499  国葬儀

 我が家の酔芙蓉が咲いています。酔芙蓉はアオイ科/フヨウ属の低木で、中国の中部原産、花はフヨウと同じ一日花で、午前中は白色ですが、日が暮れるに従って赤みを増し、夜には完全な紅色になります。また、夜に赤くなった花は翌朝、元気なく萎んでいて、その様も酔っ払いのそれを彷彿させるのが名前の由来のようです。


9月29日朝9時14分

9月29日夕刻17時24分

■ 安倍晋三元首相の国葬
 安倍晋三元首相の国葬が2022年9月27日行われ、千代田区の九段坂公園には一般向けの献花台が設けられ、大勢が行列しました。他方、葬儀会場となった日本武道館の近くでは、国葬に反対する人たちがデモ行進しました。政府が「国葬」ではなく、「国葬儀」と言った意味は「かつて行われていた国葬とは違う」ということを示しているようです。「内閣府設置法」という法律のなかに「国の儀式ができます」と書いてあるので、その1つとして行うので「国葬」ではなく、「国葬儀」と呼んだようです。ややこしいですね。日本の国葬翌日の仏紙ル・モンドでは、「7月8日に選挙演説中に暗殺された安倍元首相の国葬は、国民の強い不満を呼び起こし、岸田現首相の支持率を著しく低下させた。誰からも何の疑問を抱くこともなく行われた世界的な影響力を持ったエリザベス女王の国葬は、イギリス国内だけでなく世界中の人々の感動を呼び起こし、この日本の国葬とのコントラストを際立たせた」と書きました。

国葬儀の祭壇
 欧米の報道は東京の特派員発で概ね同じようなものでした。日本国内のどの報道機関の調査でも「国葬反対」が多数を占め、しかも日を追ってその数値が高くなっていったこと、その背景には統一教会との関係が深かった安倍晋三元首相や、日本の国会議長という三権の長が、統一教会の催しにお祝いのメッセージを寄せたり、来賓として招かれて教祖を礼賛していたという事実や、国会議員の多数が選挙に絡んで応援を受けていたことが驚きを持って国民に受け止められたからだということでした。
 海外メディアに言われるまでもなく、国民に黙とうを求めない国葬ってなんなの?とか、学校に半旗の掲揚を求めないとか、それなら国葬の意味がないじゃないのという声が多く聞かれました。遺族にとっては酷葬だったのではないでしょうか。友人代表の菅義偉前首相の弔辞が感動を巻き起こしましたが、国葬で弔辞に拍手が起きるなんて本来あってはなりません。国葬とは厳粛で厳かなもので在るべきです。友人としての心のこもった弔辞だったからこそ参列者の心を打ったわけで、それは内閣葬でも自民党葬であっても同様だったでしょう。

デモが起きる国葬とは?

■ 様々な50年
 今年は沖縄返還50年でしたが、日中国交正常化50年でもありました。さらに「実質実効為替レート」が50年ぶりの安値になったという話題もあります。米国は中国と対立を強め、それに伴って日本でも軍備強化の動きが進んでいます。台湾問題や中国の海洋進出の動きによって、また尖閣諸島の領有権問題が背景に有りますが、基本的に戦争が起きたらお互いに不幸になるのは、ロシアのウクライナ侵略戦争を見ても明らかです。中国がグイグイ経済成長して、やがて米国をも凌駕するであろうことは確実ですが、その経済力を軍事力に結び付けてはいけません。大日本帝国はかつて台湾を奪い、朝鮮半島を支配し、満州国なるものをでっちあげました。軍事による侵略は不幸な結果しか生まないのです。過去の教訓に学ばなければなりません。習近平は日本は重要な隣国だと発言しましたが、それは誰が見てもその通りです。今こそ外交が重要な時です。

■ マレーシアのマハティール元首相の指摘
 50年前と言えば「団塊の世代」(1947〜1949年生まれ、学年でいえば1947年4月〜1950年3月生まれ)3年の最後の人たちが大学を卒業して社会人となった年です。このころはまだ大学進学率が低く、もっとも同期が多い時代なので、競争が激しく、みんなが貧しかった分、貧富の差が小さい時代でした。信じられないかもしれませんが、国立大学の学費がこの年まで月額千円でした。つまり貧しくても頭さえ良ければ高等教育を受けられたのです。ただ、競争を勝ち抜くのは至難の技でした。最近よく、「努力したものが報われる社会の実現」などという公約を掲げる政治家を見かけます。それは「50年前に戻ろう」と言っているようなものです。今は格差社会になって、頭が良くても貧しければ教育が受けられない人が居る半面、頭が悪くても親が金持ちなら大卒の肩書が得られる時代です。そして同期が少ないので競争も少ない、ドンドン子どもが少なくなっていく時代です。子どもが宝の時代になりました。マレーシアのマハティール元首相(97)と言えば、大の親日家で有名ですね。2022年7月15日には、銃撃を受けて死亡した安倍晋三元首相の東京都内の自宅を訪れ、妻の昭恵氏にお悔やみの言葉を言いにわざわざ来訪されました。訪問後に記者団に「安倍氏は特別な友人だった。マレーシアと日本の良好な関係強化に尽くしてくれたことは忘れない」などと語ったそうです。マハティール氏は1981〜2003年と2018〜20年にマレーシアの首相を務めたアジア政界の重鎮で、1982年には日本や韓国の発展に学ぼうという「ルックイースト(東方)政策」を提唱しました。この翌年に来日し、安倍氏の父である安倍晋太郎外相(当時)とも会っています。2回目の首相在任となった2018〜20年にもたびたび来日し、首相だった安倍晋三氏と会談しました。その方が、こんなことをおっしゃるとは・・・ショックでしたね。ただその通りだと思います。
日本を凡庸な国に変えたのは人口減少が主因である。一国の人口が減少し、高齢化することは、その国が衰退へと向かっていることを意味する。高齢者は家でテレビを見ていれば快適という場合が多く、高級レストランに行くことも少なければ、車を買い替えたり、スーツやゴルフクラブを買ったりすることもない。高齢者は必要なものが既に揃っているから消費が極端に減るのだ。この点、私は日本の未来に強い危機感を感じる。今後、日本国内の消費規模は縮小の一途を辿るだろう。近年かくも多くの経済刺激策が打ち出されたにも関わらず、所期の目標に何一つ達しないのもその前兆であろう。最終的にイノベーション力と特許件数を決めるのは高齢者ではなく若者だ。どうやって解決するのだろう。為政者の口から出る答えは、その多くが産休と出産助成金の確保だった。私は失望した。フランスやスイスのような出産支援策の成果があがった国であっても、人口減少のプロセスは緩やかで、莫大な資金が投じられている。一方で日本人は移民排斥で有名な民族だ。日本人の純血を維持することは、日本人にとって当たり前で、根深い考えのようだ。外国の移民受け入れにより出生率の問題を解決しようと、公の場で議論しようとする人がいない。日本の一般人にせよ、政界のエリートにとっても、これは最初から選択肢でさえないのだ。他方、日本以外の先進国の移民は、
  米国:320百万人(2013年)→462百万人(2100年)
  フランス:64百万人→79百万人
  イギリス:63百万人→77百万人
と予想されている。米国の人口は急増が、またヨーロッパ諸国には、なだらかな増加が予想される。この数字は移民政策と深く関係している。先進国主要国で人口減少問題が本当に深刻なのは移民政策を拒絶している日本だけの可能性が高い。日本は今、世界でなんら変哲もない平凡な国へと向かっている。最終的には人口問題が暗い影を落とし、そこから逃げ出せなくなるだろう。もし私が日本の若者なら、他の国への移民を考える

と結んでいます。

Mahathir bin Mohamad

■ 訃報2件・・・三遊亭円楽さんとアントニオ猪木さん
 落語家の三遊亭円楽(六代目 三遊亭 圓楽)さんが肺がんのため2022年9月30日に72歳で亡くなりました 楽しい人でした 安らかな眠りを祈ります 東京都墨田区出身で 青山学院大学在学中に五代目三遊亭円楽さんのもとに入門し 「楽太郎」を名乗って落語家の道に進みました 27歳の時に民放の演芸番組「笑点」のメンバーに抜てきされると 毒舌のキャラクターで親しまれ 中でも桂歌丸さんとの掛け合いは長年にわたり番組の名物となりました 31歳で真打に昇進したのは 頭のキレの良さもさることながら その人柄の良さがだれからも好かれる理由だったと想像します しかし2018年には 初期の肺がんであることを公表し その翌年には脳に腫瘍が見つかるなど 治療を続けながら入院と高座への復帰を繰り返していました 8月に国立演芸場で高座復帰を果たしましたが その様子を見て「長くないな」とは予想していました  墓所は群馬県前橋市の釈迦尊寺で 亡くなる16年前には同寺の住職に師事し得度していたそうです

元気なころの三遊亭円楽さん
 プロレスラーで元政治家のアントニオ猪木さんが2022年10月1日朝 難病の全身性トランスサイレチンアミロイドーシスによる心不全のため自宅で死去されたそうです 79歳 この人も楽しい人でした 安らかな眠りを祈ります 横浜市出身で 中学の時にブラジルに移住 遠征した力道山の目に留まり 17歳の時に日本プロレス入団 力道山の死後 ジャイアント馬場とのコンビでプロレス人気を復活させました 1989年にスポーツ平和党(当時)から出馬し参院選に当選 2013年の参院選では日本維新の会から立候補して国政へ復帰しました 度々訪朝したのは 師である力道山が北朝鮮出身だったことが縁ですが 著名な政治家でも会えないような人がアントニオ猪木とは会うということから これは北朝鮮が政治的に利用していたという側面があるようです それでもやはり「会って話す」ということが外交の基本であり そういう面では偉大な人だったと思います 2019年に政界を引退し 2020年に心臓の病気を患っていることを公表していました 9月21日に撮影されたYouTube動画を見ましたが 衰弱した様子でベッドに横たわる猪木さんの姿に 動画コメント欄には「『弱さ』をありのまま見せた猪木さんの『強さ』を見ました」 「尊敬しかない 最後の最後まで 燃える闘魂」 「最期まで『アントニオ猪木』を全うされ勇気や元気を与え続けてくれました」 「こんなに強い人を見たことがありません!」などの声が溢れました 二番目の妻は女優の倍賞美津子さん(75)で その間に娘が一人います 自身は仏教徒で在りイスラム教徒だったそうです

燃える闘魂・アントニオ猪木
(2022年10月3日)


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