■ 桶川ストーカー事件から20年 10月26日で桶川ストーカー殺人事件から20年経ちました。ストーカー規制法が生まれるきっかけとなった事件ですが、まことにもってヒドイ事件でした。警察が把握したストーカー被害は5年連続で2万件を超え、いまも増え続けているそうです。 埼玉県桶川市のJR桶川駅西口の駅ビル前に、いまも誰かがそっと小さな花束を供えていきます。20年前、ストーカー被害を受けていた猪野詩織(いのしおり)さん(当時21)が、交際を断った男の仲間たちによって刺殺された場所です。筆者より1歳年下のお父さんは、某有名大企業の資材部長で、筆者の会社も取引先として大変お世話になっていました。娘が生きていたらもう孫が居たかもしれないと思うと、その無念さは計り知れません。 当時大学生だった詩織さんから交際を断られて逆恨みした男(当時27歳)が、消防士だった自分の兄やその仲間に殺しを依頼したのです。許せないのは埼玉県警上尾署の対応でした。事件前から、詩織さんを中傷するビラを自宅周辺の電柱に貼ったり、お父さんの職場に送りつけたりして、誰の目にも明らかなストーカー被害を警察に訴えていたにもかかわらず、具体的な対策は一切取られず、挙句の果てに事件の犠牲になってしまったのです。元交際相手の男は北海道に逃げて湖に身を投じて自殺、その兄には無期懲役、他の3人にも懲役刑が科せられました。 ■ 警察の事件対処が社会問題化 埼玉県警上尾署は訴えに背を向け、捜査に乗り出さなかったばかりか、告訴の取り下げを求めるなど、大きな社会問題となりました。事件後には署員が告訴の調書を改ざんして放置していたことが明らかになりました。該当する課長以下3人の上尾署員は懲戒免職になり、更に虚偽公文書作成・同行使罪で有罪が確定しました。当時の県警本部長は「まっとうに捜査されていれば、刺殺事件は避けられていた可能性がある」と謝罪しました。 両親は翌年、「県警の捜査怠慢が事件の原因」と埼玉県を相手取った賠償訴訟を起こしました。最高裁まで争ったものの、捜査怠慢と事件との因果関係を認めない判決が2006年に確定しました。「太陽のように明るかった娘が突然殺された」・・・お父さんは2000年以降、学生や警察官、行政職員らに娘への思いや事件の未然防止の必要性を訴える講演を続けているそうです。その数は90回近くになり、胆管がんを患った時期もありましたが、「遺族が語ることで通じることがあるはず」との思いと、ストーカー被害が絶えないことへの危機感が行動を後押ししているそうです。ご両親はもちろん、21歳の無念に、私たち社会も応えていかなければいけません。 ■ 呼吸器外し死亡させたとされる事件で懲役12年服役〜満期出所 東近江市の湖東記念病院で2003年、植物状態だった男性患者=当時(72)=に装着されていた人工呼吸器のチューブを抜き、死亡させたとして元看護助手西山美香さんが殺人罪で逮捕され、公判では自白否認に転じましたが、2005年11月の一審大津地裁判決は「自白は自発的で迫真性もある」などと判断、懲役12年を言い渡し、最高裁で確定しました。事件は自白以外の証拠が乏しかったのですが、何故最高裁まで行って有罪確定したのでしょう?西山さんは和歌山刑務所で服役し、2017年8月24日に満期出所しました。 西山美香さん(39)の弁護団は、服役中に二度再審請求しました。一度目は2010年9月、人工呼吸器のアラーム音を聞いた証言がないなど、証拠は乏しいと主張して大津地裁に再審請求、しかし2011年3月棄却され、不服申し立てに当たる大阪高裁への即時抗告や最高裁への特別抗告も2011年8月までに退けられました。 ■ 再審請求、二度目で認められる
■ 元看護助手の再審無罪確定的 やり直しの裁判が開かれることになり、弁護団、検察、裁判所との3者協議が続いていましたが、再審公判で、検察側は新たな証拠による立証を行わず、弁護団の主張に積極的に反論しないなどと弁護団に書面で伝えたことが2019年10月22日、明らかになりました。これで再審公判での西山さんの無罪が確定的になりました。結局弁護団が出した新証拠に対応するだけの証拠を検察が用意できなかったということです。自白だけに頼ることの危うさが露呈しました。 それにしても「疑わしきは罰せず」のはずなのに、自白だけで有罪となり、高裁〜最高裁までそれが通ったばかりか、再審請求にしても、どうしてこんなに時間がかかるのでしょう?事件から16年、服役12年、西山さんの人生は取り戻せません。本人は、「無罪になれば両親が安心するのでうれしい」と語ったそうです。 ■ 村木厚子さんの冤罪事件 冤罪事件と言えば村木厚子さんですね。日本の「特捜」の在り方が地に堕ちたとされる事件です。2009年に厚生労働省の局長だった村木厚子さんが「郵便不正事件」で大阪地検特捜部に逮捕されました。その後、検察側のずさんな捜査が判明し、一転無罪となった冤罪事件です。事件から10年経った今、村木さんは厚労省を定年退職後、貧困やDVに苦しむ若い女性たちの支援に取り組んでいます。そのきっかけとなったのは、大阪拘置所で過ごした日々でした。 ■ 今日一日頑張る・・・拘置所での164日間 活動実態のない障がい者団体に偽の証明書を発行するよう指示したのではないかという疑いで大阪地検特捜部に逮捕され、拘置所で過ごした164日の日々は過酷なものでした。便器と小さな洗面台だけがあるわずか3畳の独居房に入れられ、風呂に入ることが許されるのは夏場でも2日に1回、冬場は3日に1回でした。しかし村木厚子さんは一貫して無罪を主張し続けました。夫や娘の支援も心の支えでした。拘留されていた間に読んだ本の中で、比叡山延暦寺の千日回峰行を二回成し遂げた超人的な僧侶;酒井雄哉さんの「一日一生」という本が一番印象に残ったそうです。9日間不眠、断食、断水・・・今日1日頑張れば・・・という思いが、千日回峰行を成し遂げさせるのだそうです。スゴイ精神力ですね。保釈された時には足腰が弱り、体重は6キロ落ちていたそうです。 ■ 気がかりだった若い女性受刑者たち
■ 「若草プロジェクト」の「若草ハウス」 あの時、拘置所で見た少女たちは悩みを相談できない孤独な環境に苦しんだ末、罪を犯したのではないか…非行に走る少女たちが実は一番、救いを求めている被害者なのだと村木厚子さんは言います。 「困窮している人には共通点がふたつある。ひとつは複数の課題、複数の困難が重なった人であること。もうひとつは社会とのつながりが切れている人である。悪いことをして刑務所に入れられた人に見えた彼女たちが、実は大変厳しい困難が襲いかかってきた人たちであることが、だんだん自分にも見えてきました」と言うのです。やがて助成金が集まり、村木さん念願のプロジェクトが形になりました。家庭内暴力などで家を出てきた少女たちを受け入れるシェルターが東京都内に完成したのです。「悪いお兄さんに泊めてもらわなくてもいい、今晩一晩泊まれる場所があればいいのにねって。シャワーが浴びられて携帯の充電ができて、絶対安心して一晩泊まれる場所がまずあればいいのにねって」・・・2階建ての小さな一軒家ですが、初めてできた「居場所」を「若草ハウス」と名付けました。「自分が支えられる立場になって、世の中には支える人と支えられる人の2種類の人間がいるんじゃなくて、みんな支えてもらわなきゃいけないことがあるし、逆に誰かの役に立てる、お互いにそうなんだっていう、だから困ったときには助けてって言いやすくて、自分のできることで誰かを支えるということを誰もが少し気軽にできると、みんなすごく楽になるんじゃないかなと思ってます」・・・村木厚子さんは、無実の罪を着せられた経験を糧に走り続けているのです。 ■ ジョウビタキ
■ 草津へ 草津温泉に行って来ます。台風19号で試験湛水中、一挙に54mも水位が上がったという八ツ場(やんば)ダムも見てきます。336『草津と万座』(2019年8月18日)で紹介しました。4ヶ月ぶりの草津です。もうチョット経つと雪が降るので、今年最後かな? ■ 心も身体も美しかった八千草薫さん逝去
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