177  都知事選挙

2016年7月31日(日)投開票の東京都知事選は、21人が立候補し、元防衛相の小池百合子氏(64)=無所属=が初当選しました。
当選  小池百合子 2,912,698票  無所属新(自民党員で、進退伺い提出中) 元環境相、防衛相
次点 増田寛也 1,793,453票  無所属新=自民、公明、日本のこころを大切にする党推薦= 元総務相、岩手県知事
  鳥越俊太郎 1,346,103票  無所属新=民進、共産、社民、生活の党と山本太郎となかまたちほか3党推薦= ジャーナリスト
  上杉 隆 179,631票  無所属新 ジャーナリスト
  以下省略      


■ 初めての女性都知事
 女性知事は全国で7人目、東京都では初めてです。既成政党の支援を受けない都知事の誕生は、1999年に石原慎太郎氏が鳩山邦夫氏(民主推薦)、明石康氏(自民推薦)らを破って初当選して以来です。投票率は59.73%で、都心に大雪が降った2014年の前回(46.14%)を大きく上回りました。
 午後8時の投票締め切りと同時に出た当選確実の報、今は出口調査で、開票が進む前に結果が分かりますが、接戦の場合はすぐには当確が出ません。今回すぐに出たのはそれだけ圧勝だったと言うことです。
 小池百合子氏は当選確実を受けて、「しがらみなく自由に発言し、広がりのある政策を訴えた。所属や政党の帰属を超えて、新しい東京を求める方々の声が大きかった。これまでにない、見たこともない都政を進める」と語りました。これらの言葉一つひとつに実は大きな意味があります。「しがらみなく自由に発言」、「広がりのある政策」、「所属や政党の帰属を超え」、「新しい東京を求める方々の声」、「これまでにない、見たこともない都政」、都民に訴える言葉が実に上手く並べられ、しかも心に響きます。

■ 先出しジャンケンの勝利
 このところの都知事選では「後出しジャンケン」候補の勝利と言われてきましたが、小池百合子氏は舛添前知事の辞職を受けて早々に立候補を表明しました。現職国会議員が、所属する自民党の中に根回しすることなく「先出しジャンケン」の形で立候補表明した背景には、小泉内閣で環境相、第一次安部内閣で防衛相を務めながら、しかも結党以来初の女性自民党総裁選出馬経験者でありながら、安部、石破両氏の一騎打ちの総裁選挙で石破氏有利と見てこちらに付いたことで、恩があったはずの安部総理の心証を害し、自民党内で冷遇されて、この先芽が出ないナと思っていたところに、千載一遇の舛添辞職に遭遇し、どうせ自民党の推薦が得られるわけが無いことから「先出しジャンケン」立候補となったと政治評論家は解説しています。

■ 刺客として兵庫県選挙区から東京10区に移転
 立候補表明に対し小泉純一郎元首相は小池百合子氏にエールを送りました。もともと芦屋生まれで兵庫県が地盤の小池百合子氏を東京10区に持ってきて、郵政民営化法案に反対票を投じた当時自民党の小林興起氏の当選を阻止するための刺客にしたのは小泉純一郎氏です。その後、この郵政民営化というのが実は米国のための政策であったことが日本国民にバレて、国民の怒りが自民党を下野させて民主党政権を生んだのですが、その民主党の総理3人の滅茶苦茶な政権運営がまたまた日本国民の怒りを呼んで、再び自民党政権に戻ったと言うのが現状です。

■ 自民党総裁選落選〜総務会長就任=初の女性党三役
 小池百合子氏は2008年9月の自由民主党総裁選挙に立候補、結党以来初の女性総裁選出馬でした。スローガンは「霞が関をぶっ壊す」でした。「自民党をぶっ壊す」の小泉純一郎元首相の真似であることは明らかですね。しかし麻生太郎氏、与謝野馨氏に次ぐ3位で落選しました。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、公明党の推薦を受けて再び東京10区から出馬、同じ東京10区に候補者を擁立していた幸福実現党に選挙協力を打診し、幸福実現党は候補擁立を取り止めて小池百合子氏を支援しましたが、民主党新人の江端貴子氏に敗れ、重複立候補していた比例東京ブロックで復活しました。
 郵政民営化への国民の怒りが、刺客であった小池百合子氏にも向かったわけです。麻生総裁退陣に伴う2009年自由民主党総裁選挙には立候補せず、谷垣禎一氏の推薦人に名を連ね、谷垣総裁の下で党広報本部長を務めました。2010年9月の党役員人事で、谷垣総裁の下、第49代自由民主党総務会長に就任、党三役に女性が就任するのは結党以来初めてでした。

谷垣禎一氏


■ 政界渡り鳥
 ニュースキャスター出身の小池百合子氏は「政界渡り鳥」と呼ばれます。政界進出に当たり巧妙に計算し、細川護煕氏の日本新党→小沢一郎氏の新進党→同・自由党→同・保守党→保守クラブ→自由民主党(町村派→無派閥)と渡り歩いてきました。自由民主党では先述の通り小泉純一郎氏、谷垣禎一氏に上手く取り入りました。自民党下野時代に小池百合子氏は逆に力を付けたと考えられますが、安部晋三氏のところでつまづきました。こうした「政界渡り鳥」は、そのときの風を読んだ結果であり、政治の世界では重要なこと、都知事就任はまさにこれが存分に発揮されました。

■ 「既成の政治との対決」が勝因
 小池百合子氏は都知事選にあたり、「既成の政治との対決」を強調する手法を取りました。前知事の舛添氏は言わば自民党に反旗を翻して新党改革を立ち上げた人、厚生労働大臣を務めたりして一時期は自民党総裁も見込める人という話でしたが、この党には未来が無いと言って去って行った人です。しかし猪瀬氏の辞職でドタバタ劇となった都知事選では、ほかに有力な人が居ない自民・公明の支援を受けて当選しました。小泉進次郎氏などは党の決定に異議を唱え、何故裏切り者を支援するのか?と言いましたが、舛添辞任劇はまさに「既成の政治」の破綻でした。舛添氏を擁護しようとした都議会自民党でしたが、世論の前に仕方なく舛添氏に引導を渡しました。その前の猪瀬氏は、石原慎太郎氏が都知事職を放り出したために、副知事だった猪瀬氏が当選しましたが、カネの問題で世論から袋叩きに遭い、都議会から引導を渡されました。二人とも、都議会に対して恨みを持ちながら辞めて行った構図です。石原慎太郎氏は、国政では極右の論客でしたが、「既成の政治」には受け容れられず、既成政党の支援を受けない形で都知事に立候補して当選しました。鳩山邦夫氏(民主推薦)、明石康氏(自民推薦)らを破っての初当選は、今回の小池百合子氏と同じ構図です。言わば国政に限界を感じて都知事に転進したという意味では、石原慎太郎氏、舛添氏と同じです。

■ 上手いマスコミ操縦〜「敵」をつくる作戦
 小池百合子氏は真っ先に立候補を表明し、告示前の16日間にマスコミの目を引き付ける手を次々繰り出しました。選挙戦に入れば、マスコミは選挙に関しては中立を求められるので、その前にメディア露出を図る作戦でした。まず第一に立候補に当たり、かつての師・小沢一郎氏に言われた言葉、「崖から飛び降りる覚悟」で飛び出すと表明、増田寛也氏は「崖から飛び降りるんじゃなくてスカイツリーから飛び降りるぐらいの覚悟が必要なんじゃないですか」と言いましたが、実は小沢一郎氏の言葉の意味は、「風が無ければ風を作れ」ということだそうです。「先出しジャンケン」でまずは風を呼びました。次に「敵」をつくること、かつての親分・小泉純一郎氏得意の「劇場」作りです。自民党に推薦依頼を出しますと言って、参議院選挙でそれどころではない自民党都連の部屋を訪問しますとマスコミに流し、居るはずの無い石原伸晃氏の部屋に推薦依頼状を置いてきました。その後手渡ししないと失礼だとマスコミに流し、石原伸晃氏をテレビ画面に引っ張り出しました。石原伸晃自民党都連会長は翻弄される形になりました。

 更に「東京都連はブラックボックスのようだ」と述べ、自民党東京都連や都議会自民党を「敵」に見立て、一方で自民党本部には言及しないで、自らも自民党は離党しないと述べました。「敵」は自民党ではない、味方は都民だという作戦、組織のしがらみがなく、信念を貫いて孤軍奮闘する改革者のイメージを強調し、「東京大改革宣言」をキャッチフレーズに都政の透明化を打ち出し、自民党都連への推薦依頼を取り下げて出馬しました。17年ぶりの「保守分裂選挙」です。都議会に対しては「冒頭解散」を唱えて対決姿勢を鮮明にしました。「都知事には議会解散権はありませんよ」と問われると、「都議会が小池百合子都知事不信任を議決したら、対抗策として都議会を解散する」と言いました。更に自民党に「進退伺い」を出しました。自民党都連の方針に反旗を翻す以上ケジメをつけなければ、と言うことです。いわば自民党に「除名していただいて結構ですよ」と言ったわけですが、これに自民党が乗るとますます東京都民の「判官びいき」を助長するので、自民党本部はこれに反応しませんでした。言わば預かりの形です。

■ 小池百合子氏が掲げた政策は
 「政治とカネ」の問題で舛添要一前知事が任期途中で辞職した問題については第三者委員会を作って追及させるとしました。2020年東京五輪・パラリンピックの開催費用が膨張し、増えた分の費用負担のあり方が問題になっていることについては、「積算根拠を改めて出していただく」としました。子育てや介護などの問題解決に女性の発想力が必要と訴え、「たまには女性都知事もいいんじゃないですか」と女性の心をくすぐりました。環境相時代に定着させた「クールビズ」の実績も挙げ、リーダーシップもアピールしました。自民党のシンボルカラーである緑を自らのシンボルカラーとし「緑のものを一点身に着けて」参加するよう呼びかけ、会場を緑色に染めるパフォーマンスも見せました。外国の選挙では今や普通ですが、これによって有権者に参画意識を植え付けました。「満員電車ゼロ」という政策では2階建ての通勤電車導入などと述べましたが、対抗する増田寛也氏は、「鉄道会社は民営、都知事がどうこうできるものではない」と批判しました。
 当選後、リオ五輪の開会式への出席は見合わせる考えを示し、「数々の諸問題に早速取り組んでいきたい」と話しました。「冒頭解散」を唱えて都議会との対決姿勢を示していた点については、一転、「議会のみなさまとはしっかり連携させていただき、都民に必要な政治をさせていただきたい」と述べました。

■ 小池百合子氏が幅広い支持を集めた理由は自民党東京都連の自爆
 選挙戦では、自民党の国会議員らの支援は一部にとどまったものの、自民、公明両支持層のほか、野党の支持層も一部取り込み、多くの無党派層の支持を得ました。共産党支持層でさえ2割の人が小池百合子氏に投票したようです。最も支持が多かったのは自民支持層で5割を超えました。小池百合子氏が、政党の枠を超えた幅広い支持を集めた理由は何か?第一は自民党東京都連が増田氏の擁立を正式に決めた7月11日、所属議員あてに出した文書…「各級議員(親族等含む)が非推薦の候補を応援した場合は、党則並びに都連規約、賞罰規定に基づき、除名等の処分の対象になります」というものです。小泉純一郎元首相は、『あれ、なんだよ。オレが小池さんを応援したら、進次郎を除名するの? 驚くね。自由も、民主もないよ』と述べたそうですが、「北朝鮮じゃあるまいし、いまどきなんだよ」というSNSでの反応が出て、「百合子かわいそう」という同情の声が湧き上がりました。終盤情勢では小池氏リード、増田氏追い上げで接戦を予想するメディアが多かったのですが、雪崩をうって小池氏に無党派層が流れる事件が起きました。自民党本部で行われた増田氏の決起大会で、自民党東京都連の石原伸晃会長は「小池氏は自民党の人間ではない」と、党に反旗を翻す形で東京都知事選に出馬した小池百合子氏を厳しく批判しました。「小池氏は私がいない時に推薦依頼を持ってきて、私がいない時に推薦依頼を引き取っていった」と指摘、党籍を残したまま都連への批判を繰り返す小池氏を「わがままだ」と断じ、増田氏への支援を呼び掛けたのです。ここまでは良かったのですが、同大会には石原伸晃会長の父親の慎太郎元都知事も駆け付け、「あの人はうそつきだ」などと小池氏をこきおろしました。「私の息子も苦労しているが、都連の会合に一回も出て来ずに、都連がブラックボックスなんて言ってはいけない」と伸晃氏を援護射撃、「厚化粧で大年増の女に(都政を)任せるわけにはいかない」と言った発言が「炎上」したのです。豊島区を地盤とする人に大年増なんて言ってはいけません。ましてや化粧は女のイノチ、女性が猛反発しました。これが第二の理由です。完全に自民党東京都連の自爆ですね。

■ 池上彰さんの質問への答え
 小池百合子氏が、テレビ東京系の「池上彰のニッポンの大問題〜都知事選スペシャル〜」内で、ジャーナリスト池上彰氏のインタビューを受け、自民党からの推薦を得ずに立候補した小池氏に対して池上彰さんが「なんでこんなに皆から嫌われているのですか」と質問したのに対して、小池氏は、自民党全部を敵に回したわけではございません。今回は都連が公認権を持っているわけですが、そこに至るまでの、様々な決定について、私自身はストンと落ちていませんでした。また、都にとってなすべきことはたくさんあると思います。そして私自身が手を挙げたところでございます。それをわざわざ他のところから持ってきて、それも東京都からおカネをかなり過疎の地方の自治体へお配りする役割の方を担がれたことには、多くの自民党の方々が、クエスチョンマークを頭の中に描かれたと思うんですね。今回の自民党を支援している方々が、私をご支援いただいたと、そのことが証明しているのではと思います。嫌われている、嫌われていないということには興味がなくて、嫌われることをやることが政治に必要なことだと思っていますし、林修先生、「いつやるか? 今でしょ!」のあの先生と、「異端のススメ」という本まで出していますので、それは勲章だと思っています、と答えました。また、選挙戦の最中、小池さんのことを「厚化粧の女」と呼んだ人がいます。「しめた」と思ったんじゃないですか?という池上彰さんの質問に対しては、敵失ということではないんですけど、でも逆に、エールを送っていただいた結果だったんでしょうか。でも後に、担がれていると言うんでしょうか、もう1人の候補者の方が、そこで一言おっしゃれば、また流れは変わったと思います、と小池百合子氏は答えました。

■ 増田寛也さん落選の弁
 筆者は増田寛也氏の親戚です。正確に言えば妻の親戚です。当然増田寛也氏を応援していましたが、自身は埼玉県民なので、知人にメールして、東京都民の知り合いへ応援要請をお願いしました。
 7月31日は、増田寛也氏の東京都千代田区の選挙事務所に駆けつけました。自民党のシンボルカラーである緑色のTシャツを着たスタッフが大勢居るのはもちろんですが、報道関係者でごった返していました。道路にはテレビ局の中継車がズラリと並び、警察官が警備していました。
 テレビでしか見たことの無い自公の国会議員や都議、支援者らで埋まった事務所は、開票直後の午後8時過ぎ、早々とテレビで小池百合子氏の当選確実の報が流れると、沈痛な雰囲気で静まり返りました。ああ、選挙で負けると言うことはこういうことなんだな、と痛感しました。

2012年在京盛岡広域産業人会総会で増田寛也氏に講演して頂いたとき、町長たちとのスナップ

 午後8時20分ごろ、事務所に姿を現した増田寛也氏を、皆総立ちして拍手で迎え入れました。増田寛也氏が壇上に上り、「強力なみなさまの支援をいただいたにもかかわりませず、こうした結果を招いたのは、ひとえに私の力不足、心からお詫び申し上げます、申し訳有りませんでした」と頭を下げると、支援者から「そんなことないよ」とねぎらいの声が飛びました。
 増田氏は、続いて「敗れはしましたが、『いまこそ都政に安定を』という訴えは必ず都民に届いていると思います。これから安定した都政を求める声は必ず広がっていくと思っています」と述べました。今後について問われると「きょうの結果を厳粛に受け止めます。これからのことはあらためてゆっくり考えます」と述べました。

■ 自民党都連の敗戦の弁
 その後、自民党都連の石原伸晃会長が壇上に立ち、「選挙は完敗でした。力不足でみなさまに申し訳ありません。この17日間、増田氏と一緒に戦って、改めて都知事にふさわしい人物だと再確認しました。いろんなことがこれから起こるかもしれません。捲土重来、増田さんの大ファンの一人として、これからも手を携えて都民のために仕事をしていきたい」と話しました。公明党からは東京都本部代表の高木陽介衆院議員が同様の趣旨の挨拶をしました。
 自民党都連の内田茂幹事長が帰るとき、わっと報道陣に取り囲まれ、報道陣からは、「小池さんへの思いは?」「小池さん支援の議員の処罰は?」「『親族まで処罰』の文書が逆効果になったのでは?」など矢継ぎ早に質問が投げかけられたそうですが、事務所から車まで百メートル以上、もみくちゃにされながら無言を貫き通したそうです。

■ 朝日新聞の「天声人語」は・・・
 翌朝、朝日新聞の「天声人語」では・・・「東京都知事選で小池百合子氏が『たった一人で始める第1バイオリンから、皆さんがいろんな楽器を持ち寄って大きなオーケストラにしていきましょう』と訴えた言葉は、1992年に細川護熙氏が『ソロで第1バイオリンを弾き始めれば、それが必ず大きなオーケストラになっていく』と言ったことの焼き直しだ」、と書きました。続けて「小池氏はかつて日本新党を立ち上げた細川氏を支え、自民党に入ってからは小泉純一郎氏と近くなった。既成の政治勢力を向こうに回し、対決構図を明確にする、二人に通じる手法は小池氏にしっかりと引き継がれたようだ。新しいことをしてくれそう、しがらみがなさそう・・・・そんな有権者の判断があって、自民党は、小池氏の引き立て役になった感すらある」、と書きました。最後に、「新都知事が引っ張ることになるのは、都政という巨大オーケストラである。もしも周りの音を聞かずに、独り善がりの音程やテンポで突っ走るようなら、合奏は成り立つべくもない」と締めくくりました。

■ 今後どうなる?都知事と議会、自民党との関係
 小池百合子氏は、選挙に勝った以上都議会ともはや対立する必要はありません。自民党都連と都議会自民党を「敵」にしたのは勝つための戦術であって、勝った以上もはや「ノーサイド」で良いわけです。これだけ圧勝したわけですから、都民の意思を尊重し、自民党本部としては自民党員である小池百合子都知事と仲良くしたほうが得策と考えるでしょう。収まらないのは自民党都連と都議会自民党です。すっかり悪者扱いされて、このままでは鬱憤やるかたなし、と考えていると思われますが、小池百合子都知事に何か問題が起きなければ一悶着は起きないと考えられます。小池百合子都知事が「ごめんね、これまでのことは水に流しましょう」と頭を下げるかどうかは分かりませんが、猪瀬元都知事がツイッター参戦して、元都議自殺問題などまで持ち出して小池百合子氏がそれに乗った以上、簡単には握手と行かないのではと考えられます。ただし自民党が党紀違反に対して何もしなければこれまたけじめがつきません。小池百合子氏は防衛相就任時、守屋事務次官更迭問題で安部総理、塩崎官房長官と一悶着あったように「ケンカ好き」です。しかも考え方は右翼的です。もし自民党が除名でもすれば、小池百合子氏を支持する都議たちが出て、橋下徹氏のように小池新党を旗揚げしかねません。小池百合子氏は政治資金問題には自信を持っているようですし、お金の使い方も前任者のようなことはないでしょう。くれぐれも日本人の善悪判断の基準が美醜にあることに留意して、余り派手なことはやらないことです。特にトップとなった以上、ケンカはやめていただきたい。さてさてどうなることやら。

■ またもや人気投票に、懲りない都民
 増田寛也さんは東京都の区長会や市町村長会から立候補要請され、その気になりました。6月初めに会った時点では都知事の話などありませんでした。岩手県知事を3期12年務めて、岩手県における市町村長たちとは大変仲良くやっていました。知事と市町村長が連帯していることは地方自治には大切な要素です。それゆえ、東京都の区長会や市町村長会から立候補要請されるならやってやろうじゃないか、と言う気持ちになったのでしょう。あくまで政治的には中立の立場ですから、民進党の松原都連幹事長などは本来増田寛也さんは自分たちが推すべき候補だと思っていたようです。しかし、自民党と公明党が増田寛也さんを推薦すると表明して増田寛也さんが受諾してしまったため野党としては別の候補者を考えざるを得なくなったわけです。政党推薦無しで小池百合子氏と戦うのであればまた違ったかもしれません。
 今回の選挙は3期連続都知事が任期途中で辞職したために行われ、今度こそ人気投票でなく実務的な知事を選びましょうと言うのが当初の話でした。政策としても増田寛也氏が最も現実的でした。小池百合子氏との違いは2025年問題、すなわち高齢者問題を取り上げて、介護難民対策を訴えたことです。地価の高い過密都市東京だけでは解決しない問題なのです。地方との連携なくしては出来ないこと、日本各地の自治体を知る地方自治の第一人者である増田寛也氏だから訴えられる政策でした。近々東京で予想される直下地震対策については増田寛也氏が最も現実的で即応的政策を訴えました。小池百合子氏は電線地中化などで電柱の無い東京を実現するとしました。しかし筆者が東大で行われていた『災害事例研究会』で学んだことは、直下地震が起きた時東大病院まで救急車が来れないだろうということでした。2011年3月11日の東日本大震災では東京も大きな揺れに襲われましたが、震源地が遠いので建物被害はそれほど出ず、火事も起きませんでしたが、帰宅を急ぐ人たちで道路は大混乱、予測通りの状況となって、もしこれが直下地震ならばとゾッとしました。東京都の地震については31『災害と地震』(2013年9月23日)をご覧下さい。今緊急に求められることはソフト対策なのです。東京都民は、自分がいかに危険な場所に住んでいるかを知り、熊本を他山の石としなければならないのです。
 結果的にはまたもや人気投票になりました。それも「劇場型ケンカ選挙」です。青島幸男氏以降、石原慎太郎氏、猪瀬直樹氏、舛添要一氏、小池百合子氏と、人気投票化しています。猪瀬直樹氏など433万票ですよ。小池百合子氏の5割増の得票でアレですから...東京都民は何度同じことを繰り返すのでしょう?埼玉県の上田清司知事は自ら制定した多選禁止条例を破って4選されましたが、それは市町村長のほぼすべてが上田知事を支持しているからです。多選となるとどうしてもそうなりがちですが、しかし上田知事が埼玉県民の圧倒的な支持を得続けていることは、それだけ実務的でブレがなく、政治的に偏らない姿勢が評価されているのです。どうしてお隣なのにこうも違うのでしょう?

■ 万座温泉〜万座プリンスホテル


ホテル隣のゲレンデに咲くヤナギラン
連れ合いが以前娘と共に万座温泉ホテル日進館に宿泊し、宿の主人が歌手で、歌謡ショーを楽しんだそうです。今回は標高1,800mに建つ万座プリンスホテルに宿泊しました。露天風呂は眺望が素晴らしく、山々を仰ぎ見て、下界を眺望する開放感満点の白濁硫黄泉です。このリゾートホテルの隣はゲレンデで、高山植物の宝庫です。盛夏でも24℃ぐらいなのでホテルには冷房なし、イケ面の若い男性スタッフたちの接客が素晴らしい!
露天風呂こまくさの湯には混浴もあり


■ 訃報…元横綱千代の富士の九重親方ご逝去

 大相撲で優勝31回、角界で初めて国民栄誉賞を受けた元横綱千代の富士の九重親方、秋元貢(あきもと・みつぐ)さんが2016年7月31日17時11分、膵臓(すいぞう)がんのため都内の病院で死去されました。61歳、若過ぎます。通夜は8月6日18時、葬儀は7日正午から東京都墨田区石原の九重部屋で行われます。全盛期183cm、123kgと力士としては小柄でしたが、筋力トレーニングで鍛え抜いた体で豪快な上手投げなどを繰り出し、ファンを魅了しました。度重なる肩の脱臼などのけがに耐えつつ、大型力士に真っ向勝負を挑む姿が人気を呼び、その精悍な顔付きから「ウルフ」と呼ばれて愛されました。昭和最後の場所となった1988年九州場所で当時史上2位の53連勝を達成し、翌1989年には通算勝ち星を当時史上最多の967勝に伸ばしたことなどを受けて、角界初となる国民栄誉賞を受賞しました。1991年5月に引退するまでに優勝31度(史上3位)を数え、それも30代での優勝が多かったことが特筆されます。通算勝ち星は1045(史上2位)まで積み上げました。現役引退後は九重部屋を継承し、元大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てました。2008年に日本相撲協会の理事となり、協会ナンバー2の事業部長を務めました。2015年5月の還暦土俵入りでは、鍛え上げた体を披露していたのですが・・・それからわずか1年2ヶ月後の早過ぎる死でした


元横綱千代の富士の九重親方

(2016年8月2日)


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