199  カバー

 2016年も本日で終りです。皆様にとってはどんな年だったでしょうか?我が身にすれば連日露天風呂に浸かれて、この上無い至福の1年でした。額に汗して働いている方からすると、「ふざけんな、この野郎」というところでしょう、ゴメンナサイ。しかし若い頃は電通の社員みたいに働きましたから、その反動なんですよ。

■ 第67回紅白歌合戦・・・「東京五輪音頭」の何故?
 紅白歌合戦に我が福田こうへいは「東京五輪音頭」で出場するそうです。これは2年前の紅白歌合戦でも歌っています。このときは、ファンからすれば当然「峠越え」だと思っていたので「何故?」と騒ぎになりました。今回も「北の出世船」だと思っていたので、またまた「何故?」と思ったのではないでしょうか。実はこの裏には「東京五輪音頭」に対するNHKの並々ならぬ思い入れがあるようなのです。この歌は1964年10月に開催された東京オリンピックのテーマソングで、日本放送協会(NHK)制定曲なのだそうです。東京五輪の前年の楽曲発表の際に歌唱したのは三橋美智也であり、作曲者の古賀政男自身も三橋美智也が歌うことを想定して作曲したそうですが、東京オリンピックという戦後日本最大のイベントなので、異例の競作、オープン扱いにしたのだそうです。

福田こうへい
その中で三波春夫盤のレコードが最も多く売れたこともあり、現在では元々三波春夫の持ち歌であったと思っている人が多いと思いますが、実は三波春夫(テイチク)、橋幸夫(ビクター)、三橋美智也(キング)、坂本九(東芝)、北島三郎・畠山みどり(コロムビア)、大木伸夫・司富子(ポリドール)、つくば兄弟・神楽坂浮子(ビクター)などの競作で発売されたのだそうですヨ。

■ シベリア抑留から帰還した三波春夫
 12月29日NHK総合TVで紅白の見どころを紹介する番組が放送されました。司会は下で紹介する橋本奈穂子アナでした。その中で、この歌を歌う福田こうへいに、”当時、三波春夫がどんな思いでこの歌を歌っていたのか”を、娘さんである三波(八島)美夕紀さんがお話する場面がありました。美夕紀さんは長女として三波春夫の晩年11年間マネージャを務め、今は且O波春夫クリエイツの代表取締役です。三波春夫のオフィシャルホームページというのが今でもあります。20歳で陸軍に徴兵され、シベリアで捕虜として22歳から26歳まで抑留生活の末に帰還した三波春夫は、彼の言葉を借りれば、「日本は、日本人は、頑張って、こんなに戦後復興を遂げたんですよ、ということを、戦後初めて世界に示すイベントである東京五輪はなんとしても成功してもらいたいと思った」という思いのもとに、どんなイベントでもレコード店回りでも、この歌をまず歌って、普及に努めたそうです。筆者の伯父さんも同様にシベリア抑留の末に帰還した人でしたが、その体験は家族にも一切話すことなく長い人生を終えました。

■ 話せない戦争体験
 我が父は出征した師団の中で数パーセントの生き残りでした。フィリピンで捕虜となり、米軍に捕らわれましたが、床屋だったので米兵の頭を刈って腕が良いと評判になり、米兵と仲良くなって、捕虜としては異例の厚遇を受けたそうです。それでも戦争体験を話してくれたのは70歳を過ぎてからでした。ジャングルの中を逃げ回る中で、仲間が1人死に、2人死に、やがて埋葬さえもできず、とかげ、へび、かえるを食って...思い出したくも無い辛い体験だったからでしょう。ましてやシベリア帰りの伯父さんの受けた体験は80歳を過ぎても話したくない辛い出来事だったのではないかと思われます。我が子供時代、近所のお店の親父さんもシベリア帰りで、社会主義を唱えて、周りからは「洗脳されたみたいだ」と言われてましたが、もともと人望のある人で、やがて議員になり名士になって、だんだんと言うことが穏やかになって行きました。ソ連は抑留生活の中で捕虜に徹底的に政治思想を植え付けたようです。生きて帰りたければ...ということもあったのではないでしょうか。極寒の収容所生活の悲惨さは語り継がれていますが、多くの捕虜が死んでいく中で生き残って還ってきた人たちの思いは如何ばかりだったか....頭が狂うようなおぞましい体験だったと思います。

■ 並々ならぬ「東京五輪音頭」に対するNHKの思い入れ
 戦後復興を象徴するイベントを前に、死んだ仲間たちの分まで、何としても成功して欲しいと願う強い気持ちを乗せて三波春夫は歌ったのではないでしょうか。NHK紅白歌合戦では、1963年の第14回のエンディングで歌唱されました。紅白のエンディングでは、通常「蛍の光」が歌われることが恒例で、「蛍の光」以外の楽曲が歌唱されたのはこの時のみだそうです。また第一部が「昭和の紅白」として開催された1989年の第40回NHK紅白歌合戦でも三波春夫が歌いました。2020年の東京オリンピック開催が決まった2013年の紅白では歌われませんでしたが、翌2014年の第65回では福田こうへい、2015年の第66回では伍代夏子によるカバーがそれぞれ披露されました。そして2016年は再び福田こうへい、3年連続この歌を本来ヒット曲のある歌手にカバーさせるのは何故?そこにNHKの「東京五輪音頭」に対する並々ならぬ思い入れがあるのだと想像します。今回のテーマは「夢を歌おう」。東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年に向かって、「歌の力」で皆の夢を応援したいというコンセプトから発表されたテーマで、オリンピックイヤーを目前にした2019年の「第70回紅白歌合戦」までの4年間、この「夢を歌おう」は継続してテーマに掲げられるのだそうです。そして今、三波春夫をカバーできる歌手と言ったら三山ひろしも居ますが、紅白の舞台に於いては福田こうへいをおいて他に居ない、これが理由のようです。

■ 紅白歌合戦初出場歌手
 今回の紅白歌合戦には紅組…市川由紀乃、宇多田ヒカル、大竹しのぶ、欅坂46、PUFFY、白組…桐谷健太、KinKiKids、THE YELLOW MONKEY、RADWIMPS、RADIO FISHの計10組が初出場します。宇多田ヒカルは、NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」の主題歌になった「花束を君に」で、やっと出てくれたという感じですが、何故今頃初出場?という歌手はKinKiKidsとPUFFYですね。一時期紅白歌合戦に出ないで、別のライブをやってるほうがカッコイイという時代もありました。KinKiKidsはデビュー曲の「硝子の少年」、PUFFYは「PUFFY 20周年紅白スペシャル」を歌うそうです。両者とも筆者大好きです。ただ、大竹しのぶと郷ひろみはどうして?と思います。今回は細川たかしの引退や和田アキ子の落選が話題になりましたが、何よりもSMAPが出ないというのが最大のショックのようです。大晦日は紅白歌合戦、そしてSMAPというのがずっと定番でしたから、ポッカリ穴が開いた感じは否めません。
市川由紀乃

■ カバー歌手
 福田こうへいが一昨年に続き三波春夫をカバーするわけですが、他の歌手の歌を歌う、すなわちカバーするというのは、余程歌が上手くないとできません。ちあきなおみや藤圭子はカバーしながら本家より上手いと評判でしたが、現役のカバー歌手の双璧と言ったら福田こうへいと川野夏美だと思います。福田こうへいは三橋美智也の歌をカバーする歌手として有名ですが、それ以外の歌手の歌でも天下一品です。川野夏美は「悲別」や「九官鳥」がヒットしていますが、演歌のみならず、ポップスでもリズム歌謡でも器用に歌いこなし、しかも本家より上手いと言われています。まだ紅白には出ていませんが、市川由紀乃が今年悲願の初出場で、来年は川野夏美が有力でしょう。鳥羽一郎の「男の港」もカバーしていますが、大分出身ですから歌が合っています。
川野夏美

■ レコード大賞は西野カナ
 第58回日本レコード大賞は西野カナさんが「あなたの好きなところ」で大賞を初受賞しました。このところレコード大賞はAKBとEXILEが独占しており、若干音楽業界をしらけさせていました。まあ演歌はもはやレコード大賞には無縁だと思いますが、近年のレコード大賞は、昔の輝きを失ってしまいました。週刊文春に叩かれるのも仕方ないところです。西野カナは有線大賞に続いての受賞ですから順当でしょう。2010年に発売した2枚目のアルバム『to LOVE』が大ヒットしました。大賞候補の「優秀作品賞」には2011年から6年連続で選ばれていて、“6度目の正直”となりました。子供の頃からお母さんの知人に民謡を習い、三重高校在学中には津軽民謡を習うなどしてボイストレーニングを行い、いつも母親と一緒に協力して練習に励んでいたそうです。そういう素地があって大成したわけですね。最優秀新人賞は韓国の7人組男性グループ「iKON(アイコン)」が選ばれました。

■ 糸魚川大火
 年も押し詰まっての新潟県糸魚川市の大火は2016年12月22日出火、折からの強風によって延焼、歴史的な街並みを誇った市街地が炎に包まれました。最初は消火に当たっていた住民たちも、ヤバイと悟って避難したようですが、死者ゼロというのは地域防災の観点から特筆すべきです。住宅密集というハード的な面では今後に対策すべき点はありますが、避難と言うソフト的な面では見習うべき点があります。
 そうは言いながら被災者は気の毒でなりません。被災者に対する糸魚川市の見舞金は1世帯当たり10万円で、支援金も1世帯当たり10万円、市内の住宅に新たに入居した被災者が対象で、年内に配布を終える予定だそうです。政府は住宅を焼失した人などに、最大3百万円の支援金を支給するそうです。被災者生活再建支援法に基づく措置で、火災で支給するのは初めてとのこと。
 この大火に関連してテレビに東京理科大学の関澤愛教授が解説で出られて、久し振りで懐かしく思いました。神楽坂キャンパスにいらっしゃいますが、日本の火災に関する権威で、東京大学で開かれていた「防災事例研究会」でお世話になりました。もともと消防研究所にいらっしゃった方です。東京理科大学の藤嶋学長は光触媒の権威でノーベル賞候補です。

関澤愛教授

■ NHKの橋本奈穂子アナウンサー結婚
 NHKの橋本奈穂子アナウンサー(36)が数ヶ月前結婚していたそうです。それがどうした!いや実はこのエッセイで以前各局の看板アナを紹介しました。99『空き家』(2015年1月26日)です。NHKでは鈴木奈穂子さんと橋本奈穂子さん、井上あさひさん、上條倫子さん、和久田麻由子さんが好きと書きました。「ハプニングに動じない度胸と落ち着きがあって、ニュースだろうがバラエティだろうがこなしてしまいます。独身なのは惜しいな〜と思います」と書いていました。結婚おめでとうございます。橋本アナは現在「NHKニュース7」(毎日19時)の土、日、祝日のサブキャスターや、音楽番組「うたコン」(火曜19時30分)の司会も務め、報道とエンターテインメントの両方をこなす実力派です。今年の紅白歌合戦ではバナナマンと一緒に副音声の「紅白ウラトークチャンネル」の司会を務めるそうです。
橋本奈穂子アナ

■ 就職氷河期世代
 今は就職環境に恵まれていますが、学校卒業時にバブル崩壊後の就職氷河期に直面し、非正規雇用で働き続けたり、転職を繰り返したりした世代がそろそろ40代になります。結婚せずフリーターしていたり、障害があって仕事が出来ず、実家で暮らしている人を多く見かけます。元気な親はいずれ老い、自分も年を取ります。10年後には彼らが50代になり、20年後は老人になります。今後を考えたとき、言い知れぬ不安がこみ上げて来る人が多いのではないでしょうか。この世代の親はちょうど団塊世代以上の人たちで、70代前後の高齢者です。筆者もその中の一番若い層に属します。この人たちには高齢者の概念を壊す三つの特徴があります。

■ @企業福祉の後退世代
 このエッセイで度々書いて来たように、職業人生の終盤に「失われた20年」があり、企業間競争の激化によるリストラや年功序列型賃金の崩壊で、退職金や福利厚生を減らされた最初の世代です。一方で「逃げ切り世代」とも言われますが、同じ世代の中で格差が大きくなったのが特徴です。その上の世代より恵まれてはいません。現在の後期高齢者世代は年金額が多く、医療費が低く、したがって長生きで100歳以上の人がざらに居ます。対してこの世代は、一番最初に「高齢貧困」に直面するかもしれない最初の世代です。

■ A家族福祉から排除されがちな世代
 核家族化した世代で、同居家族が多くありません。また、子供の非正規率が高く、子供からの援助をあてにできません。むしろ、親の年金を支えに暮らさなければならない子供を持っています。親の死を隠して年金を受給していて摘発されるケースがいま増えています。多くの手口は、親が生きていると偽って「年金受給権者現況届」を日本年金機構に郵送し、年金を振り込ませるものです。子供がブラック企業で働いていたり、非正規雇用だったり、精神疾患を持っていたりして、お互いを支えられず、共倒れしかねない家族が多いのです。

■ B長寿化世代
 健康寿命が70歳前後、日本人の平均寿命が男性80.79歳、女性87.05歳(2015年)ですから、定年後20年近くも生きることになります。年金支給額が年々減っていますが、これは原資を考えれば当然です。現在の後期高齢者世代は支払った保険料は少なかったのに、現役世代の人数が多く、その人たちが払ってくれた保険料によって年金を受給できました。そして現在の年金制度は既得権保護方式ですから、段々現役世代が減って保険料収入が減ったために年金支給額を減額せざるを得なくなったとき、新たに支給対象になった人を下げて、もちろん後期高齢者世代も下げますが、絶対額はより高齢であるほど高いという格差は維持されたままです。つまり、団塊世代は人口も多くて最も多く保険料を払った世代なのに年金受給額はその前の世代より低いのです。もちろん団塊世代以降の世代はもっと大変、若者に至っては年金制度がそれまで維持されているかという不安を持っていると思います。高齢者はどこかで医療、介護の世話になり、それがきっかけで経済的に破綻する人が増える可能性があります。

■ 危惧される高齢貧困に備えを
 高齢者の貧困は、以上の三つの要因で起こりやすくなっています。団塊世代の親と子供世代は今後、ある日突然、貧困に直面することになることを覚悟しなければならないので、もし備えられる場合は、想定して対策できるうちにしておかなければならないと考えます。

■ ノロウィルスとインフルエンザ
 ノロウイルスなどによる感染性胃腸炎が拡がっています。最新の1週間の患者数は、10年ぶりに大きな流行を示す「警報レベル」を超えました。この冬のノロウイルスは、遺伝子変異により、感染リスクが高まっている可能性があるということで、厚生労働省は、手洗いなどを徹底して感染を予防するよう呼びかけています。生牡蠣には10個に1個ノロウイルスが居て、最も感染確率の高い食材です。それでも若くて頑健な人は症状が出ません。体が弱っている時や老人子供が発症することが多いのです。
 この時期はインフルエンザも流行します。このウイルス対策は湿度が一番です。我が家では相対湿度が60%以上になるように次亜塩素酸水で加湿しています。除菌、防臭にもなり、且つ暖房では湿度が高ければ18℃ぐらいでも暖かく感じるので省エネ効果もあります。

■ 上海に大江戸温泉物語?
 上海に大江戸温泉物語の偽物ができたことが話題になっています。上海の運営会社:上海雲湯淋浴有限公司は正規のライセンスを受けていると主張していますが、本家大江戸温泉物語側はそのような事実はないと言っています。上海側が根拠としている「公認証明書」なる書類も、企業間で正規に取り交わした文書とは思えません。本家大江戸温泉物語の持株会社には米大手投資ファンドのベインキャピタルが入っていますので、ブランド価値の毀損には大変うるさいと思われ、法務費用がかかることも厭わず徹底的に白黒をつけるのではないかと思います。ただ裁判に訴えず、日本にはない中国特有の制度として行政(役所)に訴えるのではないでしょうか。参考になるケースとして、2014年に起きた富士急ハイランドのお化け屋敷が中国企業にパクられた事件があり、中国企業側は正規のライセンスを受けているという説明をしていましたが、結局、行政処分により、この中国企業には虚偽広告による過料(行政による金銭罰)と違法行為の停止が命じられ、現在も営業はしていますが閑古鳥が鳴いています。時間の問題です。

■ 日本大好きな中国人
 中国では遊園地などのアミューズメント施設がなかなか成功しません。だから中国人が大好きな日本のTDLやTDS、USJを真似たくなるわけです。中国人が日本で好きなものはたくさん挙げられています。「きれいな空気」なんてものもあります。中国では見られない青空とか、夕焼けも人気です。アニメも好き、ドラッグストアも好き、公衆トイレがキレイとか、交通機関が時間正確とか、店員さんの接客が素晴らしいとか、いっぱい好きなところがあるようです。日本に来て「カワイイ」などと言って買ってる商品が実はmade in chinaなんてよくあるのですが、不思議ですね。桜好きも半端じゃありません。春の上野は今や中国人だらけ、花見客は日本人より多いですよ。もちろん富士山なんてものもありますが、実は中国人は日本の温泉が大好きなのです。

■ 上海の極楽湯が大人気
 本来中国人は他人の入った風呂に入ることを好みません。それなのに何故日本の温泉は好きなのか?それはキレイであるということと、ただ入浴するだけでなく、飲んだり食べたりいろいろなサービスが付帯しているからのようです。温泉ではありませんが、国内で40店舗のスーパー銭湯をチェーン展開するジャスダック上場企業の極楽湯が、日本と同じクオリティの「スーパー銭湯極楽湯」を初の海外店舗として2013年に上海に開業し、2年後の2015年にも同じく上海に2号店をオープンしました。9つの浴槽、岩盤浴、サウナなどを備えており、大人気で長い行列ができる大繁盛だそうです。だったら大江戸温泉物語だ、ということになりますね。しかしパクリはいけません。ましてや店内にはクマモンみたいなぬいぐるみまで居て・・・・

■ 良いお年を
 2016年も今日で終わりです。「良いお年を・・」は英語で何て言うのでしょう。定番のあいさつは、I wish you a Happy New Year !またはBest wishes throughout the coming year.だそうです。いずれも来年のことを指してますね。「よい年」そのものは「新年」のことで良いわけですが、それを迎えるために「よい年を迎えられるように、今年の残り最後まで無事にお過ごしください」ということです。昔は日用品をツケ(クレジット)で買い、年末に清算していました。この支払いが出来るかどうかが庶民にとっては一番の心配ごとだったのです。大掃除して、最後に神棚や仏壇の拭き掃除、すべてが終わると年越しそばを食べて一年の無事を喜び合い、新しい年が無事迎えられることを神仏に感謝してお酒を飲んだのです。自宅のガラス窓を拭きながら、ガラスがすべて二重窓であることで空気断熱されていることに改めて思いを致しました。朝、屋外が氷点下まで冷え込んでも屋内の気温が暖房無しで10℃程度なのはこの断熱効果に寄ります。日中に差し込んだ太陽光で室内の床、壁、家具に蓄熱され、その熱で朝まで暖かい、有難いことです。
(2016年12月31日)


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