381  石和

 東京都では緊急事態宣言解除後、2020年6月28日に最も多い60人の新型コロナウイルスの感染者が確認され、29日も新たに58人の感染が確認されました。都内の感染者は、4日連続で50人を超えています。都内では、20代30代の若い人が多くなっています。ホストクラブやキャバクラなど夜の歓楽街で働く従業員へのPCR検査を増やしている結果のようですが、従業員と客の感染が相次いでいて、東京都が注意を呼びかけています。東京都に引っ張られる形で、全国的にも感染者の増加傾向がみられるため、埼玉県の大野知事は、県内で新型コロナウイルスの感染者が増加していることなどを受けて、東京都内での飲食や繁華街への訪問を自粛するよう県民に求めました。

国内の新規発生状況


世界の新規発生状況
 Yahoo!ニュースから転載した上記グラフを見ても、世界では感染者数が依然として増加傾向が続いています。累計感染者数は6月29日で1千万人突破、死者数50万人突破しました。日本はこのところ増えてきてイヤな感じですが、まだ第2波とまでは言えないようで、東京が諸悪の根源、老人は東京には近付かないことを心がけるべきのようです。

■ 温泉自粛解除で石和温泉へ
 都道府県をまたぐ移動の自粛が解除されました。さて待ちに待った温泉、どこに行こうか?マイクロツーリズム、まずは近場で隣県にしよう・・・埼玉県は東京都、千葉県、茨城県、栃木県、群馬県、長野県、山梨県と県境を構成しています。つまり関東では神奈川県以外と接しているわけです。地図を見れば分かりますが、埼玉県は関東の中心なんですね。温泉と言えば定番は北方向、栃木か群馬ですが、今回は山梨県としました。久々の石和温泉です。ハイクラスの宿を探しているうちに「ホテルふじ別亭美峰」に目が留まり、予約しました。「リピーターが多く石和温泉最大級の大浴場が好評」というキャッチに惹かれたのと、口コミ高評価だったからです。和風の宿とのことです。

■ ルート決め
 旅は行く前の計画段階が実は一番楽しいのです。行き先の選択〜決定〜途中何処に寄るか〜目的地周辺の観光スポット調べ、まあいろいろありますが、今回は石和温泉から甲府・武田神社巡りを目指し、何度も行っているので、それ以外は行き当たりバッタリということにしました。
 車で行くのですが、ルート案内で調べると、最短時間経路は、関越自動車道川越ICを入り〜鶴ヶ島JCTで首都圏中央連絡自動車道(国道468号・略称:圏央道)に入り〜八王子JCTで中央自動車道に入り、大月JCT経由一宮御坂ICを出て(高速道路料金ETC3,220円)、笛吹市一宮町国分の御坂みち(国道137号)を金川沿いに進み、金川を渡り、笛吹川にかかる笛吹橋を渡ると「石和温泉郷東入口」の看板が有って、県道314号のさくら温泉通りを進むと到着、1時間45分(119 km)というルートです。しかしこれでは余りにも早過ぎるし、途中楽しむイトマも無い、高速道路を使わず一般道を行くか、と調べると、@国道411号経由3時間14分(117km)…狭山市〜入間市〜飯能市〜東京・青梅市〜奥多摩町から山梨・丹波山村〜甲州市〜山梨市〜笛吹市のルートA国道299号と国道140号経由3時間16分(130km)…狭山市〜飯能市〜秩父市〜雁坂トンネル(有料区間6,625m740円)〜山梨市〜笛吹市のルートB甲州街道/国道20号経由3時間33分(117km)…県道8号〜入間市宮寺で国道16号に入り、八王子市「大横町」で右折して甲州街道/国道20号に入り相模湖〜大月〜笹子〜笛吹市まで進み「石」で県道303号に入り県道314号〜さくら温泉通りのルートの3路線が出てきました。どのルートも過去何度も走って知り尽くしています。山越えなのでクネクネと山道を登って下って、運転手には疲れる道ですが、筆者のような・・・一般道は悠然と走るが山道になった途端ヒトが変わったみたいにタイヤを鳴らして走る・・・という人種には大変楽しい道なのです。助手席のヒトはまったく楽しくないとおっしゃいますが...今回は行きは最短区間の@奥多摩湖経由のルート、帰りはA雁坂トンネル経由のルートにしようと計画しました。

■ 出発→埼玉から東京都青梅市へ
 奥多摩湖経由のルートはまず国道16号を走り、 入間市鍵山で県道195号に入り、入間川沿いに走って飯能市民球場〜トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園〜駿河台大学〜八高線を越えて東京都青梅市に入り、このあたりではまだ川幅細い多摩川に突き当たったところが「軍畑駅入口」交差点、ここから多摩川沿いに青梅街道(国道411号)を西に走ります。沢井駅前に有名な小澤酒造があります。清酒澤乃井の蔵元ですね。酒蔵見学で観光バスが押し寄せて、ものすごく賑わうところです。しかしまだヒッソリしています。

■ 東京都奥多摩町から山越え→山梨県丹波山村へ
 JR青梅線と多摩川、青梅街道/国道411号がクネクネと並行して走ります。御嶽駅のあたりは蕎麦屋だらけです。川井〜古里〜鳩ノ巣〜白丸〜奥多摩で青梅線終点です。ここから北へ分岐すると有名な日原鍾乳洞です。蛇行する多摩川を、411号は四度橋で横切り、いよいよ奥多摩湖(小河内ダムの人造湖)に差し掛かります。湖畔をクネクネ走って、奥多摩湖と東京都に別れを告げたところが「鴨沢」です。埼玉・秩父の三峰から登って、東京都唯一の2千m峰・日本百名山「雲取山」に登って鴨沢に下山したときのことが懐かしく思い出されます。実は「雲取山」山頂は東京都奥多摩町と埼玉県秩父市と山梨県丹波山村の三県境なのです。「鴨沢」で山梨県丹波山村に入りました。
 山梨県に入ると「御祭」集落から丹波川が「大菩薩ライン」と名を変えた国道411号と並行して流れます。道は下りになります。間もなく丹波山村の中心地に到達、道の駅たばやまと丹波川の川向こうの「丹波山温泉のめこい湯」が見えてきます。いつもここで休憩します。毎度の事ながらツーリングのオートバイがたくさん停まっています。食堂でざるそばを食べました。すべてセルフサービス、店員とお客様が接触しないように配慮された「新しい日常」です。

道の駅たばやま

■ 秩父多摩甲斐国立公園の甲州市の山道走り大菩薩峠登山口へ
 さらに進んで大常木トンネルを潜り、一之瀬川を越えると甲州市に入ります。秩父多摩甲斐国立公園、鶏冠山(1716m)をぐるっと巻いて走る山道です。右手一之瀬川と柳沢川の合流点に名勝「花魁渕(おいらんぶち)」)があります。さらに山道を進むと左手に鶏冠山と黒川金山跡があります。このあたりはかつて塩山と言われた地域です。やがて柳沢峠茶屋があり、ここからすごい下り、二つの1回転道路を通ります。ぐるっと360度回りますから、当然トンネルを通ります。くねくねクネクネと道路が蛇行しながらグイグイと高度を下げます。ちょっと開けたところに出たところが「裂石」です。ここに大菩薩峠登山口バス停があります。
 昔、塩山駅からバスでここまで来て、日本百名山・大菩薩嶺(2057m)に登ったときのことを思い出しました。中里介山の長編時代小説『大菩薩峠』は、子どものころ映画で見ました。裂石のバス停で降りて、沢伝いに標高約1600mの上日川峠(ロッジ長兵衛)まで歩き、ここから福ちゃん荘〜富士見山荘〜緩斜面ダラダラと登って大菩薩峠〜親不知ノ頭〜賽ノ河原〜神部岩〜雷岩〜大菩薩嶺〜雷岩〜唐松尾根の急斜面下り〜福ちゃん荘〜上日川峠と帰ってきました。山頂の大菩薩嶺は針葉樹林の中で眺望は望めないうえに狭いので、見晴らしのいい雷岩〜大菩薩峠で休憩すると、ここからの富士山の眺望は絶景です。

大菩薩峠(1897m)

■ 甲州市塩山のフルーツロードを走り、勝沼に寄り道して目的地・笛吹市石和温泉へ
 「裂石」から重川沿いに国道411号「大菩薩ライン」を下り、フルーツロードを爽快に走ります。塩山千野から真南に走り、途中「一葉のみち」を越え、JR中央東線の線路を越えますが、その右手が塩山駅です。「さくらんぼ狩り」とか「甲州名物ほうとう」の看板やのぼりが目に付きますが、なんといってもここは葡萄の名所・勝沼です。マンズワイン勝沼ワイナリーを過ぎ、観光名所「ハーブ庭園旅日記勝沼庭園」に寄りました。バラが咲き誇り、アジサイ、ラベンダーが見事でした。ここでもお客様はわずかです。

 さて再び国道411号「大菩薩ライン」を進み、「等々力」交差点で右折、と言ってもこれが道なり国道411号なのですが、ロリアンワイン白百合醸造を右手に見て、日川沿いに真西へ進みます。日川高校前を通り、クランクに日川を左折〜右折して渡ります。笛吹川にぶち当たり、クランクに右折して笛吹川にかかる笛吹橋を渡ると「石和温泉郷東入口」の看板が有って、直進〜左折〜県道314号のさくら温泉通りを数百m進むと笛吹市石和町川中島192の目的地「ホテルふじ別亭美峰」に到着しました。かつての石和温泉の賑わいがウソのように車は少なく、人通りも無く、静まり返ったような有様に、昔のように戻ることは果たしてあるのだろうか?との思いを強くしました。

■ 笛吹市石和温泉ホテルふじの新しい接客
 この宿の売りは「リピーターが多く石和温泉最大級の大浴場が好評」とのことですが、予約したときにあらかじめ下記のことを了解してくださいと電話で告げられました。
 新型コロナウイルス感染症対策として、
  ●検温・・・お客様には、チェックイン時にアルコール消毒ならびにサーモグラフィーにて検温をさせていただきます
   検温の結果、37.5℃以上の発熱が確認された場合は、ご利用をお断りさせていただきます
  ●マスク着用・・・パブリックスペースではマスクの着用をお願い致します
  ●布団敷きについて・・・接触を減らすため、チェックイン前にお布団は敷かせていただきます

とのことでした。実際到着したら、サーモグラフィーがお出迎え、裏に回って「ウチのかな?」と見ましたが、違いました。筆者が過去勤務していた会社はサーモグラフィーでは日本の草分けの企業で、産業技術総合研究所と、この分野で密接に協力していました。さらに男のマネージャみたいなヒトがハンディタイプの非接触体温計でおでこの検温、手指消毒器「て・きれいき」で消毒してくださいと言われました。メーカーのサンデンはお得意様だったので、この器械の存在は知っていましたが、このホテルではあっちにもこっちにも置いてあり、この設備投資は大変だっただろうと思いました。

サンデンの手指消毒器「て・きれいき」
フロントでは女性の係員がマスクをしたうえにフェイスガード、更にデスク上には天井から透明フィルムがぶら下がっていて、手続き済ませた後、和服のおねえ様が部屋へ行くエレベータ前まで案内してくれましたが、案内はここまで、エレベータの中には入らず、ソーシャルディスタンスを確保し、接触を裂けるという徹底振りでした。

■ 笛吹市石和温泉ホテルふじの施設、料理、お風呂
 この宿は夏場はプールがあります。きれいな水が湛えられていました。
別亭美峰の客室は4階でした。部屋はとても広くて、外の景色を見下ろすときれいな石和温泉街が見渡せました。
 この宿の食事ルームは大部屋と小部屋があり、私達は下の写真の通り、小部屋のダイニングルームでした。和服の若そうな女性がマスクをしたうえにフェイスガードを着用して給仕してくれるのはなんとも異様でした。お酒のメニューを見て地酒を飲もうとして分量を聞いたら詳しく分からないようだったので、まあいいやと冷で別銘柄2本注文しました。春鶯囀(しゅんのうてん)と七賢(しちけん)です。来たのは二合瓶、2本では足りなくて、追加で谷桜(たにざくら)四合瓶1本注文しました。ずっと温泉自粛していて、酒は全く自粛していなかったのですが、この際景気良く、パ〜ッと行こう、と思ったのです。

ダイニングルームで夕食と朝食

夕食は大変おいしく頂きました
 実は朝食がすごく満足なものでしたが省略します。この宿の売りのお風呂は、真夜中の午前1時〜3時の間利用休止となって、男女入替になります。石和温泉の泉質はアルカリ性単純温泉…無色透明で無味無臭の、日本に一番多いタイプの温泉です。湧出温度は43.7℃で、pH8.8の美肌の湯です。その歴史は新しく、昭和36(1981)年、ブドウ畑で井戸の掘削中に毎分1200リットルの高熱温泉が噴き出て、たちまち周囲の河川に流れ、“青空温泉”として注目を集めました。平成14(2002)年にも新源泉が湧出し、日本でも有数の湧出量を誇る温泉となりました。現在は大型ホテルが立ち並び、山梨県下最大の温泉地へと成長し、「新日本観光地百選」全国3位にも選ばれました。

内風呂の大岩風呂「信玄」
 確かに最大級と言うだけあって広いお風呂でした。しかしお客様が少ないので、ほとんど占有状態、これも寂しいものです。内風呂は大岩風呂「信玄」と大庭園風呂「きんすい」です。COVID-19対策のため、残念ながらサウナは休止でした。露天風呂は「風林」と庭園風の「寿寿」です。

露天風呂「風林」

■ 桔梗信玄餅
 翌朝ホテルをチェックアウトして、すぐ近くの桔梗信玄餅の本社・工場に立ち寄りました。山梨みやげと言えば桔梗信玄餅と言われるくらい有名だからです。桔梗屋は明治の初めごろ、甲府柳町四丁目から桜町に至る横町にあり、「横町の桔梗屋」と呼ばれていたそうですが、戦後青沼一丁目の桔梗屋が甲府の本店となりました。昭和43(1968)年、桔梗信玄餅が大ヒットし、店舗をどんどん増やし、平成2(1990)年、笛吹市一宮町に本社・工場を移転、敷地内に「花菓亭一宮店」、「お菓子の美術館」、手打ちそばとほうとう「水琴茶堂」、「工場アウトレット 社員特価販売1/2」、甲州郷土料理の店「粋心亭」、「グリーンアウトレット1/2」を併設しています。この日は新型コロナウイルス感染症対策のため、食べるところはすべて休止、寂しい限りでした。信玄餅や他のお菓子をドッサリ買い込み、連れ合いが健康甘酒などを友達用に購入していました。

■ 友人宅へ突如訪問
 桔梗信玄餅の本社を出て、武田神社に向かう途中、ふと学生時代の友人宅に寄ろうと思い立ちました。何十年ぶりかですが、甲府市の青沼2丁目でFashion&Cosmeticsのお店を経営しているので、アポ無しでも大丈夫だろうと思ったのです。「いや〜久し振り!」と奥様ともども歓待してくれました。美味しい珈琲を入れてくれて、奥様手作りのケーキをご馳走になりました。突然の訪問なのに、さすが客商売、イヤな顔一つせずにもてなしてくれました。お昼を一緒にというのを断って、武田神社に向かいました。

■ 武田神社
 甲府の街はきれいに碁盤の目に整備されています。武田神社に向かってゆるやかな上り坂になっています。武田神社は甲斐の国の名将、武田信玄公をお祀りしている神社です。甲斐武田氏3代、信虎公・信玄公・勝頼公が60年余りにわたって国政を執った「躑躅が崎館跡(武田氏館跡)」に、大正8(1919)年に創建されました。境内には当時からの濠、土塁、石垣、古井戸等が残り、宝物殿があります。着いた途端雨が降り出して、傘を差しての見物となりました。名水姫の井戸の水は雨でパス、水琴窟の竹筒に耳を当てたら美しい音色に感動しました。鳥居の脇に「太宰治新婚の地・甲府」という観光案内ポスターがありました。

■ 太宰治の最初の自殺未遂、心中、結婚
 太宰治の生家・津島家は「金木の殿様」と言われ、津軽の名家中の名家です。太宰治は、津島家の六男、11人中10番目の子どもです。青森県北津軽郡金木村、後の金木町(現・五所川原市)は、吉幾三のふるさとでもあります。太宰治と言えば、頭は良い、身長175cmで当時の男性としては背が高く、ハンサムで、稀代のモテ男でしたが、何度も自殺未遂、心中を図ったり、薬物に身を投じたり、破滅的人生を送りながら、数々の傑作を世に残した小説家です。旧制弘前高等学校(現・弘前大学)在学中にも自殺を図り、弘前で芸者小山初代と知り合います。その後1930年東京帝国大学へ進み、小山初代を東京へ呼び寄せながら、実家から芸者との結婚を反対されます。それでも結婚したいと駄々こねて、津島家との分家除籍を条件に結婚を認められますが、これを機に銀座のバー「ホリウッド」の女給で18歳の田部シメ子と11月28日鎌倉・腰越の海で心中を図り、シメ子は死に、自分は生き残りました。その後1931年2月、初代と結婚します。1935年3月18日、鎌倉で首吊り自殺を図ります。入院中に鎮痛剤パビナールの注射を受け、以後依存症となります。学費未納のため9月30日付で大学を除籍となりました。1937年3月下旬、水上温泉で初代とカルモチン自殺未遂、6月には初代と離別しました。まさしくハチャメチャですね。

■ 石原美知子と結婚、東京大空襲に会って甲府に疎開〜空襲で石原家は全焼、津軽の津島家へ疎開して終戦
 1938年、井伏鱒二の紹介で山梨県甲府市出身の地質学者・石原初太郎の四女の石原美知子と見合いし、これまでの乱れた生活を反省、家庭を守る決意をします。昭和14(1939)年1月井伏鱒二の仲人により、美知子と結婚、8ヶ月の短い期間でしたが、甲府市御崎町(現・朝日5丁目)で新婚生活を送ったのだそうです。この新婚時代に、『富嶽百景』、『女生徒』、『新樹の言葉』などの作品を執筆しました。9月1日、東京府北多摩郡三鷹村下連雀に転居、精神的にも安定し『走れメロス』などの優れた短編を発表しました。作品はやっと川端康成にも認められ、原稿の依頼が急増しました。東京・三鷹へ移り住んだ後も、甲府市内の夫人の実家や、湯村温泉を度々訪れたそうです。1941年長女園子が誕生します。ちなみに園子が後に結婚した娘婿津島雄二は、青森県から衆議院議員11期、厚生大臣2期勤めました。この年、歌人太田静子と出会います。1945(昭和20)年3月10日、東京大空襲に遭い、美知子の実家の甲府に疎開、7月6日から7日にかけての甲府空襲で石原家は全焼、やっとのことで津軽の津島家へ疎開して終戦を迎えました。甲府空襲の体験を『薄明』に綴っています。太宰の過ごした甲府の街は戦災で焼けてしまいましたが、新婚時代を過ごした借家跡には、現在石碑が建てられています。

三鷹駅の踏み切りで太宰治

■ 流行作家となるも愛人と入水、妻を誰よりも愛していたのに...
 1946年4月長兄文治が衆議院議員となり、11月14日、太宰治は東京に戻り、1947年2月、神奈川県で太田静子と再会します。3月27日、美容師の山崎富栄と知り合います。4月には長兄文治が青森県知事となります。没落華族を描いた長編小説『斜陽』を『新潮』に連載します。11月には登場人物のモデルとなった太田静子との間に娘の太田治子が生まれ、太宰は認知します。12月15日、『斜陽』が単行本として出版されるとベストセラーになり、斜陽族が流行語となるなど流行作家となります。1948年(昭和23年)、『人間失格』『桜桃』などを書きあげます。この頃富栄は、太宰の愛人兼秘書のような存在になっていました。1948(昭和23)年6月13日、玉川上水で愛人の山崎富栄と入水、2人の遺体は6日後の6月19日、奇しくも太宰の誕生日に下流で発見されました。その後しばらくして太宰の9枚からなる遺書を遺族が公開し、その中では美知子宛に「誰よりも愛してゐました」としたためられていました。38歳、流行作家となっていた太宰治が本当に山崎富栄と心中したかったのか、引きずり込まれたのではないか?今でも謎とされています。

笛吹川フルーツ公園から甲府盆地を俯瞰、4月で桜満開、盆地一帯が桃色

■ 甲府から自宅に帰る
 予定では武田神社から笛吹市〜山梨市〜〜雁坂トンネル(有料区間6,625m740円)〜秩父市〜飯能市〜狭山市〜自宅のルートの予定でした。武田神社から真っ直ぐ南へ下り坂を走り、山梨大学前を通過、「武田」交差点で左折、山梨学院大学を右に見て、国道140号甲府山梨道路〜西関東連絡道路、素晴らしい道を走ります。このまま行くと雁坂トンネル有料道路に入ります。ここで「フルーツライン」との交差看板を見て気が変わりました。「フルーツライン」を北へ向かえば、笛吹川フルーツ公園です。左手の山の上、北面上れば「ほったらかし温泉」があります。161『ほったらかし温泉』(2016年4月9日)で紹介しました。北東には山梨市立岩手小学校があります。思い切って「鎮目ランプ」で降りて、反対側、東方向の中央自動車道勝沼ICへ向かいました。一面のぶどう園の間を縫うように走りました。雁坂みちから秩父越えでは時間がかかり過ぎると思い直したのです。中央自動車道勝沼ICから入り〜大月JCT経由八王子JCTで圏央道に入り、入間ICで降りました。高速料金ETC2,450円でした。入間ICの目の前には三井アウトレットパーク入間があって、コストコもあります。距離的には西武池袋線武蔵藤沢駅〜西武新宿線入曽駅の脇を通るのが近いのですが、多少大回りでも片側二車線の国道16号を通ったほうが時間的には速いはずだと考えて、国道16号「上奥富(中)」で右折、狭山・所沢線に入り、「堀兼神社(北)」で左折して帰って来ました。

ほったらかし温泉の「あっちの湯」から眺望する甲府盆地の夜景

■ シャンソン歌手の高木椋太さんが新型コロナウイルスによる感染症で死去
 ホテルふじ別亭美峰のホームページの「お知らせ」に高木椋太さんの訃報が載っていました。長年にわたりコンサートに出場していただいたことに感謝し、その死を悼んでのお知らせでした。これを見て「ああ〜そうか!」と思い出しました。COVID-19で有名人の訃報が相次いだ中、歌手は居ないなと思っていたら、ニュースで流れたので記憶にありました。7月4、5日に東京・NHKホールで開催予定だった音楽イベント「第58回パリ祭」は結局中止になりましたが、まだ中止が決まっていない5月5日時点で、事務局が公式フェイスブックに「訃報 高木椋太さん」と題して投稿・・・「今年のパリ祭に出演予定の高木椋太さんが、5月2日午後5時39分に入院先の川崎市内の病院で永眠されました。4月17日に58歳の誕生日を迎えたばかりでした」との報告でした。シャンソン歌手の高木椋太さんは4月1日に発熱し、6日に入院、7日に新型コロナウイルス陽性と診断されのだそうです。この投稿では更に「現在、葬儀の出来る状況にはありませんので、何れ『お別れの会』を開く予定です」として、2019年の「パリ祭」で高木さんが歌った「アヴェ・マリア」の動画も添付しました。「高木さんはこの歌を歌うために半年かけて髪を伸ばし、自ら衣装を縫い、何度も推敲した訳詞で、10名のコーラス隊を従えてNHKホールの舞台に立ちました。最後は『手を引きたまえ 主の御元へ Ave Maria Amen』と歌っています」と振り返り、高木さんが、大の動物好きで、自ら「高木動物園」と名付けて多くの動物を飼育していたことも紹介、「優しく温厚な人柄で、誰からも好かれていましたからきっと天国でも人気歌手として迎えられることでしょう。ご冥福をお祈りします」と締めくくっていました。
 なお、弟・正史さんが5月6日フジテレビの取材に対するコメントとして、高木さんがガン闘病中だったことを明かしました。10年ほど前にぼうこうがんを患い、いったんは克服したそうですが、今年1月に再発し、手術を受けていたとのこと。4月23日に亡くなった女優の岡江久美子さんも昨年末、初期の乳がんで手術を受けていて、放射線治療により免疫力が低下したことが重症化の原因と考えられるということで、あるいは同様のことだったのかもしれません。ご冥福をお祈りします...合掌

故高木椋太さん
■ エコパ再開
 ふじみ野市・三芳町環境センターから発生する熱エネルギーを利用した環境に優しい余熱利用施設「エコパ」が6月9日(火)から営業再開しました。しかし利用可能施設はお風呂のみ、男女各12名限り、バーデプール(健康増進用プール)やカラオケ、卓球、麻雀、諸室利用はダメ、レストランもメニュー絞り11時〜15時まででした。筆者は行きませんでした。
 6月23日(火)からはバーデプールも再開、9時〜20時台まで毎時00分から50分まで男女各15名限り、送迎バスは相変わらず運休です。入館時検温を実施、37.5℃以上の方は入館不可、入館時手指アルコール消毒、館内はマスク着用(お風呂・バーデプールは不要)、朝8時半から入場整理券を配り、入館時間5分前より受付、一定の間隔を保って並んで、休憩室では一定の間隔を保つ、以上の利用制限は段階的に解除していく予定とのことです。筆者は6月27日(土)から再デビューしました。
 不思議なことに女性はガラガラです。男も毎時15名制限を越えることはほとんど無いそうです。老人がほとんどなので感染が怖いのでしょう。
(2020年6月29日)


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