453  防災訓練

 11月の半ばともなると、朝晩冷えてきますね。今年は昼温かく、1日の温度差が大きくなっています。この時季には晴れ着に身を包んでお宮に詣でる親子の姿を見かけるようになります。七五三です。子供のこれまでの成長を祝い、さらなる今後の成長を祈念して神社・氏神に詣でる行事で、現在は主に11月15日前後に行われることが多いですね。男児は3歳・5歳、女児は3歳・7歳に祝うことが一般的です。「とおりゃんせ、とおりゃんせ、ここは何処の細道じゃ、天神様の細道じゃ・・・」よく知られた童謡のとおりゃんせは七五三の祝いに天神様にお札を納める模様を謡った歌です。この天神様は何処かと言いますと、一般には川越城内にあった三芳野神社という説が有力です。

■ COP26
 英国グラスゴーで開かれていたCOP26が終わりました。これについては重要な問題なので、改めて別に採り上げます。テーマは地球温暖化防止ですが、そのためには石炭火力発電をどうやってやめるか、というのが争点として浮上し、欧州各国とその他の先進国、発展途上国の間で削減だ、廃止だ、と議論が沸騰しました。二酸化炭素排出量の多い石炭火力を削減しなければならないという点ではおおむね方向性は一致していても、これを一気に廃止しようという欧州の主張と、コスト面で石炭火力に頼らざるを得ない発展途上国ではどうしても一致点を見いだせず、会期延長の上、インドの主張を容れて、廃止ではなく削減で妥協となりました。日本は原発を多く停止していて、発展途上国同様石炭火力に頼らざるを得ないため、NGOから「化石賞」を頂く破目になりました。

■ 埼玉県150年
 2021年11月14日は「埼玉県民の日」で、今年は埼玉県になって150年の記念すべき年です。これについては「埼玉150年の歩み」をご覧ください。明治4(1871)年に廃藩置県により東の埼玉県(県庁は岩槻)と西の入間県(県庁は川越)が設置されました。同年、交通の便により埼玉県庁は浦和に移転されました。明治6(1873)年、入間県と群馬県を統合して熊谷県という巨大な県が誕生し、熊谷を県庁所在地としました。明治9(1876)年、熊谷県を廃し、旧入間県と埼玉県を一つにして埼玉県とし、ほぼ現在の形となりました。当時の人口は88万9千人余りでした。以来、埼玉県は日本全国で唯一人口が増え続けている県です。明治16(1883)年上野−熊谷間に日本鉄道線が開業、その年のうちに群馬県新町まで延伸されました。明治44(1911)年に川越に東京と上州(群馬県)を結ぶ目的で東上鉄道株式会社が設立されました。大正3(1914)年に池袋から川越まで鉄道が開業、大正9(1920)年に東上鉄道と東武鉄道が合併しました。大正11(1922)年に川越に市制施行、埼玉県初の市となりました。大正14(1925)年には寄居駅まで鉄道が開通し、現在の東武東上線の形になりました。寄居から群馬県高崎市を経由して渋川までが東上鉄道の計画でしたが、八王子と高崎間に八高線を作る計画が出て来たので、寄居でストップとなったのです。八高線は寄居から小川町の間を東上線と並行して走ります。


■ 防災訓練
 2021年11月14日、ふじみ野市では防災訓練が行われました。東京を中心とする地域では近いうちに「東京直下型地震」が確実に起きると言われています。それに備えていろいろな対策がPRされています。東日本大震災を体験したばかりですから、誰しも冗談ではなく、真剣に取り組もうとしています。防災講座も受講しましたが、最近では地震ではなく水害が現実に起きています。今や災害はとても身近になりました。防災訓練に取り組むことは当然ですが、筆者は今年町会の防災部長なので、先頭に立って頑張らなければなりません。市役所の職員と一緒に、避難場所である、我が家の目の前の西小学校で防災訓練に取り組みました。この小学校には校庭の下に貯水タンクが設置してあり、常に上水道がこの貯水タンクを経由して給水されているので、災害時水道のパイプが破損したりして断水した場合でも、この小学校に来て水汲みすることができます。その貯水タンクから水を出すための訓練が行われました。

貯水タンクの給水口を掘り出す作業

■ 円安と原材料価格の大幅上昇はどうよ?
 前回日本円の価値が50年前に逆戻りし、日本人が貧しくなったことを紹介しました。そのうえで「先の衆院選の結果で分かるように、日本人は急な変化を望んでいません。自分たちが貧しくなっていることへの不満もそう無いようです」と書きました。50年前の日本と言えば筆者が大学を卒業して社会に飛び立とうか、という頃です。高度成長期で、物価がガンガン上がる、つれて給料もバンバン上がるというインフレ時代でした。そして1970年代には二度のオイルショックがありました。1973年に第四次中東戦争を機に第1次オイルショックが始まり、1979年にはイラン革命を機に第2次オイルショックが始まったのです。そして今また石油価格が高騰しています。日銀の黒田東彦総裁は11月15日、名古屋市で記者会見し、原油価格の値上がりとともに円安が進行し、原材料価格が大幅上昇していることに関連し、「現在の円安が(経済全体に)特にマイナスになっていない」と述べ、「悪い円安論」を否定しました。黒田総裁は、「国際商品価格の上昇は世界経済の回復が背景にある」と指摘、「円安は輸出金額や海外子会社の収益を押し上げる効果もある」と述べ、プラスとマイナスの両面を考慮する必要があると強調しました。こうした論については一方的に決めつけてはいけません。物事は右から見るのと左から見るのでは全く違った世界が見えるものだと言われています。

給水口の蓋を開けます

■ 中国女性に驚かされたこと
 最近つくづくと感じることがあります。我が家にやって来る生命保険のセールスレディが若くてきれいな中国人女性なのです。まだ言葉は明らかにそれと分かるのですが、生命保険のセールスと言えばそれなりの知識が必要なはずです。一生懸命勉強したのでしょう。その努力を思えば、実は話の内容は分かっているのですが、素直に聞いてみるのです。また我が少年野球チームのお母さんで中国からやってきた人が居ます。日本人の旦那と結婚して子どもが小学生なのです。言葉はほとんど日本人レベルですが、驚くのはその知識です。日本のことわざなどの話題でも良く知っているのです。これは相当勉強したのだろうと驚きます。元中国人だろうと、母としての息子に対する思いは同じ、イヤ日本人以上にスパルタな気がします。スゴイなぁと尊敬します。

給水口にホースをセットします

■ 中国では男も女も同一労働、能力主義です
 また、筆者が企業人で課長時代、新入社員として早稲田大学大学院修士卒の女性が部下として入って来ました。きれいな女性で、北京出身です。話を聞いてみたら、北京は城の外と内で格差があり、この人は城の内だそうですから、良い家のお嬢様でしょう。日本に娘を留学させるくらいですから、親はかなりのエリート階級と思われます。学歴上当然ですが頭は良く、驚いたのはハッキリモノを言うことです。日本企業では当時まだまだ男尊女卑で、筆者が勤めていた会社は何とかして女性を登用して管理職にしようと考える先進的企業でしたが、それでも入って来る女性は日本社会で育っただけに、おしとやかで奥ゆかしい人ばかりだったので、この北京女性は異色でした。こういう仕事がやりたいとハッキリ言うし、野心ギラギラ、外見と口から出る言葉の落差に驚きました。しかし上海の合弁企業に行ったとき、女性の社員が力仕事を難なくこなし、管理職の女性が若い男の社員に仕事を命じている姿を見て、中国では男と女の性差なく能力主義の社会なのだと実感しました。夫婦共働きで家事も分担していると言っていて、日本社会とはずいぶん違うのだと思い知らされました。もう30年近く前の話です。

もし水圧が無い場合は手押しポンプで吸い出します

■ 怒りを知らない若者たち
 ひるがえって日本はどうでしょう?いまだに女性の社会進出はまだまだです。日本社会の差別構造に逆らってまで頑張る女性は数少ないのです。男女格差だけではなく、正規/非正規、身分、財産、親子関係など、差別が厳然と存在し、それに逆らおうとする人は極めて少ない、1960〜70年代にフツフツと沸き起こった若者の「怒り」の行動は今や何の話?という状況です。日本人はもう諦めてしまったのでしょうか。今の20代の若者は「ゆとり世代」です。怒るのなんてムダ、何のために怒らなくちゃいけないの?という思想の根底にやはり教育があるのです。大学生だってそもそもどうしてこんなに学費が高いんだ!と本来怒らなければならないのに、現実を受け入れてしまっています。そもそもスポーツだって、「根性」なんて言おうものなら時代遅れとモウレツバッシングを受けます。ビッグボス;日本ハム新庄新監督が、若者に苦言を呈したのは、諦めてるヤツが多過ぎるということでした。エネルギーに溢れた若者が諦めてしまったら、日本社会は停滞から衰退に転じてしまいます。このままではダメ、若者を叱咤激励するのは我々老人です。諦めてはいけません。

給水口からバケツに水を出すことが出来ました

■ COVID-19
 世界中でCOVID-19が再び勢いを増しています。それなのに日本ではウソのように鎮静化しています。新型コロナウイルスについて、東京都は2021年11月15日新たに7人の感染を発表、今年最少でした。沖縄県では新たな感染者が0人で、2020年7月18日以来、約1年4ヶ月ぶりにゼロでした。しかし油断してはいけません。海外の状況を見る限り、新型コロナウイルスが衰退したなんてことは有りません。今のところ海外との窓口を厳しくして、日本国民がきちんとマスクをして消毒して感染対策しているから収まっているだけです。日本の医療体制は大丈夫でしょうか。改善されたのでしょうか。ここが一番のポイントです。

■ 小室圭さん、眞子さんニューヨーク到着
 秋篠宮家の長女、眞子さんと小室圭さん夫妻は2021年11月14日、羽田空港から渡米し、ニューヨークに到着、海外メディアもこれを報じました。AP通信は「大学時代の恋人だった一般人と結婚するために皇籍を放棄した日本のプリンセスが14日、ニューヨークに到着した。新婚夫婦としての幸福を追求し、彼らのロマンスを批判した国を後にした」と伝えました。「小室圭さんはフォーダム大法学部卒で、ニューヨークの法律事務所に職を得ている。司法試験で不合格だったことが、日本のメディアが彼を攻撃する新たな材料になった」とし、「日本は多くの点で近代化されているが、家族間における価値観と女性のステータスは、封建時代の名残でしばしば古色蒼然としたままのように見受けられる。そのような物の見方が、今回の結婚に関する一般大衆の反応では際立っている」と批判し、「税金が皇室制度をサポートしているからこそ、もの申さねばならないと思っている日本人がいる」と評しました。確かに皇籍を捨て、日本から逃げるように出国された姿は、悲しい、悲し過ぎますね。

ニューヨーク

■ 藤井聡太史上最年少四冠
 将棋の第34期竜王戦7番勝負第4局が11月12日(土)と13日(日)、山口県宇部市・ANAクラウンプラザホテル宇部で行われ、後手の藤井聡太三冠(王位・叡王・棋聖=19)が豊島将之竜王(31)を122手で破り、開幕から4連勝で竜王位を奪取しました。例によってスマホのABEMAでイヤホンつけながら見ていました。この両者は今年ずっと対戦し続けていて、タイトル19戦でした。竜王戦第1局は形勢不明の終盤戦を藤井挑戦者が制して逆転勝利。続く第2、3局は正確な指し回しで付け入る隙を与えず開幕から3連勝でした。大記録のかかった第4局の戦型は角換わりで、序盤はお互いに研究し尽していたようで、異例のハイペースで午前中に63手まで進みました。午後は一転長考合戦となり、深い読み合いが続きます。2日目は豊島竜王が積極的に仕掛け、藤井挑戦者が受ける展開で、終盤は豊島竜王が相手の読みを外し、AIはわずかに豊島優勢と表示します。藤井挑戦者は時間を使い、お互い一歩も引かない展開に、解説の棋士も「難しい、お互い間違えたら終わりのヤバイ局面です」とおっしゃいます。藤井三冠が自玉の危険を恐れず、△8七飛成と竜を作った104手目、ここが豊島竜王にとって最大のチャンスでした。局面はきわめて難解ながら、AIの評価値は豊島良しを示しています。しかも持ち時間は豊島竜王が2時間29分も残しているのに、藤井三冠は9分しかありません。すでに局面は最終盤、もうお互いの玉が詰むかどうかという状況です。ここが勝負どころと見た豊島竜王は、最終盤としては珍しい99分という大長考、藤井挑戦者は視線がさまよい、明らかに苦しそうな様子です。豊島竜王は、107手目▲5五桂と王手王手で藤井玉に迫ります。これがポイントでした。ここから藤井挑戦者による猛反撃が始まりました。豊島優勢としていたAIの評価が一転、藤井優勢に変わりました。結局相手のミスを見逃さず、大逆転でタイトル奪取して藤井四冠が誕生しました。これで将棋界にある8つのタイトルのうち、半分の4冠を同時に保持、羽生善治九段(51)の22歳9ヶ月の最年少4冠の記録を28年ぶりに更新する19歳3ヶ月で4冠となり、史上初の「10代4冠」が誕生し、豊島棋士は無冠になりました。勝負の世界は非情ですね。

■ <愛した、書いた、祈った>瀬戸内寂聴さん死去99歳
 瀬戸内寂聴さんが2021年11月9日京都市内の病院で心不全で亡くなられたそうです 99歳でした 瀬戸内さんは1922年5月15日 徳島市生まれ 21歳で結婚 夫の赴任先だった中国・北京で終戦を迎え 郷里の徳島に引き揚げました 夫の知人である作家・井上光晴氏と不倫関係になり 娘を残して家を出ました その後 本格的な文学活動を開始し 1957年に『女子大生・曲愛玲』で第3回新潮社同人雑誌賞を受賞 人気作家となりました と簡単に書きましたが この間大変な思いをされたようです 1973年 51歳のときに平泉・中尊寺で得度しました 2006年に文化勲章、17年度朝日賞を受賞しています
 情熱のままに社会の規範を踏み越える女性たちを描き 後半生は自在な語りで人々に寄り添った稀有な方でした 刊行した本は400冊以上で 自身の墓碑に刻む言葉は<愛した、書いた、祈った>と決めていたそうです 51歳での突然の出家は 公私ともに行き詰まった末の「一種の自殺」だったそうです 大僧正だった作家の今東光さんから寂聴の名を授かり 荒行に臨みました 捨て身の選択は後半生に新たな道をひらきました 「源氏物語」現代語訳は 登場する女性たちが俗世を捨てることで愛の苦悩から解放されたという 仏教者ならではの解釈で執筆したそうです 岩手県二戸市のお寺の住職を長く務め ここに悩み多き人たちが詰めかけました 京都・嵯峨野の自坊「寂庵(じゃくあん)」で続けた法話や写経の会には 毎回申し込みが殺到しました 戦争を憎み 犯罪者などにも 手を差し伸べました 寂聴さんのように自由奔放に本音で語る人がいなくなったことを惜しむ声が巷に満ち溢れています
(2021年11月15日)


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