537  宗教X

 宗教と政治とひいきのスポーツチームについては、気心知れた仲間うちでも話題にすべきでないとよく言われます。それは感情を刺激してしばしば思いもよらぬ誤解を招いたり、気まずい場面を生じさせるからです。宗教については490『カルト』(2022年8月1日)を皮きりに5回にわたり書いてきました。今回は引き続きですが、宗教は、触れるほどにヤバイですね。2回前に宮沢賢治について書きましたが、今回はその関連も出て来ます。

■ 宗教法人の売買が...
  2022年7月、安倍晋三元首相が奈良で射殺された銃撃事件を機に宗教法人に対する注目が集まっています。旧統一教会が政治と密接に関わっていたことが明らかになり、文化庁がその実態を調査する事態になりました。宗教活動に限れば、宗教法人は税制で優遇されていたり、年収(=利得)が8千万円以下であれば収支報告の義務がなかったり・・・活動実態がなかなか分からないことが問題となっています。そんな中、神社や寺が売買される市場が存在するのだそうです。宗教法人法では、宗教活動で得た収入は非課税、境内の土地には固定資産税もかかりません。さらに法人が取得した場合は相続税もかからないという“優遇措置”があります。8千万円までは申告しなくていいというのを利用して、脱税とか節税のために、会社が宗教法人を買うということが起きているようです。


安倍晋三元首相の国葬

■ 寺社存続の危機
 日本国内には約16万の寺社がありますが、その4割は20年後までに消滅すると予想する記事がかつてネットニュースで出ていました。これはちょっと過激ではないかと思います。ただ、ジャーナリストで僧侶の方が、「全寺院の4割は年収3百万円以下で、『坊主丸儲け』はごく一部。このままでは寺社はなくなる一方だ」と言っているという記事を見ました。全国で郵便局は2万4千、学校は3万5千、コンビニは5万5千、歯科医院は6万9千あるそうですが、寺院は7万7千で神社は8万1千もあるのだそうです。
 2015年、日本創成会議(座長・増田寛也現日本郵政社長)がレポート『地方消滅』を発表し、2040年の段階で全国の自治体の49.8%が消滅する可能性を指摘し、社会に衝撃を与えました。この消滅可能性都市に存在する宗教施設をカウントすると、将来的に寺院はおよそ3万余りが消えてなくなり、神社も3万1千社が消滅する可能性があります。ちなみに現時点で、空き寺は1万7千寺前後にも及んでいるそうです。全国に1万4200寺近くの寺院を抱える日本最大の宗派、曹洞宗は約6千寺相当が無住になる可能性があるそうです。

増田寛也氏
 全国に1万の寺を擁する浄土真宗本願寺派では全寺院のうち43%が年収3百万円以下だそうです。「坊主丸儲け」レベルが仮に年収2千万円以上とするならば、その割合は6%ほどで、年収1千万〜2千万円は13%だそうです。国民同様、寺院の格差も広がる傾向にあり、過疎地の村落の寺院では、おおかたが年収3百万円以下です。地方の寺院では檀家がどんどん減っていく上に、布施の単価も低いので、地方都市の困窮寺院では、現在の住職はなんとか生活できたとしても、後継者が不在というところが多く、生活できる収入が確保できない寺院は、住職代替わりの時点で空き寺になってしまうと言うケースが続出しているそうです。

■ 墓じまい〜寺院消滅
 お寺のことを考えてみましょう。伝統的な寺院の伽藍を補修するには最低でも5千万円、いや億を超える修繕費用はざらでしょう。伽藍の建て替えになってくると、数億の出費は免れません。こうした修繕・建て替えの必要性に迫られた時、大勢の檀信徒を抱えていれば寄付で賄えるでしょうが、いまどきそんな献身的檀家さんはそんなに居るでしょうか?たとえば寺が食べていける檀家数の目安が300軒ほどだとすれば、仮に補修費6千万円を集める場合、1軒当たりの負担は20万円となります。檀家が100軒しかない寺院の場合は1軒あたり60万円です。これが半世紀前であれば、積極的に喜捨する檀信徒も多くいたかもしれませんが、「老後の生活費が公的年金以外に2千万円必要」とされる時代に、寺院の修繕に何十万円も寄付を出せるでしょうか。親世代と違って、少子化でお墓も手放そうとするご時世です。田舎の寺の墓を閉めて、都会のビルの自動倉庫型の墓に移設したり、あるいは仮想空間みたいな墓にしたりするケースも出ています。そして自分は樹木葬で良い、子どもたちも墓参りしなくても良いなどという風潮になっていますから、「家」の概念が崩壊すると「墓」も不要になって来ます。すると寺も不要ですね。寺院は「完全消滅」を避けるために早急に対策が迫られています。
 墓じまいとは、墓石を撤去し、墓所を更地にして使用権を返還することです。 お墓に納められている遺骨を勝手に取り出して別の場所に納骨したり、廃棄したりすることは法律のもとできません。行政手続きが必要です。その後に新しいお骨の納骨先を用意するまでを含めて墓じまいと考えられるそうです。今「墓じまい」と検索すると、わんさか出て来ます。例えば「埼玉 永代供養 なら昭和浄苑 - 森林公園の樹木葬」をご覧ください。

我が家の墓

■ 日蓮と『立正安国論』
 平安時代中期から鎌倉時代初期にかけて、大地震や噴火などの災害が各地で多発し、貴族社会から武家社会へ移り変わる中で戦乱が繰り返され、飢饉や疫病で苦しむ人々が後を絶ちませんでした。そのような社会的混乱や不安が広がる中で、仏の教えにより人々を救おうとさまざまな宗派が生まれることになります。その一つが日蓮宗で、人の名前が宗となった唯一の例です。16歳で出家し、比叡山や高野山などで修業を積んでいた日蓮は、妙法蓮華経(法華経)こそが仏教を説いた釈迦の唯一の教えであると確信します。そして、「天変地異が繰り返されるのは邪法や悪法が世間に広まっているからだ」と説いた『立正安国論』を執権北条時頼へ提出します。ここでは国内で内乱が起こるという「自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)」や、外国から侵略を受けるという「他国侵逼難( たこくしんぴつなん )」についても記されており、後の元寇を予測したといわれています。彼のこうした主張は幕府の怒りを買ってしまいました。草庵は焼き払われ、 日蓮聖人は伊豆へ島流しされました。やがて許されますが、再び彼は幕府に対して諫言をはじめたのです。次は佐渡へ流罪となりました。佐渡に流される前に、腰越龍ノ口刑場にて処刑されかけますが、処刑を執行しようとしたまさにそのときに、天にわかにかき曇り、怯えた役人たちが逃げ出して刑が中止となったという伝説があります。4年を経て赦免となり、その後、信者の招きによって身延山(山梨県)に入ることになります。日蓮はそういった数々の迫害を乗り越え、建長5(1253)年にはお釈迦様による法華経の教えをよりどころとする日蓮宗を立教し、布教につとめました。日蓮は1282年(弘安5年)10月13日に池上(東京都大田区)で亡くなりました。この地に建立された東京都・池上本門寺では、日蓮聖人の入滅(亡くなった)10月13日を忌日として前夜からお会式(おえしき)と呼ばれる盛大な法要が営まれ、数十万人におよぶ参詣者が訪れます。百数十基の華やかな万灯が深夜まで池上の街を練り歩く万灯行列は全国的にも有名です。

万灯行列

■ 日蓮宗寺院と「南無妙法蓮華経」
 現在、日蓮宗寺院は全国に5,300ヵ寺あると言われています。山梨県にある身延山久遠寺が総本山です。日蓮や日蓮宗に関わりの深い重要な寺院は大本山と呼ばれ、千葉県・誕生寺、千葉県・清澄寺、千葉県・中山法華経寺、静岡県・北山本門寺、東京都・池上本門寺、京都府・妙顕寺、京都府・本圀寺の全7寺あります。日蓮宗ではお釈迦様が説かれた教え、妙法蓮華経(法華経)を何よりも大切にしています。法華経というのは経典の一つです。晩年のブッダがインドで説いて以降、アジアのさまざまな国に法華経はもたらされました。28章からなりたつ法華経は、かつて聖徳太子も解説書を書いたといわれています。天台宗の開祖である最澄も法華経の教えを基本としています。日蓮は、法華経はお釈迦様の心そのものを表したもので、題目である「南無妙法蓮華経」の7文字こそ功徳のすべてであると考えました。当時、法華経以外の経典では、女性や武士をはじめとする一部の人々は成仏できないとされていました。その状況下で、法華経の説く「差別なく万人が平等に成仏できる」という仏教思想の原点に今こそ戻るべきであるとした日蓮の教えは、当時の仏教界に新風を吹き込んだのです。日蓮宗では「南無妙法蓮華経」を繰り返し唱えることを最も重要な修行・信仰だとしています。繰り返すことで、死後に「霊山浄土(りょうぜんじょうど)で釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)にお会いし、成仏することができる」とされているのです。

■ 日蓮宗と日蓮正宗の違い
 日蓮宗の他に日蓮正宗というものがあります。どのような違いがあるのでしょうか。日蓮宗では日蓮聖人のことを大菩薩と見なしています。日蓮聖人の別名は日蓮大菩薩です。日蓮正宗も日蓮聖人の教えを大事にしている宗派です。日蓮正宗では、日蓮聖人を日蓮大聖人と呼びます。総本山は静岡県富士宮市にある大石寺(たいせきじ)です。日蓮大聖人の入滅後、仏法を守らない人がいたために久遠寺を離れた日蓮大聖人の弟子である日興上人によって、1290年に創建されました。日蓮大聖人が在命中に法華経の極理を顕したのが「御本尊(曼荼羅)」であり、その御本尊に向かって経を唱えることでいかなる人にも仏の境涯があらわれると説いています。日蓮正宗では、祭壇を質素に飾ります。祭壇に仏花は供えません。祭壇に供えるのは樒(しきみ)です。常緑種の樒には強い生命力や邪気を払うイメージがあり、これを用いるのは来世での繁栄を願ってのこととされています。また、死装束を着せる際に六文銭や三角巾を用いることもありません。位牌を置かず、厨子の付いた仏壇内に本尊を置きます。

■ 日蓮正宗と創価学会ほかの対立
 創価学会は以前日蓮正宗に所属していました。しかし、日蓮正宗の教義や信条に従わないとして1991年11月に日蓮正宗は創価学会を破門しています。創価学会初代会長;牧口常三郎氏と2代会長;戸田城聖氏は昭和3(1928)年に日蓮正宗に入信しました。昭和5(1930)年に牧口常三郎氏は創価教育学会を創立、戦時中昭和18(1943)年に両氏は治安維持法違反・不敬罪等の罪状により拘引され、翌年牧口常三郎氏は獄中にて逝去されました。戦後昭和21(1946)年に戸田城聖氏が創価教育学会を「創価学会」と改称し再建します。翌年池田大作氏が入信します。昭和26(1951)年に戸田城聖氏が2代目会長となります。昭和33(1958)年に戸田城聖氏が没、昭和35(1960)年に池田大作氏が3代目会長となります。やがて日蓮正宗と創価学会の「仏教史観」の違いが顕在化して行きます。そしてついに破門となりました。4代目会長は北条浩氏、5代目会長は秋谷栄之助氏、6代目会長は原田稔氏で現在に至りますが、実のところは池田大作氏が今でも学会員の心の拠り所のようです。
 日蓮正宗から分派したのは創価学会だけではありません。昭和33(1958)年に妙信講として分派し、今は「冨士大石寺顕正会」と名乗る人たち、昭和55(1980)年に創価学会の教義逸脱問題収束に不満を持つ一部の僧侶が「正信会」を結成し、正信会住職のもと、日蓮正宗から独立した寺院が約150箇所(日蓮正宗寺院の4分の1に相当)ありましたが、その後も復帰や離脱などが繰り返されています。「冨士大石寺顕正会」は顕正新聞を発行していますが、最近号では大草一男講頭率いる妙観講(日蓮正宗総本山大石寺境内の塔中にある理境坊所属の法華講;信徒組織)を激しく糾弾しています。もちろん池田大作氏も同様です。宗教における対立は実にすさまじく、首がすくみます。

我が家の仏壇

■ 日蓮宗系の様々な宗派
 日蓮宗およびその分派宗派、関連宗派、および日蓮宗と同様に日蓮聖人を尊敬し妙法蓮華経を用いる宗派(日蓮宗とは直接無関係)は数多くあります。この系統の教団は絶えず分派合派を繰り返しており、また分派してできた教団にはカルトが多いのも特徴です。大雑把に分類すると、日蓮宗、不受不施派、法華宗系、冨士系、霊友会系、その他です。この中で「冨士系」は日蓮本宗、日蓮正宗、創価学会、本門正宗、正信会、顕正会です。「霊友会系」は霊友会、立正佼成会、妙智会教団、佛所護念会教団、孝道教団、霊法会、法友之会です。「その他」は最上稲荷、日本山妙法寺、大乗教、国柱会、本化妙宗連盟など多数あり、更に個人主催のまだ小規模のもの(つまり新興宗派、今後大きくなる可能性あり)や、本当に個人的な思想家(例えば宮沢賢治)などがあります。

盛岡市の新庄墓苑
(2023年6月25日)


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