229 政治の混迷
台風5号が太平洋上でうろちょろしているため、天気予報がコロコロ変わり、目が離せなくなっています。もう台風10号まで発生しているのに、台風5号が日本の南に居座っていて、暖かい湿った風を日本列島に送り込んでくるので、雷が各地で発生し、極地的豪雨をもたらします。梅雨明けごろには、暑くて長い夏を覚悟しましたが、一転曇や雨の日が続く予報で、気象予報士自身が自信を持って予報できないと言っています。もっとも今の天気予報は、日本とアメリカとヨーロッパのスーパーコンピュータが出す予報を、気象予報士が解析して予報するという面がありますね。台湾では台風9号と台風10号が交差するように相次いで直撃するので被害が心配です。台風5号の影響も有り、日本の太平洋側では海水浴は要注意、日本海側は北朝鮮のミサイルに注意です。 ■ 多磨全生園 2017年7月29日(土)は小学校のグラウンドが地域の祭りで使えないので、埼玉県所沢市から東京都清瀬市を回るツアーでした。少年野球です。天気予報は15時過ぎから弱い雨です。この時期の雨は濡れたって構わないと思い、オートバイに乗って出かけました。ふじみ野市から武蔵野の林の中を走ります。宮崎駿さんがトトロの森と紹介してくれたので、すっかり有名になりました。昼なお暗い鬱蒼とした木々の中はひんやりとして気持ち良いのです。こういうときはオートバイの良さを感じます。途中狭山市入曽でちょっと雨に濡れましたが、西武新宿線新所沢駅に近い西富小学校で合同練習をさせてもらって、お昼を食べて、清瀬運動場へ向いました。所沢市というのは迷路のような街です。広大な米軍基地(通信所)があるためにこれを避けて道路が入り組んでいるためです。所沢街道を走りますが、とにかく信号機だらけなので時間がかかります。狭山市、所沢市、東村山市、東久留米市、新座市など埼玉と東京が複雑に入り組んだ道を抜けてやっと国立療養所多磨摩全生園(たまぜんしょうえん)の前に...言わずと知れたハンセン病患者の施設です。日本ではライ病とも呼ばれましたが、らい菌による感染症なので治療すれば治るのですが、罹患者の風貌を恐れて過去には患者が隔離された施設です。差別の歴史がありました。外から見ると刑務所のようです。違うのは高い緑の壁、外から入り込めないような物凄い木々に守られた広大な敷地です。住所は東村山市です。 多磨全生園マップ(国立ハンセン病資料館のホームページにリンク) ■ 病院の街;清瀬市
■ 豪雨に遭遇 清瀬運動場は感動的に美しい芝生のグラウンドです。とにかく手入れが素晴らしい!思わず芝生に横になりたいと思いました。試合が終わって15時半を過ぎて、そろそろ雨が降って来るころだな、と思いながら東方の空を見ると真っ黒です。ヤバイ、急ごうと思ってバイクで走り出したら、西武池袋線を越える辺りで降り出すや、瞬時にドバーッと降ってきて、清瀬市中里近辺で、まずい、雨宿りしよう、見たらつぶれたコンビニがある、バイクを軒下に置いて、スマホでYahoo!天気予報を見たら、ふじみ野市から和光市にかけて関越道に沿って雷雨、大雨のマップが表示されています。雨雲が通り過ぎるのを待つしかないと覚悟しました。ふじみ野市の雨はどうかとメールしたら、やはり強い雨が降っているとのこと、線状降雨帯は関越道沿い、すなわち北西から南東方向なので、武蔵野台地から荒川に向って流れる西から東への各河川が氾濫することは無いだろうと目星をつけました。ただ、なるべく早く柳瀬川を越え、関越道を潜る道が水没するはずなので、それを避けて走る道をグルグル頭を巡らせて考えました。やや小降りになったと見て、それ行け!走り出しました。途中また雨が強くなり、フルフェイスのヘルメットにワイパーが無いので時々手でぬぐい、柳瀬川を越えました。道路はもはや川状態、車が大渋滞、脇を通って前へ、前へ、三芳町に入り、ジャブジャブ水を掻き分けて走ります。向かいから大型トラックが来るたびに土用波のような水しぶきがドバーッと全身に覆い被さります。ライダー歴50年以上の筆者でもこんな経験は初めてです。靴の中も下着もびしょびしょです。しかし頭だけはフルフェイスのヘルメットなので問題ありません。バイクのエンジンはアメニモマケズ快調です。やっと家に着きました。全身プールに服ごと飛び込んで上がってきた状態です。 ■ メディアとネット 筆者は読売、朝日、毎日、産経、東京新聞などの記事をよく引用します。日経は退職してからとんと読まなくなりました。自宅に配達してもらうのは毎日新聞ですが、これは字が大きくて年寄り向きなのと、家庭欄やコラムなどで親しみ易い記事が多いからです。現実には見出しを流して見るだけで、ニュースはほとんどYahoo!ニュースで見ます。そこから注目した話題は、いろいろなニュースサイトにサーフィンしたり、マトメサイトも見ますが、2チャンネルのようなものは見ません。宅配が毎日新聞なのは、少年野球をサポートしてくれているのと、論調も中間的だからという面もあります。右寄り産経、読売新聞、左寄り朝日、東京新聞で、毎日新聞はやや左寄りかな?枚数は読売や朝日よりずっと少ないですが、広告がいくら多くても読みはしません。折込チラシの種類も読売や朝日よりずっと少ないですが、これはやはり読者数が少ないからでしょう。安倍総理ご推奨の読売新聞は営業上手なので一番発行部数が多いようですが、内容が...です。では何故各種新聞の記事を引用できるかというと、ネットのお蔭です。ネットで記事が読めたら新聞購読の必要は無いようにも思われますが、いずれはそうなるでしょうが、やはりパッと見のパターン認識は画面ではチョットね(^_^) ■ ネットを信じちゃいけないよ ♪うわさを信じちゃいけないよ というのは山本リンダの歌です。阿久悠の作詞で「どうにもとまらない」という歌ですが、1972年にリリースされました。♪ああ 今夜だけ ♪ああ 今夜だけ ♪もう どうにもとまらない・・・阿久悠は「恋のカーニバル」という題名にしようかと思っていたそうですが考え直したのだそうです。高度成長期のダイナミックな歌です。今の時代に、こういう歌が出てくるのなら、今の世相にはなっていないでしょう。この歌詞をひねって、ネットを信じちゃいけないよ と言いたいのです。それはあなたがご覧になっている当エッセイもまさしくそのとおりです。ここに書いてあることをどう解釈しようと見ている人の自由です。マスメディアとネットの違いは、前者がある程度の客観性がどうしても求められるのに対し、ネットはウソも自由、ホントかウソかは受け手の判断に委ねられます。聞くところによると、6割方はウソだろうということです。また、ネットは見る人が見たいものだけ見るというものです。トランプ大統領はこれをうまく利用しました。 ■ トランプ米大統領苦境に トランプ米大統領が目玉としていたオバマケア廃止は、足元の共和党議員から造反者が出て、絶望的な状況に追い込まれました。医療保険制度が当面維持される公算でトランプ政権にとって大きな打撃です。次々に選挙公約の目玉が頓挫します。そのトランプ大統領は2017年7月28日、プリーバス大統領首席補佐官を更迭しました。プリーバス氏は、スパイサー前大統領報道官を含む政権内の協力者が次々と辞任または退任し、ここ数週間にわたり逆境に立たされていました。ともに共和党全国委員会に所属していたプリーバス氏とスパイサー氏は、トランプ大統領と共和党との橋渡し役を担ってきただけに、今回の交代人事により、トランプ政権と共和党主流派との間の緊張が高まることは必至です。また、トランプ大統領は連邦捜査局(FBI)長官代行の人事に絡めてセッションズ司法長官を非難し、同氏への攻撃を一段と強めています。ロシアの米大統領選干渉疑惑に対する捜査に関与しないと表明したセッションズ氏を辞任に追い込み、政権の体力を奪っている同捜査に対する影響力を取り戻そうとする狙いとみられますが、こんなことをしていたら、どんどん自らの足元を自分で崩して行くのではないでしょうか。 ■ 市場をうまくコントロールする米国FRB 2017年7月26日のFOMCでは、委員全員一致で金融政策の現状維持を決めました。4兆5千億ドル規模の保有証券の縮小について声明文では、前回の「年内に着手する」としていたものを、「比較的早く開始する」に修正しました。これにより次回9月のFOMCにおいてバランスシートを縮小し、直ちに実行に移すと見込まれます。満期を迎えた債券への再投資を減らすことで資産を縮小するかたちでしょう。開始時の資産圧縮規模は米国債が月60億ドル、住宅ローン担保証券(MBS)などは月40億ドルを上限とし、3か月ごとに上限を引き上げて、1年後には米国債が月300億ドル、MBSなどは月200億ドルとするようです。年内あと一回の利上げも見込まれます。FRBの正常化に向けた動きは慎重の上にも慎重のように見えます。それが結果として米国株式市場の主要指数の過去最高値更新を招いたり、米長期金利の上昇を抑制しているのではないでしょうか?FRBはうまく市場をコントロールして、市場参加者から信頼されていると思います。ここが決定的に日銀と違うところです。 ■ 防衛大臣と野党第一党首の同日辞任
■ 民進党の今後は? 民進党の次期代表選は、昨年9月の前回選挙にも出馬した前原誠司元外相と玉木雄一郎幹事長代理に加え、党内リベラル派の代表格の枝野幸男前幹事長が軸となりそうと言われています。普通に考えれば枝野氏が有力でしょう。さいたま市を地盤とする枝野氏は弁が立つので安倍総理が目の敵にしています。しかし、民主党に対する国民のトラウマは尋常ではありません。民進党になっても同じ状態が続いています。国民のトラウマを払しょくするには前原氏、枝野氏など、以前の民主党政権の閣僚経験者が表に出てはダメなのではないでしょうか。前原氏が国交相時代の八ッ場ダムの工事凍結で、関東一円の都知事、県知事から総スカンを食らいました。前原氏や枝野氏がもちろん優秀な政治家であることは分かりますが、ひのき舞台に出るためには、みそぎの舞台を一度経験しなければダメなのでは?と思います。民進党には解党的出直しが必要だと多くの声が出ていますね。それが国民の多数意見ではないでしょうか。 ■ ならば小池百合子? ただしだからと言って「都民ファースト」なの?ということは真剣に考えるべきです。「国民ファースト」で小池百合子氏の国政進出と言われていますが、都知事は2020年の東京オリンピックの責任があります。しかし年齢的に、オリンピック後ではオバアチャンで、国政進出はないでしょう。小池百合子氏が都知事を投げだしたら、今度は都民の猛反発を食らうでしょう。「都民ファースト」は、トランプ大統領の「アメリカファースト」のように「東京ファースト」ではありませんが、カタカナ言葉は日本では「印象操作」に使われます。結局、都議選で都民ファーストが勝ったのは、アンチ自民、アンチ安倍の票が集まっただけなのでしょう。小池百合子氏は石破さんを支持したことで安倍自民党から干され、都知事に転身したわけです。そこで安倍政権と真逆の主張をしたことが正解でした。政治思想は保守的ですが、有権者に寄り添い、ウソをつかない、権力をひけらかさないということで、まさに国民の意思を忖度する力が小池百合子氏にあったということです。 ■ チルドレン、いい加減にして 安倍1強で盤石かと思われていたのに一転支持率急落の安倍政権と自民党、実は日本人にはこういう面があるんですね。小泉チルドレン、小沢チルドレン、安倍チルドレン、そして今度は小池チルドレン、波がドバーッと右に左に大揺れに揺れるのです。それはすなわち、無党派層が多いからです。都議選でも公明党や共産党はしっかり結果を出し、支持基盤の盤石さを示しました。つまり自民党は前回都議選で無党派層から産み出された安倍チルドレンが負けたのです。ただそれだけではここまで「都民ファースト」は勝てなかったはず、つまり自民支持層の中から「都民ファースト」へ流れた票があるということです。波によって産み出されたチルドレンはまだ政治経験未熟な人たち、様々な問題を起こします。ただし、ベテランの政治家が良いかというと、権謀術数、言った言わない、記憶にない、記録が無い、これまた困ったもの、蓮舫さんが言うように、「今なすべきことは、自分自身をもう一度見つめ直すこと」というのは有権者たる私たち自身ではないでしょうか。人気投票ではなく、しっかりと政治的主張を分析して投票すべきです。「都民ファースト」にしても、いったいその政策は何だったのですか?自民党とどういう違いがあったのですか?安倍政権の失策に乗じただけの気がします。 ■ 囲碁七冠再奪取に本因坊文裕の意欲 囲碁の本因坊文裕(もんゆう)の井山裕太氏(28)は2017年7月28日、大阪市北区の日本棋院関西総本部での第42期名人戦の挑戦者決定リーグ戦で村川大介八段(26)を降し、全勝で高尾紳路名人(40)への挑戦権を獲得しました。昨年4月の十段戦で伊田篤史十段(23)を破り、囲碁界初の七冠同時制覇を達成した後、第71期本因坊決定戦七番勝負を制し、5連覇で永世(二十六世)本因坊の資格を得た井山裕太氏は、新たな号として「本因坊文裕(もんゆう)」を名乗ることにしたわけです。しかし、その後11月に名人位の防衛に失敗し、六冠に後退しましたが、その後は、順に王座、天元、棋聖、十段、本因坊、碁聖をすべて防衛し、リターンマッチで七冠返り咲きに挑みます。名人戦七番勝負第1局は8月末から始まります。座右の銘は大リーグ・イチロー選手の言葉「小さいことを積み重ねることがとんでもないところに行くただ一つの道」だそうです。囲碁界のスーパースターから目が離せません。 ■ 喫煙人口
■ 平均寿命、過去最高=男性80.98歳、女性87.14歳 厚生労働省は2017年7月27日、2016年の日本人の平均寿命は男性が80.98歳、女性が87.14歳と発表しました。前年からの伸びは男性0.23歳、女性0.15歳で、いずれも過去最高を更新し、男女とも香港(男性81.32歳、女性87.34歳)に次ぐ世界2位でした。統計を取り始めた1947年は男性50.06歳、女性53.96歳だったのに、医療技術の進歩や公衆衛生の向上などに伴い、右肩上がりで伸びています。今年4月公表の将来推計人口では、平均寿命はさらなる上昇が見込まれ、2065年に男性で84.95歳、女性で91.35歳に達する可能性が示されました。 ■ 連合の撤回
■ 連合のなすべき原点に立ち返れ ただ見ていますと、年棒制の人は休みも少ない、眠いと言ってたりして、大丈夫かな?と心配になります。やはりリフレッシュは大事です。それを自己管理に任せるだけでは心を病む人も出てくるでしょう。政府の言う「働き方改革」は大事です。 連合は自らの組織のあるべき姿をもう一度見直して、本来の賃上げなどに精力を注ぐべきでしょう。前回も書いたように、日本の労働者が長い間賃金が上がらず(実質下がっています)、韓国にさえも抜かれて、先進国では最低クラスまで下がってきた責任の一端は連合にもあると自覚すべきです。 ■ 夏の高校野球、埼玉代表は花咲徳栄 毎年この時期、ギラギラ照り付ける真夏の太陽の下、かつての少年野球の選手たちが活躍する球場のスタンドで応援します。最近は毎年必ず我がチーム出身の選手たちがいいところまで行ってくれます。甲子園球場にも応援に行くぞ!という気持ちで毎年応援に行くのですが、あと一歩で残念!という結果に終わっています。2017年7月21日(金)の上尾市民球場は暑かった!スタンドの席に腰を下ろすとアッチッチ、この日は我が少年野球チーム出身の選手が出場する2校の試合があり、共に勝ちました。しかし7月23日(日)に今年も2校ともBEST4目前でとん挫しました。そして埼玉代表は3年連続で花咲徳栄、昨年秋、今年春と浦和学院に決勝戦で敗れましたが、見事夏の甲子園切符を手にしました。関東大会優勝の浦和学院は全国トップクラスの実力がありました。しかし、今の選手たちには甲子園経験がありません。対して花咲徳栄の選手たちは1年生、2年生と甲子園を経験しました。ここに微妙な差が出ました。野球は本当にメンタルスポーツだなぁと思いました。 春の関東大会で花咲徳栄は1回戦早実と9-9タイブレークの末サヨナラ負け、その早実は作新学院(栃木)に4-8負けました。浦和学院は2回戦横浜に2-0完封勝利、3回戦前橋育英に2-0完封勝利、準決勝日大三(東京)に6-4勝利、決勝では東海大相模(神奈川)に3-2勝って2年ぶり6度目の優勝でした。こんな強いウラガクでも、夏は花咲徳栄に負けたのです。 ■ 西東京、早実敗れる 第99回全国高校野球選手権大会も、代表は宮城の1校を残すだけになりました。春のセンバツ、第89回選抜高校野球大会は決勝が大阪対決となり、大阪桐蔭が履正社を破って優勝しました。早実は2回戦で東海大福岡に敗れ、東海大福岡は準々決勝で大阪桐蔭に敗れました。センバツBEST4の中で熊本代表・秀岳館は夏も出てきますが、履正社と報徳学園(兵庫)は居ません。東東京は二松学舎大付属が2回目、ふじみ野出身の小峰英輔主将を応援して以来です。西東京大会決勝、早実は清宮幸太郎主将の人気で神宮球場のスタンドを満員にしましたが、エラーで敗れました。高野連の関係者は口惜しいでしょうね。甲子園に清宮が居ると居ないでは大違いです。松井や清原以来の打のスターでした。東海大菅生は2年前、5-0でリードしながら「魔の8回」に大逆転され、早実に甲子園切符をもぎ取られました。その時の4番バッターがふじみ野リトルシニアの指導をしてくれています。今回はまさにリベンジを果たしました。いくら打のスターがいても、好投手と堅守にはかなわないことを証明した試合でした。1-1で迎えた五回2死1塁で打球が三塁線へ、ガッチリ捕った1年生三塁手の生沼(おいぬま)の送球は一塁へ、ヨシ!アウトだと思った瞬間、一塁手清宮は2バウンド目はじいて後ろにそらしてしまったのです。「ボールがはねて、グラブの土手に当ててしまった」と清宮は言いました。一塁走者が一気に生還し、勝ち越され、さらに長短打で2点を奪われました。記録は三塁手のエラーですが、清宮が体を伸ばして捕ろうとしたまでは良かったのですが、ミットを上に向けて捕れば何ということのない送球を下向きで捕ろうとしたのが間違いです。身体を立ててすくいあげるようにショートバウンド捕球するならともかく、体を伸ばして捕るなら上向きが基本です。清宮は1年生をかばい、捕球できなかった自らを悔やみました。九回にも再び、守備が乱れました。1死1塁で、ゴロを捕った清宮が1塁へ悪送球、これをきっかけにダメ押しの2点を失いました。清宮で負けたのですから仕方ありません。 ■ 大阪の球児、なぜ全国で活躍?
■ 大阪は野球が強い 大阪や兵庫出身の選手は全国に散らばって甲子園を目指します。伊丹(兵庫県)のリトルでバッテリーを組んでいた田中将大は駒大苫小牧へ、坂本勇人は光星学院へ、ピッチャー坂本、キャッチャー田中でした。同世代の前田健太は大阪出身、少年野球でもダントツに強いのが大阪です。軟式学童野球でも優勝回数は大阪が頭抜けていて、埼玉県はどうしても準優勝止まりなのです。大阪が強いのは、その野球熱の高さのためと言われています。有力選手が多く輩出する硬式の「ボーイズ」、「シニア」の両リーグの選手数は、昨年度大阪が4,774人で、東京の4,506人を上回ります。中学生の総数では東京が約7万人も多いのにです。大阪が強いのには他にも理由があるはずです。 ■ 情報化が進み、大阪から全国へ散らばる 昔はシニアでトップの選手がPL学園に行き、こぼれた選手が府内の強豪校へ行く、それでも大阪では試合に出られない確率が高い、それなら府外へ、ということでした。ところが、今は事情が変わりました。実力があっても他県へ進む選手が増えたのです。激戦地の大阪で甲子園を目指すより、確率の高い学校へ行って甲子園を目指そうという有力選手が増えたのです。田中将大や坂本勇人もそうでしょう。情報化が進んで、全国の学校や指導者の情報が入手しやすくなり、地域を問わずに甲子園に出れそうな学校を選ぶようになったのです。大阪のボーイズやシニアの練習や試合には全国の高校から関係者が視察に来て、スカウトする時代です。結局大阪近辺の選手が優秀なのは、少年野球にあると思います。学童時代から切磋琢磨して優秀な選手たちが育つ、そういう素地があるからと思います。 ■ PL時代から大阪桐蔭時代へ そう言えば今春の選抜大会は史上初の大阪勢の決勝対決で、近畿大会は出場3校が4強揃い踏みでした。甲子園に隣接する「おひざ元」で、ハイレベルな覇権争いが展開されています。履正社は昨年を含め、夏の全国選手権に3回出場していますが、大阪桐蔭に勝って出たのは1997年だけで、夏に限れば9連敗中でした。昨秋以降の直接対決は1勝1敗。「履正社が大阪を引っ張る存在になるためにも、今年勝って歴史を変えたい」と意気込みましたが今年も準決勝で大阪桐蔭に敗退、夏10連敗です。2012年以降、春夏の甲子園に両校以外が出場したのは2015年夏の大阪偕星だけです。ただ、かつて大阪は「私学7強」が覇権を争ったものです。甲子園優勝経験のある浪商(現・大体大浪商)、明星、興国、PL学園、近大付の5校に、多くのプロ選手を輩出した北陽(関大北陽)と大鉄(阪南大)。特に1960〜70年代は毎年のように代表校が変わる戦国時代でした。そこから抜け出したのがPL学園です。桑田、清原らを擁し、1983〜85年に大阪では史上初となる3年連続出場で、1978年夏の初優勝から10年間で、春夏合わせて7度も甲子園を制しました。筆者の旧居の3軒隣のNさんはPL学園からホンダ狭山に入り鳴らした方です。そのPL野球部もその長い歴史を今年閉じました。大阪桐蔭の西谷監督が「転機」と振り返るのは2000年です。西岡剛(阪神)が希望したPLに入れず、大阪桐蔭へ来て、絶対にPLに勝つという気迫で頑張り、西岡時代、PLに1度しか負けず、PLで暴力事件が起こったこともあり、潮目が変わったのだそうです。西岡の活躍で「これからは桐蔭の時代が来る」と言われるようになったのだそうです。大阪を制する者は全国を制す?いよいよ「大阪夏の陣」の開幕です。 (2017年7月31日) |