321  川治温泉
 5月5日はこどもの日、新月で大潮でした。ふじみ野高校の野球部員たちが大きな声で練習するかたわらで、ふじみ野市こどもエコクラブの畑作業をしました。トマトやナス、ししとうなどを植えて、スイカとカボチャも植えました。国民の祝日なので、畑の間の小道を散歩する人が結構大勢居ますが、その多くは70歳を越えた、一般に後期高齢者と言われる老人たちです。こうやって歩いているから元気なんですね。
 5月6日(月)はこどもの日の振り替え休日、ヒトによっては長い10連休最後の日ですね。二十四節気では「立夏」です。8月7日までが暦の上の夏です。8月8日は「立秋」です。確かに新緑青々として、日差しに夏のジリジリとした熱線を感じます。

■ 鬼怒川温泉の奥、峡谷の温泉郷川治
 鬼怒川温泉には何度も行っていますが、日本でも有数の大温泉で、今や廃墟マニアには欠かせない地、悲しいですね。その奥の川治温泉は有名だけど泊まったことがありませんでした。261『ハッピーリタイアメント』(2018年3月11日)で紹介した湯西川温泉に行く途中、昨年も通過しました。湯西川のような風情のある温泉は行って見たいなと思うのですが、川治温泉はいつでも行けると思っていたのです。
 今市で日光へ向かうR122と分かれてR121会津西街道を北上し、鬼怒川温泉を過ぎると左に「龍王峡」があります。渓谷沿いに遊歩道が整備され、渓流と自然の中の散策やトレッキングを楽しむ事ができます。特に5月の新緑や10〜11月の紅葉がお薦めです。三ツ岩トンネルを抜けると、左折して川治ダム(八汐湖)へ向かう道と、真っ直ぐ五十里ダム(五十里湖)へ向かう道が分岐し、真っ直ぐ行ってすぐ野岩(ヤガン)鉄道会津鬼怒川線川治温泉駅前を通って目的の川治温泉街に到着しました。
 男鹿川と鬼怒川が合流する峡谷に開けた温泉郷です。享保3年の発見といわれ、旅人や湯治の場として古くから親しまれた温泉だそうです。泉質は弱アルカリ単純泉で、pH9の湯西川温泉に対しpH8ぐらいなので物足りない感じです。薬師橋を渡った対岸には共同浴場(混浴露天と女性露天)があり、右の看板が設置されています。

川治温泉薬師の湯前にある案内看板(中央;現在地と赤く表記)

■ 川治温泉一柳閣本館の露天風呂はお薦め
 男鹿川の北側と南側に温泉宿が展開しています。ひときわ高くドーンと聳えるのが「川治温泉一柳閣本館」です。昭和9年9月創業の老舗温泉ホテルで、地上45mの大展望風呂が特徴で、客室124室の当地区最大の宿です。2008年1月に破産し、伊東園ホテルズが買い受けて再建しました。ホームページ。大展望風呂は花袋荘11階が女風呂、12階が男風呂で、無駄にだだっ広い感じです。お薦めは柳翁荘5階の展望露天風呂、男鹿川を挟んで絶壁のスケール大きい眺望を前にゆったりと湯船に身体を沈めていると、都会の喧騒を忘れて心豊かな気分になります。見知らぬ人と会話します。千葉市から来た人、横浜市から来た人、皆温泉好きな人たちで、あそこへ行った、どこそこ行った、お風呂談義に花が咲きます。大展望風呂に比べると浴槽は小さいですが、新しい木の香りのする浴槽で、湯が柔らかいのです。同じ源泉ではないのでは、と思うほど露天風呂の湯質はアルカリ性を感じ、湯西川に近い感じがします。

■ さびれる川治温泉
 隣の「登隆館」近辺が川治温泉の中心に当たり、会津鬼怒川線川治温泉駅からも川治湯元駅からも徒歩20分です。川治ふれあい公園があり、無料の駐車場があります。「かわじい」という爺さんのマスコット像があり、川辺方向へ降りてゆくと「むすびの湯」という足湯や「かわじいの湯」があります。男鹿川河川遊歩道をブラブラと上流方向へ歩きます。向こう岸には「リブマックスリゾート川治」はじめいくつかの宿が見えます。廃業した横田屋旅館の建物は朽ち果てて無残です。新男鹿橋の袂(たもと)に「川治温泉郷パノラまっぷ」という立て看板があり、それによると宿は16軒ありましたが、実際営業しているのは10軒かな?ちょっと古いですが、「川治温泉道しるべ(PDF)」を見ると詳細が分かります。これによると旅館17軒、飲食店20、商店17が記載されていますが、今やわびしい限りです。

■ 昔からの温泉宿と、経営変更リニューアル宿
 「お宿東山閣」と「宿屋伝七」を経営し、川治温泉地区ではトップクラスの規模を誇った(株)ふなびきは2006年2月に倒産、「お宿東山閣」は2013年7月蒲キ館王によって「祝の宿 寿庵」という高級宿として再出発、「宿屋伝七」は「星野リゾート 界 川治」として2014年6月オープンしました。最も古い歴史を誇った「元湯蘭綾(らんりょう)」は「リブマックスリゾート川治」となりました。長生閣明月苑は「若松」「今宵」というブランドのHATANO観光グループの傘下で2017年「日光川治 今宵」になりました。「湯けむりの里 柏屋」、「元湯 白井屋」、「金型かわじ荘」、「ホテルニュー川治」は営業中です。 




一柳閣本館露天風呂から男鹿川を挟み絶壁眺望
 川治温泉に宿泊するのであれば、厳選された"心みちるたび"の情報を掲載するカカクコムのiccoto(イコット)の「川治温泉厳選の宿8選」がお薦めです。

■ 廃業した建物が残る川治温泉
 鬼怒川温泉では大ホテルが続々廃業していますが、川治温泉も例外ではありません。伊東園やリブマックスリゾート、星野リゾート、HATANO観光グループ、蒲キ館王などが引き継いでリニューアルオープンした宿もありますが、特に新男鹿橋袂の二館は悲惨ですね。旅館の廃業は残念なことです。
男鹿川の南側に沿って走るR121 両側に商店街

向こうに聳えるは・・・一柳閣本館
川治ふれあい公園から遊歩道を上流方向へ歩く

新男鹿橋左手前は山味亭こうわ、奥は如水庵
新男鹿橋袂のかわじい像

男鹿川を挟んで6階建の山味亭こうわ
 「せせらぎの宿如水庵」は”アットホームなおもてなしと効能豊かな天然温泉”が売りでした。建物は今にも崩れ落ちるのでは、と思われるほどボロボロです。玄関先にはこれまた廃車のような車が3台ほど放置されていて、中にはナンバープレートがついたまま埃を被った車もあります。
 「山味亭こうわ」は、”山の幸をふんだんに使った山の味田舎料理”が売りでした。建物の外観はまだしっかりしており、写真でお分かりのように、まだまだ十分使えそうに見えます。玄関脇の「歓迎プレート」には「本日都合により休館させていただきます」と黒地に白字で書いてあります。しかし玄関のガラス扉には「お知らせ」が貼ってあり、「且R味亭こうわは本日をもって営業を停止し法的手続きに入ることになりました...」と2011年10月31日付けの弁護士の張り紙、「何人も立ち入るな」という2011年11月2日付けの破産管財人の告示書、「この建物は河川区域内に建てられていますので、河川法の許可が必要です。速やかに河川法の許可を申請して下さい」という2015年1月5日付けの国土交通省関東地方整備局鬼怒川ダム統合管理事務所五十里ダム管理支所の張り紙が貼ってありました。壊しもせずに今後どうなるのでしょう?

朽ち果てた せせらぎの宿 如水庵

■ 川治温泉の源泉と配湯先
 川治温泉の源泉は4本あるそうです。中央温泉研究所;高橋保氏「川治温泉の源泉と温泉湧出状況の変化」によりますと、「川治地区には、泉温40〜50℃の温泉を湧出する横坑式の源泉が4坑あって、いずれも単純温泉、これらは鬼怒川と男鹿川の合流点近くにあって、浅間山と呼ばれる小山地の南麓(男鹿川右岸部)から掘進されていて、上流から2、1、3、4号の順で並んでおり、2〜4号間の水平距離は約170mである」とのことです。つまり、泉源は「薬師の湯」周辺に集中しているものと思われます。各泉源は自噴で、登隆館館内掲示によれば、総湯量は3,400L/minに達するそうです。
 1号…「如水庵」用、2号との混合泉は「リブマックスリゾート川治」と「日光川治 今宵」に配湯されています
 2号…「山味亭こうわ」用、47.8℃ pH=7.8 成分総計=0.349g/kg
 3号…共同源泉 「薬師の湯」「一柳閣本館」「祝の宿 寿庵」「星野リゾート 界 川治」用、45.5(45.9)℃ pH=8.1 成分総計=0.419g/kg
 4号…共同源泉 単純温泉(Na-Cl・HCO3・SO4型)「湯けむりの里 柏屋」「登隆館」用 41.9(36.3)℃ pH=8.0 成分総計=0.30g/kg

「宿屋伝七」は「星野リゾート 界 川治」としてリニューアルオープン

■ 歴史に残る川治温泉での火災
 R121から新男鹿橋を渡ると突き当たりは崖でT字路です。崖を登った先には「星野リゾート 界 川治」があります。左折してまっすぐ男鹿川の北側に沿って道路があり、右写真のように左側が男鹿川、右側が高く山になっています。真っ直ぐ行けば川治湯元駅です。温泉名物「おなで石」の先に「リブマックスリゾート川治」、「金型かわじ荘」、「祝の宿 寿庵」、「日光川治 今宵」があり、浅間山という小山が見えます。
 「金型かわじ荘」は日本金型工業健康保険組合の保養施設です。空いていれば組合員以外も宿泊できます。昔この地に川治プリンスホテル雅苑がありました。西武系列の「プリンスホテル」とは無関係です。1980年11月20日15時15分頃、工事用ガスバーナーの火花が引火、火災報知器のベルが鳴りました。ところが従業員は確認もせず、「これはテストですから御安心下さい」という館内放送を流しました。この日は東京都杉並区から紅葉見物に来た老人クラブが2組あって、新建材から出る有毒ガスに巻かれ、宿泊客40名、従業員3名、バスガイド1名、添乗員1名の合計45名の死者を出す大惨事となりました。戦後、商業建築物火災では、1972年の千日デパート火災(死者118名)、1973年の大洋デパート火災(死者104名)に次いで3番目の死者数です。

左の建物は「鹿の子」と「和風らぁめんいかり」、ずっと先の小さな祠は「おなで石」
さらにその先にはリブマックスリゾート川治他の宿が見えて、浅間山という小山が...
 火事の後、建物は取り壊され、跡地に「金型かわじ荘」が建ちました。

■ 皇室典範改正は喫緊の課題
 2019年(=令和元年)5月1日にかけて、テレビ番組は”改元”の話題一色、連休中の人々が再び正月がやってきたようなお祝い騒ぎを繰り返しました。皇太子から天皇に即位されたばかりの新しい天皇陛下が「即位後朝見の儀」のお言葉で「象徴としての責務を果たす」と決意を述べられました。しかし皆さん何か忘れていませんか?
 皇室典範では「皇位継承」について「男系男子」(男親の系譜で生まれる男子)を天皇継承の条件と定めています。これまでの歴史では女性の天皇がいた時も、「男系」(父親か祖父などが男性)の天皇であって女系はいませんでした。戦後に新しい憲法が発布されて、天皇は「象徴」という立場になり、宮家も11が廃止されて51人が皇族から民間人に身分が変わりました。三笠宮崇仁親王(昭和天皇の末弟)は皇室典範改正をめぐる意見書を出し、天皇にも基本的人権を認めて、場合によって「譲位」という選択肢を与えるべきとも書き残していましたが、結局これは検討されることもありませんでした。しかし誰の目から見ても皇族は女性が多く、次々と女性ばかり産まれるため、このままでは皇位継承者は居なくなるという危機感が生まれました。小泉政権で「女性天皇」「女系天皇」の問題が検討の対象になりました。平成13年(2001年)、当時の皇太子ご夫妻(現天皇皇后両陛下)に女子(愛子さま)が産まれたことで平成17年(2005年)、小泉政権下で皇室典範に関する有識者会議が発足して、10ヶ月間、委員はいろいろな資料を元にして議論を進めたのです。その中で、これまでの125代におよぶ天皇のうち、約半分が「側室」(第2夫人、第3夫人など)の子と見られることが明らかになりました。戦後は「側室」という制度はもちろんありません。過去4百年間では側室の子どもではない天皇は109代の明正天皇、124代の昭和天皇、125代の平成天皇(今の上皇陛下)の3人のみで、側室の制度がない現在においては「男系」の伝統の維持は難しいということを多くの委員が認識したのです。

特定外来種「ナガミヒナゲシ」即駆除すべし

■ 皇位継承者が居なくなるのは時間の問題
 この有識者会議では男女の区別なく「直系の長子(天皇の最初の子ども)を優先する」という最終報告を出し、翌年(平成18年=2001年)、政府は「女性天皇」「女系天皇」の容認に舵を切りました。ところがこの動きに猛反発したのが男系の伝統を重視する人たち、「日本会議」の連中です。産経新聞が事務局となっている右翼集団ですね。最近では森友学園の籠池氏の事件でクローズアップされましたが、安倍晋三氏と籠池氏が知り合ったのがこの「日本会議」です。一国の首相がこのような偏った思想集団に肩入れしていること自体異常ですが、まあ思想信条は自由ですからしょうがありません。「日本会議」は「男系を守ってきた日本の皇室では、守らなければならない伝統や文化は断固守っていかねばならない」と主張したのです。2006年秋に秋篠宮ご夫妻に長男の悠仁さまが誕生したことでこの議論は棚上げとなりました。しかし悠仁さまが皇位継承したとして、果たして男子が産まれるのでしょうか?そう考えると皇位継承者が居なくなるのは時間の問題です。

■ 忖度している場面ではない
 これまで4百年間の天皇のうち、側室から生まれていない天皇が3人しか居ないのであれば、側室という制度がなくなった以上、「女性天皇」を認め、「女系天皇」を認めない限りは天皇家は消滅します。マスコミの報道もいささかバッシング的な面があります。現天皇の長女・愛子さまが産まれるまで皇后の苦しみは大変だったでしょう。しかも産まれたのが女子だと、男はどうした?いい加減にしろと言いたいですね。秋篠宮ご夫妻の長女眞子さまと、かつて婚約を発表した小室圭さんをめぐる報道をみても、もし将来、女帝が誕生するにしても、その配偶者になる人が現れるのだろうかと危惧します。「皇位継承」を「男系男子」に限るという考え方は安倍政権だから議論が進みません。いま世論調査を見ても圧倒的日本国民が皇室典範を改正すべきだとしているのに、世の中の風を読むのが上手な安倍政権はこれだけは譲りません。日本会議のような右翼思想に共鳴しているからでしょう。しかし菅官房長官がこの秋にも検討に着手すると述べました。もはや待ったなし、一首相のことを忖度などしている場面ではありません。
(2019年5月6日)


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