230  獣医師

 台風5号は記録的な長命台風で、しかも動きが遅いため日本列島に大被害をもたらしています。これまで台風被害と言えば10何号とか20何号でした。8月初めにこれだけ強烈な台風は沖縄や小笠原諸島ではあるでしょうが、筆者の記憶には、ありません。

■ 荒川水系取水制限を一時取りやめ
 東京都と埼玉県に水を供給している荒川水系について、関東地方整備局などは、これまでの雨で川の水量が増えたとして、先月上旬から行っていた取水制限を一時的に取りやめると発表しました。
 荒川水系では、今年前半過去4番目に少ない降雨量のため、流域のダムの貯水量が平年を大きく下回り、7月5日に10%、7月21日からは20%の取水制限を行っていました。しかし7月下旬からの雨の影響で、川の水量が増加したことで8月7日午前9時、荒川水系の取水制限を一時的に取りやめる措置を取りました。一方でダムの貯水量は十分に回復しておらず、関東地方整備局などは今後の雨の降り方次第では取水制限を再開する可能性もあるとして、引き続き節水に協力するよう呼びかけています。関東地方では、このほか利根川水系の渡良瀬川の取水制限が8月7日朝に解除されましたが、鬼怒川では10%の取水制限が続いています。

■ 武蔵嵐山で合宿
 8月第1土日は例年少年野球チームの合宿です。武蔵嵐山の槻川渓谷で今年も実施しました。予想外に水量が多く、水がきれいだったのは、前週の大雨で藻が流されたためだそうです。昨年などは藻が繁殖して体にまとわりつきました。雨は山に浸み込んで、ジワジワと染み出しますから、当分水は川に供給されるでしょう。
槻川の川原でバーベキューや水遊びする人たち

■ 荒川貯水池
 荒川貯水池は正式には「荒川第一調節池」と言います。調節池とは洪水を一時的に貯めて、下流部へ流れる洪水の量を減らし、安全な流れを保つ施設のことです。平成9年3月に貯水池「彩湖」を完成させ、現在は水の統合的な管理の下で都市用水を供給しています。また、直轄河川改修事業としての荒川第一調節池は平成15年度に完成しました。
 荒川はその名の通り、たびたび氾濫して洪水被害をもたらしてきました。そのために鴻巣近辺の荒川は「川幅日本一」にして、東京都を守るために、水量が多いときは運動場や畑になっているところが水没しても仕方ないという水管理をしてきたのです。しかし、この荒川貯水池ができたことで荒川の水管理は劇的に改善しました。しかも「彩湖」はさいたま市や戸田市民の憩いの場となっています。少年野球場やサッカー場、公園が整備され、ウィンドサーフィンのメッカとなっています。芋煮会を何度もやりました。懐かしいなぁ〜
 しかも渇水対策として、東京都民にとってはまさに有難い池、埼玉県民は取水制限されても東京都民は大丈夫、今も100%貯水量なのです。オリンピックのボート会場で一時騒ぎになりましたね。
荒川第一調節池 左上の朝霞調節池は新河岸川の水を溜める池。中央横切るのは外環道、左側は和光市、その北は朝霞市、南は板橋区、右側の外環道の北はさいたま市、南は戸田市。新河岸川はもうすぐ隅田川になります

■ 畜産業がかつて仕事の対象でした
 筆者がかつて仕事で牛舎や豚舎を回っていた時、畜産業というか、こういう仕事は大変だなぁとつくづく思いました。それは相手が生き物だからです。生き物は食べて成長して排泄します。特に豚舎の環境制御が仕事でした。分娩舎や肥育舎の環境制御です。子豚をすくすく成長させるためには無菌状態で快適な温湿度環境を保たなければならないからです。排泄物の処理は大変でした。臭いからです。だけど生き物ですから仕方ありません。ただ排泄物は貴重な資源でもあります。「ゼロ・エミッション」・・・これが究極の目標でした。昔は新河岸川の舟運で、農産物を運んだ帰りに江戸の人々の「コエ」を川越方面に運んだそうです。どうして肥えと言うかわかりますね。広大な農地の肥料として、地元民のだけでは足りなかった、江戸では厄介な廃棄物、それが農地では貴重な資源物だったのです。今では東京都民の排泄物はほぼ処理場経由東京湾です。江戸時代の方がリサイクルが進んでいたのです。

■ 獣医師は不足してるの?
 畜産では獣医師が必須です。加計学園で注目される獣医師不足と規制改革の問題については過去にも書いてきました。安倍総理の友人がどうこうということは別にして、本当に獣医師は不足しているのかということについてはハッキリして欲しいですよね?筆者の義父は日本でも有名な獣医学の大学を卒業した人で、公務員として定年を迎えました。いま、獣医師で公務員になる人が少なくて困っている県が、いろいろなプレミアムを用意して呼び込もうとしています。そもそもは、「地方で獣医師、とりわけ検疫などを行う公務員獣医師が不足しているのに、獣医師会の反対で50年以上、獣医学部の新設が実現しなかったので、その規制改革のため、特区制度を活用し、獣医師が不足している地域の大学に獣医学部を創設する」という話だったはずです。

■ 岩盤規制の打破?
 文部科学省が獣医学部の新設を認めない「岩盤規制の打破」が、首相官邸の意思でした。同じ政府機関同士でどうしてこんな話になるのでしょう?「規制改革」というといかにも権力に逆らって国民の味方のような気がします。そもそも官庁が規制するのは何故かといいますと、野放しにしておくと秩序が乱れるからです。ならば文部科学省は何故規制してきたのでしょうか?先例として、司法試験の合格者が少な過ぎるというので法科大学院を作ったら、イソ弁とかノキ弁などと言われる弁護士が増えた、結果として法科大学院の志望者は激減し、定員割れが続出する結果となりました。歯学部も定員増した結果、歯科医を廃業する人が増えて定員割れする歯学部増などいろいろ問題が指摘されていますが、文部科学省はそれぞれの業界の所管官庁、この場合は法務省や厚生労働省の意向を受けて大学の定員を増やしたり減らしたりしているわけですから、規制緩和したらこういう結果になったことについて文部科学省は不本意でしょう。同様に獣医師不足と農水省が言うならば文部科学省は獣医学部の定員を増やしたでしょう。それが農水省が何も言わないのに天の声で「獣医師不足を解消するために、それを阻む『岩盤規制』の打破で新設だ」という話が出てきたわけです。新設しなくても定員増など方策はいろいろあります。しかし、四国に無いから新設だ、というわけです。それもいきなり全国比2割増ですから、これはもうビックリ!日本獣医師会を所管する官庁は農水省です。その日本獣医師会は一貫して獣医学部の新設には反対してきて、今もそれは変わりません。しかし内閣府はそれを既得権の保護のためだとして、国家戦略特区で「岩盤規制の打破」と言ったものですから、仕方なく1校だけに限るという条件をつけたわけです。

■ 獣医師の各国比較・・・日本は多いほう
 確かに、地方、なかでも獣医学部を備えた大学のない四国では、とりわけ検疫などに携わる公務員獣医師の不足は深刻です。しかし、データで国際的に比較すると、「日本全体では獣医師は不足していない、むしろ多いくらいである」ことが分かります。だとすると、問題は獣医師が特定の地域や職種に偏っていることにあるわけで、獣医学部の新設という「供給の増加」で臨むことで解決するとは思えません。
 まず、日本の獣医師のデータはどうでしょうか?日本の獣医師の数は、この10年間で少しずつ増えています。世界各国との比較では、2014年段階で獣医師の数が多い順に並べると日本は世界で8番目です。では動物に対する獣医師の割合はどうでしょうか。「一人当たりの獣医師が診る動物の数」すなわち診察・治療の対象となる動物の数と照らすことで、獣医師が多いか少ないかを比較します。ウシ、ウマ、ブタ、ヒツジ、ヤギなどの代表的な家畜に限定し、その合計頭数を多い順に国ごとに並べ、それぞれ獣医師の人数で割ると、日本では家畜の頭数に照らして獣医師の数が非常に多いことが分かります。例えば、家畜の頭数が日本より圧倒的に多いオーストラリアやアルゼンチンのように、獣医師の絶対数で日本より少ない国も珍しくありません。また、家畜の頭数で日本の約2倍にあたるカナダと比べて、日本では一人の獣医師が担当する家畜はその5分の1以下です。

■ 獣医師配置のアンバランス
 ペットに関してはどうでしょうか。イヌとネコなどペットに関しても、日本では一人の獣医師が平均的に診る動物の数は、世界各国と比べて多くないのです。つまり、日本全体でみたときは、世界各国と比べて獣医師の数はほぼ十分、というか、各国との対比でみればやや多いことがわかります。しかも、日本ではネコの飼育数は横ばいですが、犬が減っています。しかも今後人口減が進む中、ペット飼育数は当然減っていきます。今のまま放置しても、ペット医の過剰は今後問題化して行くのは必須です。
 それにもかかわらず、先述のように、特に地方では公務員獣医師の不足が問題となっています。これに関して、山本幸三前地方創生大臣は「ペット診療の獣医師が儲かるために多過ぎる」という認識を示し、「獣医学部を新設し、獣医師を増やすことでペット診療の『価格破壊』をもたらせば、公務員獣医師を確保できる」と主張しました。これは大臣として過激過ぎる発言ではないでしょうか。過当競争で価格破壊なんて、政府が言うべきではありません。

■ 獣医師割合ではなく、地域偏在が問題
 日本全体でみたとき、「公務員獣医師が少ない」のでしょうか。日本では公的機関で勤務する獣医師の割合が約24パーセント、これは各国と比較して必ずしも低いとはいえない水準です。同様に、ペットクリニックの獣医師の割合は44パーセントで、これも必ずしも高い水準ともいえません。ヨーロッパやラテンアメリカでは、これが50パーセントを超える国も珍しくありません。つまり、「公務員獣医師と民間クリニックの獣医師」の比率でいえば、日本はごく普通のレベルなのです。国際的な水準に照らして、公務員獣医師が必ずしも少ないといえないのに、「地方で公務員獣医師が不足している」のであれば、それは地域間の偏在があるということです。家畜がたくさん居る地域はヒトが少ない、人が少ない地域は獣医師も足りないのです。医学で辺地医療が問題になっていることにも似ています。日本では獣医師の数が基本的に足りているのに獣医師が偏在しているという現実を是正することが最優先事項であるなら、「だから獣医学部を新設して獣医師を増やすべき」という考え方は、単純過ぎます。獣医師の数を増やしても、その人たちが地方で公務員になることを促す方策がなければ、単に獣医師の偏在を後押しするだけで、やがて人員過剰で獣医師になろうとする人が減るだけだというのは火を見るよりも明らかです。

■ 獣医師界の課題
 仮に四国の大学に獣医学部を新設し、獣医師を増やしたところで、その人々をその土地の公務員獣医師にリードする方策がなければ、他の地方で職を見つけたり、民間クリニックで働く人が増えるだけに終わることが考えられます。また、獣医師を特定の地方、特定のセクターに誘導することを重視するなら、既に日本全体で数が十分である以上、獣医師の総数を現状より増やす必要は無いというのが獣医師会の主張です。いま日本の獣医師界で課題とされているのは、獣医師の質を向上させて、そういった人たちの給与・待遇などを改善したり、「地方の公務員獣医師」というポストに人材をリードしたり、民間の獣医師に公的業務に協力してもらったりするためのインセンティブを考えることなどです。魅力があれば人はやって来ます。日本の家畜を飼う業者は年々つるべ落としで減っています。貿易自由化はそれを一層加速させるでしょう。少子化・高齢化が進むなか、ひたすら量を拡大させることよりむしろ、いかに効率的に質を維持するかが、日本にとっての課題といえます。これはいろいろなところで同じような課題が顕在化しており、獣医師をめぐる問題は、その氷山の一角といえるでしょう。

■ ドル売りの進行
 最近110円/米ドルまで円高が進んでいます。ユーロに対しては130円まで円安が進んでいます。この状態から見て、正しくは「ドル売りが進んでいる」と言ったほうが正しいでしょう。何故でしょうか?
 ドル安が進んでいるのはトランプ政権の政治的リスクを意識しているようです。トランプ大統領は2017年7月31日、就任からわずか10日のスカラムッチ広報部長を解任しました。28日にプリーバス主席補佐官を更迭したことに続くものです。「恐怖政治」は言い過ぎかもしれませんが、コミーFBI長官の更迭を含め、これで大統領就任以来5人目の追放です。FRBのフィッシャー副議長が講演の中で、「ヘルスケアや規制、税制、貿易の政策に先行き不透明感がある。政治的な不透明感は経済成長を損なう」と発言しました。

■ 貿易立国は過去の話
 日本円/米ドルレート、すなわち為替レートを考えるときに、その基準となるものは投機的動きや国家の為替介入を別にすれば、市場メカニズムとしては「購買力平価」です。日米の購買力平価は、生産者物価基準が足元で97円程度、一方消費者物価基準は124円程度です。輸出物価75円は低過ぎです。これでは輸出は困難ですね。単純に言えば、米国で1USドルの商品は日本では97円で企業間で取引されますが、消費者は124円出さないと買えません。一方輸出するときは75円でしか売れません。本来1.33ドルで売りたいのですが、それでは買ってくれないのです。資源国でない日本が、97円で原材料を買って、75円で売るのでは逆ザヤですね。だから加工して別の価値を付加したものしか売れません。もしくは日本で生産しなければ良いことになります。つまり日本が加工業=第二次産業で貿易立国だった時代は終わっているのです。為替が現在110.5円/USドルですから、ちょうど生産者物価97円と消費者物価124円の中間です。これは為替の水準としては当たり前なのですが、過去はそうではなかったのです。

■ 購買力平価(PPP:Purchasing Power Parity)とは
 生産者物価基準より消費者物価基準が高いのは当然で、そうでなければモノが流通しません。右グラフを見ますと、近年の米ドル/円は、生産者物価基準と消費者物価基準の購買力平価をそれぞれ上下限としたレンジ中心の推移となってきました。これはアベノミクスによるものです。「購買力平価(PPP:Purchasing Power Parity)」については、45『自動車と中国の躍進』(2014年1月16日)をご覧ください。理論的に全く貿易障壁のない世界を想定すると、そこでは国が異なっても、同じ製品の価格は一つであるという「一物一価の法則」が成り立ちます。この法則が成り立つ時の二国間の為替相場を購買力平価と言います。詳しくは国際通貨研究所のホームページをご覧ください。
米ドル/円と日米購買力平価(1990年〜)
 グラフが示すこと、1992年からの「失われた20年」の間、日本の購買力平価は一貫して下がってきました。アベノミクスの目標はこれを持ち上げることでした。諸外国はどこも相応の物価上昇があります。ところが日本はデフレが続いてきたので下がってきたのです。2%のインフレ目標を掲げたアベノミクスですが、上がったのは為替数値です。輸出物価はやや持ち直し、生産者物価と消費者物価は横ばいになってきました。為替レートが生産者物価より低いという円高状況から円安へ誘導したという意味では、消費者物価に近づいた分正常化してきたと言えます。

■ どんどん貧乏になっている日本
 「世界経済のネタ帳」で、2016年の一人当たりの購買力平価GDP(USドル)ランキングをご覧ください。世界189ヶ国中日本は30位です。3位マカオ、4位シンガポール、5位ブルネイ、アジア各国にも上位の国があります。香港12位、台湾21位です。世界の経済大国だったはずのニッポンがどうしてこうなったか、同じ「世界経済のネタ帳」のGDP推移を見てください。どの国のGDPも成長しています。日本が1992年からの「失われた20年」で低迷する中、世界各国はいずれも順調に成長しました。成長すれば物価も上がります。物価が上がればその国の通貨の価値は下がります。日本は成長せず物価も上がりませんから、例えば米ドルに比べれば購買力平価が下がり続けます。つまり日本だけが取り残されて来た、相対的に見れば世界のほとんどの国に比べて、日本はどんどん貧乏になっているのです。他の国なら暴動が起きているでしょう。

■ 貿易立国から観光立国へ
 GDPを伸ばすことが必ずしも良いことではないという経済学者もいらっしゃいます。確かにそれもそうかもしれません。しかし、他国がほぼすべてGDPが成長し続けているのに日本だけが低迷状態、相対的に日本がどんどん追い越され取り残されていることを意味しますので、それで良いというのは自虐的ではないでしょうか。昨日台風5号が襲来した大阪・道頓堀のTV中継で、「人がいっぱいいますねぇ、でもガイジンばっかりじゃないですか」というアナウンスがありました。それだけ海外から観光客が来ているということは、日本が割安になったということです。消費者物価の高い日本に観光に行くことは、昔は高根の花でしたが、他国のレベルが上がり、ニッポンはそんなに高くない国になったのです。貿易立国が無理なら観光立国、日本政府の方針転換はやむを得ないことだったのです。

■ 給料増やせ
 少子化が進んだ日本、何故なのか?この現状を放置してきたことに原因がある気がします。「日本ファーストの会」というのが立ち上がったというニュースがありました。ネーミング悪過ぎです。アメリカファーストはトランプ米大統領のキャッチフレーズで、世界中から白い目で見られています。この四半世紀の日本の凋落を見たとき、日本ファーストはジョウダンでしょう。日本はまず、復活を考えるべきです。レボリューションなんてカタカナは言いません。マゾヒスティックの日本語は何かなぁ?若者が我慢して老人を支える社会、北欧を見習え?いいえ、北欧はニッポンのように自虐的ではなく、高度な技術によって他国で儲けて、給料を上げて、税金をいっぱい払って、それで高福祉を実現しているのです。アベノミクスの基本は正しいのです。日銀の戦略は間違いですが、第三の矢である成長戦略こそが本命です。それがさっぱり実現していないことが問題です。ニッポンのお金の先行きが心配で海外に内部留保する企業姿勢を放置してはいけません。財政健全化の道筋を示し、国民の士気を増すことが必要です。サラリーマンは給料増やせと言うべきです。高齢化すると人間は保守的になります。若者はどんな国でも革新的ですが、日本だけがそうではありません。これが最大の問題です。
(2017年8月8日)


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