210 忖度と斟酌
本日の標題はもう皆さんお気づきですね。連日これでもかとニュースでやっていて、もう1ヶ月以上国会であぁでもない、こうでもないとやっている問題です。自民党の二階幹事長はこんな問題で国会が空転するのはオカシイと言っています。確かにその通りです。3回前に採り上げましたから、なんで今更というのが普通です。 ■ どう考えてもオカシイ問題 評価額が9億5600万円の国有地が1億3400万円で大阪府の学校法人「森友学園」に売却されました。どうしてこんなにスイスイ事が進んだのか、どう考えてもオカシイというのは与党議員の間からもささやかれていました。この学校法人と安倍晋三首相夫妻との親密な関係に注目が集まっていましたが、途中から稲田朋美防衛相が議員になる前に籠池氏の顧問弁護士だったのでは?という国会での追及に「絶対無い」と言っていたのが、裁判所の法廷記録で第1回口頭弁論に出頭していたことがわかって謝罪し、野党が「虚偽答弁だ」と辞任要求する事態になりました。 ■ 「書類を破棄」するのは今や不可能 普通に考えたらオカシイ話に当初から安部首相が妙に気色ばんで答弁したり、稲田朋美防衛相が絶対無いと断言調に否定したり、籠池氏の参考人招致にどうして自民・公明両党があんなに反対するのか、どうもオカシイ、何かがあるのかな?と思ったから、報道陣が連日ワイワイやったわけです。疑われた時に、やましいことが無ければ堂々と答えれば良いのですが、「書類は破棄した」なんてアリエナイことを言うから疑われるのです。南スーダンPKO部隊の日報問題で明らかなように、「書類を破棄した」などというのはそれが10年前の問題ならともかく、今は有り得ません。今時書類はすべてコンピュータで作成しますから、昔と違って紙を燃やせば良いとはなりません。たとえ「削除」してもゴミ箱に入り、更にゴミ箱の中身を整理して抹消してもハードディスクのどこかに残っているのです。ましてや官庁に限らず今や書類は複数の人の間でファイルとして渡りますから、完全に削除するには関係者のコンピュータすべてのハードディスクをフォーマットするしかありません。しかもネットを使えばその過程で盗み取られるのは今や当たり前です。「書類を破棄」するのは今や不可能だし、すべてフォーマットなんて絶対やりません。したがって「書類が無い」というのはそれ自体「探していません」もしくは「出したくありません」ということを意味しているのです。マスコミもそういうことはわかっていますから、しつこく連日ワイワイやったのです。 ■ 絶大なる力に対し忖度 官僚は大変だなぁと思うのは、自分の前任者の案件であっても、知らぬ存ぜぬと答えなければならない点です。辛いでしょうね。ウソも突き通しているうちにだんだん真実になってくると良く言われます。ただ書類を一番大事にする財務省が「破棄した」とか、国土交通省の航空局がゴミの処分費用を自ら算定し、専門家でなくてもそんな馬鹿なと思う金額で値引きしたり、大阪府の私学審議会で当初の方向と一転して認可に転じたり、何か大きな力が働かなければ起き得ないことが次々と起きたことに、国民の過半数がオカシイ、徹底的に調べよという世論調査になったわけです。今、日本では首相の絶大な人気により、自民党内でさえも一強多弱、首相官邸の力が絶対的になっています。中央省庁のそれも一定以上の地位にある官僚は、頭が良いですから、橋下徹さんは役人が「忖度」したんじゃないか、と言いました。ソンタク、皆さん経験ありますか?他人の気持ちを推し量ることです。同じような言葉で「斟酌」というのもありますね。シンシャクは相手の心情を推し量った上で、それを汲み取って何か処置をすることです。そういう意味では、今回の事件は「斟酌」のほうが適当かなという気もしましたが、実は日本語では斟酌は手心を加える、言動を控えめにする、遠慮するといった意味合いの時に使われることが多く、あまり深く考えずに忖度したのだとすれば、こちらのほうが適当でしょう。 ■ 寄付金を頂いた? しかし森友学園の幼稚園の問題で批判が起きて、大阪府の松井知事がこんなオカシイ学校は認可できないと言い出して籠池氏は切れました。小学校の認可申請を取り下げ、大阪府、そのトップの松井知事や、これまで支援してくれた保守陣営に対しても怒り心頭となったために籠池氏は逆襲に転じたのかもしれません。参議院予算委員会による3月16日の現地調査の場で籠池氏は、この学校には多数の意思が寄せられ、その中には恐縮ながら安部総理の意思もある、と述べました。その後の野党議員との懇談で、2015年9月5日昭恵夫人の講演会で、昭恵夫人から、「どうぞ、これをお使いください。安倍晋三からです」と言われ、寄付金100万円を差し出され、「領収書はどういたしましょうか」と確認すると、昭恵夫人は「それは、もう結構でございますので」と断られたと述べたのです。寄付金を渡したことについて、昭恵夫人の関与は無いことを確認したと菅義偉官房長官は説明しました。昭恵夫人「全く覚えていない」と話しているそうです。これを受けて、自民党は一転、籠池氏を参考人招致ではなく証人喚問し、3月23日に衆参各院で質疑を行うことで民進党と合意しました。籠池氏はもともと怪しい人物ですから、徹底的に証人として話させれば良いわけで、国会の対応は遅きに失しました。首相が「もし自分たちが関与したことが明らかになったら責任を取って議員をやめる」と言うくらいですから、直接的な関与は無いのでしょう。それならどうして1ヶ月以上、グダグダとやったのでしょう?「書類破棄」「会っていない」「記憶にない」「絶対無い」・・・そういうことが次々に覆される、どうしてこんな情けない国になったのでしょうか。 ■ 海外メディアも注目 英国BBCニュースは、この問題を詳報し、森友学園の籠池氏が、戦前の日本の価値観を称賛し、平和主義を標榜する現在の憲法に反対するナショナリストのロビー団体「日本会議」の大阪支部で、運営委員を務めていて、安倍首相や閣僚メンバーらも、「日本会議」と強いつながりが指摘されていると報じています。これが安倍首相の評判に深刻なダメージを及ぼすリスクがあり、安倍首相の支持率は急低下を続け、日経新聞電子版が読者を対象に今月初旬に実施した調査では、内閣支持率は36.1%と、前週調査の63.7%から急落した、と報じました。海外メディアは日本のマスコミに比べれば随分冷静な感じですが、トランプさんとゴルフをして意気揚々だった安部総理が、なんでこんな問題にてこずっているのか?そこが不思議みたいですね。 ■ 日本の右傾化 「安倍首相や閣僚メンバー」という表現は、稲田朋美防衛相を指すと思われます。安倍首相や稲田防衛相が必死になって打ち消そうとした籠池氏をめぐる保守人脈に焦点が当たりました。「関西防衛を支える会」(関防会)を足掛かりに飛躍を遂げたのが籠池氏と稲田氏でした。20世紀の終末期から日本社会全体の「右傾化」が進みました。「新しい歴史教科書をつくる会」は1997年1月に発足、第1次安倍内閣の2006年、「愛国心」を盛り込んだ改正教育基本法が成立、当時設置された教育再生会議は2007年に、道徳の教科化を打ち出しました。こうした中、大阪の政界は一人の風雲児:橋下徹氏によって激変期を迎えました。橋下氏は2010年4月に地域政党「大阪維新の会」を創設して代表に就任、2012年9月には国政に進出する全国政党として「日本維新の会」(以下、維新)を設立しました。維新の中核的存在の橋下氏や松井一郎氏は、石原慎太郎氏や安倍晋三氏と親交を深めました。元大阪市長の平松氏曰く「自民もダメ、民主もあかんという人たちが、何かやってくれるやろうと期待した維新は、現実には自民よりも右寄りやった」わけです。今回、籠池氏は自分の味方と思っていた人たちから裏切られたと思ったのでしょう。 ■ 催花雨 雨が降りませんね。ちょっと降っても雨量が少ないのです。雨が降ると植物が活き活きして萌えてくるのがこの時期の雨の特徴です。例年なら、3月中ごろから4月にかけて高気圧が北に片寄ると、日本の南岸沿いに前線が停滞して、関東以西では梅雨どきのような雨が降り続きます。菜の花の咲くころにあたるため、「菜種梅雨(なたねづゆ)」と言われています。「春の長雨」「春霖(しゅんりん)」のほか、「催花雨(さいかう)」という言い方もあります。「催花雨」は、桜をはじめいろいろな花が咲くのを催促する雨という意味です。「催花」が同音の「菜花」に通ずることから、「菜花雨」「菜種梅雨」になったという説もあります。「春雨(はるさめ)」も、このころの雨を指して言う場合が多く、月形半平太の名せりふ「春雨じゃ、濡れてゆこう」も、草木の芽を張らせ花を咲かせる柔らかい春の雨だからこそ、粋に聞こえます。
■ そして誰もいなくなった 普通なら訃報の後には何も書きませんが、渡瀬恒彦さんは人柄が滲み出る大好きな俳優だったので追悼の追い書きです。亡くなる前日もまだ台本を持って勉強していたみたいなので、家族もまさかと思われたでしょうが、「人間死ぬまで勉強だ」という理想的な人生を全うしたのではないかと思います。3月25日(土)、26日(日)テレビ朝日で二夜連続21時〜放送されるアガサ・クリスティ原作のスペシャルドラマ「そして誰もいなくなった」が遺作となりました。主演は仲間由紀恵、ほかに向井理、柳葉敏郎、大地真央、余貴美子、國村隼、藤真利子、橋爪功、津川雅彦、荒川良々、沢村一樹などそうそうたる役者揃いのドラマです。 ■ 大原麗子さんとの結婚 もうひとつ、渡瀬恒彦さんに関連して最初の妻・大原麗子さんとどうして別れたのだろう?と気になりました。「大原麗子」と言えば日本的な美人女優として、その右に出るヒトはなかなか現れないだろうというほどの女優でした。「すこし愛して、なが〜く愛して」のフレーズで知られるサントリーレッドのCMは大ヒットしました。渡瀬恒彦さんとは4年半、その後歌手の森進一さんと4年の結婚生活でした。森進一さんとの離婚会見で大原麗子さんは「家庭に二人男がいた」と言いました。離婚には未練の残る夫と、サバサバした妻という別れのシーンでした。つまり妻は家に居て家庭を守るものという森進一さんと、女優業で忙しい大原麗子さんの生き甲斐のミスマッチングだったのでしょう。 ■ ギランバレー症候群 実弟の政光さんによれば、大原麗子さんは離婚してからも渡瀬恒彦さんを愛していたそうです。すなわち別れた理由は好き嫌いではなく、結婚後ますます大原麗子さんの人気が出て、家庭どころではなくなったことで、渡瀬恒彦さん本人と言うより渡瀬家の皆さんとの間に溝が出来てしまったみたいですね。「家」という概念が結婚の基本だった時代を表す話です。また結婚中に大原麗子さんは運動神経の関係で力が入らなくなるギランバレー症候群を発症しました。この難病が原因でドラマを途中降板して東大病院に入院しましたが、初めて仕事から離れた闘病生活は、皮肉なことに、役者として生きる決意を固めることになったようです。渡瀬恒彦さんは献身的に看病したそうです。発症から1年後、復帰した大原麗子さんは、演技力により一層磨きがかかり、オファー殺到、彼女はこう書き残しています・・・断腸の想いで渡瀬と私二人は決意したんです・・・ ■ 孤独死 森進一さんとの結婚は森進一さんが大原麗子さんを大好きだったからのようですが、この結婚生活は上手く行きませんでした。内容は控えます。大原麗子さんが男として好きだったのは渡瀬恒彦さんでしたが、役者として好きだったのは田村正和さん、そして高倉健さん、ビートたけしさん、やはり男らしいというか、背筋がピンとしていながら芯に優しさのある男が好きだったようです。高倉健さんの近くに豪邸を建てました。晩年は、躁鬱傾向もあって、森光子さんや浅丘ルリ子さんに長電話をかけたりしていたようです。連絡が取れず不審に思った政光さんが、自宅で孤独死しているのを見つけました。死後3日、死因は脳内出血、62歳でした。2009年8月のことです。大原麗子さんがもし渡瀬恒彦さんの妻として、山口百恵さん的生き方をしていれば違った生涯となったでしょう。運命です。 (2017年3月18日) |