回は「アオアヲナルトリゾート前」まで行かないようにしようと思ったら、バスの運転手さんがやけに親切なアナウンスをする人で、「アオアヲナルトリゾートに行かれる方はこちらの大毛海岸通りのほうが近いですよ〜」とおっしゃる、ここで降りました。料金¥110です。「大毛海岸通り」バス停では結構ゾロゾロ降りました。やはり「アオアヲナルトリゾート」に泊まって大塚国際美術館を観るという人は多いようです。

「アオアヲナルトリゾート」北側入口前のホテルモニュメント

■ 徳島阿波おどり空港から羽田へ
 「GoToトラベル」で鳴門海峡じっくりステイ、オーシャンビューのリゾートホテル三泊四日フリータイム、「アオアヲナルトリゾート」の滞在を終えて、ホテルのバスで徳島阿波おどり空港まで送ってもらいました。やはり乗客は少数でした。前回来た時はここで徳島ラーメンを食べたのですが、なんと一時休業の張り紙が...お客様が少なかったのでしょう。これからはたして再開するのでしょうか。空港で徳島土産を買い込みました。この当時はまだ地域共通クーポン券がなかったのですが、今ならドッサリ買い物が出来て、多分宅急便のお世話になるでしょう。

徳島阿波おどり空港には鳴門のうず潮を背景に阿波踊りを踊る石像が...

■ 品川で途中下車
 京急で羽田から品川に来て、折角なので久し振りに秋田県のアンテナショップ「あきた美彩館」(ウィング高輪WEST-V1階)に立ち寄りました。帰りはざくろ坂を下って品川駅へ...結構な人出、コロナは大丈夫か?

■ パリの著名日本人シェフ;関根拓さん自殺、またしてもSNSで・・・
 パリの著名日本人シェフの関根拓さん39歳が2020年9月28日自殺したと関根さんのパートナーがインスタグラムで発表しました。うつ状態が続き、自殺したそうです。関根さんは早稲田大学政治経済学部を卒業後、語学留学や都内の有名フレンチレストランなどでの修業を経て、アラン・デュカスさんらの店で腕を磨き、2014年にパリ12区にレストラン「デルス」を開店、1品ごとにカクテルを付けるコースメニューが話題を呼び、有名なグルメガイド「フーディング」で、2016年の「ベストレストラン」に選ばれました。2019年には同じくパリに2店目となるアジア食堂「シュヴァル・ドール」をオープンし、「Fooding of Honor 2020」を受賞しました。
 関根さんは日本のテレビでもたびたび紹介されています。ネット上で、日本人の有名シェフが女性への性的暴行疑惑で訴えられるかもしれないと伝えられ、それがSNS上で拡散していたそうです。関根さんは事実無根と言い、闘う姿勢を見せていましたが、次第にうつの症状に陥って行ったようです。パートナーはインスタグラムで、メディアやSNSが「うそのうわさ」を広め、関根さんの「名声をおとしめた」と訴え、「うわさ話や匿名の証言、根拠のない主張は集団的な悪行だ」と指摘、「一部の人々、特にマスコミが関根氏の評判を台無しにした」と非難したそうです。疑惑を伝えた業界専門ウェブメディアのアタビュラは30日「死去は重大だ」としつつ、情報は確かだと主張したとのこと。インターネット上での誹謗中傷は、フランスでも社会問題となっていて、人種差別や憎悪をあおる書き込みなどがあった場合に、サイト運営者に削除を義務付ける法律が今年6月に施行されています。ただ関根さんは公的機関に訴えてはいなかったようです。
 こういうニュースを聞くたびに、前回取り上げた『言葉が負わせた傷は 刀が負わせた傷より深い』・・・が沁みて来ます。なんとかならないものでしょうか。ネット情報は8割フェイクと言われる中で、私達はどう対処すべきか...
(2020年10月4日)


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