585  終活

 フィリピン付近を進んでいる熱帯低気圧は発達して5月26日(日)9時、台風1号「イーウィニャ」になりました。5月28日(火)には先島諸島、29日(水)には沖縄本島に接近する予想になっています。その後は東寄りに進路を変え、30日(木)には関東に近づく可能性もあります。日本の南に延びる梅雨前線周辺では雨雲が発達し、大雨の恐れもあります。5月27日(月)以降10日間我が家の地域では雨マークがズラ〜〜っと並んでいます。28日(火)〜29日(水)にかけては大雨予報になっています。畑のタチアオイも見事な花を咲かせているので、もう梅雨入りが近いかもしれません。


5月21日(火)のふじみ野こどもエコクラブの畑入口のタチアオイが赤、桃、白の花を咲かせています
手前の紫色のラークスパーが花盛り、手前のカンナはやがて大きくなり、黄色い花を咲かせます

■ 中尾彬さん死去
 俳優の中尾彬さんが心不全のため5月16日に死去していたことが報道されました 享年81歳でした 安らかな眠りを祈ります  合掌
 今回は中尾彬さんの生き方、そして人生の終え方について、思うところがあって「終活」というテーマで採り上げさせていただきました。自らもいつ人生に終わりが来るかもしれない年齢になったからです。
 池波志乃さん、鈴木福さんとともに出演し「福ちゃんだね」という渋い声が印象的なCMは死後も放映されています。運営する株式会社REGATEは公式ホームページで「『買取福ちゃん』の発展には、中尾彬さんの多大なご尽力がありました。所属事務所ならびにご遺族のご了承のもと、今期も継続してイメージキャラクターを務めていただくこととなりました」と発表しました。「中尾彬さんには、妻の池波志乃さんと共に、2016年より『買取福ちゃん』のイメージキャラクターを務めていただきました。中尾彬さんの優しいお人柄は、TV CM撮影の際にも常に周囲へのお気遣いが感じられ、今も心に深く思い出されます」と代表取締役の福島道子さんの署名入りでアップしました。

■ 古舘プロジェクト
 もうひとつオヤと思ったのは所属事務所が「古舘プロジェクト」で、訃報を伝えたのがこの事務所だったことです。テレビ朝日アナウンサーだった古舘伊知郎さんが1984年6月に同社を退社すると、7月1日付で佐藤孝さんを代表取締役にし、フリーアナウンサーに転向した古舘伊知郎さんはじめ7人のブレーンで「株式会社古舘プロジェクト」を設立したのです。ここに中尾彬さんや池波志乃さんが所属したというわけです。古舘伊知郎さんは5月22日のTBS系「ゴゴスマ」(月〜金曜・13時55分)に出演し、中尾さんを悼む発言をしていました。発表のタイミングは、ここに合わせたのかもしれません。

■ トレードマークは「ねじねじ」
 中尾彬さんと言えば、「ねじねじ」と称するスカーフやマフラーなどを首元からぐるぐる巻き降ろすスタイルで、自他ともに認めるトレードマークでした。きっかけはインドネシアロケの折、特産品のバティックを現地で購入して、帰路の飛行機の中でイライラしながらバティックをよじっていると取れなくなり、そのままにしていたところ、「オシャレだな、レストランのシェフみたいで」と共演していた神田正輝から褒められたことが端緒だそうです。

■ 木更津市出身
 千葉県木更津市出身で、2017年に「木更津PR大使」に就任しました。訃報を受け、木更津市は「中尾彬さんメモリー」と題する感謝のメッセージを市のホームページに掲載しています。千葉県立木更津第一高等学校の先輩に故・千葉真一さんがおり、日本体育大学に在学中の千葉さんが教育実習で指導した生徒が中尾さんで、教師と教え子の関係だったそうです。「俳優になりたい」と考えて長谷川一夫の門を叩いたものの、「高校を出たら、またおいで」と諭されたのだとか。油彩画「石の花」が千葉県美術展に入選し、1961年に武蔵野美術大学油絵学科へ入学するも、大学を中退してフランスへ留学、帰国して劇団民藝に研究生として入団して本格的に芸能活動に入りました。そのかたわら、フランスのル・サロン展で、1981年に「BUNRAKU・狂乱」が大賞、1982年に「COUNTRY・故郷」が国際賞をそれぞれ受賞、定期的に個展を開催するほどの腕前でした。1908年生まれの父親が101歳、祖父が106歳まで生きた長命な家系なので、自身も長生きすると考えていたフシがあります。2007年2月に脳梗塞で盟友の江守徹さんが倒れ、同年3月に自身も大病を患ってから、飲酒と煙草を止めたとのこと。

■ 「終活」への取り組み
 中尾さんは、妻の池波志乃さん(69)とメディアに登場することも多く、芸能界随一のおしどり夫婦として知られていました。「終活」に取り組んだ夫婦として知られるのは、わずか半年の間に重なった、3つの大きな“災難”がきっかけでした。2006年9月、沖縄のセカンドハウス(つまり別荘)に滞在していた池波志乃さんは急にまぶたが開かなくなり、手足も一時的に動かなくなって救急車で病院へ搬送されました。末梢神経に異常が生じる難病のフィッシャー症候群に襲われたのです。同じ時期に志乃さんのお母さんが末期の肝臓がんで千葉の病院に入院、忙しい合間を縫って、中尾さんは沖縄と千葉の病院を行き来していましたが、同年11月に志乃さんのお母さんは他界。すると今度は2007年3月に中尾さんが仕事先の大阪で倒れ、病院に運ばれたのです。急性肺炎および筋肉が壊死するという横紋筋融解症を発症し、多臓器不全を併発しかねない危険な状態に陥りました。病院に駆けつけた志乃さんに医師は、“生存率は20%”と告げたそうです。一命はとりとめましたが、ふたりはいずれ自分たちの体が動かなくなる日が来ることを悟ったようです。まだ60代初めと50代初めなのに、“人生何が起こるかわからない”との覚悟を固め、これからは自分たちの生活を縮小していこうと話し合ったのだとか・・・「終活」への取り組み開始です。

■ 「終活夫婦」出版
 中尾さんが70歳になった2013年、まず、残されたきょうだいや親戚が揉めないように証人の立ち会いのもと、公正証書遺言を作成、その後、千葉・木更津にある中尾さんの実家を改装したアトリエと、沖縄のセカンドハウスを売却しました。また、東京・谷中にある志乃さんの実家の菩提寺に、夫婦が入るお墓を新たに建立しました。売れっ子の芸能人夫婦だけに断捨離のスケールも大きく、食器や台所用品に加えて1万枚の写真やトラック2台分の推理小説を廃棄。「ねじねじ」と呼ばれて中尾さんのトレードマークだった大判のストールも200本処分しました。それだけではありません、モノだけでなく、人間関係も整理したそうです。“身軽”になったふたりは、残された人生をどう生きるか話し合い、夫婦で訪れたことのある場所を再訪することにしました。お互いをいたわりながら、それまでのふたりの歩みを再確認するかのように、気の向くままに旅行を楽しんでいたようです。2017年に「木更津PR大使」に就任したのも、人生終盤にふるさと貢献を思い立ったのでしょう。共著で2018年に『終活夫婦』という本を出しました。2020年に入るとコロナが猛威を振るい、旅行に行けなくなったので登場したのが「居酒屋しの」でした。毎日志乃さんが手作りの料理をこしらえ、お品書きまで用意して食事を楽しんでいたそうです。コロナの3年間、不忍池を見下ろすマンションの高層階の自宅でのんびりと過ごすことができたようです。中尾さんは、自分が先に逝くことを想定していたのか、『終活夫婦』の中にこう書いていました。『志乃より先に私が旅立つことになったら、私は何と言うのだろう。「ありがとう」には違いないのだが、それ以上に私の気持ちを伝える言葉はないものだろうか。今から秘かに探っているところだ。こればっかりは志乃さん、あなたに頼めないな』・・・中尾さんの終活は、いま完全に幕を閉じました。

■ 眠るように息を引き取り...
 夫婦は住む地域でも人気者でした。有名人でありながら、地域の皆さんに気軽に声をかけ、交流し、頼まれれば色紙を書きました。志乃さんは終活以来の中尾さんの遺言で、死後所属事務所を通じてコメントを発表する形を取りました。その中で「仕事でお世話になった関係者の方々、マスコミの皆様、親しい友人の方々、応援してくださった皆様に、託された私から、お詫びとご報告申し上げます。今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃〜と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね〜と笑って送ってあげてくだされば幸いです。長い間、本当にありがとうございました」・・・愛情あふれるメッセージですね。

■ 新小結・大の里「史上最速」優勝
 大相撲夏場所千秋楽で、新小結・大の里(23)=本名・中村泰輝(だいき)=が12勝3敗で初優勝を果たしました。初土俵から所要7場所での幕内優勝は幕下付け出しでは1972年夏場所の輪島の15場所を抜き、先場所の尊富士の10場所も更新する最速記録です。2019年の全国学生選手権を制して学生横綱、21、22年の全日本選手権を連覇してアマチュア横綱という堂々たる成績を引っ提げてとは言え、大いちょうが結えない力士が2場所連続賜杯を手にしたのを見て、番付の重みが感じられない大相撲の悲惨な現状が浮き彫りとなりました。そもそも1横綱4大関全員が初日に総崩れとなったのは、昭和以降で初のことでした。三役以上の9人のうち、半数を超える5人が一時休場、横綱照ノ富士もダメではあるが横綱不在というわけには行かないので引退させられない、霧島は大関陥落が確実、貴景勝も首の怪我でもうダメそう、最近は大関の重みが感じられません。この体たらくは八角理事長(元横綱・北勝海)の責任でしょう。自ら責任を取って、原点に返るべきときです。

■ 静岡県知事選挙…自民推薦候補ら退け鈴木康友氏当選
 川勝平太前知事の辞職に伴い、5月26日に投票が行われた静岡県知事選挙は、前浜松市長・鈴木康友氏(66)が728,500票を獲得し、初めての当選を果たしました。新人6人による戦いとなりましたが、立憲民主党、国民民主党、連合静岡、県議会会派・ふじのくに県民クラブから推薦・支援を受けた鈴木氏が、651,013票を獲得した自民党推薦で元静岡県副知事の大村慎一氏(60)との大接戦を制しました。ポピュリスト知事から、ややマトモな知事へという意味ではどちらでも良かったのでしょうが、いま全国的に吹き荒れる自民党への逆風の中、大村氏は善戦したと言えるでしょう。

■ ICJの命令に従わないイスラエル
 南アフリカが昨年12月、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ侵攻はジェノサイド条約違反にあたるとしてオランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)に提訴していましたが、ICJはネタニヤフ首相に対する逮捕状執行に続き、5月24日、イスラエルに対して、最南部ラファへの攻撃の即時停止を求める仮保全措置(暫定措置)命令を出しました。しかし、イスラエル軍は聞く耳をもたないばかりか、イスラエルの後ろ盾となっている米国バイデン大統領も「とんでもない決定だ」として受け容れない姿勢を示しています。命令に法的拘束力はありますが、強制的な執行手段はなく、実際に攻撃が止まるとは考えられません。NHKの「クローズアップ現代」で、ガザのラファ地区の現状をリポートしていましたが、目を覆うばかりの破壊の惨状、絶望する住民の声、見ていたら可哀そうでなりませんでした。プーチンによるウクライナ侵略を非難する資格はイスラエルや米国には無い、と感じました。ナチスによってガス室に追われた先祖を持つユダヤ人が、立場を変えてジェノサイド(集団殺害)を行っている、そんなことは許されないという圧倒的な国際世論、国連における声、ICJの裁決に対して、これに従わないというのは何故?これではロシアを非難する資格はありません。国連の無力さは、第二次世界大戦が起きた頃の情勢とそっくりです。実に恐ろしい、怖い状況が今目前で起きているのです。
(2024年5月26日)


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