198  家族葬

 11月から年賀欠礼の葉書が多数届きました。その中に大変お世話になった方が亡くなられた挨拶状があります。実はある人から以前メールで知らされたとき、これは大変だ、すぐ焼香に行かなければ、と思いました。しかし、その方が年賀欠礼の葉書の画像をすぐ後に添付ファイルで送って下さって、それを見たとき考えが変わりました。

■ 喪中年賀欠礼の葉書
 年賀欠礼の葉書が当方に来ないのは、昨年転居したときその通知は送りましたが、母の逝去により年賀状は出さなかった(年賀欠礼の葉書は出した)ので、多分旧居の住所に葉書を出されて、戻っているんだろうと思いました。後で葉書が来たので、やはりそうだったんだ、と思いました。奥様からのお葉書では「葬儀は故人の遺志により近親者のみにて滞りなく執り行いました」とあります。当初は、「あんなにお世話になった方に何もしないわけにはいかない!」という気持ちになりましたが、大切なのは親族の立場になって考えてみることではないかと考え直しました。

■ 故人の遺志により
 確かに焼香したい、しかしそれは自分の気持ちである、自分を納得させるためではないか、と考えたのです。「故人の遺志により」とあるのは、自らの死後、家族にいろいろと弔いの迷惑をかけるのでは、と考えてのことでしょう。それであれば弔問は故人の遺志に反することになります。家族ぐるみの付き合いであれば遺族に弔意を表すために、予め問い合わせて同意を得て、遺族を慰めるために訪問することもあるでしょうが、仕事上の関係であれば、遺族とは直接の親交がないわけですから、自分の気持ちを押し付ける弔問は迷惑を掛けることになります。

■ 家族葬で
 昨年母を送ったときも家族葬でした。このときの模様は138『遺徳と功徳』(2015年11月3日)に書きました。生前の母と葬儀の形式について話し合っていたわけではありませんが、こどもたちの間では、年齢からして覚悟はしていたので、どのように行うかは考えていました。したがって「故人の遺志」ではありませんし、香典返しが面倒などと言うわけでもありませんが、家族葬で行うことは決めていました。母がお世話になった方は岩手県雫石町に多くいらっしゃる、親戚や幼馴染は岩手県宮古市はじめ岩手県各地にいらっしゃる、仙台で亡くなって、ここで葬儀せず火葬して雫石町で本葬する、ただし父の実家や子供たちの連れ合いの実家など本当に近しい人だけにとどめての家族葬にしました。

■ 弔問や香典、お供えは控える
 家族葬で行ったという通知を受けた側は、弔問や香典、お供えの類は控えるというのが一般的ではないでしょうか。香典返しなど、一連の事後のわずらわしさを避けたいということで家族葬にする場合もあるでしょう。一般的な葬儀ならば弔問客が集まってくるので、その相手をしたり、お茶を出したり、寿司をとったり、挨拶をしたり、そういう事が煩わしいという場合もあるでしょう。それなのに、家族葬後に「それでは気が済まない」という故人の知人が、五月雨式に来たらどうなるのでしょう?葬儀を終えた疲れの中で、これから先どうやって生きていこうか、途方に暮れている時、客が来るとなると寝間着のままではいけないし、部屋も掃除しないといけないし、挨拶したり、お辞儀をしたり・・・。訪れる方は10分程度でしょうが、待つ方は数倍の時間をかけて準備をするものです。また客が喪服の正装で来たら、真っ黒い服装を見て、家人は気がズシンと重くなります。それでなくても喪家は陰気くさくなっているのです。何故家族葬というスタイルにしたのか、そこを考えて、訪問そのものや、香典の持参そのものを見合わせる必要もあるかと思います。

■ 花を送る
 ただ、「それでは気が済まない」、「お線香をあげたい」という気持ちはどうしても消えない場合がありますね。それは故人のお蔭で自分の今がある、過去の栄光は、自分の人生の輝きは故人のお蔭である、と言うような場合、故人への感謝、ありがとうの気持ちを表したいという事で、遺族を煩わせないように香典ではなく、お供え物をと考えた場合、お菓子や線香ではなく花を送るのが良いのではと思います。お菓子や線香は、頂いた遺族の好みもあるでしょう。花ならば後で捨てれば良いだけです。

■ ありがとう
 大変お世話になった故人というのは、大卒新卒入社した時9歳上の先輩でした。技術から営業に転進されて、技術畑一筋の筆者をいつも引っ張って下さった方でした。先行き不透明な場合はなかなか一歩が踏み出せない意気地なしを、「まず進んでみよう、何か有ったらその時はその時で考えよう」という気性で明るく引っ張って下さるので、進むほどにどんどん霧が晴れて行く有様で、その後をついて行くのがとても楽な方でしたが、多分ご本人はものすごく辛い思いをしながら道を切り開いておられたのだと思います。仕事を離れても、お酒や歌も若い頃からいつも声掛け頂いて、楽しい思い出がいっぱいです。ご機嫌になると、鳥羽一郎の「男の港」という歌が出ました。とても歌が上手い方で、♪豊後 鶴御崎 男の港・・・満場拍手の歌でした。故人への感謝の気持ちだけは、綴らないわけにはいかないと思って、奥様にお手紙差し上げました。あの世で今頃、「男の港」とともに、吉幾三の「ありがとうの唄」を歌っているのではと思います。
 ♪ありがとう貧しさを あの時代ありがとう
 ♪寄せる波冬の風 勇気をありがとう
 ♪ありがとう言えるよな 最後であればいい
 ♪お前にも子供にも すべての人たちに
 ♪すべての人たちに

■ 興奮しました、クラブワールドカップ決勝
 サッカーの各大陸王者が世界一を争う「クラブワールドカップ(W杯)決勝 レアル・マドリード×鹿島」が12月18日に日本テレビ系で生中継され、NHKの「真田丸」と交互に見ました。瞬間最高視聴率は21時20分の36.8%だったそうです。近年これだけの高視聴率は珍しいですね。試合途中に発表された観客数は「6万8742人」で、過去最多だったそうです。試合はベンゼマのゴールでレアルが先制するも、柴崎岳が前半終了間際と後半早々にゴールを決めて鹿島が一時逆転、その後レアルはクリスティアーノ・ロナウドのPKで同点に追いつき、試合は延長戦へともつれ込みました。延長前半にC・ロナウドが続けざまに2点を決めてハットトリックを達成し、最終的に4-2でレアルが勝利して世界一の座を手にしましたが、鹿島の善戦に観客は拍手を送りました。ただサッカーに限らず野球もそうですが、いくら激闘しても最後に勝つチームは本当に強いのです。フォーブスが調べた「世界で最も稼いでいるスポーツ選手2016」でも、全競技の1位になったのがRマドリードのC・ロナウドで、その年俸は約60億円。スポンサー契約料と合わせた年収は約94億円に達し、クリロナひとりで浦和の年間収入を軽く凌駕する計算だそうです。ちなみに鹿島アントラーズの選手の総年俸:7億1020万円、平均年俸:2290万円、最高は小笠原満男の8千万円、柴崎 岳は3位で5千万円です。

■ オスプレイ
 12月13日夜に名護市安部の海岸で墜落して以降、飛行を停止していた米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機オスプレイの飛行が再開されました。オスプレイが墜落した名護市安部の現場ではまだ機体回収も完了しない状況で、事故から6日後に飛行再開したことに沖縄県民の反発は一層強まりそうですが、沖縄防衛局は米軍のオスプレイ飛行全面再開の意向を受けて、職員らを派遣して、沖縄県庁や名護市など地元関係自治体に飛行再開を伝えました。米軍にとっては新世代輸送機オスプレイしか今後の輸送手段がないので、飛ばさなければ米軍の存在そのものの意味がないのです。そういえばもう1ヶ月以上前、我が家の上空から異様な音が聞こえて空を見上げました。聞いたことの無い大きな飛行音の先を見ると、オスプレイが編隊飛行していました。我が家の上空は米軍機、自衛隊機が頻繁に飛んでいますし、たまにすごく低空飛行することもありますが、オスプレイは初めて見ました。アレが毎日飛んでいたら、沖縄の人はたいへんだなぁ、と思いました。

■ 日本中で減った若者の7割以上が東京23区に集中
 昨週東京海洋大学での報告会の内容に触れて、地方で18歳男や22歳女が減って、大都市へ向かったと書きました。そしたら東洋経済に面白いレポートが載りました。10月末に発表された2015年の国勢調査の結果から、東京都心と郊外の今後を予見させる、興味深い事実がわかったのです。ほぼすべての道府県で人口が減少しているのに、東京都だけは前回調査時点の2010年と比べて35.6万人、23区だけで32.7万人も人口が増えています。調査の結果、日本中で減った若い人口の7割以上が23区に集まったという結果になりました。

■ 東京都心近郊で人口が減った街
 では東京通勤圏で人口が減った街はどこでしょう・・・
○東京都・・・立川市、青梅市、昭島市、東村山市、国立市、福生市、多摩市
○埼玉県・・・さいたま市岩槻区、行田市、秩父市、所沢市、飯能市、加須市、 春日部市、狭山市、羽生市、鴻巣市、入間市、桶川市、久喜市、北本市、蓮田市、幸手市、日高市、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、杉戸町、松伏町
○千葉県・・・千葉市花見川区、千葉市美浜区、松戸市、野田市、茂原市、旭市、市原市、我孫子市、浦安市、富里市、八街市、酒々井町、栄町、神崎町、多古町、東庄町
○神奈川県・・・相模原市緑区、横須賀市、平塚市、鎌倉市、秦野市、座間市
 地図が頭に浮かぶ方はピーンと来たことでしょう。1970年代から1980年代のバブル期までに住宅地として開発された、主に都心から30〜50キロ圏の地域です。特に、バブル期に開発された、都心から40キロより遠い地域は、そこで生まれ育った「郊外2世」たちが、長い通勤時間を嫌って、当該地域からより都心近傍へと転出している模様です。つまり、新しく育った生産年齢人口が減り、かつて生産年齢人口だったが現在は引退して高齢者となった親世代ばかりが残る、という事態が進んでいるのです。これは、高度経済成長期以降に日本の地方で起ってきた事態と同じで、今、郊外は「地方化」していると言えます。

■ 都心部では若い人が増えています
 1990年代後半から都市開発の規制緩和により大規模マンション建設が増え、特に2000年代以降、千代田、中央、港などの都心3区で人口が大きく増えました。いわゆる「都心回帰」が起こったのです。あのタワーマンション群を見れば一目瞭然です。中央区では未婚者や子どものいない夫婦が増えました。23区で最も人口が増えた港区では、若い世代の人口が増加しており、子育て期の夫婦も部分的に流入しています。

■ かつてのニュータウンは今やオールドタウン
 一方、郊外部を中心として若い世代の人口が減少している市があります。その1つが、埼玉県所沢市です。同市は早稲田大学があるためか、19歳から22歳は増えていますが、29歳〜33歳の減少が激しいのです。大学卒業、結婚などを機に市外、おそらくより都心に近い地域に出て行くからと考えられます。夫婦共働きが増えると、都心志向が強まるのです。そして、転出や死亡によると思われる65歳以上の人口減少が非常に大きいのも所沢市の特徴です。老人が住みたい街ではない、と言えそうですね。何か理由があるのでしょう。多摩ニュータウンのある東京都多摩市は、28歳から37歳の減少が激しいのに、所沢市と違って60代以上の減少は少ないのです。団塊世代など、最初にニュータウンに住んだ世代は、そこに定着しているのですが、その子どもの世代が出て行ってしまうのです。郊外のニュータウンと言われた地域に行ってみると良く分かりますが、そこは今やオールドタウンです。

■ ベッドタウンから新都市へ
 若い世代の人口が減少している郊外の街の問題を解決するための対策はなかなか難しいですが、都心に通勤する人々の家庭が住むベッドタウンとして規定するのをやめて、1つの独自の街として「都市化」することが解決策でしょう。我が住むまち、ふじみ野市が一つのモデルです。大型ショッピングモールが出来て、ららぽーとなども出来て、わざわざ都心に行かなくても、「働く」場はあるし、買い物も出来るし、遊ぶ場所もあるし、保育園から介護施設まで、老若男女のための様々な施設がガンガン出来ていますから、付随して、休む、出会う、交流する、発想する、考える、創造する、といった機能を持った都市が出来上がっているのです。コンサートなどもわざわざ都心まで行かなくても周辺でいくらでも開催されます。美術館や博物館だけたまに都心に出掛ければよいのです。

■ 冬至にはかぼちゃと柚子湯
 2016年の冬至は12月21日でした。北半球において太陽の位置が1年で最も低くなる日で、日照時間が最も短くなります。太陽の位置が1年で最も高くなる夏至(6月21日ごろ)と日照時間を比べると、北海道の根室で約6時間半、東京で約4時間40分もの差があるのです。中国や日本では、冬至は太陽の力が一番弱まった日であり、この日を境に再び力が甦ってくることから、陰が極まり再び陽にかえる日という意の一陽来復(いちようらいふく)といって、冬至を境に運が向いてくるとしています。つまり、みんなが上昇運に転じる日なのです。かぼちゃを漢字で書くと南瓜(なんきん)。つまり、運盛りのひとつであり、陰(北)から陽(南)へ向かうことを意味しています。また、かぼちゃはビタミンAやカロチンが豊富なので、風邪や中風(脳血管疾患)予防に効果的です。本来かぼちゃの旬は夏ですが、長期保存が効くことから、冬に栄養をとるための賢人の知恵でもあるのです。柚子(ゆず)=「融通」がきく、冬至=「湯治」。こうした語呂合せから柚子湯に入ると思われていますが、もともとは運を呼びこむ前に厄払いするための禊(みそぎ)だと考えられています。昔は毎日入浴しませんから一陽来復のために身を清めるのも道理で、現代でも新年や大切な儀式に際して入浴する風習があります。冬が旬の柚子は香りも強く、強い香りのもとには邪気がおこらないという考えもありました。端午の節句の菖蒲湯も同様です。柚子は実るまでに長い年月がかかるので、長年の苦労が実りますようにとの願いも込められているようです。
(2016年12月23日)


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