565  九州北4県旅その3

 毎年正月は娘夫婦や息子一家が来て賑やかに酒を飲み、正月料理や刺身、鮨を頂きます。リビングの窓の外は、たわわに実った柿の実を食べに、オナガ、ツグミ、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ、ホオジロ、メジロなどの小鳥が乱舞して鳴き声が賑やか、まさにバードウォッチングシアターみたいです。
 2024年は大変な幕開けとなりました。元日夕方に能登半島で震度7、マグニチュード7.6の巨大地震が発生、揺れによる家屋倒壊、地割れ、山崩れが起き、津波の発生、火事も発生して大災害となりました。翌2日には羽田空港に着陸した日本航空のエアバスA350機がC滑走路に居た海上保安庁の機体と接触して共に炎上、海上保安庁の航空機の搭乗員5名が死亡、JAL機は奇跡的に乗客乗員全員が緊急脱出用スライドで機外脱出して無事でした。福岡空港からJAL322便エアバスA350機で帰ってきた2週間後の航空機事故、実は福岡空港でまさに同じ滑走路で着陸・離陸が間断なく行われる様を「スゴイなぁ〜」と飽きずに眺めて、「まるで神業みたいだ、よく事故が起きないな」と話しながら見ていたのです。これは後で触れます。この災害と事故は海外でも大々的に報じられ、改めて災害大国ニッポンが意識されました。当然日本旅行にもブレーキがかかるだろうと思われ、為替;日本円は再び円安に振れています。


正月用に息子のお嫁さんから送られてきたフラワーギフトを玄関に飾りました

■ 地震と航空機事故で不穏なスタートの2024年
 元日から「令和6年能登半島地震」が起きて、正月気分が吹っ飛びました。能登半島は2007年の大地震から揺れが続いており、特に2020年12月以降地震が頻発し、2023年5月5日のこどもの日には珠洲市で家屋倒壊の大地震が起きました。530『為替とデフレ』(2023年5月9日)をご覧ください。このときは震度6強、マグニチュード6.5でした。今回ははるかに大きいです。2010年代に二度ほど、のと里山空港に降り立ち和倉温泉など観光しましたが、最近は遠慮しています。北陸新幹線延伸でブームが起きる見通しとは言え、確率的に地震に遭遇するかもしれず、旅先で被災したら大変だからです。12月18日には熊本県で阿蘇大橋の崩落現場を見ました。数鹿流(スガル)が滝近くです。2016年の大地震で橋が落ちて大学生が犠牲になった現場を「震災遺構」として保存しているものです。我が住む足元は、東大地震研調査で、東日本大震災当時「関東で最も揺れなかった」地だそうで、関東ローム層の武蔵野台地の上だからとのこと。もっとも自身は2011年3月11日(金)埼玉県戸田市の会社に旅行鞄を持って出勤し、終業後直ちに大宮からはやぶさ号に乗って鶯宿温泉に向かい、翌日の中学同期会に出る予定でした。そこへ忘れもしない、14時46分、震度6の揺れが二度発生、社屋がつぶれるかと思う恐怖、心配してふじみ野市に居る妻の携帯に電話したら、「大丈夫よ」とおっとりした答え、何を言ってるのか理解できず、会社の車を運転して社員を送り届けながら帰宅したら、なるほど何事も無し、棚が倒れ、あらゆるものが落ちた戸田市美女木との余りの違いにビックリしたものです。関東は直下型地震が近々起きる、南海トラフ地震も高確率、富士山もいつ噴火するかと物騒な話を聞きますが、生きてるうちに遭遇する確率大ですね。

2023年5月5日14時過ぎ、珠洲市正院町正院で倒壊した家屋

震源は珠洲市三崎町大屋(北緯37.5度/東経137.3度) 海岸縁の正院町より北の内陸部

■ 令和6年能登半島地震
 1月1日(月)16時10分頃、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6、最大震度7の地震(令和6年能登半島地震)が発生しました。震度7:石川県志賀町香能、震度6強:石川県七尾市、輪島市、珠洲市、穴水町、震度6弱:新潟県長岡市ほか。この地震の前後から強い揺れを伴う地震が増加していて、石川県西方沖から佐渡島の西にかけての約150kmの範囲で地震の活動が活発になっています。少なくとも3つの異なる断層がずれ動いたとみられます。余震が間断なく続いていて、その震源地が下図の如くこの一帯で幅広く分布、まさに地下一帯が揺れ動いてる感じです。しかも今回は地震、津波、火事の複合災害で、富山県から新潟県なども津波の被害や地割れ、崖崩れ、地盤流動化などによって大災害となっています。余震も1月6日で500回を超え、その震度も5や6があり、、強烈過ぎて現地の人たちは心休まらないでしょう。

ウェザーニュースより転載、1月3日まででこんなに頻発しています

■ 九州4県グルメ旅3日目
 前回は大分県・宮崎県・熊本県・福岡県の4県をぐるっと効率よく観光するJTB「旅物語:九州絶品グルメを食す 別府・湯布院・黒川 高千穂峡 3日間」のツアー2日目を紹介しました。今回は3日目最終日です。
 1日目…羽田空港JAL665便12:15発→14:05大分空港着→西鉄観光バスで全国屈指の人気温泉街;湯布院・金鱗湖散策→別府・湯の里明礬温泉で湯けむりが立ちこめる湯の花小屋見学→宿泊先:別府温泉ホテルサンバリーアネックス泊。
 2日目…宿→バスで別府・血の池地獄(日本最古の天然地獄)→九重高原→田ノ原川沿いに佇む湯治湯の雰囲気漂う温泉街;黒川温泉散策→瀬の本高原レストハウスで昼食;あそび豚の豆乳しゃぶしゃぶ→国の名勝・天然記念物に指定されている神秘の渓谷;高千穂峡散策、真名井の滝など→阿蘇内牧温泉宿泊先:阿蘇ホテル2号館、グレードアッププラン:阿蘇の司ビラパークホテル&スパリゾート(昇龍)

 3日目…宿→バスで柳川(堀割が町中に張り巡らされた水郷)を川下り→はねや総本家で昼食;博多水炊きと明太子食べ放題→菅原道真公を祀る太宰府天満宮散策→福岡空港JAL322便17:00発→羽田空港18:35着

この地図を見ても九州は山だらけということが良く分かります

■ 朝起きたら銀世界、アッ、ソ〜
 宿泊した阿蘇内牧温泉阿蘇ホテル2号館長崎屋で朝食、ふと外を見たら銀世界、雪が降ってます。ホワイトアウトで外輪山も全く見えません。聞いたら、阿蘇は九州の北海道と言われており、雪が降るのは珍しくないそうです。

■ 阿蘇から熊本ICへ、高速道路で柳川市へ
 阿蘇内牧温泉阿蘇ホテルを出発し、阿蘇の司ビラパークホテル&スパリゾートで一部乗客をピックアップして、バスは西南西熊本市へ向かいます。途中阿蘇地域はずっと雪の舞う中を走り、大津町、菊陽町と通り、ああ、ホンダのあるところだ、富士フイルムのあるところだと思いながら、昔仕事でよく走り回ったことを思い出しました。やがて熊本インターから高速道路に入り、北北西に向かいます。もう雪は雨に変わりました。和水町、南関町、そしてみやま市のみやま柳川インターで降りて柳川市へ、この一帯は実に不思議な地です。碁盤の目に掘割があって、良くぞこんなものを造れたなと感心します。まち中に縦横無尽に張り巡らされた掘割では、“どんこ舟”に揺られ、船頭さんの舟歌を楽しみながらの川下りが名物です。川下りとは一般に渓流を流れ下りますが、柳川は平たんな堀なので下るわけではありません。掘割の歴史は古く、掘割が最初に造られたのはなんと弥生時代だそうです。もともと干拓地で真水が手に入りにくい土地だった柳川では、人々が手で堀を造り、そこに雨水を貯めることで、農業用水、防火用水、ひと昔前までは洗濯などの生活用水として、柳川の人々の暮らしに根付いてきたのだそうです。戦国時代には柳川城の築城に伴って、防衛を目的に堀割が複雑に張り巡らされます。現在の柳川市内に残る掘割の長さを合計すると、実に930km。横浜までの距離に匹敵するほどだというから驚きですね。観光客は船着き場に来て、舟に乗って、降りたらさっさと帰る、日本人の定番の観光パターンですが、実は船頭さんが言うには、掘に沿って歩いて楽しむと色々な発見があって楽しいそうです。ツアーでは無理ですね。

船着き場


さあ、合羽を着て出発です


張り出した松の枝を避けて潜ります

橋があります そのままでは頭がぶつかるので乗客は皆身をかがめます

船頭さんは比較的若い方、橋の手前でまるで棒高跳びのようにヒラリと橋の上に飛び上がり
トットッと走って先の橋げたに飛び乗って、出てきた船にドンと飛び乗る軽業芸
乗客一同拍手喝采、柳川川下りの一つの売りポイントみたいです


途中で見た鳥、これはアオサギだそうです 魚を狙っているとのこと
身をすくめて太っているように見えますが、首を伸ばすといつものスラリとした姿に戻ります


ぐるっと回って出発場所の船着き場に帰ってきました 船頭さんお疲れ様
あまり上手でない唄をありがとう(^_^) 利用したのは「城門観光」さんでした


乗船場は〇印の4ヶ所、城門観光利用 柳川藩主立花邸は立派、北原白秋の生家もあります

■ 柳川市から高速道路で北上〜「はねや総本家」へ
 西鉄観光バスは再びみやま柳川インターから高速道路に乗り北上、筑後市、久留米市と通り、西鉄天神大牟田線と並行します。やがて鳥栖市、基山町と一旦佐賀県に入り、筑紫野市、太宰府市、大野城市と走り、金の隈で降りて右折して県道24号に入ります。志免町方面に向かい、程無くして昼食会場「はねや総本家」に着きました。福岡空港に隣接しています。「はねや総本家」はいわば「パックツアーご用達お食事処」です。

はねや総本家入口

■ 「はねや総本家」で昼食;「博多水炊き」明太子食べ放題
 さて昼食メニューは小皿料理と、福岡名物の「博多水炊き」です。明太子食べ放題というキャッチがついていますが、筆者は魚卵が苦手なので、このキャッチは受けません。まず茶碗蒸しから頂きました。その後はお刺身、小皿は博多名物の「明太子」と「梅ひじき」、その他のものも皆しょっぱい、これはご飯が進むものばかりです。そのご飯は光り輝いてすごく美味しい、お客さんの一人が「この銀シャリ、とっても美味しいけれど銘柄は?」と聞いたら、店員の女性は「ブレンド米だと思います」とのこと・・・ほんまかいな?メインの「博多水炊き」は、その特徴が「白濁したスープ」にあります。鶏ガラを強火で煮込むことにより溶け出したものと言われていますが、鶏の旨みが濃厚に煮だされてスープ自体がすごく美味しいものでした。そこへ鶏肉を入れて炊いて頂きました。明太子追加した人一人だけ、ご飯お代わりした人一人だけ、食べ放題と言われても皆老人ですから食べれません。ご飯残す人も居ましたが筆者はいつも通り完食、ただしお代わりはしませんでした。

食事席 他にも団体様用大部屋がありました


昼食は「博多水炊き」、明太子食べ放題

 店内では、福岡・博多をはじめ、九州の人気のお土産がたくさん取り揃えてあります。ちなみに博多というのはお土産が豊富で、JR博多駅でも福岡空港でも、もの凄く多種のお土産が陳列され、博多土産は言う間でもなく、九州各地のお土産を買えますが、「はねや総本家」も全く同様、お土産が多種多様、土産取り揃えの充実度は日本の観光地の中でも抜群です。

お土産はすごく多種多様

■ 太宰府天満宮観光
 「はねや総本家」でお土産のお買い物をした後、元来た道を戻って太宰府天満宮にバスは向かいました。以前も来たことはありますが、久し振りです。「学問・至誠・厄除けの神様」として有名な、菅原道真が祀られている「太宰府天満宮」は、福岡観光で外せない人気スポットです。菅原道真は幼少期から学問の才能を開花させ、学者から華麗に政界へと羽ばたいていった偉人ですが、京で右大臣として活躍していたときに、政略にはまり無実の罪で太宰府に流されてしまい、志半ばに生涯をこの地で閉じることとなります。道真を慕っていた門弟の味酒安行(うまさけのやすゆき)が905年に廟を建立したのが太宰府天満宮の始まりで、1591年筑前国主小早川隆景が本殿を建てたものが現在の姿となっているそうです。その本殿はただいま改修中、シートで覆われていました。駐車場からすぐ西日本鉄道「太宰府駅」があります。駅舎からして太宰府の荘厳な雰囲気です。太宰府駅から参道を通って太宰府天満宮の入り口まではわずか5分ほどの道のりですが、食べ歩きやお土産を物色して、みんなぶらぶら歩いています。

筑紫台高校に隣接した駐車場


西鉄太宰府駅 カラフルな改札口



参道には電柱がありません

 参道名物スタバ、建築好きの方なら一目で木の造りを見て気付く方も多いのではないでしょうか。太宰府に来てわざわざスターバックス?!世界的に有名な建築家・隈健吾氏が手掛け、その建築の一番の特徴とも言える木を使用したデザインは「自然の素材による伝統と現代の融合」という太宰府のスタバのコンセプトそのものを形にしています。一切くぎを使用せずに組まれた外観と内装は圧巻です。

隈健吾氏デザインのスターバックス

 太宰府天満宮本殿に進む際に必ず通るのが「心字池(しんじいけ)」、心という字をかたどった大きな池には本殿に続く三つの太鼓橋がかかっています。3つの橋を渡る際に注意しておくことは・・・一つ目「過去の橋」:後ろを振り返らない、二つ目「現在の橋」:立ち止まらない、三つ目「未来の橋」:つまずかない、ということだそうです。帰る際は逆に未来⇒現在⇒過去を遡ってしまうのは良くないこととされているので、太鼓橋を通らずに脇道を通って戻る・・・きちんと守りましたよ。



心字池

 太宰府天満宮の境内に入ると、まず目に留まるのは境内に11頭いると言われている牛の像「御神牛(ごしんぎゅう)」です。菅原道真は丑年生まれで、亡くなったのも丑の日、「自分が死んだら牛車に遺骸を引かせ、牛が止まったところに埋葬してほしい」という遺言も残していたそうです。頭を撫でると知恵を授かり、けがや病気の部分を撫でると回復すると言われているので、参拝客にたくさん撫でられた頭は金色に変色しているのがよく見るとわかります。ガイジンさんのほうが喜んで撫でてます。

御神牛


鮮やかな朱塗りの楼門

 2027年には、道真没後1,125年という大きな節目を迎えます。この節目となる式年大祭を前に、2023年5月より約3年をかけ、124年ぶりに重要文化財「御本殿」の大改修が行われています。この大改修にあたり、改修期間は御本殿前に「仮殿」を建設し、参拝者を迎えています。

「仮殿」

 太宰府天満宮本殿に向かって右側にある樹齢1000年を超える白梅「飛梅(とびうめ)」も必須観光スポットです。「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」・・・この「飛梅」は道真が左遷される際に彼を慕って、一夜のうちに空を翔けて太宰府にやってきたとされる神木で、境内でも毎年他の梅に先駆けて美しく咲きます。太宰府天満宮の境内には、約200種、約6,000本の白梅・紅梅があります。

「飛梅」


樹齢1,500年を越え、国指定天然記念物に指定されている大樟(クス;楠とも書きます)


池の鯉

 太宰府名物といえば「梅ヶ枝餅(うめがえもち)」、薄い餅生地であずきのアンコをくるんで、鉄板で焼き、梅の刻印が入ったた焼餅です。焼き立ての梅ヶ枝餅は餅生地がパリっと芳ばしく、中はもっちり!もちろん頂きましたよ。安楽寺の門前で餅を売っていた老婆が、大宰府へ左遷され元気がなかった菅原道真に元気を出して欲しいと餅を差し入れました。道真はとても喜び、その餅が好物になったそうです。道真の死後、好物だった餅梅の枝を添えて墓前に老婆が供えたのが「梅ヶ枝餅」の始まりというエピソードがあるそうです。

 福岡発のラーメンチェーンとして全国区で有名なとんこつラーメン専門店「一蘭」は、仕切りがあって一人でも気兼ねなく食べられるラーメン店としても知られています。そんな一蘭の太宰府参道店では、太宰府ならではの限定「合格ラーメン」があるそうです。どんぶりが珍しい五角形で「ごーかく」=「合格」と懸けています。合格ラーメンのみに使われている合格麺は長さも合格に懸けて59(ゴーカク)p!!ガイジンにも大人気の一蘭の前には行列が出来ています。そしてその奥には何故か「稲庭うどん」のお店が・・・どうして秋田名物が?「飛びうどん」かな?

「一蘭ラーメン」前には行列が

■ 福岡空港へ
 元来た道を戻って福岡空港にバスは向かいました。添乗員さんとも、西鉄観光バスともお別れです。出発時刻まで間があるので、国内線旅客ターミナルビル 4Fの「国内線展望デッキ」で飛行機の離発着を見ていました。入場無料です。

着陸する飛行機と、離陸する飛行機は同じ滑走路を使います


手前の国内線ターミナルから出発機が誘導路を滑走路に向かい、停止線で↑方向で待機
向こう側の国際線ターミナルから出発機が誘導路を滑走路に向かい、停止線で↓方向で待機
滑走路前の停止線に停まり、着陸機が降りてきて、着陸し、ターミナルに向かって曲がった後
管制から許可が下りると滑走路に進入して←方向を向いて停止、離陸許可が下りると滑走開始
轟音と共に滑走開始、この時右手の空にはもう着陸機のライトが見え、その後ろに次の機が・・・
着陸して、離陸して、これが短い間隔で次々繰り返され、まるで神業のように間断なく繰り返されます
いつまで見ていても飽きないようなスゴイ光景で、滑走路前の出発待機場には同時に数機が待機
それも大型機は滑走路の端から、小型機やプロペラ機は滑走路の途中から飛び立ちます

■ 羽田へ帰ります
 福岡空港JAL322便17:00発は機体到着遅れにより出発が30分遅れとアナウンスされました。従って羽田空港18:35着の予定も遅れて19時に到着しました。福岡空港でのアナウンスで、機体がエアバスA350だと知りました。早速下のように写真を撮りました。というのはいつもボーイングばかりだったのでエアバスは初めてで、ワクワクしたのです。主翼の端がキュンと曲がり上を向いてカッコイイ!機内に入ると、全席にUSBポート/AC電源が設置されており、しかも全席に個人モニターがあり、機外カメラや映画など多彩な機内エンターテインメントが楽しめます。羽田空港に着陸するときには尾翼か機体後部下に設置されているとみられるカメラから滑走路に着陸する様子がモニターで見られ、およそ1割ぐらいの人が見ていました。その他の人は映画やTV番組、ニュース、音楽を楽しんでいるようです。実に快適なフライトで、この機体が好きになりました。21時前に我が家に帰着しました。

福岡空港に到着し、出発準備に入るJAL322便エアバスA350

■ 羽田空港航空機衝突事故はヒューマンエラーの複合か?
 羽田空港で1月2日、日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突した事故、着陸するJAL機、離陸したい海保機、それに指示する管制官、起こってはいけない衝突事故は、何故起きてしまったのか?その要因は段々分かってきました。
 衝突から18分間で379人(乗客367人、乗員12人)が炎上する機体から避難を完了したミッションはメディアから「奇跡」と称賛されました。機内の様子をスマホで動画撮影していた映像を見て、JAL乗員の落ち着いた行動や乗客が誘導に従う姿は、海外でも驚きをもって報道されました。常に訓練しているとはいえ、煙が漂って来て窓の外には赤い炎が見える、我が人生もここまでかと覚悟した人も多かったと思いますが、子どもを除いてパニックで大騒ぎする人が見えなかったのは信じられない光景、過去頻発した航空機事故の教訓や、災害が日常茶飯事の日本ならではの光景かとも思いました。
 この脱出劇の陰で、空の仲間の危機に駆け付けたANAスタッフの行動を称える声があがっています。こんな事故ではJALもANAも無い、命が最優先、機内で離陸前に流される映像で、脱出用スライドを滑り降りる際は、手荷物持たずに滑り降りなさいと言われます。大切なものを失った乗客も、命が助かっただけ良しとしたことでしょう。
 この衝突事故で、着陸機が接近する滑走路に別の機体が進入した場合、管制官に画面上で注意喚起する「滑走路占有監視支援機能」が事故当時、正常に作動していたことが分かりました。海保機は滑走路への進入後、約40秒間停止していたとみられ、離陸指示を待っていたと見られます。しかし管制官はJAL機に着陸許可を出し、海保機には滑走路前の誘導路まで進めと指示しました。国交省は管制官が海保機に進入を許可していなかったと説明しています。日航機のパイロットも「海保機は視認できなかった」としており、夜間ですから直前まで見えなかったのでしょう。事故の背景にヒューマンエラーを含む複数の要因が重なっていたものとみられます。管制官が「1」と海保機に言ったのは、離陸が1番目ということで、だからと言って滑走路に進入して良いということにはならない、しかし海保機の機長は能登半島地震の被災地に物資を運ぶ任務で急いでいた、「1」と聞いてさあ行こうとなったようで、副機長も異を唱えなかったということのようです。副機長は右を見れば着陸しようとする飛行機のライトが見えたはずなので何故制止しなかったのか?海保機はJAL機に着陸許可を出した管制官の無線指示を聞いていなかったのか?管制官も着陸機がある滑走路に別の機体が進入したという注意喚起表示を見落としていたかもしれないとのこと。管制官は神がかりのような分秒を争うような離発着指示に追われ、「滑走路占有監視支援機能」の注意喚起に気付かなかったのではないかということで、国交省は直ちに一人要員を増やして、見落としが無いように目を光らせるようにした模様です。

■ ニューイヤー駅伝はトヨタ自動車が8年ぶりの優勝
 駅伝日本一の座をかけて、日本の男子長距離界のトップランナーを擁する実業団チームが競う「ニューイヤー駅伝」は、前橋市の群馬県庁前をスタートし、上州路を駆け抜けゴールとなる群馬県庁前を目指す7区間100kmのコース、お隣狭山市のホンダをもちろん応援していました。しかし、トヨタ自動車が5区で田中秀幸選手、6区で西山雄介選手が区間賞を獲得するなど安定した展開で最後までレースを進め、4時間49分2秒のタイムで8年ぶり4回目の優勝を果たしました。2位には3連覇を目指したホンダが入り、3位は旭化成でした。

■ 箱根駅伝は、青山学院大学が2年ぶり通算7回目の総合優勝
 100回の記念大会となった箱根駅伝は、青山学院大学が往路新記録、総合も新記録で2年ぶり通算7回目の総合優勝を果たしました。2023年大会の王者で2年連続大学駅伝三冠を狙っていた駒澤大は無念の2位となり、城西大が史上最高位となる3位、東洋大が4位、國學院大が5位、6位以下は法大、早大、創価大、帝京大と続き、最後の1枠は大東文化大が東海大と国士舘大を総合タイムで30秒上回り、シード権を獲得しました。最優秀選手には、5区で自身の区間記録を塗り替えた城西大の山本唯翔選手が選ばれました。岩手県滝沢市出身で法政大学3年の武田和馬選手は3年連続で山下りの6区を任され、区間賞を獲得しました。法政大学としては77年ぶりの快挙です。駒澤大が絶対本命とみなされたのに、どうして青山学院大学が5区間で区間賞を取る走りが出来たのか、いっぱい解説が出ているのでそれは譲るとして、やはりこの競技は精神力だなということをハッキリ見せつけられました。

■ 写真家;篠山紀信さん、女優;中村メイコさんが死去
 写真家、篠山紀信さんが2024年1月4日、救急搬送されて都内の病院で死去したそうです 83歳でした 死因は公表されていませんが持病を抱えていたそうです 女性の体を芸術的な美しさで撮影する術にたけ 多くの有名な女性たちが被写体となりました 歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんや中村勘三郎さんの舞台も長年追い続けました 妻は元歌手の南沙織さん 次男はタレント篠山輝信さんです やすらかな眠りを祈ります  合掌
 女優の中村メイコ(なかむら・めいこ、本名神津五月=こうづ・さつき)さんが2023年12月31日に肺塞栓症で死去したそうです 89歳でした 1957年に結婚した夫で作曲家の神津善行さん(92)は 「2歳8ヶ月で映画デビューしてから86年という芸能生活を 生涯現役のまま幕をおろすことになりました 長い時間をこの世界に存在させていいただいたこと 皆様に深く感謝申し上げます」とコメントしました やすらかな眠りを祈ります  合掌
(2024年1月7日)


次へ    前回へ    最新ページへ    つぶやき最終回