557  変死

 不気味な題で申し訳ございません。隣のおじいちゃんが亡くなりました。84歳でした。毎朝4時ごろには起床し、居間のカーテンを開ける人でした。9時過ぎに散歩に出掛けるのが日課でした。ところが朝5時頃になっても寝室の灯りが点いていて、居間のカーテンが開きません。おかしいなと思いました。

■ 隣のおじいちゃん
 隣のおじいちゃんはとってもいい人で、いつもニコニコしていて優しい方でした。元は地方公務員だったそうです。筆者が8年前に引っ越してくる前の家の2軒隣の方が社協の職員だったころ上司だったそうで、「とっても良い方ですよ」とおっしゃってました。我が家には鉢植えがいっぱいあるので、長期旅行の時は水やりをお願いすると快く引き受けて下さいました。旅行に行くと必ずと言っていいほどお土産を買って来て届けました。「いつもすみません」と受け取ってくれるのですが、山形県出身なので、毎年季節になるとサクランボをどっさり下さいました。また、食べきれないので助けて下さいと大きな西瓜を半分くれたりということもありました。蕎麦打ちが趣味だから、と蕎麦を頂いたこともあります。


寒河江市の八果園大沼のサクランボ

■ 山形銘菓
 また毎年ふるさとの山形県に車で行き、必ず「うろこや」の「のし梅」やその他のお菓子をお土産に下さいました。「うろこや総本店」は創業貞亨元年(1684年)、山形県の和菓子・洋菓子の製造販売店です。ふるさととの付き合いを欠かさないということは、おそらく甥や姪、その子どもたちとの付き合いがあったということでしょう。「うろこや」の本店は尾花沢市です。奥羽山脈に接し、雪深いところ、山を越えれば宮城県加美町、筆者が勤務していた会社の工場があった天童市から北へ東根市をはさんで尾花沢市、その北は最上町、そして秋田県湯沢市です。大きな会社なので山形県内各地に販売店があり、以前話した記憶では、寒河江市とおっしゃっていた気がします。将棋の駒で有名で温泉もある天童市や河北町の西隣です。河北町は卓球の強豪校があり、立派なアリーナが二つもあって、小さな町なのにスゴイなとビックリした記憶があります。息子が中学校時代遠征で車の運転手として行き、泊まって地元の先生たちと飲みました。青森山田や愛工大名電の附属中学校などの強豪校が集まりました。ちなみに大井西中も全国優勝している名門校なのです。

うろこや」の「のし梅」

■ 終活
 80歳を超えて山形まで車で行くというのもスゴイと思いましたが、今年は東京に住むお兄さんや、他の兄弟姉妹を迎えに行って車に乗せて山形へ帰省しました。車の掃除をしているので、「山形ですか?」と聞いたら、「そうなんですよ、今回は兄を東京へ迎えに行って乗せて、ほかにも途中拾って行きます。恐らく兄弟姉妹で行くのはこれが最後になるでしょう」とおっしゃっていました。お兄さんはご高齢で、車でないと行けないからともおっしゃってました。終活を進めていて、植木鉢や園芸用品を倉庫から出してドッサリ下さいました。「お花が好きなようだから、私はもう世話が出来ないのでよかったらどうぞ」・・・と。ご高齢なのにパソコンに向かっており、趣味の切り絵の作品を毎年市の文化祭に出品されてました。昨年秋作品が見当たらないので、どうされたんですか?と聞いたら、もうやめたんですよとおっしゃってました。元気そうに見えたのに終活をするということは、男の平均寿命を過ぎたからということもあったのでしょうか。奥さんに先立たれて一人暮らしなので、洗濯物を干している姿が印象的でした。ただ2階には息子さんのご家族がお住まいで、全員が車を持っているので、一家で計6台、それを置けるというのがまたスゴイですね。

アクアに乗っていました

■ 変死
 朝5時頃になっても寝室の灯りが点いていて、居間のカーテンが開かず、おかしいなと思ったのは、サイレンの音がして、それがピタッと止まったのが近くなので、どうしたんだろうと窓から外を覗いたからです。ただそのときは別に外があわただしくなかったので、どうしたんだろう、何かあったのかな?と思っていました。この日は四ツ谷で行われたふるさと会の来賓として出かけなければならないので準備していたらピンポンとチャイムが鳴り、出たら警察官が居て「隣で何か争うような音を聞きませんでしたか?」と聞かれました。「いいえ何も聞こえませんでしたよ、何かあったんですか?」と聞きましたが、警察官はノーコメントでした。しかしこれでピーンと来ました。筆者が引っ越してくる前に住んでいた家の向いの方は、銀行を定年退職した背の高い立派な風貌の方でしたが、ある日飼い犬のコリー犬がやけに吠えます。やがてパトカーがやってきました。家人が帰宅したら亡くなっていたそうです。それから間もなくしてコリー犬も死にました。毎日散歩に連れて行ってくれた人が居なくなったストレスかなぁと思いました。やがて家人も引っ越し、次の住人は教師と学校職員の夫婦、そして綺麗な娘さん二人でした。典型的な裕福そうな家族です。この家の隣、すなわち斜め向かいの方とは、今でも仲良くお付き合いしていますが、この方の旦那さんがある日帰宅したら炬燵に座ったままうつむいていたそうです。「お父さんどうしたの?」と言っても返事がありません。息がありませんでした。やがてパトカーがやってきました。このように変死の場合は、事件性が無いか警察が調べに来るのです。前日に挨拶した時は極めて元気そうでした。

■ 2022年に死亡数急増
 上の2020年までの図と、下の厚生労働省発表;2022年までのデータを比較すると、2021年、22年で死亡率がいずれもグイっと上がっています。このグラフで急変している部分に注目しますと、1994、5年の「心疾患(高血圧性を除く)」の急激な低下は、1995年1月施行のICD-10において、死亡診断書(死体検案書)の「死亡の原因欄には、疾患の終末期の状態としての心不全、呼吸不全等は書かないでください」という注意書きの影響によるものと考えられるそうです。1995年の「脳血管疾患」の上昇の主な要因は、同じくICD-10による原死因選択ルールの明確化によるものと考えられるそうです。2017年の「肺炎」の低下の主な要因も、ICD-10による原死因選択ルールの明確化によるものと考えられるそうです。
 そこで死亡数のデータを見てみました。すると2022年の死亡数は156万8961人で、前年の143万9856人より12万9105人増加しています。死亡数の年次推移をみると、昭和50年代後半から増加傾向となり、2003年に100万人を超え、増加傾向が続いています。2020年は11年ぶりに減少したのは、新型コロナウイルスCOVID19の流行により、皆がマスクして自衛に努めたためと考えられますが、再び増加に転じ、2022年は急上昇して150万人台となりました。75歳以上の高齢者の死亡数は、昭和50年代後半から増加しており、2012年からは全死亡数の7割を超えています。55〜79歳の各階級では、男の死亡率が女の死亡率の2倍以上となっています。この急激な高齢者死亡数の増加は、コロナ禍で閉じこもりがちになって体力低下したためと考えられます。

■ 葬儀
 隣のおじいちゃんも前日に挨拶した時はニコニコして元気そうでした。警察官に聴取された後、パトカーが停まってるので近所の人たちも何があったんだろうと外に出て来ました。孫たちが慌てて車で帰ってきたので、亡くなったんだろうとは思いましたが、息子さんからは何も言って来ません。そのまま時は過ぎ、ある日みんな黒い服を着て出かけるようです。余熱利用施設エコパのバーデプールとお風呂に行くために車で走っていて葬祭施設「金周会館」の前を通り、看板見たら、隣のおじいちゃんの家のお通夜でした。5日後だったでしょうか。8日後にしてやっと、息子さんと外で会ったとき立ち話で亡くなったと聞きました。持病も無かったそうで、警察も事件性が無いと判断したそうなので心不全ということでしょうが、死因は不明、解剖すれば分かると言われたものの、死してなお切り刻まれるのは忍びないとことわったそうです。町会長に知らせたら、同じ日班長さんから連絡があったそうです。町会長も噂には聞いていたそうです。近所の人たちはみんな推しなべて分かっていたけれど、お知らせが無いので噂止まりだったのでしょう。町会長は「お世話になったから葬儀に出たかったな〜」とおっしゃってました。今は家族葬ばかりになりました。遺族は周りに迷惑かけたくないとの配慮でしょうが、かけて良い迷惑もあります。香典や供花、供物を辞退しての葬儀でも良いのです。聖職者に来て貰わずとも、みんなで集まって故人を偲ぶお別れの会でも良いのではないでしょうか。お隣として、とても良くして頂いたので、お別れしたかったなと残念です。我が家の仏壇に線香をあげてチーンと拝みました。自分の死んだときはこうしてくださいと遺書を書いておかなければなりませんね。

我が家の仏壇

■ 市民文化祭
 ふじみ野こどもエコクラブ新聞、およそ6千枚を印刷するために2023年11月11日(土)ふじみ野市西公民館にサポーターが集まりました。その日地下のホールでは市民文化祭カラオケの部が開かれておりました。老人がいっぱい集まって満席、立ち見状態、老人が元気です。


■ 瀬戸際にある日銀
 前回日銀の金融政策決定会合の結果を受けての円安、円高双方のせめぎあいについて書きました。またドイツ銀行の為替担当者が、日本の金融を正常化させるためにはマイナス金利、ゼロ金利をやめること以外に手段はないと言ったことも書きました。しかし日銀の植田総裁はハッキリ言って身動きが取れないのです。行き過ぎた円安を抑え、物価高に苦しむ庶民を救うには利上げを容認すること、そんなことは分かり過ぎるほど分かっています。しかし手を打てません。すべてはアベノミクスの後遺症、異次元金融緩和の負の遺産のせいです。日銀は事実上長期金利の1%超を容認しました。2023年9月末時点で公的年金資金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が54兆9094億円の「国内株式」を、日銀が37兆1160億円の「ETF(上場投資信託)」を保有しており、両者の保有総額は92兆円超と東証時価総額854兆4373億円の10.77%に相当する大規模なものになっています。公的機関が日本最大の株式投資家なのですから、日銀の金融政策において「株価への影響に配慮」することは最優先のテーマになってしまいました。先日公表されたGPIFの7〜9月期の運用成績は6,832億円のマイナスと2022年10〜12月以来3四半期ぶりのマイナスを記録しましたが、その大きな要因は金利上昇によって国内債券による損失が国内株式の1兆3344億円のプラスを上回る1兆5,228億円に達したことによるものだそうです。金利が上がる=債券価格の下落ですから、金利上昇によって円安を抑えることは庶民にとっては歓迎すべきことですが、GPIFや輸出企業にとっては逆風となるのです。つまり誰が日銀総裁であっても、日銀が絶対に避けなければならないことは「金利上昇による株価下落」なのです。GPIFにとっては金利上昇と株価下落が同時に起こったら、年金資産が大きく減る、すると年金支払額を減らさなければならない、そんなことになったら時の政府は間違いなく倒れます。今や日銀は瀬戸際なのです。

■ 円が紙くずとなる恐れが現実味を帯びてきました
 日銀が身動きできないことに付け込んで投資家が日本を狙い撃ちすると、ますます円安が進む、これに対抗して金利の上げを容認すれば日銀自体が債務超過になって破綻する、スタグフレーションが起きて円は紙くずとなる・・・ これまではまさかと思われていたことが現実味を帯びてきました。すべては世界の中で抜きんでて大きな借金に原因がありますが、こうなっている現状ですら収入を大きく上回る過剰な国家予算を組み、首相が税収増を原資として減税すると言うのが今のニッポンなのです。ところが、財務大臣がそんなもんはとっくに国債償還に当てたから無いと予算委員会で答弁しました、結局はまた赤字国債じゃないかという話、こんな政治をしていたら間違いなく日本は破綻し、そのツケは国民が払うしかありません。つまりはそんな政治を許してきた日本国民が悪いのですが、もう過去のことを言っても手遅れです。資産家は日本円は持たず、米ドルや貴金属、宝石、不動産にシフトしている現状、そんなことが出来ない庶民、実にヤバイ局面に入ってきました。

吾亦紅

■ 悲しい日本
 台湾人は日本旅行が大好き、コロナ前の2019年には台湾人の4.8人に1人が日本に足を運んだそうですよ。コロナが明けて再び台湾人が日本に押し寄せていますが、日本のホテルやレストランの「サービス」や「おもてなし」の質の低下に直面し、「日本、大丈夫か?」と心配の声が上がっているそうです。分かる気がしますね。人手不足で、手伝ってあげたくなるような宿が増えています。
 またJBpressの記事で、韓国に嫁いで19年の女性が、コロナ禍が明けて4年ぶりに日本に帰ってきて実家に里帰り、4泊5日の旅、見て感じた日本の印象も興味深かったですね。仁川空港でのチェックイン手続きはキオスク端末のタッチパネルによるチェックインなのだそうです。キオスクは売店だという日本人の観念とは全く違うそうです。韓国では急激な機械化で、出国審査も無人、すべて顧客側が自分でやらなければならないそうです。そう言えば笑い話がありました。中国人は現金を使わないので財布を持ってない、日本に行くと「20世紀の光景に出会える旅」というのが旅行会社のキャッチになってるという話です。韓国も同じなわけです。日本に着いて驚いたのは、どこに行っても外国人だらけ、これがニッポン?と思ったとのこと。タクシーが捕まらず苦労して、やっと乗客を降ろしたタクシーに滑り込んだら、運転手さんは、日本は賃金が上がらず、税金と物価だけが上がるとぼやいていて、賃金が安すぎてタクシードライバーの「なり手」がいないと言っていたそうです。韓国では文在寅政権が最低賃金を大幅に上げ続けました。日本で損保に勤めていて、韓国に嫁いだ2004年は2510ウォンだった最低賃金は、10年後の2014年に5210ウォン、倍になりました。2024年には最低賃金が9860ウォンになる、20年でおよそ4倍です。ただし、この20年間で物価も2倍に跳ね上がりました。韓国は2021年に4.3%、22年も2.6%の経済成長を実現し、活気があります。しかし日本は何もかも安い、でも活気が無いと感じたそうです。滞在している間、新大久保のコリアンタウンに行ったら、そこに集う日本の若者の多いことにビックリ、韓国がこんなに日本人に人気があるとは、と驚いたそうです。

■ ニューヨークで日本酒とご飯が大人気
 テレビを見ていたら、今ニューヨークで日本酒ブームだそうです。日本酒の酒蔵が続々造られていて、旭酒造の「獺祭」も現地工場が稼働しているそうです。温湿度をしっかり制御したクリーンルームで製造する「四季醸造」は日本でも定着しつつありますが、その先駆けで成功した「獺祭」が消費地で製造しているわけです。日本よりはるかに高い値段で売れますから笑いが止まらないでしょう。日本で修業した米国人が、自ら酒蔵を立ち上げるケースも増えてるそうで、WINEよりSAKEという人がドンドン増えてるそうです。また日本旅行に来て、日本のご飯の美味しさに目覚めた人や、おにぎりが食べたいという人も増えていて、コメの消費が増えてるそうです。ラーメン店や寿司屋などはもう当たり前に繁盛していますが、ビジネスチャンスは沢山ありそうですね。

■ 大谷翔平…日本国内の全小学校に三つずつ、子ども用のグラブを寄贈
 米大リーグ、エンゼルスからフリーエージェント(FA)となった大谷翔平が2023年11月9日、自身のインスタグラムを更新し、日本国内の全小学校約2万校に三つずつ、計約6万個の子ども用のグラブを寄贈すると発表したそうです。大谷は「野球しようぜ!」と記した文字や、段ボールにグラブを詰めた写真を投稿し、「野球を通じて元気に楽しく日々を過ごしてもらえたらうれしい。このグラブを使っていた子どもたちと、将来一緒に野球ができることを楽しみにしています」とつづったとのこと。少年野球に32年携わっている者として嬉しい限りです。野球は用具にカネがかかるので、家庭には負担なのです。でも頭を使うスポーツなので、確実に少年のためになりますよ。

■ Booking.comの不払いが訴訟沙汰に
 世界最大級の宿泊予約サイト「Booking.com(ブッキングドットコム)」による宿泊施設への預かり金が未払いとなっている問題で、同社と契約する11社の宿泊先が2023年10月20日、計約3669万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴したそうです。Booking.comは1996年、オランダ・アムステルダムで設立され、民泊から高級ホテルまで多様な宿泊施設を予約できる旅行ECサイトとして知られます。43言語に対応し、660万軒以上の宿泊施設が登録されているそうです。日本法人の代表は営業部門の統括にすぎず、国内での代替・救済措置を取ることができないとしています。Booking.com社広報は「原因はオランダ本社での7月のシステムメンテナンスです。複数の他の国でも送金がうまくいかないトラブルが発生しましたが、徐々に解消しています。日本でも円滑に速く送金できるよう手続きを進めているところです」と説明しているそうです。

夜香木

■ 2024年の人気旅行先ランキングは別府がトップ
 さてそのBooking.comが33ヶ国の2万7000人の旅行者に行った調査をベースにまとめた2024年の旅行予測ですが、トップに入ったのは、日本の別府でした。「九州・大分県に位置する別府は、日本で最も天然温泉が湧き出る場所であり、温泉旅行には最適。別府の「地獄」はこの街で最も有名な名所の一つだが、見学のみができる。決して飛び込まないように」としています。2位になったのは、アルバニアのアドリア海沿いの都市ヴロラで、「あまり知られていないが、ここでは美しいビーチと活気ある歴史的な町が理想的に融合している。イタリアの影響を受けた豊富なシーフード料理も魅力的だ」そうです。3位はメキシコの都市メリダ、「ユカタン半島の中心に位置する同地は、マヤの遺産が色濃く残り、多くのレストランが伝統的な調理法で作られた料理を提供している。ここから日帰りで世界七不思議のひとつ、チチェン・イッツァに行くこともできる」とのこと。以下4位:ポートランド(アメリカ)、5位:ヴァルケンブルグ(オランダ)、6位:ブエノスアイレス(アルゼンチン)、7位:ケムニッツ(ドイツ)、8位:ロトルア(ニュージーランド)、9位:パングラオ(フィリピン)、10位:ケアンズ(オーストラリア)となっています。

別府温泉血の池地獄

■ 歌手・大橋純子さん 細田博之前衆院議長逝去
 「シルエット・ロマンス」 「たそがれマイ・ラブ」などのヒット曲を出し 伸びやかな声で人気を博した歌手の大橋純子さんが 2023年11月9日に死去されたそうです 73歳でした 北海道出身 食道がんで闘病中でした 「夏女ソニア」のデュエット相手 もんたよしのりさん(享年72)の訃報はついこの前 それにコメントした時は元気とみられていたので 関係者は急逝に驚いているそうです  安らかな眠りを祈ります  合掌
 前衆院議長で官房長官や自民党幹事長などを歴任した細田博之衆院議員=島根1区、11期=が2023年11月10日午前、東京都内の病院で死去されました 79歳でした 松江市出身で 死因は多臓器不全だそうで 10月に体調不良のため議長の公務を果たせない恐れがあるとして 任期途中で衆院議長を辞任すると表明するも 次期衆院選には立候補する意向を示していました 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係や週刊誌が報じたセクハラ疑惑を否定し 今後も国会で追及が続くと見られていました 最大派閥:細田派を率いた実力者でした  安らかな眠りを祈ります  合掌
(2023年11月12日)


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